欲を重ねた純情-06

乙骨の誕生日を祝うため、は約束通り彼の部屋を訪れ、初めてふたりで乾杯した。無事にプレゼントも渡せたし、彼からは凄く喜んでもらえたのは密かにホっとした。趣味じゃなかったらどうしよう、と散々悩んで選んだからだ。それと乙骨から大好きなチョコをもらえたのは彼女にとっても嬉しすぎるサプライズだった。好物をもらえたからじゃなく、乙骨がわざわざ店に行って買ってきてくれたという事実が嬉しかったのだ。意外にも、は初めての恋をしてるような心地になっていた。
これまで付き合ってきた見栄や虚勢ばかりが強い男たちとは違い、乙骨は素朴で素直なひとだ。喜びも悲しみも、全て明け透けに見せてくれる。それが、その彼の純粋さが彼女を安心させるのだ。これまでの相手では得られなかった安息の時間を、乙骨という男はに与えてくれている。
何より今までと違うのは、ふたりが付き合うことになっても、乙骨はすぐに彼女へ手を出してはこなかったこと。それまで付き合った男たちは、その瞬間から彼女のくちびるを求め、またその先へも進もうとする。年上なのにどこか余裕のないその姿は、の目に滑稽に映っていた。でも乙骨は違う。手を繋ぐこともなければ、まして急に押し倒してくるなんてことは絶対にしない。それがの目には新鮮に映り、余計に彼の人柄を好きになった。
ただ、多少なりとも経験のある彼女にとっては、少し物足りないのも事実。乙骨に惹かれれば惹かれるほど、彼に触れてみたくなるし、触れられたくもなる。なのに彼はふたりきりの時でも手すら繋いでくれないのだ。触れたそうにはするくせに、いつも寸でのところで、その手を引っ込めてしまう。それが少しだけ悲しかった。
せめて今日、自身の誕生日なのだから、出来ればキスくらいはして欲しい。なんて少しの期待をしながら、部屋へとやって来た。
女の自分がこんな浅ましいことを考えているなど絶対に知られたくはないものの、ベッドに並んで座ったときは、頬を赤らめてしまうくらいに期待して、つい乙骨を見つめてしまった。ただ、彼は案の定と言うべきか、彼女に触れようとすらしない。
肩を抱きたそうに手は動くのだが、すぐに引っ込めてしまうのはいつもと同じ。少し残念に思いつつ、でもそういうところも好きなのだから、としては自然の成り行きでもいいのかな、と最近は思い始めていた。
そもそも、とて乙骨とセックスまでしたいとは思っていない。初体験の痛みや、その後のセックスに関する様々な不快感が記憶に残り、あまり好きな行為ではなかったからだ。
なので、その男と別れたあとに付き合った彼氏たちには、くちびる以外、一切手を出させなかった。最初の人とは違い、そのあと付き合った男たちとの破局が早かった理由の一つがそれだ。
だからこそ、矛盾する感情はあれど、乙骨が奥手なのもにとっては安心する要素でもあった。
彼の異変を感じたのは、乾杯をしてから少し経った頃だった。どこかゆらゆらと上半身がふらつき、頬も赤く、大きな黒目がとろん、としている。その表情には見覚えがあった。例のお疲れ会で酒入りのコーラを飲んでしまったときだ。あのときと今の乙骨は同じ顔をしている。そこで思い出した。乙骨はアルコールに弱いということを。
「あ…これお酒だ…」
「えー?何ですか?さん」
乙骨がふにゃりと笑い、の顔を覗き込んでくる。きゅんとするほど可愛いのだが、どう見ても酔っているとしか思えない。
そこで違和感を覚えた彼女は、自分の手の中にあるグラスへ視線を落とした。
先ほど乙骨は誰かからもらったと話していたが、そのとき彼は「シャンパン風のジュース」と言っていなかったか?
なのには乾杯したとき、そんなことなど忘れて、いつものように美味しいシャンパンを味わってしまった。そんな自分に唖然とする。習慣とは恐ろしいもので、誕生日などの祝い事のときは、実家にいた頃から一杯だけはアルコールで乾杯していたのだ。だから、あまり深くは考えずに飲んでしまったが、乙骨の言っていたジュースじゃないなんて気にもしなかった。
けれど、乙骨の方はどうだろう。本人がジュースと言ってた通り、何杯かは一気に飲み干していた気がする。本人がこれをノンアルコールだと勘違いしてたなら、あり得る話だ。
そして、はこのシャンパンを好んで飲んでいる人物に、心当たりがあった。ジュースだと嘘をつき、これを乙骨に渡したのはあいつに間違いない。の好きなチョコの話を、乙骨がその人物から聞いたと知ったとき、もっと警戒してアレコレ聞いておくべきだった、と彼女は後悔した。
(金ちゃんのやつ!あとでぶっ殺す!)
