【第十七話】 一輪の勇気―前編




次の日の朝、洗濯機を覗いたら、あの夜に着ていた自分の下着を見つけた。
あの時、お風呂に入りたくて、何も身に着けずに五条くんの部屋を出たのは覚えてる。
そのまま風呂上りに違う下着を身に着けたせいで、すっかり忘れてしまっていた。(ダメでしょ、私!)
だから、もしかして五条くんが見つけて入れてくれたんだろうか、と、一瞬焦ったけど、ふともう一つの可能性が頭に浮かんだ―――。




「わぁー可愛い!短いのも似合うね!」

カットを終えた私を見て、硝子ちゃんは満面の笑みで誉めてくれた。
あの夜、無残にも切り裂いてしまった髪を整えるのに、今日は午後から久しぶりに高専を出て、渋谷にある行きつけの美容室へと来ている。

「ありがとう。こんなに短くしたの初めてで頭が軽い」

鏡で後ろもチェックしながら、凄く新鮮な気持ちになる。
フェイスラインは顎より少しだけ眺めに前下がりにしてもらったが、後ろは結構、バッサリと切ってもらった。

「これから寒くなるのに…」

と担当の美容師でもあるケンちゃんが苦笑いしながら溜息をつく。

「でもボブならタートルネックも似合うし、またロングの時とは違ったお洒落も出来るから楽しみだよ」
「それもそうね。なら何でも似合うし ♡」
「私もそう思います♪」
「確か硝子ものファンなのよね?気が合うわねー私達 ♡」
「ねー ♡」

ケンちゃんは世間でいうところのオネエキャラだが、硝子ちゃんとは初対面で意気投合、気が合ってるようだ。
施術後も二人で何やら話しては盛り上がっている。
そんな硝子ちゃんを見ながら、今朝見つけた物の事を訊こうかどうか、まだ迷っている。
もしアレを見つけたのが硝子ちゃんなら、私と五条くんの間に何があったのか、すでに知ってるはずだ。
でも彼女からは何も訊いてこない。
だから気づいてないのかとも思ったけど、硝子ちゃんまで離れに寝泊まりするような形を取ったのは、やっぱり何か心配しての事なんだろうか。
本当は早く話してしまいたい、と思うのに、日が経つにつれ、何となく言いにくくなってしまった。

「じゃあ、毛先が伸びて来たら、またいらっしゃいねー。そこのイケメンくんも今度は一人で来てね。サービスしちゃうから ♡」
「………」

待合い室で待っていてくれた五条くんは、ケンちゃんのウインクに口元を引きつらせていて、私は軽く吹き出した。

「ありがとう。ケンちゃん。またね」
「ショーも頑張って!」

笑顔でそう言ってくれるケンちゃんに手を振って、私と硝子ちゃん、五条くんの三人は美容室を出た。
そこで最後まで外でいい、と言い張っていた五条くんの後輩、七海くんが歩いて来る。
この辺りを見回りに行ってたらしい。

「カットは終わったようですね」
「お~七海。見回り、ご苦労。で、何かいた?」
「いえ。今のとこは特に怪しい気配や残穢はなかったです」

淡々と応える七海くんも少し前、目にケガをしたとかでサングラスをしていて表情もあまり分からない。
が、硝子ちゃんが言ってた根暗、と言うよりも、きっちりした真面目な性格の男の子、という印象だ。
あまり表情がないから、とっつきにくそうではあるけど、悪い人ではなさそうだ。

「そっか。んじゃー次はどこ行きたい?
「え?」

そう言って振り向く五条くんに、首を傾げる。
てっきり髪を切ったら、すぐ高専に戻るかと思っていたからだ。

「どこって…帰るんじゃないの?」
「せっかく久しぶりに東京来たんだから、少し寄り道してこうぜ」
「寄り道って…」
の行きたいとこ。どこ行きたい?」

と、再び私に訊く五条くんに、七海くんが明らかに嫌そうな顔をした。
五条くん曰く、七海くんは規律とか規定に背くことを極端に嫌う性格らしい。

「五条さん…お言葉ですが特級呪詛師に狙われてるんですよね、彼女。なら早く高専に戻った方が―――」
「七海は相変わらずお堅いね~。そんな長い時間じゃないし、ちょっとくらい付き合えよ」
「いえ、そもそも特級相手の任務は二年の私に務まるものではないと思ってますので―――」
「いーから行くぞ。そんな時間かからないって」
「………」

