【第十六話】 正しくなどなくても―前編
朝、に会いに行くと、長かった髪がボブになっていて、死ぬほど、死ぬほど、死ぬほど、驚いた―――。
「ど…どうしたの?それ…」
「あ…自分で切っちゃって…。少し切りそろえてみたんだけど、やっぱり美容室に行かないとダメっぽいし、硝子ちゃん明日にでも付き合ってくれる?」
「そ…それはいいけど……そんな短くしなくても…」
「え、似合わない?!」
「ま、まさか!凄ー--く可愛い!似合ってるよ、もちろん!」
「…良かったぁ」
私の一言で、は本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
夕べ、あんなに憔悴しきっていたが、前のような明るい表情に戻ってる。
(たった一晩で、いったい何が、あった―――?)
それに朝食を作ったのか、居間にあるコタツテーブル(五条の部屋から運んだ)の上には、サラダやお味噌汁、焼き魚に卵焼き等が綺麗に並べてある。
五条が料理なんて出来るわけないし、これはが作ったんだろう。
でも昨日までは日常の事すら出来ないくらいだったのに。
「あ、硝子ちゃん、朝ご飯まだでしょ?食べて食べて」
「う、うん…。あ、は?」
「私はいきなり普通の食事は胃に負担かかるからお粥を作って先に食べたの」
「え…食べられたの?」
「うん」
は嬉しそうに微笑むと、不意に私を見て、目を伏せた。
「ごめんね、硝子ちゃん…。今まで心配かけて…」
「そ、そんな事はいいよ!全然…が…が元気になってくれたら…っ」
言いながら、喉の奥が痛くなった。
久しぶりに元気なに会えた気がして、泣きそうになる。
でもここで泣いたらが気にしてしまう、と、思い、涙をグッと堪えて、笑顔を見せた。
「あ、じゃあ…ご飯頂こうかな」
「うん。何か冷蔵庫見たら食材いっぱいあって驚いちゃった」
「あ、この前一葉さんが買ってきてたよ」
「あ、お母さん買ってきてくれたんだ。あと五条くんのオヤツが一段占領してて笑っちゃったよ」
は楽しげに笑いながらご飯をよそってくれる。
それには胸の奥がジーンとして暖かくなった。
(が明るい笑顔で私にご飯を……)(感涙中)
昨日の様子を見て凄く心配だっただけに、この何とも言えない幸福感は夢なんじゃないか、とすら思う。
だけど―――やっぱり一晩でこうも元気になるなんて少しおかしい気もする。
の顔を見れば私に気を遣って無理に明るくふるまってる、という感じにも見えない。
昨日までは心身ともに辛そうで、そんな無理すら出来ないと言った様子だった。
に、何があったんだろう?
(聞いていいのかな…。いや、でもそういうこと意識させない方がいいのかな…)
パクパクとの手料理を食べつつ、一人悶々とする。
が、そこで五条の事が気になった。
いつもならより先に起きて来てたはずのアイツが、未だ顔を見せない。
任務があるなら出かける際に、「任務で出るからの傍にいて」と、私にメールの一つも寄こすのに、今朝はそれがなかった。
という事は、今日は任務もなく、部屋にいるはず。
まだ寝てる、という事もあるが、五条に限ってそれも少し意外な気がして、そこだけ聞いてみる事にした。
「ねえ、。五条は?」
「え?あ…まだ…寝てると思う…。凄く疲れてたみたいだし…」
「え、まだ寝てんの?いつもはの診察あるから七時には起きて来てたのに、もう八時過ぎじゃん。そんなに疲れてんのかな」
「そう、みたい。それに診察なら私だけでも行けるし…」
「え、ダメだよ。ここから高専までは微妙に距離あるし、が一人で外を歩くのは心配だよ」
