【第四話】 襲撃-後編
がバスルームに入ったのを確認して、私は軽く息をつくとソファに座った。急な襲撃だったとはいえ、彼女が無事だった事にホっとしながら新しいコーヒーをカップに注ぐ。だが先ほどの仮想怨霊、あれほどの呪いまでが襲ってくるとなると、を呪った相手はかなり本気だ、という事だ。どれほどの恨みを彼女に向けているのか――。
「なあ、悟はどう思う?さっきのアレ」
コーヒーを口に運びながら何気なく尋ねた。
「ああ、B82、W58、H86…ってとこだな」
「………ぶッ」
呪いの事について尋ねたつもりが、いきなりスリーサイズで返され思い切りコーヒーを吹いた。何を言ってるんだと思いながら顔を上げると、悟は手で身体の曲線を描きながら納得したように一人頷いている。濡れた口元をタオルで拭きながら、その様子を見て私は徐に目を細めた。
「何を言ってる」
「ん?俺の"手調べ"で予想したのスリーサイズ ♡」(!)
シレっと応えてニヤリと笑う悟を前に、私は深々と溜息をついた。
「それは依頼主へのセクハラになるんじゃないか?」
「頭ん中で想像するのは自由だろ。っていうか傑もさっき見てたじゃん。エッチ ♡」
「エッち…って、私は見ようと思って見たわけじゃ…!だいたい、あの状況じゃどうしても視界に入るだろっ」
いつになく焦りと共に変な汗が出て来た。相変わらずニヤニヤしている悟を本気で殴りたくなったのはいつ以来だろう。
「そもそも悟が彼女をいつまでもあんな恰好のままでいさせるのが悪い」
「俺ぇ?着替えに行かせる余裕あると思う?」
「だからせめて羽織るものを貸してやれ。に風邪引かせる気か?」
「いや貸そうと思ってたらが暴れて俺から離れようとするから――」
「離れたくなるような事をしたり、言ったりしたんだろ」
「………う」
心当たりがあるのか、言葉を詰まらせた悟を見て、ほうら見ろと言わんばかりに更に目を細めた。悟は不貞腐れたようにソファに寝転がると、軽く息を吐いて天井を見上げている。
「つーか何もシャワー中に襲って来なくてもいいのにな、あの仮想怨霊」
「…呪いにそんな事を期待しても無駄なのはオマエも良く分かってるだろ」
「まあね。だけど…アレほどの呪いが襲ってきたとなると、呪った奴も相当本気みたいだな」
「私もそう思ってた」
やっと本題に入ったとホっとしながら、ソファにもたれ、頭を預けた。呪いは人の悪意や恐怖等でその大きさや強さが変わるが、さっきの奴は悪意と言うより卑屈な心そのもので出来たような呪いだった。
「わたし、きれい?か…やはりモデル内にの事を相当妬んでいる奴の仕業かもな」
「ああ。明日、例の藁人形を見せてもらえれば、対象が分かると思うが…もし犯人が分かったとしてケータイにマーキングしてる本体の存在なんて当人も知らないだろうしな」
「だな。それに電源切ってる事でマーキングしてる奴が今は止められてる状態だし、その行き場のない呪いが他の呪いを呼び込む餌になってんじゃねえ?」
「そうだな。またいつ何が襲って来るかも分からない。今後も彼女から目を離さないようにしよう」
私がそう言うと、悟も真面目な顔で頷いた。
「あと、悟…」
「ん?」
「さっき言ってたスリーサイズの事で彼女をからかうなよ?」
「……ぁい」
私が睨むと、大方そんな事を考えてたんだろう。
悟はちぇっというように唇を尖らせながらも渋々頷いた。
「さん、ヒールは7と9ので良かったですか?」
「ああ、これで大丈夫。ありがとう」
私はスタッフの子からヒールを受け取ると踵が正常かを確認してそれを履いてみた。リハ前にヒールの高さに合わせて動きのチェックをするためだ。
「うわ~高いヒール!それ履いて歩けるなんてほんと凄い」
