【第十七話】 一輪の勇気―後編




五条くんは黙って私を見ていたが、ふと口元を緩ませ、小さく息を吐いた。

「気を…遣ってるとかじゃないよ」
「…ほんとに?」
「僕がそうしたいからしてるだけ。でも…が昔の軽薄で意地悪な僕をお望みなら元に戻ってもいいけど……」
「え、そういう意味じゃ―――」

と、言った瞬間、五条くんは私の顎を指で持ち上げた。
少し空気が変わった気がして無意識に後ずさった時、狭い路地のせいで、すぐに背中が塀にぶつかる。
その塀に五条くんが、もう片方の手を置くのを見て、小さく鼓動が跳ねた。

「でも、もう、昔とは違うから」
「…え?」

その時、顏に影がかかり、僅かに視線を上げると、五条くんはゆっくりと身を屈めて――――。

「邪魔。通り道でイチャイチャしないでくれる?」
「「――――ッ」」

いきなりひんやりとした声が下から聞こえて、心臓が飛び出すかと思うくらい驚いた。
五条くんが慌てたように素早く離れ、私も視線を下げてみると、ランドセルを背負った目付きの悪い男の子が、こちらを見上げている。

「俺がいなくなってから続き、やって」
「………(つ、続きって…何が?!)」

目の前をスタスタ通り過ぎていく男の子の言葉に、顏が真っ赤になった。
そして、何故か顔をしかめてその男の子を見ている五条くんを、そっと見上げる。

(続き…って…い、今の何?!五条くん、今……キス、しようとした―――?)

一気に心臓がドキドキしてきて耳まで熱くなる。

(ま、まさか…ね。あ…でも軽薄な自分に戻って欲しいなら、とか言ってたし、もしかしたら軽いノリでふざけただけかな…)

私が脳内で軽くパニくっている間に、五条くんはサッサと歩いて行く男の子の後を追いかけて、「待ってよ」と声をかけている。
それに気づき、私も慌てて後を追いかけると、男の子はあるアパートの前で足を止め、振り向いた。

「伏黒…恵くん、だよね?」

五条くんに追いついた私は、その名を聞いて驚いた。
先ほど、会いに来た、と言ってた少年の名だ。
まさか、この子が?と思って見下ろすと、少年は怪訝そうな顔で首を傾げた。

「アンタ、誰?っていうか……何、その顔」

伏黒くんのその言葉に、私もふと五条くんを見上げると、彼は何とも言えない表情で、大口を開けたまま少年を見ろしていた。(!)

「いや、ソックリだな、と」
「……?」

伏黒くんは訝しげに眉を寄せると、五条くんは頭をかきつつ、

「ちょっと、君に話、あんだよね」
「話…?」
「そ。君のお父さんの、ね」

ポケットに手を突っ込み、五条くんはニヤリと笑う。
お父さん、と聞いて、多少は気になったのか、伏黒くんは無表情のまま、五条くんを見上げた。

「君のお父さんさ。禪院っていう、いいとこの呪術師の家系なんだけど、僕が引くレベルのろくでなしで、お家出てって君を作ったってわけ」
「ちょ、ちょっと五条くん!そんな言い方―――」

伏黒くんの父親の事は知らないが、子供に対してあまりにドストレートな言い方に、私は五条くんの腕を引っ張った。
でも五条くんは気にする様子もなく、「だって本当の事だし教えとかないと」と言うと、再び伏黒くんに語りだした。