「大丈夫。まだ体力ないから動くと少し疲れるけど、今から一人でも歩けるようにしないと間に合わないし…」
「え…間に合わないって…?」
その言葉にドキっとして尋ねると、は笑顔で「ショーやっぱり出ようかと思って」と言った。
それには私も本気でビックリした。
「えっ?出るの?」
衰弱してるを見て、二か月後のショーには絶対間に合わないだろう、と私も諦めていたからだ。
でもは、「うん…諦めたくないかなって…」と呟いた。
はお茶を淹れながら、呆気に取られている私を真剣な顔で見つめると、
「硝子ちゃん…。私、こんなことで負けたくない…」
「…え?」
「本音を言えばね、まだ夏油くんのこと思い出すと辛い。でも…今は少し冷静になれて考えてみたの。もしかしたら……夏油くんも色んな事が重なって辛かったのかなって…」
「だ、だからって、あんな事―――」
「うん…。もちろん許せない。榊さんの事まで手にかけた彼の事は絶対許さない。けど……優しかったから。出会った頃の…彼の事まで否定したくない。あの頃の夏油くんも…間違いなく本当の夏油くんだから」
「……」
堪え切れず、今度こそ、涙が零れた。
は、本当にいい子だ。
だからこそ、私は夏油を許せない。許しちゃいけない。
だけどね、。私も同じなんだ。
あんな事をしでかす前の、アイツのことまでは、どうしても憎み切れなくて。
だから、の気持ちが、凄く嬉しかった。
は…夏油の事を口にしても、もう吐く事はなかった。
「硝子ちゃん…泣かないで」
「うん…ごめん…」
「今日まで……傍にいてくれて、ありがとう」
そう言って微笑むは本当に綺麗で可愛くて、私は本能のままに思い切り彼女に抱き着いた。(!)
「!大好き!」
「私も大好きだよ、硝子ちゃん」
そう言いながら私の背中をポンポンと叩いてくれる。
昨日まで、それは私の役目だったのに、今はにされてるなんて、おかしな話だけど、でも凄く癒される。
「あ、私、マリンをお風呂に入れて来るから、硝子ちゃんは食べててね」
「え、お風呂?」
「うん。二か月に一度はマリンをお風呂に入れてあげてたんだけど、最近は入れてあげてなかったの思い出して。私以外だと暴れちゃうから他の人にも頼めないし」
は寄ってきたマリンを抱き上げると、ゆっくりと立ち上がる。
が、その時、が下腹部を押さえて顔をしかめたのを見て、具合が悪いのかと心配になった。
「どうしたの?お腹、痛い?」
「えっ?あ…ううん、大丈夫」
は何故かドキっとしたように首を振ると、笑顔で否定する。
何となく気になって、
「ほんとに?具合悪いなら―――」
「ほ、ほんと大丈夫!あ、き、きっとアレが近いのかも…。もうすぐ予定日だし」
「そう?なら…いいけど。じゃあ、お腹、温かくしないとね」
「うん。外に行く時、ちゃんと厚着する」
はそう言いながらマリンを抱いて、そそくさと風呂場の方へ歩いて行った。
その後ろ姿を見ながら、本当に元気になったんだ、とホっとはしたが、でも何だかやっぱり腑に落ちない。
累子さんの話では、完治するのにかなり時間が必要、との事だった。
私も、昨日のの様子を見て、同じことを思っていた。
なのに一晩明けたら、前のような明るいに戻っている。
は優しいから、私達に心配かけまいと、やっぱり無理をして明るくしてるって事も考えられるけど……。
そう思いながら五条の部屋へ視線を向ける。
夕べ、あの後、何かあったんだろうか、と気になった。
私が帰った後、五条はすぐ戻って来たはずだ。
(ちょっと聞いてみるか…)
そう思いながらご飯を食べ終えると、食器だけ下げて、すぐに五条の部屋へ向かう。
