【第十一話】 願わくば-前編-後編





記録・2007年9月。

■■県■■市(旧■■村)

任務概要
村落内での神隠し、変死。
その原因と思われる呪霊を祓除。

担当者(高専3年夏油傑)派遣から5日後。
旧■■村の住民、112名の死亡が確認される。
全て呪霊による被害と思われたが、残穢から夏油傑の呪霊操術と断定。

夏油傑は逃走。
呪術規定9条に基づき
呪詛師として処刑対象となる。



「―――は?」

今、言われた言葉は聞こえていたが、頭に入って来ない。
何の冗談かと、目の前の夜蛾先生を見つめれば、

「何度も言わせるな。傑が集落の人間を皆殺しにし、行方をくらませた」
「聞こえてますよ。だから"は?"つったんだ」
「…傑の実家はすでにもぬけの殻だった。ただ血痕と残穢から、おそらく両親も手にかけてる」
「んなわけねぇだろ!!!」
「悟……」
「……っ」
「俺にも…何が何だかわからんのだ…」
「――――っ!!」

目の前で、憔悴しきったように涙を浮かべる夜蛾先生の姿を見て、今聞いた全てが現実の事なんだと理解した。
だが理解した、というだけで、心はそう簡単に追いつかない。

「とにかく…傑は呪詛師として処刑対象になった…。悟、オマエ、アイツの行きそうな場所に心当たりはないか…?」

夜蛾先生にそう訊かれた時、すぐに思い浮かんだのは、怒ったり、泣いたり、ころころと表情が変わる、彼女の――――。

…」
「あ、おい、悟―――!!」

考えるよりも先に体が勝手に動いていた。
思い切り走って校舎を飛び出すと、近くにいた篠田さんを掴まえ車を出すよう頼んだ。
事態を察した篠田さんはすぐに車を門前につけた。
それに飛び乗り、「東京に行ってくれ!」と告げると、その間もケータイで電話をかけ続ける。
だが何度かけても、すぐ留守電に切り替わり、じりじりとした焦りに支配されていく。

「クソ!硝子のヤツ、何で出ねぇんだっ」

今日、は硝子を連れてパーティに行っているはずだ。

「こんな事なら会場聞いておけば良かった…くそっ」

今から向かえば夜には東京につく。
ならば―――。

「篠田さん、の家に直接行って!」
「わ、分かりました!」

車が徐々にスピードを上げていくのを感じながら、ケータイを握り締める。
その手が震えてる事に気づいて、深く息を吐き出した。

「傑…何でだよ……ッ」

頭を抱え、そんな言葉を吐いたところで、今更時間を戻すなんて事は出来ない。

ただ一つ、たったそれだけでいい。

親友が、これ以上、バカな選択をしない事だけを願っていた―――。








「は~!楽しかったあ」

帰りのタクシーの中、硝子ちゃんはそう言いながら思い切り腕を伸ばした。

、今日はほんとありがとね!イケメンアイドルやモデルといっぱい話せて満足したわ~」
「良かったね!建人くんと連絡先も交換したんでしょ?次はデートかな」
「やだ、まだ気が早いわよ。何度か連絡取りあってみないと」

硝子ちゃんはそう言って笑っていたが、どことなく嬉しそうだ。

「建人くんはモデルやってるわりに結構マジメだし、変な噂も聞いたことないから私はいいと思うよ」
「そう?やっぱり?可愛いよね~!何かシャイな感じとかストライクだわ。周りにズーズーしい奴しかいないし」
「硝子ちゃんてば、それ夏油くんも入ってる?」
「当然よ。アイツ、この前も私のコーヒー勝手に飲んじゃって今度買って返すとか言ってたクセに最近姿見せないしさ~」
「夏油くん、まだ出張中なの?私もメールしてるんだけど一昨日から返信なくて…」
「ん~いちいちどこに行くかってあまり聞かないからなあ…。忙しい時は連続で任務が入るし。でも…最近アイツちょっとおかしかったな」
「そっか…。まだ灰原くんが亡くなったことで落ち込んでるのかな…」
「…そうかもね。夏油、かなり可愛がってたから」

その話になると硝子ちゃんの表情も暗くなる。
前に一度、高専で挨拶を交わしただけの私でも、夏油くんの後輩が亡くなった、と聞いた時はショックだった。
礼儀正しくて、明るくて、凄くいい子だった。
それだけに夏油くんのツラい気持ちが想像できてしまう。
メールの返信がない事も、不安になった。

やっぱり最近の夏油くんは、どこかおかしい。
前ならこんなに連絡がないなんて事は一度もなかった。
会えなくても、電話で話せるだけで安心してたのに、今はメールの返信すら来ない事がある。
ただ話せた時は普通だから、いつもそれで安心して、不安に思っている事をつい言いそびれてしまうのだ。

