吐息でさえも震えてしまう-21

「ペレスト共ニ、ソノ"黒縄"モ消エタ。ダガ…ウィンザーノ家ハ、マダ郊外ニ残ッテイル。ドウダ?行ッテミルカ?」
ミゲルの言葉を受けて、当然ながら乙骨、そしてまでがその話に興味を示した。
あれから三日――。未だ乙骨は出発できずにいた。
『こっちでも調べてみたら、事件当時の古い記事を見つけたよ。結局、ペレスは見つからずじまいで未解決事件になってる』
一応、裏をとる為、乙骨はミゲルの話をそのまま五条に報告した。早速五条の方でも調べてくれたようだが、ミゲルの話通りペレスは行方不明のままらしく、それを知って乙骨は少しガッカリした。ミゲルの話とは少し違う方面から探せば、何か手がかりがつかめるんじゃないかと期待したが、どうやら無駄足だったようだ。
「そうですか…。じゃあレイター医師の方は…」
『アメリカの大学にレイターは確かに在籍してた記録はあった。でも事件が起こる少し前には辞職したみたいだね。多分…彼がウィンザー家を訪れた辺りなんじゃないかな』
「…辞職?じゃあ…ペレスの両親に話したことは半分は嘘ってことですか」
『さあ…そこまでは僕にも分からないけど。でもクローン社って組織のことは心当たりがある』
「…えっ本当ですか?」
『総監部の記録を見たら、100年くらい前にアメリカで暗躍してた組織があった。いわゆる秘密結社ってやつ』
「え…な、何か…スパイ映画みたいになってきましたね」
『こんなのいつの時代にもあるもんだからね。まあ、そのクローン社は当時、海外では殆ど知られていなかった日本の呪術師について調べてた組織だったらしい。きっと当時の術師と接触したことのある人物がその組織のトップなんだろう。日本に多くいるなら海外にもいるはずだと思ったんじゃない?それで不思議な力を持つ人間を集めては研究してた』
五条の話を聞きながら乙骨はミゲルの話を思い出していた。確かにその話が本当なら、レイターの行動にも矛盾はない。もしかしたら精神科医をしていたレイターの元に、不思議な力を持つ人間が相談しに来たのかもしれない。そしてクローン社もレイターのところに集まる患者に目を付けた。
そうなるとレイターが大学を辞め、クローン社に引き抜かれたんだとしても不思議じゃない。レイターとしてもその力を調べたくなったんだとしたら、喜んで組織の為に動いただろう。
『総監部はそういった組織を危険視して記録に残したんだろうな。当時も日本のトップシークレットみたいな扱いだったろうからね。呪術師は』
「はあ…。今も似たようなものですもんね」
『まぁねぇ…呪霊の発生を抑制するのは人々の心の平穏…その為にも目に見えない脅威は極力秘匿しなければならない…なーんてこと、どっかの誰かさんが言ってたしな』
「え?」
乙骨が聞き返すと、五条は何でもないよ、と苦笑したようだった。
『とにかく、そのペレスとかいう特級レベルの少年は、やっぱりクローン社とかいう組織が彼の存在を世間から消して自分のところで研究材料にしたっていう憂太の予想は大筋合ってるんじゃない?きっとペレスが両親を殺したことは突発的なものだったんだろうけど、クローン社にしてみれば都合が良かった。犯罪者が世間から消えても誰も不思議には思わない』
「確かに…。でも一つ疑問なのは…」
『レイターがどうやってペレスをクローン社に引き渡したか、だね』
「はい…。出国した記録もなく、ペレスをどうやってアメリカまで連れて行ったのか。そしてその後に彼はどうなったのか…。そのクローン社は今もあるんですか?」
乙骨の問いに五条は『いや…もうないっぽい』と答えた。五条が総監部の記録を調べたところ、そのクローン社も100年前の当時、忽然と消えたかのように記録が途絶えていたようだ。