普段、乙骨には絶対に見せない黒い笑みを浮かべながら、どう料理してやろう、とほくそ笑む。どうせ金次は乙骨から今日のデートの話を聞いて、邪魔してやろうと思っただけなのだ。なのに乙骨は何の疑いもなく、金次のくれたシャンパンをジュースと思い込んで飲んでしまった。その素直すぎる性格を改めて見せつけられ、彼女は困ったような笑みを浮かべた。そういうところも好き、と思っただけだ。
「…乙骨くん…大丈夫…?」
「僕は…大丈夫ですよー」
「……(あかん、酔ってる…)」
顏は真っ赤というほどではないにしろ、頬は薄っすら色づいているし、目はやっぱりとろんとしたまま、どこか物憂げな表情だ。普段とは明らかに違う。しかも、その表情がどこか色っぽく見えるのだから不思議なひとだと思った。乙骨はもともと綺麗な顔立ちをしているし、日々身長が伸びているようだ。あと数年も経てば、優しい性格と相まって絶対いい男になるだろうな、とは思う。
でも――きっと、その頃になれば、わたしは彼の隣にいないだろう。ふと、そんな現実を思いながら、隣にいる乙骨を見ていたら妙な寂しさに襲われてしまった。
「ね、乙骨くん、お水飲もう」
乙骨の手からシャンパンの入ったグラスを奪い、それは机の上に置いておく。これ以上、飲んだら泥酔して眠ってしまいそうだ。
「え、水…って、あー…喉…乾いたかも…」
部屋に設置された小型の冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターのボトルが数本入っていた。そこから一本を取り、キャップを外すと、それを乙骨の手に持たせてやる。これなら万が一、手が滑っても落ちて割れたりはしない。
「あー…ありがとー…、さん…」
「もー…こんな酔っちゃって…」
「ん…?酔ってない…ですよ」
乙骨は自分が酔っていることを自覚していないのか、そんなことを言いながらも、水を美味しそうにコクコクと一気に飲み干している。ただ、飲みきれなかった水が口端から垂れて、彼の顎を濡らしていた。それを見た彼女は「仕方ないなあ」と笑いながら、再び隣に座ると、自分のハンカチで乙骨の口元を拭ってあげた。そのとき、ふと視線を上げれば、自分を見下ろす彼と目が合う。こんなにも至近距離で視線を合わせたのは、あの日お疲れ会で乙骨を介抱して以来、二度目だった。
「…お、乙骨くん…?」
不意に彼の手が彼女の頬にぺたり、と触れたことで、直に乙骨の体温を感じる。まさか触れられるとは思っていなかったこともあり、は驚いて何度かぱちぱちと瞳を瞬かせる。乙骨がこんな風に触れてくるのは初めてで、このときは酔っているだけだと思った。
乙骨は彼女と視線を合わせたまま、ふっと笑みを浮かべると「…かわい、さん…」と呟く。それは誰に言うでもなく、ぽろっと本音が零れたような言い方で、の頬が一瞬で朱に染まる。普段も何かと彼女を誉めたがる乙骨だが、不意打ちだと余計に照れ臭い。それもあってか、赤くなった顔を見られたくなくて、はふと目を伏せてしまった。
その瞬間――頬へ触れていた手が腰へ回され、ぐいっと引き寄せられる。あっと思ったときには、乙骨に強く抱きしめられていた。
「も…むり…ぎゅううってしたい」
「お、乙骨くん…?」
耳元で乙骨の小さな声が独り言のように呟く。もうしてるけど…とは思ったものの、初めての乙骨からの抱擁は意外なほど彼女を高揚させていく。ただ、普段は遠慮がちな彼だけに、これは本格的に酔ってるかもしれない。そう感じた彼女は、乙骨の背中へそっと手を回し、軽くぽんぽんと叩いてみた。今では抱きしめられているというよりも、完全に抱きつかれている。当然、の方が小柄なので、体重をかけるように抱きつかれると地味に重い。
「乙骨くん…大丈夫?まだお水飲む…?」
「んー…いらない…さん…がいい」
「…わたし…?」
どういう意味?と思ったものの、その真意を問う前に、乙骨がまたしても彼女の耳元で呟く。
「…ん、ちゅうしたい」
「…え?」