「君、見える側で持ってる側でしょ?自分の術式ちからにも気づいてるんじゃない?」

ちから、と聞いてドキっとした。
こんな小さな少年にも術式、というものがあるという事だろうか。

「禪院家は術式さいのう大好き。術式を自覚するのがだいたい4~6歳。売買のタイミングとしてはベターだよね」

売買、と聞いて、私はギョっとした。
詳しい話は分からないが、内容から察するに、この少年に関する事だと言うのは分かる。
伏黒くんの、ろくでなしだという父親は禪院家という家を出て外でこの子を作り、その血を受けついでるであろう彼を今度は自分の家に売る、という事なのか。
それが本当の事なら、確かにこの子の父親はろくでなしだ。
呪術界の事は未だによく分からない。
けど、こんな小さな子供を売買する集団なのか、と思うと、少なからずショックを受けた。
呪術師でもない部外者の私には、口を出す権利さえない。だけど―――。

「五条くん…何をしようとしてるのかは分からないし私には関係ないかもしれないけど…。せめてもっと優しく話してあげて。普段…私に話すみたいに」
「…………」
「じゃ…私、車に戻ってるね」

これ以上、聞くに堪えない気分になり、私はそう告げると、返事も待たず元来た道を歩いて行く。
五条くんは私の気持ちを察したのか、何も言わなかった。
でも、先ほどの細い路地に入ったところで、伏黒くんが、

「あの人、アンタの彼女でしょ。追いかけなくていいの?」

と訊いている声が聞こえて、ふと足を止める。
振り向いても、アパート前にいる二人の姿は見えないし、向こうからもこちらは見えてない。
すると、不意に五条くんの苦笑いする声が聞こえてきた。

「いや…あの子は―――親友の彼女」

ドクン、と心臓が音を立てた。
再び歩き出し、足早に車へ戻ると、七海くんが驚いたように車から降りて来た。

「どうしました?五条さんは…」
「…男の子と話してる」
「男の子…?」
「伏黒…恵くんって子」

それだけ言って車に乗ると、七海くんはそれ以上、訊いて来る事はなかった。
硝子ちゃんはシートに凭れて眠っているようだ。
朝は少し二日酔い気味だったから疲れたのかもしれない。
私もシートに凭れて、ゆっくりと目を瞑った。

"あの子は―――親友の彼女"

先ほどの五条くんの言葉が、ぐるぐる頭の中を回っていた。
未だに、五条くんの中で、私は夏油くんの彼女なんだ、と思うと、苦笑するのと同時に、胸の奥がじりじり焼けつくような痛みが走る。
夏油くんとの絆なんて、殺されかかったあの夜に、儚く消えてしまったというのに。
ふとケータイを取り出し、アドレスを開くと、"夏油傑"という名前が表示される。
未だに彼の番号は消せていない。
何度もやり取りしていたメールも、全て残ったままだ。
幸せだった頃の二人が、今もそこにある。
あの日から、怖くて目を通すことは出来ないけど、どうしても削除できないでいた。

最後にやり取りしたのは、あの夜の二日前。
そこで履歴が終わっているのを見ていると、不意に涙が溢れて来た。
何の予告もなく、大好きだった人との関係を断ち切られたのだ。
普通の別れだったなら、こんな痛みは残らなかったんだろうか。
どこにでもある、恋人同士のありふれた別れだったなら、もっと、楽に忘れられたんだろうか。
そして、いつか時間が解決してくれたら、私はまた違う人を好きになれたんだろうか、とふと思う。
こんな憎しみを残さず、過去の人として忘れられたなら、どんなに良かったんだろう。
想いは消えても、この痛いくらいの憎しみが、いつか、呪いになるなら、あの時、死んでしまいたかった。
ふと、そんなバカな事を考えた。

でも今の私には、傍に心配してくれる人達がいる。
今の私がすべきこと、それはこれ以上、皆に心配かけないようにすること。
だから―――。

「……夏油くんの彼女、なんて言わないでよ…」

小さな呟きは、かすかに震えて喉の奥へと、消えた―――。








「親友の、彼女?」

目の前のガキんちょは訝しげな顔で、僕を見上げた。

「アンタ、親友の彼女にキスしようとしてたの?」
「…………(見てたのかよ)」

ジトッとした目で睨んで来る伏黒少年に、僕の笑顔も引きつった。
まあ、見られたかな、とは思っていたけど。

「あれはそういう行為じゃなくてね、彼女が目にゴミが入ったって言うから見てあげてただけだよ」(!)

