【第十八話】 過去の清算―前半




2009年1月。

夏油傑が高専を離反してから一年と四か月が絶ち、呪術師最強といわれる五条悟が卒業する今年、私は高専四年目を迎える。
卒業するまでの辛抱、と思いながら、それでも呪術師として任務をこなしていると、気づけば階級も勝手に上がっていく。
階級が上がれば、危険な任務も増え、仲間を失う事も増えた。
そんな日々に嫌気がさしてきた頃、卒業したら普通の仕事に就きたい、と思うようになった。
高専に通っている大半の呪術師は、卒業後もこの高専を起点に活動しているが、私の心はもう、限界に近かった。
残り一年、危険な任務は入らず、どうにか無事にやり過ごす事が出来ますように、と年明け早々祈りをささげたくらいだ。
なのに…またしても五条さんの無茶なお願いで、こうしてという女性の護衛代理を受けてしまった私がいる。

特級呪詛師へと落ち、今や呪術界の超危険人物となった夏油傑に狙われている彼女は、高専上層部の思惑で"特級保護対象"となった。
そんな危険な護衛任務をこなせるのは、この高専で五条悟しかいない。
と言って、ただ綺麗な女性の傍にいる、という誰もがうらやむような任務だけをさせてていい人材ではない為、普通に他の任務も入る。
特級案件の任務はしょっちゅうあるわけではないが、一級、もしくは準一級案件などは、五条さんが受ける事になる。
となると、その間の彼女の護衛は誰がやるんだ、という話になる。
今はなりを潜めている夏油傑だが、特級案件だけに護衛の任務も当然大切なものであり、放置していいというわけではない。
彼女も高校を卒業し、今はモデルの仕事で高専の外へ出かけるくらいだが、例え高専結界内だとしても、一度敵に突破された過去があり、その時に敵と対峙したのが夏油傑でもあった。
という事は、呪力さえ感知されなければ、こちらに見つからず結界を難なく突破する事が出来る、という知識があり、夏油傑が侵入出来る方法を見つければ結界内へ侵入し、かつ彼女を殺す事が出来る、という最悪な事態になることも考えられる。
そもそも、我々に見つかってもいい、と開き直られれば、いつでも彼女を殺しにこれるわけだ。
だからこそ、高専結界内でもの身を守るための護衛を常時つける、と、いう取り決めを、五条さんは上層部に約束させていた。
そこで白羽の矢が立ったのが七海建人、この私だ。

何故、後輩の私にそんな危険な任務を頼むんだ、と思わなくはないが、五条さん曰く、「七海しか信用できるやつがいない」との事だ。
まあ、あの五条さんにそこまで言われると、私も悪い気はしない。
私とて、彼の事は"最強の呪術師"という点では信用しているし、信頼もしている。―――尊敬はしていないが。

ただ、やはり彼女の護衛には常に危険が付きまとうのも事実。
五条さんが任務で不在、と知れば、今、この瞬間にも超危険人物、夏油傑が襲撃してくるかもしれないのだ。
そう、こうして、のどかな昼食タイムにも――――。


「初めて作ってみたんですけど、味、大丈夫ですか?」

その大きな漆黒の瞳を、これでもか、と大きくしながら、不安そうに身を乗り出してくる彼女を見つめながら、私は今、口に入れた物をゴクリ、と飲み込んだ。

「……とても、美味しいです。本当に」
「良かったあぁ」

私のそんな一言で、彼女はホっとしたように安堵の息を漏らした。
今日、五条さんが任務で出かけるという事になった時、彼女は仕事の日取りをずらして休みを取ったようだ。
そして代わりに護衛に来た私に対し、朝から色々なものを作って出してくれている。
朝はご飯に味噌汁、焼き魚に、納豆、胡麻和えといった、超和風な朝食を。
そして昼には私の好きなフランスパンでカスクートなる物を作り、綺麗にアートされたカフェラテと一緒に出してくれたところだ。
何とも至れり尽くせりな体験をし、五条さんはこんな美味しい食事を毎日作ってもらっているのか、と思うと、胸の奥がどす黒いもので覆われていく気がする。

