【第二十二話】 その想いは私の願い―後編



「―――わよ?…?」

不意に名を呼ばれ、私は薄っすらと目を開けた。
その瞬間、今、自分が新幹線に乗っていること、そして誰かに寄り掛かってることに気づき、ハッと頭を起こした。

「あ…ご、ごめんなさい。東堂くん…」
「い、いえっ!ぜ、全然気にしないで下さい!何も寄り掛かってないくらい軽かったのでっ!いつでも左側は空けておきます!」(?)

隣に座っている東堂くんの腕に寄り掛かるようにして寝入ってしまったようだ。
そのことを謝ると、彼は真っ赤な顔で首を振った。
見た目は16歳とは思えないほど怖いけど(!)意外とシャイで優しい生徒さんなのかもしれない。

「ちょっと東堂くん。声が大きいわよ…。始発で寝てる人もいるんだから静かにね」

向かい側に座っている歌姫さんが苦笑気味に言うと、東堂くんは慌てて口を閉じた。

「あ、ちゃん。そろそろ東京駅に着くわよ?」
「え?あ…」

窓の外を見れば、見慣れた風景が見えて来て、私はホっと息を吐き出した。
やはり長年、五条くんを含む高専の皆が傍にいるのに慣れてしまったせいで、一人の状態でそれほど知らない人達と一緒にいるのは多少緊張していたらしい。
夕べはあんな事があったせいで殆ど眠れないまま、朝方ウトウトし始めた時に起こされ新幹線に飛び乗ったのだ。

「でも…私の付き添いで早起きさせてるのに寝ちゃってごめんなさい。二人も眠いですよね…」
「あら大丈夫よ。帰りの新幹線で爆睡する予定だから」

歌姫さんはそう言って微笑んでくれた。
東堂くんも、「お、俺は全然眠くないんで」と、ニッコリ(怖いけど)笑顔を見せてくれる。
それにしても、まさか五条くんが東堂くんに私の事を頼んでいたなんて、本当に驚いた。

夕べ、今度こそ殺される―――と、そう思った瞬間、私はこの東堂くんに救われた。
どうなって、そうなったのかは分からないけど、私の位置と、彼のいた位置が入れ替わったようだった。
あの夏油くんが、酷く驚いた顔をしていたのは覚えてる。

ちゃん…大丈夫?」

ボーっとしたまま窓の外を眺めていると、歌姫さんが心配そうに訊いて来る。
その声にハッとして、すぐに笑顔を見せた。

「私ならもう大丈夫です。すみません、心配かけて」
「そんな事はいいの。ただ…」

歌姫さんは、どこか言いにくそうに視線を反らし、言葉を濁した。
きっと再び夏油くんに殺されかかった事を心配してるんだろう。

「夏油くんの事なら…本当に大丈夫です。会うまでは…自分でもどう感じるのか怖かったんですけど…。でも、夕べ10年ぶりに会って気づきました」
「気づいた…?」
「彼との事は…すでに過去になってるって事に。他に何も感じなかったんです…」

ふと、昨夜の夏油くんを思い出し、そう言った。
最初こそ驚いたけど、また襲われそうになったのに、前ほどのショックはなくて。
ああ、やっぱり、まだ私の事を殺したいんだ、と、少し悲しくなっただけだった。
私が知ってる夏油くんは、もういないんだ、と、そう思った。
私が好きで好きで仕方なかった彼は、もう、いない。

「俺が逃がしてなければ…」

不意に東堂くんが呟いた。

「あの状況じゃ仕方ないわよ」
「いや、確実に仕留めていれば、東宮時麗良ともども逃がす事はなかった。さすがは特級といったところか…」

歌姫さんの言葉に、東堂くんは悔しそうな表情を浮かべている。
とはいえ、彼の強さには私も驚いた。
あの夏油くん相手に一歩も引かず、ガチガチの接近戦をしてたのに、ケガ一つ負ってない事も驚いた。

