【第二十一話】 予定調和-前編



「…タ…タコじゃない!!」

キッチンで新しいビールを出していると、の大きな声が聞こえて来て、ふと声のする方を覗いてみれば。
風呂場の方から顔を真っ赤にしたが飛び出して来て、自分の部屋へ走っていくところだった。
何があったんだ、と思った矢先、五条が濡れた髪をバスタオルで拭きながら、脱衣所から出て来る。
下は履いていたが、上半身裸という格好で、そのままキッチンの方へ歩いて来た。

「アンタ…に何したのよ」

バスタオルを肩にかけ、冷蔵庫からフルーツ牛乳(子供か)を出し、飲みだした五条を軽く睨む。
五条は私にふと視線を向けると、冷蔵庫へ寄り掛かり、楽しげな笑みを浮かべた。

「そろそろハッキリさせたくなった」
「…何を?」
の気持ち。僕を男として意識してくれるように接してみようかなと思って」
「どういう意味よ」
「だから、そういう意味」

何を言ってるんだ、と思いながら、フルーツ牛乳を一気に飲み干した五条を見上げると、

「…また変にからかったとかじゃなくて?」
「向こうはそう捉えがちではあるけど僕は彼女のこと、からかった事なんてないよ。今だって至って真面目に抱きしめた」
「は?」
が可愛くて。彼女はそんなつもりなくても、いちいち僕を煽ってくるから」
「……要は勝手にムラっとしたってだけでしょっ!」
「まあ…それもある。けど…」
「けど?」

普段と違い、珍しく真剣な顔で私を見る五条は、確かに冗談を言っているようには見えない。
これまでは、の気持ちが自分にないと思い込んでいる五条は、彼女の負担にならないよう、自分の気持ちを伝える気はない、と言っていた。
その五条が、ここへ来て男として意識して欲しくなったのは何でなんだろう。
そんな私の気持ちを察したのか、五条は苦笑いを浮かべると、

「もう10年」
「え?」
「初めてと会ってから」
「あ、ああ…言われてみたら…そうだね」

あれから10年も経つんだ、と改めて考えれば、今日まで色んな事があったな、と懐かしく思う。
の護衛任務から始まり、夏油とが付き合いだし、そして二年後…あの事件が起きた。
傷ついたをずっと傍で見て来て、支えながら、お互いに色んな事を頑張って乗り越えて来た。
私や、五条の青春時代の中には、間違いなくがいて。
そして大人になった今でも、は大きな存在として、私の中にいる。
それはきっと五条にとっても同じだろう。
そんな事を考えていると、五条はふと、真剣な顔で私を見た。

「僕もさー。来月には26になるし、そろそろ、一つの区切りとしてに本気でアプロ―チしてみようかなと思うようになって。でも長年友達として見てた僕をなかなか男として見られないだろうから、時間かけて、まずは意識してもらう事にした」
「……マジ?」
「大マジ」

五条は真剣な顔で頷くと、僅かに目を伏せた。

「ほんとはさ…。傑とのケリを着けたらに気持ちを伝えようかって考えた事もあったんだ。でもアイツ、なかなか姿を見せないし?これ以上、モタモタしてたらもそのうち好きな奴が出来るかもしれないしさ…」
「……(そこは大丈夫だと思うけど教えてやらない)」(!)

真剣な顔で話す五条を見ながら、私は内心ニヤリとした。
これまで互いに互いの事を考えすぎて、相手の負担にならないよう自分の気持ちを隠して来た二人だけに、どちらかが行動を起こさない事には難しいだろうな、と私も思ってたところだ。
でも最近気づいたとは違って、五条は10年という長い時間、を密かに思っていたという現実がある。
この10年を区切りに二人の関係を変えたいと思うのは普通だろう、いや遅いくらいだけど。

「夏油の仲間らしき奴は現れたんだっけ?」
「ああ、が東京で仕事の時、何度かね。まあ僕が牽制しといたけど。多分、偵察だろうな。傑もまだ諦めてないんだろ」
「まあ、アイツも五条がの傍に常にいる事は承知だろうから無茶な事は出来ないだろうしね」
「ま、そういうわけで傑との決着はまだつきそうにないし?」
「我慢も限界に来たってわけね」
「……当たり前だろ。10年だよ?」
「今までに彼氏いなかった事も奇跡だしね~」

そう言って笑うと、五条は何とも不機嫌そうに目を細めた。
そもそもは夏油の事があってからというもの、また誰かを好きになって裏切られるのが怖いと思っている。
そりゃそうだ。
憧れていた男に二度も酷い事をされ、次に本気で好きになった相手からは大切な家族を殺され、自分まで殺されかかったという最悪の経験をしているのだから、どれだけ年月が経ったとしても、大きなトラウマが今もあるはずで。
だからこそ、はこの10年近く、誰とも付き合おうとはしなかった。
仕事関連の人達に何度か告白をされた、というのはコッソリ教えてもらった事はあるけど、彼女は誰とも交際する事はなかったし、好きになれるような男もいなかったらしい。
でもそれは、気づかないうちに五条の事を好きになってたからだ、と私は勝手に思っている。
でもそんな事を知らない五条は、なかなかどうして、の恋愛事情のついて、本気で心配してるのか、大きな溜息をついている。

