無駄な努力

1.

突如始まった長距離走は最後に長い階段を上がり切ったところで終わりを告げた。薄暗い地下道から一気に外に出ると、皆が眩しそうに目を細めている。意外なところでサングラスが役に立った。目の前には平原が広がり、やたらと風が強い。危うく被っている帽子が飛ばされそうになって慌てて手で抑えた。サトツの傍にヒソカ、キルアゴンと続いて出ていく。ヒソカが意外にも近かったことで警戒しながら、私は少しだけうしろへ下がった。あとから出て来た受験生たちの中へ紛れておけば大丈夫そうだ。レオリオや隣を走っていた色白の男の子――確かクラピカと呼ばれてた――も無事に到着したのが見えた。道中、何故ハンターになりたいかという理由を互いに話したせいか、最初の頃より空気が柔らかくなった気がする。

、ここにいたのかよ」

次から次へ外に出て来る受験生を確認していると、キルアが私のところへ走って来た。

「何してんだよ、こんな後ろの方で」
「え、えっと…どれくらい脱落したのか確認してたの」

これも嘘じゃない。人数が減るか減らないかは今の私にとって重大な問題なのだから。
キルアは特に疑った様子もなく「んな心配しなくてもオレとなら受かるって」と笑っている。

「それよりオレから離れんな。また変な男に目ぇつけられてっかもしんねえし。ジロジロ見て来るヤローとかいなかった?」
「だ、大丈夫だよ。ザっと見た感じ、そこまで手に負えない人達でもないし…」

応えながらも、ふと先ほど目が合った顏中針だらけの男を思い出す。ジっと私のことを見ていたけど、ああいうのもジロジロ見られてた枠に入るのかな。そんなことを考えているとキルアは少しだけ声を潜めた。

「いや、あのヒソカはヤバいだろ。アイツは今のオレ達じゃ手に負えねー気がする」

その名を出されてドキリとした。やっぱりキルアも相当警戒しているようだ。

「しかも、ああいうヤバい男から好かれんのがだからさー。目ぇつけられねぇようにしないとな」
「………」

あながち間違ってないだけに頬がかすかに熱くなる。キルアはいつの間にそっち系の勘が働くようになったんだと驚いてしまう。
今思えば、イルミの仕事絡みで知り合ったヒソカは最初から馴れ馴れしかった。

――へぇ、君、イルミの妹なんだ。可愛いね。

サラリと誉め言葉を吐いた後、あの妖しい笑みを浮かべて「お近づきの印に♡」なんて言いながら私の手にキスをしてきた時は凄く驚いた。イルミ以外の大人の男に触れられたのは初めてで、不覚にも真っ赤になってしまった。そのせいでヒソカにますます気に入られてしまったようだ。

――こんなことくらいで真っ赤になるなんて、嫌だなァ。ボクを煽ってるのかい?

ヒソカが何に対して煽られるのか知らないけど、捕食欲をそそってしまったらしい。でもイルミが異変に気づいてすぐ私をヒソカから引きはがしてくれたから助かった。

――仕事は頼んだけどさ。オレのに近づかないでくれる?殺すよ?

殺気を垂れ流したイルミはそう言いながら威嚇してたけど、それさえヒソカを喜ばせるだけだった。

――イルミがそこまで可愛がってる妹なんて、ますます興味が湧くねぇ。

その場はどうにかおさまったけど、あれからだった。私が行く先々にヒソカが現れるようになったのは。

(どこまで本気なのか分からないし無駄に強いから厄介…)

イルミの束縛が更に強まったのもヒソカのせいかもしれない。

「どうした?。難しい顔して」
「え?あ…何でもない。全員が出て来たっぽいし、そろそろ出発じゃない?」
「ああ、そうみたいだな」

ふとサトツの方へ意識を向ければ、目の前に広がる湿原の説明をしている。どうやら次の会場には目の前の鬱蒼とした湿原を進まないといけないらしい。しかも人間を捕食するという珍奇な動物がいるという。

「騙されると死にますよ」

サトツがさらりと言った。

「騙されることのないよう注意深く、しっかりと私のあとをついて来て下さい」




2.