『当時の総監部の奴らがクローン社の実態を追い切れなくなったのか、それとも…突発的な何かが起こって組織が壊滅したか…』
「え…壊滅って…」
『さあね。記録がないってことはクローン社の人間が誰一人として目立った動きはしていないってことだろうし、もしかしたら全滅したのかも。そしてそれを出来るとしたら――』
「…ペレスしかいない」
『僕もそう思う。でも彼も行方不明のままだし、例えクローン社に何かしたのだとしても、その後はどうなったのか調べようがない』
「やっぱり…こっちで調べてみるしかないですね…。まあ当時の彼らの家になんて何も残ってないだろうけど」
『まあ、でもその家に研究室があったことは当時調べた保安官たちも知らなかったんじゃない?使用人たちは口をつぐんでたわけでしょ?』
「そうだったらしいです。ミゲルの先祖の女性が残した日記には、ウィンザー家の秘密は墓場まで持っていくと書いてたようですし、他の使用人たちも同じ気持ちだったとかで…きっとペレスに同情してた人が多かったのかも」
『じゃあ調べてみる価値はあるじゃない?ペレスが持っていた"黒縄"の行方も気になるし…にマーキングした原因も何か分かるかも…っていうか、そう言えばは?』
いつもなら乙骨の傍にいて何かしら会話に入ってくる存在がいないことに、五条は今更ながらに気づいた。今はビデオ通話で互いの顔を見ながら話していたのだが、一度もが映らないのは不自然だ。
五条の疑問を受けて、乙骨は不意にへにょっと眉尻を下げると「それが…」とモゴモゴ言いながら、後ろの方へ視線を向けた。そこには寝室に続く扉がある。
「ウィンザー家に行くってなったとき、さんも行きたいと言い出して…僕がダメだって反対したら怒り出して寝室に閉じこもっちゃったんです。説得しようと思って中へ入ろうとしたら大量のウサギが襲ってくるから入れないし…」
思い出したら切なくなったらしい。見る見るうちに乙骨の呪力が萎んでいく。五条は『マジ…?恵の式の活用方法間違ってない?』と口元を引きつらせつつ、今では生気も消えかかってるほど影が薄くなっている乙骨を見て『そこまで落ち込まなくても』と苦笑いを零した。しかし乙骨は「笑い事じゃありません!」と珍しく熱くなっている。
「もう三日も口を利いてくれないし…寝室から出て来てくれたと思っても近づいたら逃げるし…そろそろ僕も限界です」
『え…そんなに?って、何が限界?』
「……さんに三日も触れないと何かこう…心の底から負のオーラが溢れ出てきて手が震えると言うか…勝手に"リカちゃん"が出てくるというか…」
『………ヤバい奴じゃん、それ。禁断症状?』
『ああ、に触れないと勝手にリカちゃん出ちゃう病"だ』と笑い出した五条に、乙骨はもう一度「だから笑い事じゃないですっ」と遂に怒り出した。本人は至って真剣のようだ。ただ、そこまで口を利いてもらえないなら、彼女を連れていけばいいのに、と五条は思った。そして言った。だが乙骨は「何が起きるか分からないのにさんを連れてけません」と言い出した。
何でも先日ミゲルが調べてきた情報の中に、"黒縄"を持っていた数少ない呪術師が現在行方不明になってるというものがあったらしい。
『え、行方不明って…何で?』
「よく分からないですけど…ミゲルが言うには彼らも残りの"黒縄"を探して、そのウィンザー家まで調べに行ったんじゃないかって…そこで何かが起きたんだとしたら…やっぱり大事なさんを連れていくわけにはいきません」
『三日も口効いてもらえないのに?』
「…………」
