おねだり | 中編


1.


「ほら、出来たぞ、

風呂から上がったの髪を蘭の部屋で乾かした後、ふんわり三つ編みにしてやると、の顏がパァっと明るくなった。

「…可愛い!竜ちゃんも三つ編み上手だね」
「まあ、兄貴には負けるけど、オレもこう見えて手先は器用なんだよ」
「ありがとう、竜ちゃん!」
「い、いや…こんくらい…別に大したことじゃねえし…」

心の底から嬉しそうな笑顔を見せてお礼を言うに、竜胆の顏がみるみるうちに赤くなる。これほどストレートにお礼を言われたことも喜ばれたこともないので死ぬほど照れ臭い。ゴニョゴニョと応えながらそっぽを向く。しかし竜胆の更なる幸せ+不幸は次の瞬間、突如として訪れた。

「竜ちゃん、大好きっ」
「…うぉ!」

顔を反らしたのと同時に、が竜胆に抱きついてきた。全くと言っていいほど予期していなかったことで、重力に従い身体が後ろへ傾く。ついでにの体重も乗っかり、そのままの勢いで竜胆は床にひっくり返った。ゴンという鈍い音と共に後頭部をぶつけ「痛っ」という悲鳴が上がる。

「竜ちゃん、大丈夫…?」
「ってぇ…」

大好きと言われた驚きと喜び、ついでに痛みが同時に襲い、何事かと思った。起きた出来事に感情が追いついていない。しかも目を開けるとが自分を見下ろしている。それも悲しげな顔で。

「頭打ったの…?痛い?」
「い、痛くねえよ…ってかどけろって」

ズレた眼鏡を直しつつ、咄嗟にこの状況はまずいと本能が訴えて来た。仰向けに倒れた自分の上に、兄の嫁が乗っかっている。傍から見れば押し倒されている状態だ。今ここに蘭が帰宅したら、と思うと、竜胆はゾっとした。しかしは心配そうに竜胆の頭へそっと触れて「でも…」と瞳を潤ませている。垂れている三つ編みが竜胆の鼻先を掠め、ふわりといい香りがする上に、下から見上げるの表情がやけに艶っぽく、風呂上りのせいで頬がほんのりとピンクに染まり、余計に無防備な色気を感じさせた。

「なるほどなァ…」
「え?」
「いや…兄貴がああなるの・・・・・、ちょっとだけ分かった気がするわ…」
「???」

苦笑交じりで呟く竜胆の言葉の意味が分からないのか、は不思議そうに首を傾げている。こうして見ていると、まだまだあどけない。けれどそれがまた竜胆の目には可愛く映る。兄嫁でなければ過ちを犯しそうになるほどに。

「ハァ…兄貴の方が女を見る目があったってことか…」
「何のこと?竜ちゃん」
「何でもねぇよ…いいから早くどけって。兄貴に見られたらオレが殺される」

体を起こしてを押しのけると、竜胆は床に打ち付けた後頭部を擦りながら、目の前でキョトンとしているの額を指で小突いた。

「兄貴以外の男にベタベタすんなって言われなかった?」
「あ…そっか…」

思い出したのか、はてへへと笑っている。それでも「竜ちゃんもダメなの?」と訊いて来た。その問いにはグっと言葉が詰まったものの「オレも一応男だっつーの」と深い溜息が洩れる。

「とにかくは兄貴にだけ甘えてりゃーいいんだよ」
「うん…分かった」
「でもまあ…今の感じで兄貴に甘えとけ。それで…」
「おねだり…だよね。任せて、竜ちゃん」
「ほんとに分かってンの…?」

ニコニコしながら頷くに、竜胆はまたしても深々と溜息をついた。






2.


深夜0時を回った頃、玄関の方から鍵の開ける音がして蘭が帰宅した。以前に比べたら随分とお早いお帰りだ。に強請られ、一緒に某人気アニメの映画を一緒に観ていた竜胆は「蘭ちゃんだ!」と嬉しそうにお出迎えに行こうとするに軽く目くばせをすると、も真剣な顔で頷いて小さくガッツポーズまでして見せた。それを見た竜胆の胸がキュンと音を立て、可愛いかよっと心の中でこっそり突っ込んでおく。
これからあの可愛い義姉に自分の運命が――大げさ――かかっているのだと思うと、地味にドキドキしてきた。

「あれ~、起きてたのかよ」
「蘭ちゃん、お帰りなさい!」

コートを脱ぎながらリビングに顔を出した蘭は、抱きついて来たに早速頬を緩ませながら「ただいまー」と頬にキスをしている。竜胆の予想通り、やはり少し酔っているらしい。小柄なをぎゅうぎゅう抱きしめながら、蘭は「会いたかったー♡」と頭に頬ずりまでしている。それを横目で見ていた竜胆が、あれは本当に自分の兄なんだろうか?と、思わず問いたくなるほどにデレデレだ。そもそも会っていなかったのは数時間ほどだというのに何が会いたかっただ、と竜胆は思う。

「んー?…これ自分で編んだの?」

思う存分ハグをして気が済んだのか、僅かに身体を離すと、の可愛らしい髪型に気づいたようだ。三つ編みの毛先を摘まんでの顔を覗き込んでいる。それにはも笑顔で応えた。

「ううん。竜ちゃんが編んでくれた」
「…マジで?」

そのまま顔を竜胆の方へ向ける。しかし機嫌がいいのか、特に怒った様子もなく「さんきゅーな、竜胆」とお礼まで言って来た。明日は数年ぶりに大雪警報が発令されるかもしれない。一瞬怒られるか?とビクついていた竜胆は内心驚きながらも「い、いや…それくらい」と口元を引きつらせながら微笑む。そこで思ったのは"いける!"だった。竜胆に限り、こんなにも機嫌のいい蘭に滅多なことではお目にかかれない。のおねだりが核弾頭なみに効果を発揮するはずだと確信した。

「シャワー浴びてくっからは部屋で待ってて」

名残り惜しそうにを離してバスルームへ消えた兄を見送りながら、竜胆の眼鏡がキラリと光った。



後編⑴へ続く