(危なかった…)

霧の濃いヌメーレ湿原を走りながら、後方を走るヒソカの気配を探る。出発する直前、人面猿騒動が起こった。ヒソカが試験官や受験生に化けた猿をあっさりと殺してたけど、私も危うく手を出しそうになってしまった。普段の習慣ってのは恐ろしい。無意識にそうなるのは邪魔なものは排除するっていう"イルミ脳"とも言える。それだけイルミの傍にいて感化され続けて来たってことなんだろうけど。ただヘタに目立てばヒソカにバレて面倒なことになる。気をつけなくちゃと改めて気を引き締める。けれど、そう簡単にいかないのは分かっていた。キルアも気づいているのか、不意に私の隣を並んで走り出す。

…気づいてる?」
「…うん、まあ…アイツ、でしょ?」
「凄い殺気…この霧を利用する気だ。後ろへ下がったのはそのためだ」
「うん…」

さっきまで余裕で前を走ってたヒソカが、試験官にバレないよう後ろを走ってる受験生を狙うために下がったことは分かっている。私とキルアは少しだけスピードを上げることにした。キルアはそばを走っているゴンくんにも声をかけている。

「ゴン、もっと前に行こう」
「うん。試験官を見失うといけないもんね」

ゴンくんは気づいてないのか呑気にそんなことを言っている。キルアは少し考えながらも首を振った。

「そんなことより…ヒソカから離れた方がいい」
「え…?」
「あいつ、殺しをしたくてウズウズしてるから」
「……ッ?」
「霧に乗じてかなりるぜ」
「………」

ゴンくんが唖然とした様子でキルアを見つめてる。まあ、いきなり殺しをやると言われてもピンとはこないだろう。ゴンくんは平和な場所で育って来たみたいだし。キルアもその様子に気づいたのか苦笑を漏らした。

「何でそんなこと分かるのって顔してるね」

ゴンくんの視線を感じたキルアは「何故ならオレも同類だから」とあっさり言った。私はギョっとしてキルアを見たけど、キルアはどこ吹く風で「臭いで分かるのさ」と説明している。自分の素性を明かす気なのかと焦ってしまった。

「キル…しゃべりすぎ」
「大丈夫だよ、ゴンは」

キルアはそう言って笑うと、再びゴンくんへ視線を向けた。ゴンくんは不思議そうな顔で鼻を動かしている。もしかしたらゴンくんは嗅覚が人より強いのかもしれない。

「同類…?あいつと?そんな風には見えないよ」
「それはオレが猫かぶってるからだよ。そのうち分かるさ」
「ふーん…」

ゴンくんは分かったような分かってないような返事をすると、いきなり後ろへ向かって大きな声で叫びだした。

「レオリオー!クラピカ―!キルアが前に来た方がいいってさー!」
「―――ッ」

ゴンくんの行動にさすがのキルアもギョっとした顔だ。あまりに自然体な子だからキルアもどう扱っていいのか困ってそうでちょっと笑える。やっぱりゴンくんはこれまで会ったことのないタイプだ。

「アホ―!行けるならとっくに行っとるわい!」

少し後ろからレオリオの怒鳴り声が返って来る。

「ったく…緊張感のない奴らだなー」

キルアが呆れたように言った時だった。辺りに立ち込めてた霧が一段と濃くなったのが合図のように"ソレ"は始まった。

「うわぁぁぁ!!」
「た…助けてくれー…!!」

後方のあちこちから凄まじい悲鳴が上がり始めて、ちょっとしたパニック状態になっている。ゴンくんは友達が気になるのか、後ろを何度も振り返っていた。

「ゴン…」
「……」
「ゴン!!」

不意にキルアが大きな声を出した。

「え、何…?」
「ボヤっとすんなよ。人の心配してる場合じゃないだろ。見ろよ、この霧。前を走るヤツがかすんでるぜ。一度はぐれたらもうアウトさ」
「……」

キルアの言うことは正論だ。確かにこの霧はヤバい。キルアが念使いなら心配はないけど今はまだ…と僅かに考え事をしていた時だった。再び、今度は少し後ろで悲鳴が上がった。同時にヒソカの殺気を感じたということはアイツも後ろの騒ぎに紛れて殺しを始めたということだ。なら、もっと離れた方がいい。

