【第八話】 壊玉-前編



寒い季節が過ぎて、桜も散って来た頃、私たちは高専の二年に進級した――。


「そもそもさぁ。"とばり"ってそこまで必要?別に一般人に見られたってよくねぇ?呪霊も呪術も見えねぇんだし」

教室へ戻って早々ボヤきだした五条に、私と夏油は互いに顔を見合わせた。
昨日、先輩術師の救出に向かった際、"帳"は自分で下ろすと言ったくせに、それを忘れて建物を倒壊させた事で、今朝、担任の夜蛾先生にゲンコツという制裁を受けた事が不満のようだ。その愚痴を右から左へ聞き流し、私は机に放りだしたままの五条の特注サングラスを手にして遊び半分でかけてみる。 だけどこの丸いサングラス越しでは真っ黒な世界が広がるだけで、こんなもんかけて、よく前が見えるな、と内心思う。まあ五条には"六眼"という呪力がめっちゃ見える眼があるから、これくらい真っ黒の方が目は疲れないらしいけど、私がかけると、ただただ怪しい女だ。因みに五条がかけて見ると人がサーモグラフィーのように見えるらしい。それでも私的には逆に見づらいじゃんと思わなくもない。
そんな事を考えていると、五条の愚痴に対して、夏油が相変わらず真面目な返答をした。

「駄目に決まってるだろ。呪霊の発生を抑制するのは、何より人々の心の平穏だ。その為にも目に見えない脅威は極力秘匿しなければならないのさ。それだけじゃない―――」
「分かった!分かった!」

夏油の言い分にウンザリした様子で口を挟むと、五条は私の手からサングラスを奪っていく。

「弱い奴らに気を遣うのは疲れるよ、ホント」

五条は溜息交じりで言いながら、再びサングラスをかけ直した。

「"弱者生存"。それがあるべき社会の姿さ。弱気を助け、強きを挫く。いいかい、悟。呪術は非術師を守るためにある」

術師としては優等生の夏油らしい言葉に、私は感心しながら聞いていた。でも、五条だけは頬杖をつきながら、含みのある笑みを浮かべている。(嫌な予感しかしない)

「それ、正論?―――俺、正論嫌いなんだよね」
「……何?」

一瞬、不穏な空気が二人の間に流れる。
こんな些細な討論からケンカ勃発、という流れを、これまで嫌というほど見て来た私は、また始まった、程度に見ていたが、五条は更に言葉を続けた。

呪術ちからに理由とか責任とか乗っけんのはさ、それこそ弱者のやる事だろ。ポジショントークで気持ちよくなってんじゃねーよ。オ"ッエー!」
「………(五条、言い方…)」

どうしてコイツはこういう物言いしか出来ないんだ?と呆れてると、不意に隣から殺気が漂ってきて、視線だけ向ければ。
椅子から立ち上がった夏油の背後から、彼の操る呪霊が沸き出ていた。
(※高専敷地内で夏油が術式を使う場合、許可申請が必要なのに!)

「外で話そうか、悟…」
「寂しんぼか?一人でいけよ」

まさに一触即発、という予想通りの展開になり、とばっちりが来ないよう私がこっそり教室を出て行こうとした、その時。突然ケータイの着信音が教室内に響いた。

「あ、からメールだ」

嬉しそうな顔で呟くと、夏油はアッサリ呪霊を消して、再び椅子へと座りながら笑顔でケータイを開く。
五条は五条で笑いながら、「朝からお熱い事で ♡」と、夏油のケータイを覗き込んだ。

「覗くな、悟」
「別にいーじゃん。いつもは気にしないクセに。え!何か読まれて困るようなやらしい内容だったりするわけ?傑のエッチ ♡」
「……そ、んなわけないだろ?いーからあっち行けってっ」

五条にからかわれて、夏油は顔をしかめつつ、かすかに頬が赤くなっている。数秒前までケンカをしてたのが嘘のような男同士のじゃれ合いに、私は思い切り目を細めた。
とりあえず…二人の友情はこんな感じで成り立っている。

