
A melancholy vampire.01
それは開けてはいけないものだった。
呪われた血を受け継いだ父から聞かされた、恐ろしくも儚い、忌まわしい過去の物語。
我が家の地下に眠る、二つのミイラ。
それはまさしく"邪悪"の象徴ともいえるべき存在―――。
そして、パンドラの箱は開かれた。
2009年、2月。
それはいつもの如く、ふらりと立ち寄った国。ニュージーランドに来たら絶対に欠かすことの出来ない観光地、それが南島のゴールデンルートだ。南島最大の都市であるクライストチャーチから出発し、世界初の星空で世界遺産登録を目指すテカポ、ニュージーランド最高峰のクック山が聳え立つ世界遺産アオラキ・マウントクック国立公園、リゾート地のスキー場としても世界中の観光客を魅了するクイーンズタウン。
"ここだけは欠かせないゴールデンルートのポイントを厳選して現地スタッフがご案内します"
サングラスを外し、そんなポスターを眺めては、何かを悩んでいる様子の少女。すらりとした身長で、銀髪の長い髪が、彼女の白い肌をより際立たせている。短めのワンピースに革ジャンを羽織り、膝まであるヒールの高いブーツを履いて、一見ロックバンドでもやっているような風貌だ。だが、彼女を目立たせているのは服装というよりも、その派手な顔立ちだった。ふっくらとした艶のある少しめくれた形のセクシーな唇に、すっと伸びた鼻筋、そして何よりまつ毛の長い大きな瞳はルビーのように鮮やかな、真紅。すれ違う人達が皆、彼女のその容姿を見ては振り返っていく。
だが、その少女――はそんな視線には慣れているといった様子で全く気にも留めず、さっきから良い匂いを漂わせている近くのホットドック店に目をつけた。そう言えば朝から何も食べていない。観光する前に何かお腹に入れよう。は迷わずその店へ歩いて行くと、目当てのホットドッグを一つ買った。彼女に見惚れる店主にお金を払い、軽く手を振れば、店主の男もデレた顔で手を振る。そんな男に背を向けて、はホットドッグを手に歩き出した。
今にも垂れそうなマスタードを舌で舐めとり、人目もはばからず買ったばかりのホットドッグへ思い切りかぶりつく。
マスタードたっぷりにしてもらったおかげで、ピリっとした絡みが口に広がり、それを満足げに頬張りながら、ついでに鼻歌を歌いつつ、人混みの多い通りを見渡す。
どこに行くでもなく、適当に歩いては、気になるお店を覗き、気に入った物があれば買う。
途中で覗いた雑貨屋ではカッコいいサングラスを見つけて、早速つけてみた。
「Oh cool....」
鏡に自分を映し、色んな角度から眺める。
「Yeah, I like it!」
すぐに気に入って購入。
古いサングラスを店の店員に押し付けると、はそのまま新しいサングラスをかけて店を出た。
そんな事をしていたらアッという間に食べ終わり、手に残ったのはホットドッグを包んでいた包装紙のみ。それを手の中でクシャリと握りつぶし、そのまま後ろへ放り投げた。
すると―――突然、「こーら、ゴミを道に捨てるな」と、聞き覚えのある言語が聞こえて、軽快に聞こえていた靴音がピタリと止まる。振り向かなくとも、その声の主が誰なのかは、分かっている。
「Shit…!」
思わず舌打ちが出る。見つかったのなら仕方ない、とばかりに振り向くと、その女は相変わらずのどや顔で腕を組みながら立っていた。
「女の子がそんな言葉使いしちゃーいかんでしょ」
「…しつこいわね、アンタも」
「そりゃー貴重な人材を見つけたんだから、こっちも必死さ。まだ好きな男のタイプも聞いてないし」
はあ、と大きな溜息が出た。目の前の女は苦笑交じりで、「そんな嫌がらなくても」と肩を竦めている。