五条くんは七海くんの首に腕を回し、そのまま引きずっていく。
七海くんはこれでもか、というほど深い溜息を吐いたが、五条くんの成すがまま連れて行かれた。

「大丈夫かな、七海くん。凄く帰りたそうだけど…」
「ああ、アイツ、若いのに遊ぶってことを知らないからね~。五条とは正反対。それより、どこ行く?」
「いいのかな、寄り道しても…」
「気にすることないって。この近所をブラつくくらいなら」

硝子ちゃんは笑いながら、私の腕を引っ張っていく。
でも確かに最近はずっと高専の敷地内にいたから、東京の街並みも久しぶりで気分転換にはなる。
そのまま皆で恵比寿付近のショップが立ち並ぶ辺りまで歩いて来た。

「あーあの服、可愛い!ちょっと見て行かない?」

硝子ちゃんはショーウインドウに飾られているワンピースを指さし、私の手を引っ張った。
が、五条くんがすぐに振り返ると、

「オマエの買い物に来てるわけじゃないからな」
「何よ、だって見たいよね~?あ、あの帽子、今の髪型に似合うんじゃない?行こ行こ」
「う、うん」
「ったく…。誰のための息抜きだと思ってんだよ…」

私の手を引いて店まで歩いて行く硝子ちゃんに、五条くんが後ろでボヤいてるのが聞こえて、ドキっとした。
もしかしたら出かけられなかった私を気遣って、寄り道の提案をしてくれたんだろうか。
硝子ちゃんに手を引かれながら、五条くんの方へ振り返ると、彼は、「心配しないでも傍にいるって」と苦笑いを浮かべながら手を上げた。

(そっちの心配…したわけじゃないんだけど…)

ただ、最近の五条くんは前とは少し違うから、多少戸惑ってしまう。
そう思いながら、硝子ちゃんについてショップ内へと入る。
ここは女性物しかなく、五条くんと七海くんは入口付近で見張りをしながら待っていてくれるようだ。
七海くんもかなり身長が高く、あの二人が中へ入ったら目立つどころの話じゃない。

「ん?五条がどうかした?」

七海くんにちょっかいをかけて笑っている五条くんをボーっと見ている私に、硝子ちゃんが首を傾げた。

「え?あ…何か…五条くん変わったなぁと思って」
「変わった?」
「うん…。何か…凄く優しいし…調子狂うというか…」
「……ああ、そっか。まあ…それでもアイツが優しいのはにだけ、だけどね」
「え…?」

その言葉にドキっとした。
どこか含みのある言い方に思えたのだ。
硝子ちゃんはハッとした顔をして、すぐに笑顔を見せると、

「い、いや、ほら。ずっとが元気なかったから、アイツなりに心配してるんだよ」
「そうなのかな…。いっぱい心配かけちゃったんだよね、きっと」
「いいの、いいの。五条なんかいっぱい心配かけちゃって。あ、ほら、この帽子、に似合うよ、絶対」

硝子ちゃんはそう言いながら、キャスケットを手に取り、私の頭へかぶせた。
頭全体を覆うようなデザインで、今の髪型とも相性がよく、確かに可愛い。

「これなら顔も隠せるし紫外線避けにもなるよ?」
「顔を隠す必要はないけど」

そう言って笑うと、硝子ちゃんは首を振って店の奥を指さすと、

「いやいや、あっちの子達がさっきからを見てスマホで撮ろうとしてるし!」
「えっ?」

驚いて硝子ちゃんが指した方を見れば、確かに中学生くらいの女の子数人が、こっちを見ていて、私が顔を向けると慌てたように視線を反らしている。

「きっとだって気づいて写メ撮ろうとしてるんだよ」
「え、そうなのかな…」

いくら何でも勝手に撮られるのはちょっと抵抗がある。
でもその子達は何やら話し合うようにして、不意にこっちへ歩いて来た。

「あ…あの…」
「何?」

私の代わりに、硝子ちゃんが応えて、その子達の前に立ちはだかる。(マネージャーみたい)
女の子たちも硝子ちゃんのその迫力に圧されそうになったのか、少し後ずさりながらも、

「モデルの…さん…ですよね?」

と訊いて来た。
やっぱり私のことを知っているらしい。
無視するわけにもいかず、

「…はい。そうです…けど」

と、応えた瞬間、その子達は「きゃーっ!やっぱり本物だった!髪が短くなってるから違ってたらどうしようかと思ってて!」と、大きな声を上げ始めてビックリした。

「あ、あの、いつもさんが出た雑誌買ってます!二年前のコレクション見てからの大ファンで…」
「え……あ、ありがとう…」
「うわー本物は更に顔ちっちゃーい!」
「足、ながっ」
「あ…ありがとう」