「東堂くん、強いのね。五条くんが信頼してるはずだ」
「い、いえ!俺なんか、まだまだ…(ほ、誉められた…さんに)」(脳内妄想中)
「でもまだ一年なのに、あれだけ戦えるなんて凄いと思う。将来が楽しみだね、歌姫さん」
「ええ、そうね……(東堂のヤツ、またあらぬ妄想してなきゃいいけど)」(!)
「…将来…楽しみ…(俺とさんの将来…)」(あらぬ妄想中)
「でも東堂くんと五条くんって、どこで会ったの?電話番号、教え合うくらい仲いいの?」

気になってた事を尋ねると、どこか空を見つめていた東堂くんが、ハッとしたように私を見た。

「そ、それは以前、五条さんが任務帰りに京都に立ち寄った時、たまたま俺が戦闘中のとこを通りかかって…まあ一緒に戦ってくれたというか…」
「え、そうなの?!」
「その時の呪いが一級でね。結構な数が沸いて他の子達は手を焼いてたんだけど、東堂くん一人ぶっちぎりで祓ってたみたいで。そしたら五条がそれ見て感激したらしくて飛び入り参加したんだって」

歌姫さんは呆れたように笑っていたが、あの五条くんが感激するほど、東堂くんが強かったって事だろう。
一級相手に一年が一人で戦うなんて、普通は考えられない。
やっぱり将来的に考えても、この東堂くんは強い術師になるだろうな、と思った。

「でも五条と連絡先を交換するほど親しくなったなんて知らなかったわ」

歌姫さんが苦笑気味に言うと、東堂くんは満面の笑みで親指を立てた。

「そ、それは五条さんも女のタイプが良かったんで」(!)
「女の…タイプ?」

その変わった理由に首を傾げると、歌姫さんは「ちょっと、それ…」と何故か顔を引きつらせている。
そんな歌姫さんの空気にも気づかず、東堂くんは更に笑顔で、

「ちなみに俺は身長と尻がデカい女がタイプです!」
「……え?」
「そして五条さんも身長がデカくて、脚が綺麗な女がタイプと聞いて、近いものを感じた―――」
「と、東堂くん!彼女に余計なことは言わなくていいから…っ」

何故か歌姫さんは焦ったように東堂くんの口を押えている。
そして私にニッコリ微笑むと、

「そ、そろそろ東京駅だし降りる準備しましょうか」
「は、はい…」

何でそんなに慌ててるんだろう、と思いながら、ゆっくりと新幹線が止まったのを見て、バッグを持って立ち上がる。

(それにしても…女のタイプで男の人って仲良くなったりするんだ…。でも五条くんのタイプが身長高くて脚の綺麗な人、なんて初めて聞いたけど…)

新幹線を降りながら、ふとそんな事を思う。
だいたい、いつも好きなタイプはセクシーで、巨乳で、美人で…とか、そんな事ばかり言ってたのに。
そのわりに大好きなアミちゃんに迫られた時も逃げ出してきたらしいし、その辺がよく分からない。

(脚、かあ…。脚なら私も綺麗って誉められたことあるのにな…。まあ、胸は巨乳じゃないけど…。やっぱり女は胸とお尻が大きい方がセクシーなんだろうな…)

と、そんな事を考えてると、少しだけヘコんで来た。

「どうしたの?。何か落ち込んでない?」
「あ、い、いえ…どうやったら胸とお尻が大きくなるのかと…」
「はい?」
「あっな、何でもないです!」

ついポロっと変な事を口走ってしまい、顏が赤くなる。
だいたい今更って感じで、そんな事を悩んでも仕方がない。
五条くんの為に胸を大きくしたところで、昔、一度見られちゃってるんだし…(!)今の関係性は変わらないんだから。

(そう言えば、特級案件、大丈夫だったのかな…)

そう思いながら改札口を出る。
その時、「!」と呼ばれ、ハッと顔を上げた。

「あ…五条…くんっ?」

声のする方へ顔を向けると、五条くんが走って来るのが見える。
その姿を見た時、私も自然に足が動いて、気づけば五条くんに向かって走り出していた。

…!無事で良かった…!」

駆け寄った私を思い切り抱きしめて来る強い腕に、涙が浮かんだ。
きっと夏油くんの事を聞いて、心配してく迎えに来てくれたんだ、と思うと、それだけで嬉しくて。
五条くんの顔を見ただけで、こんなにも安心する。