「硝子ちゃんも履いてみる?」
「えぇぇ?ムリムリムリ!絶対コケるもん」
私がヒールを指しだすと、硝子ちゃんは首と両手を振りながら後ずさっている。でもその表情を見れば履いてみたい、という気持ちが見え隠れしていて、私はちょっと笑うと椅子から立ち上がった。
「じゃあ椅子に座ったまま履いてみて。あ、サイズは合ってる?硝子ちゃん、私と同じくらいの身長だし合うかな」
「あ、私はと足のサイズ同じなの」
「じゃあ、はいこれ」
たくさんあるヒールが入った箱の中からちょうどいい高さのヒールを見つけてそれを渡した。硝子ちゃんは瞳を輝かせながら、「可愛い」と嬉しそうに言った。
「高専にいたら絶対履かないやつ」
「お休みの日は?」
「う~ん…休みは東京に買い物に来たりするけどヒールなんて履かないかなぁ」
「そうなの?デートとかで履けばいいのに」
私がそう言うと彼女は「デートなんて相手がいない」と笑った。
「そうなの?硝子ちゃん美人なんだしもったいない!高専にはいい人いないの?気になる人とか」
「まっさかー!いるわけない。周りはクズコンビしかいないし」
その言い方にちょっと笑ってしまった。この様子だと同級生の二人にそんな気持ち微塵も持っていないんだろうな、と思うと少しだけホッとしてる私がいて。どうしよう、私、最近少しおかしいかも。
「二人以外にもいるんでしょ?男の子。他の学年とか」
「まあ…いるにはいるけど…。二、三年は滅多に顔を合わせないし、来年高専に入って来る後輩は一人根暗で一人は能天気なのしかいない」
「何それ、対照的な二人なんだね」
「うん。しかもその能天気な子は夏油の事をめちゃくちゃ尊敬してるみたいで、絶対私と合わない」
キッパリ言い切る硝子ちゃんに少し笑いながらも、夏油くんは後輩から尊敬されるような人なんだな、と思うと関係ないのに私まで嬉しくなった。そう思いながらウォーキングのレッスンを受けてる二人を見る。飲み込みが早いのか、二人のいわゆるモデル歩きもサマになってきていて、この分だとショーに出ても大丈夫だろう。身長が高い分、少ない動きでも優雅に見えるのは素直に羨ましいな、と思った。
「うわ、ピッタリ」
椅子に座ったまま硝子ちゃんはヒールを履いて感激している。私は彼女の手を取ると、「ゆっくり立って歩いてみて」と言った。
「え、ムリだよ。こんな高いの初めてだし…」
「硝子ちゃん普段鍛えてるって言ってたし大丈夫だよ。脚の裏の筋肉が出来てれば転ぶ事はないから」
「そ、そうかな」
「それにこの7センチヒールは一番歩きやすいのに脚も綺麗に見える万能な高さなんだよ?」
そう言って立たせると、梢子ちゃんは驚いたように私を見た。
「ほんとあまり負担感じない」
「でしょ?私も最初は低いヒールから始めたんだけど慣れて来た頃に7センチまで上げてみたら意外と楽に感じたんだ」
「意外と歩けるかも。あ、でも外で歩くにはまだキツそう」
「慣れると膝も曲がらなくなって真っすぐ歩けるよ。体重を後ろに乗せる感じで歩くの。前に置いちゃうとバランスも見た目も悪くなるし危ないから、そこを意識して」
「こ、こう?」
硝子ちゃんは言われた通り、恐る恐る歩き出した。
「あれ、硝子、ヒールなんか履いてんの?」
そこへレッスンを終えた二人が戻って来た。
「げ、五条」
徐に顔をしかめると硝子ちゃんはすぐに椅子に座ってヒールを脱いだ。多分からかわれると思ったんだろう。案の定、五条くんは笑いながら隣の椅子に腰を掛けると、
「似合わないからやめとけって」
「うるさいなあ。いいでしょ?履くくらい。私だってお洒落したいもん」
「別に必要ないだろ。そんなもん履いてたら任務なんて出来ねーじゃん」
