【第六話】 小夜時雨-前編



「私、石川夕海。宜しくね」

エスカレーター式の初等科五年の時、初めて同じクラスになった夕海は、懐っこい笑顔で話しかけてくれた。その頃から二人して身長が高かったから、席替えの時もだいたい後ろへ回されて。だから夕海とは席がずっと隣でよく話すようになったっけ。

年齢的に身長が高い事が悩みでもあった私は、同じような悩みを持つ夕海とすぐに意気投合した。
お嬢様学校と呼ばれる女学院の中で、私と夕海は髪型や制服を少しいじったりと目立っていたせいもあり、周りから少し浮いていたけど、お洒落が好きだという共通点もあり、それからは何をするにも二人一緒だった。夕海には何でも話す事が出来たし、夕海も私には何でも話してくれた。
家族のこと、勉強のこと、好きな人のこと、将来の夢のこと。
中等部に上がった頃には私も夕海も身長を生かした仕事をしたいね、なんて話すようになり、私は母の仕事の影響で明確にモデルという仕事がしたいと思うようになって。夕海も同じような事を考えていたから、一緒に玲子さんの事務所へ入る事になった。

歩き方から始まり、動き方、魅せ方、たくさんの事を学んで、何度も二人でオーディションを受けては落ちて。それでも二人で励まし合いながら頑張って来たつもりでいたのに。

もし…私と夕海の間に小さな亀裂が入ったんだとしたら、その頃からだったんだろうか。
負けず嫌いの夕海が、一番近くにいた私にまで、負けたくない、という気持ちが強くなっていったのは。
私は、何も気づけなかった。
私の何気ない言葉で夕海が傷ついていた事さえ、知らなかった。
でも、もう二度と謝れない。許してもらう事すら叶わない。
二度と、あの笑顔を私に向けてはもらえないんだ―――。




「本当にありがとう御座いました」
「いえいえ、お嬢さんが無事で本当に良かった」

母と高専の学長がそんな挨拶を交わしているのを、私は黙って聞いていた。
私が意識のない間に、母は事後処理などを済ませていて、玲子さんの事務所も今回の事件がキッカケで閉鎖する事にしたらしい。
事件の真実は隠され、世間には一人のモデルがオーディションに落ちた事で嫉妬にかられ、次々に仲間を殺した連続殺人として発表された。
本当は何があったのか、それは私と母、玲子さんしか知らない。
玲子さんも事務所を閉鎖することは悩んだようだが、モデル同士の中で殺人事件にまで発展したことは世間を騒がせ、事務所を続けていくには無理があると判断したようだ。

「また一葉さんのアシスタントに戻るわ。社長なんてやっぱり私には向いてなかったのね」

退院した足で私のお見舞いに来た玲子さんは、そう言って笑ってたけど、少し寂しそうだった。
その後、私も退院して少し体調が戻って来た頃、母が直接高専へ挨拶に行くと聞いて、今日私も無理やり着いて来た。
私が意識を取り戻した時、夏油くんと五条くんの姿はすでになく、たくさん助けてもらった事へのお礼すら言えなかったから。

「結果的に…夕海ちゃんを助けられなかったことで、と顔を合わせづらかったんだと思うわ」

二人がいない事に戸惑う私を見て、母がそう言っていた。
それを聞いて初めて、あの時のことを思い出した。
五条くんに夕海を助けて、殺さないで、と言ってしまったことを。
なんて酷いことを言ってしまったんだろう、と凄く後悔した。
助けられるなら、とっくに助けてくれてたはずなのだ。
なのにあの状況で、一番言ってはいけない呪いの言葉を彼にぶつけてしまった。
重たい枷をはめてしまった。
誰だって、人間だった頃を知っている相手を殺すのはツライはずなのに。

"…ごめん"

あの時、五条くんは確かにそう言った。
あの謝罪は、私の親友を手にかけることへの―――。


「……?」

不意に肩を叩かれ、ハッとした。

「何ボーっとしてるの。失礼でしょ?」
「あ、ご、ごめんなさい」
「いやいや、まだ疲れが取れてないんでしょう。あんなことがあれば仕方ない。呪い絡みが初めてなら特にね」

学長はそう言いながら優しい笑顔を見せてくれた。
学生とは少し違う高専の制服を身に着け、ガッシリとした体格のこの人が、父の友人だという極矢ごくや学長らしい。
彼も一級呪術師らしく、その鋭い眼光は少々迫力がある。

「また何か呪いの気配を感じるようなら、いつでも言って下さい。樹の娘さんならすぐに助けに行きますよ」
「ありがとう…御座います」

あんな怖い思いは二度とごめんだ、と思いながら、もし、そうなったら、また夏油くん達に頼めたりするのかな、とふと思う。会ってお礼が言いたいのに、結局この学長室にも顔を見せなかった。
今日はどこで何をしてるんだろう。
そう思いながら室内を見渡す。
色んな表彰状が飾ってあり、古い写真もいくつかある。
その中に見覚えのある顔を見つけた。