「五条…起きてる?―――入るよ?」
一応、声をかけ、襖を開けると、の言う通り、五条はベッドで爆睡していた。
「………マジ?」
うつぶせになり、死んだように寝ている姿に、珍しい事があるものだ、とふと思う。
五条がこんな無防備で寝てる姿は殆ど見た事がない。
夏油がいた頃、三人でお鍋をした時、私のビールを一口間違えて飲んでしまって、たったそれだけで酔っ払い、あげく寝落ちしたのを見た事があるくらいだ。
普段は高専内の寮の部屋でさえ、ノック一つですぐ起きるし、勝手に部屋へ入ろうものなら、気配で起きる。
常に気を張っているのは、きっと高専以外の場所でも油断しないように、と日頃から意識してるせいだ。
だからハッキリ言って、こんな風に爆睡かましてる五条はとても、レアだ。
「声かけたのにマジで起きない。どうしたの、コイツ」
カーテンの閉め切った薄暗い部屋に足を踏み入れ、寝息すら立てずに寝ている五条を見ていたら、ふと心配になった。
「……生きてる、よね?」
そっと近づき、五条の顔の近くで耳をすませてみると、今度はかすかに寝息が聞こえてホっと息を吐く。
そして室内をぐるりと見渡した。
今でこそ、ベッド以外、箪笥くらいしかないが、八畳ほどの広さがあるこの部屋は、樹さんが住んでた時、襖を取っ払って居間と繋げて使ってたスペースらしい。
今回、五条がの護衛として住み込む事になった際、取り外してあった襖を戻して使っている。
それでも結構な広さがあり、歴史のありそうな箪笥などには、五条の着替えなどが入れてあった。
なのに―――。
「何…この脱ぎ散らかしようは……」
薄暗いから最初は気づかなかったが、よく見れば足元に脱ぎ捨てられた制服が散らばっている。
そもそも、これも珍しい。
五条はこう見えて意外と綺麗好きだし、こんな風に脱いだものを放ったまま爆睡をかますなんて考えられない。
酔っ払いならありそうだが、五条は下戸だ。
私と違い、酒は一滴も飲めない。(※その前に未成年)
「そんなに夕べの任務、大変だったのかな…」
と、首を傾げたが、今の五条なら例え特級呪霊相手でも、脱いだ服をそのままにし、爆睡かますほど疲れるような事は、まずないはずだ。
じゃあ何があってこんなレアな姿を晒してるのか、と首を捻る。
色々と腑に落ちないことだらけだが、仕方ない、と散らばった服を一つ一つ拾っていく。
「何で私が…」
とボヤきつつ、制服の上着、靴下(右)、ズボン、キャミソール、インナーシャツ、パンティー、靴下(左)……
「……………」
(―――いや、ちょっと待て!!今、明らかにおかしい物が混ざってたぞ?!)
そこに気づき、私は今、自分が手にした服たちを恐る恐る、見下ろした。
「こ…これ…っ」
その拾い上げた服の中には、明らかに女性物の下着があり、しかも恐ろしい事に、私はこれに見覚えがある。
夕べ、がお風呂に入った際、着替えとして、間違いなく私が用意したものだからだ。
「え、嘘でしょ?」
人は信じられないものを見ると、逆に冷静になる事がある、というのを、私はこの時、知った。
ゆっくりと振り向き、未だに爆睡をかましてる五条を冷めた目で見下ろす。
(まさかコイツ、の下着を盗んで…)
(いやいやいや!仮に下着を見つけた五条が欲に目がくらんで風呂場からこれを盗んだとしても(!)その後、お風呂から出たが下着のない事に絶対気づく。だから、それはない)
(え、じゃあが五条の部屋で下着を脱いで、着替え……るはずもないっての!!)
(じゃあ…やっぱり…真実(答)は一つ!!しかない!)