「とりあえず伊地知のサポートの件は助かった。モデルの仕事もしばらく休むらしいし」
「あ~アンタ、がモデルの仕事してる間は毎回ヒヤヒヤしてたもんね。男のモデルが話しかけるたび、近づくなオーラ出してたでしょ」
「………」

私が突っ込むと、五条は気まずそうな顔で視線を反らした。
その顔を見て内心、吹き出しそうになる。

言ってたよ~?友達のモデルに"のナイトくん怖い"って言われるんだけど何でだろって」
「あんな下心見え見えの奴が、あれこれ誘ってんの見たら、そりゃムカつくだろ。はあの通り呑気だから男のそういうとこ分かってないし危なっかしいったらない。そもそもモデルの仕事は周りに男多すぎ」
「ふ~ん」

一気に愚痴を吐き出す五条に、だんだん私の顏がニヤケてきた。
昔は自分と関係のある女が他の男と歩いてても――任務中に出くわした――平然と声をかけて笑顔で手を振ってた奴が、の事では、こうも嫉妬心丸出しとは…ウケる。

「何だよ…そのニヤケ顔」
「別にぃ?ただ五条って、相当ヤキモチ妬きだったんだなあって思っただけ。アンタにはそういう感情ないと思ってたし。こりゃも大変だ」
「は?何で?好きな子が他の男と話してたら妬くのは普通でしょ」
「ヌケヌケと……」

シレっとした顔で嫉妬する、とかぬかす五条に、思い切り目を細める。
だいたい五条が誰かに対してヤキモチ妬いたのなんて、これまで見た事がない。

「アンタの嫉妬するとこ初めて見たわ。っていうか、昔は付き合ってた子に対して冷たくなかったっけ」
「まあテキトーだったからな、あの頃は。真剣交際なんてした事なかったし」
「そうそう、女の敵だなと思ってたわ。あ、でも前の外泊事件の時も女のとこ実は泊まってたでしょ。まさか今もそんな女と繋がってるんじゃないでしょーねっ?」

少しは変わったと思ったりもしたが、コイツは五条悟だった、という事を思い出し、ジロリと睨む。
この期に及んで女絡みでを泣かすようなら、やはり五条には任せられん、と心に誓う。
が、意外にも五条は、「まさか」と顔をしかめた。

「あの時は間違ってを襲わないよう、自分を静めてただけ。でも全然意味なかったけど」
「と…言いますと?」

気になって訊いてみると、五条は溜息交じりで項垂れた。

「僕がに求めてるのは別に体じゃないからさ。他の子で性欲満たしたところで、全く効果ないって気づかされた」
「あ~そういう事…」
を忘れようと思った事もあるけど、無理だよね。毎日傍にいるんだし…その前に…の代わりなんてどこにもいないし、彼女みたいな子は他にいない」
「当然でしょ」
「何で硝子がドヤ顔?」

私の顔を見て軽く吹き出した五条は、小さく息を吐き、天井を仰ぎ見た。

「だから、諦める事を諦めたら…。やっぱこのまま友達としてしか思われてないのは嫌だなと」
「ああ、で、さっきのアレか…。ちなみにが叫んでた"タコじゃない"って何?」
「あ~。風呂上りの僕を見て恥ずかしそうにしてるが、あんまり可愛いから、ほっぺにキスしたら更に真っ赤になってさ。ゆでだこみたいだって言ったら怒っちゃって」
「……そりゃそうだろ!(こういうとこ変わってねー)」
「だって可愛いだろ。あんな事くらいで真っ赤になるなんて」
「デレデレすんな」

一人ニヤケ始めた五条に、思わず目が細くなる。
あの五条が一人の子を本気で好きになったのはいい事だけど、まさかここまでバカになるとは思ってなかった。(まるで樹さんみたいだ)
呪術師最強の男を、ここまで骨抜きにするは、ある意味、史上最強の猛獣使いかもしれない。(!)
そしてふと怖くなった。
これで互いに両想いだと分かって二人が晴れて恋人同士になった場合、五条は今まで以上にヤバい事になるのでは、と。
元々が己の本能に素直すぎる奴だっただけに、そこはハッキリ言って未知の世界だ。(ゾッ)

「ま、一途なのは認めるし頑張るのもいいけど、あまりを困らせないでよね」
「え、困らせてるつもりないけど」
「………(自覚ない奴は一番タチが悪い。いや五条は元々タチ悪いけど)」