嘘くさい笑顔でありふれた言い訳をすれば、伏黒少年は呆れたような目を僕に向けた。

「ふーん。じゃあ、そういう事にしておいてあげるよ」
「………(クソ生意気)」(怒)

更に口元が引きつったが、今は大事な話がある、と何とか怒りを抑えて、伏黒少年の目線までしゃがんだ。

「で、話の続きだけど。恵くんはさ、君のお父さんが禪院家に対してとっておいた最高のカードだったんだよ」
「………」
「ムカつくでしょ?で、そのお父さんなんだけど、僕がこ――――」
「別に。アイツがどこで何してようと興味ない」
「…………」
「何年も会ってないから顔も覚えてない。今のでだいたい話は分かった。津美紀の母親も少し前から帰ってない。もう俺達は用済みで、二人でよろしくやってるって事だろ?」
「………君、本当に小1?」

あまりに全てを悟った大人のような事を言う伏黒少年に、僕も苦笑するしかない。
だけど、目的は果たせそうだ、と思った。

「ま、いいや。お父さんの事、知りたくなったら、いつでも聞いて。そこそこ面白いと思うよ。そんじゃ本題」

そう言って立ち上がると、伏黒少年を見下ろした。

「君はどうしたい?禪院家、行きたい?」
「津美紀はどうなる?そこに行けば津美紀は幸せになれるのか?それ次第だ」
「ない。100パーない。それは断言できる」
「……ッ」

伏黒少年はそこで初めて感情を見せた。
義姉の事を一番に考え、守ろうとしてる、そんな顔だ。

「クックッ…。オッケー。後は任せなさい」

少しは骨のある性格のようだ。
小さな頭をぐりぐりっと撫でると、伏黒少年は夜蛾先生の作る呪骸みたいな顔をした。(ウケる)

「でも恵くんには多少無理してもらうかも。頑張ってね」
「………」
「強くなってよ。僕に、置いていかれないくらい」

そう告げて、僕は歩き出した。
傑と、永遠の別れになったあの日。
心に誓った、ある夢想の為に、僕は一つ、歩を進めた。
この先、何年かかったとしても、形にするまで歩みを止めるつもりは、ない。

「まずは…禪院家をどうにかしないとね」

独り言ちながら、細い路地を歩いていく。
が、ふとそこで先ほどの愚かな行為を思い出し、足を止めた。

"アンタ、親友の彼女にキスしようとしてたの?"

伏黒少年に言われた事を思い出し、失笑が漏れる。
あんな子供に「アンタの彼女でしょ?」と言われたくらいで、答えに困ってバカな事を口にしてしまった。
いつものようにテキトーに応えておけば良かったんだ。
そもそも、があんな事を言って来るから少し、動揺してたのかもしれない。

"もしあの夜のことで…気を遣ってるならいいんだよ?もう、充分助けてもらったから…"

だから、もう僕の助けはいらない、と言われた気がした。
そんな事くらいでイラついて、あんな愚かな事をしそうになって。
出会った頃のまま、の事になると、僕はまだまだ余裕のないガキみたいだ、と苦笑する。
だって、そんなつもりで言ったんじゃない、と冷静になれば分かるのに。
優しくすることでが気兼ねするなら、多少控えた方がいいのか?とも思うが、別に僕も意識してそうしてるわけじゃない。
したくて自然にしてる事を、意識してやめる、というのもおかしな話だ。