「キルア、もっと前に――」

と言いかけたその時、ゴンくんが誰かの悲鳴に反応した。

「…レオリオ!!」
「ゴン?!」

ゴンくんはキルアの静止もきかず、後ろへ戻って行った。霧のせいですぐに姿は見えなくなる。私はすぐにキルアの腕を掴んだ。ゴンくんを追いかけたそうにしてたからだ。

「大丈夫だよ、…。行かないさ。アイツはオレでも無理だって分かる」
「…なら先を急ごう」

内心ホっとしつつ、霧の中を進む。ただ前へ。サトツの気配を見失わないように。

(ああ…また殺した)

ヒソカの殺気がこっちまで漂って来るせいで気分が悪くなる。今度は一気に数人を瞬殺したようだ。血臭が僅かな風に乗って私の鼻腔を刺激して来る。ゴンくんの友達もこの中にいるんだろうか。いや、彼も助けに行ったところでヒソカを止められるはずもない。ゴンくん自身も殺されてしまった可能性は大きい。チラっと隣を走るキルアの様子を伺ったけど今は特に後ろを気にしている感じはない。その時、サトツのペースが落ちて来た気配がした。

「もうすぐ着くみたいだな」
「…うん」

キルアに頷きながらもホっと胸を撫でおろす。どういうわけかヒソカの気配が遠ざかったからだ。きっと動きを止めて途中で戦ってるか一方的な殺戮を楽しんでるのかもしれない。

「…あれさえなきゃいいのに」

一度スイッチが入るとああなってしまうのはヒソカの悪いクセだ。

「ん?何か言った?」
「別に」

苦笑交じりで首を振ると、一気にスピードを上げてサトツのあとを追いかけた。




3.

「あーもう疲れたぁぁぁ…」

重たい身体をベッドに投げ出すと、深い深い息が自然と漏れた。第二次試験も無事に通過し――仕事で世界各国に行ってる私には余裕だった――今は次の目的地に向かう飛行船の中だ。明日の朝8時に着くらしいから、とりあえずそれまでは身体を休める。キルアは飛行船を探検すると言ってゴンくんとどこかへ消えてしまったけど、まあヒソカにさえ近づかなければ大丈夫だろう。

「それにしても意外だったなぁ…」

てっきり湿原で全員ヒソカに殺されたかと思っていた。なのに後からやってきたヒソカは何故か意識のないレオリオを担いでいて、その後に来たゴンくんやクラピカという色白の少年もピンピンしてたのを見た時は正直ビックリさせられた。あのヒソカが4人もの人間を殺さず、生かしたという事実もそうだし、その内の一人は運んであげるという親切さは異様な光景だった。

「ヒソカってばどういう風の吹き回しだろ…。ゴンくんに聞いたら、ただ合格と言われただけだったようだけど…」

ヒソカは"試験官ごっこ"と言ってたらしい。でもゴンくんを含めた友達の子達はそれを生き延びた。

「なかなかやるもんだなぁ…あのヒソカ相手に」

レオリオは一発でダウンしたらしいけど殺されずに済んだようだし、ヒソカは彼らの何かを気に入ったということなのか。まあ無事で何よりだ。キルアもゴンくん達が生きてたことは驚いてたけど喜んでたみたいだし、試験の間は一緒に行動しようということになった。確かにあのメンバーに紛れてしまえば隠れ蓑にしやすい。

「あーお腹空いた…食堂あるって言ってたっけ、あのおじいちゃん」

身体を起こし、ベッドへ腰を掛けると、長い髪を頭の上でお団子にする。その上から大きなキャスケットを被ってサングラスをすれば、一見して私だとは気づきにくいだろう。

「まさかハンター協会の会長が直々に現場に来るとはねー」

有名人なので顔はテレビやネットの動画で何度か見たことがある。温厚そうな外見とは裏腹に、実際に会ったネテロ会長は化け物じみた力を漲らせていた。相当な使い手だと肌で感じる。私なんか瞬殺されてしまいそうで怖かった。お父さんやおじいちゃんと同等かそれ以上かもしれない。

