【第七話】 君に夢中-前編



雨音がかすかに聞こえて、頭の中で無意識に雨が降ってる、と思った時点で、ぼんやり意識だけが起きた。
でも心地よい暖かさに包まれているせいで、まどろみの中からなかなか覚醒できず、もう少しだけ…と思いながら僅かに右へ顔を傾ける。
と、その時、額に何かが触れた。

「…ん?」

いつもと違う感覚に少しずつ意識がハッキリして来ると、今度は頭を乗せているものが普段愛用している枕とは違う感触に気づく。
それに何故か右へ寝返りをうとうとしても何かが遮ってるような感じがして、私はそこで初めて目を開けた。

「……げ……っ」(とう、くん…?!)

身体を少し右へ傾けた状態で目を開けた時、目の前には夏油くんの顔があり、思わず声を上げそうになった。

(な…何で?!何で私、夏油くんと寝てるの…?!)

寝起きからパニックになり、起き上がろうとしたが、動いたら彼が起きてしまいそうで何とか思いとどまった。
しかも枕だと思っていたものは彼の腕だったようで、夏油くんは私の方に身体を向けて左腕を伸ばした状態で寝ていた。

(こ、これは俗にいう…女の子の憧れ、腕枕というやつなのでは…。しかも右腕が私の腰に乗っ…)

そう気づいた時、心の中で盛大に叫んでしまった。(!)
そして同時に、昨夜の事を思い出す。

(あ…れ?私…夏油くんに好きだって……言われた?私が言ったっけ…?それともあれは……夢?)

そんな事を考えながら、もう一度隣で眠る夏油くんを見る。
疲れているのか、小さな寝息が聞こえてきて、それだけで顔が熱くなった。
以前、車の中で寝てる姿は見た事があるものの、自分の隣で安心したように眠る姿を見ると、朝から心臓に良くないと思うほど早鐘を打っている。
良く見れば、今自分が寝ているのはゲストルームのベッドのようだ。
壁にかかっているアンティークの時計を見れば、午前六時になるところで、外はまだ薄暗かった。

(待って…落ち着け、私…。夕べの事は…夢、じゃないよね?だって……)

夏油くんは私に会いたいと思ってた、とハッキリ言ってくれた。
その言葉が凄く嬉しくて、思わず涙が溢れて、泣いたことを知られたくなくて、見られないよう彼の胸に顔を押し付けた。
でもだんだん恥ずかしくなって、慌てて体を離した時…夏油くんは私の顎を持ち上げて、そして―――。

(キ…キス、されそうになった、よね…?)

鮮明にその時の光景が頭に浮かび、顔から火が出るかと思った。
ただ、キスされるのかと思ったのに、夏油くんは不意に私から離れ、しかも、「すまない…」と謝って来た。
それがショックで、悲しくて、どういうつもりなのか本心が聞きたくなって、あんな事を口走ってしまった。
一時の気の迷いなのか、それとも他に理由があるのか、私にしては頑張った方だと思う。
でもその後、夏油くんが私の事を好きだと言ってくれて…それだけで胸がいっぱいになって。
恥ずかしいくらい涙が止まらなくて、夏油くんを困らせてしまった。
でも、もう一度好きだって言ってくれた時、私は初めて自分の気持ちを口にすることが出来た。

あの後も泣き止まない私をベッドに座らせ、あやすように夏油くんは私を抱きしめて背中をぽんぽんと―――。

(あれ…?そこから記憶が、ない…?)

そこでぷっつりと記憶がなく、私は首を傾げた。
夏油くんの腕の中が心地よくて、優しく背中を叩くそのリズムが凄く落ち着いて、少しだけ眠くなってきたのは覚えてる。

(って、もしかして私、そのまま…寝ちゃった…とか?)

再び夏油くんの顔を見ながら、そこに気づき、私は自分で自分を殴りたくなった。

(せっかく夏油くんに好きだと言ってもらえて、私も素直に告白できたというのに、その状況で普通寝る?寝ないよね?バカなの、私!)

