【第二十四話】 今も僕を惑わせるのは





2017年、夏―――。



高専に入学してから三か月。
だいぶ周りの空気にも慣れて、少しずつ体力もついてきた。
徹底的にシゴきます、という言葉通り、五条先生や、真希さん達からも体術指南や剣術などを叩きこまれ、毎日クタクタになるまで特訓を受けた。
最初の一か月はただただ筋肉痛が酷かったけど、それを過ぎると体が慣れて来たのか、体力が続くようになってきて。
さんも食事面でのサポートをしてくれたおかげで、体も筋力がついてきたような気がする。
そして今日も朝から真希さんと互いに竹刀、模擬槍を持ち、武具での特訓を受けていた。
真希さんの繰り出す素早い突きの攻撃を竹刀で流し、切り込もうとした時、体術も出来る真希さんの蹴りが飛び、距離を離される。
迂闊に近づけば、リーチの長い武器を持つ真希さんにカウンターを喰らうだろう。
攻めあぐねていると、見学しているさんから、「頑張れ、憂太くんっ」と声援が飛んできた。
そして隣にいる狗巻くんも「すじこ!」と、いつものオニギリ語で叫んでくる。
パンダくんは、「前より動けてるぞ、憂太」と、親指を立ててニヤリと笑った。
だが、その時、校舎の方から五条先生が歩いて来て、いつもの軽い調子で声をかけて来た。

「やあやあ、皆。調子はどうだい?」
「あ、えーっと…」

ついその声に反応して、返事に気を取られた瞬間、真希さんの模擬槍が僕の頬へパコンッと直撃した。
  
「……っ」
「余所見してんじゃねぇよ」
「はい…」
「サッサと構えろ。ハゲ」
「はい…(キッツ!!)」

頬を擦りながら顔を上げると、真希さんはすでに模擬槍を構えていた。

「私から一本取るんだろ?」

真希さんは相変わらず厳しいけど、出会った頃よりは打ち解けてくれた気がする。
こうして僕の特訓の為に時間を割いてくれている皆の為にも、余計に泣き言は言ってられないと思った。

「……はいっ」

大きく返事をして再び竹刀を構える。
その瞬間にも真希さんの槍が攻撃を繰り出して来て、それを竹刀で防ぎながら、真希さんの背後に回りこめた。
これはチャンスだ、と言わんばかりに、竹刀を振る。
が、捉えたと思った真希さんは跳躍して、それを交わしてくる。
けど、態勢は崩した。
跳躍した分、真希さんの隙が出来る着地した瞬間を狙う。
そう、思ったのに、彼女は着地と同時に両足を曲げ、地面につくまで体を低く下げた。

「嘘ぉ!!」

当然、僕の振った竹刀が空振りし、驚いてる間に、真希さんの足が僕の腿を払い、態勢を崩したと同時に襟元を掴まれ、そのまま地面に引き倒されてしまった。

「わ…っ」
「はい、死んだ」
「…ぃだっ!!」

ついでに額へ模擬槍の先を当てる念の入れよう。

「また私の勝ちだな」
「最後のいりました?」

ズキズキと痛む額を擦りながら苦情を言うと、真希さんは呆れたように肩を竦めた。

「甘えんな。常に実戦のつもりでやれ。いたみがあるのとないのとじゃ成長速度がダンチなんだよ」
「………っ」

(そうだ。僕は里香ちゃんの呪いを解くんだ―――!!)

まだまだ戦闘技術では皆に追いついてもいない。
けど少しずつ、こうして形になってきている事は僕にも感じる。
ここで甘えた事を言っていては、次へと進めないんだ。

「もう一本お願いします!」

そう言った時だった。
さんが時計を確認しながら立ち上がると、

「はい、そこまで。10分休憩ね!」
「あ…はい」

もう、そんな時間が経ってたのか、と思いながら、額の汗を拭う。
特訓もダラダラやるより、メリハリをつけた方がいい、と一時間置きに休憩を挟むよう提案してくれたのだ。

「お疲れ様」
「あ、ありがとう御座います」

さんがタオルと一緒に、スポーツドリンクを用意してくれて、それを受け取ると一気に飲み干す。
この炎天下の中でガチンコ勝負をしているせいで、やたらと喉が渇くのだ。
皆が熱中症にならないように、とさんが色んな物を、毎日差し入れしてくれるおかげで助かっている。
……五条先生だけは不満そうだけど。