夏油はからのメールを読みながら、時おり笑顔を浮かべて何やら返信をしている。(チッ。浮かれやがって)
まあ、あの様子だと上手くいってるようで、内心私もホっとはしてる。
一か月前の"キスをしてくれない"騒動後、無事に初キッス(夏油のキス事情など想像したくもないが)も済んだと、が電話で恥ずかしそうに報告してきたし、今は付き合いだして一番楽しい時期なんだろう。
とは言え、私が大好きだったモデルのと、この夏油が付き合う事になったなんて、未だに信じられない。いや納得がいかない。(!)
よりによって何故コイツが…?という気持ちは心の奥底でずーっと燻っている状態だ。
の護衛という、私にとっては夢のような任務を聞いた時、呪術師をやっていて本当に良かった、とまで思ったのに、最後の最後でまさか自分の仲間と恋人同士になるなんて夢にも思わなかった。

(夏油のヤツ、どうやってをたぶらかしたんだ…)

と、未だにそんな目で夏油を見てしまう私がいる。
でも、を見ていると、本当に夏油の事を好きなんだな、というのが伝わって来るし、それが何とも言えず可愛い。控え目に言って、超可愛い。
私が男だったらすぐにでも交際を申し込んでいたかもしれない。(!)
実際本人に会ってからは純粋で優しい女の子だと知って余計にファンになったし、一人の人間としても大好きになった。
だからこそが望んでいるなら、と、泣く泣く協力はしているが、万が一夏油がを泣かすようなことがあれば、私はコイツを――――。

「……っ」
「どうした?傑」

私の心からの殺気が伝わったのか、夏油は不意にハッとした様子でケータイから顔を上げた。

「いや…また何かこう、ゾクっとして…凄い殺気を感じた…」
「マジ?高専内で呪いなわけねーし、風邪じゃね?」
「…そう、なのかな」

夏油は納得がいかないといった顔で首筋をさすっていたが、ふと私のジトっとした視線に気づき、こっちを見た。

「…何だよ、硝子。その顔…」
「別にぃ。、何だって?」
「ああ、今日、彼女の学校が終わったら会う約束してるから時間の確認メール」
「…え、行くの?私も行きたいっ」

思わずそう言って立ち上がると、夏油は徐に顔をしかめて私を見た。

「勘弁してくれ…。半月ぶりに会うんだ。明日は久々に休みになったし―――」
「私もよ」(!)
「………」

堂々と言い放てば、夏油はこれ以上細められないだろうというくらい目を細め、スルーを決め込むように私に背を向けた。

「何よ、その態度。私も一緒に行って何か問題が?」
「フツーに邪魔」
「……ぐっ」

当然と言うようにサラリと言われ、怒りが沸々と湧いて来た時、五条が盛大に吹き出した。

「そりゃそーだよなあ。そもそもデートに着いて行く同級生がいるかよ」
「私はの友達だもん。更にファンなんだから私も会いたいに決まってるじゃない」
「今日はほんとにダメ。前から二人で出かける約束してたんだ。時間できたら二人でどこか行きたいってが言ってて」

夏油はそう言ってケータイから顔を上げると、「ちゃんとしたデートってした事ないからさ」と苦笑した。
確かに、付き合い始めてから、二人はの家で会うくらいで、どこかへ出かけた、とは聞いたことがない。
もそんな事をボヤいてたのを思い出し、さすがに無理に着いて行くことも出来ず、私は溜息をついた。

「分かったわよ…。で、どこ行く予定?」
が学校終わったら迎えに行って、そのまま軽井沢に―――」
「「はあ?!泊まり?!」」

私と五条が絶妙なコンビネーションで綺麗にハモる。
驚愕のあまり二人で立ち上がると、夏油は驚いたように私たちを見上げた。

「…何だよ、二人して―――」

「つまり……そういう事か・・・・・・?」
「ええ…!そういう事よ・・・・・・…」

珍しく五条と意見が合った事で、互いに顔を見合わせる。
最終確認でもピタリと意見が一致した。
そんな私たちを見て、夏油は溜息をつくと、

「何が…?泊まりって言っても一泊だし軽井沢に一葉さんの別荘があって、が久しぶりに行きたいって言うから―――」
「ダメよそんなの!泊まりなんて許せない!」
「ああ、俺も今同じことを思ってた…」
「は?関係ないだろ、オマエらに」

私と五条が詰め寄ると、夏油は明らかにウザ、という顔で目を細めながら私たちを交互に見ている。
それでも何でも私は、夏油とが二人きりで軽井沢へお泊りデートをするなんて許せなかった。(!)

