誰も知らない失恋-20

※黒縄についての過去(模造)の話となりモブが数名登場します。少しグロい描写もあるので苦手な方は観覧をお控え下さい。
当初、ウィンザー家はごく普通の家庭だった。しかし我が子に不可思議な力があることを知った両親は、それを金儲けに利用し、結果として財を成す。
その後は金にものを言わせ、他人の土地を買い漁り、それを外国の人間に売りさばく。中にはゴネて売るのを拒否し、立ち退かない者もいたのだが、相当あくどい方法で強引に家や土地を奪っているらしい。
ウィンザー家の長男、ペレスは大人になってからその事実を知り、両親のやり方に疑問を抱き始めていた。
普段は自分や姉の力の研究に没頭し、幼い頃に与えられた研究室や書斎にこもり切りだった。どうせ自分は親から必要とされていない。好きなだけ研究に打ち込める。
そのせいで両親がララの力を使って何をしているのかすら、殆ど把握していなかった。
しかし、あるときから家に魔除けを売ってくれという輩が来るようになり、そんな光景をたまたま庭に出ていた際、見かけたペレスは両親がどうやって財産を築いたのか分かってしまった。
「ララ、もう父さんや母さんの言うことなんか聞かなくていい」
顔を合わせるたび言い聞かせても、ララは「そんなわけにはいかないわ」と、寝る間も惜しんで魔除けとなる"黒縄"を編み続けている。その姿はまるで命を削っているかのように見えて、ペレスは余計に彼女のことが心配になった。
物心がついた頃、ふたりにしか見えない化け物の存在に気づいたときから、ララはまだ力を使いこなせていなかった弟を守る為に魔除けを創り始めたのだ。いわば自分のせいで、という思いが心のどこかにある。この力は万能ではなく、使用したらしただけ体の何かを消費すると、だんだん理解してきたからだ。その正体はまだ解明できていないが、出来ればこれ以上、ララに力を酷使して欲しくない、とペレスは思っていた。
彼女を、心から愛していたから。
姉と同じ能力者だというのに、自分だけ化け物だ何だと両親から蔑まれ、ひとり地下の研究室へと追いやられた自分を、唯一気にかけてくれたのは姉のララだけだ。
幼い頃からペレスは優しいララが大好きだった。甘えたい年頃でも、母親はペレスの力を恐れて近づこうともしない。でもララだけは常にペレスを気遣い、そばにいてくれる唯一の異性だった。そんなふたりの関係が姉弟から男女のものへ変化していくのも、ごく自然なことだったのかもしれない。
「愛してるわ、ペレス」
優しい声で紡がれる愛の言葉。それを向けられるだけで、ペレスは暗闇でも生きていける気がした。
そんな想いが発端となる事件が起きたのは、両親がララに婚約者となる男を宛がったときだった。アメリカの有名大学で医者を務め、上流階級だというその男は、邪気を祓う魔除けを求めてウィンザー家を訪れた。その際、美しいララに一目惚れをしたという。
当然、金のなる木が大好きな両親は、その話を大喜びで受け入れようとした。ララの承諾もないままに。
ララが自分のそばからいなくなる。そんな恐ろしい現実を受け入れられなかったペレスは、その婚約者となる男を自ら創り出す空間へと閉じ込めてしまった。
彼の能力。それは彼の空想世界。ペレスが望めば物理的法則を無視し、自在に空間を操り、歪め、瞬間的にも移動でき、触れただけで人を死に至らしめる人知を超えたもの。
その空間の中で、ペレスは絶対的な力を持っていた。
また、他人の意識と自分の意識をシンクロさせるという能力で相手の心と同調できる。それらの人知を超えた能力は、まさしく彼の両親が恐れた力だった。
ペレスの狂気の世界へ閉じ込められた男は当然ながら即死。慌てた両親は男の死を上手く事故として偽装し、事なきを得たかのように思えた。
だが、数か月後。ウィンザー家に再び客が訪れた。
