あなたの温もりに誓う-28




ただララに会いたかった。優しい声で名を呼ばれたかった。大好きな彼女をもう一度抱きしめて、温もりを感じたかった。
それだけで――良かった。

意識が薄れる中で聞こえた誰かの声。視えた映像。
ふたりは何も悪くはないのに、理不尽に奪ってきた両親のせいで、理不尽に奪われた。
彼は彼女を生き返らせることだけを考えて研究に没頭し、その焦燥から隙が生まれて己の核を奪われた。その時点で人ではなくなっていたのかもしれない。
誰もいなくなった研究施設で、彼は最愛の女性のことだけを想いながら、長い長い年月を孤独に過ごしてきたのだ。
永遠に続くと思われた地獄は、現代の呪術師の手で遂に終止符が打たれた。

ああ、これでやっとララのもとへ行ける――。

最後に視えたのは、安堵の表情を浮かべるペレスだった。


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何だろう。とても悲しい。
じんわりと感覚が戻ってくる意識の中、頬の濡れる感触と僅かな刺激を感じたは、重たい瞼をゆっくりと押し上げた。

「――さん!さん!」
「ゆ……た……?」

声を出したつもりだった。なのに喉がカラカラに乾いて掠れたような音になる。
すぐ近くで懐かしいとさえ思う声が聞こえた瞬間、体に重みを感じて「う」と短い声が漏れた。

「良かった……!意識が戻って――」
「……ゆ、憂太く……ゴホッ」

やはり喉が渇いているのか、声を出そうと思った矢先に咳き込んでしまう。ただ自分に抱き着いていた人物が顔を上げた時、自然と頬が緩む。視界が霞んでよく見えないのに、それが乙骨であることはすぐに分かった。
乙骨の顔を見て思い出したのは、夢の中で会話をしたこと。そのあとの記憶は――やっぱりなかった。
だけど何かが終わったことは感覚的に分かる。乙骨も自分も帰って来た・・・・・のだと思った。

「ゆ……ゴホッゴホッ」
「あ、ま、待ってて。今お水持ってくるから!」

抱き着いてきた時も突然だった乙骨は離れる時も同じだった。すぐに寝室を飛び出していったかと思うと、手に水の入ったグラスと、もう片方にはミネラルウォーターのペットボトルを持って彼女の元へ戻って来る。
それをぼやぼやとした頭で理解しながら、自分は何故寝ていたんだろうと考えていた。そもそも、ここはどこ?と一瞬だけ混乱する。でも意識がハッキリしてくると少しずつ少しずつ思い出してきた。
ここはアフリカであり、自分は乙骨と共に"黒縄"を探す任務に来ていることを。

さん、これ飲んで」
「……ん」

自分で起き上がろうとしても全く力が入らなかった。だんだんと手足の指まで血が流れていくような感覚はあるのだが、動かすことが出来ない。そのことに気づいた乙骨は彼女の背中へ腕を入れ、起こしたあと枕で支えてくれた。
乙骨が言うには、が丸二日以上は寝ていたこと、精神だけが連れ去られたことを理由に挙げ、体が衰弱してるのではないかと説明してくれた。
とりあえずお水を飲んで、とグラスを口へ運ばれ、どうにか喉を潤す。よほど喉が乾いていたらしい。グラス二杯分を一気に飲み干し、そうすることで少し声が出るようになった。

「あ……ありがと……」
「会いたかった」

今度は優しくの体を抱き寄せた乙骨は、ホっとしたような弱々しい声で呟いた。飛ばされる前の記憶がにはない。でも今回は時間が経つにつれ、見せられたものが一つ一つ、ゆっくりと浮かんでくる。乙骨にはかなり心配をかけたようだ。