しかも泣き疲れて寝るって、私は子供か…と恥ずかしくなった。
確かに昨日は久しぶりの学校から始まり、硝子ちゃんと夏油くんが急に会いに来てくれて、ストーカーに襲われたり、夏油くんと二人きりになったり…。
色々あって気持ちも高ぶったままの状態だったから相当疲れてたのかもしれない。
だけど、告白した後で相手が寝てしまう、という最悪の状況を想像すると、それはないな、と私でも思う。
きっと私が寝てしまったから夏油くんも困っただろうな、と思うと、本気で申し訳なくなった。

(そっか…だから私をここに寝かせてくれたんだ……)

と、思いながら、ハッと自分の恰好を確認したが、ちゃんと服を着ていてホっとする。(!)
そして一瞬でも変な想像をした自分が恥ずかしくなった。

(そうだよね…夏油くんはこういう人だから、私も好きになったんだ…)

隣で眠る夏油くんの顔を見ながら、自然に笑みが零れる。
でも逆に、その寝顔を見ていると私の方が彼に触れたくなった。
こんな風に思った事なんて一度もないから、それはそれで驚く。
でも、好きな人が無防備に寝てる姿を見てると、自然にそんな気持ちが沸いて来る。

(いくら何でも勝手に触れたらダメだよね…。でも少しくらいなら…?って、ダメダメ!何考えてんのっ)

しばらく天使と悪魔のささやきが交互に続いた。
…が、結局悪魔が勝ってしまった。(!)
そっと指を伸ばし、夏油くんの頬へ触れるだけで鼓動が速くなっていく。
こうして触れるだけで、彼が好きだという思いが溢れて来て、また涙が出そうになる。

(好きだなあ、と感じるだけで何でこんなに泣きそうになるんだろ…)

このままずっと、夏油くんの隣にいたい。
そんな事を思いながら、手を離そうとした時、ふと、彼の唇に目が行き、ドキっとした。
夕べ、もう少しで触れそうになった事を思い出すと、また心臓に負担がかかる。

(何で…してくれなかったのかな…。まだ気持ちを伝えてないからって事かな?…夏油くんならありえる)

でも、それが少しだけ寂しく感じて、頬に触れていた指をそっと唇へ伸ばす。
が、その時、腰に回っていた腕に不意に抱き寄せられた。

「……くすぐったい」
「げ…夏油くん…」

驚いて顔を上げると、夏油くんは苦笑気味に私を見ていて顔が赤くなった。

「ご…ごめん…起こしちゃった…?」
「いや…いいよ。頬がくすぐったいから何かと思った」

夏油くんはそう言いながら笑っていたけど、触ってた事がバレて恥ずかしくなった。(唇に触れる前で良かった…)(!)

「あ…あの…夕べって私、寝ちゃった…?」
「ああ…うん。気づいたら寝てたから部屋に運ぼうと思ったんだけど…」

夏油くんはそこまで言うと、ふと苦笑いを浮かべた。

の寝顔が可愛くて見てたら、私もいつの間にか寝ちゃってたな」
「え…っ」

夏油くんの言葉に顔が赤くなっていくのが分かった。
護衛してもらっていた時に何度も寝顔は見られてるのに、こんな状況だと妙に照れ臭い。

「ああ…まだこんな時間か」

時計を見た夏油くんは欠伸を噛み殺しながら、「また寝ちゃいそう」と笑った。
外はまだ雨の降る音がしていて、静かな中でそれを聞いてると、私も眠くなってきた。
夏油くんの腕の中はとても暖かくて、ずっとこうしていたいと思う。
でもこんな風にくっついていても、まだ夕べの告白が夢なんじゃないか…って少し心配になった。

