【第十九話】 あなたがいたから―後編




「え、七海くんちに泊まるの?」
「まあ、久しぶりだから、今夜は男同士、語り明かそうかと。ああ、でも何かあれば前にも言った通り秒で戻って来れるから安心して」

夕方、帰って来たと思えば、五条くんはそんな事を言い出した。
せっかく七海くんと三人でご飯を食べようかと思っていたのに、と内心ガッカリする。
でも確かに二人も数年ぶりに会えたわけで、先輩後輩で久しぶりに積もる話もあるだろうし、仕方ないか、と納得した。

「分かった…」

今日は硝子ちゃんも先輩術師である歌姫さんや累子さんと飲みに行くから遅くなる、と言ってたので、今夜は一人、という事になる。
そう思うと、少し寂しく感じた。
そんな気持ちが顔に出てしまったのか、

「あれ…もしかして僕がいなくて寂しい?」

俯いてると、五条くんは苦笑交じりで身を屈めて、顔を覗きこんで来る。

「そ、そんなことないけど…」
「じゃあ、一人で眠れる?」
「子供じゃないんだから」

クックっと笑う五条くんにムっとして、そう言えば、彼は私の頭をぐりぐり撫でながら、「だって置いて行かれる子供みたいな顔してるし」と言った。

「そ、そんな顔してないしっ。五条くんいなくても一人で平気」
「…そっか。じゃあ行くけど…寂しくなったら電話して。飛んでくるから」
「しませんっ」
「え~してよ」

五条くんは苦笑いを浮かべると、

「朝方には戻るから」

と言って、玄関で待つ七海くんの方へ歩き出した。
その後ろ姿を見てると、やっぱり寂しく感じて、つい、行かないで、と言いそうになる。
でもそんな我がままも言えず、私はその後から追いかけると、靴を履いている五条くんに、「行ってらっしゃい」と声をかけた。

も冷房かけっぱで寝て風邪ひくなよ?」
「分かってる」

振り向いた五条くんの表情は目隠しのせいで、あまり分からないけど、かすかに微笑んだようだった。
私は彼の、その目隠しが嫌いだ。
目が疲れにくいという理由は理解できるけど、ほんとは前のサングラスの方が、まだマシだと思ってる。
だって、五条くんの、綺麗な眼が全然見えない。感情も読みにくい。これじゃ余計に何を考えてるのか分からなくなる。
だから、目隠ししてる五条くんは、嫌い。

「じゃ、戸締りして寝るんだよ」
「…うん」

最後に私の頭を撫でると、五条くんは先に出た七海くんの後ろから歩いて行く。
本当に泊まりに行っちゃうんだ。
そんな事を思いながら、彼の背中を黙って見送っていたその時、自然と体が動いた。
靴も履かずに玄関口へ降りると、五条くんのジャケットを軽く掴む。

「…っ…?」

その行動に驚いたのか、五条くんがハッとしたように振り返る。
でも私自身、自分で驚いて、パっと手を離してしまった。

「ご、ごめん」

何でこんな事をしてしまったんだろう、と思いながら、後ずさると、五条くんは心配そうな様子で私を見た。

「やっぱり寂しい?」
「ち、違う。えっと…大丈夫だから、あの…行ってらっしゃい」
「………」

五条くんは黙ったまま私を見ていて、気まずさのあまり変にドキドキしてきた。
彼の表情は、やっぱり分からないまま。

「じゃあね」

そう声をかけて踵を翻し、急いで玄関へ入るとドアを閉めた。
何だろう、五条くんの背中を見てたら、やっぱり行って欲しくない、なんて思ってしまった。
今夜は泊まるにしても、七海くんのとこだと聞いて、少しはホっとしてたのに。

「……何でホっとしてるのよ」

ふと頭に浮かんだ事で、思わず失笑する。
ただ、ここ二年くらい、五条くんはこんな風に夜、出かけて朝方帰ってくることが増えた。
学生の頃から研究してたという、瞬間移動が出来るようになったからかもしれないが、ずっと傍にいてくれた人が急に帰って来なくなると多少は不安になる。
年々そんな不安が大きくなって、もしかしたら彼女でも出来たのかな、と考えた時、何故か怖くなった。
でも私は五条くんの彼女ではないし、そんな風に感じるのはおかしいのかもしれない、と思って誰にも言ってない。

(やだな…これじゃ五条くんに依存してるみたい…)