「リカちゃん……乙骨くんが送ってくれたんでしょ……?」
「うん……以前、兎の式を顕現させてたから、もしかしたらって」

言いながらも抱きしめてくる腕に僅かながら力が入る。話を聞けば乙骨の考えは正しかったようだ。ララの化身のような化け物に襲われかけたところをリカに助けてもらったんだと言われた時、乙骨はまたしても安堵の息を漏らした。
ララの何かと同調してしまい、の魂だけがララの意識の中へ引きずり込まれてしまったのだろうが、彼女のいた世界はペレスとも時々繋がっていたのではないかと考える。ペレスがの魂を壊して肉体を奪おうとしたのか、それとも魂そのものを奪おうとしたのか、今となっては分かるはずもないが、ララはペレスの魂を救いたくてを助けてくれたのかもしれないなと乙骨は思っていた。

「憂太くん……?」

彼女の頬を乙骨の髪がくすぐった。乙骨からはかすかに土埃と血の混ざったような匂いがする。嗅覚もハッキリしてきた証拠だ。

「もしかして……怪我してる……?」
「え?あー……少しだけだよ」

ほんの僅かに体が離れた時、見えた乙骨の顔は擦り傷だらけで、よくよく見れば着ている高専の白い制服もところどころが汚れていた。未だ思考はまとまっていないものの、確かにあの世界で乙骨と言葉を交わした記憶はある。その際、自分のそばにはペレスがいると言っていたことも今、思い出した。

「あれは……現実?もしかして戦闘で怪我を――」
「大したキズじゃない。ただペレスの力が消えた屋敷は必ずしも安全な場所になったわけじゃなかったってだけ」

意識がハッキリ戻った時、乙骨は地下の地下にあった研究室にひとりで立っていた。そこへミゲルとラルゥも入口の仕組みを解いて下りてきたのだが、そこへ一斉に呪いが湧いてきたのだ。

「そもそもあの屋敷で起きたことは話すこともタブーになるほど有名だったみたいだし、人々の恐怖の念を集めやすい場所なんだと思う。普通は呪いがわんさか湧いててもおかしくないけど、ペレスの力で抑えられてただけだったんじゃないかな」
「そっか……あ、それでペレスの力が消えた途端に呪いが沸いた……?」
「うん、多分。まあ後処理はミゲルとラルゥも手伝ってくれたから助かったけどね」
「……ラルゥ?」

初めて聞く名にがきょとん、とした時だった。大きなノック音と共に「憂太ちゃ~ん!お風呂沸かしたから入って~」という大きな声がドアの向こうから響いてきた。


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目覚めないが心配で風呂すら入れなかった乙骨は、久しぶりにシャワーを浴び、ラルゥが湯を溜めてくれたバスタブにゆっくり浸かったあとバスルームから出てきた。そしてふと思う。
女同士・・・って不思議だ、と。

「え、ラルゥってばオムレツ焼くの上手い!」
「でしょー?こう見えて私、お料理全般超得意なの」
「そうなんだー。わたしは全然ダメー」
「あら、憂太ちゃんの為に練習しなさいよ」
「……」

まるで昔からの親友のように話すふたりを唖然としながら見ていると、退屈そうにビールを煽っていたミゲルが乙骨に気づく。目が合ったところで肩を竦めたのはミゲルも同じことを考えていたからだろう。ミゲルはそのまま乙骨に向かってこっちへ来いと手招きをした。
濡れた髪をバスタオルで拭きながら苦笑いを零した乙骨は、素直に従いソファの方へ歩いて行く。キッチンの方では相変わらず女子同士(?)の会話は盛り上がっているようだった。

「アノ二人ハ知リアイカ?」
「ははは……違うでしょうね」

ミゲルの向かいにあるソファへ腰を下ろし、キッチンの方へ視線を向ける。先ほどミゲルの仲間だと紹介されたラルゥが相変わらずのノリで挨拶をして、すっかりに懐かれてしまったようだ。

さん人見知りしない人だから」
「フン、ウルササガ二倍ニナッタガ、マァイイ。ソレヨリ五条ニハ報告シタンダロウ?"黒縄"ノコト」
「はい。昨日少しだけ。向こうも何か問題が起きたようで詳しいことはあとでってことになりましたけど」

結局、湧いてきた呪いを始末した後、屋敷中を探し回ってもペレスが持っていたと思われる"黒縄"を発見することは出来なかった。あの地下でレイターがペレスを殺害し、脳の摘出手術をしたと仮定して、その時点でペレスが持っていたであろう"黒縄"は確実にあの屋敷にあったはずなのだ。しかし乙骨が見つけた地下の地下にさえ、それらしきモノはなかった。