「あ、あの…夏油…くん」
「ん?」
「夕べの…こと…」
「夕べ?」
「夢、じゃない…よね?」

そう言って少しだけ顔を上げると、夏油くんは一瞬、キョトンとした顔を見せて、すぐに笑った。

「それは私のセリフ、かな」
「え?」
「私もさっき…が隣にいるのを見て、夢じゃなかったんだってホっとした」

夕べ、が寝てしまった後、寝顔を見ながら、さっき聞いた言葉は夢だったのかな、と何度も思ったから―――。

夏油くんはそう言って照れたように笑った。そして―――。

「会わなくなって…ふとした時に、いつもの事を考えてる自分に気づいた。の事が好きなんだという気持ちにも」

彼の静かな声で紡がれた言葉の一つ一つが、私の不安を全て消し去っていく。
夏油くんも私と同じ気持ちでいてくれたんだという事が嬉しくて、また泣きそうになる。

「…何で泣くの」
「ご、ごめん…最近泣き虫だよね、私…」

顔を隠すように彼の方へ体を寄せながら、涙を拭おうとした。
すると彼は私の顎を持ち上げ、涙を掬うようにそっと目尻へ口づける。

「ほんと泣き虫」
「げ…夏油…くん」

初めてのその行為に鼓動が跳ねて顔が熱くなる。
そして彼と目が合った時、夏油くんは僅かに驚いたような顔をして、すぐに困ったような顔で、

「そんな潤んだ目で見つめられると理性が飛びそうだからやめて」
「……っ」

自分が今どんな顔をしてたのか分からず、慌てて俯いた。
恥ずかしくて、ついでに心臓がうるさいくらいにドキドキしている。
夏油くんはそんな私に苦笑しながら、そっと背中を抱き寄せてくれた。

「…は…今日も学校だろ?何時に行くの?」
「…えっと…近いから八時前に出れば…」
「そっか。じゃあ私も一緒に出るよ」
「え…高専に戻るの?」
「いや、昨日担任から連絡来て、まだ東京にいるなら新しく呪いの被害報告が入ったから、ついでに祓って来いってさ。人使い荒いよね、ほんと」

夏油くんはそう言って笑った。
昨日、来てた電話がそれだったんだろう。

「そっか…忙しいんだね」
「まあ、でも春が近くなると落ち着いて来ると思うから多少は暇になるよ」
「え、そうなの?」
「冬の終わりから春までの人間の陰気が初夏にどっかり出て来る繁忙期っていうのがあるけど、それまでは少し落ち着いて来る」
「そっか。じゃあ夏は大変そうだね…」

そんなに忙しいなら今年の夏は二人で出かけたりするのは無理かな、と少しだけ寂しくなる。
その気持ちが行動に出て、私は夏油くんの胸に顔を埋めた。

「…?どうした?」

夏油くんは少し体を起こし、私の顔を覗き込んできた。
何となく恥ずかしくて目を伏せると、軽く首を振った。

「何でもないよ。ただ…」
「…ただ?」
「時間ある時でいいから、二人で出かけたい…なぁ…って思って」

勇気を出してそう言いながら、夏油くんを見上げれば、彼は一瞬驚いたような顔をした。

「そんな可愛いこと言わないでよ…。任務に行きたくなくなる」
「え、ごめん―――」

そう言いかけた瞬間、夏油くんが体を起こし、彼の手が私の頬に触れた
いきなり、夏油くんを見上げる状態になり、鼓動が跳ねる。

「あ、あの…」

頬を撫でるようにかかった髪を払うその手の感触に、ドキドキしてくる。
優しく見つめて来るその瞳から目が離せず、顔が赤くなっていくのが分かった。
すると、夏油くんはゆっくり身を屈めてきて、一瞬夕べの事が頭を過ぎり、強く目を瞑った。

(キス、される――?)

そう思った時、額に口付けられ、触れられた瞬間ビクっと体が跳ねた。
すぐに頬、唇の横へ口づけられ、恥ずかしさで体に力が入る。
でも少しの間があったかと思うと、不意に夏油くんは体を起こし、私の腕を引っ張った。

「夏油…くん?」
「…もう七時になるし、榊さんが起こしに来る前に部屋に戻った方がいい」
「あ……うん…そう、だね」

てっきりキスをされるのかと思ったのに、夏油くんはいつも通りの笑顔で私にそう言った。

「あ…制服はもう少しで届けてくれると思う」
「ありがとう。助かるよ」
「じゃ…私も用意してくるね」

ドキドキしていた分、少し拍子抜けしたような、でもホっとしたような変な気持ちになったが、時間を見て私も慌てて自分の部屋へ戻った。
いくら榊さんでも、夏油くんと一緒に寝ていた事を知ったら大騒ぎして確実に母に報告されるだろう。
きちんと話す前にそんなバレ方をしたら後々大変だ。(特にお父さんに何と言われるか)
その後―――七時半には制服が届けられ、高専の補助監督だという人が迎えに来ると言うので八時に私と夏油くんは家を出た。

「雨も止んで晴れてきたな」

夏油くんは雲が流れる空を見上げながら、そう言うと、

「じゃあ、行ってらっしゃい。あ、それと帰りは遅くなるようなら車で帰って。心配だから」
「…うん、そうする。夏油くんも任務頑張ってね」
「ありがとう」

夏油くんはそう言って微笑むと、補助監督の車へと乗り込んだ。
それを見届け、少し寂しくなりながらも、「じゃあ…」と声をかけ、車から離れた。
が、すぐに「」と呼ばれ、

