初詣に行こう | 前編



1.

が来てから初めての正月――。
元旦でも、灰谷家では相変わらずのファーストだった。

「わぁ、お花が入ってる!可愛い!」
「だろー?」

大きな瞳をキラキラさせながらお椀を覗き込むを見て、蘭はドヤ顔で微笑んだ。向かい側に座ってた竜胆も目の前に出されたお椀を見て、その鋭い大きな目をぱちくりとさせながら唖然とした顔をしている。

今日は元旦ということで全員が早起きをした。これまでなら正月だろうとお盆だろうと関係なく、眠たい時は寝たおすという灰谷家の常識が、という家族が増えたことにより大きく覆ったようだ。
今朝は七時に起こされた竜胆、大あくびをかましながらリビングに顔を出すと、まず「明けましておめでとう」と蘭に声をかけられた。一瞬、竜胆の時が止まる。
今まで生きて来てその正しい挨拶を兄と交わしたことはあっただろうか。多分、幼い頃にはあった気もするが、久しく聞いていない。
そもそもこれまでの灰谷家は大晦日から仲間を集めて夜通し飲み倒し、元旦の朝には酔い潰れていることが殆どで、こんなにキッチリ挨拶など交わしたことがない。せいぜい深夜の0時を過ぎた時、仲間同士で「あけおめ」が飛び交う程度だった。

「お、おめでとう…」

呆気にとられつつも新年の挨拶を口にすると、今度は蘭の後ろからひょこっと顔を出したにも「竜ちゃん、明けましておめでとう。今年も宜しくね」と可愛い笑顔を向けられた。これまたポカンとした顔で「お、おう宜しくな」と返す竜胆に、蘭が「正しい挨拶しろよ」と注意をする。いったい何事かと思った。

「何だよ、急に」
の為に決まってンだろ」
「え、の為って…」
「コイツは去年まで正月でも構わず閉じ込められてたから新年になって何するかも分かってねーんだよ。だから普通の家庭がするようなこと教えてやりたい」
「兄貴…」

この異例の数々はを思う蘭の優しさからくるものだったらしい。竜胆は思わず涙ぐみそうになり、慌てて頭を振ると「そういうことなら」と素直に頷く。そこで「んじゃー雑煮食うぞー」と何とも爽やかな笑みを見せる蘭に「雑煮?!」と二度目の驚愕をしつつ、今に至る。

「この可愛いお雑煮……兄貴が作ったの?」
「当たり前だろ。オレって優秀だから何でも出来ちゃうんだよなァ」
「…ま、まあ…それは否定しねえよ」

言いながら、竜胆はお椀の中を彩る花の形をした人参や大根を見て、思わず納得してしまった。案の定、可愛らしいものが大好きなは大喜びで「食べるのもったいない!」と騒いでいる。ただその後に一言。

「…でも…蘭ちゃん」
「ん?」
「おぞうにって…何?」
「………」
「何でお正月にお雑煮を食べるの?普段は食べちゃダメなの?」
「あー…ダメ…じゃねえけど…」

さすがに一から説明するのは面倒だったのか、はたまた教えるほど雑煮の知識はなかった――あっても怖いが――のか。蘭は徐にケータイで誰かに電話をかけ始めた。

「あーもしもし、ココ?おー明けましておめでとう。っつーことでちょっと聞きたいんだどさ。ああ…。雑煮って何?何で正月に雑煮食べるのってが知りたがってんだけど…オマエ、知ってる?」

元旦早々、おかしな質問をされた九井は、それでも『ちょ、今すぐ調べるんで待ってて下さい』と、これまた優しさを発揮して、の為の答えを蘭に差し出すと「歩くウィキペディア」という不本意なあだ名をつけられる羽目になった。




2.


「おー!、かーわいい」

お雑煮という名の朝食を済ませた後、蘭はを近所にあるホテルへと連れて来た。の為に蘭がこっそり予約しておいたもの。それは正月用の着物を着せてあげることだった。

「ほんと?」

正月に着ると縁起のいいとされる牡丹柄の振袖に身を包み、髪をふんわりとアップにしてもらったは、お人形さんのように可愛らしい。一緒について来た竜胆もこればかりは素直に「マジで可愛いぞ、」と素直に誉めている。

「本当に可愛らしいですね」

ホテルのスタッフにまで褒められたは照れ臭そうな笑みを浮かべながらも嬉しそうだ。その笑顔を見ていると、蘭と竜胆も自然と笑顔になる。こういう顔が見たいがために、昨年末はアレコレ頭を悩ませながら蘭は色々と準備をしていたのだ。

「ま、急だったから今年はレンタルだけど来年はに着物買ってやるよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「蘭ちゃんと竜ちゃんは着物、着ないの?」