「やはりレイターに見つかって奪われたんでしょうか」
「ソレモ可能性ノ一ツダガ……ソウナルト探シヨウガナイ。アメリカノ研究施設ハ地下深クデ廃墟ニナッテルンダロウシナ」
「そうですね……でもペレスの脳があった地下の部屋は発見されずに残ってたわけだから、もしかしたら敷地内のどこかに……」

と言いかけて乙骨は言葉を切った。もし仮にその場所のどこかに"黒縄"があったとしても、もう誰も見つける術はないのなら探す必要はない。五条は"黒縄"を持ち帰れとは言わなかったからだ。

「いや……もうペレスの"黒縄"は諦めて他のを探します」
「……ハ?マダ探スノカ」

今回の場所こそ一番可能性があったと考えていたミゲルは、これで諦めて乙骨が日本へ帰ってくれるものだと思っていた。なのにまだ捜索するというのか、と半ば呆れながら目の前の乙骨へ視線を向ける。早く解放して欲しいとでも言いたげだ。
ミゲルのそんな気持ちを察したらしい乙骨は「念のためですよ」と付け足した。

「完全にないと分かれば、すぐに帰国します」
「ト言ワレテモ、モウ心当タリハ少ナイゾ」
「その少ない可能性も全て潰したい。というわけで……また情報を宜しくお願いします」
「……ハア」

にっこりと微笑む乙骨を見て、ミゲルは呆れ顔で溜息を吐く。まだこのバカップルに付き合わなければいけないのか、という顔だ。

「おまたせー」

そこへが美味しそうな料理を運んできた。動かなかった体も一時間ほど休んだことで無事に感覚が戻ってきたようだ。

「見て、憂太くん。ラルゥが色々作ってくれたの」
「すっかり仲良しだね」
「うん。わたしの意識がなかった間のこと教えてもらったりしてたら、すっかり意気投合しちゃった」

の見たもの、乙骨の見たもの。それらを合わせていけば、ララとペレスに起こった悲劇を紐解くことは出来た。長い年月、ふたりの魂がこの世を彷徨っていたことを思うと、と同様、乙骨もまた胸が痛んだ。どうしても折本里香のことを思い出す。

「人の想いってなかなか消えないものなんだね」

乙骨の隣に座ったがふと呟く。同じようなことを考えていた乙骨は不思議なものだなと思った。
肉体は消えるのに、誰かを強く想う心は残滓のように残り続けて、現世のものに干渉さえ及ぼすことがある。
今回の件で百年も前の悲恋を暴くことになるとは思わなかったが、同時に大切な人の命が脅かされた事実は乙骨に暗い影を落とした。
幼い頃、大好きだった女の子を目の前で失い、訳も分からず呪ってしまった。でも今はもう何も出来なかった頃の小さな子供じゃない。もう二度と、あんな思いをしたくはなかった。

「憂太くん……?」

細い手を強く握りしめると、は不思議そうな顔で乙骨を見上げた。

「どうかした……?何か元気ない」
「ほんとに……無事で良かったなと思って」
「……憂太くんのおかげだよ」

の方も乙骨の手をぎゅっと握って微笑む。その笑顔を見ていたら自然とキスをしたくなった。こうして触れあうのは久しぶりな気さえする。しかしへ顔を近づけた瞬間、向かい側から「イチャイチャスルナー!」という文句が飛んできた。すっかり存在を忘れていたミゲルだ。
ペレスの屋敷で大量の呪いと戦ったことと、帰りの長い移動も重なり、ミゲルは相当疲れているらしい。サングラスの奥の目がつり上がっている。