「今すぐは無理だけど…春先には時間が出来ると思うから、二人でどこか行こう」
「え…?」
「じゃ、気を付けて」

夏油くんは笑顔でそう言うと、車が静かに発車して目的地へと走り去った。
それを見送りながら、さっきまでの寂しさが嘘のように消えてくのが分かった。

「二人でどこか行こう…。二人で…」

言われた言葉を思い出し、自然に顔が緩んでしまう。
さっきの事で少し落ち込んでたクセに、夏油くんのたった一言でこんなにも幸せになってる単純な自分に苦笑する。

「春物、新しく買っちゃおうかな…。夏油くんってどんな服装が好きなんだろ」

すでに心は春の気分で、そんな事を考えながら学校へと向かう。
まさか、その約束が延期になるなんて、この時の私は思いもしなかった―――。








「―――え?今、なんて言ったの…?」

硝子ちゃんはオムライスを食べようとしていた手を止めて、まるで恐ろしい怪談話でもされたかのようなリアクションをしながら私を見た。

夏油くんがウチに泊まったあの日から一か月後。
今は硝子ちゃんと前に約束したネイルサロンへ一緒に行った帰り。
協力してくれた硝子ちゃんにはあの日のうちに夏油くんとの事を報告していたが、詳しい事は今日会って話すという事になり、今は近くのカフェで遅めのランチを食べていた。

「だ、だから…」
「今、キ…キスしてくれないって…言った?」
「き、聞こえてるじゃない…っ」

物凄く勇気を出して伝えた事を、改めて口に出される事が、とてつもなく恥ずかしいという事を、私はこの時初めて知った。
私のそんな羞恥心を知ってか知らずか。
硝子ちゃんは相変わらず青ざめた顔で私を見ながら、手にしていたオムライスの乗ったスプーンを力なくお皿に戻すと、徐にドンっとテーブルを叩く。

「き、聞こえてても耳が拒否ってたのよ!(!)げ、げ、夏油がキ…キすっ…とか考えたくない!」
「ちょ、硝子ちゃん、声大きいってば!しかも何気に何か失礼だし!」

さすがにムっとして目を細めると、硝子ちゃんはハッとしたように私を見て苦笑いを零した。

「ご。ごめん、ついいつもの調子で…。っていうかそんな可愛い顔で怒られても」
「もう…人が真剣に悩んでるのに…」
「ごめんね?」

硝子ちゃんは両手を合わせて謝って来た。

「でも私からするとあの夏油がと……っていうのが未だに信じられなくて悪夢見てるよう……って、嘘、ごめん」

ジロっと睨めば硝子ちゃんは困ったように笑った。
協力してくれたわりに硝子ちゃんは、まだ私と夏油くんが付き合う事になった事を受け入れられないらしい。

「で、でもあれよ、きっと夏油も付き合いだして、すぐ手を出すのは節操ないと思ってるんじゃない?アイツ高専では優等生で通ってるくらい真面目だから」
「え、そう、なの?でも硝子ちゃん、いつもクズだの最低だの言ってたじゃない」
「あ~まあ、そういう事は多々あるけど(!)任務に関してはホント真面目っていうか、いや問題児ではあるけど。でもの事に関しては…かなり真剣だと思うよ?」
「そう…なのかなあ…。いつも会うのだって少しの時間だし…」

あの日から、夏油くんが任務で東京に来た時は、私の学校が終わった後から暗くなってくるまでの短い時間で会ってはいるものの。
未だにキスもしてくれない彼に少し不安を感じていた。
付き合う前の状態を考えれば、自分でも贅沢な悩みだな、とは思うし、あんなに軽い男が嫌いだった私でも。
手を出されないなら出されないで、こんな気持ちになるなんて、夏油くんを好きになって初めて知った。

「そうだよ。だってあの日も言ったけど、帰って早々私にに告白してきたって、ちゃんと報告してきたくらいだし」
「そ、それは聞いたけど…」
「それだけ大事にしてるんじゃない?意外だけど。うん、とっても意外だけど」
「な、何で二回も言うのよ…」

私の突っ込みに、硝子ちゃんはあははっと笑って誤魔化していたが、「でもほんと大事にしてるんだって」と笑顔で励ましてくれる。
ただ今は会う時間も少ない上に、そんなに頻繁には二人で会えないから、それも重なってこんなに不安になってる私がいて。
ここ二週間は電話でしか話せてなくて、それが更に寂しさを募らせる原因にもなっていた。