「でも、何故カスクートを?珍しいですよね」

食べながらも、ふと思ったことを口にすると、彼女は照れ臭そうに微笑んだ。

「実は硝子ちゃんに、七海くんはフランスパンが好きだって聞いて。朝は和食出しちゃったからお昼はコレにしようと思ったの」
「……私の…為、という事ですか?」
「ま、まあ…。せっかく作るなら好きな物がいいかなと思って。朝はね、放っておくと五条くんはパンケーキしかリクエストして来ないから、それじゃ体に悪いと思って、朝食は和食って決めてるんだけど。硝子ちゃんも朝は和食がいいって言うし」
「………(なるほど)」

彼女は五条さんの体の事を思って、食事のメニューを考えているようだ。
何とも贅沢な話で、こうして聞いてると、彼女はまるで五条さんの恋人…いや、奥さんといってもいいじゃないか、とさえ思う。
ふと、あの、人を舐めたような憎たらしい先輩の顔を思い出し、僅かに目を細めた。

「ところで…今日その家入さんはどうしたんです?いつもうるさいくらいアナタにつきまとっているのに」
「え?あ、硝子ちゃんは今年卒業だし、医師免許を取る為に今は累子さんに色々勉強を教えてもらってるみたい。だから帰って来るのは夜って言ってたかな。七海くん来るって言ったら安心したみたいで」
「そう、ですか」

という事は、五条さんが任務を終えて戻ってくる夕方まで、彼女と私の二人きり、という事になる。
彼女の護衛任務が開始されてから、こんな事は初めてで、どうやって場を持たせようか、と、私なりに頭を悩ませた。
ハッキリ言って、こんな事情がなければ、ファッションモデルをしている彼女と、呪術師をしている私には何の接点もない。
当然、話題なども共通するものがないだろうし、彼女に呪術関連の事を話したところで、退屈させてしまうだけだろう。

"は呪術の事に関しちゃ何も知らないし興味もなさげだから、たまにボケたこと言うんだよねー。そういうとこも可愛いんだよ"

以前、五条さんがニヤけた顔でそんな事を言っていたのを思い出す。(あんな五条さんは見た事なくて鳥肌がたったのを覚えている)(!)
まあ、興味のない話題をしても仕方がないから、なるべく呪術の話は避けよう、と思いつつ、少し気になった事と言えば。
どう見ても五条さんは彼女にメロメロ、といった様子なのに対し、面白いのは彼女自身、五条さんがそう思っている事に全く気付いていない点だ。
これは私が先の理由で、彼女の護衛に駆り出される事が多いから、何となく気づいた事だ。
多分、家入さんは気づいている。いやむしろ、もっとハッキリとした"何か"を知っているのかもしれない。
普段から彼女にちょっかいをかける五条さんに対し、家入さんがそんな言動をしているからだ。
だから多分、気づいていないのは彼女だけ、という事なんだろう。
それはそれで見ている側としては面白いが、更に興味をくすぐるのは、元々彼女は、あの夏油傑の恋人だった、という点だ。
その彼女を、五条さんも少なからず想っている、という妙な図式に、男女の事には疎い私でも多少行く末が気になってきている。

彼女は信じていた恋人に、あんな酷い裏切られ方をしている。
あの事件の後、彼女は深い傷を心に負い、かなり憔悴しきっていたと聞いた。
ただ、それを立ち直らせたのは五条さんだった、と以前、家入さんがチラっと話してくれたが、あの軽薄を絵に描いたような人が、どうやったら傷ついた女性を立ち直らせる事が出来るんだろう、と、首を捻る。
まあ、でも実際、彼女はこうして今は元気になって来ているし、仕事にも復帰出来ているのだから、それは良かった、と言うべきだろう。

「ご馳走さまでした」

彼女の出してくれた昼食を食べ終え、皿やカップなどをキッチンへ運ぼうと立ち上がる。
だが、彼女は、「あ、私がやるから七海くん座ってて」と、私の手から素早く食器を奪って行った。