でも、まあ、五条がやっと本気でと向き合おうとしてるなら、良かった。
これでもアレコレ悩んでる事を取っ払ってしまえば、きっと大丈夫。
色々ありすぎるくらいあったけど、出会ってから10年。
そろそろ二人が幸せになってもいい頃だ。
楽しげに部屋に戻って行く、五条の背中を見ながら、ふと、そう思った。

まさか、一年後、夏油が本格的に動き出す事になるとは、この時の私は思ってもみなかった。








2006年、11月。



、一緒に京都行かない?」

ある朝、五条くんが唐突にそう言ってきた。
この一年、補助監督の伊地知さんのサポートをしてきたが、思っていた以上にやる事が多く、仕事以外で出かける暇もなかった事から、五条くんが気を遣ってくれたらしい。
と言っても、ただ遊びに行くわけじゃなく、京都高の楽巖寺学長の誕生日パーティに行くはずだった夜蛾学長が急遽行けなくなった事で、何故か五条くんが代理で出席する事になったようだ。

「ほんとはさー。あのお爺ちゃんの誕生日なんてどうでもいいんだよねー。葬式なら喜んで行っちゃうけど。(!)でもこの一年とどこにも行けてないからさ。たまには二人で遠出したいなと思って」

そう言ってくれた時は凄く嬉しくて、二つ返事でOKした。だけど…。
ここ一年、五条くんは少し、おかしい。
いや、意識して、と言われた日から、ずっとおかしい。

何がおかしいって、以前はなかったような言動が多くなった。
突然、膝枕してーと私の膝に寝転んだり、そのついでに耳かきしてーとねだって来たり、私がお風呂上りに髪を交わしていると、僕が乾かしてあげると言って来たり、 一緒に歩いていると手を繋いで来たり、頬や手などにキスしてきたりと、やたらスキンシップが増えたし、まるで恋人にするような事ばかりしてくる。
その都度、私は恥ずかしくて困ってしまうし、ハッキリ言って心臓がもたない。
好きな相手から甘えられたりするのは嬉しいけど、でも変に期待してしまうのも嫌だった。
だから、なるべく気にしないようにはしてるんだけど、今回初めて二人きりで京都に行くのは、やっぱり少しだけ、ドキドキした。

「あ、富士山!ね、五条くん、天気いいからハッキリ見えるよ?ほら…って、何笑ってんの…?」

外の景色から隣にいる五条くんへ視線を戻すと、彼は肩を揺らしながら笑いをかみ殺している。
何かおかしな事でも言ったかな、と首を傾げると、五条くんは目隠しをずらし、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、

「い、いや…今時、富士山見て、そんなはしゃぐ子いないでしょ。しかも、窓にへばりついて子供みたいだから」
「………どーせ"お子ちゃま"って言いたいんでしょ?」
「いや、ちょー可愛いけど」
「…………(また)」

意味深な笑みを浮かべ、そんな事を言って来る五条くんを睨みつつ、どう返せばいいか困っていると、不意に左手を握られてドキっとした。

「な、何…?」
「ん?」
「な…何で、手、繋ぐの…?」
「繋ぎたいから」
「………」

ニッコリ(目隠しで分かりにくいけど)と微笑みながら、そんな事を言われ、小さく鼓動が跳ねる。
その瞬間、繋いでいた手がするりと動いて、五条くんの指が私の指にそっと通されたと思ったら、軽く握られ、更に顔が赤くなる。

(こ、これは世間でいうところの……恋人繋ぎなのでは……)

そこに気づいた時、心臓がやたらと速くなってきた気がして、音が聞こえてしまわないかと心配になった。

(は、初めてされた…こんなの!な…何か微妙にエッチなのは…気のせい…?)

握られている手に全神経が集中して、動けなくなった。
敏感な指先から、五条くんの体温が直に伝わって来るのが、やたらと恥ずかしくて、同時に緊張して来るのが分かる。
ここ一年、五条くんはこんな感じで、ほんとにおかしい。

"少しずつ意識してってよ"

あの言葉を言われた日から、何度となく、こういう事をしたり、意味深なことを言って来たりする。
意識して、と言うなら、私は多分、気づかないうちに意識はしてきたと思う。
ただそれを気づきそうになるたび誤魔化しながら、ここ数年五条くんと過ごしてきた。
だから今更感なのに、五条くんはどうして急にあんな事を言い出したのか、未だに真意を測りかねている。
硝子ちゃんに相談しても、「五条もが好きなんじゃない?」とありえない事ばかり言って来たりする。

五条くんが私を好き、なんて、そんな事、あるんだろうか。
ふと、そう思いながら隣にいる五条くんを見上げる。

「ん?何?」
「べ…べ、別に」

余裕の笑みで首を傾げてくる五条くんから、慌てて目を反らす。
目隠しをしてる五条くんは、表情が見えないから余計に何を考えてるか分からない。
五条くんは優しいけど、今までこういう事をする時はだいたいが、からかいモードだった。
だから私の事を好きなのかな、と思うより、変に期待したくない、と思ってしまう。
そもそも出会った頃から、何度となく、「俺はセクシーな子がいい」とか、「年上のお姉さまがいい」とか言って、私の事は「お子ちゃま」と散々バカにしてきた。
あげく、あんな事があった後でも、私の事を「親友の彼女」と言っていた事だってある。
そんな五条くんが、私を好きだなんて、ありえない。

