【第九話】 小さな種-前編




護衛任務で沖縄に来ている、という内容を最後に、夏油くんからのメールはぷつりと途絶えた。




2006年7月。



「―――え、殺された?」

手元が狂い、持っていたカップがソーサーの端に当たると、ガチャンという耳障りな音を立てた。
とはいえ、いつも賑やかな学生食堂と言うだけあり、周りの学生たちに届くはずもなく。
相変わらずお喋りに花を咲かせているのか、時折あはははっと元気な笑い声が聞こえて来る。
ただ、カップが揺れた際、中身が跳ねてテーブルへ飛んだのを、私は慌ててナプキンで拭いた。

「ごめん…」

それを黙って見ていた硝子ちゃんは小さく息を吐き出し、「やっぱ黙ってたんだ」と呟いた。
私は硝子ちゃんから聞いた話の内容があまりに信じられず、少し動揺していた。
夏油くんからは、あの任務が終われば連絡がくる事になっていた。
なのに、待っても待っても、一向にメールすら来る気配もなく。
心配になった私は、硝子ちゃんへ電話をかけた。
そこで夏油くんから連絡がない事を伝えると、硝子ちゃんは慌てたように直接話すと言い、今日、任務の帰り、学校に寄ってくれたのだ。
「ごめんね。学校終わるまで待てば良かったんだけど、なるべく早く話しといた方がいいと思って」と言ってたが、ちょうど昼休みになった事で、二人で食堂に来ていた。
そこで護衛対象だった少女が殺された事を聞き、私まで気持ちが沈んだ。

「じゃあ…夏油くん、その事がショックだったのね…」
「多分ね。アイツ、責任感強いし、五条曰く、その星漿体の子を連れて帰ろうとしてたみたいだし」

私も詳しくは分からなかったが、何でも高専には天元という結界を作り出せる不死の術師がいて、その天元さまの新たな肉体となるのが、その少女、という事だった。
なのに夏油くんは任務の最終目的である"天元さまの元へ連れて行く"という事を止めて、星漿体である少女の未来を守ろうとしていた。その矢先、目の前でその子が殺された、という事らしい。

「それに…」

と硝子ちゃんは言葉を続けた。少女を殺した"術師殺し"とも呼ばれる男に、五条くんと夏油くんも殺されかけた、と教えてくれた。その際、夏油くんは硝子ちゃんが治療して一命をとりとめたらしいけど、私は彼らが死にかけるほどの重傷を負ったと聞いて、ショックのあまり体が震えた。

「嘘…嘘、でしょ?」

あの二人が、あんなに強い二人が負けたなんて、私には到底信じられなかった。

「まあ、私も最初そう思ったんだけどね…。瀕死の夏油を見て正直びっくりした。あ、そんな顔しないで。言った通り私が治して今はピンピンしてるから。体は、だけど」

青くなった私を見て、硝子ちゃんは慌てて言った。

「というか、五条の方がマジで死にかけたらしいんだけど、死に際に反転術式を使えるようになって、今じゃアイツ更に最強になってるし、その術師殺しも五条が倒したの」
「そ、そうなの…?え、反転…術式?って、硝子ちゃんと同じってこと?」
「そ、アイツ、それだけ出来なかったんだけど、死にそうになって使えるって五条らしいわ、ほんと。まあ自分だけしか治せないらしいけどね」

硝子ちゃんは明るく笑いながら話してるが、私からすると死にかけた、なんて聞けば本気で心配になって来る。でも聞いた通り、今は二人ともケガは治って元気という事で、そこだけはホっとした。ただ、一つ気になるのは…。

「でも夏油のヤツ、いくら落ち込んでるからって何でに連絡しないんだろ。ったく」
「…それだけ…ショックだったのかも…。助けられなかったこと…」
「まあ…分かるけど。でもそれとこれとは別っていうか…。に心配かける理由にはならないよ」

硝子ちゃんは本気で怒ってるのか、飲み干したコーヒーの缶をグシャリと潰した(!)

「お!いたいた!」

もう一度、夏油くんの様子を詳しく訊こうとした時、背後から聞き覚えのある声が響いて、誰かが私の隣に座った。

「―――五条?!」

硝子ちゃんが目を丸くして大きな声を上げると、周りの学生たちが一斉に私たちへ目を向ける。

「アンタ、外で待ってろって言ったでしょ?」

驚いて私の隣でふんぞり返ってる五条くんを見ると、視線を合わせた彼はニヤリと笑った。
女だらけの空間に、一人、派手な白髪の長身男。
当然の事ながら、周りの学生たちが黄色い声を上げ始め、