「私はアンタが一目で気に入った。人を惑わすのは、アンタのせいでもあるだろ」
「……惑わしたくない相手でも効果あるのが今、目下の悩みかな」
少しだけサングラスをずらし、目の前の女に嫌味を吐けば、楽しそうな笑い声が返って来る。その笑顔を見るだけで、はウンザリした。
"ツクモユキ"
そう名乗った日本人は、かれこれ6年近く、に付きまとっているのだから、それも仕方のない事だろう。
がツクモに初めて会ったのは、まだ故郷にいた12歳くらいの時だった。
「ここに悪魔の化身がいると聞いてね」
そう言って突然、家に尋ねて来たのだ。
そして、の顔を見るなり、
「どんな男がタイプかな?可愛いお嬢ちゃん」
と、どや顔で言ってきた。
あげく日本にあるという呪いを祓う為、呪いを学ぶ学校の事を話しだし、「お嬢ちゃん高専に来てみない?」と誘ってきたのだ。そんな胡散臭い誘いに乗るほど、はバカじゃない。そこはサクっと断った。そもそも祖母が日本人というだけで、特に馴染みもない国へ行くなんて冗談じゃない。だがしかし、ツクモは殊の外しつこかった。
次の日も、またその次の日もやってきては、高専に入るのが嫌なら私と一緒に旅でもしない?と、あの手この手で誘って来る。それが一か月は続いた頃、唯一の家族だった祖母が死んだ。
日本から遠いこの国へ嫁いできた優しい祖母は、最期に「その力、人の為に使いなさい」と言い残し、あっけなく逝ってしまった。は一人になった。父も母もがまだ10歳の頃、事故で死んでいる。父が死んだのは悲しかったが、母が死んだのはにとって、むしろ良い事だった。あの女のせいで、は"悪魔の化身"と呼ばれるようになったのだから。でも祖母はその力を人の為に使えという。そして、ツクモという日本人もまた、祖母と同じような事を言って来る。
(私の望みは、一つだけなのに―――)
幸い親の残した遺産はたんまりある。元々貴族の家系だった父は、不幸な娘の為にしっかり大金を残していってくれた。このお金が全てなくなるまで、自分の望むものを探すとしよう。
生まれ故郷を出るのは、そんな理由で充分だった。
この怪しげなツクモという女の誘いを受けてみよう、と思ったのも、何かキッカケが欲しかったのかもしれない。
いきなり知らない国に行くのは躊躇われ、まずは一緒に旅をしたのだが、そこで戦闘のノウハウだの、術式がどうだのと教えこまれた。だが元々は自分の力を使いこなしていたし、戦いにおいての経験も多少はあった。今更感満載の旅は苦痛でしかない。
だから逃げた。
日本でいう所の呪いは知らないが、この国特有の悪魔は、いる。
と同じ、悪魔の血を持つ化け物が。
「二年ぶり、かな。こうしてと食事をするのは。あの時はエジプトだったっけか」
「あー。そうだったかな」
あまりのしつこさに辟易しながらも、見つかってしまっては早々逃がしてくれないのが、この九十九由基だ。食事をしよう、と言われ、も仕方なく了承すると、二人で近くのカフェへ入った。オープンテラスの席を陣取りながら、少し遅めのランチを二人で頼む。
「あの時も、はトイレ行くフリして逃げたよね」
「そうだっけ?」
コーヒーを飲みながら、は適当にすっとぼける。僅かにドキリとしたのを気づかれるほど、素直な性格でもない。今回、あの手は使えなさそうだ、と内心舌打ちをする。九十九は相変わらず胡散臭い笑みを浮かべてを見ていた。
「で、この国では見つかりそう?の望むもの」
「さあね。まだ来てから二日しか経ってないし」
「そっか。じゃあ…次の行き先、日本なんてどお?」
「………」
「あ、何よ、その嫌そうな顔は。そろそろいいでしょ?どうせ色んな国を転々としてるんだし」
それはそうだが、九十九に言われると、どうも素直に頷けないだった。