だから、こうやって手を繋いだり、抱きしめられたりすると、ドキドキするけど、逆に辛かったりもする。
私ばかり、ドキドキさせられて、五条くんはいつだって飄々としてるんだ。

「そ、そう言えば…私まで来て、ほんとに良かったの?護衛されてる身なのに」

だんだん気まずくなってきて、何か話題を、と考えていたら、そんな事を訊いていた。
そもそも今回招待されてるのは学長代理の五条くんだけなのだ。
誘われた時は嬉しくて、行きたいなんて言ったけど、実際私までついてきてしまって本当に良かったのかな、と心配になる。

「いいの、いいの。本気で祝う気なんてないし。ただのキッカケってだけだから。それに僕が傍にいれば、敵も襲って来る事はないから大丈夫。ま、パーティはちょっと顔出して、後は二人でばっくれようか」
「また、そんなこと言って…学長の代理の意味ないじゃない」
「僕はと京都観光したいんだけどなー?」
「………(五条くんと京都観光…私もしたい、けど)」

チラっと彼を見上げれば、五条くんは楽しそうに鼻歌なんて歌っていて。
繋がれたままの手の熱さに、まるでデートをしてるような気分になる。
これは半分仕事なのに。

は京都って行った事ある?」
「うん。と言ってもロケで一回だけ。撮影終わったらすぐ帰ったから、どこにも行けなかったなぁ。京都の着物を着て撮影してたんだけど、終わった後に着物を着て、夕海と少し近所を歩いたくらいで」
「……そっか。二人とも、着物、似合いそう」

ふと、五条くんの声のトーンが変わった気がして顔を上げると、彼はどこか遠くを見てるように、窓の外を眺めている。
その表情は分からないけど、もしかしたら夕海の事を考えてるのかと思った。
夕海を祓ったのは五条くんだ。
名前を聞いて、思いだしてしまったのかもしれない、と思った。

「あ、あの―――」
「僕も見たいな、の着物姿」

ふと、口元を緩めてそんな事を言う五条くんに、私も何とか笑顔を作る。

「私、似合わないよ、着物」
「え、そお?そんなことないでしょ」
「身長高いから、何か違和感あるっていうか。ほら、着物って小柄でなで肩の人が似合うんだよ」
「そうかな。、絶対似合うって。あ、京都行ったら、着物、着て観光しよーか」
「えっ?」
「楽しみだなぁ、の着物姿」
「ちょ、ちょっと勝手に決めないでよ…」

一人で楽しそうにしている五条くんに、困っていると、彼は不意にニヤリと笑ったような気がした。

「夜は帯くるくるしてあげるね ♡」
「な…何よ、それ…っ」

とんでもない事を言い出した五条くんに、顏の熱が一気に上がる。
なのに五条くんは真顔で私を見ると、

「何って…男のロマン?」
「…………(ドスケベ)」

ジトっとした目で睨むと、五条くんは小さく吹き出し、「そんな無言で猫みたいに毛を逆立てなくても」と、楽しげに笑っている。
でも五条くんなら、ほんとに帯をくるくるしそうで嫌だ、と内心思う。

「時代劇じゃないんだから、実際の着物はあんなに帯をくるくるなんて出来ませんよー」
「えっ?そうなの?」
「そんな驚く?」
「いや、だって男のロマンが!」(!)
「着物の帯って腰に巻く部分はそこまで回数巻かないから、出来てもせいぜい2くるくらいかな」
「…マジ?」

笑いながら説明すると、夢が崩れたのか、五条くんは残念そうに項垂れた。(そんなに?)
あげく、「せめて4くるはしたい」と、ブツブツ言ってる姿に、つい笑ってしまった。

「そんなに悪徳代官みたいなことしたいの?」
「いや、着物を着たをくるくるしたいだけ」
「………」
「あ…赤くなった」

どこまで本気で言ってるのか分からないけど、心臓に悪いから、そういう冗談はやめて欲しい。
そんな気持ちを込めてジロっと睨むと、五条くんはキョトンとしたように、

「あれ…何で怒るの」
「お…怒ってないけど…そういう事したいだけなら他の子として下さい」

これ以上、からかわれるのは沢山だ、と思った。
なのに、五条くんは驚いたように私を見ると、

「え、他の子の着物姿には全然興味ないけど」
「……え?」

どういう意味?と訊きたいけど、こんな内容でそれを訊くのもどうかと思って、言葉に詰まる。
その時、五条くんのスマホが振動する音がした。

「あ…歌姫から。さっき留守電に折り返してって入れたんだ。ちょっと待ってて」

そう言って立ち上がると、五条くんは足早にデッキへと出て行った。
その瞬間、大きく息を吐き出し、ドキドキとうるさい心臓に手を当てる。
京都に行く前からこんな調子で大丈夫かな、と心配になった。
よく考えたら一泊で、しかも五条くんと二人きり、という状況は今回が初めてなのだ。