、もう着くよ」
「あ、うん」

タクシーが見慣れた道を曲がると、すぐに家が見えて来て、私は降りる用意をした。

「あ、そうだ。次のネイルサロン、私が予約しとくけど、硝子ちゃん、次はいつ休み?」
「ああ、ちょっと待って」

硝子ちゃんはバッグからケータイを出すと、「いけね、電源切ったままだった」と笑った。

「うわ、何これ」
「ん?」
「五条から鬼電入ってる」
「うわーほんとだ!どうしたんだろ。かけてみたら?」
「いいよ。どうせ今日のパーティ来たくて電話してきただけだから」
「ああ、そう言えば行きたいって言ってたよね」
「昨日もしつこく連れてけって言ってたからね~。断ったけど」

硝子ちゃんは笑いながらも、スケジュールを確認すると、「あ、来週の月曜なら大丈夫」と言った。

「了解。じゃあ予約入れておくね」
「うん。ありがと」
「あ、運転手さん、そこの前で一人下ります」

家が近くになり、そう声をかけると、車が静かに停車した。
自分の分の料金を硝子ちゃんに渡すと、私だけ車を降りてから中を覗き込んだ。

「硝子ちゃんはこのまま乗ってくのよね」
「うん」
「じゃあ、気を付けてね」
「うん。今日はほんとありがとう」
「建人くんと上手くいくといいね。じゃ、お休み」

ドアを閉まると再びタクシーが走りだした。

「お休み~!」

硝子ちゃんも窓から顔を出して大きく手を振っている。
そのままタクシーが見えなくなるまで見送りながら、ふと空を見上げた。
大きな丸い月が、薄っすら雨雲にかかり、ぼんやり辺りを照らしている。

「今日の月はちょっと悲しそう…」

おぼろげな月明りが、どこか悲しみを帯びているように見えて、小さく溜息をつく。
まるで今の私の心の中みたいだ、とふと思う。

(この月を、夏油くんはどこで見てるんだろう…)

そんな事を考えながら、家に向かって歩き出す。
長い時間、ヒールを履いていたせいで、少し足が痛んだ。
だが、家の前まで来た時、小さな違和感を覚えて足を止めた。

「あれ…エントランスのライト点け忘れてる…珍しいな」

普段、暗くなってくると榊さんが必ず点けているのに、今日に限ってそれが消えていた。
よく見ればリビングの明かりも消えている。
ふと時計を見れば、午後10時。
榊さんは寝てる時間だが、私の帰りが遅い場合はいつも点けてくれていたはずだ。
エントランスだけならまだしも、リビングまで真っ暗というのは少しおかしい気がした。

「出かけてるわけじゃないよね…」

そう言いながら鍵を差し込み、ドアを開ける。
真っ暗な家の中に入るのは、それなりに怖くて、足元を注意しながら靴を脱ぐ。

「あ~この開放感がたまらない」

パーティで長い時間ヒールを履いていると足が疲れて、脱いだ瞬間、窮屈な場所から開放された感じがたまらなく楽なのだ。
特に今日は朝から撮影で一日中ハイヒールを履いていたから、慣れているとは言え足がパンパンだった。

(お風呂でマッサージしてから寝よう)

そう思いながら階段の明かりを点けようとして、ふと足を止めた。

「あれ…?明かり点いてる…」

通り過ぎようとしたリビングから小さな明かりが洩れている事に気づいた。
あの感じだとソファの横にあるスタンドライトだろう。

(でも外から見たら真っ暗だったのに…)

榊さんが点け忘れたの思い出して起きて来たのかな、と思い、私は二階へ上がる前にリビングのドアを開けた。

「榊さん…?ただいま―――」

言った瞬間、息を呑んだ。
暗い部屋でスタンドライトの明かりがぼんやりと辺りを照らしていて。
最初にそれを見た時、何か分からなかった。
僅かな明かりに照らされ、壁に大きな影が映り、ゆらゆら揺れている。
それは窓際にるコーナーソファの陰から伸びているように見えた。
誰かが蹲っているような、そんな影だ。

「榊…さん…?そこにいるの…?」

何か落として拾っているんだろうか。影が動くたび、かすかに音もしている。
何かを噛むような、潰すような気持ちの悪い音だった。

「榊さん…?」

相変わらず、返事はない。
ゆらゆら揺れる影を見ながら、言い知れぬ不安がこみ上げて、私は小さく喉を鳴らした。
恐る恐る足を進めて、ソファの方まで歩いて行くと、一瞬、その影の動きが止まったように見えた。

「…何…?あ…マリン?」

マリンは普段私の部屋にいるが、たまに榊さんがリビングで面倒を見てくれる事がある。
もしかしたら部屋に戻すのを忘れて寝てしまったのかもしれない。
もう一つの可能性を思い出し、私はソファの陰をそっと覗いてみた。

