【第二十話】 10年目の冬―前編




2015年、11月。




「え…高専で働く…?私が、ですか?」

そのあまりに突飛な申し出に、聞き間違えたのかと思った。
でも、目の前の夜蛾学長と、父の真剣な顔を見ていると、それが冗談ではないんだ、と理解した。

「僕は悪い話じゃないと思うよ?仕事、と言っても主にサポートする簡単なものだし」
「サ、サポートって言っても…私、呪術のこと何も知らないのよ?お父さん…」

久しぶりに顔を見せたかと思えば、無茶ぶりしてくる父に、私は本気で困ってしまった。
長年、ここに住んでいると嫌でも呪術の話は耳に入って来る。
でも私には当然そこまで関係のないものだった為、殆どが流して聞いていたし、呪術について深く知ろうともしてこなかった。
その私が、呪術高専で何をサポートするんだ、と思っていると、困り顔の夜蛾学長の代わりに、再び父が口を開いた。

「呪術の事はそれほど知らなくても出来るよ。も今はモデルの仕事も減らしてる事だし、デザインの勉強しながら高専の皆の手伝いをするくらいは出来るだろ?」
「でも…そのサポートって何をするの?」
「高専には補助監督という呪術師をサポートする人達がいるでしょ」
「うん。篠田さんとか、伊地知さんとかがやってる仕事よね」
「そう。でもその補助監督も今や人手不足でね。結構、みんな苦労してるわけ」
「まあ…伊地知さんは五条くんの無茶ぶりのせいで最近やつれてきてるし、違う意味でも苦労してるけど…」(!)

私がそう言うと、父はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。

「そう、それなんだよ」
「え?何が?」
「だから…」

と父はそこまで言うと、説明を丸投げしようとしている自分の後輩、夜蛾学長をチラリ、と見た。
夜蛾学長はその視線に気づき、軽く咳払いをすると、

「実は…その伊地知が辞めさせてくれ、と言ってきてね」
「え…っ?」
「理由は悟のパワハラとも言える無茶ぶりに耐えられない、と言うことで、昨日、泣きつかれたんだ」
「……泣きつかれた…」

確かに私も五条くんの無茶ぶりを何度か目撃した事がある。
そのたびに、伊地知さんは青い顔をして走り回るハメになり、睡眠時間もあまり取れていないようだった。
討伐任務のサポート以外にも、五条くんが授業で使う資料集めや作成、スケジュール管理といった細かな作業までやらされ、その合間にも、コンビニでオヤツ買ってきて、だの、空いた時間に映画観るから上映時間を調べて、だのと、仕事と関係ない事まで頼むものだから、伊地知さんはいつも疲れていた事を思い出す。
だけど、それと私が高専で働く事と何の関係が?と思っていると、夜蛾学長は見た事もないような笑顔――怖い――を私に向けた。

「そこで、だ。その伊地知のサポートをちゃんにお願いしたくてね」
「…わ、私が?」
「呪術の事が知らなくても出来る資料集めや、それをまとめてファイル作成したり、出張先のホテルの予約、移動手段のチケットの予約、ルート調べ等など、ちゃんにも出来る事を手伝って欲しいんだ」
「………(それって雑用係って事じゃ…?)」

と、思ったが、そこは黙っておく。
でも確かに、五条くんの無茶ぶりを聞きつつ、そんな細かい仕事まで伊地知さん一人でこなしてたら、そのうち過労死してしまうだろう。
他の補助監督の人は、そこまで苦労はしてないっぽいし、やっぱり五条くんに問題があるとしか思えないけど。(!)