(やっぱり伊地知さんにも来てもらえば良かったかな…)

そんな事をふと思う。
でも五条くんがいなくても、伊地知さんにはやるべき仕事が山ほどあって、討伐任務でもない今回みたいな仕事で連れまわしていい人材ではないと私も分かっている。
五条くんの生徒たちの任務でも補助をかねてるみたいだし、ここは私一人で何とか頑張るしかない。
まあ、頑張ると言っても、楽巖寺学長の誕生日パーティなのだから、特にやることもないんだけど。

ふと、何年か前に挨拶をした楽巖寺学長を思い出し、溜息をつく。
五条くんが後から教えてくれたけど、あのお爺ちゃんはにこやかで優しげなのは表の顔で、実のところは、かなり腹黒い狸ジジイらしい。
それにあの時会った禪院直哉は、あの恵くんの親戚という事で、ちょっと驚いた。
確かにどこかで聞いた名だと思った。
五条くんの生家、五条家と禪院家は遠い昔から色々争ってきたようで、友好的な関係ではないとの事だ。

「パーティに来てるだろうから、は直哉にはあまり近づかないで。女性蔑視が酷いわりに女好きだから」

五条くんはそんな事を言っていた。
御三家がどうのと言っていたが、本当にそんなものがあるんだ、と思った。
何百年も前から続いている家系で、しかも五条くんは何年か前に、その家の当主になったと聞いた時は本当に驚かされた。
そこで、私は彼の事を何も知らない事に気づいて。
出会った頃はお互いに学生だった事もあり、そういう家柄とかの背景なんて考えた事もなかったけど、大人になった今、色んな事が見えて来た。
特に高専に関わった事で見えて来た、五条悟という存在は今の呪術界にとって、とても大きいものだと知った。
だから余計に私の護衛なんかしてていいんだろうか、と悩んだ事もある。
一度、七海くんにそんなような事を話したら叱られたけど、でもやっぱり、伊地知さんのサポートをしていると嫌でも気づいてしまう。
彼にしか出来ない任務の多さに。
だからこそ、考えてしまう。
私なんかが独り占めしていいわけないんだと。
背負ってる物の、あまりの多さに、五条くんはホントに凄い人なんだ、と気づいてしまった。

(恵くんの事でも分かったけど…父親が交わした約束を反故にして、高専から資金援助を取り付ける、なんて普通の人は出来ないもんね…)

学生の時に知り合い、その後に色んな事があって、流されるまま傍にいたけど、術師でもない私が普通なら関われるような人じゃないんだな、と実感してしまった。
何だかんだ夜蛾学長といった上の人も、いつの間にか五条くんに頼ってるし、今回だって代理なんて頼んでいる。

「ほんと、凄いなあ…。最初に会った時は嫌な奴って思っちゃうくらいヤンチャだったのに」

昔の五条くんを思い出すと、少しだけ不思議な気がしてくる。
でも今は、ただ好きになっただけ、と言っていい人ではない気がして、少しだけ寂しくなった。







前に一度、顔を出した事はあるが、相変わらず無駄に派手なそのパーティ会場に、僕は内心ウンザリしていた。
本来なら、学長代理なんて仕事は断りたかったし、一度はアッサリ断った。
でも、夜蛾学長の「分かった!心配ならちゃんも連れて行っていい!」という一言で引き受けたようなもんだ。
僕が一泊で京都に来ることになれば、彼女の護衛を頼めるのは七海しかいない。
アイツは特級を相手にするような危険な任務に対し、自分には荷が重い、なんて事をよく言っているが、口で言うほど七海は弱くないし、アイツの実力は僕が一番分かってる。
だからこそ不在の時はの護衛に就いてもらってるが、でも、その七海も今は出張で出払っている。
夜蛾学長もそれを考慮して、の外泊許可を出してくれたんだろう。

(まあ…を餌に釣られた気がしないでもないけど…)

内心苦笑しながら、それでもここ一年、伊地知のサポートとして遊びにも行けずに頑張ってる彼女を、どこかへ連れて行ってあげたいと思っていたから丁度良かったのかもしれない。
こんな機会がないとを連れ出してあげられない、という現状が、多少腹立たしくも感じるけど。

