第七章:罠...前編                                                  







純粋過ぎる真っ白な君には



暗闇に潜む僕の姿は見えないんだろう



君はとても眩しくて…



ねぇ 逃げないで



少しづつ…近づいてあげる…

















少しづつ視界が明るくなり、ジョシュはゆっくり目を開いた。
そして無意識に手を動かし何かを探すように伸ばすも冷んやりとしたシーツの感触に顔を横に向ける。


「…ん……?…?」


薄暗い部屋を寝ぼけた目を擦りながら見渡すが人気のない静かな空間しか映らない。


(あれ…誰もいない…?)


確かに夕べ寝る前にいたはずのがいない事に気づき、ジョシュは上半身だけ起き上がった。
その瞬間、額に乗ったタオルがパサっと落ちる。
少し気だるさが残っているものの、熱は下がったようだ。


夕べ…彼女が来てくれた気がしたんだけど…夢か…?
熱で朦朧としていたからか、その辺がハッキリしない。
でも…


ジョシュは視線を、そっと自分の手に移した。


かすかに残る温もりで彼女は確かにいたんだと分かる。
ずっと…手を握っていてくれたような気がするから…


ゆっくりとベッドを出るとジョシュは隣の部屋まで歩いて行った。
だが、そこにも彼女がいる気配はなくシーンとしている。


夕べのうちに帰ったのか…?
それとも本当に夢だったんだろうか。


そんな事を思いながら、やはり少しフラっとして寝室に戻り、ベッドに腰をかける。


「はぁ…普段、熱なんて出さないから、たまに出るとシンドイな…」


軽く息をついて項垂れる。
そして何気なく足元を見ると、何かが光っていて首を傾げた。


「何だ…?」


少し屈んで、それを拾ってみると小さな可愛らしいピアスだった。


「これ…夕べ、がつけてた…」


そこに気付いて、ピアスを握った手を額につける。


(やっぱり…来てくれてたんだ…)


そう思った瞬間、何とも言えない暖かい感情が溢れてくる。
そして、もう一度立ち上がると時計を確認した。
すでに昼過ぎ…


もしかして講義があって帰ったのかもしれない。




ジョシュは携帯を手にして、の番号を出した。















ハァハァハァ………


自分の息遣いだけが聞こえる。
心臓の鼓動が大きくなり、息苦しさを感じるも、は一気に廊下を駆け抜け、振るえる手で鍵を出した。
が、チャリン…っと足元に落として慌てて、それを拾う。
そして今度こそ鍵をさしドアを開けて中へ飛びこみバタン…ッと後ろ手に閉めてから大きく息をついた。


…?どうしたの?」


あまりに勢いよくドアを閉めたからかルームメイトのケイトが自分の部屋から顔を出した。


「やだ…真っ青じゃない…!大丈夫?!」


の顔を見てケイトは慌てて駆け寄って彼女をの顔を両手で包む。
だがは怯えたように首を振って、「何でもない…」…と呟くと自分の部屋に駆け込んでドアを閉めてしまった。


「ちょっと?どうしたの?何かあった?」


ケイトは心配になりドアをノックするも、は、「何でもないの…っ」と言うばかり。
それにはケイトも仕方ないというように肩を竦めて自分の部屋へと戻って行った。


ケイトが部屋に戻った音が、かすかに聞こえ、は小さく息を吐き出し、コートも脱がないまま、
フラフラとベッドの方に歩いて行くと、バッグを放り出し、そのまま腰をかける。
まだ小さく震える手を握り締め、ギュっと目を瞑った。


どうして…?どうして…


その言葉だけが頭の中をぐるぐる回っている。


ゆっくりとバッグに手を伸ばし、中から一枚の封筒を出してみる。
それだけで鼓動が更に早鐘を打ち、背筋に冷たいものが走った。
カタカタと振るえる手で、そっと封筒を開けると中から一枚のカードを取り出した。
そこには見覚えのある真っ赤な字で、


『Warning is meaningless.........!You are guilt....!』


と書かれている。
その文字を見ただけでは、そのカードを引き裂いた。
白い紙の欠片がヒラヒラと足元に落ちていく。


"警告は無意味…お前は有罪だ…"

"警告"って、どういう事…?あいつは前にもジョシュに、こんなカードを?それとも電話?メール…?