「ところで、ボーイフレンドの一人や二人、出来たの?ももう18歳でしょ」
「あ~この前行ったフィンランドで、ちょっとイイ感じの子がいたけど振って来ちゃった」
「あら、可哀そう」
「"ダイアナ"は気に入ってたけどね。顔はいいから。でもダメ。弱かったし」
「ふーん。は強い男がタイプ?」
九十九がニヤリと笑う。毎度毎度「どんな男がタイプだ」と訊いて来る九十九をスルーし続けていたけど、案外こんな会話で簡単にバレてしまった。
「だって私がこんなだし、強くないと間違って殺しちゃうかもしれないでしょ。特に"ダイアナ"が」
「あーまあ、そうか。そうだね。彼女のキスは危険だ」
「それに本気で好きになったところで、相手が先に死んじゃうんだから、結局は暇つぶし程度にしか付き合えない」
そう言ってから内心余計な事を話してしまった、とは思った。一人で旅をしていると、当然だが話し相手がいない。だからどんなに面倒な相手でも、こうして食事をしながらする会話で、少し気が緩んだのかもしれない。九十九は黙って聞いていたが、ふと何かを思い出したように指を鳴らした。
「そうそう!強い男で思い出したわ」
「え?」
「私、この前久しぶりに帰国して高専行ったのよ」
「へえ、あんなに嫌ってたのに。そもそも自分が嫌いな場所へ私を誘うのも変だけどね」
「ま、そこはさ。起爆剤になってもらおうかと思って」
「起爆剤…?」
「まあ、その話はいいとして。何でその嫌いな高専に行ったかって言うと…特級術師が二人増えたからなのよ」
九十九はサンドイッチを頬張りながら、少しだけ身を乗り出して来た。
「トッキュウって…何だっけ」
「前に話したでしょ。強さの階級みたいなもんよ。まあ滅多に特級になれる術師は出てこないんだけど」
「由基もソレだったよね。自分で言うんだ」
目を細めながらもが笑うと、九十九は「余計な突っ込みはいいから」と苦笑した。
「で、その特級が二人も増えた、と。由基を入れて三人になったって事ね」
「そーなの。しかもそのうちの一人がまた面白くて挨拶に行ったんだけど、残念な事に不在で会えなかったのよね。その子の相方には会えたんだけど」
九十九はそこまで言うと、かすかに溜息を洩らし、「ま、でもその挨拶した子はもう高専にはいないんだけどね」と呟いた。その顔はいつになく落ち込んでるように見えて、普段から飄々としている女が珍しい、とは思った。
「いないって何で?あ、死んだの?」
「いや…私達の敵になった」
「へえ、裏切ったってこと?面白い」
「面白くない。せっかく特級にまでなれたのに、その力を人殺しの為に使うなんて本末転倒もいいとこだわ。真面目そうだったんだけどなあ」
残念そうに言いながら九十九はまた一つ溜息をつく。だが本題からズレてると気づいたのか、再びの方へ身を乗り出した。
「そんな事より、そのもう一人の特級の子の話」
「ああ、何が面白いの?」
「それがね、うん百年ぶりに生まれた"六眼"持ちで無下限呪術の使い手だったの」
「…何それ。"りくがん"とか、"むかげんじゅじゅ…"?」
祖母のおかげで日本語が堪能とはいえ、九十九のいう呪術師の話もスルーしてきたには、専門用語的な話など分からないに等しい。そこで九十九はにも分かりやすいように、ある人物の術式を説明した。
「―――で、その眼があれば相手の呪力も丸見え、難しい術式も使いこなせる、というわけ」
「なかなか面白そうな力ね。それも無限を操るなんて。触れられない…か。へえ…」
丁寧に教えてくれたおかげで、にも何となく、その特級になった男の力の事は理解出来た。かすかな笑みを浮かべながら、はそのふっくらとした唇を指でなぞる。