「やあ、悟くん。元気そうだね」
「――どうも。お久しぶりです」

僕の顔を見るなり、嘘くさい笑みを浮かべながら色々な関係者が話しかけて来るのを、何とか往なしながら、歌姫に任せて来た彼女を探す。
歌姫には僕が離れている間、なるべく彼女と一緒にいて欲しい、と頼んであった。
もパーティ慣れをしているせいか、知らないオッサンどもに話しかけられても上手く相手をしていたが、やっぱり心配だった。
ここの奴らはが傑に狙われている事や護衛対象だという事を知っているだけに、何かの拍子に傑の名前を出されでもしたら困る。
あれから何年経っていようと、傑に裏切られた傷だけは心の奥に隠している事を、僕は知っているから。
人混みをかき分け、目隠しをずらして会場を見渡せば、の僅かな呪力を捉える。
非術師でも多少の呪力が流れている事を彼女は知らないが、僕はすでにのそれはこの眼にインプットしてあった。

(良かった。歌姫と一緒だな)

彼女の姿も捉えた時、ホっとして歩いて行くと、僕の気配を察知したのか、歌姫が怖い顔で振り向いた。

「五条…」
「何でキレてんの?歌姫」

相変わらずジトっとした目で見て来る歌姫に首を傾げる。
何もしてないのに、彼女はいつも不機嫌そうな顔をするから嫌になる。

「あ、五条くん。挨拶は終わったの?」
「まあテキトーに終わらせてきた。―――あ、歌姫、ありがとね。のこと見ててくれて」
「別にアンタの為じゃなくて、の為よ。でもはこういう場に慣れてるみたいだから、私がいなくても良かったんじゃない?」

料理を取り分けに行ったを見ながら、歌姫が訝しげな顔で僕を見上げた。

「いや、そういう事じゃなくて、何かとちょっかいかけてきそうな奴らがいるからさ」

そう言いながら、人混みの向こうにいる禪院直哉、そして楽巖寺学長の傍でグラスを傾けている東宮時麗良を見る。
特に麗良は傑と深い関係にあった女だ。
もしかしたら今も傑と繋がっているのでは、と疑っている人物でもある。
そう思いながら彼女を監視していると、不意に料理の乗った皿が目の前に現れた。
驚いて視線を下げると、が、「はい。着いてから何も食べてないでしょ」と、料理の乗った皿を僕に差し出している。

「あ、ああ。ありがとう」
「あ、デザートなら一番奥にいっぱいあったよ。五条くんの好きそうなやつ」
「へえ、じゃあこれ食べ終わったら、それ食べようかな」
「五条くんなら一人で、あれ全部平らげちゃうんじゃない?」
「そこまで食い意地張ってないつもりだけど」

軽く笑いながら、が取って来てくれたサイコロステーキを口へ運ぶ。

、疲れてない?久しぶりでしょ。ヒール履くの」
「大丈夫だよ?こんな格好するの久しぶりだし、やっぱりたまにはいいね、こういうの。五条くんのスーツ姿も新鮮だし」

そう言って嬉しそうに笑うに、僕も笑顔になった。
ジジイの誕生日パーティは、ちょっとしたドレスコードなるものがあり、も今夜は長い髪をアップにして、肩を出した黒のカクテルドレスを着ている。
彼女のそういう姿は久しぶりに見たが、とても綺麗だと思った。

「そのドレス、やっぱ似合う。凄く可愛い」
「あ…ありがと」

ちょっと誉めるだけで赤くなるに、思わず僕の顏も緩む。
でも一つ気に入らないのは…

「ただ…ちょっと肩、出過ぎじゃない?」
「え?そう?でもこれ五条くんが選んでくれたって夜蛾学長が言ってたよ?」
「まあ…胸元が開いてないタイプで、裾もそんな短くないの選んだつもりだったんだけど…肩の事は考えてなかったな」
「……何それ」

キョトンとした顔で僕を見上げて来るに、思わず苦笑した。

「だって他の男に見せたくないでしょ」
「………っ」
「あ…耳まで赤くなった」
「そ…そういうこと言わないでよ。…五条くん、最近、おかしい」
「え、おかしいって、何で―――」
「飲み物、とってくる」

そこでは不機嫌そうにドリンクコーナーへ歩いて行く。
その後ろ姿を、首を傾げながら見ていると、不意に痛いほどの殺気を後頭部に感じた。
徐に振り向くと、歌姫が恐ろしいほど目を細めて僕を睨んでいる。

「何だよ…」
「それは私のセリフよ。何?今の。アンタ達、いつの間に付き合ってるわけ?」
「いや、別に付き合ってないけど」
「はあ?付き合ってもない子のドレスを、しかも露出の少ないものわざわざ選んであげるわけ?アンタは」
「え、ダメなの?ってか、何でキレてんの、歌姫。ヤキモチ?」
「アアアンタにヤキモチなんか妬くわけないでしょーがっ!じゃなくて、は硝子の大事な親友なんだから、アンタみたいのが手を出さないか心配してんのっ」

久々ブチ切れモードの歌姫に、さすがの僕もウンザリして溜息をつく。

「手を出すとか、そういうんじゃないし、僕がに何をしてあげようと、歌姫には関係ないでしょ」
「そりゃないけど…って、アンタ、まさかマジ…なわけ?」
「……悪いかよ」
「…………」

