純粋なる殺意-07



――だから、早く僕のものになって。

一カ月前の乙骨の誕生日。酔っ払った彼からの意外な言葉は、の心に新たな罪悪感を植え付けることになった。


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「ハア?まだ乙骨とキス止まり?嘘だろ、それ」

闇に包まれた景色から一転、都内に差し掛かると途端に煌くネオンたちが現れた。それを眺めながら、は「うるさいなぁ」と隣で素っ頓狂な声を上げる金次を睨む。見れば、金次は似合わないほど驚愕の表情を浮かべていた。そして彼の隣にいる綺羅羅と言えば、ふたりの関係を知っているので「ね、ビックリでしょ」と笑っている。あっさりと乙骨の清い関係を金次にバラしたことは気にも留めていないようだ。

「俺、あいつの誕生日にお膳立てしてやっただろ」
「あー…あの迷惑なプレゼントのこと?」
「てっきり、もうあの夜にいたしちゃってんのかと思ってたわ」
「するわけないでしょ…。そもそも、そのせいで余計な誤解されたんだから」
「誤解?」

三人の乗せたタクシーは目的地に近づいたのか、徐々にスピードを緩め、ある店の前で静かに停車した。

「処女だって思われたの。――ああ、お釣りは結構です」
「…は?」

運転手に支払いを済ませたは、金次たちを無視してサッサと車を降りると、目の前のビヤホールを見上げた。新装開店という大きな看板が入口にドンと鎮座して、店先は大量の花輪が飾られている。去年来たときとは異なり、店先はすっかり最近流行りのモダンで瀟洒しょうしゃな雰囲気を漂わせている。
元はマンモスキャバレーと呼ばれる昭和時代の置き土産的な店ともあって、古き良き時代を懐かしむ中高年層が足しげく通い、長らく繁盛してたらしいが、近年の不興の煽りを受け、遂に一年前、閉店という流れになった。その後に建てられたのが、若者向けのビヤホールだ。レトロな内装が逆にいいということで、買い取ったオーナーがそのまま居抜きで設備や内装を使用することにした経緯もあり、異例の速さでのオープンとなった。

それに伴い、昨年十二月頃、高専に祓徐の依頼がきたのだ。
昭和から現在までを駆け抜けてきたその場所は、良くも悪くも人々の心に深く残り、それが呪いを生んだらしい。
任務に当たったのはと、停学になる前の綺羅羅と金次だった。そのお礼もかねてか、今夜は招待という形で呼ばれ、綺羅羅が店の二階部分を貸し切ったらしい。
最初はただの飲み会かと思われたのが、「せっかくだし知り合い集めて合コンしよう」と綺羅羅が言い出した。はそれに無理やり付き合わされた形だ。

「いらっしゃいませ」

愛想のいい受付のスタッフに出迎えられ、足を一歩踏み入れたは、目の前の広い広い空間を見て「うわ、綺麗になってる」と驚きの声を上げた。中は八階部分まであり、全ての階がドーナツ状となっており、ホール中央は吹き抜けとなっている。これがマンモスキャバレーと呼ばれていた所以だ。満席になれば軽く百人は入れそうなほど広い。
彼女が内装を見て回っていると、「おい、先に行くなって」と後ろから金次と綺羅羅もやって来た。

「おい、。さっきの話、どういうことだよ」

の放ったひとことが気になるのか、金次がリニューアルされたホールを見て感激しているの肩を掴む。言わなければしつこく聞いてくるのは目に見えているので、は簡単にそのときのことを金次に説明した。かなり個人的な話ではあるものの、これまでも金次には元カレの話などを聞いてもらっていた経緯がある。そのせいか金次もいつもの話として聞いてるようだった。
はかまわずスタッフに案内されるがまま、二階のホールへ歩き出す。金次と綺羅羅がそれを追うように続いた。

「あー…またいつものアレでエッチ拒んだのかよ」
「だって…」
「まあ、お前が今まで相手してきた男と違って、乙骨は真面目そうだし、そういう誤解すんのは分からなくもねぇけど…ま、もし今ヤったとしても、もう塞がってんじゃね?処女と変わんねえだろ」
「ハア?どういう意味よっ」
「だってお前、初エッチしてから、あいつと別れたあとも一年はしてねえだろ。んなのとっくに塞がってるって」
「うるさい」