「これって…お父さん?!」

極矢学長と仲良く肩を組んで笑っている父の写真を見つけ、思わず立ち上がった。

「ん?ああ、それは樹と私がまだ高専の生徒だった時に撮ったもので――」
「えっ?父はここの生徒だったんですか?!」

そんなの初耳だ、と驚き、母の方を見れば、母は困ったような顔で笑っていた

「極矢さん、まだその話までは娘にしてないんですよ」
「えっ?あ、ああっ。そ、それはすまないね。とっくに知ってるのかと…」

極矢学長は慌てたように頭をかくと、

「君のお父さんの樹は元呪術師なんだよ。今は違うが別の仕事をしてもらってるんだ」
「え……呪術師…父が、ですか?」
「そのうち話そうと思ってたのよ、私も」

呆気に取られている私を見て、母は苦笑いを零した。

「私と知り合った時は引退した後で、少しの間、ここで教師として働いてた時だったの」
「……教師…あのお父さんが?」
「結構あれで優秀な術師だったみたいよ?」

母はそう言って笑っていたが、私はあの父が夏油くんや五条くんみたいに呪い相手に戦っていたとは到底信じられなかった。

「でも…引退ってどうして?呪術師に年齢制限とかあるんですか?母と出会う前というなら父はかなり若かったはずですけど…」
「ん?ああ、いや…年齢制限はないんだけどね」

私の質問に、極矢学長は少し言葉を濁すと、母の方へ視線を向けた。
母もどう話したらいいのか困ったような顔をしていたが、「その話は今度ゆっくり話すわ」とだけ言った。

「何?言いにくいこと?」

何となく気になって問いただそうとした、その時。
ノックの音がして、極矢学長が「誰だ?今、来客中だ」と声をかけた。
すると先ほど学長室まで案内をしてくれた補助監督だという男の人が顔を出した。

「すみません。今、生徒の一人がさんの娘さんにこれを渡してくれと…」
「え…私?」
「ん?何だ?その封筒」

差し出された封筒を受け取り、極矢学長が訝し気な顔をした。

「では私はこれで。―――失礼します」

用は済んだとばかりに、補助監督の人は一例すると、すぐに部屋を出て行ってしまった。(極矢学長が怖いらしい)

「あの…何ですか?それ」
「いや中身は分からないが君にこれを渡してくれと、いう事だ」

そう言って差し出された封筒を見て、私は首を傾げた。
手紙の類ではなく、何か固い物が入っているようだ。
何だろう、と思いながら封筒を開けて中身を掌へ出した瞬間、小さく息を呑んだ。

「ん?何だ?これは…ケータイのストラップ?」
「すみません…!ちょっと失礼します!」

私は極矢学長にそれだけ言うと、学長室を飛び出した。
右も左も分からない校内を思い切り走って、その姿を探す。
来た時の廊下を抜け、一階に駆け下りて建物の外へと出ると、まるで旅館の庭先みたいな私道が現れる。
その先に、見覚えのある後ろ姿を見つけて、私は急いでその後を追いかけた。

「待って…!!五条くん!」

その名を呼ぶと、彼は弾かれたように振り向き、あの宝石のような碧い瞳を大きく見開いた。
そして、何故か彼は私が思ってもみなかった行動を取った。

「ちょ、ちょっと!何で逃げるの?!」
「…逃げてねぇ!こっちに用事があんだよっ」
「待ってってば!これ―――きゃっ」

一気に走って来たせいか、それとも低めとはいえヒールのある靴を履いていたせいか。
どちらが理由にせよ、私は足がもつれて盛大に転びそうになった。その時―――。
ふわりと風が動いたと思った瞬間、私は強い腕に抱き留められていた。

「ったく…ヒール履いて走るなよ…」

呆れたようなその声が聞こえて顏を上げれば、そこには本当に呆れ顔で私を見下ろす五条くんがいた。
少し距離があったというのに、どう動けばこんな風に助けられるんだと思いながらも、五条くんを睨んだ。

「ご…五条くんが逃げるからでしょ?」
「あ?俺は逃げてねぇ」
「逃げたじゃない。人の顔見て」
「だ、だから俺はあっちに用が―――」
「これ!届けてくれたの五条くんでしょ?」
「……っ」

彼の目の前に持っていたものを揺らすと、彼は僅かに言葉を詰まらせ、体を離した。

「そ、れは…」
「夕海の…ケータイのストラップ…持って来てくれたんだね」
「………たまたま…見つけたんだよ。ケータイごと取り込まれてたはずなのに…何故かそれだけ…残ってた」

「あの後バタバタして渡しそびれたし…」と、五条くんはそう言って、私から目をそらした。
その顔を見れば、母が言うように、夕海のことで私に罪悪感を持ってるのは明らかで。
あの時の私の言葉が、彼にそんな顔をさせてるのかと思うと、胸が痛くなって、五条くんの胸元を強く掴んだ。

「な、何だよ―――」
「ごめんね…」
「あ?何でが謝んの?ワケわかんねぇ―――」
「私、酷いこと言った……夕海を…助けてって…」
「………ッ」
「ショックで…混乱して……夕海がいなくなるのが…ただ怖くて…五条くんに重たいもの背負わせちゃった……ごめん…」