「初めまして。私はアメリカで医者をやっているレイターと申します」
それはペレスが死に至らしめた男と同じ大学で精神科医をしているという初老の男だった。そもそもの話。ララの噂を聞きつけたレイターが、自分の助手に噂の真相を確かめてこいと命令していたのだ。しかし助手の男は遺体となって帰国したことで、レイターはウィンザー家に疑惑の目を向けた。
「お子さんたちの力のことでお困りなら…私が手助けをしましょう。他にも不思議な力を持つ患者を数名診たことがあるので力になれると思います」
金にしか興味はなく、学のない両親を言い包めるのは容易く。レイターは言葉巧みにララとペレスの能力の情報を手に入れることが出来た。そしてレイターが目を付けたのは最初に調べようと考えていたララではなく、弟のペレスの能力だった。
その圧倒的な力のせいで幼少期から両親に疎まれ、蔑まれた結果。地下の研究室に閉じこもり、世間からも忘れ去られたペレスは、力の根源を研究したいレイターにとったら格好のモルモットだった。
知性が高く頭脳明晰なレイターからすれば、孤独な少年を騙すのは至極簡単。唯一ペレスが執着しているララを引き合いに出すことでペレスはレイターをあっさり信じた。
「ララもあいつらから守ってくれるの?」
「もちろんだ。申し訳ないがご両親には君たちの素晴らしい力を全て理解することは出来ない。このままでは一生、お金を儲ける為の道具にされてしまう」
「そんなのはダメだ。僕はどうなってもいい。でもララだけはあいつらから守らなきゃならない」
「大丈夫。私に全て任せなさい。悪いようにはしない。私のバックには大きな組織がついてるんだ。君たち姉弟のこともちゃんと話してある。二人でこの国から出られるよう手配しよう」
レイターのその言葉を信じたペレスは、ララと国を出ることを決意する。しかしレイターの裏の顏は、この世の不可思議な力を手中におさめようとする組織、"クローン社"の研究者。ふたりを出国させた後、アメリカで彼らの体を隅々まで研究することになっていた。
両親にはふたりを預かる報酬として数億の金を提示。当然ながらふたりは大喜びで我が子を"クローン社"へ売った。そんな思惑が蠢いているとも知らず、ペレスはララを説得しようと、毎日のように地下から地上へ上がり、彼女のもとへ通っていた。
「なあ、ララ。頼むから僕と一緒に来て」
「……でもアメリカなんて知らない国へ行くのは怖いわ、ペレス」
この日、ララは愛馬の世話をしに、家の裏手にある納屋へ足を運び、美しい毛並みをブラシで梳かしてあげていた。両親が買った土地は広大で、そこでは数頭の馬や山羊、豚などが放牧されている。その面倒を見るのもララの仕事だった。何もララがこんなことまでしなくても、とペレスは思うのだが、ララは「動物が好きだから自分で世話をしたいの」と言って、両親の為に魔除けを編む以外は、こうして馬や山羊、豚の世話をしている。一体いつ休んでるんだ、とペレスはララの体が心配だった。
「僕がいるだろ。何が起きてもララは僕が守る。このまま家にいたらララは死んでしまうかもしれない」
力の使い過ぎで日に日に痩せていくララのことが心配で、ペレスはどうしても両親から彼女を引き離したかった。ララは迷っているようではあったが、やはり体調が良くないのだろう。今日は「無理よ」とは言わなかった。代わりに「その方がペレスの為になる?」と、ブラッシングをする手を止めて振り返る。その漆黒の瞳はやはり恋しいひとを案じるような温かさがあった。この家にいてもペレスは幸せになれない。ララもまた、親に無下にされているペレスのことが心配だった。
「もちろん。それに僕らがレイターと行けば、彼の会社から父さん達に多額の金が入ることになってる。きっとふたりなら僕らがいなくても心配ない」
「…そう。そうなのね」