デリカシーの欠片もない上、ケラケラ笑いだす金次にムっとして背中を殴る。だが確かに初体験を済ませて一年以上してないのは事実。金次の言うことにも一理ある気はした。

「つーことで次ヤるときはセカンドヴァージンになんじゃねえ?ま、お前がエッチ恐怖症を克服すれば、だけど」
「……べ、別に恐怖症ってわけじゃ…」
「へえ。でも乙骨のことマジかと思って焦ったけど、やっぱ出来ねえなら、いつもと同じ感じ?なら早く別れて次探せよ。今夜にでも」
「…か、関係ないでしょ、金ちゃんに。だいたい合コンに来る男なんて、どうせ――」

と言って言葉を切る。二階ホールで三人を待っていたのは、京都姉妹校の先輩に当たる女二人と男一人の三名だったからだ。

「ちょっと綺羅羅ちゃん…!相手が京都校のひとなんて聞いてないっ」

状況を素早く察し、先輩方にニッコリ笑みを向けてから、すぐに背を向けたは小声で綺羅羅に文句を言った。今夜の相手はどこぞの大学に通う学生と聞いてたからだ。なのに蓋を開けてみれば去年の百鬼夜行の際、一緒に行動を共にしていた術師たち。彼女が慌てるのも当然だった。

「いや、大学生も来るんだって。でも東京校の先輩アテにしてたら出張入ったって言うし人数集まんなくてさー。ちょうど任務でこっちに来てるって聞いたから、あいつら誘っただけ」
「だ、だからって何も彼らじゃなくても…」

がここまで渋る理由は一つ。京都校の男の先輩が去年の百鬼夜行以来、しつこく口説いてくる人物だったからだ。当時は同じ術師と付き合うという選択肢が一切なかったは、その先輩のアプローチをのらりくらりと交わしていた。同じ界隈で恋愛関係になれば、後々モメたりしたときに面倒かつ、色々と困るからというのが一番の理由だ。あと単純にその先輩は彼女の好みから大きく外れていたのもある。
そもそも術師の後輩にあたる乙骨と付き合ったのも、彼女からすれば異例中の異例であり、あんな口説き方をされたのも、そして自分があんな気持ちになったのも初めてだったからだ。
そのせいで金次と綺羅羅からは酷く驚かれたし、「本気なのか」としつこく聞かれたりもした。だが、はその辺の本音だけは、彼らにも話せていない。なので金次はが乙骨と軽い気持ちで付き合ってると思っているようだった。

「やあ、ちゃん。久しぶりやねぇ」
「……げ」

早速に気づいた先輩、財前が爽やかな笑みを携え、歩いて来る。少し伸ばした自慢の前髪を軽く顔の動きだけで払う仕草を見て、お前は花輪君か!と突っ込みたくなった。
財前は京都でもそこそこ名のある家の呪術師の息子で、物腰もまんまお坊ちゃまといった優男だ。長身で見た目も特に悪くない。一般的に言えばイケメンの部類に入るだろう。でもそれを自覚してるお坊ちゃまほどタチの悪いものはないので、としては苦手な類の男だった。要は中身の問題だ。

「今日は誘ってもらえて嬉しいよ」
「はあ」

別にわたしが誘ったわけじゃない、と思いながら、間の抜けた返事をしたが、財前は少しも気づかない様子で「今日もまた一段と綺麗やねぇ」と歯の浮くような台詞を口にした。一瞬での肌が総毛だつ。生理的にむり、というやつだ。

「制服姿も素敵やけど、今日みたいな大人っぽい服も似合わはるわぁ」
「…どうも」

先ほどから熱があるのかと思うほど、ぞわぞわとして鳥肌も止まらないのだが、一応他の先輩方の目もある為、ある程度の笑顔は顔に張り付けておく。ただ目元や口元の筋肉が微妙にぴくぴくしているのが自分でも分かる。普段の彼女を知る金次や綺羅羅なら一発で気づくだろう。現に綺羅羅は両手を合わせてゴメンと口パクで謝罪の意を示してきた。
そこへ綺羅羅の話していた大学生たちが到着。一旦は財前から逃れることが出来た。大学生も男女合わせて七名ほど。中には綺麗なお姉さまもいるので、出来れば財前が女子大生の誰かを気に入って欲しい、と切に願う。