五条くんは自分の仕事をしようとしただけ。
なのに、私は自分の気持ちを押し付けて、私を助けようとしてくれた彼の心を乱してしまった。
責めるような言葉をぶつけてしまった。
夕海を傷つけてしまったのと同じように、五条くんをも傷つけてしまったんじゃないか、とそう思ったら苦しくなった。
喉の奥が痛くなって、泣いたってどうしようもないのに、色んな後悔が一気に溢れて来るように涙が溢れて、五条くんの顔がおぼろげに歪んでいく。
その時、不意に鼻をぎゅっとつままれた。

「バーカ」
「……バ…バカ?」

いつもの口調、いつもの不満げな顔で、五条くんは私を見下ろしていた。

「オマエが親友を助けたいって思う気持ちはフツーだろが」
「…でも…っ」
「オマエは何も悪くない。俺がもっと早い段階で気づいていれば彼女は助けられた。俺のミスだ」
「…五条くん…」
「だから謝んなら俺の方…」
「そんなこと…っ」

そんなことない、と言おうとした時、五条くんの指が頬に落ちた涙を拭っていった。

「そんな顔すんなって…言っただろ。モヤモヤして気持ち悪くなんだよ…」
「……え?」
「オマエのそんな顔は…」

五条くんはそこまで言うと、頬に触れていた手を離し、私に背を向けて歩き出した。
私も自然にその後を追うように歩くと、「私の…顔が何?」と訊いてみる。

「何でもねーよ」
「何よ、それ…」
「とにかくこの話は終わり!つーか戻らなくていいの?学長んとこ」
「…もう挨拶は済んだしいいの」

父の話をもう少し訊いてみたかったが、それは後で母から聞けばいい。
ここへ来た本当の理由は、お礼も言えなかった三人に会いたかったからだ。

「…夏油くんと硝子ちゃんは?」
「あ~二人は任務でいない。今日は別行動だったから」
「そっか…」

いないんだ、と思うとガッカリして同時に、もう会えないのかな、と悲しくなった。
私はこの後、母と東京の自宅へ戻ることになっている。
そうすれば気軽にここへは来られない。

「そう言えば…これからどうすんの?」
「え…?」
「事務所、なくなるんだろ?」
「ああ、うん。私は少し療養したら…またモデルを続ける、かな…」

そう言ってはみたものの、正直、私はモデルを続けていくか迷っていた。
今回の事件の事を思うと、モデルでいる限り、どうしたって思い出してしまう。
そんな事を考えていると、五条くんが不意に足を止めた。

「オマエ、まさかやめようとか思ってる?」
「え…?」
「モデル」
「それは…まだ…決めてない…」
「やめんなよ」

不意に言われてドキっとした。
五条くんを見上げれば、意外にも真剣な顔で、その何でも見透かすような碧い瞳が、今の言葉の本心を伝えてるようで、何も言えなくなった。
その時、後ろから「!」と呼ぶ声がした。

「あ…お母さん」
「これから都内に戻んの?」
「うん…」
「そっか…。まあ…気を付けて。コケないように」
「も、もうあんなに走らないよ」

そう言って五条くんを睨むと、彼は軽く吹き出し、私の頭をくしゃりと撫でた。

「んじゃ、元気で」
「…うん…あの…」
「ん?」
「ずっと…守ってくれて…ありがとう」
「まあ、それが俺のお仕事だから」

いつもの調子で返してくる五条くんは、それでもさっきより明るい笑顔を見せてくれた。

「夏油くんと硝子ちゃんにも…お礼言っておいて」
「ああ」

これでさよならって言ったら、本当に最後なんだ、と思うと、また泣きそうになった。
でもここで泣いたら、また五条くんにモヤモヤさせてしまうんだろうな、と思って必死にこらえる。

「じゃあ…元気でね」
もな」
「それと……」
「ん?」
「これも…届けてくれてありがとう」

そう言って夕海のストラップを見せると、五条くんは「…ああ」とだけ言った。

「これね、私が夕海にあげたものなの…」
「…そっか」

五条くんは軽く目を伏せて、「だから残ったのかもな」と呟いた。

「…早く行けよ。一葉さん、待ってるぞ」
「うん。じゃあ…さよなら」

そう言って私は彼に背を向けて歩き出した。
短い間一緒にいただけなのに、何故か古い友人たちと永遠に別れるような、そんな感覚の痛みだけが残った。









「え?、来たの?!」
「ああ、昼間な」
「うっそー!私も会いたかったーっ」

任務から戻って硝子と一緒に悟の部屋に寄った時、「来てたぞ」と言われ、あの柔らかい笑顔が頭に浮かんだ。
あの事件後、なかなか意識が戻らない彼女が心配で、目を覚ますまでは傍にいたかったが、あの事件は石川夕海を呪いとして祓った時点で任務終了の旨を伝えられた。
あげく、すぐに次の任務が入ってしまったせいで、最後はと話すこともないまま。
後に学長からの意識が戻ったと聞いた時は心の底からホっとした。
ここへ挨拶に来られるくらいには元気になったのだろうか。

「え、、元気だった?何か話した?」
「あ~元気…ではなかったけど…まあ…元気だった、かな?」
「はあ?どっちよ?」
「うるせぇな…。硝子と傑にもお礼を言ってくれってさ」
「え、なんて?」
「…守ってくれて…ありがとう、だとよ」