「差し入れなんて僕のだけでいいのに」
「そんなわけにいかないでしょ?それに五条くんは伊地知さんと打ち合わせしてきただけじゃない」
「でも暑いから喉乾いたなぁ♡」
「あ、五条くんのは別にあるよ。はい、アイスコーヒー」
「さすが、。分かってる」

五条先生は嬉しそうにアイスコーヒーを受け取ると、一口飲んで、「お、甘さもちょうどいい」と喜んでいる。
ああ見えて先生は極度の甘党らしく、さんはその辺をよく理解しているのか、口に合うよう甘さを調整してるらしい。
何とも至れり尽くせりだなぁ、と羨ましくなる。

「でも憂太もだいぶ動けるようになったじゃん」
「しゃけ」
「性格も前向きになったよねぇ」

パンダくんと狗巻くんもスポーツドリンクを貰いながら、そんな事を言ってくれたばかりか、五条先生までシミジミと僕を見て呟いている。
少しは認めてもらえて来たのかと思うと、素直に嬉しかった。

「まあ真希も楽しそうだったしな」
「すじこ」
「今まで武具同士の立ち合いって、あんまなかっ………(天啓!!)」
「……?」

急に驚愕の表情を浮かべたパンダくんは、慌てたように立ち上がると、

「憂太ぁ!!ちょっと来い!!カマン!」
「え?」

いきなり呼ばれて驚いた。
立ち合いでの僕の動きに何かミスでもあったのか、と心配になり、すぐにパンダくんのところへ走っていく。

「どうしたの?パンダくん」
「超大事な話だ!心して聞け!!」
「何、どうしたのよ、パンダくん」

さんも気になったのか、不思議そうな顔で歩いて来た。
パンダくんは真剣な顔で僕の事を見ると、不意に低めの声で―――。

「オマエ、巨乳派?微乳派?」
「――――ッ(今?!!)」

いきなりの場違いな質問にギョっとしていると、隣で聞いてたさんが僅かに眉を寄せ、パンダくんをジトっとした目で見ている。
こんな真昼間から男子高生の下ネタトークに、さんも呆れているのかもしれない、と少しだけ焦る。

「憂太、どっち?早く答えろ」
「…すじこ」

さんの反応に内心焦っている僕を知ってか知らずか、パンダくんは更に追い打ちをかけて来る。
狗巻くんは何故か無表情で、何を指しての「すじこ」なのか分からない。
それでも二人とさんの視線が痛くて、僕は仕方なく、「あんまり気にした事はないんだけど…」と、前置きをしてから、

「ふんふん」
「人並みに大きいのは好きかと……」
「ほっほーう」

パンダくんは僕の肩に腕を回すと、どこかオジサンみたいな相槌をし、世界のアイドル、パンダがそんな顔をしちゃダメだろう、と思うほど、ニヤケた顔を見せた。
そして突然、「真希!」と何故か彼女の名を呼んだ。

「あ?」

少し離れた場所でスポーツドリンクを飲んでいた真希さんが、何事かと振り返る。
するとパンダくんは両手を頭上に掲げ、OKの形を作ると、

「脈ありデース♡」

パンダくんのその様子を見て、真希さんが瞬時にキレた。

「何、勘違いしてんだ!殺すぞ!」
「照れんなや!小学生か!」
「おーし、殺す!ワシントン条約とか関係ねぇかんな!!」

二人はいきなり取っ組み合いを始め、僕はどうしたものかと後ろを振り返ると、不意にさんと目が合い、一瞬ドキっとする。
と言うのも、彼女の顔がどこか不機嫌そうに見えたからだ。

「え、えっと…」
「ふーん…。憂太くんも大きいのが好きなんだ」
「えっ?」
「やっぱ男はみーんな大きいのがいいんだねー」(棒読み)
「おかか!」

ジトっとした目で、どこか機嫌が悪いさんの様子に珍しいな、と思っていると、狗巻くんは思い切り首を振りながら、「ツナツナ」と何かを訴えている。

「棘くんは違うもんねー?」
「しゃけしゃけ」
「………(何だろう。この疎外感…)」

二人は仲良く微笑みあい、何やら解りあっているようで、僕はちょっとだけ寂しさを感じた。
そこへ笑いながら、五条先生が歩いて来た。

「憂太は巨乳好きなんだぁ」
「えっい、いや別に巨乳とか言ったつもりはないんですけどっ!」

慌てて首を振ると、さんが怖い顔で五条先生を睨み、「自分だってそうじゃない」と、突っ込んでいる。
すると、五条先生は明らかにギョっとしたような顔で首を振り出した。

「は?あ、いや、ち、違う、僕は大きさとか関係なくて―――」
「うーそばっかり。昔から五条くん、巨乳好きだったでしょ?」
「い、いや(う、やぶへび)…だからそれは嘘で―――」
「明太子!」
「い、いや…棘、オマエは黙ってろ。今は明太子じゃない!」(?)