「じゃあ、まだ一人は来てないけど、あらかた揃ったんで座ってくださーい」

綺羅羅が幹事なので、その場を慣れた感じで仕切っていく。どういう知り合いなのかまでは聞いていないが、綺羅羅は女子大生の一人と知り合いのようだった。

「ちょっと綺羅羅ちゃん、あとのひとりって誰よ」
「んー?まあ…残りひとりがマジで見つかんなくって苦肉の策で誘ってみたんだけど…彼は来るかなぁ?ってとこ」
「…彼?ってことは男なんだ」

と言いながらメンツを見渡すと、確かに女性メンバーの方が多い。でも飲み会が始まれば、それぞれお気に入りを見つけて盛り上がるのだから、きっちり人数を揃えなくても問題はない気がした。そもそもは数合わせ要員なので、合コンに参加する気はない。適当に料理やお酒を楽しんでサッサと帰ろうと思っていた。

「ではでは今夜の出会いに感謝して――かんぱ~い!」

あらかた料理や飲み物が行き届いたのを見て、金次が乾杯の音頭をとる。ひとりだけ楽しそうなところを見れば、どうせ自分好みの女子大生を見つけたんだろう。そのうち口説き落として、こっそりお持ち帰りするまでが金次のデフォルトだ。あのちょび髭ヅラで案外モテるのが不思議でならない。そんな失礼なことを思いつつ、も笑顔で形だけ乾杯して、ビールで喉を潤した。
そこから他愛もない会話を色々な人と交わしていると、一時間は経った辺りでバッグの中のスマホが震動していることに気づく。こっそり画面を確認すると、そこには乙骨の名前。一瞬冷やりとしたが、それは電話ではなく、メッセージだった。

『どの辺で食事してますか?僕もちょっと都内に行く用ができたので渋谷まで出る予定なんですけど、もし時間が合えば、帰りはやっぱり迎えに行っていいですか?』

その内容を目にしたとき、は軽い眩暈がした。こんな時間に乙骨が都内まで出てくることも珍しい。しかも寄りによって彼女が今いるのも渋谷だ。もし乙骨が迎えにくるとなれば、色々と問題があるのは間違いなく。どう返そうかと逡巡しているところへ「飲んでる?」と声をかけられた。顔を上げると財前が手にグラスを持って立っている。

「あ、まあ…少し」

と応えながら、ふと自分の周りを見れば、すでに席替えをしたのか、金次や綺羅羅は女子大生の席へ移っている。その空いた席へ財前が座ってしまった。

「みんな盛り上がってはるなあ。僕の同級の子らも、東京の大学生気に入ったみたいやわ」
「そ…そう、ですか。先輩は?女子大生の席へ行かなくていいんですか?」

さり気なく"行ってくれオーラ"を出したものの、財前には全く効果がなかったようだ。相変わらず、を見つめながら「僕はちゃんと話したいから来ただけやし」と頬を綻ばせている。その顏がただニヤけているようにしか見えず、の笑顔も引きつる一方だった。
早く乙骨に返信する内容を考えたいのに、財前が邪魔で集中できない。

「ところで…ちゃん、今は彼氏おらん言うてはったよね?」
「…え?あ…」

そう言えば去年、そんなことを聞かれた気がする。確かにあのときは別れたばかりで彼氏はいなかった。ただ、その後に乙骨と付き合うことになったのだが、財前は何も知らないようだ。

ちゃんは同じ術師と付き合う気はないみたいなこと言うてはったけど…まだその考えは変わらへんの?」
「えっと…そ、それは…ですね…」

ここで今、乙骨と付き合ってます、と言ったところで、こうして合コンに参加してるのだから説得力もない上に、余計な情報を無駄に与えたくない気もした。噂が広まり、どこから実家の両親の耳に入るか分からないからだ。術師と付き合いたくないのは、そういう面倒事を含めた理由が一番にある。
が答えに困っていると、財前は何を思ったのか、テーブルの上に置いた彼女の手にそっと自分の手を重ね、きゅっと握ってきた。その感触にまたしても鳥肌が立つ。

