【第二十二話】 その想いは私の願い―前編




「完全秘匿での死刑執行?ありえないでしょ」
「しかし本人が納得した」
「未成年……16歳の子供ですよ」
「逆に何人呪い殺されるかわかりません。ではやはり―――」
「ええ。乙骨憂太は呪術高専で預かります」



特級過呪怨霊の件を聞き、すぐに高専へ戻った僕は、すでに保護されていた乙骨憂太の処遇について上層部から呼び出された。
事情を聞けば、彼自身についている怨霊は、幼馴染の女の子だという。
だが乙骨憂太本人は至って大人しく、自分が処罰されるのを望んでいるとの事で、僕はすぐに彼のところへ足を運んだ。

「……」

彼を閉じ込めている呪符だらけの薄暗い部屋の足元に、ひしゃげたナイフが転がっている。
それをつまんで確認すると、刃の先が捩じれるように一回転して曲がっていた。

「これは何かな?乙骨憂太くん」

部屋の奥、椅子の上で膝を抱え込み、項垂れている少年に尋ねると、彼は消え入りそうな声で呟いた。

「ナイフ…だったものです」
「………」
「死のうとしました。でも…里香ちゃんに邪魔されました」

"里香ちゃん"とは彼を呪っている呪怨霊となった幼馴染の名だろう。
この世の全ての闇でも背負ってるのか?と思うくらい、どんよりとした顔をするその少年に、僕は軽く息を吐きながら手にしたナイフを捨てた。

「暗いね。年が明けたら新しい学校だよ?」
「行きません。もう誰も傷つけたくありません。だからもう外には出ません…」

相変わらず、膝を抱え込んだ態勢で、淡々と話す乙骨憂太は、どこか諦めにも似た表情をしている。
それは自分のせいで誰かが傷つく事を恐れている、優しい少年の姿だった。

「でも、一人は寂しいよ?」

僕の一言に、彼は僅かに反応し、膝を抱く手に力を入れた。
あんな事を言ってはみても、心の奥では寂しいと思っている。助けを求めている。
そんな風に見えた。

「君にかかった呪いは、使い方次第で人を助ける事も出来る。力の使い方を学びなさい。全てを投げ出すのは、それからでも遅くはないだろう?」
「………」

ふと、顔を上げた乙骨憂太の目には、僅かな希望の光が宿ったように見えた気がした。
まだ、もう少し、この世に存在していたい。生きていたい。そんな希望の光が。
その時―――けたたましいノックと共に、伊地知が顔を出した。

「五条さん!夜蛾学長がお呼びです」
「……何?まだ僕をコキ使う気?」

ウンザリしたように溜息をつくと、乙骨憂太に視線を戻し、「朝まで少し休んでてね」と声をかけ、部屋を出た。
京都から戻って早々、深夜の呼び出しに加え、特級被呪者である乙骨憂太の処遇決定と対応をしたものの、今すぐ危険というわけでもない案件で、移動手段があるなら、今すぐにでも京都に戻りたい気分だ。
だが、伊地知は廊下に出た僕に、「京都高に夏油傑が現れたそうです!」と、青い顔で言ってきた。

「…は?」

一瞬、何を言われたのか、理解できなかった。

「五条さんが出た後、敷地内にてさんが襲われかけて――――」
「…っは?!無事なのかっ?!」

一気に血の気が引いて、伊地知の肩を掴む。
伊地知も多少、混乱してるのか、詳しい話は歩きながらで、と言い、学長室へ向かう。

「結論から言うと、さんは無事です!ケガ一つしてません…っ」
「………っ」

それを聞いて、心の底から安堵した。
心臓がうるさいくらいに速くなるのを感じながら、深い息を吐く。
息が、止まるかと思った。
無事で良かった―――。

同時に、必ず守ると約束をしたジジイへの怒りが腹の底から湧いて来る。

(まさか、あのジジイ、これを狙ってたのか――?いや…僕の本気の脅しにアイツは心底ビビってた。そこまで頭は悪くないだろう…)

では他の誰かが手引きをした?まさか…あの女か?
今はとにかく詳しい話を聞かなければ。
そう思いながら学長室へ行くと、夜蛾学長も青い顔をしながら、僕たちを出迎えた。

「…悟!」
「どうなってる!京都高の敷地内に現れたって、何でそんな事になってるんだよっ?」
「それが…東宮時麗良が裏切った。彼女が呪力探知を無効にし、敷地内へ傑を…!」
「…あの女、やっぱり…!」

前から何か怪しいとは思っていた。
傑が呪殺をしたらしい痕跡のある場所は、いつも京都高のテリトリーが多かった。
あんな派手に動いていたのに、術師の誰の目にも触れず逃げ延びてる事が、おかしいと思っていた。

「麗良が敷地内へ傑を引き入れた事は間違いない。残念ながら逃げられたそうだが…」
「それでは?今、どうしてる!彼女の様子は―――」
「落ち着け、悟。さっき歌姫から連絡が来て、今一緒にいるそうだ。彼女は落ち着いてると言っていた」
「……っ」

(落ち着いている―――?)