ララはふっと目を伏せ、物悲しい表情を浮かべたが、ふと肌身離さず持っている自身の"黒縄"を手にした。それは幼い頃から自分の身を怪物から守ってくれていた魔除けであり、宝物だ。ララはそれをペレスの手へ握らせた。
「これはペレスが持ってて。前にあげたものはお父さまに奪われたんでしょう?」
「え?でもこれはララの…」
「私の分は編みかけのものが部屋にある。それも今夜で終わるから大丈夫よ。だからこっちはペレスが持ってて。アメリカでもあなたをきっと嫌なものから守ってくれる」
「…ララ?」
一瞬、一緒には来てくれないのかと思った。しかしララは「今夜は寝る前に荷造りしなくちゃね」と柔らかい日差しのような笑みを、その美しい顔に浮かべた。ペレスの顏が破顔し、ララを思い切り抱きしめる。細くて折れてしまいそうな華奢な体が、しなるほどに強く。
「アメリカに行けば僕らのことを知る人間なんていない…。来年の今頃…僕が十八になったら結婚しよう。レイターが名前と国籍を用意してくれるから」
「…うん」
「愛してるよ、ララ…」
愛の言葉を囁き、彼女の赤いくちびるに口付ける。この温もりを一生大切にすると、心から誓った、そのときだった。納屋の扉が突然外から閉められた音に、ふたりは驚いて身を離した。何事だとペレスが扉の方へ歩いて行くと、向こう側に数人の人の気配。ざまーみろ、と口々に叫んでいるところを見れば、扉を閉めたのは故意にやったことなのだと分かった。しかし、こんなことをする人間はこの家にいない。ペレスはともかく、両親はララを大切にしているからだ。使用人も当然ながらそれを理解している。
今、扉の向こう側にいるのは家の人間じゃない。ペレスはそう理解すると「誰だ!扉を開けろ!」と叫んでみた。何が目的でこんなことをするのか知りたかったからだ。
すると扉の向こうにいる人物が「お前らの親が悪いんだよ!」と怒鳴る声が聞こえてきた。
「汚いやり方で俺の土地を根こそぎ奪いやがって…!土地も家も失くして、農業だって出来なくなった!ここにいる馬も山羊も全部俺のもんだったのに!」
それは両親に強引な土地買収をされ、全てを失った男の怒りだった。その他にも同じような理由で集まったらしい人間の怒鳴り声もする。ペレスは状況を飲み込み、ララに納屋の二階へ上がるように指で指示をした。二階には馬たちが食べる干し草が積んであり、その奥には大きな窓が一つだけある。最悪そこから脱出できると思ったからだ。一階に残ったペレスは、とにかく男達を説得しようと試みた。最低の両親から大切な土地を奪われた者たちの憎しみは理解できる。ペレスもまた両親から奪われてきた側の人間だから。
親からもらえるはずだった愛情も、時間も、温もりも、全て。
唯一、彼の手に残ったのは、愛するララだけだ。彼女を危険な目に合わせるわけにはいかない。
「ここに父さんも母さんもいません!僕とララだけです!どうか開けて下さい…!あなた達の土地は必ず返すよう説得しますから!」
レイターに高額な報酬をもらった今、これまで奪ってきた数々の土地は両親にとってもそれほど重要性はなくなる。ペレスはそう考えていた。ならば彼らに奪った土地を返せと進言しても聞き入れてくれるんじゃないかと思ったのだ。
しかし男達の思惑は違っていた。
「うるせえ!土地だけ返してもらったところで、俺の愛する妻も子供も戻って来やしねえんだよ!」
「だから奪ってやるのさ!あいつらの大事なもんをな!」
男達は土地を奪われたことで家族さえも失った者たちだった。その復讐に、今度は両親から奪おうとしている。彼らの大事にしている――娘を。
「そこにいる小娘が金のなる木なんだろ?それを奪ってやったらあいつらは破滅だ!」
「な…ララは関係ない!こんなことしても意味はないだろ!僕たちはもうこの国を出て行く!」