今日はふたりとも久々の初詣ということもあり普段着ではなく、カジュアルなスーツに冬用のコートを羽織っている。和装ではないふたりを見ては不思議そうに首を傾げた。

「……オレたちは…」
「なあ…」

着たら確実に輩になるだろ、と内心思いつつ、成人式の時は着るのもアリだな、とは思う。

「オレ達はいいんだよ。こういうのは女の子が着るから映えるの」
「…そうなの?」
「そーなの。つーことで神社行くぞー」

いつものように頭を撫でようとして、ふと綺麗にセットされた髪型に気づくと、蘭は代わりにの頬に軽く口付ける。抱きしめたくても着崩れしてしまうので出来ない。そこが少し難点だな、と苦笑しながら、蘭はの手を繋いだ。

「行ってらっしゃいませ」

と後ろから着付けをしてくれたスタッフ達に声を掛けられる。は嬉しそうに「行ってきます」と応えて、周りにいる他の客たちを見渡した。その場にいるのは殆どが女の子で、初詣に行くのだろう。全員が煌びやかな着物を着ている。そんな中、男は蘭と竜胆だけなので、かなり目立っていた。

、どした?」

周りの客たちをキョロキョロと見渡しているに気づいた蘭が、僅かに身を屈めて顔を覗き込む。

「あのね。あの女の子達、みんな蘭ちゃんと竜ちゃん見て顔を赤くしてるの。何でだろ」

その言葉に蘭がふと振り返ると、一斉に客の女の子達が視線を反らす。しかし小声ながらに「目あっちゃった」「あの二人マジかっこいい」「あの子、妹さんかなー彼女っぽっくないよねー」などという言葉が聞こえて来た。蘭は内心"妹じゃねえよ"とムっとしつつも、に対して優しい笑みを浮かべた。だいたいこういう視線を受けるのは慣れている。

「そりゃぁ…」
「オレらがカッコいいからじゃね?」

竜胆も気づいてたのか、そんなことを言いながら笑っている。だいたい普段でもふたりが街中を歩いていると逆ナンされることはよくあるので、蘭もそこは否定しないで笑っていた。

「オマエ、ラッキーだな?オレと兄貴にエスコートしてもらえる女なんて他にいねえから」
「そうなの?じゃあ私はラッキーだね、蘭ちゃん」

竜胆のドヤ発言に素直に喜ぶを見て、蘭の顏が思わず綻ぶ。こういう素直なところが可愛くて仕方ない。軽く手を引き、帯を崩さないように抱き寄せると、の丸みのある額にちゅっと口付けた。途端に遠目で見ていた女の客たちからキャーっという声が上がる。これで妹と思わないだろうという蘭の思惑もあった。

「ら、蘭ちゃん…みんな見てる…」
「いいじゃん。周りは全員エキストラだと思えば」

恥ずかしそうに頬を赤らめるを見て、蘭が苦笑する。しかしそれを目の前で見せつけられていたエキストラのひとり、竜胆は「兄ちゃんの人格がどんどん変わっていく…」と顔を手で覆う。

「はー?何か言ったァ?竜胆」
「別にいーけどさー。ったく……前は外でベタベタされたらキレてたクセに今は自分からしたがるしタチ悪い…」

とブツブツ言いながら、仲良く手を繋いで歩いて行くふたりの後を追いかける。
しっかり恋人繋ぎをしている蘭は常にの足元に気を配り、慣れない草履でゆっくり歩くの歩幅に合わせてあげていた。前の蘭からじゃ考えられない。

(この一年で随分と変わっったもんだよな…)

蘭が血まみれのを抱えて帰って来た日のことを思い出した竜胆は、ふと苦笑いを浮かべながらシミジミと思う。あの夜の衝撃といったらなかった。だがしかし、更に衝撃的なことはその後に待っていて、一年後こんな結末になっていようとは想像すらしていなかった。色んな女と付き合っては別れるを繰り返していた兄が、まさか年下のお子ちゃまと結婚するなんて誰が予想出来ただろうか。

(まあでも…兄貴が幸せそうで何よりか…)

と楽しそうに話しながら心の底から幸せそうな顔で笑う蘭を見て、竜胆はふと笑みを浮かべた。

「はあ…オレも彼女すっとばして可愛い奥さん欲しいかも…」

仲のいいふたりに見せつけられる日々に、虚しさを感じた竜胆の本音がぽろりと零れ落ちる。18歳という若さで結婚願望が出てきてしまうところまで、兄に影響されてしまう弟がここにいた。

「何か言ったー?」
「別に!つーか早く行こうぜ。さみーし!」
「オレは寒くねえ」

愛しい奥さんが隣にいる蘭とは違う。こっちは独り身だっつーの、と心の中で毒づきながら、竜胆は神社に向かって歩く蘭との後を追いかけて行った。