「きゃー男の子がいる!」
「うっそー!めっちゃ背高い!さんと一緒って事はモデル?」
「サングラス取って~♪」

女学院ならではの声が上がり、五条くんはまんざらでもないといった様子でサングラスを取ると、普段は見せないようなキメ顔を作っている。(!)
その瞬間―――。

「「「「「「きゃー-!イケメンじゃん ♡」」」」」」

「ふっ」
「ちょっと!調子に乗んなよ?五条っ」

女生徒たちに騒がれて気分を良くしている五条くんを見て、硝子ちゃんは頭を殴っている。

「ここは女子高で男子禁制だっ」
「痛ってぇな…。別にいーだろ。この前だって入ってんだし」
「それは任務だったからでしょ?今日は違うじゃない!―――ごめんね?…」
「いいじゃん、別に。外で待ってるのも退屈だったんだよ」

大して悪びれる様子もなく、サラリと言ってのけた彼は、当然のよう顔をして私のコーヒーに手を伸ばし、それを飲みだした。

「げ、苦…」
「ちょ、ちょっと、五条くん!勝手に飲まないでよ!それにいいわけないでしょ?規則違反になるってば」
「規則?俺には関係ねーけど」

言いながら、五条くんは人のコーヒーにドバドバ砂糖を足している。

「五条くんじゃなくて私が!っていうか、今日は二人で任務だったの?」
「いや、俺は別。さっき硝子と合流したんだ」
「五条のヤツ、夏油から連絡ないってが心配してるって言ったら俺も近くにいるから行くとか言いだして」

硝子ちゃんは呆れたように言うと、周りで騒いでる子達を見渡した。

「アンタのせいで落ち着いて話せない。場所変えない?あ、まだ授業か…」
「うん…でもいい。早退する」
「え、大丈夫?」
「こんな気持ちじゃ授業受けても身に入らないもん…」
「そっか、そうだよね。じゃ、とにかく出よう」

硝子ちゃんはそう言うと、未だ呑気にコーヒーを飲んでいる五条くんの腕を引きずるように、その場から逃げ出した。すれ違う学生たちが、みんな私たちを振り返る。その視線の先には五条くんがいて、ただでさえ女子高に男の子がいれば目立つ中、皆が彼の容姿に目を奪われ、黄色い声を上げていた。硝子ちゃんに引きずられながらも、キャーキャー騒いでいる女の子たちに笑顔で手を振っている五条くんを軽く睨むと、

「こんな目立っちゃって…変な噂立ったらどうしてくれるのよ…」
「変な噂って?」
「だ、だから…男の子連れ込んだとか…とにかく条例違反になったら停学になるかも」
「こんな数分、食堂でコーヒー飲んだからって停学にはならねーだろ。ま、そん時は俺が学校に抗議してやるよ」

五条くんはそう言って私の頭にポンと手を乗せ笑っている。他人事だと思って、とボヤきながら、何とか三人で門を抜けた。外には車が一台止まっていて、補助監督だという男の人が申し訳なさそうに立っていた。

「すみません…。再三お止めしたんですが…」
「いいのよ、篠田さん。五条を止められる人はいないに等しいんだから」
「はあ…」

篠田、と呼ばれた男性は更に申し訳なさそうに項垂れているが、当の五条くんは欠伸をしながらサッサと後部座席へ乗り込んだ。

「早く乗れよ、
「え…?」
「ちょっと!何でアンタが後ろに乗ってんのよ!」
「うるせーな。硝子は前に乗れ。俺はに話があんの」
「はあ?夏油の話なら私が―――」
「オマエは見てないだろ?あの時」

五条くんの言葉に、硝子ちゃんはハッとしたように息を呑み、「分かったわよ」と、渋々前の座席へ乗り込んだ。

「ほら、早く」

五条くんは車内から私を見上げると、急かすように自分の隣の席をポンポンと叩く。仕方なく隣へ乗り込むと、篠田さんが静かに車を発車させた。隣へ視線を向けると、窓に寄り掛かるようにして外を眺めている五条くんは、前と変わらないように見える。硝子ちゃんから聞いた話では、夏油くんよりも大きな傷を負い、死にかけたというが、そんな風には見えないほど元気そうだ。でも、どこか彼の周りに流れる空気が、微妙に変化しているような気がした。それは彼が得たという力のせいなのか、それとも初めての敗北を経験したからなのか、私には分からなかった。

「話って…?」

未だ何も話そうとしない五条くんに思い切って訊いてみると、彼は視線だけ私に向けて、シートに凭れ掛かった。

「硝子からだいたいの事は聞いた?」
「…うん」
「まあ…今回の事は俺にとっても傑にとっても初めての経験ってやつでさ。でも俺より、傑はあんな性格だから結構引きずってんだよね」
「……うん」
「天内…ああ、星漿体だった子だけど。傑と俺、天内が嫌がったら天元さまのとこへ行くの中止にしようとしてたし、傑は最後まで天内と一緒にいたわけで…アイツが撃たれたのも傑は目の前で見てた」