「いえ、それは自分で洗うんで―――」
「いいから、いいから。私、守ってもらってるだけで何も出来ないし、出来る事と言ったら、こんな事くらいだから」

彼女は笑いながら、そんな事を言って食器を洗いだした。
きっと彼女なりに、この現状が辛い事もあるんだろう。
彼女は非術師なのだから、守られて当然とも言えるのに、むしろそれを申し訳ない、と考えているようだ。
そんな気持ちの表れなのか、彼女は言ってみれば朝から動きっぱなしだった。
朝食を作り、五条さんと家入さんを送り出した後は、部屋の掃除や洗濯などといった家事を手慣れた様子でやっていた。

「いつも、こんな事をしてるんですか?」

と訊いた私に、「仕事がある時は出来ないから、休みの時くらいはちゃんとやりたくて」と笑顔で言っていた。

「以前は…榊さんって子供の頃からお世話をしてくれてた家政婦さんが全部やってくれてたんだけど、中等部に上がった時に、これからは掃除とか洗濯、料理も自分で出来ないとお嫁に行けないですよーって言われて、自分でやるようにしたの」

その幼い頃からお世話になったという榊さんは、あの夏油傑に殺されてしまったと聞いている。
寂しげな表情でそう話す彼女を見て、泣いてしまうんじゃないか、と少し心配になった。
でも次の瞬間、彼女は笑顔を見せ、すり寄って来た愛猫を愛しそうに抱き上げた。
彼女はとても表情が豊かで、私には少し眩しいくらいだ。

「さて、と。そろそろ歩こうかな」

愛猫を下ろし、彼女がふと呟いた。

「歩く?」
「あ、時間がある時は、高専の敷地とか色々歩いて軽い運動してるの。ショーモデルやめたとは言え、体重キープはしておきたいしウオーキングはやめられなくて」
「そうですか。あ、じゃあ私もついて行く事になりますが。五条さんが不在の時は余計に結界内でも油断は出来ないので」
「うん、分かってる。ごめんね、付き合わせちゃって」
「…いえ。私にも運動になりますから」
「そう?あ、じゃあ着替えて来るから待っててね」

彼女はそう言うと自分の部屋へ入って行った。
玄関口で待っていると、少しして彼女が某スポーツブランドのTシャツにハーフのクロップドパンツを履き、防寒用なのか上からモコモコとした上着を羽織って出て来た。
流石モデルなだけあり、ピンクベージュで合わせたウエアは、すらりとしたスタイルに、よく似合っている。
肩まで伸びた髪を一つに縛り、ウォーキング用のシューズを履くと、「今日はどこ歩こうかなぁ」と言いながら楽しそうに歩いて行く。
その後ろから私も着いて行くと、彼女は校舎の周りの私道にしよう、と言った。
あの道は教師や生徒も時々軽いウォーキングをするコースみたいになっている。
そのまま二人で歩いて行くと、数人の補助監督とすれ違い、挨拶を交わす。
彼女も今では高専の関係者と、すっかり顔なじみのようだ。

「高専の人達はお正月明けでも皆、働いてるから偉いなあ」
「まあ、呪霊に正月は関係ないですしね」
「あははっ!確かにそうだね」

彼女は笑いながら振り向くと、

「そう言えば七海くんの術式ってどんなの?」

と訊いて来た。
五条さん曰く、彼女は呪術の事は何も知らないに等しく、興味もない、という事だったから、その質問には少しだけ、驚いた。

「七海くん?」
「あ、ああ。私の術式は―――」
「あ!ごめん、あまりそういうこと人に話しちゃダメなんだっけ?呪術師の人には大事な情報だもんね」

突然、大きな声を出し、そんな事を言い出した彼女に、一瞬呆気に取られた。

「まあ…そういう、事もありますね」
「ごめんね。私、まだまだ分かってなくて」
「いえ…簡単なものなら大丈夫ですよ」
「簡単な…もの?」
「ええ。私の術式は対象を線分した時、7:3の比率の点を強制的に弱点、とするものです」
「…………」

サクッと説明した後で、ふと視線を感じた。
その方角へ視線を下げると、彼女は大きな目を見開いて、ジッっと私を見上げていて、少しドキっとさせられる。

「な…何ですか?」
「……全然…簡単じゃない」
「え…?」
「対象をせんぶんってとこから分かんなかった。7:3の比率の点を強制的に弱点に出来るのは…何でなのかよく分かんないけど、それは凄いと思う、うん」
「………」