「こん、の…エロ条がぁぁ!」
ここまで冷静が保ててた事が不思議なくらい、頭に血が上った私は。
寝ている五条めがけて夜蛾先生から教わった"フライングボディアタック"を決めた。(※プロレス技)
「…ぐぁっ!」
背中に私の全体重を受けた――しかもジャンプした事で更に"重"がかかった――五条は、聞いたこともないような声を上げて飛び起きた。(※敵から攻撃を受けた事がない為、本気の悲鳴もある意味レア)
「……ぃってぇ……何する…って、硝子…?!」
強烈な目覚めを迎えた五条は、背中をさすりながら体を起こし――チッ。鍛えてるだけに丈夫だ――ベッドから飛び降りた私を驚いたように見上げた。
が、体を起こしたことで布団がずり落ち、私の視界に見たくもない五条の××が入った事で、更に怒りが沸く。
その怒りのままに思い切り拳を振り上げ、五条の頭部へ一発喰らわした。
「何で素っ裸なんだよ、オマエわッ!」
「…痛ったっ。何で殴んだよっ?自分の部屋でどんな格好しようと自由だろーがっ」
「今はも住んでるんだから気を遣え!」
「はこんな風に勝手に入ってこねーよっ」
「ふー-ん。じゃあ、コレは何?!」
「あ゛ぁ゛っ?」
キレ気味の五条の目の前に、のキャミソールを突き出す。
瞬間、五条の口元が僅かに引きつったのを、私は見逃さなかった。
「これ、のよね?何でアンタのベッドの下に落ちてるわけ?他の女の物、なんて言い訳しても、これは夕べ私が脱衣所に置いたものだから嘘言っても無駄よ?」
「……い、いや…嘘、つく気はない、かな。ちゃんと話そうと思ってたし…」
「はあ?!じゃあ、説明しなさいよ!アンタ、マジで弱ってる言いくるめて洗脳してヤったんじゃ―――んぐっ」
「声がでかい!」
五条は慌てたように私の口を手で塞いだ。
確かにに聞かれて彼女が気にしても困る、と私もすぐに冷静になると、その手を外し、「分かったわよっ」と言うと、すぐに開けっ放しだった襖も閉めた。
風呂場の方からはシャワーの音がするので、多分にも聞こえてないはずだ。
そこで多少ホっとはしつつ、再びベッドの方へ振り返ると、五条は心配そうに襖の方へ視線を向けた。
「…は?」
「……今、マリンをお風呂で洗ってる」
「え…大丈夫か?一人にして…」
五条は驚いたような顔をした。
その表情を見る限り、が元気になった事はまだ知らないようだ。
「何があったか知らないけど…昨日のとはまるで別人。っていうか…前のに戻ってるように見える。それくらい元気だった」
「元気…?……そっか」
五条はしばし放心していたが、そう呟くとホっとしたように息を吐いた。
そして、「向こう向いてろ」と言いながら、下着だけ身に着けている。
コイツや夏油の素っ裸なんて前にも何度か見た事があるから、言うほど私は気にならない。
元々、女がいようと目の前で平気で着替えるようなデリカシーのない奴らなのだ。
「で?何があったのよ。ちゃんと私が納得いくように説明しなさいよ。答え次第じゃ―――」
バキバキっと指を鳴らすと、五条はベッドに腰をかけ、盛大に溜息をついた。
「…硝子の考えてるような事じゃないよ」
「じゃあ、何?!何があったら一晩でこんな状態になってるのよっ」
「声がでかいって」
五条は呆れたように私を見上げると、
「に会ったなら…見ただろ。髪」
「…短くなってたけど」
「昨日、僕が帰ってきたら、自分の髪を泣きながら切ってた…」
「……え?」
「またフラッシュバックが起きたのかもしれない。だからすぐに止めさせた。で、半狂乱で全部忘れたいって泣き叫ぶに訊いたんだ。僕に、どうして欲しいって…」
五条はそう言うと、深い溜息をついた。
「は……抱いて欲しい…って言った。私を、助けてって……」
「………っ」
(あのが…?!それも助けてって……)
そんな事を言ってしまうほど…どんなに苦しかったんだろう、と、思うと泣きそうになった。
「だから、の望む事をしただけ」
「だ…だからって普通はしないでしょっ?」
「普通、ね。けどは普通の状態じゃなかったし、あのままだと本当に自ら命を絶ってもおかしくなかった。だから…忘れさせてやりたいって本気でそう思った」