だって………ジョシュは何も言ってこなかった…
もし、ジョシュに何かがあれば、あるいは届けば…きっと私に付きまとっている男だと分かっただろう。
なのに何故、彼は私に何も言ってはこないのか…


ううん…そんなの考えるまでもない…
ジョシュは私が気にすると心配して何も言わなかったんだ…
優しいから…きっと私が気にしないように…って黙ってた…。


は両手で顔を覆い、溢れそうになる涙を必死に堪えていた。


今朝、目が覚めたら、ジョシュの手を握ったままベッドに突っ伏していた。
看病しながら眠ってしまったらしい。
時計を見て帰ろうか…と思ったが今日は午前中は講義もないし、何か果物でも買って来てあげようと部屋を出ようとした、その時…
何度も手にした事のある白いカードがドアの下に挟まっている事に気付き、恐る恐る手に取ってみた。
スタッフの人からかも…と勝手に開けるのも躊躇われたが、どうしても気になり封を開け中のカードを見てしまった。
そして…あのメッセージを読んで、そのまま部屋を飛び出し、こうして寮まで帰って来てしまったのだ。


あいつがジョシュにまで何かしようとしてる…


そう思うだけで体の震えが止まらなくなる。


どうして…?どうして、こんな事をするの…?
もう放っておいて…


唇を噛み締め、は必死に恐怖に耐えていた。
その時、不意に携帯が鳴り出し、ビクっとする。
バッグの中に入れたままの携帯を、そっと手にとり、思い切ってディスプレイを見てみた。


「……パパ…」


そこには父、ジョンの名前が出ていて、はホっと息をついた。
だが昨日のトムの事を思い出し、また気が重くなる。




「………Hello......?」
か?今、話しても大丈夫か?』
「ええ……。あの……パパ…昨日のことは…」
『ああ、トムから聞いた。彼も喜んでたよ』
「………ぇ?」


父の言葉の意味が分からず、そう聞き返してしまった。


『デートも楽しかったそうだ。ますます気に入ったと今朝、トムから電話があったよ』
「そんなはずは…」


トムが昨夜の事を父に、どう言ったのか、すぐに分かり、は戸惑った。


気に入ったって…どうして?
私はハッキリ断ったのに…


?どうした?何か粗相でもしたのか?』
「う、うんん。そんなんじゃ…」
『そうか、じゃあ…お前も気に入ったという事だな?』
「え?」
『少し付き合ってみることになったんだろう?そう言ってたぞ?』
「ちょ…ちが…」
『ああ、悪い。そろそろ会議の時間だ。じゃあ、今度二人で家に遊びに来い。分かったな?』
「え?ちょっとパパ……っ」


は慌てて声をかけたが、すでに電話は切れていた。


「嘘でしょ………」


そう呟いては呆然とした。


昨日の話で、どうして付き合う事になるの?
トムはいったい何を考えてるのよ…っ


勝手な嘘をついたトムに、は無性に腹が立って携帯をベッドに放り投げた。


きっと彼のプライドで本当の事は言えなかったんだ…
だから先手を打ってパパに、そんな電話を…


「どうしよう……。パパに本当の事を言わないと…」


は溜息交じりで、そう呟くとベッドに寝転がった。
だが、またすぐ携帯が鳴り出しドキっとする。
仕方なく手を伸ばし、イライラしながらも電話に出てみた。




「Hello......?」
『…………………』
「…?」


何も返事がなくは首を傾げた。
が、その瞬間、低い笑い声が聞こえてきて一気に鼓動が早まった。


「……あなた…誰なの……っ?!」
『………僕が誰かなんて、まだ知らなくていい………それより…どうして僕の忠告を無視するんだ……?』


急に声のトーンが変わり、ゾっとするほど冷たい声。
ボイスチェンジャー独特の声の中に、その男の冷酷さが感じられて、は手が震えてきた。


「な…何が忠告なの?私の事は放っておいて…!関係のない人にまで手を出さないでよ…っ」
『それは、あのACTORの事を言ってるのかい…?……あの男は君に近づき過ぎた。忠告も無視した』
「そんな…彼は関係ないわ?!」
『それは、どうかな……』