「関係あるわよ。は私の大事な友達でもあるし憧れの子なんだから、夏油の毒牙にかかるなんて耐えられないっ」
「は?毒牙…って何」

キョトンとした顔で私を見上げる夏油に、思い切り目を細めて睨みつける。

「とぼけるな…。アンタ……やる気でしょ」
「やる気満々だろ、傑」

一緒に五条も加わって、二人でドンっと机を叩き、夏油に迫る。
するとやっと意味を理解したのか、夏油の顔が僅かに赤くなった。

「二人して何考えてるんだ?勝手に変な想像しないでくれ。そもそも私はそんなこと考えてな―――」
「いーや!今は考えてなくても軽井沢の雰囲気に流されて絶対その気になるはずよっ!あんなに可愛いが傍にいたら私でもその気になる!」(?)
「だいたい俺らが二人寂しく休日を過ごしてる時に、傑だけエロいことしてんのは流石の俺も許せねぇ」(!)

私に便乗し、五条も指をポキポキ鳴らしながらよく分からない文句を言い出した事で、夏油は呆気に取られたように項垂れた。

「…勝手に決めつけて文句を言わないでくれないか…。朝からものすごーく疲れて来た…」

夏油は溜息交じりで首を振ると、

「っていうか、一つ言わせてもらうが…」
「「何」」

夏油は盛大に息を吐き出すと、心底呆れたように私たちを見上げた。(ムカつく)

「私とは恋人同士なんだ。その私たちがどこで何をしようと二人には一切!関係ないっていう事だけはお忘れなく」
「「………ご…ごもっとも」」

堂々と言い切られ、私と五条は思わず納得してしまった。
それでも心は納得できず、思い切り息を吐いて机に突っ伏した。

「はあっぁぁ…私のが夏油なんかと、お泊まり旅行…嫌すぎる」
「…硝子。オマエはにかまってないで早く彼氏でも作りなさい」
「余計なお世話よ!」
「……私も今、同じ気持ちだ」
「ぐ…っ」

シレっと言いながらに返信している夏油が何とも憎たらしい。例えコイツが大けがをしても絶対に治してやらない、と心に誓った。
五条は五条でケータイ画面を見ながらニヤニヤしている。

「あ~アミちゃんから護衛任務の依頼、こねーかなぁ」
「は?誰よ、アミちゃん 」
「グラビアアイドル ♡」
「……(裏切者!)」

待ち受けに表示された水着姿の巨乳女にデレてる五条に軽く殺意が沸いて拳を固めた時だった。ゴツいゴリラ――もとい。夜蛾先生が教室へ入って来た。

「ん?何だ、このシラケた空気は」
「さあ?」
「気のせいでしょ」

五条と夏油はケータイをしまってニッコリ微笑むと、夜蛾先生は訝し気な顔で教壇に立った。

「まあいい。この任務はオマエ達二人に行ってもらう」
「「…………」」

夜蛾先生の言葉に、二人は目を細めながら、徐に唇を突き出した。

「何だ、そのツラは」
「いや別に…」

夏油は淡々とした顔でそう言うと、夜蛾先生は二人を見ながら、

「正直、荷が重いと思うが、天元さまのご指名だ」
「「……っ」」

その名を聞いて、二人の顔色が変わった。

(天元さまって…あの天元さまよね?何の依頼なんだろ…)

私は関係なさそうだから教室を出ようと思ったが、内容が気になり、自分の席で話を聞くことにした。

「依頼は二つ。"星漿体"天元さまとの適合者、その少女の護衛と抹消だ」
「少女の護衛と…抹消ォ?!」
「そうだ」

ふざけた声を上げた五条に、夜蛾先生は真剣な顔で頷いた。
だが五条と夏油は顔を寄せ合い、ヒソヒソ話を始めた。

「ついにボケたか」(五)
「春だしね。時期学長ってんで浮かれてるのさ」(夏)
「………っ(怒)」

何もヒソヒソ話になってない二人の会話を聞き、夜蛾先生の額に怒りマークが浮き出た。
それを見た夏油は真顔になると、

「冗談はさておき」
「……冗談で済ますかは俺が決めるからな」(!)
「天元さまの術式の初期化ですか?」
「何ソレ?」
「「……(オマエは知ってるだろ)」」

二人の会話を聞き、五条がすっとぼけた事を言うと、夜蛾先生、夏油共に、ジトっとした目で五条を見ている。

「何だよ?」
「天元さまは"不死の術式"を持っているが"不老"ではない。ただ老いる分には問題ないが、一定以上の老化を終えると術式が肉体を創り変えようとする」
「ふむ?」
「"進化"。人でなくなり、より高次の存在となる」

