今も僕を惑わせるのは



今日は雑誌のインタビューと、それに掲載する写真撮影の仕事らしい。
インタビューでは、主にモデルの仕事を減らした経緯やデザインの仕事、一葉さんの渡米に関する事を訊かれていたが、話せる内容が限られているものもあり、も応えるのは大変そうだ。
それでも何とか最後の質問に応えると、そこでレコーダーの録音機能が停止された。

「今日はありがとう御座いました」
「こちらこそ、ありがとう御座います。お疲れさまでした」

その声と共に立ち上がったは、他のカメラマンや編集者の人に挨拶して、僕の方に歩いて来た。

「ごめんね、時間押しちゃって…。何か伊地知さんから連絡来た?」
「いや。今のとこ連絡ないし、何事もなく終わったんじゃないかな」
「なら良かった」

はホっとしたように笑顔を見せると、「ちょっと着替えて来るね」と隣の部屋へ向かう。
自分の仕事の事より、僕や任務に向かった生徒たちの方が気にかかってるなんて彼女らしいな、と思いながら、再びスマホへ視線を戻す。
が仕事中、特にする事もないので、七海をおちょくるメールを送ったり(!)恵に来週の僕の任務に付き合え、と呼び出しメールを送って暇を潰していた。
七海から返事がないのは想定済み――多分キレてる――だけど、何気に本気で送った恵へのお誘いに対する返信が来ない事で、少しだけイラっとしてくる。
時間的にも昼休みに入った辺りだろうから、授業中でもないはずだ。
アイツ、またスルーする気か?と、もう一度メールを送ろうとした時、ピロリンとメール受信を告げる音が鳴った。

「お、一回で返信してくるなんて珍しいじゃん、恵のやつ」

すぐにメールを開き、返事を確認すると、

『嫌です』
「………(イラッ)」

たった一言の素っ気ない返事に、思い切り目が細くなった。
ただでさえ愛想のない奴が、最近は反抗期に入ったようで、ますます生意気に拍車がかかってる気がする。
中学校でも問題児として認識されてるらしいが、こんなんじゃ義姉ちゃんが泣くぞ、と内心思う。(まあ散々問題児と扱われてきた僕が言うのもなんだけど)
でも高専入学前から任務に連れて行くのも――僕の独断だけど――勉強の一つであり、嫌だと言われたところで「ハイ、そうですか」と簡単に引くわけにはいかない。
そこで、良い事を思いついた。

が恵も来るならサポートに就くって言ってたんだけど、仕方ないね。恵が嫌がってるって言っておくよ(・´з`・)泣』

これでどうだ、とばかりに送信すると、今度は秒で返信が来た。(!)

『行きます…』
「………(イラッ)」

アッサリ断られるのも腹が立つけど、餌をぶら下げた途端、気持ちのいいくらい分かりやすい承諾も、なかなかに腹が立つな、と口元が引きつった。
この「…」の部分には恵のイラ、も含まれてるんだろうけど。
仮にも後見人の僕をもっと敬えと言いたい。
まあ、とりあえず来たらコッチのもんだ、と内心ニヤリとする。
そもそも呪い祓徐の危ない任務に、僕がを連れて行くわけがない。

「まだまだ青いね、恵も」

苦笑交じりに呟くと、スマホ画面に軽く口付ける。
と、その時、「あの、すみません」と後ろから声を掛けられた。
振り向けば、今日の写真を撮っていた派手なカメラマンの女性が、僕を見上げている。

「何ですか?」

歳の頃は30前後、葵好みの身長が高く、なかなか色っぽい大人の女性といった感じの彼女は、僕を色んな角度から眺めて、ニッコリ微笑んだ。

「良かったら私の被写体モデル、してくれないかしら」
「…え?」
「君、かなり目立つし絵になるから写真映えすると思うのよ。あ、ちょっとサングラス外してみてくれる?」
「あ、いや…」

の仕事の時は、目隠しは目立ちすぎるから、と言われ、今日は前のようにサングラスをしている。

「これはちょっと…モデルもやる気ないですし」
「いいじゃない。ちょっとだけ」

その女性はそう言いながら、サングラスへ手を伸ばしてくる。
もう少しで危うく取られそうになった時、思わずその手首を掴んでしまった。

「いや、ほんとに無理―――」
「五条くん…?」

そこへが着替えを済ませて出て来たのが見えて、咄嗟に掴んでいたカメラマンの手を離す。

「…どうしたの?」
「ああ、さん。今ね、彼に被写体モデルになってくれないかって頼んでたとこなの」
「…モデル?」
「彼、さんの友達だって言ってたけど、少し貸してくれないかしら」
「いや、だから僕はやる気ない―――」