撃たれた、と聞いてビクっと手が跳ねた。普通に暮らしている私にとって、銃で撃たれて人が死ぬ、それもまだ幼い少女が殺されたなんて、非現実すぎる話だ。でもこうして、夏油くんが直面したであろうリアルな状況を聞くと、少なからずショックを受けた。五条くんはそれに気づくと、そっと私の手に自分の手を重ねた。

「五条くん…?」
「その後でさ、天内を狙ってた非術師の奴らんとこに天内の遺体を奪い返しに行った時…奴らは全員笑顔で拍手してた」
「拍…手…?」
「天内が…死んだこと…心から喜んでるような笑顔でさ」
「…そんなの…酷い…」

その光景は異常だったろう。幼い少女が殺され、その亡骸の前で拍手が起きる。その場にいなかった私でさえ、吐き気がする光景だと思った。

「そいつら見て俺、傑に言ったんだ。コイツら、殺すか?って」
「……え…?」
「今の俺なら何も感じないって。でも…傑は意味がないって言った。傑は最後まで術師としての姿勢を崩さなかった。多分、俺なんかより…怒ってたはずなんだ。なのに…」

その話を聞いて涙が溢れて来た。夏油くんが守ろうとしていた少女が、あっけなく目の前で殺されて。自分さえ、その殺した相手に敗北し、どれだけ悔しかったんだろう。なのに、それでも五条くんを止めた。最後の最後まで、弱者を守る、という術師としての自分の立場を貫いたんだ。

「夏油くんに……会いたい…」

零れる涙を隠すように、両手で顔を覆いながら、呟いた。今、どんな思いでいるんだろう、と心配になる。傍に、いてあげたい。でも彼はそれを望んでないからこそ、私に連絡してこないのかもしれない。そう思うと、今、顔を合わせるのは怖い、とも思った。必要とされてないんじゃないかって…思ったから。

「…行くか?」

その時、ふわりと頭に手が乗せられ、ハッと顔を上げれば、碧い瞳と目が合った。

「え…?」
「傑んとこ」

五条くんは真剣な顔でそう言った。
さっきまでのおちゃらけた雰囲気はなく、どこかそうして欲しい、と願うような、そんな表情をしていた。

「…泣くなよ」

彼の指が私の濡れた頬を掠めていく。

のそういう顔は…見たくないって言ったろ」
「ご…ごめん…。モヤモヤ…するんだっけ…」
「……まあ、それもあるけど」

五条くんは小さく呟くように言って、もう一度、「傑んとこ行く?」と訊いて来た。

「アイツ、今日は別行動で後輩の方に付き添いがてら援護に行ってるけど、もう帰ってると思うし」

五条くんは真面目な顔で私を見つめている。
ここで頷けば、きっとこのまま高専まで連れて行ってくれるだろう。
だけど私は、すぐに返事をする事が出来なかった。

…?」

俯けば、返事を促すように五条くんが顔を覗き込んで来る。
そこで、私は小さく首を振った。

「……何で?会いたいんだろ?」
「でも夏油くんは私に会いたくないかもしれないし……」
「は?何で?」
「そういう気分じゃないのかも…」
「何だよ、それ。が会いたいなら会いに行けば―――」
「行けないよ…っ」

色んな思いがこみ上げて、つい語気を荒げてしまった。
今の夏油くんの気持ち、自分の気持ち、どちらを優先させても苦しいだけだ。
五条くんは驚いたように私を見ている。

「私だって…夏油くんがツライなら傍にいてあげたいって思うよ?でも…彼がそれを望んでないのにノコノコ会いに行けると思う?」
「…何だよ、それ…。アイツが望んでないなんて分かんねーだろ」
「連絡してくれないって事は……私は必要ないって事じゃない…。なのに…私から会いになんていけない…」
「必要ないわけ―――」
「五条…」

そこで硝子ちゃんが振り向くと、五条くんに向かって、ゆっくりと首を振った。
私の気持ちを察してくれたのか、彼女は真剣な顔で五条くんを見つめている。

「チッ…分かったよ…!」

何かを言いかけた五条くんは、大きく息を吐き出し、シートに寄り掛かった。

「篠田さん、の家まで行って。知ってるだろ?」
「あ、はい。何度か夏油くんを送った事があるので」

それを聞いて顔を上げた。

(そうか、いつも夏油くんを乗せて来てくれてた補助監督さんが篠田さんだったんだ…)

篠田さんはハンドルを切ると、言われた通り私の家の方向へと車を走らせた。
窓の外を眺めながら、また零れ落ちそうになる涙を拭い、強く手を握り締める。
夏油くんが味わった辛さは想像する事しかできない。
こういう状況になった事もないから、こんな時、どうしたらいいのか、これからどうしたらいいのか、私には分からなかった。
でも、今、夏油くんに無理に会いに行ったとしても、傷が増えるだけのような気がした。
私は怖かった。
彼に会いに行って、拒否される事が―――。