「はあ…難しいんだな。好きな女を大切にするってのは」

「―――五条さん!サッサと帰りますよ!」

溜息交じりで項垂れた時、不機嫌そうな七海の声が飛んできた。









控室の中も外も、慌ただしくたくさんの人達が走り回っていた。
衣装や小物類がスタッフの手で次々と運びこまれ、また忙しなく走っていく。
ドレスが届くと、スタッフが手際よくそれをモデルへ着せていき、着た後はヘアメイクの人達が休む間もなく手を動かして髪をセットしていく。
そんな光景を見ながら、私は最後の口紅を塗り終えて、ゆっくりと目を開けた。

「綺麗よ、

メイクの早紀さんが微笑むのを鏡越しで見て、「ありがとう」と笑顔になる。
軽く深呼吸しながら、最終チェックを終わらせると、私はゆっくりと立ち上がった。

「他の皆も終わったみたいだね」

広い控室の中を見渡せば、他のモデル達もメイクを終えて、それぞれステージへと戻って行く。

「はぁー緊張する!最後のランウェイ」
「大丈夫。、ここまで頑張ったじゃない」
「……うん」

そう言ってもう一度、派手なメイクをした鏡の中の自分を見る。
最後のランウェイで着る、私の為にデザインしたという母のドレスは、深海のような深い蒼で、ブルーローズがちりばめられている。
襟足から装着した胸まで垂らした軽いウエーブのかかったエクステーションにも同じ薔薇が飾られ、とても鮮やかだ。
この二か月、必死に頑張って体力を戻し、平均体重へ戻し、以前のように歩けるようにした。
ここまで来れたのも、硝子ちゃんや五条くんが協力してくれたからだ。

「そう言えばのナイトくん、どこで見てるの?」

早紀さんがふと思い出したように訊いて来た。

「ナイトくんって…」
「だって常にの傍にいるじゃない?最初は出演モデルかと思って一葉さんに聞いたらボディーガードって言ってたわよ?」
「はあ、まあ…」

早紀さんは新たに参加した人だから、母が分かりやすく説明したようだ。

「まあ、前に危ない目に合ってるからボディーガードつけたくなるのも分かるけど、それにしてもイケメン過ぎなボディガードよね。かなり目立つし、彼ならモデル出来そうだから、一緒に出れば良かったのに」
「本人は出たがってましたけど、さすがにそれじゃ何かあった時に守れないって」

真面目な顔でそんな事を言っていた五条くんを思い出し、苦笑した。
二年前は散々出たいと騒いでいたのに、随分と変わったな、と思う。

"でも、もう、昔とは違うから"

二か月前、そんな事を言っていた五条くんを思い出す。
結局、あの時の真意は聞けないまま。
今ではホントにキスをしようとしてたのか、ただ、からかわれただけなのかも分からなくなった。
あの後も、五条くんは過保護のままだし、そう考えると、あの夜の事で変に気を遣ってる、というわけでもなさそうだ。

(昔とは違う。本当、そうだね…)

私も、今夜を最後に、ショーモデルを辞める決心をした。
やはり護衛されてる身ではコレクション等、人が多く集まるところでの仕事は難しいと判断したからだ。
それでも好きな仕事を止める勇気はなく、今後は最小限で動けるような仕事だけをしていく事にした。
将来的には母のようにデザインに携わる仕事をしてみたい、と今から勉強中だ。

「で、彼はどこで見てるの?」
「五条くんならステージ袖かな?控室はこんな状態だし邪魔するのも良くないって言ってたから」
「そう。そう言えば付き人だっていう女の子も、さっきステージ袖で大騒ぎして見てたわね」

付き人の女の子、とは硝子ちゃんの事だ。
硝子ちゃんは大好きなコレクションを目の前で見れる事に感激して、朝から凄いテンションだった事を思い出す。
そこへスタッフが呼びに来るのが見えて、軽く深呼吸をした。

「頑張って」
「はい」

早紀さんに見送られながら、私はステージに向かって歩き出した。
スタッフが行きかう中、ステージ近くに五条くんが立っているのが見える。
そして私を見ると、ふと、微笑んだ。