彼女たちに囲まれ、キラキラした瞳で見られていると、だんだん照れ臭くなったが、気持ちが嬉しくてお礼を言った。

「髪、切ったんですね!長い時も綺麗だったけど短いのも素敵ですーっ」
「あ、体調崩してお休みしてるって事務所のHPで見たんですけど、もう大丈夫なんですか?心配してたんです」
「あ、うん。もう大丈夫だよ?ありがとう」
「良かったー!一葉さんのショーも楽しみにしてます」
「ありがとう」

照れ臭いけど応援してくれてる、というのが伝わって来て何だか泣きそうになる。
普段はこんな風にファンの人の声を直に聞く事はないから余計に嬉しかった。
硝子ちゃんに至っては、「私もそのコレクションからファンなのー」と、すっかりファントークで盛り上がっていて笑ってしまった。
その後、一緒に写真撮ってください、と言われ、硝子ちゃんも加わってショップ内でちょっとした撮影大会になった。

「ありがとうございます!うわ~と2ショット嬉しすぎる」
「すみません、お買い物中に声かけちゃって」
「ううん、こちらこそ、ありがとう。何か元気出ちゃった」

そう言って笑うと、女の子の一人が何か聞きたそうに私を見上げた。

「あ、あの…」
「え?」
「さっきこの店に入って来る前から似てるなあと思って見てたんですけど…。さっき一緒にいた、あそこで待ってる人って彼氏さんですか?」
「えっ?」
「入口で待ってる背の高いサングラスの…。あ、白髪の人の方です」

そう言うと彼女は五条くんを指さした。
五条くんも中の様子に気づいたのか、訝しげな顔でこっちを見ている。

「一緒に歩いてましたよね?」
「え、ち、違うよ?彼は―――」


そう言いかけた時、待ちくたびれたように五条くんが中へ入って来てしまった。

「何か欲しいのあった?」
「あ、えっと―――」
「…この子達は?」

五条くんが周りにいる女の子たちに気づき、何となく、嫌な予感がした。
これまでの経験上、この後は必ず――――。

「きゃーっ!!カッコいい!!」
「背、高すぎでイケメン過ぎるっ!」
「え、さんのモデル仲間ですか?!」
「えー何のファッション誌に出てるんですか?」
「え?は?」

いきなり女子中学生に囲まれた五条くんは驚いたように後ずさりしている。

「な、何、これ、どういう状況…?」
「え、えっと…」
「あの!さんと、どんな関係なんですか?やっぱり彼氏さんですか?」

女の子の一人にそう訊かれ、五条くは一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに何かを察したのか、意味深な笑みを浮かべると、

「あ~、まあ、一緒に住んでる仲、ではあるな」
「えぇぇー-!!!!」
「同棲って事ですか?凄ーいっ!」
「いいだろ ♡」(キメ顔)
「ちょ、ちょっと五条くん、誤解されるようなこと言わないでよっ!」
「え、でもほんとの事だし」

私が慌ててるのを見ながら、五条くんは澄ました顔で肩を竦めて舌を出している。
絶対わざとだ…(この顔は前に何回も見てる)と、五条くんを睨みつつ、彼女たちに説明しようと振り向いた。

「あ、あのね、彼は彼氏でもモデル仲間でもなくて…えっと…友達―――」
「え、彼氏さんじゃないんですか?美男美女で凄くお似合いなのに!」
「バカ。そんなこと聞いて認めるわけないでしょっ」
「あ、そ、そっか!私達、誰にも言いませんから」
「…………」

何と応えていいのか困っていると、騒がれる事には慣れている五条くんは特に気にもせず、何故か私の頭に乗せられたままのキャスケットを勝手に取って行った。

「え…?」
「これ、買うんだろ?」
「あ、ああ、自分で―――」
「いいよ。僕が買うから。快気祝いってことで」
「か、快気祝いって……」

いきなりの行動に戸惑っていると、硝子ちゃんが、「私にも何か買ってー」と、レジに歩いて行った五条くんを追いかけて行く。
それを見送ってると、女の子たちは、

「彼氏さん優しいー!!」
「っていうか、マジイケメンすぎる…」
「神々しいわ…」
「………」

と、感激したように言いあっていて、思わず顏が引きつってしまった。
すっかり勘違いされ、そして誤解したまま、彼女たちは「ありがとう御座いました!」と、嬉しそうに去って行った。