それを聞いた時、彼女らしいな、と思った。
護衛任務でそんな風に礼を言うやつなんか殆どいない。

「で、は今後どうするって?」
「あ?」
「モデルよ!続けるって?事務所なくなるなら移籍するのかなぁ」
「さあな…。何か…迷ってるみたいだったけど」
「え、続けるかどうかってこと?」
「そうじゃねえの?まあ…気持ちも分かるけどな…」

悟はそんならしくない事を言って、ふと私を見た。

「そういや傑、今日の任務どうだった?」
「ああ、楽勝だった」
「あっそ。俺もサッサと終わったしやることなくなったなぁ~」
「すぐ次の任務が入るだろ。明日は大みそかだしな」
「あーそれはそれでめんどいな。正月くらいコタツでミカン食いたい」

悟はそう言いながら言葉通りコタツに入り込んで横になった。
一見、いつもと同じように見えるが、私は悟の様子が少しおかしいのが気になった。
どこか遠くを見るような目をして、何か考えこんでいる。
本来、悟は終わった任務の事をいつまでも引きずったりしない性格だが、今日と会った時に何かあったんだろうか、と心配になった。

に…あれ、返せたのか?」

ふと、思い出し尋ねると、

「ああ…まあ、返せた。あれ…が彼女にあげたものだったらしい」
「ああ…だから…なるほどね。で、彼女はなんて?」
「…………」

私の問いに、悟は無言のまま軽く目を伏せた。
悟のそんな顔はあまり見た事がない。

「どうした?彼女とちゃんと話せなかったのか?」
「いや…」

悟はそう言って小さく息を吐いた。

「逆に……謝られた」
「え?」
「夕海を助けて、なんて酷いこと言ってごめんね…ってさ…」
「そうか…彼女らしいな」
「あいつ……」
「ん?」
「バカだよな…」

悟は天井を見つめたまま、独り言のように言葉を続けた。

「親友を助けたいのは当たり前のことなのに…俺に重たいもの背負わせたって言って…泣いた。……どんだけお人よし?」

苦笑いを浮かべながら、私の方を見る悟の表情は、言葉とは裏腹に、に感謝しているように見えた。
同時に、似たような思いが私の中にも生まれて、改めて彼女に感謝したくなった。
脆いように見えて、強い子だ、と思う。
他人の痛みがわかるのは、それだけ自分も痛い思いをしたからだ。
傷ついた分だけ、人に優しくできる。
自分を呪った相手でさえ、は守ろうとした。
彼女のそんな思いを、夕海という少女も最後の最後で気づいたのかもしれない。
だからこそ、あんなものを残して行った。
にも、そう伝わればいい、と思った。
最期に親友の残したものが、彼女にとって少しでも救いになるように―――。









正月も終わり、気づけば冬休みも明けようとしていた。
事件の事は年が明けてもテレビニュースやワイドショーなどで報じられていて、家の前にはマスコミも数社が張り込んでいるようだった。
それでも始業式があるため、久しぶりに制服を着て、午後から雨だという予報通り、どんよりとした空を見上げながら学校へ向かう。
記者らしき男数人に声をかけられたが、全て無言で遠し、何とか学校へつくと、今度は生徒たちの好奇の目が一斉に私へ向けられる。
皆、あの事件のことを知っているのか、遠くから私を見てはヒソヒソと話す声が聞こえてきて、小さな溜息が漏れた。
分かってはいたけど、実際にされると、あまり気分のいいものじゃない。
私は気にしないよう足早に歩くと、自分の教室へと向かった。
でも、教室に入った瞬間、「!おはよう!」と、いつものように夕海が明るく声をかけてくるような錯覚を起こし、軽い眩暈がした。
それは一瞬の事で、私の席の隣にある夕海の席には、もちろん誰も座っていない。
エスカレーター式で高等部に入った時も、再び同じクラスになって喜んでいたことを思い出し、今は逆にそれがツラい現実を突きつけて来る。
不意に涙が溢れ、泣きそうになるのを堪えて、私は席へとついた。
クラスメートも遠巻きに私をジロジロみていたが、チャイムと同時に一斉に席へ着いて、内心ホっとする。
これまでは普通に仲良くしてた子たちでさえ、何と声をかけていいのか分からないと言った顔をしていた。

世間的には呪いの存在だけを隠し、夕海が連続殺人犯となっている為か、その親友で最後の被害者扱いの私に注目が来るのは仕方がない事だった。
現に席へ着いた今も色々聞きたそうな顔で私を見ている。
落ち着くまではしばらくこんな感じだろう、と思った。

今回、呪いという存在を知り、何度も殺されかけて気づいた。
この世で起きている不可解な事件の中には、同じような闇があるということを。
人の負の感情から生まれる存在を知る人は少ない。
誰もがあらゆる事件の表の内容だけを見て、知った気になっているのが現実で。
今回の事件も裏の真相は誰にも分からない。
夕海が何を思って人を呪ったのか、親友に呪われた私がどう感じ、どう心を保とうとしているのか。
ここにいる誰にも話せない。

唯一の理解者だった夕海は私を憎み、呪い、報いを受けたその肉体すら消えてしまった。
殺人犯だと思われている彼女との思い出を話せる相手もいない。
私は、唐突にひとりになった。

学校での時間をどうやり過ごしたのか覚えていないほど、私は疲れた足取りで学校を後にした。
始業式の後は校長室まで呼ばれ、事件のことについてあれこれ聞かれた。
元々嘘が苦手なのもあり、説明に時間がかかってしまった。
真実は話せない。話したところで、理解なんかしてもらえない。