「綺麗じゃん」
「…ありがとう」
「ドレスが」
「…むっ」

ニヤリと笑ってそんな事を言う五条くんの背中を軽く殴れば、周りのスタッフからも笑いが起こる。

「仲いいねー」
「ナイトくんも一緒に歩いちゃえばいいのに!」
「いえ、また股関節痛めたくないんで」
「……股関節?」

真顔で応える五条くんに、スタッフたちはキョトンとした顔をしたが、私は思わず吹き出した。
はしゃぎながらウォーキングの練習をしていた、二年前のあの頃が、懐かしいとさえ思う。
こんな風に、夏油くんへの想いも、痛みも、時間が経てば、少しずつ消えていくんだろうか。
夕海を失った痛みが、少しずつ癒えていったように―――。

「笑う余裕あるなら大丈夫そうだな」

ニヤっと笑いながら五条くんが言った。

「……うん。ありがとう」

緊張をほぐしてくれた彼に感謝しながら、私はスタッフの合図と共に、ランウェイに向かって歩き出した。
ステージ袖で待っていた硝子ちゃんと軽くハイタッチをして、ライトの光の中を、音楽に合わせて自由に、堂々と歩いて行く。
途中でエスコート役のモデルと合流して、相手の手を握り、踊るように。
高いヒールに引っ掛けないよう、上手くドレスの裾を掴んで動きを魅せながら、くるりと回り、また歩いて行くと観客の前へ立った。
そこで軽くポージングをして、ドレスが良く見えるよう、パートナーの手に回してもらい、そのまま再び中央まで戻る。
これまで歩いた、どのランウェイよりも、それは長く感じるくらい、緊張した時間だった。
そこで両サイドから全てのモデルが登場し、最後に、デザイナーである母がステージ上に上がった。
すると、母は私の手を取り、一歩、前に出ると、深々と頭を下げた。
私の、最後のショーになるから、と気を遣ってくれたらしい。
その場面を撮ろうと、カメラのフラッシュが、あちこちでたかれるのを見て、私は軽く目を細めた。
一瞬、その光の中に、夏油くんの姿を見た気がして、小さく息を呑む。
けど、次の瞬間、その影をかき消すようにフラッシュがたかれ、思わず目を反らす。
もう一度、見た時には、拍手をする観客しか、見えなかった。
気のせいだ、と思った。

!カッコ良かったあぁぁぁ!」
「ありがとー硝子ちゃん!」

拍手の中、ステージを降りると、硝子ちゃんが泣きながら抱き着いて来た。
その勢いで、青いバラが一凛、足元へ落ちる。
それを五条くんが拾った。

「お疲れ、
「……ありがとう、五条くん」
「めちゃくちゃカッコよかった。凄く…綺麗だった」
「な…何?急に……」

いきなり褒められ、頬が赤くなる。
ショーの終わった後は気分も高揚していて、余計にドキドキしてしまう。
すると、五条くんは笑いながら手にした薔薇を、私の髪へさすと、

「僕は、のファンだから」

と、優しい顔で微笑む。
その言葉は、ストレートに心の奥深くまで入り込んだように、不意に胸が熱くなった。

「げー五条のくせに、キッザー!」
「五条のくせに、は余計だ、硝子」
「アンタは巨乳のアミちゃんでも追いかけてなさいよ。はあげなーい」
「はあ?オマエのもんじゃないだろ、は」

二人はそんな事を言い合いながら歩いて行く。
その後ろ姿を見ながら、零れ落ちそうな涙をそっと拭った。

?何してんの?」

ふと、五条くんが振り向き、手招きをする。
転ばないよう、ドレスの裾を持ち、二人に追いつくと、硝子ちゃんが、「今夜はのお疲れ様パーティしようよ」と言い出した。

「それはいいけど、オマエ、また飲む気だろ」
「当たり前じゃない。今夜はシャンパン買って帰ろ!五条のお金で」
「あ?自分の金で買えよ」
「だーってアンタ、何気に金持ちじゃん。ね、ドンペリロゼ買って!」
「だーから自分で買え。そもそも何で飲まない僕がそんなもん買わないといけないんでしょうか」(棒読み)
「何よ、五条のケチ!ケチな男はモテないんだからねっ」
「はあ?僕はモテるんで。そもそも硝子に金を使う必要性を感じない」
「何を~?」
「どうせ使うならに使うよ。―――あ、、何かリクエストある?」