これまで傍にいるのが当たり前だったから、きっとそんな風に思ってしまうんだ。
でも五条くんだって、もう学生じゃない。
今は教師として生徒に指導する立場で、いつまでも昔みたいに傍にいる事が当たり前に思っていてはダメなんだ。
そう思ったからこそ、いつまで出来るか分からないモデルだけじゃなく、デザインの勉強も初めた。
いつまでも五条くんに頼ってばかりの生活じゃいけないと思ったから。
いつか、この護衛任務に終わりが来て、ここを出ていく事になった時、自分の足でちゃんと生きて行けるよう、今から自分の未来を作りあげておきたかったのだ。

「なのに…子供みたいな事しちゃった…」

情けない、と思うけど、自分でもよく分からない感情がこみ上げて来るから困る。
五条くんは、友達で、家族みたいで、今ではいて当たり前のような存在だから、つい甘えてしまう。
彼が優しいからいけない、なんて勝手な事を思う。
昔はあんなに我がままだったクセに、今では私の我がままを何でも聞いてくれるくらい、大人になった。
恋人でもないのに、いつまで彼に頼ってるんだろう、と自分で呆れる。

「はあ…お風呂入って、お母さんに見てもらう新しいデザインでも考えよ」

そう呟いてお風呂場へ歩いて行きかけた、その時、不意にドアの開く音がした。

「……五条、くん?」

振り向いた時、出かけたはずの五条くんが戻って来たのを見て、驚いた。

「ど、どうしたの?何か忘れ物―――」

と、言いかけた時、真っすぐ私の方へ歩いて来た五条くんに腕を引き寄せられ、強く抱きしめられた。

「これ、忘れた」
「え…?」

急に抱きしめられ、真っ赤になっている私の耳元で、五条くんはそんな言葉を呟いた。
ドキっとして見上げると、彼の口元が緩んでいるのが見えて、微笑んでる事が分かる。

「ど…どうしたの…?」

いつもと違う空気を感じて、そう尋ねると、五条くんはアッサリ。

「んー、やっぱ行くのやめた」
「え、何で?」
が可愛いこと、するから」
「な…あ、あれは別に―――」
「映画、観よう」
「…え?」

不意に体を離した五条くんは明るい声で言うと、自分の部屋から映画のDVDをたくさん抱えて戻って来た。

、どのジャンル好き?」
「え、ほんとに映画観るの…?七海くんは?」
「いいの、いいの。一晩中、あの仮面みたいな顔を見るより、と映画観たいって思っただけ」
「か、仮面って…」

思わず吹き出すと、五条くんも笑いながら、テレビ前にしゃがんでDVDをセットしている。
が、何かを思い出したように振り向くと、

「その前に、、もっと露出の少ない服に着替えて」
「え、何で?暑いのに」
「クーラー強めにしていいから。じゃないと…」
「じゃないと…?」
「僕の理性がもたないから」
「………っ?」
「それとも…僕に襲われたい?」

いきなり、そんな事を言われ、ドキっとした。
ついでに顔まで赤くなる。
今までそんなこと、言ってきたこともなかったのに、と返事に困っていると、五条くんは目隠しを取って立ち上がった。
そうする事で、五条くんの碧い瞳と目が合う。
でもその顔はどこか真剣で、鼓動が勝手に速くなっていく。

「一応、僕も男なんで…変な気、起こさないように夜は出かけるようにしてたんだけど…そういうことハッキリ言わないと彼女も分かりませんよって、七海に説教されて」
「え…?七海くん…?」

五条くんは困ったように笑うと、私の頭にポンと手を置いた。

「さっきの見て、七海が"さん、五条さんが夏になると帰って来なくなるって心配してましたよ"って教えてくれた」
「……っ?」
「ごめん。もっと早く言えば良かったんだけど」
「う、ううん…私もごめん…そういうの気づかなくて。あ、あの…着替えて来るね…!」

どんどん顔が熱くなるのを感じ、私はすぐに自分の部屋へ飛び込んでから、思い切り息を吐き出した。
心臓がドクドクうるさいくらいに鳴っている。
五条くんがどこかへ出かけていくのが、まさかそんな理由だったとは思わなかった。