その仕草を見て、九十九はほくそ笑んだ。これは彼女が楽しいと感じた時にするクセだと、九十九は知っていたから。
そこで、九十九は最後の一押しと言わんばかりに、が興味を持ちそうなカードを切った。
「でしょ?だから…彼は間違いなく"現代最強"なのよ」
「…Strongest?」
「そうよ。会いたくなった?」
「……本当に強いならね」
「じゃあ、自分の目で確かめて来たら―――?」
九十九は不敵な笑みを浮かべた。そこで初めては思案する。長年スルーしてきただけに、九十九の思い通りになるのは癪に障るが、やはり興味はそそられる話だ。そして思った。"現代最強"というなら、自分の最も欲しいものをくれるのではないか、と。
「どうする?」
黙ったまま考え込むを見ながら、九十九は再び問いかけた。
「OK」
一言呟き、は溜息交じりで肩を竦めた。
この長い長い旅の途中、ちょっと寄り道して"現代最強"とやらを拝みに行くのも悪くない。
「I'm going... To Japan.」
―――2018年、6月。
「へぇー綺麗な建物じゃん」
怪しい目隠しをした、教師だと名乗る五条悟に案内されてきたのは、東京都立呪術高等専門学校なる、これまた怪しい学校。強面の学長にイチャモンをつけられ、危うく入学を拒否られそうにはなったが、無事認めてもらえた虎杖悠仁は、これから住む事になる寮を見てワクワクするのを感じた。
つい先日、“特級呪物“なるものを口にしてしまった虎杖は、その体に呪いを宿してしまったせいで、今まで関わった事もない世界へ足を踏み入れようとしている。
「とりあえず、ここは好きに使っていいよ」
「おー広い!広い!」
高専の寮だと言われ、やってきた建物。これから自分が使う部屋だと案内された虎杖は、シンプルな室内を見渡し、満足げな声を上げた。
「二、三年は今、出払ってるけど、ま、すぐ会えると思うよ。人数少ないし」
そう声をかけ、鼻歌交じりで外国人女優のポスターを壁に貼っている虎杖を、五条悟は怪しげな笑みを浮かべ眺めていた。
「でも別に悠仁が戦う必要なくない?宿儺の指は僕や伏黒が取って来るから君はここで待ってればいいじゃん」
「いい!やるったらやる!蒸し返すな」
呪術の事やその宿儺とかいう呪いの事はまだよく知らない虎杖でも、一度決めたものを「いいから待ってろ」と言われた所で、素直に頷くほど腑抜けではない。それに虎杖は虎杖で、個人的に厄介な呪いにかかってしまっている。
「グータラしてる俺にボロボロの伏黒が指届ける絵面はウケるけどな」
「ははっ。確かに」
虎杖の覚悟は本物のようだな、と五条は満足げに微笑む。度胸もある、身体能力も抜群。そして中には"呪いの王"。力を使いこなせるようになれば、虎杖悠仁は大いに化ける可能性がある。そう思うと五条はワクワクしてくるのを感じた。
「ま、君が戦わない、なんてことはあり得ないんだけどね」
「あっ!!」
たはーっとふざけたように笑う五条を見て、虎杖は何かを察した。
「試したな!」
徐に目を吊り上げ、虎杖は未だニヤニヤしている五条へ文句を言う。会ったばかりの、自分の担任になるこの教師が、一癖も二癖もある人物だ、という事は、まだ虎杖も気づいてはいないようだ。五条はふくれっ面の虎杖の方へ歩み寄ると、少しだけ屈んで虎杖の顔を覗き込んだ。
「そんな簡単に見つかるなら、とっくに全部見つけてるっちゅう話」
「……?」
「気配が大きすぎるモノ、息を潜めているモノ、すでに呪霊に取り込まれているモノ。"探す"ということに関してこれほど面倒なものもない」
五条は淡々と話しながら、ふと指を虎杖へ向けた。
「でも今は君がいる。君の中の宿儺が力を取り戻す為に指の在り処を教えてくれる。君は器であると同時に探知機でもあるわけだ。現場にいないと始まらない」
