白いノイズ-25


乙骨達がウィンザー家跡地に到着したのは出発してから五時間後のことだった。
まずは車で近場にある小さな空港へ向かい、そこから小型飛行機で現地まで飛んだ。そこから再び車に乗り換え、一時間半。ようやく広大な土地に古ぼけた大きな屋敷が見えてきた。

「コノ辺リハ、今モソレホド開拓サレテナイ。ウィンザーノ話ヲ知ッテル者ハ近寄リタガラナイカラナ」

手にした懐中電灯で前方を照らしながら、ミゲルはウィンザー家の正門を見上げた。固く閉ざされていたはずのそれは僅かながらに開いている。どうやら少し前にも誰かが侵入したようだ。

「ヤッパリナ。行方不明ノ奴ラモ、ココヘ来タノハ間違イナイ」
「やだぁ。私、こわーい!憂太ちゃん、手ぇ握ってぇ」
「えっ?」

大きな図体で擦り寄ってくるラルゥにギョっとした乙骨は、その唐突なお願いにどう反応していいのかも分からないまま固まった。一応救いを求めるようにミゲルへ視線を向けたのだが、当のミゲルは無表情のまま「握ッテヤレ、乙骨」と事もなげに言いのける。

「え、えっと……僕にはさんというもったいないくらいの恋人がいるので、他の人と手を繋ぐのは浮気に入る気が――」
「やだぁ、冗談よ。憂太ちゃんてば、ま・じ・め!」
「あ……はは、ははは」

ラルゥのウインクを受け止めながら、からかわれたのだと理解した。乙骨の口元がひくひくと動く。
しかし今のやり取りで緊張が解けたのも事実。乙骨は軽く深呼吸をしながら、正門をゆっくりと押した。

「かなり広いですね」

草木が生い茂り、荒れ果ててはいるのだが、エントランス周りはやけに開けている。真ん中には噴水のような石造物があった。

「当時ハ相当儲ケテタラシイカラナ」

先へ行くぞ、とミゲルは深い草を踏みしめ、屋敷の方へ歩いて行く。エントランスには両開きの扉があり、そこも人がひとり通れるくらいに開いていた。

「ここから先は未知ってことね」

扉を見上げながらラルゥが言った。ああ、そうだ、とミゲルは頷き、乙骨へ覚悟はいいかと尋ねる。乙骨に迷いは一切なかった。

「行きましょう」

その言葉を合図に三人は重厚な扉を押し開き、ギギギ、と軋む音を聞きながら薄暗いエントランスホールへと足を踏み入れた。その瞬間、埃や乾いた土の匂いが鼻腔を突く。
長らく放置されていたせいだろう。全員が顔をしかめ、僅かに咳き込む。

「けほっ……マスク持って来れば良かったわぁ」

手のひらをパタパタさせながらラルゥが言った時だった。同時に、ずん、と重苦しい圧を感じたのは全員同じだったらしい。互いに顔を見合わせ、目くばせをする。
人の気配は一切しないのだが、何か・・の気配を感じるおかしな感覚があった。

正面には大きな扉があり、ホールにはふたつほど扉がある。そして左右には二階へ伸びた階段。どちらから上がっても同じ通路に繋がっている。
左階段下の開いた扉からはダイニングルームらしき部屋が見えた。それらを一瞥し、互いに「どこから調べる」というようにもう一度視線を合わせる。

「じゃあ順番に一階の部屋から調べましょうか」
「そうねえ。散らばっても良くないし一緒にひとつずつ調べていきましょ」

異様な空気を感じ取ったラルゥも、ここは慎重になるべきと判断したらしい。それは乙骨やミゲルも同意見だった。
三人で別れて探索した方が断然早いだろうが、何が起こるか分からない以上、互いをフォロー出来る距離にいた方がいい。

そうして三人は一緒に一階からくまなく調べていった。
エントランスホールにある鍵のかかったドアは破壊し、奥へと進む。そこはキッチンやランドリールームなどがある使用人用の部屋らしく、特に気になるものは見つけられなかった。

「まあ、この辺は過去に調べてるでしょう。左側のダイニングルームはどうする?」
「そんな場所に何かあるとは思えないけど、一応全ての部屋は確認したいです」
「そうね。じゃあ行きましょうか」

乙骨の言葉を受けて三人は左側にあるダイニングルームへ移動した。しかし乙骨が言っていたように気になるものはなく。そのまま二階へ上がっていく。
左側にはゲストルームを思わせる部屋がふたつほど。その奥へ行くと広い書斎のような部屋があった。
ミゲルの先祖の日記では、この書斎に地下室への入り口が造られたとある。