勝手に話を進めて行く女性カメラマンに辟易し、ハッキリ断ろうとした時、

「あの、彼、凄く忙しいのでモデルとか無理だと思います」

代わりにがきちんと断ってくれた。

「え~そうなの?残念…私のイメージピッタリだったのになあ」
「それはどうも…」
「あ、じゃあ気が変わったら、電話して」

女性カメラマンはその場にしゃがむと、バッグから名刺を出して、僕に差し出してきた。
これくらいは受け取らないとにも迷惑をかけそうで、一応受け取っておく。
するとその女性は立ち上がった瞬間、僕の耳元で、「電話、待ってる」と小声で呟いた。
ついでに、その豊満な胸を腕に押し付けて来る念の入れように、僕の口元が僅かに引きつった。

「じゃあ、お先に失礼します。帰ろ、五条くん」

は編集者の人にそう声をかけると、サッサと部屋を出て歩いて行く。
その後を追いかけて、「」と声をかけると、彼女は不機嫌そうな目を、僕に向けた。

「何よ…」
「いや、何で不機嫌なの」
「不機嫌じゃないし」
「いや、その顔はどう見ても機嫌悪いでしょ」

ムっとしたように唇を尖らせるを見て、苦笑する。
さっきまでは機嫌も良かったし、特に変わったところもなかった。
という事は、やはり今の女性カメラマンの件で、機嫌を損ねたって事になる。

「言っておくけど…僕から誘ったわけじゃないからね」
「どういう意味?」
「今の被写体モデルの件。僕がまたチャラいことした、とか疑ってるなら誤解して欲しくないし」

前にも何度か似たような事での機嫌が悪くなった事があるから、そこはハッキリ言っておく。
するとは不意に気まずそうな顔で、視線を反らした。

「それは…分かってるけど…」
「分かってる?じゃあ、何で機嫌悪いの?」
「だ、だから機嫌は悪くないってば」
「あ、おい、っ」

スタスタ歩いて行く彼女に驚いて、その後を追う。
はエレベーターに乗り込むと、サッサと地下駐車場のボタンを押して、また僕から視線を反らした。
まだ機嫌が直らないのか、と少しへこみながら、彼女の顔を覗き込んだ。

…?何を怒ってるの?」
「お、怒ってないって言ってるでしょ?五条くんが女の人に絡まれる事は慣れてるし…」
「絡まれるって…」

その言い方に軽く吹き出す。
は何となくスネているように見えて、そんな表情でさえ愛しい、なんて、僕もほんと重症だ。
その間もエレベーターはゆっくりと下降していき、途中で止まる事もなく。
もうすぐ地下へ到着すると思った時、ふとが「それ…」と僕の手を指さした。

「連絡、するの?」
「え?」
「それ、さっき貰った名刺でしょ…?」

に言われて、自分の手にしてるものへ視線を向ける。
途中でゴミ箱があれば捨てようと思って手にしたままだった。

「ああ、これ?いや、しないよ」
「ほんとに?」
「ほんと」

疑うように僕の顔を覗き込んで来るに苦笑しつつ、その名刺を手の中で握りつぶした。
するとは驚いたように、「あ」と声を上げる。
丁度その時、エレベーターがチンっという音と共に地下駐車場へ到着した。
ドアが開いて外へ出ると、左側にゴミ箱を見つけ、潰れた名刺をその中へと放る。

「捨てちゃうなんて…」
「いいの。僕には必要ないし」
「ふーん…もったいない」

は僕から顔を反らし、先を歩いて行く。
でも今、少しホっとしたような顔を見せた気がして、つい、何となくいつものように。

「あれ、ヤキモチ?」
「………ッ」

どうせ、そんなわけないでしょ、とすぐ怒鳴られるかと思った。
なのに、は明らかにドキっとしたような顔で振り向いた。

「な…何で赤いの?」

彼女のその真っ赤な顔を見て、こっちまでドキっとする。

「べ、別に赤くないし!それにヤキモチなんか妬くわけないでしょっ」

はそう言い捨てると、篠田さんの待つ車へと走っていく。
その後ろ姿を見ながら、少しずつ鼓動が早まるのを感じて、小さく息を吐き出した。

(あの反応って…もしかして図星…?)