「どう、かな?」
「は、はあ…。私は…それくらいの仕事なら出来るとは思いますけど…」

五条くんのせいで優秀な補助監督さんが辞めてしまうのは何だか申し訳ない気分になり、つい、そう言ってしまった。
途端に、夜蛾学長は安堵の息を漏らすと、

「そうか!それは良かった!」
「じゃあ、決まり、だね」

父も嬉しそうに言うと、「ああ、それと…」と言って、私の方へ向き直った。

「もう一つお願いしたい事があるんだって」
「え?もう一つって…?」

ニコニコする父の顔を見上げると、夜蛾学長がソファから立ち上がり、自分の机から何やらデザイン画のようなものを持ってきた。

「実は…ウチの制服は生徒の意向を聞いてデザインを決めるんだが…そのデザインをちゃんにお願いしたくてね」
「えっ?私に?」
「いや、まだ勉強中という事だが、やはり子供の頃から一葉さんを近くで見て来たのと、モデルをしてる事もあって、凄く良いデザインをすると思ってね。前に頼んでた人が引退してしまって困ってたとこに樹先輩から娘はどうって言われて」
「え、お父さんが…?」
「ああ、僕が見せたの。のデザイン画。この前一葉に送ったでしょ」
「あ…送った…かも。アドバイス貰いたくて」
「それ一葉も凄く気に入ったらしくて僕にも見せてくれたんだ。で、その後に夜蛾学長からその話を聞いて、僕はにデザイン頼んでみたら?って言っただけなんだけど…」
「伊地知さんの問題もプラスされたってわけね…」

何となく話が見えてきて、私は苦笑した。
でも、確かに護衛されるようになってからは、お世話になりっぱなしで、いつか五条くんや、高専の人達の役に立てるような事もしたいとは考えていたから、今回の話はちょうどいいのかもしれない。
内容も私が思うほど呪術には関係ないみたいだし、主にサポートのサポートとして、雑用係的なものだと思えばいいだろう。

「分かりました。じゃあ伊地知さんのサポートと、制服のデザインの仕事、やらせて下さい」
「そうか!いや、本当に助かるよ。これで伊地知も、また頑張ってくれるはずだ」
「いえ。私も何かお手伝いしたいと思ってたので、そんな事で良ければ…。あ、でも何で素人の私に?募集したら誰か来そうなものなのに」

ふと気になった事を訊くと、父が困ったように笑った。

「いや、呪術師関連なんて怪しい仕事だと思われるから逆に来ないし、多少知識のある人が来たとしても、あの五条くん相手に仕事を出来る人材は、なかなかね」
「あ、五条くんか…」
「まあ、でも?なら上手く五条くん扱えるでしょ?彼もの言うことは良く聞くって硝子ちゃんも話してたし」
「え…いや…どう、かな?」

父からそんな事を言われ、少し頬が赤くなった。
言うことを聞くと言われても、五条くんはお願いした事を引き受けてくれるだけで、それが仕事となるとどうなのか、私でも分からない。

「まあ五条くんの傍にいるってのは今まで通りだし、その辺は何も支障ないしね」
「そうかもしれないけど…。私、いつまで護衛対象なの?」

ふと気になって尋ねると、父は何故か夜蛾学長と軽く視線を合わせたように見えた。

「それは、夏油傑が処刑されるまでだよ」
「………っ」

父にその名を出され、僅かに鼓動が跳ねた。
特級呪詛師となってしまった彼には、処刑という方法でしか、罰は与えられない。
彼はあの日から今日まで、大勢の人を殺しているという。そんな危険人物を、高専の上層部が許すはずもないのだ。
でも、それは私にとっては凄く辛い事でもある。
いくら殺されかかったと言っても、過去に一度は好きになった相手が処刑、それも、その命を五条くんが受けていると知った時は、本当にショックだった。
あの二人は、親友同士だったのだ。
そんな辛い任務を、五条くんが受けなければいけない事が、余計に辛かった。

「大丈夫?」

不意に父の手が頭に乗せられ、ハッと顔を上げた。
父のその心配そうな顔を見て、私は何とか笑顔を作る。

「大丈夫…分かってるから」
「…彼は最近また動きを止めているけど、いつどこで何を仕掛けてくるか分からない。も充分に気を付けて、特に高専の外では五条くんの傍を離れるなよ?」
「うん…」
「じゃ、今後の仕事内容を夜蛾学長に教えてもらって」
「え、お父さんは?」
「僕はこれから、また海外。次はヨーロッパかな」
「そうなんだ…。で、今回は何で戻って来たの?」

今朝、急に帰国してきた父が離れに来て、いきなり学長室まで連れてこられたから驚いたのだ。

「そりゃーの顔を見に来たんだよ。一葉も今はアメリカで仕事中だし、最近はずっと一緒にいたから、離れてる娘の方が心配でさ」
「………」
「あれ、何その疑いのまなざし」
「だって…私一人に会いにわざわざ帰国なんてしないでしょ」

そう言って睨むと、父は困ったように微笑んで、私を抱きしめた。

「そんなわけないだろ。ほんとにに会いに来たの。変な虫がついてないか定期的に確認しなきゃいけないしね」
「……へ、変な虫って…」
「だって今は傍に一葉もいないし心配だろ?」
「あのね、お父さん…。私、もうすぐ26になるんだよ?恋の一つや二つしてたって当たり前―――」