「棚らしきものが壁にびっしりあるけど、本の類は殆ど持ち去られたか、あってもかなり劣化して朽ちてますね」
「ココハ後デ調ベルトシテ、マズハ他ノ部屋ヲ見テミヨウ」

情報のありそうな書斎は後回し、というミゲルに従い、次は反対側の通路奥にある部屋へと向かう。そこは寝室のようだった。

「ココデ両親ハ殺サレテタ」
「……え」
「ちょっとミゲルちゃん。いきなり怖い情報ぶっこまないでよ」
「事実ヲ言ッタマデダ。トリアエズ調ベルゾ」

怖がるラルゥを鼻で笑うと、ミゲルはボロボロのダブルベッドへ近づく。そこで近くの床に視線を落とした。人型のようなシミがあったからだ。おそらく両親の遺体はここに倒れてたんだろう。
百年の時を超えてなお、その時の惨状を知らしめるようなシミを眺めていると、我が子に殺された自分達の理不尽な死を現在に訴えているようにも見えて、乙骨は無意識に両手を合わせていた。

実の息子を軟禁し、娘を金儲けの道具にしていた両親に同情の余地はないものの、死者に鞭を打つ気もない。手を合わせるくらいはいいだろう。そんな気持ちでいると、突然「……乙骨!」というミゲルの声。
振り向くとミゲルは驚愕の表情で寝室の奥の壁を指さしていた。それに釣られ、乙骨も何の気なしに視線を向ける。そして――絶句した。

「え…………さん?」

寝室奥の壁には大きな肖像画だったであろうものが飾られていた。額縁は朽ち果て崩れていたが、しかし中の肖像画は奇跡的に原型が保たれている。
そこには一人の女性が描かれていた。
長い黒髪に大きな瞳、生きていたら艶やかだったであろう小さな唇。そのどれをとっても、肖像画の女性はに驚くほど似通っていた。

「何?どうしたのよ、二人とも青い顔して」

固まったまま絵を見上げる二人を見て、とまだ顔を合わせたことのないラルゥは怪訝そうに尋ねた。だが二人はすぐに応えることが出来ない。

「……ドウイウコトダ、コレハ」

言葉を失い、立ち尽くす乙骨にミゲルが問う。しかし乙骨とて同じことを聞きたかった。

「……驚クホド、ニ似テルゾ、コノ絵ノ女」
「まさか……」
「だからどういうことよ!」

ラルゥだけ意味も分からず、二人の反応に戸惑っている。そこでミゲルが簡単に説明してやった。

「えっ?な、何で……この絵の女性が憂太ちゃんの恋人にそっくりって……どういうこと?」
「知ルカ!コッチガ聞キタイ。タダ……コノ絵ノ女ニハ心当タリガアル」
「え、誰よ」

ラルゥは不思議そうに訊ねたが、応えたのはそれまで黙っていた乙骨だった。

「……ララ、ですね」
「アア……ソウダ――ッ?」

ミゲルが頷いた瞬間、乙骨の全身からぬらり、とした黒く重たい呪力が滲みだし、怪しく揺らめく。
ねっとりとまとわりつくような乙骨の呪いに、ミゲルの体に薄っすら怖気が走った。普段の乙骨とは明らかに違う。
その乙骨がポツリと呟いた。

「これが原因なのかもしれない」
「……ン?」
さんが……狙われた理由です」
「……マ、マサカ」
「ペレスは……さんをララの身代わりにする気かも――」
「オイ、落チ着ケ!オマエノ呪力ハ体ニ良クナイ!」

おどろおどろしい呪力を垂れ流す乙骨に、たまらずミゲルが叫ぶ。明らかに冷静さを失ってるようだ。
黒目を見開き、漲る殺意を隠そうともしていない。
そこで一番冷静だったラルゥが「大丈夫。そうさせない為にここへ調べに来たんじゃない」と乙骨の肩を抱く。

「まだ何も分かってないんだから、恋人の憂太ちゃんがしっかりしなきゃダメよ」
「………そう、ですね。僕がしっかりしないとさんを助けられない」
「そうよ!」

ラルゥに宥められ、少し落ち着いたのか、乙骨の黒目に感情が戻ってきた。ミゲルがホっと安堵の息を漏らした瞬間だ。

(乙骨ノ奴……サスガ五条ト同ジ特級ナダケアルナ……五条トハ、マタ別ノ意味デ危険スギル……!)