感情のない声で、そう呟く男に、は得体の知れない恐怖を感じて、このまま切ってしまおうかと思った。
なのに指が固まったように動かない。


『…………君の周りは賑やかだね…。僕にはまぶし過ぎるよ……。目障りなくらいね…』
「そ…そんな事を言うなら姿を見せなさいよ…!コソコソして何が楽しいの?!もう、いい加減にして…!」
『……怖いな…。君はもっと優しい子のはずだろう…?それに……僕はいつでも君の傍にいるよ…忘れないで…』
「だから誰なのよ…!」
『…………そうか…。君の周りには人が多すぎるんだね…。だから僕に気付かないんだ…邪魔者ばかりだ……』
「何言って……っ」
『でも………一つづつ消えていけば………最後には僕が残るんだ………そしたら君もきっと…』
「え…?どういう意味…」




プツ…ツーツーツー……………




「ちょっと…っ!Hello?」


いきなり電話は切れて、またシーンとした空間が戻る。
だがは男の最後の言葉が気になり、暫く動けないでいた。


"君の周りには人が多すぎる……邪魔者ばかり…"


どういう意味………?
誰の事を言ってるの…?


足元から恐怖が這い上がってくる。


「…嫌………っ」


はそう呟き、携帯の電源を切ってから放り投げてベッドに倒れこんだ。


どうして私ばかり、こんな目にあうの…?
あいつも…父も…皆が私を追い詰める…


私は…自分の意志で自由に暮らして…普通に恋愛して…好きな仕事をして…それだけを望んできただけなのに…


何もかも手に入らない……
目に見えない何かに邪魔をされている気がする…


自分の周り全てに追い詰められているような気がして、この場から逃げたいと強く思いながら、はジョシュの笑顔を思い出していた。


会いたい………
ジョシュの優しさに包まれると、心の底から安心するから…
でも…私が傍に行けば、あいつは何をするか分からない。


そこに気付きガバっと起き上がった。


「さっきのは…警告……?私の傍にいる人が邪魔って……そういう意味なの…?」


もし私が彼に近づけば…あいつは…。
ジョシュに何かをする気なのかもしれない…


「そんなことさせない…」


込みあげて来る恐怖や哀しみ…
それを唯一、癒してくれる彼にだけは…迷惑をかけたくない…。


は、そう決心して、これ以上、ジョシュに会わない方がいいと辛い選択をしようとしていた。













「おかしいな…」


ジョシュは携帯を握りしめ呟いた。
さっきからに電話をしているのだが話中で繋がらない。
その後は、ずっと留守電のままだ。


(何かあったのか…それとも講義中なのか…)


ジョシュは仕方なく携帯を切ってベッドに寝転がった。
その時、部屋のチャイムが鳴り、再び体を起こすと、ドアが開いた音がしてロイが入って来た。
きっとフロントから合鍵を預かっているのだろう。


「お、ジョシュ。起き上がって大丈夫なのか?」
「ああ、もう熱は下がったよ」
「そうか…!良かった…」


ロイは大げさなほど溜息をついて嬉しそうに隣に腰をかける。


「どうだ?何か食べられそうか?」
「ん〜そうだな…。腹減ったかも…」
「だろうな。もう昼過ぎだ。そんな事だろうと思ってルームサービス取っておいたよ」
「へえ、気が利くじゃん。で、何を取ったの?」
「もちろん病人なんだからオートミール程度のもんだ」
「…何だ…。食欲無くすな…」