『いや、憂太…カメラから消えるほど落ち込まないで…僕が悪かったから』
遂にはへこみすぎてフレームアウトした可愛い生徒を見て、五条は慌てて謝罪した。ついでにのことで乙骨をからかってはいけない、と肝に銘じておく。
『いえ、僕の方こそすみません…。ちょっと現実を思い出したら全身の力が抜けちゃって…』
のそっと顔を上げた乙骨は「ははは…」と力のない笑顔を見せた。どうやら前かがみに倒れすぎてたらしい。五条の顏がどこまでも引きつっていく。こうなるとウィンザー家を調べる前に、二人を仲直りさせなければ乙骨は使い物にならないかもしれない、と心配になってくる。
『わ、分かった。の方は僕からも説得してみるから、憂太はミゲルとウィンザー家に向かう準備を進めて』
「え、ほんとですか?」
『じゃないと憂太が出かけられないでしょ。どうせそれが原因でまだ出発してないんだろうし』
「…はあ。すみません。彼女が許してくれないと行きにくくて…」
『全く…で、ミゲルは?』
「ミゲルは早く説得しろって毎日電話かけてくるんですけど、とりあえずウィンザー家のある郊外に行くための小型飛行機を手配するのに動いてくれてます。車じゃかなり遠いらしいんで」
ケニアは広大な土地の為、車で行けない場所には小型飛行機を使うらしい。それを準備するまでに彼女を説得しとけとミゲルに言われていた。
『そっか。まあ何が起きてもいいように憂太も色々準備をしておくといい。まあペレスが今も生きてるなんてことはないだろうけど、に起きたことも考えて警戒だけはしておいて』
「はい。分かってます」
『じゃ、このあと、に電話してみるから憂太はシャワーでも浴びてスッキリしておいで。酷い顔してるから』
苦笑気味に言うと、そこで五条との通話は切れた。急に静寂が戻ったリビングに、乙骨の深い溜息が響く。そのまま五条に言われた通りバスルームへ向かうと、乙骨は熱いシャワーを頭から浴びた。酷い顔をしてるのは寝不足のせいだと自覚している。と初めてケンカみたいになっている今の状況は、乙骨にとって耐えがたいものだった。おかげで眠れないし食欲も出ない。酷い顔になるのも当然だった。
ただ、どんなにツラくても、少しでも危険があるならを連れていくことは出来ない。"黒縄"を所持していた人間が行方不明と訊けば尚更だ。それには一度"黒縄"に触れて異変が起きている。もし現場に連れて行って何か予想外のことが起きた場合、確実に守れるかと訊かれたら、乙骨も今のところ"分からない"としか言いようがなかった。そもそも何が起きているのかすら分かってない。そんな不確定要素だらけのところへ、大切なひとを連れていけるはずがなかった。
――また、わたしを置いてくの?!
三日前、に言われた言葉を思い出しながら、乙骨は再びズーンと心が沈んでいくのを感じていた。
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『――そういうわけだから憂太をあんまり虐めないであげて。何ものことを役に立たないから連れて行かないとか、そういうことじゃないんだから』
ベッドに寝転び五条の諭すような言葉を聞きながら、はむむ?っとその赤いくちびるを尖らせた。
「そんなの分かってるもん。憂太くんはそんなこと言わない」
『え…?』
「わたしのこと役立たずだから連れていかないのかって言ったのはミゲルだってば。憂太くんがそんな意地悪なこと言うわけないでしょ、センセー!」
『……あ、そう』
仲裁に入るはずが逆に叱られ、五条も若干艶々のくちびるが尖っていく。ビデオ通話なので、その子供みたいな顔はしっかりの目にも届いた。アイマスクで見えないが、キラキラの瞳は絶対にジト目になってるだろうな、と想像すると、ちょっとだけおかしくなってくる。