「僕なら…ちゃんのご両親も賛成してくれはると思うんやけど…どうかな」
「え、あ…ど、どう…でしょう…?」

そういうとこが嫌なんだってば!と内心思いつつ、必死に怒鳴りたいのを耐えながら、どうにか握られた手を外そうと力を入れる。その手を更に強く握りしめて、僅かに自分の方へ引き寄せた財前は、彼女の耳元へ口を寄せると、急に声のトーンを下げた。

ちゃんも…色々遊んではるみたいやけど…将来のこと考えたら僕を選んだ方がええんちゃう?」
「……は?」

言われたことをすぐに理解出来ず、素の「は」が出てしまった。目の前の男はさっきまでの温厚な顔ではなく、どこか品定めするような男の欲を孕んだ目をして口元に意味深な笑みを浮かべている。
財前はの方へ体を向けると握っていた手を放し、彼女の太腿へその手を置いた。ミニワンピースを着ていたことで素肌に財前の指がかすかに触れる。

「な、何するんですか…っ」

その行動に驚き、太腿に置かれた手を振り払おうとした。だが財前はニヤリとしたまま「カマトトぶらんでもええよ」と柔らかい口調で言った。

ちゃんが非術師の男らと遊んではるのは知ってるし」
「な…遊んでなんか――」
「でも本気とちゃうやろ?興味本位で付き合うてたんちゃうん」
「そんなわけないでしょ…?わたしは…」

わたしは――?
何だったんだろう。これまで本気の恋愛なんか出来なくて、でも誰かに愛して欲しくて、誰かを愛してみたくて、ただ藻掻いてただけ。
家を出て自由になったつもりでいたけど、本当は自由なんてなかった。家を出ても、好きに遊んでる間もずっと。
いつかは家の為の結婚をしなくちゃいけないのは変わらないから。
が反論できずにいると、財前はふっと笑ったようだった。

「ほら、遊びやんなぁ?でも僕は心が広いから許してあげるわ」
「…許す?」

イラっとして彼を睨みつけると、財前は「おーこわ」と苦笑いを浮かべながら「さっきは僕なら両親に気に入られる言うたけど…」ともったいぶった言い方で、を見つめた。

「実はもう婚約話をもらっとんねん。家から直々に」
「……は?何それ」
「やっぱ聞いてはらへんかぁ。まあ、さっきも探り入れてああ言うたけど、ちゃん、全然知らん感じやったもんなあ」
「ま、待って、どういう…」

いや、もう聞かなくてもには財前の言葉の意味を分かっていた。彼女の両親は財前の家の息子に白羽の矢を立てたのだ。
娘の――夫として。
目の前が真っ暗になった瞬間だった。

そのとき、何の前触れもなく異様な気配が辺りを包んだ。足元から何か重たくぬるりとしたおぞましい感覚が襲い、全身の毛が逆立つ。今まで愉しげにを見つめていた財前もその気配に気づいたのか、突然椅子から立ち上がった。
だが、その刹那――財前の顔の横を何かが物凄い速さで掠めていく。はらり、と落ちたのは財前の自慢の前髪だった。そして彼の後ろ。ホールの奥の棚に飾られていた大きな花瓶ががちゃん、と上半分が落ちる。その場にいた全員が一斉に音のした方へ振り向くと、花瓶は何かに切られたように真っ二つとなり、中の水が流れ出して床を濡らしていた。

「あれえ、何か割れてんだけどー。ウケる~!」

非術師の大学生たちは何が起きたのか分からない上に、酔っ払っているようで割れた花瓶を見て呑気に笑っている。だがその場にいた術師の面々は、それが誰かの攻撃であることを認識していた。そして東京校の三人だけは、誰が・・やったのかということを理解していた。
ただ、だけは信じられない思いで、その場に現れた人物を見つめていた。闇を象ったような、黒くねっとりとした呪力がその場を満たしていく。

「…お…乙骨…くん…?」

それはここへ来るはずのない人物――乙骨だった。
いつもの可愛らしい笑みはなく、その顏からは感情が読み取れないほど表情というものがごっそり削げ落ちている。そして手には彼の愛用している呪具の刀が握られていた。

「…さんから離れろ」

地を這うような低い音を吐き出した乙骨は、の隣で固まっている財前へ、純粋なる殺意を向けていた。