「―――――ッ?」

そこには、榊さんもマリンもいなかった。
視界に入って来たのは、全体がボコボコとしたコブのようなもので覆われた物体。
それは前にも見た事がある異形の化け物だった。
思わず叫びそうになった口を手で押さえる。
だが、その奇妙に動く化け物が振り返った時、口らしきものから真っ赤に染まった人間の腕のようなものが落ち、ゴトッという現実味のない音が響いた。

「…いやぁぁっぁあぁっ!!」

その血まみれの腕の手首には、榊さんがいつも付けている腕時計。今は血に汚れ、表面が割れてしまっている。
それを見た時、私はたまらず声を上げていた。
何故?と考える余裕もなく、震える足を何とか動かし、リビングを飛び出す。
だが、廊下に出た途端、ドンっと誰かにぶつかった。
同時に背中へ腕が回るのを感じ、驚いて顔を上げた瞬間、息を呑んだ。

「お帰り。

顔を上げれば、私を抱きしめるようにしながら、微笑む夏油くんがいた。

「な…なん…で…」
「帰りが遅いから、ずっと待ってたんだ」
「げ…夏油…くん…!な…中に呪い…さ、榊さんが…っ」

夏油くんの顔を見た瞬間、ホっとして涙が溢れた。
声が引きつり、震えて上手く話せない中、どうにか中の状況を伝えようとした。

何故、彼がここにいるのか―――。

そんな事すら考えられないほど、私は動揺していた。

後で思えば最初から奇妙だったのだ。
出張で都内にいないはずの夏油くんが私の家にいる事も、すぐ近くに呪霊がいると言うのに、笑みを絶やさず私を見つめている事も―――。
何より、先に家にいたであろう夏油くんが、呪霊に襲われた榊さんを助けられなかったこと全てが、おかしかったのだ。

「ああ、その呪霊は私のだよ」
「………?」

夏油くんが唐突に言った。
彼の言葉を聞いて、私は何を言われたのか分からなかった。
あまりに、普段と同じように微笑むから。

「…私はやっと気づいたんだ。自分の本音に」
「……な…何言って…」
「選択だよ」
「……?」
「どちらを選択するか…決めた」
「げ…とう…くん…?」

普段と同じようでいて、これまで見た事もないような冷めた目で微笑む彼に、私の喉が引きつった。
夏油くんはゆっくり身を屈めると、私の耳元で一言、囁いた。

「―――猿は嫌い」

その瞬間、私の胸を何かが貫いた。

「……ゴホ…ッ…」

彼の名を呼ぼうとしたのに、出たのは空気と咳だけで。
鉄の味がじわりと口内に広がり、口元から生暖かい液体がポタリと落ちた。
震えながら、ゆっくり下を向くと、夏油くんの指先から現れた小さく、細い異形の何かが私の体に刺さっていて、それが中で動くたび、赤い液体がコポコポと音を立てながら流れてくる。
何が起きたのか、理解できない。
急激に意識が揺らいで、目の前の夏油くんが霞んで見えた。

「げ…と…く…ん」

一気に力が抜けて、崩れ落ちる私の体を、夏油くんが抱き留めた。

「ごめんね。だけ特別扱いは出来ないから…仕方ないんだ」

彼はそう言うと、私が好きだった優しい笑みを零し、そっと唇に口付ける。
いつものように、優しく、甘い口付け。
その唇の熱さも、体を抱く強い腕も、何も、変わらないのに。
するりと入って来た舌先が口内で動くたび、血の味が広がって行った。

「……っ」

ゆっくりと唇を解放された時、こみ上げる吐き気を押さえられず、口内に溢れた血を吐き出した。
不思議と痛みはなかった。
ただ熱いものが体外へ流れていく感覚で、指一つ動かせない。

「…が大切だった。それも本当。でも私にはやるべき事が出来たんだ……そこに君は連れていけない」
「……な…に言っ…」

浅く呼吸を繰り返す私の口元に、彼はそっと口付けると、自分の唇に付いた私の血をペロリと舐めながら、微笑んだ。

「だったら…君を誰にも奪われないよう、こうするしか方法がないだろ?」

そこで初めて、悲しそうに瞳を揺らした。
少しずつ、ぼやけていく視界で、彼のその顔を見ながら、これは悪い夢なんだと思った。
目を開けたら、すぐに覚める夢ならいい。

これが、逆夢だったら、いいのに――――。

でもね、ほんとは分かってたの。
夏油くんの心の中に出来た大きな孔を、私は埋めてあげられないことを。
何かに傷つき、誰かの悪意が彼の心を蝕んでいくのを感じながら、私は、何も出来なかった。
あなたも、私を必要としていなかった。

だから、もういい。

あなたが望むなら、二度とバカな夢を見ないよう、私を、呪って――――。