ジョシュは苦笑しながら、そう言うとロイは呆れたように、


「よく言うよ。夕べは死にそうな顔してたんだぞ?熱は下がったかもしれないけど、まだ横になってないとダメだ」


と言って、ジョシュをベッドに促した。


「はいはい、分かったよ。今日は大人しく寝てるよ」


ジョシュも、そこは素直に従い布団の中に入る。


「それでいい。明日の撮影は午後からだし、それまでに元気にならないとな?後でドクターも来るから注射してもらえよ?」
「えぇ…?だって熱下がったのに…」
「免疫力とか体力が低下してるんだ。仕方ないだろう?」
「はいはい…。はぁ〜…何だか子供に戻った気分だよ…」


そう呟いてジョシュは布団に潜った。
それにはロイも大笑いしている。


「こんなデカイ子供がいるか。いいから大人しくしてろよ?」
「OK......」


渋々返事をしたジョシュに、ロイは苦笑いしているが、チャイムが鳴ると、すぐに立ち上がった。


「ルームサービスが来たようだ。しっかり食って薬飲んで、また寝ろ」
「ああ……言われなくても何だか眠いよ…」
「そりゃ熱が上がって体力使ったんだからな」


ロイは、そう言って隣の部屋へと歩いて行く。
それを見届けながらジョシュは軽く息をついて寝返りを打った。
そして手に握ったままの小さなピアスをロイには見付からないようにベッドボードの棚の中に、そっと隠す。


明日…会えればいいけど…
まあ、後でまた電話してみよう…


そう思いながらロイがボーイと楽しそうに何か話しているのを聞いていた―――











「Hi!、今夜、飲みに行かない?」
「あ、メグ…それが…無理なの…」


後ろから顔を出したメグには肩を竦めて見せた。


「えぇ〜?どうして?」
「今日…ちょっと講義に遅刻しちゃって…これ明日の朝までに出さないといけないの」


そう言ってレポート用紙を見せる。


「え?が遅刻?珍しいっ。どうしたの?何かあった?」
「べ…別に…。ちょっと…昼寝しちゃって…寝坊したの」


は、そう言って何とか笑顔を見せた。
本当は、あの電話の後に暫く何も出来ずにいて講義も休もうかと思ったのだ。
だが家に篭っていると嫌な考えしか浮かばず、思い切って出てきたのだ。
だが当然、講義には遅刻し、それが厳しい教授の講義だったため、こうして課題を出されてしまった。


「そっかぁ…仕方ないねぇ…。あ、でも、そんな遅くならないでしょ?先にやってるから後で来てよ。割と近い店だし」
「え?でも…」
「いいから。どうせ図書館でしょ?もし遅くなるなら誰か迎えによこすし。ね?そうしよ?」


メグは気を使ったのか、そう言うとの肩をポンポンと叩いた。


は少し迷ったものの、一人でいるより…大勢で騒いだ方が気が紛れるかもしれない…と思い直し笑顔で頷く。


「分かった…。ありがとう、メグ」
「何言ってるのよ。我が大学の姫が来てくれないと男どもがうるさいのよ」


メグが、そう言って肩を竦めると、「誰が、うるさいって?」と後ろからマイケルとレザーが顔を出した。


「あら、その中でも一番うるさいのが来た」


メグはペロっと舌を出して笑うと、もちょっと噴きだした。


「おい…何だよ、一番うるさいって」
「あら本当のことじゃない。の小姑だもの」
「小姑〜?どうせならボディーガードと言って欲しいね。うちの姫は何故か変態野郎にモテるから一人に出来ないよ」


マイケルは、そう言って笑いながらの隣に座ると頬に軽くキスをした。
そして少しだけ顔が強ばっているに気付き、首を傾げる。


「どうした?…顔色悪いぞ?」
「あ…何でもないの…」
「あんたが、あいつの話をするからでしょ?思い出させないでよっ」


メグは手にしていたノートを丸めてマイケルの頭をポコンっと殴る。
だがマイケルは、それには怒らず、心配そうな顔でを見た。


、ごめんな?」
「え?あ…いいのよ…。気にしてないわ…?」
「でも…。あ…今日、図書館に行くなら俺も行くよ。一人じゃ危ない」
「え?いいわよ。マイケルも先に行ってて?課題やったら、直ぐ行くし…」
「いいんだ。俺も課題はあるからさ。バイト早めに上がって行くから待ってて」