「やだ…私、バカだ…」

これまでの事を思い返して、ふとそんな言葉が漏れる。
言われてみれば、そんな事があった気もしてくる。
五条くんはいつも飄々としてたから、そういう事を意識してるなんて思いもしてなかった。
何度かキスされそうになった事があっても、ふざけてるか、からかってるだけかと思ってた。
でも、そんな事より、何より。

"一応、僕も男なんで"

あんな風に言われて気づいた。
私もいつの間にか、五条くんを男として見てた事に。
五条くんがいなくて不安に思うのも、外泊が増えて、彼女が出来たのかと怖くなったのも、全部―――。

「…好き…なんだ」

その言葉が口から零れ落ちた時、涙が溢れた。
一番、苦しかった時にあんな形で救ってもらって、だから変に意識しないよう、彼が気まずい思いをしないよう、そんな事ばかり考えていたから気づかなかった。
楽しい時、一緒に笑っていたいって思うのも、寂しい時、傍にいて欲しい、と思ってしまうのも、全部、五条くんの事が好きだから。
これまで、どれほど助けてもらった?
何度、背中を押してもらった?
寄り添うように、ずっと傍で支えてくれてた五条くんに、どれほど救われたかしれない。
あんなに憎たらしい存在だったのに、いつの間にか、彼の不器用な優しさに、惹かれてたなんて。
五条くんは、怖くなるくらい、私に優しかったから。

「ほんと…バカ」

いつの間にか、こんなに好きになってるなんて―――。

だからこそ、怖い。
また、好きになって、その人が離れていくのが、怖い。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
五条くんがいなくなったら私は今度こそ、耐えられない。
あの、暑い夏の夜、大切だった人から裏切られた痛い思いだけは、今も心の奥底に、残っているから―――。








「え、それで朝方まで二人で映画観てたの?」
「う、うん、まあ」

次の日、累子さんのところへ行った帰り、硝子ちゃんとランチを食べながら夕べの事を話していた。

「へぇ~!アイツ遂に言ったんだ」
「え、つ、遂にって…」
「ほら、夏はが薄着で目のやり場に困るーってボヤいてたからさ」
「………ッ」
「あはは!そんな真っ赤にならなくても」
「だ、だって気づかなくて…私、ほんと鈍いっていうか…」

そう言いながら変な汗が出て来て、アイスティーを一口飲んで喉を潤す。
でも、まさか硝子ちゃんまで知ってたなんて思わなかった。

「まあ、でも良かったわ。これで五条もいちいち外泊しないで済むんだし」
「うん…」
「でもはこのクソ暑いのに、薄着が出来なくて可哀そうだけど」

硝子ちゃんは楽しげに笑いながら、私の恰好を見た。
今日は露出を抑えるように、Tシャツにジーンズといった服装にしておいたのだ。
でもこれが真夏日だと、かなり暑い。
ジーンズなんて夏に履くものじゃないと思う。

、暑がりだからね」
「うん…でも…いいの。また外泊されるよりは」
「そう?でも…そんなに嫌だったの?五条のお泊り」
「えっ?」

不意に核心を突く質問にドキっとして顔を上げると、硝子ちゃんは意味深な笑み浮かべて私を見ていた。

「い、嫌って言うか…」
「今、思えば五条が外泊するようになった時から、どこかイライラしてたもんね」
「そ…そうだっけ…」
「そうだよ。てっきり、私、は五条のこと好きなのかなって思ったくらいだし」
「――――ッ」

今度こそ鼓動が跳ねて頬が熱くなる。
硝子ちゃんはそんな私を見て微笑むと、

「好き、なんでしょ?五条のこと」
「え…」

硝子ちゃんの言葉に、ハッとして顔を上げると、彼女は笑顔で私を見て、そっと手を握ってくれた。

「気づいてたよ。が五条を好きになってたこと」
「な、何で?私も昨日気づいたのに―――」

と、そこまで言って、慌てて口を閉じる。
それでも硝子ちゃんは楽しげに笑うと、「隠さなくていいじゃん」と言った。

「私はいつでもの味方だし、が望んでいる事は応援するって前にも言ったでしょ?」
「硝子ちゃん……」
「まあ…昔の五条なら絶対反対してたけど」(!)