「最近は会えてないし…バレンタインにも会えなかったし…何かほんとに付き合ってるのかなって心配になっちゃって」

そう言って溜息をつく私に、硝子ちゃんも困ったような笑顔を見せた。

「今は任務が重なって会う時間もそんなに余裕ないだけだよ。今日だって五条と出張でしょ?」
「うん…今日は大阪だって」
「あの二人ならパパっと終わらせてすぐ帰って来るよ。それより…との事を聞いた時の五条の話したっけ?」

硝子ちゃんは寂しがっている私に気を遣ったのか、違う話を振って来た。

「五条くんの話?」
「そ、アイツさあ、夏油がに告白したって言った時、意外と冷静で"良かったじゃん"なんて、まあ散々からかってはいたけど、普段通りのテンションが逆に気持ち悪かったのよねー」
「べ、別に五条くんは私と夏油くんがどうなろうと気にしないよ」
「そうかなぁ?私としてはもう少し違うリアクション期待してたんだけど…やっぱただのファンって事なのかな」
「そこまでファンでもないと思うけど。硝子ちゃん考えすぎだよ」

そう言って笑うと、残りのサンドイッチを食べながら小さく息を吐いた。
週末の渋谷は相変わらずの人混みで、仲良さそうなカップルばかりが目立つ。
いつもなら気にならなかったその風景も、今は素直に羨ましい、と思ってしまう。
普通の高校生同士なら、会いたい時にいつでも会えるんだろうな、と思うと余計だ。
夏油くんが忙しいのは最初から分かっていた事だから我慢するしかない。
それに春になれば少し時間が出来ると言うし、夏油くんも二人で出かけようと言ってくれてる。
だから何も不安に感じる事なんてないんだ、と自分に言い聞かせる。
ただ、付き合いだして一か月は過ぎると言うのに、未だにキスもしてくれない事が余計に寂しくなってる原因かもしれない。

(そういう雰囲気になる事もあるのにな…)

ふと、そんな事を考える。
この前も私の部屋で話していた時、マリンを抱っこしていた夏油くんの頬に毛がついてしまったのを取ってあげた時だって。
何となく至近距離で目が合って、何となくお互いが黙って、そういう空気が流れた気がしたのに、夏油くんは何故か抱いてたマリンの顔を私の顔に押し付けて笑うだけだった。

「私って…女としてのそういう魅力がないのかな…」

ふと最近特に気になっていた本音が口から零れる。

(そう言えば夕海にも前、"は男を知らないから色気が足りないの!もっと肌を出すような服も着なよ"なーんて説教された事あったな…)

夕海は明るくて可愛い上に積極的だったからモデル仲間の男の子からも人気があったし、高等部に上がる前には当時付き合ってた相手とサッサと脱ヴァージンしてた事を思い出す。
やっぱり経験があるのとないのとじゃ、その差は大きいんだろうか、なんて通りを歩くカップルを見ながら考えていた時。
不意に「!」と呼ばれてビックリした。

が魅力ない、なんてあるわけないでしょ!」
「え…?」

私がふと呟いた言葉に反応したのか。
いきなりそんな事を言い出した硝子ちゃんは、私の手をぎゅっと握り締め、真剣な顔で言った。

は私が会った女の子の中でもダントツで可愛いの!ショーでは凛としててカッコいいのに普段は天然発言するし、そのギャップが余計に可愛いって思ったし、綺麗な髪も白い肌もお人形さんみたいで―――」
「ちょ、ちょっと硝子ちゃん!は、恥ずかしいってば…!」

大きな声で誉められて、私は真っ赤になりながら店内を見渡した。
近くでお茶をしていた中学生くらいの女の子たちや、カップルが、一斉に何事かとこっちを見ている。
それでも硝子ちゃんは周りを気にすることなく、真面目な顔で言った。

は泣き虫で脆いとこもあるけど、他人の気持ちになって考えてあげられる優しくて強い人だと思う。それを出来る人はなかなかいない。そういうとこが一番素敵だと思うよ」
「…硝子ちゃん」
「夏油もそういうの優しいところに惹かれたんだよ。だから魅力がない、なんて思わないで」