笑いを噛み殺すのを見られないよう、は体を起こしてベッドへ座り直した。
『じゃあ何で三日も憂太と口効いてないの。めちゃくちゃ落ち込んでたよー?』
「それは…だって…」
反撃とばかりに今度は五条が痛いところを突いてきて、は言葉を詰まらせた。別にだって意地悪でそんなことをしてるわけじゃない。彼女なりに思うところがあるのだ。
「憂太くんが心配して連れて行かないって言ってくれてるのは分かってる…。でも、じゃあ憂太くんを心配なわたしはどうしたらいいの…?」
『…心配、か』
「…ゆ、憂太くんが強いのは分かってる。けど何が起こるか分からないからって言われたら、わたしだって不安になるよ。それに…」
『…それに?』
五条の静かな声を聞きながら、はきゅっとくちびるを噛みしめた。
「憂太くんはいつも自分のことは後回し…まるで自分はどうなってもいいって思ってるみたいに、わたしのことや、周りのことばかりを優先する。今回のことだってそうだよ…。わたしに何かあったらって心配してくれて、だから何が起こるか分からない場所に自分だけ行こうとする。でもわたしだってそんな憂太くんが心配なのに…」
いつか、その性格のせいで危ない目に合うんじゃないか。誰かのために命を投げ出すんじゃないか。そう思ってしまうから、余計に怖い。
そう、その気持ちが伝わらないから、もどかしくて腹立たしくて、そんな思いがあるのに乙骨と普通の顔で話すことなんて出来なかった。きっと口を開けばケンカになってしまう。そう思ったから。
『…だからなりに距離を置いてたってわけか』
「う…だ、だって…」
子供みたいなことをしてるって自分でも分かっている。けど不安なのは彼女も同じだ。だから、せめて一緒に行って乙骨のそばにいたい。そう思ったのに――。
『だって、憂太』
「え…?」
五条の言葉に驚いて俯いてた顔を上げると、五条はの背後を指している。ハッとして振り返ると、そこには乙骨が感激した様子で立っていた。
そう言えばいつの間にかシャワーの音も止まっていた気がする。
「え、い、いつから聞いて――」
今のぐちゃぐちゃした本音を聞かれてたのかと思うと、恥ずかしさで一気に顔が赤くなる。でもその顔を見られる前に、彼女の体は乙骨の腕に抱きしめられていた。三日ぶりの接触での心臓が盛大に音を立てる。シャワーを浴びたばかりだからか、乙骨の髪はまだ濡れたままで、それが頬に触れると少し冷たかった。
「ごめん、さん…そんな風に思ってくれてたのに僕は何も気づかなくて…」
「え、あ、あの…」
どう応えていいのか分からず、腕の中でもぞもぞしていると、不意に体が離れた。視線を上げると乙骨の頬が上気していて、今朝よりも随分と血色がいい。久しぶりにへ触れて気分が高揚しているせいだ。その昂った気持ちのまま顔を寄せると、はぎょっとしたように乙骨から離れてベッドの上を後ずさった。
「ダ、ダメ…五条先生が――」
そう、先ほどからビデオ通話していたスマホは乙骨に抱きしめられた際、ベッド上に転がってしまった。さすがに元担任の見てる前でキスは出来ない。
しかし乙骨はその気持ちを察したように笑うと「もう切れてるよ」と彼女のスマホを指さした。え、と思って振り返ると、確かにスマホの画面が真っ暗になっている。念のため手に取って確認すると、乙骨の言う通り通話は終了していたようだ。大方、乙骨が来た時点で気を利かせて五条の方から切ったんだろう。
そのとき、ギシ…っと軋む音がして、ハッとした顔で振り返ると、乙骨が這うようにベッドへ上がり彼女の方へ近づいてきた。かと思えば、その場に正座して「ごめん」と頭を下げる。その潔い謝罪に「え」とは呆気にとられて瞬きを繰り返す。