(まだ記者の人たちいるのかな…)

門を出たところで辺りを確認したが、学校の警備員たちに追い払われたのか、記者らしき姿は見えずホっとする。
私が通う廉直女学院は部外者に対しても厳しいので、その辺は助かると思った。
とはいえ、こんな状態でこれから暫く過ごすのかと思うと、憂鬱になって来る。

「もう、こんな時間…」

時計を見れば午後二時半は過ぎていて溜息が出た。
空を見上げれば、太陽が傾き始めていて、怪しげな雲も広がっている。
午後から雨だって予報だったし早めに帰ろう、と思いながら足を速める。

(そういえば…夏油くんたちは元気かな…)

ふと、あの優しい笑顔を思い出し、胸が痛くなった。
護衛をされていた時は、怖い事もあったけど、何だかんだ凄く楽しかったという思い出しかない。
それほど長く一緒にいたわけじゃなかったのに、私の傍に必ずいてくれた二人の存在が今はない事に、寂しさを感じた。

(会いたいな…)

そんな思いが過ぎったその時―――不意に肩を叩かれ、マスコミの人かと思い、ビクっとなった。

!見~つけた!」

その聞き覚えのある元気な声に慌てて振り向けば、そこには硝子ちゃんの笑顔があった。
そして彼女の後ろから、たった今、会いたいと思っていた人が歩いて来るのが見えた瞬間、鼓動が大きく跳ねた気がした。

、久しぶり」

夏油くんは、あの優しい笑顔を見せながら、私の頭にポンと手を置いた。

「あれ??ビックリしちゃった?」

何も言わない私を見て、硝子ちゃんが焦ったように私の目の前で手を振っている。
だけど、今リアルで考えていた人たちがいきなり現れたら、言葉を失ってしまうのは当然だ。
喉の奥が一気に熱くなって、何か話したいのに声を出せない。
何か一言でも言えば、

「ちょ、何で泣くの?!どうしたの?」
…?」
「ご…ごめ…」

必死にこらえていたのに、二人の顔を見てたら今日までの色んな思いがぐるぐる回って、涙が一気に溢れて来た。
もう会えないと思っていたのに、こんな風に会いに来てくれたことが嬉しくて。
そして夏油くんの顔を見て改めて気づいた。私はこんなにも彼に会いたかったんだ、という事に。

(好き…なんだ…。私は夏油くんのことを……好きだったんだ…)

無意識に閉じていた本心が鮮明になって見えて来た時、涙が止まらなくなった―――。




「はい、少しは落ち着いた?」
「あ…ありがとう」

あれから近くの公園に移動し、屋根とベンチのあるスペースに座っていると、硝子ちゃんが暖かい缶コーヒーを買ってきてくれた。

「ご、ごめんね。何か久しぶりに二人の顔を見たらホっとしちゃって…まさか来てくれるなんて思ってなかったし…あ~恥ずかしい」
「気にしないで。何かあったのかと心配したけど…。ああ、貸して」

夏油くんは私の手からコーヒーを受け取ると、プルタブを開けて、「はい」と渡してくれた。

「あ…ありがとう」
、爪が長いから開けにくいだろ」
「うん、いつも苦労してる」

そう言って笑いながらも、些細な事に気づいてくれる夏油くんは相変わらず優しいなあと感心した。
そして前と同じように、彼の傍でホッと出来てる私がいる。

のネイル、いつも可愛いよね!私もしてみたいけどなあ~」
「呪術師はネイル禁止?」
「そういうわけじゃないよ。私は戦闘要員ってわけじゃないし。ただ行く機会がないっていうか、一人じゃ行きづらいっていうか…」
「あ、じゃあ今度一緒にネイルサロン行ってみる?私、仕事前にいつも行く店があって」
「え、いいの?行きたい!」
「別に長くしなくてもいいし、手や爪のお手入れしてマニキュア塗ってもらうだけで全然違うよ」
「絶対行く!」

硝子ちゃんは予想以上に喜んでくれて、私も嬉しくなった。
今まではいつも夕海と一緒に行っていたから、これからは一人なんだ、と思うとやっぱり寂しかったのだ。

「おい、硝子。そんならしくないことして戻ったら悟にからかわれるぞ」
「いいのいいの。あいつの嫌味くらい聞き流す」

硝子ちゃんの言葉に、つい笑ってしまった。

「そう言えば…五条くんは?今日は任務?」
「ああ、悟は別件。私と硝子は東京で任務があって、その帰りに硝子がに会いに行こうって言うから。ほんとに会えるとは思ってなかったけどね」
「何よ、夏油が元気かなって言うから来てみたんじゃない。通ってる学校は聞いてたし」
「そうだっけ」
「そうでしょ?まあ私も会いたいなあと思ってたけど、任務も終わったのに会いに来たら迷惑かなと思ったし…」
「え、何で?迷惑なんて思うはずないよ。二人にはこの前も会えないままだったし…来てくれて凄く嬉しかったのに」
「なら…良かった」