さんに責められ、珍しくあの五条先生が動揺している。
普段は飄々としてて、あまり物事に動じないから、こんなに焦っている姿は初めて見た気がする。
そして、そんな二人の様子を見てると、さんが不機嫌になったのは僕に対してじゃなく、きっと五条先生に対してだったんだ、と気づいた。

(でも…五条先生が巨乳好きで怒るって事は……)

「はっ…(天啓!)」

(もしかしてさんも五条先生の事が好…)

言葉に出してしまいそうで無意識に手で口を押える。
そのまま五条先生の言い訳をスルーしているさんを見た。
確かにさんはモデルをしてるだけあって細身であり、巨乳とまではいかない。(オイ)
でも小さくはない、というかバランスのよいスタイルだけに、何で気にしてるんだろう、という事になるけど、そこはやはり五条先生が過去に巨乳好きと言った事をさんが信じているからだ、と思った。
あの様子じゃ五条先生も本気で言ったようには見えないし、慌ててる事からしてもきっと嘘だったのかもしれない。(何でそんな嘘をついたのかまでは分からないけど)
なのにさんは明らかに怒っている、というかスネているように見える。
あんな風にスネるのはさんも五条先生の事が好きだからなんじゃ、と、こんな下ネタトークでそこまで考えてしまった。
でも、それなら二人は両想いって事だし、五条先生にとったら凄く良い事なのでは!

、だからそれは嘘だってー」
「意味わかんない。何でそんな嘘をつく必要があったわけ?」
「だから、それはさ…」

五条先生は困ったように溜息をついている。

「っていうか私に言い訳しなくてもいいのに」
「だって、怒ってるし…」
「お、怒ってないよ。ただ男の人ってだいたい巨乳好きって言うなあと思って」
「そりゃないよりは多少あった方が―――」

そこでさんがジロリと睨み、五条先生は慌てて口を閉じる。
けど、すぐに笑顔を見せて、

「でもだって小さくないでしょ。細身なのにどちらかと言えば胸がある方だと思うけど」
「……っ」

五条先生の一言で、さんが真っ赤になった。

「へ、変なこと言わないでよっ」
「何で?だって気にしてるみたいだし…」
「き、気にしてないからっ」
「ほんとに?」
「ほんとっ」

ますます赤くなっていくさんを見て、五条先生は苦笑いを浮かべている。
きっと内心可愛いとか思いながらからかってるんだろうな、と気づいてしまって、僕もちょっとだけ苦笑した。
でも五条先生の気持ちも少しだけ分かる気がする。
好きな子が照れてるのを必死で隠そうとしてる姿は、やっぱり可愛いと思うから。
そして、周りに飛び火するような質問をしてきた張本人(?)のパンダくんを見ると…未だに真希さんと取っ組み合いのケンカをしていた。(元気だな、この暑い中)

「あ、それより五条くん、任務の時間なんじゃない?」
「あーホントだ」

さっきまでモメていた二人も、今はいつも通りに戻っていて、僕は内心ホっとした。
多分あんなやり取りはいつもの事で、二人にとったら何でもない事なんだろうな、と思うと、その関係が羨ましくなる。

「あ、じゃあ私、準備してくるから離れに戻ってるね」
「了解。僕もすぐ戻るから」

そんな会話が聞こえて来て振り返れば、さんは、「憂太くん、特訓頑張ってね」と手を振りながら、一人でどこかへ行ってしまった。
これから五条先生と一緒に引率に付き合うのかと思っていると、パンダくんとケンカ中の真希さんが、ふとこっちを見た。