「大丈夫…?」

五条くんは少し息を乱したまま、両手で私の頬を包むと、酷く心配そうな様子で顔を覗き込んで来る。
もしかしたら過去、精神的に壊れそうになってた私を、思い出したのかもしれない。
応える代わりに何度か頷くと、彼はホっとしたように息を吐き出した。

「もう絶対、一人にしない。あのクソジジイ、信用した俺がバカだった」
「……楽巖寺学長も騙されてたのよ。麗良さんに。学長の傍で仕事をしながら情報を盗んでたんだって…」
、ほんと人良すぎだろ。ったく…俺がどんだけ心配してたと思うの」
「ご、ごめん…」

そう言って顔を上げると、五条くんはサングラス越しに、微笑んでくれた。

「今日はサングラスなんだ」
「ん?ああ…ちょっと仮眠とってたから」
「そっちの方がいいな…」
「え…?」
「何でもない」

そう言って苦笑すると、不意に後ろから「んっ!んっ!」と咳払いする声が聞こえてハッとする。
二人がいる事を思い出し、私は慌てて五条くんから離れた。

「仲がいいのはいい事だけど、ウチの東堂が泣いてるからやめてあげて」
「え…?」

苦笑している歌姫さんの後ろを見れば、確かに大きな図体をして東堂くんがボロボロ涙をこぼしている。
どうしたのかと思っていると、彼は私の方へ歩いてきて、ガシッと手を握って来た。

さんの幸せの為なら…俺は遠くで見守る…っ」
「……はい?」

急に何を言い出すんだ、と驚いていると、五条くんが呆れたように、

「葵…お前のタイプは身長と尻のデカい子だろ?は身長あるけど尻はデカくないから。それ以前に年齢差ありすぎでしょ」
「……は?」
「いや、五条さん…。そこはいいんだ…。さんは……尻が小さかろうと、年上だろうと、そういう次元を超えた、存在そのものが天使なのだから」(!)
「…オマエ…面白いこと言うね」

東堂くんのよく分からない台詞に、五条くんは「ぷっ」と、吹き出して大笑いしている。
けど私はお尻がどうとか年齢差がどうのとか、あげく天使だとか言われて、顔が赤くなった。

「五条くん…何の話?」
「ん?あーいいの、いいの。が可愛いねって話だから」
「…何それ…またバカにして…。お尻が小さくてセクシーじゃなくて悪かったわね。それに東堂くんから見れば、どーせ私はおばさんですよ…」
「い、いや、そういう意味じゃないから…!」

何故か五条くんは焦ったように言うと、未だ泣いている東堂くんの方へ振り返る。

「とにかく…を守ってくれてありがとう、葵」
「い、いえ…グス…当然の事をしたまで…。さんには制服のデザインの件で迷惑かけてしまった事もあるし…」
「え、制服のデザインで駄々こねてる生徒って…葵だったんだ」

五条くんは再び笑い出すと、

「で、結局、デザインは出来たの?」
「うん。東堂くんも一発で気に入ってくれたから、良かった」

寝る前に、助けてもらったお礼もかねて、東堂くんの要望通りデザインしていくと、酷く気に入ってくれたようで、その件は無事に終わった。
すぐ制服を破る、という話も、昨夜の戦闘を見ていれば、分かる気がする。
五条くんは笑顔で「お疲れさま」と私の頭を撫でると、最後に東堂くんへ視線を向けた。

「じゃあ、葵。…また、交流会でな」
「…来年も連勝、させてもらいますよ」

東堂くんは涙を拭いて、ニヤリと笑う。
そして呆れ顔の歌姫さんに引きずられながら(!)東堂くんは再び京都へと帰って行った。

「はあ…面白い人だったな、東堂くん。ちょっと変わってるけど」(!)