と言ったところで言葉を切った。
父が怖い顔で――しかもちょっと青ざめてる――私を見下ろしているからだ。

「聞き捨てならないな…。…今、恋してるの…?」
「えっ?ち、違うってば。た、たとえ…話でしょ?」
「…ほんとに?」
「う……(声のトーンが一つ下がった)」

この手の話になると、父は本当に怖い。
普段アホほど優しいから余計に怖い。
夏油くんの事はあんな事があったから何も聞いては来なかったけど、今、進行中の片思いの相手がバレたら、それこそ大変だ。
ただでさえ、私のPTSDが治って来た事で、別の誰かを好きになったんじゃないか、と何度も疑っていただけに、いつか気づかれるんじゃないかと最近は父が帰国するたびヒヤヒヤする。
その辺の事は累子さんが上手く誤魔化してはくれてるけど。
ああ、そうか。ここ数年、こんな風に突然帰国してくるのは、そういうのを確かめるためかもしれない。
だから連絡もなしに不意打ちみたいな形で、いきなり訪ねて来てるのかも…。
ここは何とか誤魔化さねば、と思いながら、未だジトっとした目で私を見ている父に、何とか笑顔を見せた。

「ほ、ほんとだってば!だいたい仕事以外はずーっと高専にいるんだから出会いなんかあるわけないじゃない」
「そ…そうですよ、樹先輩…。ちゃんが、そんな恋なんて…してる時間もないですし…」

夜蛾学長も父の親バカ、いや娘バカに気づいて来たか、それとも前の学長の極矢さんに聞いていたのか。
ゴツイ顔を引きつらせながらも援護をしてくれた。
なのに父はジロっと夜蛾学長を睨むと、

「いるでしょ。高専内にも、男」
「えっ?い、いや…そりゃ…いますけど、限られてるというか…」
「教師に、補助監督。ああ、そもそも生徒だって男、だからね」
「そ、それは―――(年齢差があるだろう!)」(夜)
「お、お父さん!生徒なんて歳が違いすぎでしょ?!バカな心配しないでよっ」
「いーや。こんなに可愛いを見たら、年齢関係なく、男の子ならフラフラっとする。僕ならする」(!)
「……(アンタかい)」(夜)
「も~恥ずかしいから、そういう事言わないでよっ」

父の娘バカ度が夜蛾学長にまでバレてしまったせいで、私は顔が赤くなってきた。
とはいえ、一番近くにいる護衛の名を言われなくて良かった、と思っていると、

「まあ、でも?五条くんなら…1万歩譲って(!)許してもいい、かな?とは思ってるけどね」
「――――ッ」
「は?」

私が息を潜めるくらい静かに驚いていると(本気で心臓が口から出るかと思った)夜蛾学長が間の抜けた声を上げた。

「…な、何故あの悟なら…いいんですか?(むしろ一番ダメなのでは)」

恐々と夜蛾学長が尋ねると、父は悪魔のような微笑み(私にはそう見えた)で、一言。

「だって、彼、最強だから」
「……え、それだけ、ですか?」
「そうだよ?だって僕の代わりに、どんな危険からもを守ってくれるような強い男じゃないと安心して任せられないだろ」
「は、はあ、まあ…。それでいいなら悟は適任ですが……(性格はいいのか)」(!)
「それに彼、僕に似てるとこあるから親近感沸くし ♡」
「「ああ………(似た者同士って事か)」

きっと今、私と夜蛾学長は同じことを思ったはず。
確かに最近の五条くんは、父とどこか似て来た気がする。
私に甘いとこや、過保護なとこなんかは、まるで父親が二人いるみたいな気分になる事があるからだ。
それが好きな相手だと思うと、嬉しい反面、何か子供扱いされてるような気もして、最近少しだけ不満だったりする。
でも、そうか。
こんなに心配性の父が、何故五条くんが護衛として傍にいるのに、これまで何も言って来ないのか不思議だったけど、そういう思惑もあったんだ。
一人納得をしていると、父はふと時計を見て、

「という事で、僕は行くけど。も恋する相手はきちんと見極めて、僕に似た人を探してね ♡」
「……嫌よ」
「何で?!」

最後に私を抱きしめて、頬にキスをしてくる父に一言、そう言えば、引くくらい落ち込まれ、困ってしまった…。(ここにお母さんいたら、またケンカになってたな)