「僕、自分の気持ちばかりさんに押し付けてたよね…。さんだって同じように僕を心配してくれたのに…」
だから、ごめんね。と今度は正面にいるの目を見ながら、もう一度謝った。その姿を見たもまた慌てて首を振ると「わたしも…ごめんね…憂太くんの気持ち分かってたのに無視しちゃって」と素直に謝る。互いに相手のことを考えすぎたばかりに拗れた結果の、まさに犬も食わないというやつだった。ここにミゲルがいたならば「オマエラ、メンドクセ!」の一言で片づけられていたに違いない。
そのあともお互いに「僕が悪い」「わたしが悪い」と謝罪を繰り返したあと、ふたりでふと我に返って笑い合う。そのあとはしばしの沈黙の中で見つめあった。
こうして話しながら傍にいるのは久しぶりで、どこか照れ臭いものがある。
「えっと…もっとそばにいっていい、かな」
「…え?あ…う、うん」
最初に切り出したのは乙骨で、早くを抱きしめたくてうずうずしてたようだ。許可をもらった瞬間、一気に距離を縮めて彼女の体を抱き寄せる。背中に回した腕に力を込めて、一度きゅっと抱きしめると、乙骨の中で熱いものがこみ上げてきた。この三日間、彼女の温もりがどんなに恋しかったことか。
しばらくの温もりを堪能しまくっていると、腕の中で彼女がもぞもぞと動いた。
「あ、あの…」
「ん?」
「ゆ、夕べの…オムライス凄く美味しかった…ありがとね」
「うん。さん、ああいうの好きだと思って」
口は利いてもらえなくとも乙骨は毎日の為に食事を用意しておいた。怒っている(と思っていた)彼女が食べてくれるか心配ではあったものの、朝になると洗ったお皿がキッチンにあるのを見てホっとしたのだ。
「でも何もオムライスのケチャップで"ごめん"って書かなくても…」
ふと夕べのそれを見た衝撃を思い出し、軽く吹きだすと、乙骨も照れ臭そうに笑った。
「だって…ああしたら見てくれるかなと…」
「あ、そ、それと一昨日のハンバーグもすっごく美味しかったし、その前のシチューも美味しかった。乙骨くん料理ほんと上手だよね」
「…さんにしか作らないけどね。って、また乙骨くんになってる」
「え、あ、ごめん…」
少し体を放して乙骨を見上げると、とろんとした黒目と目が合う。寝不足だったのか、仲直りして安心したら睡魔が襲ってきたようだ。
「眠い…?もしかして寝れてなかった?」
「…ん、大丈夫だよ。軽く寝落ちはしてたから」
「そ、それって熟睡してないんじゃ…。今日はもう寝よ?」
ふと時計を見れば、まだ夜の七時。でも寝不足で目をしょぽしょぽさせてる乙骨をこれ以上、疲れさせたくはない。
しかし乙骨は「えー…まだ寝たくない…」と子供みたいなことを言ってきた。
「…せっかくさんとこうして話せて、くっつけてるのに寝るのもったいない…」
乙骨は甘えるように再びを抱き寄せると、「もっと話したい」と呟いて彼女の首元に顔を埋める。それが可愛くては乙骨の背中に回した手でぎゅっとTシャツを握り締めた。こうすると更にくっつける気がする。
「ふふ…憂太くん、子供みたい。髪も乾かさないできちゃうし」
「それは…だって…五条先生が余計なこと言わないか急に心配になったから」
それにあのタイミングで寝室に行けば、さすがに大量のウサギはいないかなと思ったし、と乙骨は笑った。この三日間、何度小さなもふもふに飛びつかれたことか。
乙骨のツッコミに対し、は「あ、あれは違うの」と困ったように呻いた。
「…寝室に閉じこもっちゃった手前、寂しいなんて言えないから、だから…」
「え、それでウサギを顕現してたの?」