乙骨の話では意識を失ったに術式の半分を預けて来たと言うが、それでも今、垂れ流した呪力量は凄まじいものがあった。ミゲルはそっと額の汗を拭う。
殺意増し増しの乙骨の呪力に中てられれば、少なからず精神を削られるのだ。

「この肖像画以外、この部屋は特に気になる点はないわね。まあ、ここが殺しの現場なら一番詳しく調べられてるでしょうし」
「ソウダナ。ナラ書斎カ、ヤハリ」
「行きましょう」

肩の刀を担ぎ直し、冷静さを取り戻した乙骨が二人を促す。
しかし寝室を出ようとした瞬間、ゴォン――という不気味な、鼓膜を震わせる音が鳴り響き、空気が一瞬で重くなった。何か見えない力で圧をかけられているかのように体が動かない。しかも目に映る全ての景色が濃い青に変わった。

「な、何よ、これ!青い霧……?」
「急に温度も下がった……これは……」
「ヤ、ヤバイゾ、乙骨!何カ来ル!」

ミゲルが廊下へ続く扉を指す。乙骨は負荷のかかった腕をどうにか動かすと、刀を手に握り締めた。
ミゲルの言うように、通路から大きな力が向かって来るのを感じる。しかしソレが迫ってきたと思った刹那。唐突に視界も、そして空気も元へ戻った。負荷のかかっていた体が何かに解放されたかのように軽くなる。どうにか足を動かそうと力を込めていたミゲルは、急に体が軽くなったことで前のめりになり慌てて蹈鞴を踏んだ。

「な……何だったの、今の……」
「クソ……!ヤハリ、ココニハ何カガ居ルヨウダ」
「そうですね……」

ホっと息を吐き出した乙骨は手にした刀を元へ戻し、目の前のドアをそっと押し開いた。通路には何もいない。しかし今、確実に何かが迫って来ていたのは事実。

「警告、でしょうか」
「え……?」
「警告ダト?」
「ええ。これ以上、先へ進むなら容赦はしない。そう言ってる気がします」
「こ、怖いこと言わないでよ、憂太ちゃん……」

怯えたように言いながら、ラルゥも同じことを考えていた。
ミゲルから聞いたペレスの物語は、今も完結なんてしていない。
そう思わせる何か得体の知れない圧を、この場所から感じるのだ。

「行きましょう……ここにいても仕方ない」
「ア、アア……。ジャア地下室ヘ行ッテミヨウ」

三人は通路反対側にある書斎へ向かい、朽ちた室内をくまなく探していく。長い年月、放置されていたにも関わらず、壁などはしっかりした石造りで保っていた。その中に不自然な形で絵画だったであろう大きな額縁が斜めにかかっている壁があった。大人の背丈ほどあるそれは、かろうじて一か所が金属の留め金に引っかかっている。
しかし、やはり脆くなっていたようで、額縁を持ち上げて少し動かすだけでボロ……っと留め金が崩れ落ちる。

「ここ、ですね」

乙骨が額縁を外すと後ろには壁とよく似た模様の扉が現れた。ミゲルとラルゥもすぐに歩いて来る。

「間違イナイ。ココダ」
「……入りましょう」

乙骨の言葉に、ミゲルとラルゥは静かに頷いた。



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サァァっと心地良い風が頬を撫でていく感触に、はふと意識を戻した。

「……あれ?」

ガバリと体を起こしたは、何故自分がこんなところに倒れているのかと、呆気にとられる。はっきりと落下した記憶があるにも関わらず、今いる場所は何故か――。

「ひまわり畑……?」

一面黄色い花が埋め尽くされ、はその真ん中に倒れていた。夢か幻かと思ったが、濃い草木、自然の匂いが鼻を突く。

「え、何で……?」

ありえない、と思ったのと同時に、ここへ来る前に自分がいた場所のことも思い出す。延々と蜘蛛のような女に追いかけられ、逃げた先に階段があったこと。そこを下りようとした矢先、何故か足場が崩れ、落下したことも。

「死んだと思ったのに――て、そういえばリカちゃん?!」

そこで一緒に落下したはずの存在を思い出し、振り返る。消えてしまったのかと思ったのだ。
だがリカはまるでを守るように、しっかりとそこに立っていた。

「あ……良かったぁ……いてくれた」

どうやら一緒にここへ飛ばされたらしい。ただこの場所は先ほど逃げ回っていた施設内とも思えない。どう見ても花畑であり、見上げると青い空が広がっている。

「どういうこと……?あの施設の地下にこんな場所あるはずないし……」

立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡してみても、背の高い向日葵が無数に咲いているだけだった。の身長を軽く超えているその向日葵のせいで、どの方向へ行くのが正しいのかすら分からない。
すると体の大きなリカが何かを見つけたのか、ある方向を指さした。