そんな事が頭を過ぎり、まさか、とすぐに打ち消す。
だけど、自分の目に映ったの態度や表情には、それを裏付けるようなものがハッキリと見て取れた気がして。
もし、それが当たっているなら、少しだけ自惚れてもいいんだろうか。も、僕と同じ気持ちだと―――。

「五条くん、何してるの?」

先に車に乗ったが待ちくたびれたように手を振って来る。

「今行く!」

軽く手を上げて、の方へ歩いて行く。
もし、彼女も僕と同じ想いなら、後悔しないように、傍にいる今のうちに―――。






「で、硝子はどう思う?」

帰って早々、私を起こした五条は、何か言いたそうな顔をしながら数分ウダウダしていた。
こっちは夜勤明けで寝ていたというのに、がシャワーに入ったのを見計らって、私を起こしたようだ。
起こしたくせに何も話そうとしない五条に、いい加減眠たくてもう一度寝ようとした時、「寝るなよ」と五条は慌てた様子で、先ほどあったというとのやり取りを話し始めた。
そして話し終わった後、どう思う?と訊いて来たのだ。

「どう思うって…どう言って欲しいの?」
「どう言って欲しい、とかじゃなくて、率直な感想を頂ければ」
「何で敬語?キモ…」

真剣な顔で私を見つめる五条にそう言ってやると、明らかに顔をしかめた。

「そういうのいらないから、今」
「あっそ」

珍しく怒っても来ない、いつになく真剣な五条に内心苦笑する。
要するに、五条はも自分の事を好きだから嫉妬したんじゃないか、と言いたいわけで、私にもそうだ、と言って欲しいのだ。
まあ、でもそれは大正解であり、もっと早く気づく場面はあっただろう、と言いたい。まあ、それはにも言える事だけど。
年齢だけ大人になった恋愛初心者の二人には、その辺の微妙な心理なんて分からないのかもしれない。(私だって上級者ではないけど)
そもそもだって初めて本気で好きになったのは夏油一人で、五条に至っては思春期特有の女性関係そのものが激しかった時期もあるけど、それはいわゆる遊びと言うやつで。
誰かを好きになった事はなかったらしいから、ぶっちゃけ女心という繊細なものが全く分からないときてる。
ほんと、しょーもない同級生だ。

「なあ、どう思う?やっぱり僕の自惚れかな」
「………そもそも何で私に聞くのよ」

ガシガシ頭をかきつつ、呆れ顔で五条へ視線を向ければ、ベッドの脇にしゃがみ、ジっと私を見上げている。(因みにここはの部屋で、私も一緒に使わせてもらっている)

「いや、硝子ならから何か聞いてるかなと思って。傑ん時もそういう相談に乗ってたでしょ、アナタ」
「あーまあ…」

そういう事はちゃっかり覚えてるのか。
だんだん眠気も遠のき、スッキリしてきた頭で、どう応えようか考える。
の気持ちは知っているが、それを私の口から言うのは違うし、と言って、ここまで真剣な五条に嘘をつくと言うのも躊躇われる。
それに五条は多分、そう遠くないうちにに自分の想いを打ち明けようとしてる気がする。
今年入学した乙骨憂太と、彼を呪っている里香ちゃん。二人の境遇を聞いて、改めて後悔したくない、と切実に思ったと前にポロっと言っていた。
こんな世界にいれば、確かに何が起こるかなんて分からない。
夏油は去年京都に現れたが今年に入って未だ雲隠れ中で。
今もの事を諦めていないとハッキリしたのだから、この先何が起こるか分からないし、最強だと言われてる五条だって、どうやっても対処できない場面が出てくる、かもしれない。
そんな先の事なんて分からない世界にいれば、今、傍にいるうちに、と思う気持ちも分かる気がした。

「オイ、硝子、聞いてる?」
「…聞いてる」

五条が待ちくたびれたように溜息をつく。
ついでに風呂場の方へ視線を向けてるところを見れば、早くしないとが出てきてしまう、と焦っているのかもしれない。
仕方ない、と私も軽く息を吐き出すと、

「えー私の見解を言いますとー」
「うん」
「……(あーあ、マジだな、コイツ)」

いつもの軽薄さはどこへやら。
相変わらず真剣な顔でこっちを見ていて、そのうち私の顔に穴が空きそうだ。

「…それは」
「それは?」
の…」
の?」
「いちいち復唱するな」
「早く言ってよ!」

私が突っ込むと、五条はムっとしたように唇を突き出した。(子供かっ)