「う…あ、呆れた…?」
「まさか。そんな理由なんて思わなくて…そういうさんも可愛い。好き」
「………え」
言いながら僅かに体を放して見下ろすと、ちゅっと短めのキスをくちびるへ落とす。は更に恥ずかしそうに見上げてきて、乙骨と目が合うと忙しなく視線を泳がせている。その姿が可愛すぎた。三日ぶりだからと我慢していたが、もう限界とばかりに身を屈めると、乙骨は彼女のくちびるへちゅうっと吸い付いた。その突然のキスに驚いたのか、の目がまん丸になって、頬をじわじわ赤く染めていく。やはり彼女からしても三日ぶりのキスは恥ずかしかったらしい。
「さっき僕のこと子供みたいって言ったけど…」
「ゆ、憂太…くん…?」
「…子供はこんなことしないよ」
乙骨の右手がの頬へ触れた。優しく頬を包み、親指の腹で彼女の濡れたくちびるを撫でていく。そのまま顎を撫で、首筋にも指を這わせた。触れるか触れないかくらいの繊細なタッチで首筋を撫でると、そのかすかな刺激にが小さく体を震わせる。その敏感な反応に乙骨の喉がかすかに鳴った。身を屈め、の首筋に熱い唇を押し付ける。
「…ン」
その甘い刺激にの肩がびくん、と跳ねて僅かに身を捩った。少し遠慮がちに触れる乙骨の唇が少しずつ場所を変えながら、肌に直接優しいキスを施していく。
その優しい触れ方に慣れた頃、乙骨の唇がの胸元に強く唇を押し付けて、強く吸い上げた。
「…ぁ、」
吸われた場所にチクリと痛みが走り、はかすかに身を震わせた。
「ごめん、痛かった…?」
「だ…大丈夫…」
「もっと触れていい?」
甘えるように額を合わせると、が小さく頷く。それを確認した乙骨は彼女の頬から耳を撫で、その指先が長い髪を梳いていく。たったそれだけで首筋からぞくりとした痺れが広がった。
思わず首を窄めれば、乙骨の骨ばった指に顎を持ち上げられ、あっと思ったときにはくちびるが重なっていた。最初はちゅっちゅと軽めのキスを繰り返していた乙骨は、物足りなくなったのか、のくちびるごと食べてしまうかのように口付けた。柔らかいくちびる同士が交わり、互いの吐息も溶け合う。三日ぶりの口づけは、乙骨の疲れも全て綺麗に取り去ってくれた。いつものように、ぷっくりした彼女のくちびるをちゅうっと吸えば、抱きしめている腕から体の震えが伝わってくる。それにが今着ている薄手のキャミソールワンピは先日の観光中に乙骨が彼女に選んであげたもの。に似合うと思ったものを着ているのだから、やけに男の本能を刺激されてしまう。だから、というわけじゃないが、キスをした瞬間から、すでに腰が疼いてしまった。乙骨にしたら三日もよく我慢した方で、こうなるのは至極当然。ただ、この前は彼女の体調も悪く、間違って襲わないよう逃げ出してしまったが、今はこのままキスをしていたい気持ちの方が勝ってしまった。
「…ン」
更に抱きよせ、自分の膝に抱えるようにしながらの後頭部へ手を添えると、ふたりのくちびるがより深く繋がる。
「…さん、くち、あけて。もっと奥まで触りたい」
「…ンぁ」
強請るような甘い声に心臓がどくん、と反応した隙に、乙骨の舌がの口内を侵食してきた。そっと上顎を撫で、優しく歯列をなぞると、行き場をなくしていたの舌を、乙骨の舌が絡めとる。
「…ン…ふ」
互いの唾液も吐息も綯い交ぜにしながら深く貪られ、の全身が熱を帯びていく。乙骨にキスをされると思考はいつも蕩けさせられ、何も考えられなくなる。それほど、乙骨のキスは全身に響く。
そのとき、腰の辺りにごり、と硬いものが触れ、の肩が跳ねる。それが何を示しているのか、にもすぐに分かった。かぁっと顔に熱が集中して、思わず乙骨にしがみつく。