「世の中にはあんな化け物がいるのね」

簡単に着替えると、まずは空腹を満たすために食堂へ向かう。通路の窓から見える星空を眺めながら歩いていると、途中のベンチにキルアとゴンくんが仲良く並んで座ってた。

「あ、どこいくんだよ」
「ちょっと食堂。お腹空いちゃって眠れそうにないし」
「ひとりじゃ危ねえって…」
「大丈夫だよ。ちゃんと地味にしてきたから」
「Tシャツとジーンズでも十分目立つって」

キルアは苦笑しながら肩を竦めている。心配性なところはイルミにそっくりだ。こんなこと言うとキルアが嫌がるから言わないけど。

「ん?ゴンくん、私の顔に何かついてる?」

キルアの隣にいたゴンくんがジっと私を見上げているのが気になって尋ねると、ゴンくんは首を傾げつつ「さんも殺し屋なの?」ととんでもないことを訊いて来た。慌ててキルアを見ると「わりぃ。話しちった」と笑っている。別に地元じゃ有名だから今更バレたところで構わないけど、その話が流れてヒソカの耳にでも入ったら最後、キルアが私やイルミの弟だとバレてしまうことの方が心配なのだ。

「凄いね、さん。女の人なのに優秀な暗殺者なんて」
「ゆ…優秀ってわけじゃないんだけど…あまり目立ちたくないからこの話は内緒ね」
「うん」
「…(やっぱり可愛い)

素直に頷いてくれたゴンくんに癒されつつ、私はふたりに手を振ると食堂へ向かった。飛行船の一階部分の真ん中にある広い食堂は遅い時間のわりに受験生たちで賑わっている。会場についてから二次試験まで相当疲れて空腹も限界だったのは皆も同じようだ。ざっと見渡せばヒソカはいないようでホっとしながら料理を注文する。本当はがっつりステーキを食べたいところだけど寝る前なので軽めのサンドイッチにしておいた。

「あ…これなら部屋で食べられるか」

一瞬テーブルにつきかけたが、思い直して立ち上がる。その時、背中にゾクリと寒気が走った。

「隣、いいかな?」
「―――!」

ねっとりとした艶のある声――。振り向かなくても分かるその気配に、私は思わず息を飲んだ。

「ど…どうぞ…私は部屋に戻るところなんで…」

咄嗟に声を変え、ヒソカの方を見ないまま食堂を足早に出る。不自然過ぎたかとも思ったが、ここでのヒソカは全員に畏怖の念を抱かれている。今の対応でもおかしくはないはずだ。

「…び、びっくりした…」

早歩きで部屋に向かっていたが途中からは完全に走っていた。今頃になってどっと汗が噴き出してくる。まさか背後に来られるまでヒソカの気配に気づかないなんて呑気にもほどがある。

(それにしても…他に席なんかいくつもあったのに、よりによって何で私のとこへ?)

冷静になって考えてみれば少しおかしい気もする。

(もしかして…バレてる…?)

まさか――とは考えない。この飛行船に乗るまで殆どヒソカと接触はしなかったけど、アイツはそれくらい油断ならない男だ。ならばそれなりに私も対応を考えなくちゃならないなと思った。
部屋に戻る途中、さっきの場所にキルアとゴンくんの姿はなかった。また二人で中を探索しに行ったんだろう。とにかく私は部屋に戻って食事をして寝てしまおう。今はそれしか考えてなかった。

「あ…いけない。通り過ぎるとこだった…」

一気に走って来たせいか、自分の部屋の前を一瞬、通り過ぎる。慌てて引き返すと、すぐにドアを開けて中へ入った。

「やあ、おかえり♡」
「……は?」

そこには、いるはずのないヒソカが妖しい笑みを浮かべて立っていた。




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