真剣な顔で考えながら、彼女も最後は笑顔を見せた。
まあ、口で簡単に話した程度じゃイメージもあまり沸かないんだろう。
そもそもこういった世界とは無縁の人だ。
でも、なんて―――。

「あれ…ねえ、七海くん。知らない人がいる」
「え?」

一瞬、よく分からないものがこみ上げかけた時、彼女は私の服を引っ張って来た。
そして彼女の指す方を見れば、門の方から、あまり会いたくない人物たちが歩いて来るのが見える。

「あんなお爺ちゃんや、連れの二人も見た事ないし、お客さんかな。綺麗な女の人とイケメン男子?」
「あれは……京都姉妹校の楽巖寺学長です」
「京都…姉妹校…?そんなものがあるの?」
「ええ…日本に二校しかない、もう一つの呪術学校です」

彼女は知らなかったのか、「えぇーそうなんだ」と驚いている。
が、私は楽巖寺学長よりも、先輩の女術師よりも、一緒にいる同学年の男に、思わず顔をしかめてしまった。

「おやおや……お嬢さんは…」

校舎へ入ろうとしていた楽巖寺学長が、私達に気づいて足を止めた。
その視線は、彼女へ向けられている。

さん、だったかな?」
「…え?あ…はい…」

何故知ってるんだろう、と言うような顔で、彼女は驚いたように頷いている。
だが知ってて当然だ。
この楽巖寺学長は彼女を保護し、囮に使える、などと言った上層部のうちの一人だからだ。
五条さんとは昔からいがみ合っている相手でもある。

「すっかり元気になったみたいじゃの」
「は、はい…。おかげ…さまで」
「モデルをやられてるとか?通りでベッピンさんじゃわい。ほっほっほ」
「あ…ありがとう、御座います…」

ここに五条さんがいれば、間違いなく"狸ジジイ"と言っていただろうな、と思いながら、緊張して受け答えしている彼女を見る。

「君は三年…いやもう四年になるのかの?七海くん。五条悟の代わりに護衛を?」
「……はい」
「そうか、まあ…彼女を宜しく頼むよ。わしは野暮用もかねて正月の挨拶に来ただけでね。極矢学長の顔を見たら、すぐ帰るよ」
「学長、私も後から追いかけます」
「ああ、若いもん同士で少し話すといい。では、またね。可愛いお嬢さん」

楽巖寺学長は胡散臭い笑みを浮かべると、一人校舎の中へと入っていく。
が、残った先輩術師と、同学年の術師、二人が意味深な笑みを浮かべながら、彼女の方へ歩いて来た。

「ひゃ~。君がちゃんかぁ。雑誌で見た事あるけど、実物はほんまベッピンさんやなあ」
「え…あの…」
「ああ、俺、禪院直哉。京都高の四年や。よろしゅう。いやあ~真っ白で白魚みたいな手ぇやん」

禪院直哉は彼女の手を取り、勝手に握手をしている。
彼女は明らかに驚いていて、それを制止しようとした時、先に先輩術師がその手を止めた。

「直哉、失礼でしょ?いきなり女の子の手を握るなんて」
「あ?こんなん、ただの挨拶やん。キスしたわけでもあるまいし大げさやなあ。麗良さんこそ、嫉妬丸出しの目ぇで見るのは失礼なんちゃう?」
「何言ってるの?私は別に…」

遠慮のない直哉の物言いに顔をしかめると、その先輩術師は改めて彼女の方へ向き直る。

「私は東宮時麗良。今日は楽巖寺学長の付き添いで来たの。あなたが、さん?」
「は、はい。初めまして」

挨拶をしている彼女を見ながら、東宮時麗良の表情を伺う。
この先輩術師は去年卒業してから楽巖寺学長の秘書みたいな事をしてると聞いた。
東宮時麗良―――あの、夏油傑と、昔関係のあった女性だ。
以前、五条さんが内緒だよ、と言って、そんな話をしてきた事があるから覚えている。

「そう言えば、あなた…傑と付き合ってたんですってね」
「………ッ」

いきなりその名を出され、彼女がビクリと肩を揺らした。
そのデリカシーのない態度に、私は何故か怒りがこみ上げた。
一年以上経っているとはいえ、彼女にとっては今も辛い記憶には違いないはずだ。