彼らはララとペレスがこの家を出てアメリカに行くことを知らない。もう両親にとってララが金のなる木じゃなくなると知れば、こんな愚行をやめてくれるかと、そう思っていた。しかし突然、二階にいるはずのララが悲鳴を上げるのを聞いて、ペレスは息を呑んだ。見上げた先、ララの近くの窓から黒煙が入り込んで来るのを、信じられない思いで見ていた。
数人の男とペレスが話をしている隙に他の誰かが納屋に火を放ったのだろう。それはすでに大きな炎と化して、あっという間に納屋を包んでいく。
「ララ…!」
「ペレス…!」
正面からではバレると思ったのか、火は納屋の裏手。つまりララのいた窓のある外壁に放たれていた。ペレスが梯子で二階へ上がると、黒煙が容赦なく吹きつけて、目からは大量に涙が溢れてくる。ペレスは体勢を低くしながらララの体を抱きしめるようにして、黒煙の吹き込んでくる窓から顔を出してみた。かなりの熱が下から上がってくるものの、飛び降りることは可能に思えた。完全に封鎖された正面の扉を開けさせることは不可能に近い。ならば、ララを先に窓から逃がす。
「ララ…大丈夫だから、ここから飛び降りて逃げるんだ」
「で、でも…外に出れば彼らが――」
「彼らは僕の空間に閉じ込めておく。そうすれば襲われない。大丈夫、殺さないようにするから」
ララはむやみに誰かを傷つけるのを嫌う。婚約させられそうになった男を殺したときも、ララはペレスのことを叱った。だから敢えて心配しないよう殺さないと言っておく。
ただペレスの空間に閉じ込める対象は生きている者のみ。炎までは取りこめない。ララを守るには、まず先に外で待ち構えているであろう男達を止めること。納屋の二階から地面まではビル三階分の高さであり、窓から飛び降りても骨折するくらいで済むと思った。熱が吹き上げているので多少の火傷はするだろうが、中で焼け死ぬよりはましだ。
「ララ、早く!今のうちに――」
そう言いかけたとき、正面からも激しい炎が燃え上がり、パキパキと木が燃える音と干し草の焼ける匂いが充満し始めた。見れば一階はすでに火の海と化している。燃えやすい干し草が大量にあることが災いしたらしい。火の回りが二階より早い。馬たちの鳴き声が納屋に響いて、ララは思わず耳を塞いだ。
「クソ…あいつら…!あっちにまで火を放ったのか…!」
「ペレス…怖い…」
激しい熱と煙に包まれ、ジリジリと肌や髪が焦げていく匂いがする。もう迷っている暇はない。ペレスはララを窓の方へ押しやり「早くここから飛び降りるんだっ」と彼女を誘導した。そのときだった。下からの熱風で二階に敷き詰められていた干し草にも引火し、その炎がペレスの服に燃え移った。
「うわぁぁあ!」
「ペレス…!」
炎があっという間にペレスの体を包む。それを目の前で見たララは半狂乱になった。
「いやあ!ペレス…!」
「ラ…ラ…はや…く…外へ…!あぁぁあっ」
火だるまになりながらも自分の身を案じるペレスを見て、ララは咄嗟に彼の体を窓の方向へ力いっぱい突き飛ばした。ペレスの体がゆっくりと外へ傾き、彼はそのまま地面へ落下。しかし体を叩きつけられた痛みよりも、肌を焼かれる痛みの方が強く、ペレスは地面を転げ回った。幸い落ちた地面は土であり、そこへ体を擦りつけることで燃えていた炎は鎮火し、ペレスはどうにか一命をとりとめたのだが、体の半分を焼かれた激痛により、そこでぷつりと意識を失った。
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重度の火傷を負ったペレスが意識を取り戻したのは、その事件から約一カ月も経った頃だった。
そこはケニアの都心部にある大きな病院。そばについていたのは両親でもララでもなく、レイターただ一人。当然ながらペレスはララのことを彼に尋ねた。しかしレイターは僅かに驚き、その表情を曇らせたあと、静かに首を振った。
「…君が重傷で病院に運ばれたと聞いたときに…彼女は亡くなったと聞かされたんだ。君はそのことを知らなかったんだね」