「誰も任務で履くなんて言ってない」
「じゃあ、いつ履くわけ。そんな靴」
「五条くん女心分からなさすぎ…」
「あ?」
あまりに硝子ちゃんが可哀そうで思わず口を挟めば、五条くんは不満げに私を見た。
「別に任務以外で好きな靴を履いたっていいじゃない。――あ、今度一緒に買い物しない?梢子ちゃん」
せっかく女の子に生まれて来たんだからお洒落くらい好きに楽しんで欲しい、と咄嗟に思いついた事を言ってみた。
「えっ行きたい!」
「決まり。じゃあ今度色々買いに行こう。女同士で」
「やったぁ!ザマーミロ、五条」
「ぐ…」
硝子ちゃんは思った以上に喜んでくれたようで、呆れ顔の五条くんに「べぇー」と舌を出して煽っている。
そんな二人を見て夏油くんは苦笑していた。
「まあ、いいんじゃないか?硝子だって一応女の子なんだし」
「ちょっと夏油、一応って何よ。私は正真正銘どっから見てもレディでしょーが」
「レディ?うーん、そう……だね」
「何よ、その間は!」
「いてっ…レディはそうそう手は上げないだろ…」
夏油くんの背中を硝子ちゃんが思い切り殴ったことで、彼は思い切り目を細めて溜息をついている。
そんなやり取りを見ていると羨ましいと思った。
ずっと女子高だった私には、こんな風に言い合えるような男友達はいない。
三人みたく分かり合ってる関係は、私から見ると凄く憧れる。
「あ、!ここにいたのね!」
突然明るい声が聞こえて振り向くと、レッスンルームに夕海が入って来た。
「あれ、夕海もレッスン?」
そう尋ねた瞬間、夕海は思い切り抱き着いて来て、
「私もショー出られる事になったの!」
「えっ?ほんと?!」
それには驚いて夕海の顔を見上げると、満面の笑みで頷いた。
「今朝、玲子さんから連絡が来てね。まあ…琴音さんの代打なんだけど」
「そんなの関係ないよ!ほんと良かったー!琴音さんも喜んでくれるよ、きっと」
「うん…代わりでも私、絶対成功してみせるわ」
夕海がオーディションに落ちて凄く落ち込んでたのを知ってる。
だからこそ、どんな理由にせよ、出られる事になったのは私にとっても嬉しい事だ。
「おめでとう、夕海」
「ありがとー!」
夕海は本当に嬉しそうで私は彼女をぎゅっと抱きしめた。
が、夕海はすぐに五条くんを見つけると、
「五条くーん。私も出る事になったから五条くんが私のパートナーになってよ~」
と硝子ちゃんを押しのけ隣に座っている。女の友情って儚いんだな、と内心苦笑していると、その様子を見ていた硝子ちゃんが「五条なんかのどこがいいんだか」とブツブツ言いながら私の方へ歩いて来た。
「の親友、五条に騙されてる」
「夕海は超~面食いだから」
「ああ、顔はね…。ま、あいつは出来ない事の方が少ない…あ、反転術式は出来ないけど!でもまあ他は何でもこなすし一見完璧に見えるけど一つだけ足りないのよね~」
硝子ちゃんがそう言うと、夏油くんも、「ああ…」と笑った。五条くんってそんなに何でも出来るんだ、と驚いたが、そんな彼にも一つだけ足りないもの、と聞けば気になって来る。
「一つだけ足りないもの…って?」
「性格!」
「ああ……」
凄く納得してしまった。(!)
「家柄も良くて、まあ見た目も良くて術師としても強くて他の事も器用に何でも出来る奴だけど、神様はアイツの性格だけは歪んで作ってしまったのね、きっと」
硝子ちゃんは一人うんうんと頷いていたが、
「硝子、言い過ぎ」
「何よ、夏油。アンタだって五条に足りないものあるって思ってるくせに」
硝子ちゃんが納得いかないといった顔で夏油くんを見た。でも彼は苦笑するだけで、それ以上何も言わなかった。
夏油くんは五条くんの何が足りないって思ってるんだろう――?