「そ、それは分かるけど…でも!は初めてだったはずだし―――」
「それは…僕も驚いたけど」
五条はそう言って目を伏せた。
「途中で気づいて、一度はやめようとした。初めてなのに、あんな治療の一環みたいな行為で僕に抱かれるなんてダメだって思ったから。でもは…やめないでって哀願してきた。
ほんとに僕でいいのか訊いたら、僕がいいって言ってくれた時は…正直、参った」
そこまで言われて拒否出来ると思う?と、五条は苦笑を零した。
確かに、の望む事をしてあげたい五条にしてみれば、苦しんでる彼女の頼みを冷たく突き放すなんて事は出来ないだろうな、と思った。
救いを求められ、その手を振り払うなんて、私でも出来ない。
まあ、五条にしてみれば嬉しくもあり、悲しくもありってとこだろうけど。
「…事情は…分かった。でも、これからどうする気?」
「これから…?」
「あ、っていうか、その前にに…気持ちは伝えたの?」
私の問いに、五条は一瞬、言葉を詰まらせると、小さく首を振った。
「いや…」
「何でよ?いい機会だったんじゃないの?」
「……はそんなつもりで、あんな事を言ってきたわけじゃない。それにこんな状態で告白したところで、にまた余計な負担をかけるだけだよ」
「そ、そうかもしれないけど…!でも、じゃあ…どうするのよ、ほんとに。そんな関係になっちゃって……」
「関係も何も、夕べの事はある意味、ショック療法みたいなもんだし。だから今まで通りだよ」
「い、今まで通りって…は?何て言ってたの?」
「別に、何も」
「はあぁ?何もって…何で大事なこと話してないのよ!」
あまりにテキトーで腹が立ってきた私は、思い切りドンと足を踏み鳴らした。
なのに五条は、「しっ!静かにしろ」と顔をしかめると、
「そんなこと話す余裕なかったし…気づけば寝ちゃってたから。オマエに潰されて起きるまでは、僕も珍しく疲れて寝ちゃってたしな」
言いながら小さく欠伸を噛み殺す五条に、何故かイラっとした。
「話す余裕もなく、疲れて寝た、ねえ……。あんな爆睡するほど、何がそんなに疲れたのかしら」
「……は?それ、言わせたいの?」
「いーや!むしろ聞きたくない!そもそもの初体験の相手が、ご、ご、ごご五条だなんて信じたくもない!!」(!)
「バカ、声がデカいって!それに初体験って言っても治療みたいなもんだろ、にとったら」
「にとったらそうでも、アンタは違うでしょーがっ」
「だから?」
「だ、だから……さっき今まで通りの関係に戻るって言ってたけど…出来るわけ?今はひとつ屋根の下で暮らして、ずっと一緒にいるのに」
現実を突きつけるように言えば、五条は小さく息を吐いて、真っすぐに私を見つめた。
「出来る」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「あんなに可愛いが傍にいて……アンタほんとに理性保てるわけ?」
「……保てる」
「何よ、その間は」
「保てるって。うるさい奴だな…」
心底ウザいと言いたげに顔をしかめる五条に、私はもう一度、念押しで、
「じゃあ……またが可愛く、"五条くん、抱いて"って言って来たら?」
「……………そ、れは……」
「あー!ほうら!今、迷ったじゃない!」
「………ウザッ」
五条は更に顔をしかめると、徐に立ち上がって、私の額を指でデコピンしてきた。
「痛っ」
「はもう僕にそんな事は言わない。元々凄く照れ屋なんだし普段の彼女に戻ったなら平気だよ。現に少しは元気になってたんだろ?」
「…まあ、そうだけど」
「なら記憶の上書きってやつが意外と上手くいったって事だから、後は累子さんのカウンセリング続けて行けば、自然に傑の事も過去として受け止められるようになるだろ」
「…五条は…それでいいの?」
「もちろん」
アッサリ言って、部屋を出て行こうとする五条の背中を見ていたら、少しだけ意地悪な質問をしたくなった。
「忘れられるの?一度、抱いたら……もっと好きになったんじゃないの」
五条は少しの間、黙っていたが、不意に意味深な笑みを浮かべて振り向いた。
「一度じゃないけど、ね」
「………は?」
「二回…いや、三回?くらいは襲っちゃったかも――――」