マイケルはそう言うとの頭にポンと手を置いて立ち上がった。


「ほほぉ〜ボディガードと言うよりは…姫を守る王子様ってとこだな?マイケルくん!」
「うるさいよ、レザー!アホなこと言ってんなよ?それより俺がいない時は、お前がを守れ」
「へいへい。俺はいつでも、そのつもりだよ?大事なメグの親友だし、俺の可愛い可愛いBABYDOLLなんだから」


レザーは、そう言っての前に肩膝をつくと、彼女の手を取り、「いつでも、お守りしますよ?」と言って手の甲にキスをする。
それにはマイケルも溜息をついてレザーの後頭部を小突いた。


「そこまで演出しないでよろしい!じゃ、俺は行くから。、また後でな?」
「うん。バイト、頑張って!」


はレザーのおふざけにクスクス笑いつつ、教室を出て行くマイケルに手を振った。


「はぁ〜マイケルも相変わらず過保護ね」


メグは苦笑しながら立ち上がったレザーの腕に自分の腕を絡めた。


「じゃ、私は先に用意して行ってるわね?場所はメールするから」
「ええ。分かった。なるべく早く仕上げてく」
「OK!頑張って!」
「頑張れよ、BABYDOLL!」


レザーも両手の人差し指をに向けてウインクすると、そのまま二人で教室を出て行った。
そんな二人に手を振りながら、も椅子から立ち上がるとレポート用紙をバッグに戻し、携帯の電源を入れて時計を見る。


「うわ、もう、こんな時間…っ。急がないと、いい席取られちゃう…」


は携帯をマナーモードにすると急いで図書館に向かって走り出した。




ドン……っ




「キャ……っ」


勢いよく廊下に出た途端、誰かとぶつかってしまった。
ドサっと手からバッグが落ち、はよろけたが、腕を引き寄せられ、その相手の顔が目の前に見えてドキっとする。


「大丈夫か?
「………アレックス…っ」


今、自分の腕を引き寄せ腰に腕をまわしているのがアレックスだと知り、は慌てて体を離した。


「だ、大丈夫よ…っ」


そう言って落ちたバッグを広い胸元で抱きしめる。
そんなを見てアレックスも苦笑した。


「そこまで警戒するなよ…。何もしてないだろ?」
「べ、別に警戒してるわけじゃ…」
「してるさ。元恋人を、そんな目で見るなよ」


アレックスは、そう言って少し怖い顔でを見た。
その表情に、はドキっとして一歩後ずさる。


「何だよ。何を怯えてるんだ?俺が……怖いのか?」
「ち、違うわ…。私…行かないと…」


そう言ってアレックスの横を通り過ぎようとした時、行く手を阻まれ顔を上げた。


「ちょっと…通してよ…っ」
「どこ行くんだよ。もう講義終ったんだろ?ちょっと付き合わないか?」
「課題があるの…。これから図書館に行かなくちゃ…」
「ああ、だったら俺が教えてやるよ。どの教授の課題?」
「い、いい。自分でやるわ…」


顔を近づけてくるアレックスに、はそっぽを向きつつ答えた。
その時、後ろからアレックスの取り巻きの女が歩いて来る。


「ちょっとアレックス!何してるの?皆、先に行ってるわよ?」
「ああ、そうだっけ。はぁ〜仕方ない。じゃあ、また今度な?