そんな事を考えていると、夏油くんが不意に私を見た。
「そう言えば…例の藁人形ってどこにあるの?捨ててないって言ってただろ」
「あ、アレは…気持ち悪いから玲子さんが事務所の金庫にしまったって。時間できたらお寺に持って行くって言ってて。ほら、物が物だけに何かそのまま捨てるのも怖いでしょ?」
「そうか…。あ、玲子社長は今日来ないの?」
「来れないみたい。お母さんがやる事が出来たって言ってたし…多分、琴音さんの事だと思うけど」
「そうか…参ったな。その藁人形だけが手がかりなんだ」
「そう、だよね…。金庫は玲子さんしか番号知らないの。電話して聞いてみる?」
「頼むよ」
夏油くんはホっとしたように微笑んだ。と言って、玲子さんに電話をかけるにはケータイの電源を入れないといけない。
「えっと、ちょっとロッカーに行ってケータイ取って来るね」
「ああ、私も行くよ」
夏油くんがすぐに立ち上がると、そう言ってくれた。
そして未だに夕海に捕まっている五条くんに、「悟、ちょっととロッカーに行って来る」と言えば、彼は慌てたように立ち上がりこっちへ来た。
「俺も行くって」
「いいよ。すぐ戻るし。それより彼女のケータイにも変な電話はあるって言ってたんだろ?なら危ないから様子見てた方がいい。彼女あまり警戒してないっぽいし」
「あ~そっか。分かった。でも疲れんだよなあ…適度にチャラい良い人キャラやんの…」
「ははは。まあいつもの暴言吐いて嫌われないように頑張れ」
げんなり顔の五条くんの肩をポンと叩くと、夏油くんは私の方へ歩いて来た。五条くんは渋々といった様子で、夕海のところへ戻るのに硝子ちゃんも無理やり引っ張って行っている。多分、夕海が積極的すぎて間に誰かいないと大変なんだろうな、と思うとちょっとおかしくなった。
「五条くん、積極的な子って苦手なのかな」
「え?ああ…騒がれるのは好きだけど、あまり近寄られすぎるのはダメだろうな、きっと」
「そうなの?」
「まあ、アイツは背負ってるもんが大きいから」
「背負ってるもの…?」
「うん。家とか…術師としての才能もあるし呪術界の未来には必要不可欠と言うか…」
「それは夏油くんんも同じじゃない。あんなに強いんだし」
「でも悟は特別だから。ま、もう少し大人になってくれるといいんだけどね」
夏油くんはそう言って笑った。五条くんに足りないものって、それなのかな、と思いながら、ロッカールームのドアを開ける。今は全員がスタジオにいる為、中は人気もなく静まり返っていた。
「えっと…ケータイは…あ、あった」
ロッカーの中にしまったバッグから目当てのケータイを取り出す。玲子さんが今どこで何をしてるのかは分からないが、電話くらい繋がるだろう。
「じゃ、電源入れるね」
「うん」
この前少しだけ使った時も大丈夫だったので、私は気にせずケータイの電源ボタンを押した。電源が入ると、ケータイ会社のロゴが表示され、少しすると待ち受け画面に切り替わった。そこでアドレスを開き、玲子さんの番号を探す。と、その時、不意に着信音が鳴り響いた。
「きゃ…」
「電話…?」
夏油くんは訝し気な顔でケータイを覗き込んだ。だがそこに表示されていたのは、今かけようとしていた玲子さんの番号だった。
「な、何だ…玲子さんから。ちょうど良かった」
「待って、!」
かけようとしていた事もあり、私は夏油くんに止められる前に、自然に通話ボタンを押してしまった。そして同時に気づいた。電源を切っている事を知っている玲子さんが今、このケータイにかけてくる事はないと。