「あれ、悟。、今日はあっちの仕事?」
「うん。―――あ、じゃあ全員集合!って、まあ、そこの二人は引き続き鍛錬してもらって」

五条先生は未だ取っ組み合い中のパンダくんと真希さんの二人にそう声をかけると、近くにいた狗巻くんを呼んだ。

「棘、ご指名。君に適任の呪いだ。ちゃっちゃと祓っておいで」
「しゃけ」
「ご指名…?」

聞き慣れない言葉に首を傾げると、真希さんに足蹴にされているパンダくんが、顔を上げた。

「棘は一年で唯一の二級術師。単独での活動も許されてんの」
「へぇ~凄いなあ」

狗巻くんの事はまだよく分からないけど、二級と聞いて感心していると、五条先生がふと僕を見た。

「憂太も一緒に行っといで。棘のサポートだ」
「サポート…?」
「ってよりは見学だね。呪術は多種多様。術師の数だけ祓い方があると思ってくれていい。棘の呪言はそのいい例だ。しっかり勉強しておいで。呪いを解くならまず呪いを知らなきゃね」
「はい」

五条先生の言うように、僕はまだまだ呪術の事に関しては素人だ。
ここは勉強のつもりで狗巻くんについて行こう。
そう思って急いで用意をすると、任務出立口へと向かう。
とはいえ、この三か月はみっちり基礎練習をしていた為、任務として現場に赴くのは、あの小学校以来だ。
しかもあの時は右も左も分からず、里香ちゃんの力に頼っただけで、実際何もしていない。(気づけば学生証もなくしちゃったし)
でも今回は初の実戦となるかもしれない。そう思うだけで緊張してきた。
その時、ポンポンと肩を叩かれ、ハッと振り返れば、狗巻くんが僕の後ろに立っていた。

「しゃけ」
「…っえ、あっ…ご、ごめんなさい…」
「………」

無表情で僕の肩へ手を伸ばす狗巻くんに、ちょっと驚いて何故か謝ってしまった。
僕の緊張が伝わって、それを責められてるように見えたのだ。
動揺する僕を見て狗巻くんは何かを言いたそうにしていたが、そこへ五条先生が歩いて来る。

「憂太、ちょっと」
「あ、はい…」
「悪いね。今回引率出来なくて。でもま、本来、棘だけで足りる仕事だから気楽にいきな」
「はあ」

どうやら今日の任務に五条先生はついてこれないらしい。
少し心細く感じ、更に緊張も増す。

「君が気を付けることはただ、一つ」

何だろう、と思って五条先生を見上げると、彼は真剣な顔で僕を見下ろし、

「里香は出すな」
「……っ?」
「前回みたいに運よく引っ込んでくれるとは限らない。里香の力は刀に納まる範囲で使うこと」
「……はい」

確かに五条先生の言う通りだ、と思って、素直に頷く。
でもそれがかえってプレッシャーにも感じた。
すると五条先生はニッコリ微笑んで、

「もしまた全部出しちゃったら、僕と憂太、処分ころされちゃうから!宜しくね」
「……なっ…(何でこのタイミングで追い打ちかけるの?!)」

あまりに満面の笑みで怖い事を言う五条先生に、僕は呆気に取られた。
そんな事を言われたら余計にプレッシャーだ。
この前は自分で呼んでしまったけど、未だに里香ちゃんがいつ出て来るかなんて、僕にも分からないだけに少々不安になってきた。

「じゃあ、そういう事で―――」
「あ、あの…先生は…ほんとに来れないんですか?」

何故、前みたく来てくれないんだろう、と思いながら五条先生を見上げる。
そんな僕の不安を察したのか、五条先生は苦笑いを浮かべると、

「僕がの護衛に就いてる事はもう知ってるよね。今日は彼女の本職の方について行くんだ。これも僕の大切な任務だから」
「あ…もしかして…モデルの仕事、ですか?」
「うん。パンダから聞いたの?」
「はい…前にチラっと」
「そう。ま、そういう事だから。それに棘がいるから心配いらないよ。代わりに伊地知も行かせるし」

見れば運転席に眼鏡をかけたスーツ姿の男の人が乗っている。
以前、挨拶をしたことがある伊地知さんは補助監督で術師ではないけど、色々とサポートをしてくれる、との事だった。
五条先生は僕を車へ促すと、

「じゃあ、頑張って」

と笑顔を見せて、ドアを閉めた。
同時に狗巻くんも隣に乗り込んでくると、車が静かに走り出す。
ふと振り返ると、五条先生は笑顔で僕たちに手を振ってから、軽い足取りで門の奥へと消えた。
きっとこれからさんの仕事に二人で向かうんだろう。

(今度、さんがどんな雑誌に載ってるのかパンダくんに見せてもらおうかな)

ふと、そんな事を思いながらも、再び緊張してくるのを感じ、強く手の中の刀を握り締めた。