ペレスはレイターが何を言っているのか最初は理解出来なかった。ララは逃げたはずだ。あの炎の中、僕はララを逃がしたはずだと信じて疑わなかった。体に引火するという恐ろしい体験をしたせいか、意識を取り戻したときのペレスの記憶は曖昧で、少し混乱しているようだった。今も身体中や顏半分に痛々しいほど包帯を巻かれている。
「………嘘だ。ララが死ぬはずない…だって彼女は逃げたんだから――」
「いや、ララの遺体は納屋のあった辺りで発見されたと、君のご両親が――」
「嘘だ!僕は逃がした!ララを先に…逃がしたんだよ!」
半狂乱になりながら、ペレスはレイターにしがみつき、必死に「ララは生きてる」と繰り返した。ただレイターも色々な手続きを行う為、一時アメリカへ帰国していた間に起きた事件であり、詳細は両親からしか聞かされていない。その話とペレスの話には食い違いがあり、どちらが本当なのかも分からなかった。ただ、一つ言えるのは、ララは間違いなく死亡したという事実だけだ。
「…ペレス。ララは亡くなったんだ。私も…彼女の遺体を確認したんだから間違いない」
レイターが再びこの土地に降り立ったのは、事件が起きた次の日のこと。家へふたりを迎えに行き、そこで起きた惨状を見たときはレイターも絶望を感じた。
納屋にはララの遺体の他、数名の男の遺体が転がっていた。彼らの遺体は出火に近い場所にあったので多少焦げていたものの、焼死ではなく、死因は原因不明。両親から詳しい事情を聞かされたレイターは、おそらくはペレスがやったのだろうと考えていた。
レイターはララの遺体をすでにアメリカへと輸送していた。死なれたのは痛かったが、遺体でも調べる価値があると思ったからだ。それに一番の目的であるペレスは奇跡的に一命をとりとめたのだから、研究に関しては支障がない。
レイターは両親から聞いた話を簡単に説明すると、ペレスはぽかん、とした顔でしばし放心状態が続いた。最愛のひとの死を受け入れきれていないようだった。
しばし放心していた彼は、ふと枕元に置いてあった"黒縄"に気づいて手にすると、とても愛おしそうにそれを撫でた。
あの日、ララがペレスへ送った"黒縄"だ。
「僕がこれを受けとってしまったから…ララは死んだの…?」
「…ペレス?」
「僕のせいで…僕が守れなかったから…ララは――」
記憶の中では確かに逃がしたはずなのに。あのとき、何故僕だけ助かった?
必死に思い出そうとしても、ぼんやりとしていてハッキリしない。
ただ、愛しいひとは、もうこの世にいないことだけは、本能的に感じてしまった。
肉体を分け合った双子だからこそ、それは嫌でもペレスに痛みを伝えてくる。
それは決して癒えることのない、激しい痛みだった。
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それから一ヶ月後、ペレスは無事に退院することが出来たものの、レイターが改めて家に迎えに行くと、更なる惨状が彼を出迎えた。
以前とはがらりと変わった荒れた家を前に、戸惑いながらエントランスへ足を踏み入れる。普段なら使用人が出迎えてくれるのだが、今日は誰も顔を見せない。そして家の中もそれは同じで、まるで無人のように静まり返り、ガランとした空間だけがそこにあった。
「これは…どういうことだ…」
以前なら綺麗に掃除されていた家の中も、よく見れば家具や壁などに埃が溜まっている。何が起きたのか分からないまま、レイターはペレスを探しに、まずは彼の書斎へと上がった。殆どを地下で過ごしているペレスだが、調べものをする際は二階の書斎へ上がってくることもある。だが中を見ても彼はどこにもいない。
ならばペレスのいる場所は一つしかなかった。
レイターは以前案内されたことのある地下の研究室へ行くため、書斎奥の壁にある大きな絵画を外す。すると壁の代わりに扉が現れた。