虎杖は自分の腹を拳で叩きながら、「そんな親切かぁ?コイツ」と首を捻る。自分の中にいるという呪いは、常に好戦的で荒々しい性格なのを、虎杖は知っている。内側で不機嫌そうに文句を言っているのが分かるくらい、宿儺の全てを全身に"感じる"のだ。だが、五条は特に気にしてないのか、「そこはWinWinの関係を築けると思う」などと言って来た。
「そう、かなぁ?」
虎杖は未だ自分の中の宿儺がどう動くのか測りかねて首を捻る。
と、その時、廊下の方からコツコツコツと誰かの靴音が聞こえて来て、虎杖はふと開け放したままのドアへ目を向けた。
今日、他の生徒はいないと五条は言っていたが、ここの住人の誰かが帰って来たんだろうか。
五条も気がついたのか、虎杖と同じように入口へ顔を向ける。だが、その口元はかすかに緩んでるように見えた。
「Hello!Welcome. To the cursed school!」
両手を広げ、靴音の主が叫びながら入って来たのを見て、虎杖は一瞬だけフリーズした。
長身で、綺麗な銀髪を胸まで垂らしたその女性は、五条と同じような黒い服に身を包んでいる。
だが五条と違うのは、短いタイトなスカートから、長く綺麗に引き締まった脚を惜しげもなく出しているところだ。
ついでにヒールの高い靴を履いていて、音の正体が分かった。
大きな黒いサングラスをかけていて顔は半分見えないが、その綺麗な鼻筋と艶やかでふっくらした唇を見る限り、絶対美人だろう、という雰囲気を醸し出している。
「え、が…外国人…?!高専って外国の人もいるの?つか、すんげー美人じゃね?!」
驚いて五条の方へ振り返る虎杖に、五条は苦笑しながら肩を竦めた。
「彼女は日本人の血も入ってるクォーターだよ。っていうか、。呪われた、じゃなく、"呪いを学ぶ学校"ね」
五条が困り顔で、と呼んだ女性は、「似たようなもんじゃない」と笑いながら普通に日本語で返し、未だ驚いている虎杖の前までツカツカと歩いて来た。
そして徐にサングラスを取ると、虎杖の顔をマジマジと見つめて来る。
「へえ、この子が私と同じ境遇の子?」
「ああ。でもみたいな融合とは違うから時々本人が顔を出すし、一応気を付けてね」
二人の会話は耳に入っていたが、虎杖の意識はそっちではなく、目の前にさらされた彼女の瞳に向いていた。
長いまつ毛に大きな切れ長の目、だがその色は血のように濃い、真紅。
こんなに綺麗な瞳を、虎杖はこれまで生きてきた中で一度も見た事がなかった。
「おい、悠仁?悠仁ー?」
完全にフリーズしている虎杖に気づき、五条が目の前で手を振った。
「あーあ。やっぱ悠仁ものフェロモンに惑わされたか」
五条が苦笑気味に呟く。
そこでやっと虎杖は我に返った。
「あ、ど、どうも。初めまして…虎杖悠仁と言います」
「宜しく、虎杖悠仁くん。私は。高専で呪術師やらされてる君の副担任よ」
「ちょっと…やらされてる、はないだろ?」
彼女の言い草に五条が笑う。
が、ふと思い出したように、の腕を引っ張ると強引に自分の腕に収めた。要は、強く抱きしめた。
「これ、するの忘れてた」
「ちょ、っと!何する気…?」
「出張帰りには毎回するって約束でしょ。で、僕は今日、出張帰り」
「そんな約束はしてな―――んっ」
が文句を言う前に、その口は五条の唇で塞がれた。
両手での頬を固定し、何度も角度を変えて口付ける五条に、は僅かな抵抗と言わんばかりに拳を固め、五条の腹へパンチを繰り出す。
だが、普段なら触れられるはずの五条の体には一向に届かず、はむぅっと眉間を寄せた。
(ちゃっかり私を術式選択ONにしてからキスしたな、コイツ!)