夏油くんが私の手からケータイを取ろうとした時だった。突然、通話口から髪の毛のようなものが飛び出し、私の首に勢いよく巻き付いた。
「……ぁっ」
物凄い力で一気に首を絞められ、完全に空気が遮断された私は、一瞬で意識が飛びそうになった。でも不意にグシュっという音と共に、首を解放され、その場に崩れ落ちそうになった私を、夏油くんが後ろから抱き留めてくれる。
「!大丈夫かっ?」
「う…ゲホッ…ゲホッ…ゴホッ…」
空気を一気に吸い込んだせいで激しく咽る私の背中を、夏油くんがさすってくれた。
「ご…ごめ…」
「話さないで。ゆっくり呼吸して」
「ん…ぅん…ゲホッ」
言われた通り、息を吸う速度を緩めれば少しずつ呼吸が楽になって来た。同時に首を絞められた時の恐怖で身体がかすかに震える。
(まさか…琴音さんも…)
首を絞めて来たモノが何なのかは分からない。でも物凄い力で首がへし折られるかと思ったくらいだった。あのまま絞められていたら私の首は切断されていたんじゃないか、と思った。
「…?」
首の痛みと共に殺されていたかもしれないという恐怖で思わず夏油くんにしがみついた。彼がいなかったら、と思うと涙が溢れて来る。
「すまない。私が捕まえ損ねた。から切り離した途端、逃げたみたいだ」
「ううん……ありがと…」
夏油くんの胸に顔を押し付け、必死に涙を堪える。
泣いてしまえば彼が気にしてしまう。
それは嫌だった。
「…震えてる…。どこか痛む?」
夏油くんの優しい声に胸が痛くなって。
首を振りながら、そっと体を離そうとした、その時。
背中に腕が回って抱きしめられたのが分かった。
「……大丈夫だから。泣かないで」
そう言いながら頭を撫でてくれる優しい手に、また涙が溢れた。泣いてるのを知られたくなかったのに、そんな事すら気づいてくれるんだ。何度も殺されかけて、何で私がこんな目に合うんだろう、と思うのに、今この瞬間だけは。夏油くんの腕の中で、私は心が満たされていくのを感じた。
どれくらい、そうしていたのか。静寂の中で抱きしめられてると、トクントクンと夏油くんの鼓動の音がハッキリ聞こえて来て。その音を聞いてると、だんだん恥ずかしくなってきた私は、僅かに体を離した。
「ご、ごめん…」
そう言って顔を上げれば、
「……ッ」
至近距離で夏油くんと目が合い、大きく鼓動が跳ねた。驚いたように見開かれた夏油くんの瞳に、彼と同じような顔をした私が映っている。少しの間、見つめ合っていると次第に頬が熱くなり、赤くなってくのが自分でも分かった。
「あ、あの――」
何か話さなくちゃ、と口を開きかけた時、廊下から賑やかな声と足音が聞こえて来て、突然ロッカールームのドアが開けられた。
「おい、何やって――うぉッ!!!」
「ちょっと五条、急に止まらないで――ってぇぇ?!」
静寂を一気に壊したのは五条くんと硝子ちゃんで、二人が入って来た事に驚き、私と夏油くんは慌てて離れた。
「な…何してんだよ…?…」
五条くんは驚愕したような顔で私と夏油くんを見下ろしていて、私は一気に恥ずかしくなった。
「いや、別に私は―――」
「見損なったぞ、傑…」
「ちょ…ちょっと夏油!アンタに何してくれてんのよっ!泣いてるじゃない!」
何を勘違いしたのか、硝子ちゃんは顔を真っ赤にして夏油くんの胸倉を掴んで激しく揺さぶっている。それを見て、私は慌てて梢子ちゃんの腕を引っ張った。
「ち、違うの!誤解よ、誤解!」
「誤解ぃ?どこが?今、オマエら抱き合って――」
「五条くんも勘違いだってば―――」
「あぁぁぁ!」
「………ッ?!」