アレックスは苦笑しながら肩を竦めると、の頬に素早くキスをして、その取り巻きの女と肩を組んで歩いて行ってしまった。
女の方はチラっとを睨みながら、フンっと言った感じで顔を反らす。
それを見てはキスされた頬を手の甲で思い切り拭った。
そして図書館の方に、また歩き出す。


アレックスの取り巻きやファンの子達はの事を良く思っていない。
付き合ってる時も散々嫌がらせをされて困ったモノだった。
だがアレックスには言えず、は一人で我慢していた。
それが別れた後もアレックスを振ったバカな女という目で見てくる人が多く、さっきのように一緒にいただけで凄い目で見られる。


私も見る目なかったなぁ…
どうして彼に憧れたりしたんだろ…


そう思っては見ても、あの時は少なからず、アレックスが輝いて見えた。
自分とは違う世界で自由に生きてる人に見えて、素敵だと思ったのだ。
だが蓋を開けてみれば、それは虚像にしか過ぎなかった。
自由に見えたところが、ただ単にルールを守らないルーズなところに切り替わった。
情熱的に見えたところも、実はただのフェミニストだという事が分かった。


全ては虚像だったのだ。


自分とは違う世界の人間に憧れた人なら誰でも経験するだろう。
知らない時は全てが良く見えるだけなのだ。
中身を知って幻滅するとは最初は誰だって思わない。


「はぁ…」


一気に歩いて来ては外に出たところで立ち止まった。


なのに…何故ジョシュは知れば知るほど好きになってしまうんだろう…
あんな人もいるんだな…


ふと、そう思って胸が痛くなった。


でも…どんなに好きになっても…もう彼に近づいちゃダメ…
関係ないのに危険な目に合わせるわけにはいかないもの…




痛む胸だけが今の自分の本当の気持ちを表してるようで、は切なくなったのだった―――














カチカチカチ………


意識が戻ったと同時に聞こえる時計の音…
それを聞きながら、また浅い眠りにつきそうになり、ジョシュは寝返りを打った。


こんな、ゆっくり寝るのなんて久し振りだな…


まだ、かすかに眠気の残った頭で、そんな事を思いながら目を開けて時計を見た。


夜の7時…


さっき部屋に医者が来て注射を打っていった。
そのせいか、だいぶ体の気だるさも取れて頭はスッキリしている。


このまま、もう少し寝ようか。
それとも起きて明日の台詞でも覚えようか…


そんな事を考えていると、スッカリ目が覚めてきてしまった。


「はぁ…何だか中途半端に寝たからかな…」


独り言を呟き、上半身だけ体を起こし、携帯へと手を伸ばす。


(この時間なら彼女も寮に戻ってるだろう…)


そう思いながらの番号をリダイヤルしようとした時、突然、着信が入り音が鳴り響いた。


「わ…ビックリしたぁ…」


手の中で鳴り出されドキっとした。


「誰だ……?」


ディスプレイを見れば"Un-notifying"と出ていて首を傾げる。
時々業界の中でも非通知にしてる人は多いのだ。


(仕方ない…悪戯なら切ればいいか…)


そう思いながらジョシュは知り合いからかもしれないと息をついて電話に出た。




「Hello......?」
『………ジョシュ…?』
「…………………っ!」


懐かしい声がした。
今では、なるべく思い出さないようにしていた存在………


「…マリア………?」


この名を呼ぶのは…いや本人に向けて呼ぶのは、どのくらいぶりだろう。


実際には、そんなには経っていない。
でもジョシュには彼女と別れた日から何年という月日が流れていたように感じた。


『ええ……元気……?』
「あ…ああ…。まあ…って言うか…どうした…?」


鼓動が一気に早くなり動揺したのがバレバレなほど声が上ずってしまう。
だがマリアは静かな声で言葉を続ける。


『急に、ゴメンなさい…。あの…今、ジョシュ、どこにいるの…?』
「え?あ…今は…ロケでワシントンのスポーケンに…」
『そう…。家に来てもいなかったし…ロケかな、とは思ったんだけど』
「家って…どうしたんだ?」


マリアが家に行ったと聞いて驚いた。


二人で住む予定で購入した家…
今では誰も住まない家………


『私…荷物は殆ど運んだんだけど…一つ忘れたものがあって…』
「え…忘れ物…?」
『ええ、ほら…私のピアノ…。奥の部屋に置いたままだったの』
「あ…そうか…。すっかり忘れてた…」