「え、そっちに何かあるの?」
「ゆ、ゆーた……」
「あ、そっか……憂太くんに関係することしか理解は出来ないんだっけ」

指をさしながら憂太の名を呟くリカを見上げながら、はちょっとだけ笑みを漏らした。本当に乙骨がその先にいるなら今すぐ走りだしていたかもしれない。

「分かった。そっちに行ってみよ」

他にどこへ向かえばいいのかも分からない。はリカが指している方角へゆっくりと歩き出した。当然それに合わせてリカも着いて来る。

「でも不思議……何であの施設からこんな場所に来たんだろ……」

これじゃまるで本当に夢の中みたいだ。
普段見る夢も、こんな感じでところどころで場面が飛ぶこともある。起きた時に夢の内容を覚えていた場合、それは夢だから、とあまり深く考えることもないが、この世界はそれに少し似ている気がした。
……と、そこまで考えたは、ふと気づいた。
最初に夢を見た時、その現象が何なのかよく分からなかったものの、今回またおかしな施設へ落とされた時、ペレスの意識の中なんじゃないかと感じた。もし本当にそれが当たっているなら普通の常識で考えても意味はない。
この世界はペレスの意志でのみ動く世界だとしたら、そこへ迷い込んだにはどうすることも出来ないからだ。
ただひとつ疑問なのは、何故自分がそこへ落とされたのか。その一点のみだ。

「あ……あれって……家?」

向日葵畑を抜けると、そこには広大な地が広がっていた。その景色の中に大きな屋敷といくつか木造の建物が見える。

「え、嘘……人がいる……?」

建物が見えた時点で走りだしたは、一際大きい屋敷の裏手のような場所へやってきた。そこには放牧されてる動物がいて、可愛い泣き声をあげている。まるで本物だと少しだけ驚いた。
近くにある建物は納屋のようで、中からは人の話し声。どきりとしたは足音を消しながら、そっと納屋へ近づいて行った。

「――これはペレスが持ってて。前にあげたものはお父さまに奪われたんでしょう?」
「え?でもこれはララの……」
「私の分は編みかけのものが部屋にある。それも今夜で終わるから大丈夫よ。だからこっちはペレスが持ってて。アメリカでもあなたをきっと悪いものから守ってくれる――」

その会話を聞いた瞬間、は叫んでしまいそうになった。慌てて口を抑えながら、足を止める。

(この納屋の中にいるのは――ペレスと姉のララだ!)

心臓が一気に動き出し、足が固まったように動かない。これは一体どういうことだと頭が混乱してきた。まさか時を超えて百年前の過去へ飛ばされたのかと動揺する。しかし、それは現実的ではない。

「まさか……ペレス、あなたなの……?」

に自分の過去を見せている。何故かそう思った時、は再び納屋に向かって歩き出す。これが現実世界じゃないのなら、ふたりに見つかることはないんじゃないかと思ったのだ。
震える足をどうにか動かし納屋に近づくと、はそっと中を覗き込んでみた。すると若い男女が抱き合い、キスを交わしている。思わず身を引っ込めたはかすかに頬を赤くした。

「そうだった……ふたりは双子の姉弟だけど愛し合ってたんだよね……」

いくら過去のこととはいえ、人のラブシーンを覗き見する趣味はない。とはいえ、やはり気になった。
ミゲルから話は聞いたものの、実際にどんな人物なのか知らないからだ。顏くらいは見てみたいと思ってしまった。自分をこの世界へ落としたであろう人物の素顔くらい知っておきたいという好奇心もある。
それに、もし時々姿を現すフードの男がペレスなら、納屋いる人物の面影くらいあるかもしれない。
よし、と覚悟を決めて再び中を覗き込む。それと同時だった。後ろの方から小さな人の話し声、足音が聞こえて、はハッと息を呑んだ。

「おい、こっちだ。この中にいるぞ」
「シッ。静かに近づけ。気づかれる」

小声で話しながら近づいてきたのは村人のような風貌の男達が五人ほど。それぞれ手には松明を持っている。どう見ても友好的に見えない男達は、納屋の傍に立っているの姿を見ても何の反応もない。

(やっぱり……実際にわたしがこの場にいたわけじゃないから彼らにわたしは見えてない。というより……これはわたしが過去を見せられてるんだ……)

そこで思い出した。ペレスとララに起きた、最大の悲劇を。

「まさか……彼らが火をつけた……?」

そこに気づいたは咄嗟に納屋の前へ立ち塞がった。

「ダメ!やめて!」
「おい、オマエは裏へ回れ。確か二階部分に窓がある。飛び降りてくるかもしれないからな」
「分かった」
「お願い、やめて!」
「俺は正面の扉を閉める」