事情を説明しようとした瞬間、硝子ちゃんが大きな声で叫び、ビクッとなった。彼女は私の顔を、いや首元を恐ろしい目で見ている。
「げ…夏油、アンタまさかの首絞めて……」
そう言われてハッとした。先ほど呪霊に首を絞められた跡がハッキリ残っている。そこで硝子ちゃんの勘違いに気づき、青くなった。
「え?!ち、違うってば!これは呪――」
「夏油~~~ぉ!!オマエって奴はまだ五条よりマシな奴だと思ってたのに(!)この変態ーッ」
更に勘違いをした硝子ちゃんが再び夏油くんの胸倉を掴んで揺らしている。だが当の夏油くんは彼女の言った一言で「変態…?」と呟いて口元を引きつらせた。そこはショックを受けたようだ。
「それは聞き捨てならないな…。っていうかオマエら、いい加減人の話を聞けよ!誤解だって彼女も言ってるだろ!」
「「………ッ」」
普段、あまり激高しない夏油くんが珍しく声を荒げた事で、二人は驚いてピタリと固まった。
そんな二人を見て夏油くんはウンザリしたように溜息をつくと、
「ったく…人を変態だとか見損なったとか好き勝手言いやがって…。は例のケータイの呪いに襲われたんだよ」
「え…っ?ほんとに?」
硝子ちゃんが驚いたように私を見た。
「ほんと…。玲子さんに電話しようと思ったらちょうど電話が鳴って…表示を見たら玲子さんだったからつい通話ボタン押しちゃったの。そしたら…」
そこまで言って夏油くんを見ると、彼は頷いて言葉を続けた。
「ケータイから髪の毛みたいなものが伸びて来て、いきなりの首に巻き付いた」
「え…髪の毛って…キモい。それってマーキングのヤツ?」
「多分な。それで彼女が怯えて震えてたから落ち着かせようと…」
「で、抱きしめたってこと?」
「ああ…」
そこは怖い顔で睨む硝子ちゃんに、夏油くんも不満げな顔で頷いた。すると硝子ちゃんはホっとしたように座り込み、
「なぁぁんだぁ…。なかなか戻ってこないから様子見に来たら二人が抱き合ってるわ変な空気出すわで、てっきり夏油がセクハラでもしたのかと―――」
「するか!ったく疲れる…」
誤解が解けたみたいでホっとしたが、二人に変なところを見られた恥ずかしさは残る。私は気まずくなって立ち上がると、「玲子さんに電話しなきゃ」と言った。
「これ使って大丈夫かな…」
「今は大丈夫だと思う。私の攻撃で逃げたところを見ると、そこまで強い呪いでもない。ああ、でも念のため私がかけるよ」
そう言って夏油くんは私のケータイを受け取ると、玲子さんへ電話をかけてくれた。
「あ、もしもし。夏油です。今のケータイを借りて。例の藁人形がある金庫の番号を……えっ?いつですか?…はい…分かりました。伝えます…」
その会話を聞きながら、夏油くんの様子が気になり、硝子ちゃんと顔を見合わせた。何かあったのかな?と思いながら待っていると、夏油くんは電話を切って不意に私を見た。
「夏油くん…?玲子さん、なんて…?」
「今…警察だそうだ」
「え?また…?何で…」
「実は…さっき綾香というモデルが任意での事情聴取中、亡くなったそうだ…」
「え……?」
「聴取の合間、その子がトイレを借りたいと言って、行かせたらしい。だがなかなか戻らないから担当の刑事が見に行って遺体を見つけたそうだ」
「オイ、傑…それってまた…」
五条くんの言葉に、夏油くんは溜息をつきながら頷いた。
「また首が切り離されていたらしい。が、今度は体はあったが原型はとどめてなかったそうだ…」
「そんな……」
綾香の明るい笑顔が浮かんでは消えて、フっと体の力が抜ける。
「!」
意識を失う前、夏油くんの声が聞こえて、いつまでも私の耳に残っていた――。