祥子ちゃんは照れたように、でも嬉しそうに笑ってくれた。
そしてコーヒーを飲みながら、ふと私を見た。

「でもの制服姿って新鮮!こうしてみると高校生に見える」
「だって高校生だもん」

思わず笑ってそう言えば、硝子ちゃんも一緒になって笑った。

「だっては大人っぽいし私服だと高校生に見えないよ?でも制服姿もほんと可愛い。ね?夏油もそう思うでしょ?」
「ああ、可愛い」
「………っ」

夏油くんにさらりと言われ、一瞬で顔が熱くなる。
男の子に普通のテンションでさらっと褒められるのが、こんなにドキドキするなんて思わなかった。
撮影中、カメラマンやスタッフに言われるのとも違う。
口説き文句で言って来る男の子たちとも全然違う。
夏油くんに言われた事が嬉しくて、胸の奥がキューっとなる感覚に、私は今本当に恋をしているんだな、と実感が沸いて来る。

「おい、硝子。オマエ、先生に報告入れてないだろ」
「え?あ、忘れてた!」
「見ろ。こんなにメール来てる」
「げ…」

夏油くんは目を細めながらケータイを硝子ちゃんに見せている。
そんな二人のやり取りを見ていると、ついこの前までこれが当たり前だった日々に戻ったような、そんな感覚になる。
このまま、それが続けばいいのに、とふと思った。

「もうメール打つのメンドいから電話してくる」
「夏油、宜しく~」
「はいはい。―――、ちょっと待ってて」

夏油くんはケータイ片手にそう言うと、ベンチから立ち上がり、公園の入り口の方へと歩いて行った。
相変わらずシッカリしてるなあと感心しながら、自分のケータイを取り出し、私もメールをチェックする。
事件以来、色んな人から心配のメールが届いていて一つ一つ返すのも大変だ。
あの事があってから新しいケータイに機種変したばかりで、まだ操作も慣れていないが、あの日、五条くんから受け取った夕海のストラップを付けている。

「ねね、

メールをチェックしていると、硝子ちゃんが私の隣に座って体を寄せて来た。

「ケータイ番号って聞いてもいい?」
「あ…もちろん!そう言えばお互い連絡先すら知らなかったね」

そう言われて今更ながらに皆の連絡先を知らない事に気づいた。

「一応、私たちは任務だったし、ほんとは聞きたかったけど聞けなくて」
「そうなの?じゃあ、これが番号」
「ありがとー♪あ、あとメアドもいい?」
「うん。えっとメアドは…機種編したばかりで、まだ操作がよくわかんなくて」

そう言いながら設定を開き、自分のメアドを表示させる。

「あ、これこれ」
「やったー♪ありがとう。帰ったら五条に自慢してやろ」
「自慢って…五条くんはこんな事で何とも思わないよ」

思わず笑ってそう言うと、硝子ちゃんは「そうかなぁ?」と首を傾げた。

「夏油から聞いたけど、アイツ、もうのファンじゃないって言ったんだって?」
「あ~最初の頃に言われた、かも。きっとイメージと違うって思われたんだよ。私、話したら思ってたのと違うってよく言われるし」
「でもそれ、五条の嘘だよ」
「嘘?」
「だってアイツ、未だにケータイの待ち受けにしてるもの」
「え…変え忘れてるだけじゃない…?」
「いや、夏油が気を遣ったんじゃないかって言ってたから、むしろそっちっぽいのよね」
「気を遣った…?」
「何でも呪い案件で護衛についた相手が自分のファンだったら嫌だろうからって言ってたみたい。五条のくせにそんな気を遣えるなんてアルマゲドンかと思ったわ」

硝子ちゃんはそんな事を言って笑っていたけど、私はその話を聞いて驚いた。
確かにプライベートで、たまたま知り合った相手が自分のファンだと知ったら少なからず気を張ってしまうだろう。
ただ、硝子ちゃんじゃないけど、あの唯我独尊丸出しの(!)五条くんがまさかそんな事を気にしてくれてたなんて夢にも思わない。
そんな事を考えていると、硝子ちゃんが更に体を寄せて来た。

「ど、どうしたの?」

身体を密着させてきた硝子ちゃんは夏油くんが未だに電話中なのを確認すると、再び私を見た。
その様子はどことなく普段とは違うように見えて、何だろう?と思っていると、

「でもは…えっと、間違えてたらごめんね」
「え?何のこと?」

急に小声で話す硝子ちゃんに、何事かと思って彼女の口元に耳を寄せた。

「もしかしてって………夏油のこと気になってたりする?」
「……えっっ?」

不意打ちで、しかも核心をつくようなことを言われた私は、動揺がハッキリと顔に出てしまったようだ。
そんな私を見て、硝子ちゃんは少し驚いたようだった。

「嘘…マジだった?」
「な、何が?」
「え、だって…何となくそうかなぁって思うことが何度かあったし…さっきも夏油が誉めただけで真っ赤になってたからカマかけてみたんだけど…マジか」

唖然とした顔で私を見る硝子ちゃんに、顔の熱がどんどん上がっていくのがわかる。
自分でも夏油くんの事が気になっているという自覚はあったものの、ハッキリ彼のことが好きなんだ、と気づいたのは、ついさっきなのだ。

