彼氏×彼女



かすかな寒気と鈍痛を感じる中、やんわりと頭を撫でられた感触が刺激になって薄っすら目を開けた。目の前には心配そうにわたしを覗き込む蘭ちゃんの顔。あー今日も綺麗だなあ、なんて呑気に見惚れてたら「大丈夫か?」と優しい音色の声が聞こえた。

「ゆめ……?」

にしては随分とリアルな音だった。案の定、目の前の蘭ちゃんは消えるでもなく、「ふは」と小さく吹き出した。どうやら本物らしい。

「寝ぼけてんのー?かわいー」
「え……蘭ちゃん、お仕事は……?」

今日は二人とも地方に出張とかで帰れないって連絡がきたのに、何でいるんだろう。不思議に思っていると、蘭ちゃんの大きな手が、また頭を撫でてくれた。凄く優しくて、いつだってわたしを甘やかしてくれる手だ。

「あんなメッセージもらったら帰ってこねえわけねぇじゃん」

蘭ちゃんはただでさえ困り眉なのに、更にへにょっと眉尻を下げて心配そうな顔をする。
でも、そうか。あんな些細な弱音を吐いただけで、わたしのところへ帰って来てくれるんだな、蘭ちゃんは。
今朝、二人を見送った時までは元気だったのに、お昼を過ぎた辺りからじわりじわりと痛くなった下腹。
女を二十年以上やってても未だに慣れないその独特の鈍痛は、一人寝をしなくちゃいけない日は特にこたえる。
だから、つい蘭ちゃんや竜ちゃんから『何してんのー』『昼飯なに食った?』という他愛もないメッセージが届いた時、つい「お腹痛くて寝てるから何も食べてない」なんて泣き言を返信してしまったのだ。

――え、腹いてーの?何で?
――ダイジョーブかよ。薬飲んだ?
――アレきちゃっただけ。薬は飲んだよ。
――熱は?オマエ、いっつも微熱でるだろ。
――蘭ちゃん心配なんだけどー。リンドーも隣で青くなってんぞー泣。

二人から怒涛のメッセージ攻撃が来て少し寂しさも紛れたおかげか、薬も効いてきた辺りで寝落ちしてしまってたらしい。その後の返信も出来ず、今に至る。でもまさか目を覚ましたら蘭ちゃんがいるなんて思わない。

「おい、兄貴~。出来たけどこれで大丈夫……って、起きてたのかよ」
「竜ちゃん……?」
「起きたならオレに声かけろよ、兄貴もー」

文句を言いながら寝室に入って来たのは竜ちゃんだった。目が合うと慌てた様子で蘭ちゃん同様、ベッドの脇に屈む。その際、蘭ちゃんを押しのけた形になって「おい竜胆。兄ちゃんを押しのけるとか生意気ー」なんて、早速チクリとされている。
でもそっか。蘭ちゃんが帰って来たなら当然、竜ちゃんも帰って来てくれたんだ。
二人はいつものように言い合いをしながらも、最後は仲良くわたしのことを覗き込んできた。別に病気じゃないんだから、そんなに心配しなくていいのに、とちょっとだけおかしくなる。

、顔色悪い……やっぱ熱あんだろ」

言いながら竜ちゃんがわたしの額に手を置く。竜ちゃんの手は冷んやりして気持ちが良かった。オデコあっついと言いながらも、前髪を避けてそこにちゅっとキスをしてくれるのも気持ちがいい。ああ、愛されてるなあと実感できる瞬間だ。

「ごめんね、お仕事の邪魔して……」
「あ?何言ってんだよ。オマエより大事な仕事なんてねえわ」
「でも病気じゃないし……」
「病気じゃなくても痛い思いしてんじゃん。そんな状態でを一人にしておけると思うー?」

蘭ちゃんの口が不満そうに尖った。でもふっと笑みを浮かべて、さっきの竜ちゃんみたくオデコにちゅっとしてくれる。この兄弟はとことん過保護の心配性だ。

「あ、そーだ。色々買ってきたけど、オマエの好きなアレ作ったんだよ。腹減ってねえ?」
「え?」
「バーカ、竜胆。は腹が痛いんだから、いきなり寝起きに食えねえだろが」
「いや、でも痛いなら薬飲むだろ。薬飲むなら何か腹に入れねえとだし……つーか兄貴がアレ作れっつったんだろ?」
「はいはい。んで?ちゃんと上手く作れたのかよ」
「だから確認してって言いに来たんだったわ」

そんな会話を聞きながらアレって何だろう?と思ったけど、すぐに思い当たった。わたしがアレになると食欲が出なくて、いつも蘭ちゃんが作ってくれるものがあるのだ。

「もしかして……ポーチドエッグ作ってくれたの……?」
「おー。お湯に落とすだけかと思ったら、案外難しいのな、アレ」

竜ちゃんが苦笑気味に肩を竦めて蘭ちゃんを見た。いつもは蘭ちゃんが作ってくれるけど、今日は竜ちゃんが作らされたらしい。前に蘭ちゃんが仕事でアメリカへ行った時に食べて気に入ったようで、帰国後わたしにも作ってくれたのが最初だった。それがすごくぷるぷるで美味しくて、食欲がない時でも必ずそれは食べたくなる。
それを分かってるから今日も作ってくれたらしい。
蘭ちゃんが「どれどれ」と竜ちゃんが作ったというポーチドエッグを確認しに行く。でもすぐに「おい、これ白身が固まって来てんじゃん」と苦笑しながら戻ってきた。蘭ちゃんが運んできたお皿には、確かにポーチドエッグとは似ても似つかない卵料理が乗っている。

「人に作らせておいて文句言うなよ」
「あ?出来るっつったの竜胆じゃん」

早速モメだした二人を見ながら、わたしは上体を少しだけ起こしてお皿をとった。確かに白身はぷるぷるじゃないけど、綺麗な目玉焼きみたいでちょっとだけ笑う。ケンカをしてた蘭ちゃんも竜ちゃんも互いに顔を見合わせて、それからやっぱり軽く吹き出した。

「ありがとう。これ食べていい?」
「いいけど、ぷるぷるじゃねえぞ」
「いいの。だって凄く美味しそうだもん」
「まあ……愛情だけはたっぷり入ってっから」

どや顔をする竜ちゃんに、蘭ちゃんが呆れ顔で笑ってる。でも確かにこの目玉焼きには二人の愛情がたっぷり入ってると思う。
だってわたしには神々しいまでに、輝いて見えるから。
――なんて、二人の過保護なまでの愛情に、わたしもだんだん沼ってきたのを自覚した一日だった。



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