罪を刻む

立ち去ったヒソカの気配が完全に消えて、辺りは再び森のざわめきが戻って来たかのように風が吹きだした。さわさわと草や木々の葉が揺れる音に耳を傾けていると、繋がれた手がぎゅっと握られる。それだけで素直に鼓動が反応してしまうんだから嫌になってしまう。

「イルミ…今、試験中」
「分かってるよ。もちろん。でも――」

と言いながら、イルミは私の手を引いて、手ごろな大木に背を預けて座った。必然的に手を繋がれたままの私も隣に腰を下ろすことになる。

「少し話がしたい」
「…話って…敵が狙ってくるかもしれない時に?」
「そっちのセンサーは切ってないよ。今は周りに誰の気配もない。さっきまで遠くにこっちを伺ってる気配はあったけどね。多分ヒソカが移動したのにくっついて行ったっぽい」

ヒソカを狙うバカがいるとはね、とイルミは笑った。それには同感だけど、この状況を利用してヒソカを倒したいという連中はいるだろう。何せ有名だから倒せば名を挙げられる。まあ、試験を受けに来ていた連中の中に、あのヒソカを倒せる人物はいないと思うけど。

(…イルミを除いては)

隣に座る兄の横顔を見ながら、ふと思う。でも正直、どっちが強いのか私には分からないし、このふたりは何となく決着がつかない気がする。

「で…は家出中、何してたの」
「…何って…キルアと合流するまではあちこち転々と…」
「ふーん。その転々の中にクロロも含まれるってわけだ」
「え…」
「クロロ、落ち込んでたよ。に逃げられて。助けに来たのに逃げられるって最悪の気分だろうなあ」
「だ、だって…」

あの時、クロロを頼ったのはクロロが私を女として見てるなんて知らなかったからだ。別に口説かれたわけでもなかったから気づかなかった。

「口説かれてなくても、あのクロロが無償で助けてくれるなんて変だろ。だいたい蜘蛛には近づくなって言われてなかったっけ?」
「ご、ごめん…って、いうか、それイルミも同じでしょ?クロロと親しいクセに」
「オレは依頼を受けたから知り合っただけ。別に親しくしてないし、親しくなろうとも思わない。にちょっかい出そうとしたんだし」

イルミは相変わらず、私ファーストだ。私を基準に物事を考えたりするところがある。それは幸せなことなんだけど、でもいつまでもそれじゃダメなんだ。

は隙がありすぎる。だから心配なんだよ」
「も、もう子供じゃないし自分の身は自分で守れるもん」
「ヒソカに捕まってたくせに」
「あ、あれは…」

と、そこで言葉を切った。ヒソカには知られたくないことを知られていて、だから動揺したし、それに一番はキルアのことも守りたかったからだ。

「あれは…なに?」
「キルのことも知られてて、だから近づかないで欲しくて…」
「ふーん…キルのことで脅されたんだ」
「お、脅されたわけじゃないけど…」

ふとイルミがこっちを見て、感情を映さない瞳と目が合う。イルミの猫のような黒目に映る私は、昔の私と同じ顔をしてる。イルミのことが好きで好きでたまらないって顔だ。そんな顔を見られてるのかと思うと恥ずかしくて、思わず視線を反らしてしまった。

「キルには手出しさせない。だからは心配しないで試験を受けなよ」

相変わらず淡々とした声でイルミが言った。その言葉を聞いただけで内心ホっとした私がいる。イルミに任せておけば大丈夫――。昔から何でもそうだった。

「で…どうしたら帰って来てくれるわけ」

唐突な問いかけで鼓動が僅かに跳ねた。イルミは今でも私に戻って欲しいんだろう。イルミを、ひたすら愛してた私に。

「……だから…私達…兄と妹に戻れたら…」
「おかしなこと言う。オレとが兄と妹だったこと、あったっけ」
「え…?」
「オレは幼い頃からを愛してたし、オマエを妹と思ったことは一度もない」
「イルミ…」
「確かに血は繋がってるけど、オレから言わせると、だから何って感じだし。世間一般の常識なんて、そもそもゾルディック家にあると思う?」
「そ…れは…」
「殺しを請け負って金を貰う。それってオレ達には普通のことだけど、世間から見れば常識から外れたことやってるんだし、そもそも世間の常識で物事を考えてるがおかしいだろ」

イルミの言ってることは理解できる。常識を考えるなら、我が家の仕事自体、するべきじゃない。でも家業からは絶対に逃げられないのも分かってる。私自身、何も家族や仕事から逃げたいわけじゃない。ただイルミと愛し合うことが許されない行為だと言われてショックを受けたに過ぎないのだ。

は…」
「え…?」
「もうオレのこと嫌いになったの」
「…イルミ?」

不意にイルミの大きな手が、私の頬に触れた。少しだけ冷んやりとしたその手に触れられるのが、私は好きだった。優しく髪を撫でて、頬を撫でてくれるイルミの手が愛おしくて、頬に置かれたその手に自分のものを重ねる。それを合図に、イルミが身を屈めてくちびるを寄せて来た。でも、もう少しで触れ合いそうになった瞬間、イルミは数本の針を手にして草むらの方へと投げつけた。わたしも上に飛んで木の上を移動しながら、手のひらで自分の念を発動させ、前を逃げる男の首から上を異空間に取り込んで入口を閉じる。男は悲鳴を上げることなく。体だけが木の下へ落下した。続いて私も木から飛び降りると、男のポケットからプレートを抜き取り番号を確認する。

「終わった?」
「うん。私のターゲットだった。相手も…そうなのか分かんないけど」
「そう。オレが殺ったのはソイツの仲間かな。きっとヒソカの気配が離れたから、これ幸いと襲って来たんだろ。バカな奴ら」

何の抑揚もない声で言ったイルミは、引きずって来た男の遺体を胴体だけの遺体の上に放り投げた。まさかこの二人も私以外にゾルディックの人間がいるとは思っていなかっただろう。女だからと甘く見て襲って来たんだと思った。二人の死因は自分達の力量を知らな過ぎたことと、凝を使ってイルミをよく見なかったことだ。一目でも見ていたら、きっと自分達とは天と地ほどの差に気づき、静かに立ち去ってただろうし、死ぬこともなかったはずなのに。
足元に転がる死体を見下ろしながら、そんなことを考えていると、力強い腕に引き寄せられてぎゅっと抱きしめられた。イルミはいつも突然だ。目の前に死体が転がってようと全く気にしない。

「殺すことなかったかな…」

照れ隠しで思ってもいないことを口にすると、イルミがかすかに笑ったようだった。

との時間を邪魔した罰だよ。それに――」
「…それに?」

と顔を上げると、イルミの綺麗な顔が近づいて、くちびるが重なった。さらりと綺麗な黒髪が垂れて、それが目隠しの代わりになる。

とのキスを邪魔した罰」

柔らかい笑みを浮かべたイルミは、私の背中を抱き寄せて、もう一度、今度は少し強引にくちびるを塞いだ。懐かしいとさえ思えるイルミのキスは、ほんの少しほろ苦くて、私の胸の奥に、また一つ罪を刻んだ。




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