硝子ちゃんの言葉に、また泣きそうになった。
そんな風に私の事を見てくれてたんだと思うと、胸の奥が暖かくなる。
色々悩んでいた事もあり、素直に彼女の言葉に感動していると、更に硝子ちゃんは意味深な笑みを浮かべた。

「それに…」
「え…?」
「女の私から見ても、は色気もあるから変な心配しないこと!」
「え…色気って…ないとは言われたことあるけど、あるなんて言われたことないよ?」
「チッチッチ。その辺の下品な色気とかじゃなくて!はね~自然な色気っていうのかな。ふとした時にキュンって来るのよね~って私がキュンしてもダメか」

硝子ちゃんはそんな事を言いながら笑っていて、私もつい吹き出してしまった。
それでも彼女がくれた言葉の一つ一つが嬉しくて、「ありがとう」と気持ちを伝える。
でもその中に一つ気になる発言があり、私は少しだけ身を乗り出すと、

「ところで……私って天然発言なんてした?」

と訊いてみる。
すると硝子ちゃんは更に笑いながら、

は呪術界に関しては知らない事ばかりでしょ?だから時々言う事が私たち呪術師からすると凄く面白いのよね」
「ああ…そう言われてみると…私が呪術関連の事で何か言うと、五条くんがいっつも笑いながらバカにしてきたし…」

そう言いながら、ふとあの憎たらしい顔を思い出す。
すると硝子ちゃんは思い出したように吹き出すと、

「そうそう、私が初めてと会った日にケガの治療をしたら、傷が消えた瞬間、が"魔法…?"ってキラキラした目で言うんだもん。可愛くて暫く笑いが止まらなかったよ」
「それ…五条くんにも散々バカにされたし覚えてる」
「あー五条も私と同じように思ったんじゃないかなあ。アイツもかなりツボってて、後で"のああいうとこ可愛いよな"ってボソっと言ってたわ」
「え、かわ…っ?あ、あの五条くんが…?」
「うん。アイツ、良くも悪くも素直っていうか思った事を口にする奴だから、ほんとにそう思ったんじゃない?だから私もひょっとしてひょっとするかなあと思ったんだけど…」
「え、何が?」
「だから五条ものことを好きになる可能性が大きいと思ったっていうか…。それまでアイツの口から身近にいる女の子について誉めたりする言葉なんか聞いたことなかったし」
「ま、まさか!」

ありえない話に私が苦笑すると、硝子ちゃんも首を傾げて頷いた。

「う~ん…まあ夏油と付き合いだしたって聞いてもあんな感じだったから違ったのかもしれないけど。私としては五条が本気で好きな子作れば少しは変わるかなと期待したのよね~」

硝子ちゃんはそう言いながらも、「ま、アイツについて行けるような子は早々いないか」と笑った。

「でも…これまで彼女とかいたことあるでしょ?夏油くんと五条くんならモテるだろうし…」

夏油くんと付き合いだして気づいたこと。
それは私の前にもきっと誰かと付き合ってた、ということ。
最初に会った頃から思っていたけど、あの気遣いといい、さりげない優しさは女性に慣れてる人のそれでもある。
そこに気づいた時、胸の奥がざわざわして、凄く嫌な気分になったけど、過去の事まで心配してたらキリがないと思って考えないようにしていた。

「あいつらに彼女…う~ん、少なくとも高専に入ってからはないと思うんだけど分かんないな~。同じクラスでも任務とかで出かけちゃえば、あの二人が外で何してるかなんてわかんないし」
「そ、そっか…」
「出張も多いし案外、地方妻的なのがいたら笑うけど」
「え…ち、地方って…」
「大丈夫よ、そんなこと心配しなくても!五条ならともかく(!)夏油は浮気なんてしないから。万が一そんな事があっても私が物理的制裁加えるし」

硝子ちゃんはそんな事を言いながら殴る仕草をして、私もつい笑ってしまった。

「まあその前に、をこんなに悩ませてるのは確かだし、出張から帰ったら一発シバいとこ」
「えっ?い、いいよ…!こんな事で悩んでるとかバレたら恥ずかしいもん」
「キスもしてくれないって?」
「う……だ、だからそれは…」

ニヤリと笑う硝子ちゃんに、思わず顔が赤くなる。
そんな事で悩んでるなんて子供みたいで自分でもどうかと思うけど、やっぱり夏油くんが好きだから些細な事でも心配になってしまう。

(はあ…早く会いたいな…)

雲一つない青空を見上げながら、ふとそう思った。