夜蛾先生の説明に、五条は「じゃあいいじゃん」と肩をすくめた。
が、夏油だけは真面目な顔で、

「天元さまは曰く、その段階の存在には"意思"というものがないらしい。天元さまが天元さまでなくなってしまう」

何とも難しい話になってきたぞ、と思いながら、私は小さく欠伸をした。
三人が話している内容は何となく知っているものであり、特に今の私が聞く必要もないものだ。
とにかく夜蛾先生が言うには、星漿体となる少女の存在がバレて、それを邪魔に思っている呪詛師集団"Q"と、天元さまを信仰、崇拝する宗教団体、"盤星教"時の器の会から少女を守れ、という任務内容だった。

「天元さまと星漿体の同化は二日後の満月。それまで少女を護衛し、天元さまの元へ送り届けるのだ!失敗すればその影響は一般社会まで及ぶ。心してかかれ!」

「……え、二日後…?」

夜蛾先生が張り切って告げた任務に、夏油の唖然としたような声が聞こえて来た…。





まさか星漿体の護衛任務が今日から、とは思わず、私は溜息交じりで目的地へと向かっていた。
久しぶりの休日が消えた事はもとより、せっかくと出かけるはずだった予定がダメになり、何とも憂鬱な気分になる。
一応、には旅行がダメになった事をメールで説明しておいたが、特に怒るでもなく、任務なら仕方ないよ、と返してくれた事が逆に心苦しい。

「しっかし傑も残念だったな。とのお泊りデートがお預けになって♡」
「…私には残念そうに見えないな。その嬉しそうな顔を見てると」
「え、そんなことないって。俺より硝子だろ。アイツ絶対、心の中でガッツポーズしてたぞ」
「…ったく。そんなに私との邪魔をしたいのか、アイツは」
「硝子はが大好きだからね~」

悟はそう言いながらゲラゲラ笑っているが、私は内心"悟は?"と訊きたくなった。
が敢えてその言葉は飲み込んでおく。
とにかく、この任務が終われば、代わりの休みをくれるという夜蛾先生の言葉を信じるしかない。

「でもさー呪詛師集団のQは分かるけど、盤星教の方は何で少女を殺したいわけ?」

悟はそう言いながら自販機で飲み物を買うと、それを口にしながら私を見た。

「崇拝してるのは純粋な天元さまだ。星漿体…つまりは不純物が混ざるのが許せないのさ。だが盤星教は非術師の集団だ。特段気にすることはない。警戒すべきはやはりQ」
「まあ、大丈夫でしょ。俺たち最強だし。だから天元さまも俺たちを指名…何?」

悟は私の視線に気づくと、訝し気な顔で目を細めた。

「いや…悟。前から言おうと思っていたんだが、一人称"俺"はやめた方がいい」
「あ”?」
「特に目上の人の前ではね。天元さまに会うかもしれないわけだし、"私"、少なくとも"僕"にしな。年下にも怖がられにくい」
「はっ!やなこった――」

その時だった。星漿体がいるというビルの上部でボンっという爆発音が鳴り響いた。

「―――っ!」
「お?」

ビルを見上げると、一室から黒煙が噴き出している。私はすぐに術式を発動し、すぐ動けるよう呪霊を出した。

「これでガキんちょ死んでたら俺らのせい?―――あ」

悟が言った瞬間、煙が噴き出している場所から、誰かが落下してくるのが見えて、私はすぐ呪霊に飛び乗った。同時に爆発で開いた穴から、いかにも、といった格好の男が姿を現す。

「―――悪く思うなよ?恨むなら天元さまを恨み、な?!」

「目立つのは勘弁してくれ。今朝、怒られたばかりなんだ」

落下してきた少女を難なく保護し、操る呪霊に乗って、その男の近くまで浮かぶ。少女はどうやら意識を失ってるようだ。

(この子が星漿体…)

しかも彼女が着ている制服には見覚えがあった。これは彼女と同じ高校の――。

「その独特のデザインの制服は…高専の術師だな?」

呪詛師集団Qと思われる戦闘員の男は忌々し気に私を見ると殺気丸出しで攻撃態勢に入った。

「ガキを渡せ。殺すぞ」

その強気な発言に苦笑しながら、いつものように耳に手を当て、聞き返す仕草をした。
今日は、私も少々機嫌が悪い。

「聞こえないな。もっと近くで喋ってくれ」