「だから…それはのヤキモチ、だと思う、かな」
「何でカタコト?」

いちいち、どうでもいい事を突っ込んで来た五条は、それでも安堵したような表情を浮かべた。

「ヤキモチ…か」
「ヤキモチ、だね」
「え、でもさ、ヤキモチって一言で言っても色んな意味合いあるよね」
「そりゃ…まあね。でもその状況でがその女性カメラマンにヤキモチ妬いたなら、それはアンタのこと男として好きって事じゃないの?」

少し心配そうな顔をしてる五条を安心させるようにハッキリ言ってやると、単純なコイツは途端に息を吹き返した。

「ニヤケないでくれる?気持ち悪いから」
「気持ち悪いは余計」

見た事もないくらい嬉しそうな、自然な笑顔を見せる五条に、少しだけ驚いた。

「そんなに…好きなんだ。のこと」
「うん。大好き」

私の前で恥ずかしげもなく、の事を大好きだ、と言い、見た事もないような優しい表情をする。
昔の五条の性格を考えると、それは天と地くらいの、差。

「巣立つ雛鳥を見守る親鳥の心境だわ……」
「は?」
「クズだークズだーと何度思ったことか…。そんな五条がねぇ…」
「何言ってんの、硝子。泣いてんの?」
「だから親鳥の心境になってんの」
「誰が親だって?」
「うっさいなあ。そんな気分なの!昔のアンタなんて他人を思いやる心は皆無だったし、誰も愛する人が出来ず、誰からも愛される事なく、孤独死するだろうなって思ってたし。それか弄んだ女に包丁振り回されて刃傷沙汰とかさ」(!)
「………」

思わず本音をぶちまけると、五条の口元が引きつった。

「酷い言われようだな」
「それだけアンタがクズだったって事でしょ。まあ、でも、これで人並みになったって事じゃない?のおかげだね」
「誰がクズだよ。今の僕は一途なナイスガイだろーが」
「ナイスガイは知らんけど、一途ってのは認めてやってもいーよ」

ニッと笑ってそう言えば、五条は苦笑しながら私のオデコを軽く指で弾いた。

「あ…、出て来たかも」

風呂場のドアが開く音を聞いて、五条が立ち上がった。

「んじゃー言って来ようかな」
「……は?今?」
「だって、そういうのって早い方が良くない?つーか、これ以上待つのも限界だし」
「い、いや、だって、こういうのは時と場所を考えてさ…っ」
「うーん、ほんとは今年のクリスマスにって思ってたんだけど…の気持ちが同じなら早く言いたくなって」
「え、で、でもこんな風呂上りに告られたってもビックリするんじゃ―――」

早速、と言わんばかりに歩いて行こうとする五条の服をガシっと掴む。
その時、ケータイの鳴る音がして、「あ、伊地知?」と五条が呟いた。

「早く出たら?今日の任務の報告でしょ、多分」
「はあ…何でこのタイミング…」
「……(それはオマエだ)」

と内心突っ込みつつ、溜息交じりで電話に出る五条を睨む。
だが、五条が突然、「え?"帳"が二重に下ろされてたっ?」と、大きな声を出すからビックリした。

「分かった…すぐ行く」

五条はすぐに電話を切ると、

「棘と憂太が任務で行った先で、異変があったらしい。二人は無事らしいけど、ちょっと調べて来る」
「あ、うん…。気をつけて。には言っておく」
「頼むよ。代わりに七海に来てもらうから」

五条はそう言うと、足早に離れを出て行った。

「異変…」

生徒は無事らしいが、"帳"が二重に下ろされてた、と言っていた。
そんな有り得ない状況になるのは、恐らく呪詛師が絡んでる。
五条の生徒を狙うような呪詛師なんて、今は一人しか思い浮かばない。

「夏油……」

去年、京都でを襲った際、去り際に「来年、また会おう」と言ったという。
そしてこのタイミングで、夏油と思われる呪詛師による妨害。
しかも生徒のうち一人はあの乙骨憂太だというのは偶然だろうか?

「夏油…アンタ…何する気なの…?」

ふと、10年前、新宿で話した夏油の事を思い出す。
今の彼がどんな姿になっているのか、私は知らない。
今も、頭に浮かぶのは、一緒にいた頃のアイツだ。

「あれから…もう10年、経ったんだね…」

遠い日の、まだ無邪気に笑えてたあの頃の自分達を思い浮かべると、ふと寂しくなった。