耳の近くで呟かれ、その台詞が直に鼓膜を揺らす。あまりに意外な言葉を聞いた気がして、彼女が再び驚きで固まったとき、乙骨がぐいっと体を引き離した。その突然の行動にまた驚かされ、ふと視線を上げれば。そこには蕩けた顔で彼女を見つめる乙骨がいる。彼はと目が合うと、ゆっくり身を屈めて――くちびるを寄せてきた。
むにゅっとした感触をくちびるに感じた瞬間、の大きな瞳が見開かれ、驚愕と戸惑いで揺れる。それは、ただくちびるを接触させただけの、キスと言うほどの甘さはなかったが、すぐに離れた乙骨は、どこか満足そうな笑みを浮かべた。
「さんのくちびる…柔らかくて気持ちい…」
「な…――」
乙骨に初めてキスをされた余韻を感じる間もなく、気持ちいいと称されたことにの頬がカッと熱くなる。つい、恥ずかしくて「この酔っ払い」と言おうとしたのだが、開きかけた口を、またしも乙骨のくちびるに塞がれてしまった。
「ん…ふ…」
一度キスをしたことでタガが外れたのか、乙骨はぎこちないながらも、何度も触れては離れ、角度を変えつつくちびるを重ねてくる。相手が酔っていると思うと拒むことも怒ることも出来ず、はされるがまま身を任せてしまった。ただ、そうは言っても好きな相手であることに違いはなく。やっとキスをしてくれた、という思いはあった。心臓が心と同調するように激しく拍動すれば、徐々に全身が火照りだす。それは乙骨のことが好きだと思うたび、強くなっていく。ただ触れあうだけの行為でも彼女は幸せだった。
だが、次の瞬間、乙骨がハッとしたようにくちびるを離した。
「え…僕いま…何を…」
「……乙骨くん…?」
驚いて乙骨を見上げると、どこか戸惑い顔で彼女を見つめている。その様子はさっきまでの彼とは表情が違うように見えた。
「え、あ…ご、ごめんなさい…!僕…さんにキス…」
ただし、まだ酔ってはいるようだ。あまり思考が定まらないといった様子で、を見つめてくる。
「ご、ごめんなさい…あれ?僕、どうして…あんな…」
「乙骨くん…大丈夫…?」
「だ、大丈夫……と聞きたいのは僕のほうです…怒って、ますか…?」
未だとろんとした顏をしてはいるが、乙骨は少しだけ酔いが醒めたようだった。恐る恐るといった顔で彼女の顔を覗き込んでいる。その表情が可愛くて、は慌てて首を振った。
「お、怒るわけないでしょ…嬉しかったんだから…」
「…え」
言われたことに驚いたのか、乙骨はさっきの彼女と同様、何度か瞬きを繰り返したあと「ほんと…ですか?」と訊いてきた。そこは素直に頷くと、乙骨は見る見るうちに破顔していく。そして掴んだままの彼女の手を、ぐいっと引き寄せ、今度は優しく抱きしめてくれた。
「ずっと…触れたくて…会うたびうずうずしてました」
「…ん、知ってる」
「え…」
くすり、と笑って呟けば、乙骨が再び体を放し、恥ずかしそうに見つめてくる。も僅かに視線を上げれば、何となく。またキスをするような空気が流れた。
「えっと…あの…もう一度…していいですか…?さっきの、夢だと思ってたから、よく覚えてなくて…」
この状況できちんとお伺いを立ててくる辺りが彼らしい。ただ、それは思っていた以上に羞恥心を煽られるというのを、はこのとき初めて知った。耳まで火照るものなのか、と驚きつつ、僅かにこくんと頷けば、乙骨が身を屈めるのが分かった。
再び互いのくちびるが重なり、今度こそ心臓がきゅっと音を立てる。やはり乙骨の意識がハッキリしている状態で改めてキスをされると、感じ方すら違う気がした。角度を変えながら、優しく触れていたくちびるは、少しずつ少しずつ交わるような動きに変わっていく。最初はぎこちなかった乙骨のくちびるが、彼女のくちびるを食むものへと変わる。その際、ちゅ…っという可愛いリップ音を立てるので、余計に恥ずかしさがこみ上げた。
何度もキスを交わしていくうち、彼女の体が後ろへ傾き、乙骨が覆いかぶさるように彼女のくちびるを追いかけていく。そうれば必然的に体が後ろへと倒れ込んだ。ベッドが二人分の重みを受け止め、苦しげな音をを鳴らしたことも、ふたりは気づかない。
「…ん…」
「…好きです…さんが、すごく」