「ははは……すみません、つい」
「怒ると余計に疲れるよー?」
「誰ノセイダ!」

呑気に突っ込むを見たミゲルの額に筋が浮き出た時。

「はいはい、ケンカはやめて。夕食が出来たわよ~」

ラルゥの明るい声が部屋に響いた。


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『――なーんだ。ミゲルは帰っちゃったんだ』

五条はつまらなそうに笑いながら呑気にコーヒーを飲んでいる。ふたりが帰ったあと五条に電話をした乙骨がペレスの件や、引き続き"黒縄"を探す旨を伝えたところだ。

「五条先生に電話するって言ったら速攻で帰っちゃいました」
『僕も嫌われたもんだねー。あはは!』

一年前の"百鬼夜行"でボコボコにし、半ば強制的に今回の任務を手伝わせているのだから、ミゲルが五条を避けるのは当然だ。ミゲルの心情を察した乙骨の笑顔がかすかに引きつっていく。
しかし五条はふと乙骨を見ると『それより今回の件だけど』と言葉を続けた。

『よく解決したね。も無事に戻って来られたようだし僕も安心した』

五条に言われ、乙骨はちらりとのいるバスルームへ視線を向けた。

「……はい。でもきっとララの助けがなかったら危なかった」
『うん。でもに彼らの残穢らしきものは一切残ってないからもう大丈夫だよ』

先ほどと少しだけ話した五条は、彼女の中にもう脅威はないと確認してくれていた。

『アメリカのどこかにあるっていう元研究施設を探させてる。でかい組織だったらしいから痕跡はいくつも資料に残ってるし、すぐ見つかるだろ。そっちも見つけ次第、破壊するから』

呪術界からすれば、たった百年前の出来事。自分達の脅威になり得る組織のことは把握した時点で記録を残してあるようだ。そっちは五条に任せておけば大丈夫だろう。
あとは"黒縄"がどこかに残っていないか確認する為にも、もう少しだけ捜索を続けるのが乙骨の仕事だ。
ミゲルはブツブツ言っていたが、夏が終わる前にはこの捜索も終わるだろうと乙骨は思っていた。

「ああ、そう言えば……昨日そっちでも問題が起きたような話をしてましたけど大丈夫なんですか?」

ふと思い出して尋ねると、五条は珍しく表情を曇らせて溜息を吐いた。

『ああ。まあ……前に面倒なことが起きたって話したでしょ』
「え?えーと……」

そんな話したっけ?と思いつつ、乙骨がガシガシと頭を掻く。ここ最近はのことが心配で、あまり他のことに気が向いていなかった。
五条は苦笑交じりに『に最初の異変が起きた頃にチラっと話しただけだけど』とカメラの方へ身を乗り出す。

『実は恵に特級呪物の回収を頼んでたんだけど、その際に手違いで一般人がその呪物を手に入れたあげく、飲み込んじゃってさ』
「……は?呪物を……飲み込んだ?」

思わぬ一言に驚き、乙骨は目を丸くした。乙骨も呪術師になって一年弱。あまり呪物に詳しいとは言えないが、あれって飲み込んでもいいものだっけ?くらいの疑問は湧く。
そんな乙骨の気持ちを察したのか、五条は詳しくその経緯を説明しだした。

「……じゃあ、その虎杖悠仁?という少年が、伏黒くんを助ける為に両面宿儺の指を飲み込んだと……そういうことですか」
『うん、そういうことー。ウケるよね』
「い、いや、笑ってる場合じゃないですよね?!大丈夫なんですか、その子!」

両面宿儺と言われても乙骨にはそれがどれほどヤバいものなのかは分からない。ただ特級呪物に指定されてるのならば、体内に入れていいものじゃないことくらいは理解できる。
案の定、「まあ大丈夫ではないね」と五条は笑った。その状況でも笑っていられるのがある意味羨ましいとさえ思う。

『でも悠仁は宿儺に乗っ取られたわけじゃないんだ。完全に自我を保ててる。だから死刑宣告はされたけど僕が上層部に掛け合って猶予をもらった』
「え……それって……僕の時と同じ?」
『うん。まあ、そうだね』