「おかしいな…開いたままだ」
開け放されたままの扉を見て、レイターは首を捻った。普段は扉に設置されたダイヤルを回して暗証番号を入力すると開く仕組みで、要は金庫と同じ造りの扉だった。
最初の頃、両親がペレスを閉じ込めようと設置したらしいが、ペレスの能力の前に意味を成さず、逆にペレスがそれを利用して両親を研究室へ入れないよう暗証番号も変更し、外へ出る際に使用していた。自分の研究を両親に見られることを嫌った結果だ。なのにその扉は開いたまま。さすがにレイターも気味悪くなってきた。
「まさか…殺されてないだろうな…」
ペレスが退院後、この家に戻ったのは知っている。息子を恐れていた両親も、レイターに引き渡すまではちゃんと面倒を見ると約束してくれた。だからこそ安心していたのだが、この様子だとそれも疑わしくなってくる。
「いや…まさか。ペレスが殺されるわけは…」
そう独り言ちながら細い通路を通り、階段を下りて研究室へと向かう。地下の研究室にはびっしりと棚が置かれ、金網のゲージがいくつも置かれている。中にはモルモット用のネズミやウサギなどが入れられていて、ペレスはその小動物で何か実験をしているようだった。
「ペレス…いるのか?」
レイターは恐る恐るながら声をかけてみた。しかし返事はなく、室内は静まり返っている。何か嫌な予感がして、レイターは奥へと進んでいく。そこはレイターがいつも座っていた机があり、沢山の書類や何かの図形が描かれた紙が壁にびっしり貼られていた。その机の横にあるテーブルの上に見慣れないガラスのケースがあり、レイターは思わず息を呑んだ。
ケースの中身は、何かの動物の脳だったからだ。しかもかなり大きい。それはまるで人間の――。
「これは…」
ガラスケースの傍にある書類を手にすると、そこにも人間の脳が描かれ、細かい説明が書き添えられている。つい研究者としての血が騒ぎ、レイターは一つ一つ読み漁っていった。
そこには、ララやペレスの力の源は自身の脳なのではないか、という予測的な文章が書き連ねられている。脳から何かの力が作用し、不思議な能力を発揮することが出来るが、その原因や理由、また脳から何が生まれているのかは不明、とされていた。
「やはり…彼らの力の根源は脳…」
医者の前に研究者でもあるレイターもその可能性は考えていた。だからこそ彼らをアメリカへ連れて行き、組織の研究所でふたりの脳を調べてみようと思っていたところだ。
「面白い…これが本当なら、我々の高度な技術をもってすれば解明できるやもしれん…」
「本当?」
「…ひっ」
突如、背後から声をかけられ、レイターはその巨体をびくりと震わせた。振り返ると、そこには顔中に包帯を巻いたペレスが立っている。目しか見えないその姿にゾっとしたレイターは、それでも笑顔で「やあ、ペレス」と声を絞り出した。
「どこにいたのかな?今日は家の者も不在のようで心配したよ」
「……実験の邪魔になるからゴミ掃除をね」
「ゴミ掃除…?」
おかしなことを言うものだ、とレイターは思った。この家でペレスが自由に動き回れるのは、この研究室とすぐ上にある二階の書斎だけ。他の部屋へ行くのは基本、禁止されているはずだ。ララがいた頃はそれでも敷地内であれば散歩するくらいは許されていたが、今も外へ出ていたんだろうか、と首を傾げる。
「そ、それより…お父さん達はどこだい?今日は君を連れて行く日だから挨拶を、と思ってたんだが」
「…行かない」
「え?」
「僕はここに残るよ」
「残る…?いや、しかし君は家を出たかったんだろう?」
ふらりと机の方へ歩いて行くペレスを見て、レイターは内心焦っていた。ここでペレスを連れて行かなければ、レイターの身も危うい。こんなに珍しい研究材料を逃したとなれば、組織はレイターを生かしておかないだろう。