「ごめん…当たってる、かも」
「う…うん…」
僅かにくちびるを離した乙骨の目は切なげに揺れていて、男の欲を孕んだ熱が見え隠れしている。その熱と間近で目が合い、の体のどこかがじくじくと疼いてきた。それが恥ずかしくて目を伏せると、乙骨の指が再びのくちびるを撫でていく。
「きょ…今日は…逃げないでね」
照れ隠しにそんな言葉を冗談めかして呟くと、乙骨はかすかに笑ったようだった。
「この前は…理性がヤバかったから自主避難しただけだよ」
「え…?」
「だってさん、体調良くなかったでしょ。なのに押し倒しちゃったりしたら困るから」
「あ…え?そ、それで…急に飛び出して行っちゃったの…?」
てっきり自分からキスをしてしまったから引かれたものだとばかり思っていたは、少し驚いたように乙骨を見つめた。
「あのときは…ちょっと間違いを犯しそうなくらいキテたから…」
「…わたしからキスしたからドン引きしたとかじゃ…」
「え?」
の言葉を聞いて乙骨はきょとん、としたあと、小さく吹き出した。
「まさか。引くわけないでしょ。さんにキスされたから、その…あっちが過剰に反応したというか…ヤバかったというか…まあ、今もヤバいんだけど」
「………」
乙骨逃亡の真相が分かってはホっとしたのと同時に顏が一気に熱くなった。まさか乙骨がそこまで自分に反応してたとは思わない。でも恥ずかしい、と思うと同時に凄く嬉しいとも思ってしまう。好きな相手が自分に対して欲情してるという事実と、それを我慢してくれたという誠実さに、また乙骨のことが好きになった気がした。
そのとき、乙骨の手がの下腹部をすり、と撫でた。
「その…アレは…終わった?」
「え…あ…う、うん…昨日には…もう」
何を訊かれたのか分かった瞬間、耳まで熱くなる。乙骨のじりじりとした熱が移ったように体が火照ってきたのが分かった。
「なら…この前の続き、していい?」
頬にちゅっと口づけながら、乙骨がの顔を覗き込む。男の欲を孕んだ熱と目が合えば、小さく頷くことしか出来なかった。
「…ぁ、」
後頭部に手を添えられ、ベッドへ優しく寝かされると、乙骨を見上げる形になる。それがやけにドキドキして、まるで初体験のときのような緊張が走った。全身の血液が全て顔に集中してるかのように熱く、勝手に目が潤んでいく。その火照った頬を乙骨の手のひらが撫でていった。
「さん、真っ赤でかわいい。凄く熱いよ」
「だ、だって…き、緊張してるし…恥ずかしいし…」
「僕もだよ」
「…え、うそ…乙骨くん…わたしより落ち着いてるように見える…」
「そんなことないよ。これでも…心臓がばくばくしてるし」
そう言って乙骨はの手を取り、自分の胸に当てる。そこからは乙骨の心臓がどくんどくんと鳴る音が伝わってきた。
「ほら、ね」
「う、うん…」
好きなひとの鼓動を感じるのはやけに照れくさい。そして幸せな音でもあった。彼のもっと深いところまで知りたい、とも思う。乙骨ともっと深いところで繋がりたい、とも。
額にちゅっと優しい口づけが降ってきて、それは目尻、頬にも降ってくる。そして最後にくちびるを塞がれると、の鼓動も同じく早鐘を打ち出した。
乙骨の優しいキスに何故か体の自由を奪われていく不思議な感覚に襲われる。次第に頭がぼうっとしてきて、気持ちいいという感覚以外が鈍感になっていく気がした。
求められるまま長い長いキスを交わして、時間の感覚さえ分からなくなっていくほど夢中で求め合った唇を放したあと、乙骨と目が合った。
彼の黒目は僅かに濡れ、これまで見たこともない欲情の色が差している。
乙骨にこんな顔をさせているのは自分なんだと思うと、身体がぞくりと震えてしまった。