そう訊いて胸が痛くなった。
本当にそうなんだろうか。
10年ぶりに傑と顔を合わせたであろう、の心を思うと、胸の奥が焼けるように痛む。
遠い昔、傑に傷つけられ、心身ともにボロボロだった頃の彼女が頭を過ぎって不安になった。

「襲われた時の状況は?」
「ああ、彼女は麗良に連れ出され、庭先を通り、その途中で傑が待ち伏せしていて、襲われかけたところを寸前で助けたのが…京都高一年の東堂葵だ」
「……アイツに頼んで間違いなかったようだな」

その名を聞いて深い息が漏れた。
そこでやっと緊張がほぐれていく。

「何…?オマエが東堂に頼んだのかっ?一年の東堂に?」
「今の京都高の術師の中で、恐らく葵が一番、強い。あのジジイは信用できないからね。僕の判断で葵にの事を守るよう依頼した」

東堂葵、この男は入学した時から、すでに化け物並みに強かった。
この眼でアイツの呪力の流れを見た時から、葵は更なる高みへ行ける男だと、そう感じた。
だからこそ、一年の葵に、特級案件でもあるの事を頼んだのだ。
そして、それは間違っていなかった。

「それで…葵は傑と対峙したのか?」
「ああ…派手に接近戦を繰り広げたようだが、他の術師の加勢が入りそうになった時、傑は麗良と共に呪霊で飛んで逃げたそうだ」
「葵は?ケガはしてないの?」
「無傷、だとよ。悟が信用した男は本当にバケモンだったらしいな。楽巖寺学長ご自慢の庭で派手に暴れたおかげで一帯をメチャクチャにしたらしいが…当人はケロっとしてるとさ」
「そう…良かった。じゃあ、僕は行くから」

そう言ってすぐに学長室を出ようとした時、思い切り首根っこを掴まれた。

「待て待てっ」
「な…何だよっ?首が締まるでしょーがっ」
「どこ行く気だ、悟」
「どこって、を迎えに行く」
「ダメだ」
「はあ?」

さすがに頭に来て振り向けば、夜蛾学長は呆れたように溜息をついた。

「オマエには乙骨の傍にいてもらわないと、いつあの化け物が暴れだすか分からん」
「……大丈夫でしょ。あれは憂太に危害を加える相手だけ襲ってる」
「今はな。でも何が起こるかわからん。そして何かあった場合、対処できるのはオマエしかいないんだ。分かるだろ?」
「だからってを一人、京都になんか置いておけない。パっと行ってパっと帰ってくりゃいーでしょ!」
「ダメだ。はそのオマエが信用した男が護衛に就き、東京まで送って来るそうだ」
「葵が?」
「ああ。朝一の新幹線で来ると言ってたから、後もう数時間で戻って来る。安心したか?」

ニヤリと笑う夜蛾学長に、思わず目を細めると、

「違う意味で心配。歌姫も来るよう言って」
「違う意味…?まあ…言わなくても彼女も来るとさ。東堂は彼女の生徒だしな」
「なら…いいけど」

ホっとして息を吐く僕を、夜蛾学長は複雑そうな顔をして見ている。
あげく、どこかモジモジして何か言いたげな顔だ。(怖い)

「何、その顔」
「いや…ちょっと聞きたいんだが…オマエは…その…と……」
「夜蛾学長が赤くなってもゴリラのケツみたいな顔になるだけで可愛くないです、ょッ?!」

言い終わる前に強烈なゲンコツが頭頂部へ落とされ、危なく舌を噛むところだった。(可愛い元教え子を殺す気かッ)

「俺の顔の事はどうでもいいんだ、この際!ってか誰がゴリラのケツ顔だっ!」
「んなキレなくても…」

ジンジンと痛む頭をさすりながら唇を尖らせた僕に、夜蛾学長は更に額をピクピクさせている。
そこで思い出した。
この人もすぐ暴力で訴えて来る、いわば硝子と同じDV勢だってことを。
自分の身は自分で守ろう、と、僕は気づかれないよう、そっと術式を発動しておく。(!)