となれば…にはこの甘いキス攻撃に抵抗する術がない。
殴りもダメなら蹴りもダメだろう。というか触れられないのだから自分の力で振り払うしかない。
でも相手は現代最強と呼ばれる男であり、いくらが強いと言っても素の腕力では敵わない。
かといって、"アノ力"を使ってしまうほど嫌、というわけでもなく…。
はそこで諦めて、五条の気が済むまで彼のキスを受け入れる事にした。
…が、そこで一番困っていたのは虎杖だった。
いきなり部屋に入って来た超美人の副担任を名乗る女性と、担任の五条の熱いキスを見せつけられてるのだから当然と言えば当然だ。
しかもそういった経験のない虎杖にとって、二人のキスシーンはハッキリ言って目の毒だった。
そもそも、どういう関係なのかすら聞かされてないのだ。
と、そこへ五条にとっては邪魔者、虎杖にとっては救世主である人物が顔を出した。
「げ、隣かよ、オマエ」
それは、虎杖が宿儺の指を食べるキッカケを作った男、伏黒恵だった。
天の助けと言わんばかりに、虎杖は伏黒へ縋りつく。
「あ!伏黒!ちょうど良かった。あの二人―――」
「ちょ…何してんスか…!」
虎杖に抱きつかれながらも、その冷んやりとした目は部屋の奥で抱き合っている二人へ向いている。
その気配に気づいたのか、五条はゆっくりの唇を解放すると、声のした方へ顔を向けた。
「あ、恵。おはよう。傷も治って元気そーだねー」
「え、あ、恵…!」
それまで熱いキスを交わしていた二人だが、満足げな笑顔を向ける五条と、顔を真っ赤にして焦っているの反応が対照的で、伏黒は溜息をついた。
「まーたにセクハラかよ。五条先生…」
「僕とは恋人同士なんだからセクハラも何もないでしょーよ」
「フツー生徒の前でしませんよね、キス…」
ムっとしたように言い返してくる五条に、伏黒も負けじと突っ込む。
その会話を聞いていた虎杖は、二人はやっぱり恋人同士なんだ、と真相が分かってホっとしていた。
「え、えっと…ごめんね、変なとこ見せちゃって…」
少し頬を赤らめながら、同じく顔を赤くしている虎杖にが謝る。
そこでつかさず「変なとこじゃなくて愛でしょ、愛」と五条が不満げに口を挟んだ。
「だからって生徒の前でしなくても―――」
「でも初めての時はからしてきたよね」
「…う…あ、あれは私であって私じゃないというか…。っていうか、そんな古い話持ち出さないでよ」
過去の話をされるのは誰でも恥ずかしいように、もまた、当時の事を思い出して更に頬が赤くなる。
そんな事は気にもせず、五条は笑いながら虎杖を見ると、を指さしながら楽しげに言った。
「あのね。この人、初対面で僕にケンカ売って来たんだよ」
「ケンカ…っすか。五条先生に?」
何とも無謀な事をする人だ、と虎杖は思った。
先日、宿儺に代わった時の五条の戦いぶりは虎杖も何となく覚えている。
自分で最強だから、と言った通り、余裕であの速い攻撃を交わしていた。
だからこそ、目の前の綺麗な女性が五条にケンカを売った、と聞いて少なからず、驚いた。
「え、何でケンカなんか…」
つい訊いてしまった。
はその問いに「もういいでしょ、あの時の事は」と話したくなさそうだったが、五条は今でも楽しい思い出の一つだと言わんばかりに、事の経緯を話し始めた。
「結論から言うとね。は僕に、殺されたくて会いに来たの」
「……は?」
「ちょっと、悟!余計な話はしなくていいからっ」
「でも悠仁も僕らの生徒になるんだし、の事はきちんと話しておかないと。少なくとも力の事はね」
五条は意外にも真面目な顔で言っている。
そこで虎杖は先ほどのの言葉を思い出した。
「あ、そう言えばさん、僕と同じ境遇だとか言ってませんでしたっけ…。それってどういう…」
「ああ、そのまんまの意味」
と五条は言った。
「彼女も食べちゃってるの、指」
「えっ?宿儺の?」
「いや、の場合、宿儺じゃなくて……自分のご先祖さまの指、かな」
「ご先祖…?!」
まさかの話で虎杖は驚愕した。
が、隣で聞いている伏黒は知っているのか、僅かに苦笑いを浮かべている。