男達の行動を止めたいのに声はやはり届いていない。相手に手を伸ばしても男達の体を擦りぬけていく。

「やっぱり現実じゃないから無理だ……このままじゃふたりは……」

そう思った時、は納屋の中へと駆け込んだ。直後に扉が閉められる。

「おい!開けろ!」

その時、扉が閉まったことに驚いたのか、中にいた男の方がの方へ歩いて来る。ペレスだ。
その顏を見ては息を呑んだ。色白の肌をした端正な顔立ち。フードの男とは雰囲気が全く違う。
しかし目の前の男――ペレスが、あのフードの男なのだと改めて確信した。目つきや物腰の柔らかそうな雰囲気は別人のようでも、背格好は驚くほどにそっくりだったからだ。
だが、驚くことは他にもあった。

「ペレス……」

不安げに彼の後から追いかけて来た女性――姉のララだろう。
そのララの姿を目の当たりにした瞬間、は両目を見開き、愕然とした。

「大丈夫だよ、ララ。ここは危ないから――」

目の前で見つめ合う姉弟の会話など全く入ってこない。それくらい不安げに弟を見つめる姉の顔に釘付けだった。
姉のララは驚くほどに、自分とそっくりだったから。


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「――リカちゃん?」

乙骨がちょうど地下室にある研究室へ足を踏み入れた時、その気配はすぐ近くで感じた。

「ドウシタ、乙骨」
「いえ……今、すぐ近くにリカちゃんがいた気がして」
「ハァ?オマエノ術式ナンダシ当タリ前ダロ」
「いえ、そうじゃなくて――」
「リカちゃんって?例の特級過呪怨霊だったかしら」

乙骨の後ろから歩いてきたラルゥが訊ねる。

「ああ、いえ。本物の里香ちゃんは去年解呪に成功したので。今のリカちゃんは僕の術式として存在する式神です。その半分の力を呪符に込めてさんに残して来たんですけど……」

と言いながら、乙骨は天井を見上げた。何故かそのリカの気配を近くに感じる気がするのだ。
だが、それだと物理的にはおかしなことになる。
その時、研究室の奥へ進んだミゲルが声を上げた。

「オイ、乙骨!コッチニ隠シ扉ダ!」

ミゲルの声にふと我に返る。さっきの気配は気になるが、今はこっちに集中しなければいけない。
それにへ残してきた力の消滅は感じないのだから、そこまでの危険はまだ迫っていないということだ。
そう自分に言い聞かせながら乙骨はミゲルの方へ歩いて行った。
地下室にある研究室はさほど広くはなく、いくつか小さなゲージが棚に置かれ、机や椅子など乱雑に転がっているだけの部屋だった。
この部屋の存在は使用人にも知られていたのだから、過去に調べられたというのは分かっている。だがミゲルが隠し扉を見つけた。そこはペレス本人しか知らない場所。そう確信したのは、その扉が床の一部にあり、開けられた形跡がなかったからだ。
ミゲル曰く、そこから微量な呪力を感じたという。乙骨も集中して探ってみると、確かに足元から何かを感じる気がした。

「かすかですけど……確かにこの下には何かありそうですね。五条先生の六眼なら見えるんでしょうけど」
「それにしてもまだ地下があったとはねえ。開けられそう?ミゲルちゃん」
「……イヤ。鍵ガカカッテルノカ、ビクトモシナイ」

石板の床に取っ手のようなものはない。だからこそバレずに済んだようだ。

「ペレスはどうやって開けてたのかしらねぇ」
「彼の術式を使用してたのかも」
「カモシレナイナ。ドウスル?ブチ破ルカ」

ふう、と息をつきながらミゲルが立ち上がった。そこで乙骨は自分の刀を取り出し、ミゲルの代わりに扉の前へ立つ。

「下がってて下さい。僕が切ってみます」

一気に切る為、相応の呪力を込めながら刀をかまえた時だった。
視界が反転したかのように回った、と思った次の瞬間――乙骨は見たこともない場所に立っていた。

「……は?」

今まで地下の研究室にいたはずなのに、瞬きをしたかしないかの合間に景色が変わっている。

「嘘、だろ」

目の前に見える長い長い一本の通路を唖然としながら見つめる。まるで狐につままれたような気分だった。そして乙骨を更に驚かせたのは、今の今まで後ろにいたはずのミゲルとラルゥの姿がどこにも見当たらないことだ。

「どういうことだ――」

と呟いた時だった。目の前にまるで沸いたかのような白いノイズが走り、真っ白なフードを被った男が姿を現わす。
その男が言った。

<――オマエは誰だ>