「麗良さん。アナタも事情は知ってるんでしょう?余計な事は言わずに、早く楽巖寺学長を追えばいいんじゃないですか」
「…何よ、後輩のクセに偉そうね、七海くん」

東宮時麗良は不機嫌そうな顔を隠しもせず、私を睨みつけている。
そこへ直哉が笑いながら口を挟んで来た。

「女が男に偉そう言うんも大間違いやけどなぁ?な、そう思うやろ、七海くん」
「…どうでもいい事です。私達は戻るんで、お二人もどうぞ極矢学長に挨拶しに行って下さい」
「ひゃー相変わらず真面目やなぁ。ああ、ほな、ちゃん、またね。今度京都に遊びにおいで。俺が案内したるから」
「あ…はい…」
「"はい"やて~。かわええなあ。女はこうやないとアカン。麗良さんも見習った方がええで?」
「うるさいわね。行くわよ」
「ほうら、男の前を当然のように歩く無作法なとこ直さな。そういう女は可愛げないで」

サッサと歩いて行く麗良の後から、直哉が失笑しながらついて行く。
相変わらずの男尊女卑的思考だ、と呆れながら、私は軽く息を吐き出した。
どうせあの二人、楽巖寺学長の付き添いという名目で、彼女の事を探りに来たんだろう。
どちらも夏油傑の元恋人、という事で興味を持ったのか、直哉に至っては彼女を見る目付きが品定めする男の目そのもので、やけに不快に感じた。

「気にする事ありませんよ」
「う、うん…大丈夫。ちょっと…驚いただけ」

彼女はそう言って微笑むと、少し寂しげな顔をして俯いた。

「あの麗良さんって人…」
「え?ああ…五条さんの一つ上の先輩で―――」
「夏油くんと付き合ってたんだね」
「え?」
「何となく…分かっちゃった」
「い、いえ、それは…」
「別にいいの。もう終わった事だから」

そう言って微笑む彼女に、どういう言葉をかけたらいいのか、私には分からない。
ただ、彼女のこういう顔は見たくない。
どこか、笑顔を見せているのに、泣きそうな顔をする彼女を見ていると、そんな事を思った。
五条さんなら、こういう時、どう言って彼女を励ますんだろうか。
そう、思っていた時、門の方から今、頭に浮かんだ人物が歩いて来るのが見えた。

「あれ??!」
「あ、五条くん!」

その時、元気のなかった彼女の顔が、ふと明るくなった気がした。

「何、二人そろって僕のお出迎え?あ~寂しかったんだ?」
「ち、違うよ。ウォーキング中」
「なーんだ。ああ、七海、お疲れ。何か変わった事は?」
「……いえ。特に」
「そ?んじゃー後は僕がに付いてるから、七海はもう休んでいいよ。お疲れ様」
「そうですね。じゃあ、私はこれで」

五条さんが傍にいるなら安心か、と少しホっとして、私は彼女の方へ声をかけた。

「あ、七海くん。今日は朝からありがとね」
「いえ、それじゃあ、また」
「うん、またね」

彼女は明るい笑顔で私に手を振った。
その顔を最後に見れただけでも良かった、と思う。

(後で五条さんには、さっき会った三人の事をメールしておくか)

そう思いながら、ふと振り返り、離れの方へ歩いて行く二人を見ていた。

「五条くん、早くない?帰るの夕方って言ってたのに、まだ昼過ぎだよ?」
「あ~大した任務でもなかったから、数件、サクッと終わらせてソッコーで帰って来た」
「また篠田さんに無茶言って、車、飛ばしてきたんでしょ」
「はて…何の事やら」
「あ、その顔は絶対そうだっ」
「どんな顏だよ。そして指をさすな」

彼女と楽しそうに笑いあう五条さんを見て、私は何とも言えない気持ちになった。
あんな五条さんは、これまで見た事がないくらいの、穏やかな笑顔。

「……まるで別人、ですね」

ふっと笑みが漏れ、私もゆっくり歩き出す。
彼女の、あの柔らかく、暖かい空気が、あの人にあんな顔をさせるんだろう。
それは私が初めて見た、五条悟の"人間らしい"顔だったのかもしれない。