僅かにくちびるが離れた隙間を縫うように、乙骨が呟く。わたしも、と言いかけた傍から、またくちびるを塞がれてしまった。そのうち、乙骨の舌が自然と彼女のくちびるの隙間へ触れる。それは本能的なものだというのは、も何となく感じていた。キスをされていると、自然と彼女のくちびるも開いていくからだ。そして彼は本能に従ったらしい。乙骨の舌がぬるりと彼女のくちびるを割って侵入し、柔らかい舌が絡みつく。その感触にぞくりとした彼女の喉から、くぐもった声がかすかに漏れた。彼の舌は、やわやわと彼女の舌を味わうように舐めては絡みついてくる。軽く吸われるたび、また肩ががびくりと跳ねてしまった。
「……さんのこえ、かわいすぎ」
キスの合間に蕩けたような顔で言われると、更に羞恥心を煽られた。怒りたいのに、すぐにくちびるを塞がれ、怒れないのが歯がゆい。
「さん、好き、です」
「…ぁっ」
舌を吸われ、口蓋を舐められ、咥内を余すことなく愛撫される。まるで彼女の全てを喰らいたいとでも言いたげな口づけは、くちゅくちゅと卑猥な音を響かせた。くちびるが解放された頃には互いの間に銀糸が繋がり、それがツツ…っと顎へ垂れていく。それすら気づかないほどの息も絶え絶えになっていた。だが休むことなく、甘い刺激が彼女の首筋を襲う。乙骨の舌が顎ヘ垂れた唾液をぺろりと舐めたと思えば、今度は顎から首へと口づけていく。その刺激での肩が僅かに跳ねた。ちゅ、ちゅ、と軽く音を立てて、の肌を堪能するようなキスをされた。どこか歯止めが効いてないように思うのは、まだ乙骨が酔っているからだろう。このままじゃマズいかも、と思うくらいの理性は、彼女の中にも残っていた。なのに乙骨の触れた場所から、じんと熱が生まれ、体の中心が変に熱くなっていく。初めての感覚だった。これは何?と彼女が少し戸惑っていると、不意に乙骨の手が彼女の腰をなぞり、体のラインを確かめるよう上へと移動していく。
「ん…待っ…」
待って、と言う前に、乙骨の手が胸の膨らみへと到達し、恥ずかしさで体を捩ろうともがく。なのに服の上からやわやわと揉まれる感触に、また声が跳ねてしまう。再びぞくりと肌が粟立つような感覚に襲われ、を少しだけ怯えさせた。体を許した相手に触れられても、この感覚に襲われたことはなく。こんな風に体が反応したのはも初めてだった。
「お、乙骨く…だめ…こわい」
もともと苦手な行為ではあるが、初めての感覚の方が怖くなった。自分の体とは思えないほど、制御が利かない気がしたからだ。つい乙骨の手を止めると、彼は我に返ったようにがばりと顔を上げた。
「ご、ごめん…っちょっと調子に乗った…かも…」
一瞬、理性を失った、と反省する乙骨は相変わらず可愛い。まさか酔っ払って男の本能を見せつけられるとは思わなかったものの、彼女も行為じたいが嫌だったわけじゃない。なので「…ううん…わたしこそ、ごめんね」と、乙骨の髪をそっと撫でる。それには彼もホっとしたように微笑んでくれた。
だが、このときのことがキッカケで、ある誤解をされてしまう。
「いえ…やっぱり…女の子の方が初めてのときは怖いですよね…僕の配慮が足りませんでした…」
「…え?」
「あの…僕がまた変な気、起こしたら殴ってくれていいんで、ちゃんと言って下さいね」
「………(かわいい)」
乙骨ににっこり微笑まれ、も釣られて微笑む。ただ、心の中では少しだけ焦っていた。
(どうしよう…!処女だと誤解させてしまった…)
そんなつもりではなかったのだが、今さら違うと言える空気でもない。それに今いちばん好きなひとに、わたしはもう処女じゃありません、とは口が裂けても言いたくない。当然だ、好きな相手にわざわざ報告することでもない。男のひとは、きっと何となくその辺を察してくれるだろう、という甘い考えがあったのだ。
額にちゅっと口づけてから、「この体勢じゃまた変な気を起こしちゃうんで」と彼女を引っ張り起こしてくれる乙骨は相変わらず優しい。普通の男なら、セックスを拒んだくらいで不機嫌になるのが大半だ。なのに乙骨は逆にのことを気遣ってくれるのだから、好きだという想いがどんどん溢れてきてしまう。