「出たかったのはララの為だ。あとは煩わしい父さんや母さんがいたから。でも邪魔なゴミは片付けたから、もう出る必要もない」
「…か、片付けたって…」
「もういい?僕にはやることがある。これ以上時間を無駄にしたくないんだ」
感情のない言葉で言うと、ペレスはガラス玉のような瞳をレイターへ向けた。レイターの背中にぞわりと怖気が走る。ここで無理を言えば何をされるか分からない恐怖が、足元から這い上がってきたせいだ。
忘れてはいけない。彼は――能力者なのだ。
「わ、分かったよ…私が悪かった。ただ…君の研究の力になりたい。何か必要なものがあれば言ってくれ」
どうにか傍にいる方法はないか、とレイターは考え、そう提案してみる。するとペレスはふと振り返り――。
「じゃあ…僕にララを返して」
「え…?」
「ララの体。アメリカへ運んだって言ってただろ」
「あ、ああ…君と引き離すのがかわいそうで先にアメリカの研究所へ運んだんだよ」
もちろん、そんな理由は嘘であり、レイターはあくまで彼女の体を研究する為に運んだ。しかしペレスにそれを言えば危険なのは理解している。
ペレスはレイターの言葉を聞くと、「ララの体が必要なんだ。すぐに送り返して」と言ってきた。その意味が、レイターには分からなかった。
「必要って…どうする気だい…?」
恐々と尋ねたレイターを、ペレスは生気のない瞳で見つめると静かに口を開いた。
「…ララを生き返らせる為には体が必要なんだ」
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ミゲルの話を聞いていたも、そして乙骨も、ただただ若くして亡くなったララに同情するしかなかった。奇しくもララが亡くなった当時は今のふたりと同じ十七歳。この歳でララが亡くなったのかと思うと、はまるで自分自身のように胸が痛むのを感じていた。
親の行いのせいで子供に復讐心が向くなど、あまりに理不尽だと思う。残されたペレスの痛みを思うと、乙骨もまたやるせない気持ちになった。自分にも同じように大切な存在を失い、そして呪ってしまった過去がある。ペレスがララを生き返らせる為の研究に没頭してしまう気持ちが痛いほど理解出来てしまうのだ。
それに今も大切な存在が出来たからこそ、余計にその後に起きた悲劇も乙骨には理解出来てしまった。
「…それでペレスは…どんな研究を?自身の空間でララを顕現させることは理屈として可能だけど、肉体が必要ってことは何か――」
つい、そう尋ねてしまったが、そこはあまり想像したくない。もしかしたら現代でもタブーとされているクローンを創ろうとしたのかもしれないと思ったからだ。
しかしミゲルは静かに首を振った。
「研究ハ出来ナクナッタ」
「…え?」
「ペレスハ…突然、姿ヲ消シタ。ソウ聞イテイル」
「消えたって…じゃあペレスはそのレイターとかいう医者とアメリカに行ったんじゃないんですか」
やはり気になって尋ねると、ミゲルもペレスがどこへ消えたかまでは知らないという話だった。ただ、この話が代々伝わったのはミゲルの先祖がウィンザー家に使用人として勤めていたからだと言った。
その女性はララが亡くなったあと、ウィンザー家を辞めさせられたそうで、そのあとのことは知らないらしい。ただ、辞めさせられたのは彼女を雇っていた両親からではなく、ペレスからだったとミゲルも聞かされていた。
「退院シタ後、ペレスハ、マタ自分ヲ地下ニ閉ジコメヨウトシタ両親ヲ殺シタ。先祖ノ彼女ノ日記ニヨレバ、レイターガ迎エニ行ッタ前日ニ、二人ハ殺サレタヨウダナ」
「な…じゃ、じゃあレイターが行ったときには彼の両親はすでに…」
「アア。寝室デ二人トモ惨殺サレテイタラシイ。先祖モ、ソレハ辞メタ後デ知ッタト日記ニ書イテアッタ」
「そしてペレスは直後に姿を消したと…?」
「アア。保安官ガ親殺シノ犯人トシテ、総出デペレスヲ捜シタラシイガ、出国ノ記録ハナカッタ」