指で数えだした五条を見て、再び頭に血が上った。
「このエロ五条がぁっ!!」
ドカッっとケツを蹴とばせば、五条は「痛ってぇな!」と声を上げた。
「いちいち蹴るなよ…」
「黙れ!やっぱりそうよ!が弱ってるのをいい事に、ここぞとばかりに、そんないっぱい襲うなんて最っ低!は初めてだったのに―――」
「だからだよ」
「……はぁっ?」
溜息交じりで私を見下ろす五条を、私は思い切り睨みつけた。
「だから…って何よ?」
「初めてだからこそ、セックスは痛いものじゃなく気持ちのいいものだって教えたかったの。大事なことだろ?」
「き、きき気持ちいいって、アンタ、うぶなに何してくれてんのよ…ッ」
「硝子が赤くなっても気持ち悪いだけだから」
「うううるさいっ」
苦笑いを浮かべながら見下ろしてくる五条にイラっとして、スネを蹴ろうとした。
が、ちゃっかり術式を発動させていて、すんでのところで足が止まる。
五条も一応、学習したようだ。
「っぶねー」
「ずるいっ。術式使うなんて」
「オマエがいちいち暴力に訴えてくるのが悪い」
「アンタがイラッとさせるからでしょ?そもそもの為みたいに言っちゃって、自分が単にしたかっただけでしょーがっ」
「まあ、それも否定は、しないけど」
ニヤリと笑う五条を見て、本気でぶん殴りたくなった。
「ほんっと男ってサイテー!」
「あのな…の為って方が大きいのはホントだって。ああいうことは感じた方がより強い記憶として残るもんだし」
「かっ感じるとか言うな!」
「じゃあ何て言やいいの?エクスタシー?オーガズム?」
「黙れ、このエロ男ッ」
「エロ男って…まあ、が元気になってくれるなら何を言われても気にしないけど。彼女の体調の方が大事だしね」
五条は意外にも真顔でそんな事を言うと、
「というわけで。硝子もこれまで通りに接して。から聞くまでは知らないふりしててくれると助かる」
「それは…いいけど、さ。まあ、も元気になってきてるのは事実だし…」
「僕もここまで上手くいくとは思ってなかったけど…少しでもの心が楽になったなら良かった、かな」
五条はそんな事を言って苦笑すると、
「じゃあ、僕は風呂に入るんで」
「え?ちょ…アンタ、その恰好で―――」
部屋を出て、パンツ一丁でスタスタと風呂場へ歩いていく五条に声をかけた瞬間―――。
「きゃぁぁっ!」
と、いうの叫び声が聞こえて、慌てて部屋を飛び出せば。
「五条くん!何か着てから出て来てよ!」
と怒鳴り、は真っ赤な顔で逃げるように自分の部屋へ入ってしまった。
五条の足元には主に体を拭かれそこねたマリンが、プルプルしながら濡れた毛の水気を飛ばしている。
マリンに使うはずだったバスタオルは五条の頭にかぶされた状態で――多分ぶつけられた――私は唖然とした顔で立ち尽くす五条を見ると、
「五条……」
「……あ?」
「ほんとに、アンタ達ってエッチしたの?」
「…………」
と、素朴な疑問をぶつければ、五条は頭からバスタオルを取りながら小さく吹き出した。
「…ほんと…って可愛くて困る…。追いかけてって抱きしめたい」
「ぬけぬけと……。そんなの当然でしょ!つーか、抱きしめるな。理性保てるんでしょっ?」
「はいはい」
手をプラプラ振りつつ、五条は楽しげに笑いながら、風呂場へと入って行った。
「ったく……はあ…異様に疲れた……」
朝から心臓に悪い出来事が立て続けに起きた気がして、思い切り息を吐き出す、
とは言え、が元気になってくれて嬉しい気持ちに変わりはない。
そう、元気になった、という事だけは。
(その手助けをしたのが五条、しかもの大切なヴァージンを奪ったって事だけはマジで許せないけどっっっ)(!)
そうか、だからさっきはお腹を痛そうに押さえてたんだ。
初体験後の痛みが残ってるんだろう。
そう思うだけで五条への怒りと嫉妬(!)で、拳がプルプル震えて来る。
「アイツ…理性保てるなんて言ってたけど、私は信用しないんだからっ。男なんて下半身でものを考えるって言うし…」
しばし考えこみ、ふと良い事を思いついた私は、部屋にいるに「ちょっと高専に行って来るね」と声をかけ、急いで離れを飛び出した。