「え、あ、あの…気になってるっていうか…えっと…」

まさか彼の身近にいる硝子ちゃんに私の些細な動揺を見抜かれてたとは思わず、だんだん恥ずかしくなってきた。
出来れば上手く誤魔化してしまいたい、とも思ったが、そもそも私は嘘をつくのが下手くそなのだ。
硝子ちゃんは相変わらず放心したような顔で私を見ていて、どう応えたらいいのか困ってしまう。
が、そこへ電話を終えた夏油くんが戻って来てしまった。

「おい、硝子。オマエのせいで説教喰らっただろ?いつも報告はマメにしろ―――って、どうした?ハニワみたいな顔して」

夏油くんは未だ放心状態の硝子ちゃんに気づき、上半身を屈めて彼女の顔を覗き込んでいる。
それでも返事がなく、彼は訝し気に眉を寄せると、硝子ちゃんの目の前で手を振りながら私を見た。

「どうしたの?コイツ」
「え?あ、あの…」

どう応えようか困っていると、突然フリーズしていた硝子ちゃんが勢いよく立ち上がった。

「夏油!!」
「うぉっ。な、何だよ、急に…ビビらせんなって」
「私…ちょっと先輩がケガしたって連絡来たから先に帰るね!」
「…は?」
「あ、アンタはをちゃんと家まで送ってあげて!」
「ちょ、ちょっと硝子ちゃん…?!」

放心状態から生還したかと思えば、突然そんな事を言い出した彼女に驚いた。

「もう暗くなってきたし、今はマスコミも張ってるしで危ないから絶対ちゃんと送ってってよ?!」
「…そりゃ最初からそのつもりだけど。何でキレ気味なの?オマエ…」
「……う…キ、、キレてないわよっ」

変な人を見るような顔で目を細めている夏油くんに、硝子ちゃんは焦ったように言うと、不意に私の腕を引っ張って公園の隅へ連れて行く。
そして顔を近づけ声を潜めると、

「いい?私は先に帰るから、は夏油に送ってもらって」
「ちょ、ちょっと硝子ちゃん、いいよ、そんなの…!二人きりは恥ずかしいってばっ」

そう言いながら後ろを見れば、夏油くんはますます訝し気な表情でこっちを見ている。
梢子ちゃんの言動が不自然すぎたせいで何か怪しんでるといったような顔だ。

「何言ってるの。私だって夏油なんかにを預けたくはないんだから」(!)」
「な、なんかにって…」
「だけどがあまりに恋する少女みたいな顔してるし、可愛すぎて無理」
「…は?(どういうこと?!)」
「だから泣く泣く協力しようと思ったってわけよ…」

一人うんうんと頷きながら、硝子ちゃんは本当に涙ぐんでいる。
一体、私は今どんな顔をしてるんだろう、と心配になった。

「とにかく!がほんとに好きなら私は相手があんな奴でも(!)応援するから!頑張ってね?」
「え、が、頑張ってって言われても…っ」
「大丈夫!夏油もあれでのことは気になってると思うから、ちょっと色仕掛けすればコロっと落ちるって」(!)
「コロって…(虫じゃないんだから!)っていうか色仕掛けなんて無理だってば…っ」

硝子ちゃんの言葉に真っ赤になりつつ、でも夏油くんも私のことを気になってる、と言われて少しドキっとした。
これまでは護衛対象だから優しくしてくれてたのかもしれない、と思っていたから。
でも硝子ちゃんの言ってる事が本当なら、ううん、本当であって欲しい、と本気で思った。

「おーい、二人して何コソコソ話してんだよ」

そこへ待ちくたびれた様子で夏油くんが歩いて来た。

「じゃ、私は先に高専帰ってるし、頑張ってね!あ、夜にでも電話して!」
「あ、硝子ちゃん…!」

パっと離れた硝子ちゃんは夏油くんに「ちゃんと送ってよね!」と言い捨てて、駅の方へ走って行ってしまった。

「何だぁ?アイツ…」

その素早さに呆気に取られたように夏油くんは私の方へ歩いて来ると、

「何話してたの?女同士で」
「えっ?ああ…えっと…連絡先の交換…してたの!」

どう誤魔化そうかと思ったが咄嗟にそう言ってみた。
連絡先を交換したのは本当だから気まずくもない。
すると、夏油くんは手にしていたケータイを持ちあげ、

「あ、じゃあ私も教えてもらっていいかな?」
「えっ?!」
「東京は任務でしょっちゅう来るから、その時ご飯でも行こう。ホントは今日硝子もとご飯行きたかったみたいなんだ」
「う…うん…」

そう言ってもらえたことが嬉しくて、ちょっと泣きそうになった。(硝子ちゃんありがとう)
そこで夏油くんとケータイ番号、メールのアドレスを教え合った。

「んじゃー登録っと」

ピっという音と共に、私の連絡先は夏油くんのケータイに登録され、たったそれだけの事なのに何故かドキドキした。
ただの連絡手段だと思っていたケータイも、今夜から手放せなくなりそうだな、とふと思う。
あんなに人を好きになるのが怖かったのに、夏油くんはそういった不安をいつも感じさせない。
そういう彼の持つ暖かい空気に、私は惹かれた。