歌姫は見た事もないようなハニワ顔で固まった。
まあ、昔の僕の素行を知ってる歌姫が驚くのも理解は出来るけど。

「嘘…今頃、アルマゲドン…?」
「ぷ…歌姫、古くない、それ」
「信じられない…。あの"来る者拒まず去る者は追わず主義"のアンタが……本気で好きになる子が出来たなんて…」
「いつの話してんの。僕ももう26よ?っていうか、、遅くない?」

そう言ってドリンクが置いてある場所を見ると、が狸ジジイに捕まってるのが見えて、軽く舌打ちが出た。

「ちょ、ちょっと五条、何する気?」

イラっとした僕の空気が分かったのか、歌姫が慌てたように腕を掴んで来る。

「放せよ。大丈夫。キレたりしないって」
「……敬語!」
「今更だろ」

そう言って笑うと、歌姫は呆れたように腕を放し、「あまり学長を煽らないでね」と溜息をついた。

「煽ってるつもりないけどね」

そう言いながら僕は急いでのところへ歩いて行った。

「あ、五条くん」

僕の事に気づいたがこちらを見ると、狸ジジイは、「これはこれは」と意味深な笑みを浮かべた。

「学長の代理でわざわざ来てくれたとか。遠いところ悪かったのう。今、可愛らしいお嬢さんからプレゼントを頂いたところでね」
「お爺ちゃーん、お誕生日おめでとう。でもそろそろ誕生日パーティじゃなしに、葬式に招待されたいね」
「……相変わらず、口の利き方を知らんようやの」

ピリピリとした殺気をまとったジジイは、それでも嘘くさい笑みを浮かべて、に「アンタも苦労するのう」とぬかしている。

「い、いえ…。―――ちょっと五条くん…失礼でしょ?」
「いいのいいの。僕と楽巖寺学長の仲だから ♡」

笑顔でそう言うと、更に殺気を放つジイさんに内心苦笑する。
その時、僕のケータイが震えだし、表示を見れば、夜蛾学長からだった。
どうせ、ジイさんにプレゼントを渡したかどうかの確認だろ、と思い、その場で出た。

「もしもーし。プレゼントならが今―――」
『悟…すぐ戻って来てくれ』
「……は?」

夜蛾学長の第一声に、僕は耳を疑った。

「何それ。何か…あった?」
『任務だ。今日、都内の学校にて特級過呪怨霊とっきゅうかじゅおんりょうが確認された』
「…特級過呪怨霊っ?まさか―――」
『男子生徒四人がロッカーに詰められ、死んではいないが重症だ。これは悟にしか任せられん。分かるな?』
「……ああ」
『詳しい事は戻って来てから話す。とりあえず今は楽巖寺学長に説明してその場を抜けて来い』
「分かった」

そこで電話を切り、を呼ぼうと振り向けば、すでにジジイが目の前にいた。

「特級過呪怨霊、とな?」
「アンタにゃ関係ない。、今から東京戻るよ」
「え…っ?戻るの?」
「任務が入った」
「まあまあ。彼女の事はこちらで面倒見るから、五条くんは心配しないで任務に行きなさい」
「は?」

突然、ジジイがそんな事を言い出し、僕は驚いた。
ジジイは笑みを浮かべながら。を見ると、

「確か、さんは制服のデザインもしてるとか」
「え?あ…はい。生徒の要望があれば」
「ではウチの生徒のも頼まれてくれんかの」
「え、京都高の、ですか?」
「今年の一年にすぐ制服をダメにする子がいてね。その生徒の為に少し頑丈な制服を作ろうとしてるんじゃが、ウチのデザイナーのデザインが気に入らんと駄々をこねるもんで」
「はあ、それは…いいですけど…」
「おい、…!」
「ああ、五条くん。ちょっと彼女を貸してもらうよ」

シレっとした態度にイラついた。
にそんな事を頼むジジイの意図が分からない。

「何、企んでる?は連れて帰る」
「何も企んでやせん。本当に困っておる。モデルをやってる彼女なら、その生徒の気に入るデザインを考えてくれそうだしの」
「バカ言うな。を一人で残していけるわけ―――」
「ご、五条くん!私なら大丈夫だから…。ここも高専と同じなんでしょ?」
「それは…」
「彼女は私が責任を持って守る。京都にも優秀な術師は大勢いるんでね。何、一晩借りたら、すぐ護衛を就けて東京まで送らせる」

を一人で残す?
そんな選択、出来るはずがない。

「信用できない」
「何をそんなに心配しておる?」
「そ、そうだよ、五条くん。私なら平気だから…」
…僕は―――」
「五条。いいから彼女の事は任せて」
「歌姫…?」