二人の言い合いを笑いながら訊いていると、不意に五条くんが振り向いた。

「えっとね…じゃあ…ドンペリのロゼ」
「………」

笑いながらリクエストすると、五条くんは一瞬、目を細め、すぐに吹きだした。

「はいはい。仰せのままに」

苦笑しながら肩を竦める五条くんに、硝子ちゃんが「やったー!援護ありがと、」と大喜びしている。
そんな二人の背中を見ながら、さっき髪につけてもらった薔薇を手に取った。

"僕はのファンだから"

その言葉を思い出し、未だドキドキしている胸をぎゅっと抑える。
本当に、五条くんはズルい。
一歩、踏み出そうとする時、まるで、その手を引いてくれるように、私に、勇気をくれる。
大好きだったショーモデルを辞めて、次の目標に向かう私に、また、それをくれた。

「ありがとう…」

そう呟くと、私は手の中のブルーローズに、そっと口付けた。







大勢の人混みに紛れながら、会場を後にして、すぐに迎えの車へ乗り込んだ。

「本当に…このまま帰るんですか?夏油さま」

後から乗り込んで来た幼いお団子頭の少女、菜々子が私の顔を覗き込む。
その頭を撫でながら、微笑んだ。

「いいんだ。今夜は彼女のショーを観に来ただけだから」
「でも…こんなに人が大勢いるんだし、さらって連れて行く事も出来たんじゃ…」
「いや、彼女の傍には必ず悟がいる。今、事を起こすのは不利だからね。まずは同士と、呪霊、そして金を集める事を優先する」
「そんな事してたら何年かかるか分からないのに」

不満げに口を尖らせる菜々子の頭を、苦笑しながら優しく撫でる。
時間など、いくらかかろうと、必ずやり遂げなければならない。
そうでなければ、大切な仲間と、愛する人を、裏切った意味がない。

「いいんだよ。それに時間がかかればかかるほど、手に入れた時の喜びも増すというものさ」
「そんなものですか?」

それまで黙っていたもう一人の少女、美々子が呟く。

「モタモタしてたら…あの人、他の人のものになっちゃうんじゃないんですか?」
「そうだね。でもすでに私は憎まれてるだろうから…前ほど焦ってはいないよ。彼女の気持ちが私になくとも…やることは変わらない」
「そんなものですか」
「そんなものだよ」

大人ってよく分からない、と美々子は呟いた。
でもそれは、私も同じだ。
を殺し損ねた今、心を貰っていく事は出来ない。
このまま、彼女が他の誰かを愛する日を、恐れながら待つことしか。
それでも、彼女と一緒にいた頃、本音に気づくことを恐れていた自分よりは、とても気分が晴れやかだ。
心の奥に、たとえ未だ消えぬ、小さな迷いがあったとしても。

「菜々子、美々子。何か食べて帰ろうか」

私の言葉に、二人の少女は途端に嬉しそうな、子供らしい笑顔を見せる。
今はただ、新しくできた家族と共に、"その時"が来るのを静かに待とう。
先ほど見た、輝くような、の笑顔を思い出し、胸の痛みを誤魔化すよう、二人の少女を抱きしめた。


そろそろ五条編も終わりに近づいて来ましたー笑
五条先生、ヤンチャから現在の先生にシフトさせていくのは何気に難しいです笑
次は少し未来へ飛んだり、他のキャラが登場するような、0編に行くまでの繋ぎ的なお話を一つ考えております。