二人の乗った新幹線を見送りながら呟くと、五条くんは、「面白い奴だよ」と笑った。
そして私の頭へ手を乗せると、

「じゃあ、早く帰ろう。硝子も心配してる」
「うん…そうだね」

朝が早い事で、それほど混雑もなかった東京駅を出ると、少し離れた場所に車を止め、伊地知さんが笑顔で待っていてくれた。

さん、お疲れ様でした。ご無事で…何よりです」
「伊地知さん…ただいま」
「疲れたでしょう。移動中はゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう御座います」

伊地知さんはホっとしたような笑顔を見せると、「さ、乗って下さい」と言って運転席へと乗り込む。
皆が心配してくれてたんだ、と思うと、胸の奥が熱くなった。
五条くんに促されるまま、後部座席へと乗り込むと、伊地知さんがゆっくりと車を発車させる。
やっと帰れるんだ、と思うと何となくホっとして、シートに凭れると、隣にいる五条くんが肩を抱き寄せてきた。

「疲れたろ。寝てていいよ?」
「…大丈夫。五条くんこそ、寝てないんじゃない?特級の案件、どうなったの?」

ふと気になっていた事を尋ねると、五条くんは、「まあ、一応落ち着いたかな」と苦笑した。

「乙骨憂太っていう少年を、事故で亡くなった幼馴染の女の子が呪ってる状態でね。アレは簡単に祓えるもんじゃないから、ウチで預かる事になった」

気にしてる私を安心させる為なのか、五条くんは乙骨憂太という人物について話し始めた。
こうして傍で五条くんの声を聞いていると、心細かった昨夜の不安も消えていくから不思議だ。

でも、これで終わったわけじゃない。
夏油くんは言ってた。

"来年、また会おう"

去り際、私に笑顔を向けて、そう言っていたのを思い出し、何を仕掛けてくる気なのか、と少しだけ、不安に思っていた。









「え…婚約してた女の子に呪われた?」

帰りの車の中、特級案件の事を訊いて来たに、乙骨憂太と折本里香の話をすると、彼女は次第に涙目になり、最後は「かわいそう…」と言って、ほんとに泣いてしまった。
他人の事を、まるで自分の事のように考えてしまう子だから、そんな彼女の傍にいると、まるで自分までが優しい人間になったような、そんな錯覚をする事がある。

「里香ちゃん、ほんとに大好きなんだね。憂太くんのこと…。呪ってでも傍にいたいんだよ」
「まあ…そうなんだろうな」
「突然、事故で死んで、これから二人で過ごすはずだった時間が急に止まったら…後悔ばかり残るよね。だから…傍で守ってるのかな…」

は寂しそうな顔で、そんな事をポツリと言った。
危険度S級並みの呪怨霊の事を、そんな風に考えられるのか、と内心驚きながらも、彼女の言った事が胸に残った。

後悔ばかりが残る。確かにそうだ。
いきなり好きな人と、"死"という形で引き離されたら、僕だってきっと同じように思うかもしれない。
こうして傍にいると、それを当たり前だと錯覚をしてしまうのが人間だから、失った時ほど大切なことに気づく。
いなくなった後に後悔したって、もう遅いのに。

涙を拭う彼女を見ながら、ふとが明日、いなくなってしまったら、と考えた。
言葉で表せないほど、怖かった。
これまで恐怖など一度も感じた事のなかった僕が、初めて何かに対し、怖いと思った。
だから少しだけ、折本里香の気持ちが分かった気がする。
きっとも、彼女の気持ちが分かるほど、好きな奴がいたから。

歪んでるのかもしれないけど、愛なんてきっとそんなもんだ。
現に僕は、に対して、きっと普通じゃない想いを抱いてるんだろう。
自分の気持ちより、彼女の気持ちの方が大切だなんて、自己犠牲的な愛情を、10年という長い年月をかけて貫いて来たなんて、傍から見ればただのバカだ。
傑にしたって、命を奪う事で彼女を手に入れようとしている。僕からを奪おうとしている。
あまりに、身勝手な、愛。

愛というものほど―――歪んだ呪いはない。

ふと、そう思った。

の手を、そっと握ると、彼女は少し驚いたように顔を上げて、その頬を赤く染める。
戸惑うような、どうしていいのか分からないような顔で僕を見るが、たまらなく好きだった。