そう言われて思い出した。
彼女が子供の頃から愛用していたピアノを運んだ事を……。


『あの部屋、あまり行かなかったから…』


マリアは少し笑いながら、そう呟いた。


「あ…じゃあ…それ運びたいとか…?」
『そうなの。でも…ジョシュがいないのに勝手に家に入って持って行くのもなんだし…それに鍵…私、返しちゃったでしょ……?』
「あ……そう…だったな…」
『だから電話してみたの。ロケは…いつくらいに終る………?』
「え…っと…まだ始まったばかりだから……あと一ヶ月は……」
『そう……困ったわ…』


マリアが小さく息をついて呟いたのを聞いて、ジョシュは少し胸が痛んだ。


「あの…鍵…送るから勝手に入って持って行っていいよ…」
『え……?でも…それじゃ、ジョシュが帰って来た時に困るでしょ…?』
「そんな事は…」


少し悲しげに呟くマリアの言葉にジョシュは息苦しさを感じて言葉に詰まった。


もう…本当なら、こうして話す事さえしない方がいいんだ。
これ以上、接点を持てば、また何かしら後悔が生まれる…


「じゃあ…どうしたらいい……?合鍵でも作って、それを送ろうか?使い終わったらマリアの方で処分してくれていいからさ…」


色々と考えてしまって、つい感情のない言葉が口から出ていた。
するとマリアも黙っていたが、小さく溜息をつくのが聞こえる。


『…そうね…。もし…ジョシュさえ良ければ私がそっちに取りに行くわ?』
「え…?こっちに?どうして…?」
『送ってもらってもいいんだけど…私もジョシュに返したいものが、まだ残ってたの…』
「返したいもの…?」
『ええ…。これは…直接返したいの。ダメ……?』


そう言われて、"来るな"とも言えず、ジョシュは、「いや…いいけど…」と言ってしまった。
するとマリアもホっとしたように、


『そう…。良かった。じゃあ…泊ってるホテルを教えてくれる…?』


そう言われてジョシュは仕方なく、滞在先のホテルと部屋番号を彼女に告げた。


『ありがとう…。まだ…いつ行くとか決められないんだけど…決まったら連絡するわね…?』
「ああ…分かった…」
『じゃあ…また…』
「ああ…」


少しの沈黙の後、静かに電話が切れて、ジョシュは思い切り息を吐き出した。
そこで自分が、かなり緊張していた事に気付く。


まさか…マリアからだとは思わなかった…
もう…会う事も話す事もないと思っていたから…


「こっちに来る…か…」


彼女の顔を見て、どんな感情が湧いてくるのか…
それを考えると少し怖い気がする。


もし…まだ彼女への愛情が残っていたら…?
今までのように、またやり直そうと言ってしまうんだろうか…


それが一番、怖いと思った。
また前と同じ事の繰り返しになるのだけは避けたい…そう思った。


「はぁ…」


また溜息をついてベッドに寝転がる。
忘れていた胸の痛みがぶり返したかのように強くなっていくのが分かり、ジョシュはギュっと目を瞑った。


その時、ふとの心配そうな顔を思い出し、ゆっくり目を開ける。


昨日の夜、泣きそうな顔をしながら謝ってきた彼女…
そうだ…最近マリアの事を思い出すことが減っていたのは、彼女と出会ったからだったかもしれない…


そこに気付き、ちょっとだけ笑みが零れる。


ロケ先で知り合い、最初は互いに印象は最悪で、なのに変な男から付きまとわれている彼女が、いつからか心配になった。
素直じゃなくて、気の強いに閉口しながらも、彼女の弱い一面に触れ、放っておけないなんて柄にもなく思った。
だからなのか、彼女のストーカーからも目を付けられ気付けば巻き込まれている形になって、
こっちに来るまで、あんなに毎日のように考えていたマリアの事を、今では考えない日の方が多くなったほどだ。