そしてご先祖の指を食べた、というは、消したい過去とでも言うように、頭を項垂れた。
「え…って事はさんのご先祖さまが呪物だったって…事?」
「まあ、呪物だったかどうかは知らないけど…が言うにはミイラ化してたらしいよ」
「ミイラ?!」
ミイラ、とはあのミイラだろうか。
ふと考えながら、虎杖の脳内にはつい先日見た映画に登場したミイラを思い浮かべていた。
というか、この現代にミイラ化した遺体が残ってるんだろうか。それもご先祖さまって。
少し混乱した虎杖を見て、五条は軽く息を吐くと、について語り始めた。
の家はある国の田舎町にあった。
元々うん百年以上も昔から続く貴族の家柄で、どちらかと言えば裕福だった。
だが、その家には忌まわしい血が流れているのだ、と、は父から幼い頃に聞かされた。
ヴァンパイア―――。
人の生き血を啜り、天候すら操る、剰え姿形を変え、深い夜を徘徊する怪物。
の生まれた土地は、その伝承が色濃く残った土地であり、それはただの伝説、と済ませられないほどに多くの逸話が残っている。
そしての先祖は、かの有名なブラド三世、またの名をブラド・ツェペシュ(串刺し王)と恐れられた男だった。
それはヴァンパイアの中でも最も高貴な存在。純血種―――。
父はその血を受け継ぐ者だった。
だが、この何百年という年月で、普通の人間と交わり、その濃い血は薄れ、現代では父はもちろん、でさえ、人の血を吸わなきゃ生きていけないという事はなく。
至って普通の人間だった。
忌まわしい血族、などと言われたところで、現実なんてそんなものだ。
が、ある日、がまだ6歳の頃。
厳しく不仲だった母の怒りを買い、躾と称して家の地下にある墓室へ閉じ込められた事があった。
そこは代々ご先祖様が眠る場所として、中にはいくつもの棺桶が並んでいた。
そして、その墓室には純血種と言われているブラドと、彼の妻であるダイアナも眠っている。
そこは本来、父しか入れない場所だった。
だが、父が長期出張で不在だったのをいいことに、母はをそこへ閉じ込め鍵をかけたのだ。
泣き叫んでも出しては貰えず、は三日三晩、墓室の中一人で過ごした。
三日目の晩、さすがに空腹に耐えられなくなったは、墓室の中食べられるものを探し始めた。
最初はネズミや虫。でもそんなものが都合よくいるはずもなく。
食べものを探す力も使い果たし、はその場に座り込んだ。
が、ふと思いついた。思いついてしまった。
の国に火葬なんて習慣はない。
という事は、棺桶の中にご先祖さまの体が残っているのではないか。
普通に考えれば、肉体は朽ちて骨になる。
でもまだ幼いには、そこまで考える事は出来なかった。
ゆっくりと自分が寄り掛かっている棺桶を振り返る。
何か、少しでもこの空腹を満たせるものがあれば。
が考えていたのはそれのみだった。
怖い、とか、気持ち悪い、等と言っていられる余裕はないほど、は飢えていたのだ。
は決心すると、棺桶の前に立ち、木製の蓋を力いっぱい押してみる。
最初はビクともしなかったが、何度か繰り返すうち、蓋が少しずつ動いて行く。
そして自分の手が入るくらいの隙間が出来ると、は徐に中へ手を突っ込み――――。
「え、で…まさか…それで指を?」
五条の話に聞き入りながら、虎杖はゴクリと喉を鳴らした。
「そ。最初に手が届いたのが指だったらしい」
「そ、それで…」
「まあ、そこからが悠仁よりも凄いんだけどさ。空腹で死にそうだったは結局、一本じゃなしに―――」
「一気に10本食べたのよ。悪い?だってお腹が空いて死にそうだったんだもの」
そこでが口を挟んだ。
虎杖のベッドへ腰を掛けて、その長い足を組み替えながら、舌を出し、ウゲっと言いたげな顔だった。
「で…で、どうなったの?」
「そりゃー死にかけた。そらもう豪快に。5本目くらいで何か体がおかしいなあとは思ったんだけど、それよりお腹を満たしたくて一気に食べたら…」
「た、食べたら…?」
またしても喉を鳴らす虎杖に、はニッコリ微笑んだ。
「体中が燃やされてるのかってくらい熱くなって転げ回った。そのうち知らない意識が頭の中に流れ込んできて、それに乗っ取られそうになった」