そんな事を言って爆笑している硝子ちゃんを見ていると、私も思わず吹き出した。
こんなやり取りが凄く懐かしい気さえする。
あの頃は、こんな風に相談するのはいつも夏油くんのことだった。
なのに、まさか今、五条くんの事で硝子ちゃんに相談する事になるなんて、あの頃は思ってもみなかった。
そして、夏油くんの事を思い出しても、もう前ほど辛くはなくなってきてる。
そこに気づいて、初めて本当の意味で、夏油くんを好きだった自分に、さよなら出来たような気がした。

「あのね、硝子ちゃん」
「ん?」
「実は…七年前、私が立ち直れたのは――――」
「うん、知ってる」
「え…?」

思い切って、あの夜の事を打ち明けようと思った。
でも、硝子ちゃんはやっぱり知っていたようだ。

「あの日の朝、五条の部屋での下着を見つけちゃったから五条を問い詰めちゃったの。ごめんね、黙ってて。五条にもから話してくるまで知らないフリしててくれって言われてたんだ」
「い、いいの…。私もそうじゃないかなって思ってて…。私こそ、すぐ話さなくてごめんね。硝子ちゃんに…どう話せばいいのか、あの頃は分からなくて…」

硝子ちゃんに話せた事で、長年、痞えてたものが消えたように、胸の奥がスーッと軽くなった気がした。

「でも、そっか。五条くん、そんな事まで気遣ってくれたんだね」
「まあ…言ったでしょ?アイツ、にだけ、優しいのよ」
「……そう、なの?」
てば、真っ赤になっちゃって可愛い~♡ あ、でも五条の為にそんな顔するのは、やっぱ腹立つからダメ!」

硝子ちゃんは相変わらず、そんな事を言ってて、つい笑ってしまった。

「それで…アイツに言わないの?の気持ち」
「…そ、れは…まだ考えてない」
「え、どうして?言ったらいいのに!アイツ、泣いて喜ぶよ?」
「え?ま、まさか…」
「あ、ああ、いや…私の勘、だけどね!(私の口から言うのはまずい)」

硝子ちゃんは笑いながら軽く咳払いすると、もう一度、「アイツに言ってみたら?」と言った。
でも私は軽く首を振ると、

「まだ…怖い気持ちが強いから」
「…怖い?」
「私…五条くんだけは失いたくないって…思ってる」
……」
「だから…まだ怖くて言えないよ…。あの夜の事があってから、ずっと意識しないようにしてきたから。五条くんもせっかく普通に接してくれてるのに、それを壊したくない」
「で、でも、もしかしたらアイツも同じ気持ちかもよ?あ、あのグラビアアイドルもそんな好きじゃなかったみたいだし!」
「グラビア…って、ああアミちゃん?そうなのかなぁ…」

とはいえ、未遂事件みたいな事があったような気がしないでもない。
硝子ちゃん曰く、彼女の方から五条くんに迫った、と、聞いた事には聞いたけど…

「五条くんはセクシーで優しい子が好きだって前よく言ってたし、そう考えると色気のない私に勝ち目はない上に、そもそも胸の大きさで負けてるもん…」(!)
「そっそんな事ないってば!元々五条はのファンだったんだし、あんな巨乳女なんて目じゃないよっ」

ドンっとテーブルを叩いて力説する硝子ちゃんに、思わず目が丸くなった。

「あ…ありがとう…」
「……(ハッ!まずい)」
「でも、いいの。まだ気づいたばかりで気持ちの整理が上手くできてないっていうか…色々あったから。この七年」
「そう…だね…」
「一応、自分の気持ちがハッキリしたのと…五条くんとのこと、硝子ちゃんに話したかっただけ。今は…自分が出来る事を頑張りながら、五条くんに迷惑かけないようにサポートしたいんだ」
「今でも充分、アイツはに助けられてると思うよ?」
「そんなことないよ。まだまだ、もっと色んなことしてあげたい。今まで私がいっぱい助けてもらったように。まあ、呪術は使えないけど」

そう言って笑うと、硝子ちゃんは何故か瞳を潤ませ、思いきり抱きついてきた。

!!なんていい子…っ」
「え、え?」
「やっぱ、五条なんかにはもったいない……」(!)

私に抱きつきながら、恨めしそうな顔でそんな事を言う硝子ちゃんは、それでも最後に、耳元で、「でも、いつか言ってあげてね」と、小さく呟いた―――。




七海視点、楽しい笑。あと何気にパンダくん初登場(まだ子供)
夏の夜、悟くんの憂鬱…笑 そして遂にヒロインも自分の気持ちに気づきました。
次回は中坊の伏黒くん登場。