だから――――忘れられたと思っていた。


このまま痛みも薄れ、寂しさもなくなり、時間が解決してくれると…そう感じていた矢先に、今の電話…


一気に痛みまで思い出してしまった。


「ほんっとダメだな…俺は…」


自分の弱さが見えてジョシュは思い切り情けなくなった。
まだマリアが好きだとか、ヨリを戻したいとか、そう思っているわけじゃない。
なのに声を聞いただけで、あんなに動揺してしまって、未だ別れを引きずっているかのように思えて嫌になったのだ。


シッカリしろ…
あのまま別れなかったとしても…俺とマリアは、もう無理だったんだ…
愛情より…情の方が強くなってたんだから…


そう思いながら、手に握ったままの携帯を見つめていると、また鳴り出してドキっとする。


「な…何だよ…。よく鳴る日だな…」


そう呟き体を起こすと、ディスプレイを見て更に心臓が縮まる気がした。


また非通知…何だろう……
またマリアか…?何か言い忘れた事でもあったのだろうか。


そう思いながら軽く深呼吸をすると今度こそ普通に話そうと、通話ボタンを押した。


「Hello...?マリア…?」
『………………』
「Hello?どうした?」


何も聞こえず、もう一度声をかけてみる。
だが相手は黙ったままだ。


(今度こそ悪戯か…?)


そう思って切ろうとした時、変な笑い声が聞こえて来て、もう一度電話を耳に当ててみる。


「Hello?誰?」
『……誰だと思う……?』
「………………っっ」


受話器から聞こえたのは機械的で冷ややかな声。
ジョシュは、それが、に付きまとっている奴だと分かった。


「お前……もしかして…俺に花をくれた奴か……?」
『花…?さあ………。そんなこと忘れたな…。無意味だったろう……?』


一定のトーンで話す、その声は確かに不気味で、が怯えてたのを思い出し無理はないと思った。
だがジョシュにしてみれば自分は男だし、相手が分からない怖さはあるものの、こうして電話で話すくらいでは何とも感じない。
逆に、さっきの事で動揺していた自分が冷静になっていくのが分かった。


「おい…この番号…どうやって調べたんだ……?」
『………クックック……気になるか…?簡単だったよ…実にね…』


男は楽しげに笑いながら、そう呟いて挑発してくる。


『お前のマネージャーは実に有能だが、注意力が欠けるよ……』
「So what?!」
『車から降りる時は……いちいち鍵を閉めた方がいいと警告しておくんだな……?』
「…お前…っ」


男は笑いを噛み殺したように、そう言ってきてジョシュは驚いた。


こいつ…ロイにまで…


「お前……何が目的なんだ…?こんな事したって彼女の気持ちは…」
『お前に何が分かる……!』
「………っ」


この時、男が初めて感情を露わにした。


『…会ったばかりのお前にの事が分るはずもないだろう…?彼女の苦しみを理解出来るのは僕だけだ…。彼女も気付くよ…そのうちね…』


男は少し興奮したように、だが静かな声に戻り、一気に、そう言った。


「彼女の…苦しみって何なんだ……?彼女は何に苦しんでるって言うんだよっ?」
『……それこそ、お前には関係のない事だ…。いいか…二度と彼女に近づくな…恋人のいるお前が手を出していい女性じゃない…』
「何だって…?俺は…」
『……彼女は……ま…俺……目の前…………』
「え…?」


プツ…ツー…


「おい…!何のことだ?おい…!」


そこで唐突に電話が切れてジョシュは戸惑った。


何だ…?電波か…?
それに……今…何て言った…?!
目の前に……が…って…


「こいつ…どこからかけてきたんだ…?!」


ジョシュは慌てて立ち上がると、の携帯の番号をリダイヤルした。
すると今度は呼び出し音が鳴り、ホっとする。


プルルルル…プルルルル……


早く…早く出てくれ…




呼び出し音を聞きながらジョシュは鼓動が早くなるのを感じていた。













>>罠・後半へ


>>Back