「いやーまさか私と同じファン歴の子と会うなんて思わなかったなあ」

硝子ちゃんはそんな事を言いながら笑っている。
そこへ五条くんが戻ってくるのが見えた。

「ちょっと五条くん。何であんなこと―――」
「ほい」
「え?」
「このまま被ってけば?可愛いし」
「あ……ありが…とう…」

さっきの事で文句の一つも言おうかと思ったのに、いきなりプレゼントをされ、言葉に詰まってしまった。
とりあえず頭に乗せられたキャスケットをかぶり直して五条くんを見上げると、

「ん。ちょー似合ってる ♡」
「………」

何とも爽やかな笑顔で誉められ、かすかに頬が赤くなった気がした。
五条くんって、こんなことサラリと言う人だったっけ…?と少しだけドキっとさせられる。
そんな私を見て、五条くんは何故か満足そうな笑みを浮かべると、

「んじゃ、次は僕に付き合って」
「え…?どこに?」
「ちょっと知り合いのとこ。こっから意外と近いみたいで、会いに行こうと思ってたの思い出したから」

五条くんはそう言いながら私の手を引くと、そのまま店を出て歩いて行く。
外で待ちくたびれていた七海くんは、「まだどこか行くんですか…」とウンザリ顔だ。
そこへ篠田さんの運転する車が走って来た。
近くの駐車場で待たせていたから、五条くんが呼んだんだろう。

「え、車で移動するの?」
「うん。まあ、ここから15分くらいかな」

五条くんはそう言うと、車に乗り込んだ。
そこで私達も後に続き、10分ほど車を走らせたところに見えて来た住宅街まで来ると、五条くんが、「止めて」と言った。

「篠田さん、ちょっと待ってて」
「はい」

そう言って五条くんは車を降りると、中を覗きこみながら、

、ちょっと一緒に来てくれる?」
「…え?あ、うん」

慌てて車を降りると、五条くんは助手席にいる七海くんに、「異変があったらすぐ呼んで」と言った。

「本当にその用事が終わったら帰るんですね?」
「ちゃんと帰るって。じゃ、頼んだよ」
「ちょっと、どこ行くのよ、五条」
「硝子もここで待ってて。…怖がるといけないから」
「…は?怖がるって……何が?」
「いいのいいの」

よく分からないことを言いながら、五条くんは私の手を引いて路地裏の狭い道を歩いて行く。
辺りはアパートなどが立ち並んでいて、ここに誰が住んでるんだろう、と思った。
それに何故自分が連れて行かれるのか分からない。

「もうすぐ帰ってくると思うんだけど…」
「…誰が?」
「伏黒恵くん。小1だっけな」
「……小1?!」

そんな子供に五条くんが会いに来た理由が分からず、彼を見上げる。

「…小1の男の子に何の用なの?」
「うーん。人材集め?」
「……人材?」
「まあ…去年、その子の父親に頼まれたっていうか…勝手に任されたと言うか、好きにしろって言われたから好きにしようかと」
「何、それ。意味分かんない」
「ま、ちょっと付き合ってよ」
「何で私が…?」
「ほら、相手は子供だしみたいな可愛い子が一緒だと警戒されにくいかなあ?と思ってさ」
「……見え見えのお世辞言わなくても付き合うけど」

わざとらしく、さらりと可愛い、なんて言ってくる五条くんを睨む。
そんなこと、今まで言った事なんかないくせに。
そう思っていると、五条くんは笑いながら、

「お世辞じゃないけど」
「……はいはい」
「あれ、僕の言うこと信じてないんだ」

そう言いながら身を屈めて顔を覗き込んで来る五条くんに、ドキっとして視線を反らした。

「だって…前はそんなこと言わなかったじゃない。最近ちょっと変だし…」
「変…?僕が?」
「変でしょ?妙に優しいし、何か…過保護だし…前と違う気がする…」
「ひでぇー、僕が優しいと変扱いって」

五条くんは笑いながら私の頭をぐりぐりとしてきた。
そのまま見上げると、五条くんは軽く首を傾げて、「何?」と笑った。
ほんとはあの日の事は話題に出すべきじゃないと思ってる。
でも、何となく気になっていた事を口にしてみた。

「あの…もしあの夜のことで…気を遣ってるならいいんだよ?もう、充分助けてもらったから…」

そう言って五条くんを見つめる。
でもサングラスをしてるから、彼がどんな顔をしてるのか分からなくて、少しだけ、ドキドキした。