「え、それって…」
「何でもが食べたのはブラドの妻、ダイアナの指だったらしくて。そのダイアナが出て来たんだって」
「え、出て来たって、俺の宿儺みたいに?」
「まあ、最初はジキルとハイドかってくらいの状態だったけど、は遠いとはいえブラドの血縁だから最後は意識が融合したっぽいよ」
五条は苦笑しながら「ね?」との方へ振り向いた。
「まあ…今でも時々ダイアナが騒ぐけどね。頭ン中で」
「ダイアナも純血種だから強いんだろーなー。血が」
「え、ちょ、ちょっと待って。それってさんはヴァンパイアの血族で、しかも食べちゃって…って事は…?」
混乱した虎杖は頭の中で整理しながら、それでもまだ混乱していた。
「先祖の吸血鬼に呪われてっるってこと?」
「そう、なのかな。呪いなんて私の国にはないの。この場合、ヴァンパイアはヴァンパイアって存在だし。人の畏怖の念で生まれたような存在じゃないと思うけど」
「じゃあ…さんは…」
「まあ…ダイアナの力が刻まれちゃったから人間とヴァンパイアのハーフって感じじゃない?」
そう言って五条は楽しげに笑っているが、は「面白くない」と不満げに口を尖らせた。
虎杖には信じられなかったが、実際自分の中にも宿儺と言う化け物が住んでいる。
全てを否定するには不思議な事が最近ありすぎた。
「って事は…さん、も血を吸わないと生きていけない…とか?」
「あーそれは全然。吸いたいっていう欲求だけ昔はあったけど、私は飲まなくても生きて行けるし何なら太陽の下も歩ける。まあ眩しい事は眩しいからコレ」
と手にしているサングラスを振って見せた。
が、少し悲しげに目を伏せると、は「ただ問題なのは…」と言いながら、五条へ視線を向けた。
「は死ねない身体になった」
の代わりに五条が応える。
それを聞いた虎杖はポカンとした顔でそれを聞いていた。
「死ねない…って不死って事かよ」
「厳密に言えば不老不死。はこう見えても…」
「な…何歳なんすか…」
まさか500歳とか言わないよな?と思いながら、虎杖が真剣な顔で五条の言葉を待った。
「27さーい。僕の一つ下だよ」
満面の笑みで五条が応える。
「な…何だ…焦った…」
「何よ、虎杖くん。私が何百歳のおばあちゃんかと思った?」
「い、いや…まあ…」
あはは、と力なく笑う虎杖に、は軽く吹き出した。
「ま、ダイアナはそれくらいだろうけど。でも若い頃で成長は止まるっぽい」
「へえ…いや、待って。でも家に先祖のミイラがあったって事は死んでんじゃないすか」
ふとそこに気づいた虎杖は五条の方へ説明を求めるような視線を向ける。
「不老不死でも、ヴァンパイアを殺す方法は、あるにはあるらしいんだけど…」
「その方法が分からないから探すために世界中旅してたの」
「え…何でそんな方法探す必要が…」
虎杖の質問に、は少し困ったような顔で俯いてしまった。
何か悪い事でも言ってしまったんだろうか、と思っていると、不意にそれまで黙っていた伏黒が口を開いた。
「オマエは自分だけ生き残ってて楽しいのか?」
「え?」
「周りは死んでいくのに…自分だけずっと年も取らず、死ねもせず、永遠と生きている事が楽しいと思うか?」
「それ…は…」
虎杖は想像してみた。そんな永遠の命を持ったら、どう思うのか。
ハッキリ言って、めちゃくちゃ怖かった。
孤独、なんてものじゃない。
昔、存在していたヴァンパイアとは違うのだ。
普通に家族や友達、恋人が例えば寿命で命尽きても、彼女は一人で生きて行かなければならない。
この現代で、それは生き地獄なんじゃないか、と思った。
「あ…だから…」
ふと気づいて虎杖が顏を上げると、はかすかに微笑んだ
「そう。"現代最強"に殺してもらおうと思って、日本に来たの」
新連載スタートです。
子供の頃から吸血鬼ものが好きで好きで映画とか観まくってたので、今回それをネタにしてみました笑
この前まで守られる弱めのヒロイン書いてたので、今回はヤンチャな子が描きたくなりました笑
結構テキトーな設定で軽めなお話になると思われますが、楽しんで頂ければ幸いです。