「そ、それよりだな…。オマエ…の事なんだが……」
「何?ダメだよ?が可愛いからって自分の秘書にして傍に置いてセクハラしようなんて考えちゃ」
「……っ?悟…ッ」

夜蛾学長は額にミミズでも飼ってるのかと思うほど血管を浮き上がらせ、オデコをピクピクしているから、ちょっとだけ笑える。
でも、あまりいじると本気でキレるから、ここは素直に話を聞いてあげよう。

「わーかったって。真面目に聞けってんだろ?で、が何」

肩を竦めて、そう言えば、夜蛾学長は深い溜息と共に、ソファへと腰を掛けた。

「オマエ…とその…アレだ…。つ…」
「つ?」
「つ、つき…」
「月?」
「違う!アレだよ!ほら!つ…付き合ってるのか?!」
「何でキレ気味?」

更にケツ感を出した夜蛾学長の真っ赤な顔を見て、思わず吹き出しそうになったが、そこがグっと我慢した。

「付き合ってないけど…何で?」
「ち、違うのか?」
「だから何ですか」

ホっと安堵の表情を浮かべる夜蛾学長に、僕は少しだけムっとした。
そもそも僕とがどうなろうと、夜蛾学長には関係ない。
が、夜蛾学長はサングラス越しに、ジっと僕を睨んで来る。

「何でって、パンダから聞いたが、オマエ、普段からに、その…かなりベタベタ甘えてるそうじゃないか…っ」
「ああ…そのこと」
「そのこと?!じゃあ、パンダの言ってる事はホントなのかっ」
「まあ…でも別に隠してたわけじゃないし、いい加減な気持ちじゃ―――」

と言いかけた瞬間、夜蛾学長がドンっとテーブルを叩いた。

「付き合ってもないのに膝枕してもらったり無駄に抱きしめたりしてんのか、オマエわっ!やめろ!彼女は樹さんの大切な大切な娘さんなんだぞっ?」
「………(パンダのヤツ、余計な事をペラペラと…ワシントン条約無視して痛ーいお仕置きしてやろうか…)」(!)

青い顔でそんな事を言い出した夜蛾学長の、その様子を見て、やっと言いたい事が分かった。
要するにこの人は、樹さんにかなり、ビビっている、という事だ。
そして、夜蛾学長の中では、僕は今でも女の事に関しては素行の悪い生徒のままなんだろう。

「それは嫌ってくらい知ってるし、別に僕もいい加減な気持ちじゃないから」
「……な…それは…どういう…。ってオマエ、まさか…本気で彼女のこと…を?」
「……好きだけど。え、今更?」

てっきりバレているものだと思っていた僕は、夜蛾学長の鈍感さに、少しだけ呆れた。(僕も人の事は言えないが)

「…女に関してはテキトーでいい加減だったあの悟が…本気……」
「…あのさ、僕が本気で人を好きになったら、そんなにダメなわけ?」
「ダ、ダメとかじゃないが……昔のオマエを知っているだけに、意外すぎて怖い」(!)
「怖いって……さすがの僕も傷つくよ?あれから何年経ったと思ってるわけ」

放心状態で言われ、ムっとした僕に、夜蛾学長は疲れ切ったような目を向けると、深ーい溜息をついた。(ムカつく)

「とにかく、樹さんのこと心配してるなら、それは僕から―――」
「いや…樹さんは、ちゃんの相手がオマエなら、許す、とは言っていた……」
「えっ?マジで?」

まさかの話に思わず身を乗り出すと、夜蛾学長はふと顔を上げて「マジで」と言った。
それは僕にとっても朗報で、嬉しい誤算だ。

「娘を守ってくれるような男がいいらしい。あと…自分に似てるとこがある、とも言ってたな……」
「似てる?ああ、お互いナイスガイなとこが?」
「いや、軽薄だったとこだろう、多分」(!)
「………樹さんにチクるよ?」
「やめろ!」

ったく、いつまでも過去の事をネチネチと言いやがって、と思っていると、夜蛾学長がまた何かを思い出したように、僕を見た。

「ああ、でも」
「でも?」
「一万歩、譲って。オマエなら許す、という事だったけどな」
「………憂太の様子、見て来るわ」

満面の笑みを見せる夜蛾学長にイラっとして、僕は学長室を後にした。
今度、樹さんに会ったら、きちんと話し合わないといけない。(一万歩って!)ふと、そう思った…。