「あ、じゃあ送ってくよ。ほんと暗くなって来た」
「え?あ…」

夏油くんはそう言いながら前を歩いて行く。
その後ろ姿を見ていると、もっと一緒にいたい、なんて思ってしまう。
少し小走りで駆け寄り、夏油くんの隣を歩くと、彼は優しい笑顔で笑いかけてくれて。
たったそれだけで心臓が音を立てる。
さっき、学校まで会いに来てくれた時、顔を見た瞬間に溢れた気持ちで初めて自分の気持ちに気づかされた。
これまで感じていた心の変動は、確かに恋だったんだ、と。

の家って、ここから近いの?」
「あ、うん。歩いて15分くらい」
「そっか。じゃあ、案内してくれる?」
「うん」

並んで歩きながら、家の方向を教えつつ家に向かう。
見知った住宅街の道をこうして夏油くんと二人で歩いてるなんて変な感じだ。
ついこの前までは知らなかった人なのに、今は昔から知ってたような、恋をしてたようなそんな気持ちになる。

「マリンは元気?」
「うん。今朝も私の制服の上でゴロゴロしちゃって毛を取るのが大変だった。まだ毛代わりの時期じゃないからマシだけど」
「あ~白い毛は制服じゃ目立つな」

夏油くんはそう言いながら笑うと、

「榊さんは?家にいるの?」
「うん、あ、榊さん皆に会いたがってたよ?お礼言いたかったって」
「ああ、じゃあ挨拶していこうかな。前、出来なかったから。別荘滞在中は色々とお世話になったしね」
「あ、そうして!榊さんも喜ぶし」

家に寄ってくれると分かって、それだけで顔がにやけそうになる。
自分の気持ちがハッキリしたらしたで、これまで止めていたものがせきを切ったように溢れて来るから不思議だ。

「最近はどんな任務してるの?」

夏油くんを見上げながら訪ねると、彼は「簡単なものばかりだよ」と笑った。

「今日は池袋の火災があったビルに呪いが沸いて、後は六本木のビルに定期的に呪いが沸くからそれらを祓ってきた」
「へえ…結構呪いってあちこちに沸くものなの?」
「まあ…人が多い場所や負のエネルギーが溜まりやすい繁華街とか多いかな」
「そっかぁ…」
は?あれ以来、呪いは見てないの?」
「私?…うん。今のとこ大丈夫」
「そう…。まあでも一度見えるようになると、また見えちゃう事もあるから気をつけて。もし見かけても絶対に目を合わせないこと」

夏油くんは私を見ると、真顔でそう言うから少し怖くなった。

「目?」
「そう。呪いの中には視られてる、と気づいた瞬間に襲って来るやつもいる。だから万が一見かけたとしても視線は向けないようにして」
「わ、わかった…」

本気で怖くなって頷くと、夏油くんは、「ごめんね、怖いこと言って」と苦笑いを浮かべた。

「前のように私が守ってあげられたらいいんだけど、今はそういうわけにもいかない。だからにも出来る事は覚えていて欲しくて」
「うん…ありがとう」

(守ってあげられたら、と言ってくれるのは嬉しいけど、ほんと守って欲しい…なんて、欲張りかな…)

そんな事を思いながら夏油くんを見上げると、不意に目が合い、ドキっとした。
彼も一瞬だけ驚いた顔をしたけど、何かに気づいたように屈んで顔を覗き込んで来るから更に鼓動が速くなってしまう。

「どうしたの?何か…頬が赤いけど…もしかして熱ある?」
「え?そ…そんなことない。大丈夫!」
「でも顔が熱いし…」

頬に触れて来た夏油くんは心配そうに「大丈夫?」と訊いて来たけど、私としては大丈夫どころの話じゃない。
この熱は夏油くんに触れられてるからで、心臓が顔にあるみたいに火照って来るのが分かる。

「だ…大丈夫…」
「熱は…ないみたいだけど」

今度は額に手を当てて来る夏油くんは本当に心配してくれてるみたいで申し訳ない気持ちになった。
でもこれ以上、意識したら本当に気持ちがバレてしまいそうだ、と思ったその時、夏油くんの電話が鳴った。

「あ、ごめん。担任から電話。ちょっと待ってて」

夏油くんはそう言って私に背を向けて少し離れるように元来た道を歩いて行った。
仕事の話かな?と思いながらもホっとして息を吐き出し、呼吸を整える。
まるで初めて恋をしてるようなそんな感覚で、心臓が痛いくらいにドキドキしているのが分かる。

(でも…本当に初めてなのかも。高居さんの時は彼の事を大人だと思っていたし、あの時の気持ちは憧れとかそういったものだったんだと今なら分かる)

だからこそ、あんな風に迫られても嬉しいなんて気持ちは微塵もなく、恐怖しか覚えなかった。
でも…もし夏油くんとなら、怖くないかも…と、そこまで考えて顔から火が出るかと思うくらい赤くなった。

(な、何考えてんの?まだ好きだって気づいたばかりなのに…!恥ずかしすぎるっ)

両頬を手で隠すようにして、早く顔の熱が引かないかな、と思いながら、少し離れた場所で電話をしている夏油くんの背中を見ていた。
そんな事を考えていたから、気づかなかった。
背後から近寄って来ていた存在に。

「――――ッ」

突然、口を塞がれ後ろから抱きつかれたと思った時には、無理やりすぐ近くの脇道へと引きずり込まれた。