を、失いたくない―――。

改めてそう思うのと同時に、後悔するような結末には、絶対にしたくない、と本気で思った。









2017年、1月。


目隠しをしている胡散臭い、五条悟と名乗った先生に、「今日から新しい学校に通うんだよ」と、言われ、やっと狭い部屋から出してもらえた。
里香ちゃんがいつ暴走するか僕にも分からないから、先生も様子を見てたようだけど、僕に危険が及ぶような特別な状況じゃなければ現れない、と判断されたみたいだ。

「クラスメートは憂太より、先に入学してるんだけど、皆、いい子ばかりだから」
「はあ…」

校舎に向かう道を歩きながら、まるでお寺に来たかと思うような風景を眺めていると、ここは本当に学校なんだろうかと思えて来る。
それに学校というわりに、他の生徒の姿も見かけない。
普通なら通学時間には大勢の生徒が歩いていてもいいはずなのに、スーツを着た大人数人と、すれ違ったくらいだ。
皆、僕に気づくと、どこか怯えたような顔で見ては足早に去っていく。
きっと里香ちゃんの事を知ってるんだろう。
でもそんな顔をされると、悲しくなって、またどこかに閉じこもりたくなってしまう。
人から拒絶されてると感じるたび、死にたくなる。

「憂太、どうした?」
「いえ…ほんとに僕なんかに…人を助けるなんて大それたこと出来るんですか…?」
「まあ、力の使い方を覚える必要があるけど、焦らないで一つ一つクリアしてこ」

五条先生は明るく言うと、ニッと笑ったようだった。(目隠しをしてるから分かりづらい)
その時、「五条くん!」という女性の声が聞こえて、僕は足を止めた。
でも、隣を歩いていた五条先生は何故か慌てたように振り向くと、「っ?」という名を口にし、こちらへ歩いて来る女性の方へ走り出した。

「何で来たの!まだハッキリ分からないから危ないし、それまではサポートもしなくていいって言ったよね?」
「そんなこと言ったって今日の授業で使う資料、忘れたでしょ、五条くん」
「え?!あ!やべ…」
「ほーら」

焦っている五条先生に何かの資料を渡しながら笑うその女性は、全く化粧っ気がないのにとても綺麗な人だった。
すらりとしたスタイルで身長が高く、手足も長い。
艶々した長い黒髪が、サラサラと風に靡いていて、まるでお人形さんみたいだ、と思う。
同じく身長の高い五条先生と並んでいると、かなりゴージャスな二人だ。
彼女と話す五条先生は、これまで僕に見せた事もないような明るい笑顔を見せている気がする。
目隠しで分かりづらいけど、彼女と話す空気で分かる。
きっと、彼女は五条先生の大切な人なんだろう、と、そう思った。

そんな事を考えながら二人を見ていると、その女性が、ふと僕に気づいた。
同時に心臓が嫌な音を立てる。
また、怖がられるんじゃないか、という不安からくる緊張。
あんな綺麗な人に怯えた顔をされるくらいなら、この場から今すぐ逃げ出したい、と思った。
なのに―――。

「乙骨…憂太くん?」
「……ッ」

突然、話しかけられ、ビクリと肩が跳ねる。
その女性は柔らかい笑顔を見せながら、僕の方へ歩いて来た。

「初めまして。私、。宜しくね」
「あ、あの―――」
「おい、!ダメだ―――」

彼女から差し出された手に驚いていると、五条先生が慌てて彼女の腕を引き寄せる。
その瞬間、背後から里香ちゃんが現れた気配が、した。

《憂太にぃぃ…近づくなぁあ゛あ゛ぁぁっ!!》

「里香ちゃん!待って―――」

僕が、彼女を強く意識したせいだ。
だから里香ちゃんがその心に反応してしまった―――!
そう、後悔した時だった。

「あなたが…折本里香ちゃん?」

《…ぁぁ゛…ぅ…ッ?》

「初めまして。私、っていうの」

今まさに彼女へ襲い掛かろうとしていた里香ちゃんが、言葉をかけられ、何故かその動きを止めた。
彼女を庇うように抱きしめていた五条先生も、言葉を失ったようにその光景を見ている。