ただし、レイターのみ数日後に出国してアメリカへと帰国していたようだ。その話を聞いて釈然としないふたりは、互いに顔を見合わせた。
「…それって何か…怪しいよね」
「ああ。どう考えてもレイターって男が怪しい。ただ…ペレスは強力な力を持っていた。普通に考えれば、そんな初老の普通の人間に何かされるとは思えないけど…」
「ララを生き返らせるとか嘘言って連れて行ったとか…」
「でも出国の記録はなかった。ということは不正をして出国させたか、偽名を使ったか…とにかくクローン社って組織が怪しいのは確かだよ」
ふたりでアレコレ考えているのを眺めながら、ミゲルは苦笑を零した。"黒縄"探しのヒントが、まさにそこにある。
「推理中、申シ訳ナイガ、"黒縄"ノ話ニ戻ルゾ」
「え?あ、そ、そうだった…。え、っていうか"黒縄"を盗んだミゲルの先祖って、もしかして…ウィンザー家で使用人をしてたっていう女性なんじゃ…」
ふと思い出してが訊ねると、ミゲルが「ソノ通リダヨ」と頷いた。
ミゲルの家に伝わる彼女の日記にはこう記してあったという。
●月●日。ララ様が亡くなったあと、退院してきたペレス様にいきなりクビにされた。腹立たしいからララ様の部屋に置いたままになっていた例の魔除けをこっそり頂くことにした。まだ編みかけだったけれど、ほぼ完成に近い状態だったからだ。これを売れば数億は下らない。けど売るのは躊躇う。売ってしまえばララ様がいない今、もう二度と手に入らないからだ。私は優しいララ様が好きだったし、彼女の形見として、また魔除けとしてそれを手元に置くと決めた。これからはオドゥオール家の家宝になることだろう。
そう言えば、後日何故ペレス様が私をクビにしたか何となく分かった。ご主人様と奥様がペレス様に殺されたと聞いたからだ。私の他にも使用人が辞めさせられてたことを聞けば、もしかしたらペレス様は私たちを巻き込まないようにしてくれたのかもしれない。言葉を交わした回数は少ないけれど、ララ様の弟はやはり優しい方だったんだと思う。見かけるたび寂しそうな横顔が素敵だったのを思い出す。あの火事に巻き込まれる前は、とても端正なお顔立ちをしていたのに。
忽然と姿を消したと保安官の方は話していたけれど、どうか無事であって欲しい。あの胡散臭いレイターとかいうアメリカ人の医者が怪しいと保安官に話しておけば良かった。口が上手く狡猾そうなところが私は苦手だった。
ララ様の形見を抱えて、今夜も彼の無事を祈ろう。ペレス様、どうかご無事で。
「え、てことは…ミゲルが五条先生に使用した"黒縄"がその…」
「我ガ家ノ家宝ダヨ!」
「えー……」
何とも言えない表情で乙骨が項垂れる。そんな貴重なものを破壊してしまったのか、という思いの表れだ。その女性もあの世できっと恨んでいることだろう。
「アレハ一目見テ、魔除ケの類ジャナイト分カッタンデネ」
「だからって何も五条先生に使うことないのに」
と残念そうな顔でミゲルを見ると、その見られた張本人は突如としてキレ散らかした。
「バカカ、乙骨!オマエ、バカナノカ!"黒縄"ヲ使ッタカラコソ、俺ハ今ココニイルンダロウガ!」
「……確かに」
あの五条悟の足止めという無茶ぶりをした夏油傑もやはり侮れないな、とつい苦笑が洩れる。ミゲルの持つ"黒縄"が、五条に有効だと見抜いたのは夏油だったらしい。
「ああ、それで…僕、思ったんですけど」
ふと思い出したように乙骨が言った。
「ペレスがララから受け取ったとされている"黒縄"は…どうなったんですか?」
その問いにミゲルは不敵な笑みを浮かべると「ソノ話ナンダガ…」と言って身を深く乗り出した。
「ペレスト共ニ、ソノ"黒縄"モ消エタ。ダガ…ウィンザーノ家ハ、マダ郊外ニ残ッテイル。ドウダ?行ッテミルカ?」
それは深い闇への招待状ともいえる誘いだった。