乙骨を見ていると、彼女の胸に後悔の二文字が過ぎった。出来ることなら、彼に初めてをあげたかった、という後悔だ。
一年の頃は自由になった解放感もあり、顏が好みというだけで好きになった相手に処女を捧げてしまった。今思えば、セックスが嫌いになったのも、自分勝手な抱き方しかしない元カレのせいだと、少しだけ恨めしく思う。たぶん、子供だったのだ。たった一年前とはいえ、心は日々成長していく。は乙骨と出会い、愛され、大切にされる喜びを知って、少しだけ大人になったに過ぎない。
「さん…どうかしました?」
「…ううん、何でもない。あ、ケーキ食べよっか」
心配そうに顔を覗き込んでくる乙骨を見ていると、好きだなあとシミジミ思う。彼といるときだけは、自分も優しい人間になれる気がした。
だが、そのときだった。「あ、僕がやります」とベッドから立ち上がった乙骨の上着のポケットから、ポロポロと何か小袋のようなものが零れ落ちていく。それは、彼女でも見たことがあるモノだった。
「乙骨くん…それって…」
「え?…あぁっ!」
コンドームの袋を床へばらまいてしまったことに気づいた乙骨が、これまで見たこともないような表情でそれらをかき集め始める。それを見下ろしていたの手が、怒りでぷるぷると震え出す。そこに気づいて焦ったのは乙骨だった。このままでは自分が用意してたと思われてしまう。先ほども酔いに任せてエッチなことをしようとしたのだから、言い訳すらできない状況だと、乙骨は必死に首を振った。
「ち、違うんです!これは秤さんに――」
「…金ちゃんのヤツ…こんなモノまで乙骨くんに…!」
「……え」
言い訳をしようと思っていた乙骨は、彼女がすぐに事情を察してくれたことに驚いた。てっきり疑われて嫌われると思っていただけに、ぽかんとした顔で彼女を見上げた。
「さん…何でこれくれたの、秤さんって…」
「え、だって乙骨くんがこんなの大量に持ってること自体、不自然だもん。このシャンパンだって金ちゃんからもらったんでしょ」
「え?あ、ああ…そうです、けど…」
「やっぱり。これ全部、金ちゃんの陰謀だから、乙骨くんは何も気にしないでね。ごめんね。代わりにわたしが殴っておくから――」
と言いかけたとき、大きな黒目をうるうるさせた乙骨が飛びついて――もとい。抱き着いてきたのに驚いて「ひゃぁっ」と変な声が出てしまった。
さっき以上にぎゅううっと強く抱きしめてくるせいで、彼女の細腰が悲鳴をあげる。近々、特級呪術師に返り咲くと噂されている乙骨に、力いっぱい抱きしめられるのは地味に命がけかもしれない。
「ど、どうしたの?乙骨くん…(く、苦しい…)」
「だって…さんが僕を信じてくれたから嬉しいのと感激したのとで、感情がぐちゃぐちゃで…」
「…お、大げさ」
「そんなことないでしょ。普通この状況じゃ僕がやる気満々で用意したと思われる」
「…そ、そういうのからは、だいぶ遠いよ、乙骨くんは」
「え、どうしてですか?」
ぐいっと体を放し、乙骨が不思議そうに見つめてくるので、は言葉に詰まってしまった。確かに乙骨も男なのだから、そういう気持ちも多少はあるだろうが――さっきも胸は揉んできたわけだし――ゴムを大量に買うというのは、どうもイメージに合わない。
「…イメージ、ですか」
そう説明すると、乙骨は納得いかないというように首を傾げている。
「僕も男なんで…そのイメージから遠いと言われるのはちょっと…さんに男として見られてない感じがするので…やです」
「…や…って…」
拗ねた口調で言われ、つい可愛い、と思ってしまうのだが、それも言えばきっと彼は拗ねてしまうだろうから…と、言うのはやめておいた。
「ということで…」
乙骨は彼女を放すと、床に落ちた小袋を一つ拾い上げた。
「これは在り難くもらっておくことにします」
「…え」
「いつかさんがいいって思ってくれたときに、使いますね」
意味深に微笑みながら、更に意味深なことを言う。そして最後に身を屈めると、ちゅっと彼女のくちびるを啄んだ。
「だから――早く僕のものになって」