そこへ歌姫が来て、「大丈夫だから」と、言いながら視線を後ろへと向けた。
その方向を見ると、気づけば会場にいる奴らが全員こっちを見ている。
また五条家のボンが駄々をこねている、とでも言いたげな顔だ。

(気に入らない…)

ジジイは余裕の笑みを浮かべて、僕を見ている。
これ以上、騒げば、五条家の名に傷がつくとでも言いたげに。
名前に傷がつこうが、どうでもいいが、確かにこれ以上の無理を通せばの待遇が怪しくなってくる。
それでなくてもの事は僕の我がままで殆どの事を決めたようなものだ。

「本当に…デザインを頼むだけ、だな」
「他に何があると?」

ヌケヌケと言ったジジイの目の前に立ち、ゆっくりと身を屈めた。

「覚えておきなよ、お爺ちゃん…。にもしも…"何か"あった時は……上の連中、全員殺すよ?」
「………っ」

耳元に口を寄せ、小声でそう言い放つと、ジジイの肩が僅かに跳ねる。
冷汗がその額に零れるのを確認すると、僕はニッコリ微笑んだ。
本気なのだ、と伝われば、それでいい。

「楽巖寺学長、帰りの護衛はいらないですよ。僕が明日、彼女を迎えに来るんで」
「……そうかの。じゃあ、そのように」

ジジイは乾いた声でそう言うと、僕に背を向けて歩いて行く。
その背中を睨みながら、の方へ歩いて行った。

、明日、僕が迎えに来るまで絶対に一人にならないで」
「え…う、うん…。でも…大丈夫でしょ?ここにも術師の方は沢山いるって学長さんが―――」
「いいから。誰も信用しないで。まあ、歌姫は大丈夫だけど…」

と言って、彼女を見れば、歌姫は不満そうに「何よッ」と目を吊り上げた。

「まあ、歌姫は弱いけど、傍にいれば男どもの抑制にはなるか」(!)
「……っ!」

怒鳴りそうな勢いの歌姫を、から少し離れた場所へ連れて行く。

「何よっ」
「真面目な話、のこと頼むね、歌姫。あのジジイも何企んでるか分からないし」
「あのね…学長はデザイン頼んだだけでしょ?何がそんなに心配なの?」
「……歌姫は知らないからな」
「何をッ?」

キレ気味の歌姫を見て、僕は軽く息を吐くと、「上のジジイどもはの事を傑をおびき寄せる餌としか考えてない」と小声で説明した。

「え…?餌って…だって保護対象でしょ?」
「そんなの表向きだよ。アイツらは例えが殺されかかっても、傑の処刑を優先する」
「まさか…」
「まあ、さっき脅しておいたから大丈夫だとは思うけど。僕が迎えに来るまで歌姫はの傍についててあげて」
「わ、分かった…」
「頼むね」

真剣な顔でそう言うと、歌姫は少し呆れたような笑顔を見せた。
彼女が僕の前でそういう顔をするのは珍しい。

「……五条、アンタ、変わったね」
「そう?」
「まあ…の事は任せて」

歌姫がそう言ってくれた事にホっとして、「ありがとう」と言えば。

「五条のくせに、ありがとうって……キモっ」
「………」

硝子みたいな事を言われて思わず目が細くなる。
が、そこへが心配そうに歩いて来た。

「五条くん、急な任務みたいだけど…大丈夫?」
「誰に言ってんの?」
「そ、そうだけど…特級案件なんて、あまり入らないから…」

心配そうな顔で僕を見上げるに、ふと笑みが零れた。

「何、心配してくれてるの?」
「そ、そりゃあ…何があるか分からないし…」
「何もないよ。は僕が迎えに来るまで大人しく待ってて。あ、今夜はもう部屋に戻って早くこのドレスも着替えてね。僕がいないのに着てる意味ないし」
「な…何よ、それ。意味わかんない」
「そのままの意味だって」

ふくれっ面の彼女に思わず吹き出すと、その膨れた頬へ軽くキスを落とした。
案の定、すぐに赤くなる。

「な…なな何…」
「じゃあ、いい子で待ってて―――って、歌姫、何、その顔。ウケる」

口をパクパクさせてるに笑いを噛み殺しながら、振り向けば。
そこには石化した歌姫が立ち尽くしていた。

「ご…ごごご…五条…がき…きス…」

何やらショックを受けたような顔で――失礼な――震えている歌姫の肩をポンと叩くと、「じゃ、よろしく」と言って、僕はすぐに会場を後にした。
だが、それでも心配は消えない。

「念の為…アイツ、、、にも頼んどくか…」

ふと今年の春に何度か会った事のある顔を思い出し、ケータイを取り出す。
アイツの潜在能力は未知だ。
久しぶりに僕が心躍らされたほどの、強さ。
アイツなら何かあった時でも、よほどの事がない限り大丈夫だろう。

「まあ…男に頼むのは心配だけど…」

足を速めながら、目的の人物の番号を表示させ、相手が出るのを待った。