「憂太くんのこと、大好きなんだよね?」

《あぁぁうぁ…す…好…きぃ》

「好きな人の傍に…ずっといたい気持ち、私も分かるんだ」

《ぁあ゛…わ…かる……?》

「私もね、里香ちゃんと同じなの」

《お…お、なじ…》

「そう。凄く好きだった人にね…急に会えなくなった事があるの」

《……ぅうぅ゛……》

「好きな人と、一緒にいられないのは…好きな人に何もしてあげられなくなるのは…悲しいよ」

《か…かな…しぃぃ…》

「でも里香ちゃんは…憂太くんを今も守ってるんだね…」

信じられなかった。
あの里香が、彼女の話に耳を傾け、更に涙を流したのを見て僕は心の底から驚いた。
しかも涙を流す里香へ、「泣かないで…里香ちゃん」と、手を伸ばし、彼女の頬にもまた涙が零れ落ちた。
里香の為に泣いている――。
それは五条先生にも予想外だったのか、唖然としたように彼女を抱きしめていた腕を放した。

《り…りかぁ………す…すきぃぃ》

「えっ!ありがとう。私も、里香ちゃん好きだよ?」

《と…友…だち…》

「友達だね」

零れた涙を拭きながら照れ臭そうに笑った彼女を見て、里香も笑ったように見えた。
これには言葉も出ない。
あの里香と会話をし、何故か女同士(?)解りあっている。その嘘みたいな光景に僕は、ただ驚いていた。
そして僕同様、ぽかん、とした顔をしていた五条先生は「嘘、だろ?…」と、呟き、小さく吹き出した。

「マジかよ…クックック…」
「何、笑ってるの?五条くん…」
「い、いやだって……」

心底おかしくてたまらないと言うように、五条先生は肩を震わせながら笑っていて。
それを見ている彼女は、ムっとしたように目を細めている。
里香ちゃんは安心したのか、気づけば、その姿を消していた。
彼女――さんのことを認めた、という事だろうか。

「ほら、憂太くんを皆に紹介するんでしょ?早く教室行きなよ」
「あ、ああ…。でも…じゃあにも来てもらおうかな」
「え、何で?今日は来ちゃダメって…」
「それは里香ちゃんがいつ出て来て攻撃してくるか分からなかったからだよ。でも、もう大丈夫かな」
「大丈夫…?」
「だって友達になったんだろ」
「あ、そうだ。友達って言ってくれた」

さんは嬉しそうに笑うと、ふと僕へ視線を向けた。

「里香ちゃん、いい子だね」
「あ……あの…」
「大丈夫だよ。憂太くんがちゃんと話せば言うこと聞いてくれるだろうし、そうしたら誰も傷つける事はないと思う」
「……僕が…話す?」

そんなの、考えた事もなかった。
僕はただ、里香ちゃんが周りの人間を傷つけないかと心配ばかりしていて、出て来た里香ちゃんと話そう、なんて一度も。
この人は、いったい、どういう人なんだろう。
そう思っていると、五条先生が、僕の肩へポンと手を乗せた。

は、優しいんだ」

とても幸せそうに微笑む五条先生は、きっと彼女の事が大好きなんだな、と思った。
でも、さんには別に好きな人がいる。いや…いた、のか。
里香に話してた内容は過去形だった。
なら、今、彼女は五条先生の恋人なんだろうか。

「じゃあもこのまま教室、行こ」
「え、教室って…いいの?私が行くとパンダくんが甘えて遊びだすからダメって言ってたくせに」
「ま、今日から憂太もいるし大丈夫っしょ。パンダは何気に面倒見いいからさ。最近シッカリしてきたしね」
「確かに。すっかり大人になったよね、パンダくん」

(パンダ…くん?そんなあだ名の人がいるんだろうか…)

二人の会話を聞きながら首をかしげていると、五条先生が「行くぞ、憂太」と言って歩き出す。
これからクラスメートに紹介されるのかと思うとまた不安を感じたけど、僕も変わりたくてここへ来たんだという事を思い出した。

"一人は寂しいよ"

あの時、五条先生に言われた言葉を思い出して僕は一歩、前へ踏み出した。





0編序章といった感じでスタート✨
人たらしの本領発揮。里香ちゃんとお友達になれたらどうなのかなあと思いました笑