まさか自分と同じ境遇の人間が現れるとは思わず、乙骨は言葉に詰まった。つい自分と重ねて見てしまうのは仕方のないことだ。しかし五条の話には続きがあった。

『でも……憂太の時と違うのは上層部が実力行使に出てきたこと』
「え……実力行使ってどういう……」
『悠仁は殺されたんだ。多分……上が仕掛けた罠で』

今度こそ、乙骨は言葉を失ってしまった。


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「――え?じゃあ……その子、生き返ったの?!」

思わず乙骨を見上げると、強い熱風がの顔に降りかかる。

「あっつ……!」

ドライヤーをかけていた乙骨は「あー動かないで、さん」と慌ててスイッチを切った。
今はの髪を乾かしている最中。五条から教えてもらった話を彼女にも聞かせているところだった。

「はい、乾いた」
「あ、ありがとう」

簡単にブローを施してもらい、は笑顔で乙骨にお礼を言う。その際ふと目が合い、お互いに照れ臭そうに視線を泳がせたのは、初めて結ばれた夜以来となるふたりきりの時間だったからかもしれない。

「え、えっと……どこまで話したっけ」
「え?あ、その宿儺の指を食べちゃった子が殺されたけど、何故か生き返ったってとこまで、かな」
「ああ、そうだった」

ドライヤーをしまった乙骨はの隣に座り直すと、先ほど彼女の為に作ったアイスコーヒーをグラスに注いでそれを手渡した。

「もう少しで家入さんに解剖されるとこだったらしいんだけど、直後に急に生き返ったみたいで、さすがの五条先生も驚いたんだって」
「そ、そりゃそうだよ……。この世界でも完全に死んだ人が生き返ったなんて話聞いたことないもん。しかも心臓を抜き取られてたんでしょ?え、それって受肉した宿儺の力ってこと?」
「うん。五条先生が多分そうだろうって。まあ殺したのも一時体を乗っ取った宿儺だっていうし、何だかの交換条件があったのかもしれないって言ってた」
「こわ……宿儺が受肉したってことだけでも相当ヤバいのに……っていうか普通食べないよ、あんなの」

術師の家系であるは当然のことながら、両面宿儺の脅威を幼い頃から聞かされていた。その宿儺の指を口にする人間がいたこと自体、未だに信じられないようだ。

「うーん……先生はその器になったっていう虎杖くん自体は底抜けに明るい子で自我を保ってる分には平気だって言ってたけど……それ以外に不穏な動きをする特級呪霊が数体現れたりして、そっちも気がかりみたいだったな」
「え……特級呪霊?そんなものが数体も出現したの?滅多に遭遇しないレベルなのに……日本、大丈夫かな」

は仲間のことが心配なのか、不安そうにスマホを弄っている。出来ることなら綺羅羅や金次に電話をしたいんだろう。でも五条から虎杖悠仁の生存は口外するなと言われているので、乙骨もパンダ達には連絡できないでいた。

「ごめんね、さん……。こんな話聞かせなきゃ良かったね」

俯く彼女の頭を撫でながら乙骨が謝ると、彼女はそんなことないよ、と微笑んだ。

「それに五条先生もいるなら日本は大丈夫だと思うし……」
「あ……そのことなんだけど……」

ふと思い出したように乙骨の笑顔が引きつっていく。

「近々五条先生、こっちに来るんだって」
「えっ何で?ペレスの件?」
「いや……そっちはもう大丈夫だろうって言ってた。アメリカの施設は他の人間に探させてるみたいだし」
「じゃあ何で先生が来るの?」
「うーん……僕もよく分かんないんだ。最後に"あ、今週末くらいにそっち行くから"って言って電話切っちゃったから」
「えー……ほんと五条先生そういうとこだよ……。まさか遊びに来るつもりじゃないよね」

は五条の言葉足らずなところを怒りながら「電話で聞いてみようか」とスマホを手にする。でも乙骨は苦笑交じりにその手を止めて彼女を抱き寄せた。

「ゆ、憂太くん?」
「そんなのあとでいいよ」
「え?」

手からスマホを奪われて顔を上げると、顔を傾けた乙骨のくちびるがのと重なる。でもそれはすぐに離れた。至近距離で見る乙骨の瞳が、ほんのり熱を宿してるように見えて、の頬がじわりと熱くなる。こうして触れあうのは随分と久しぶりの気がした。

「今はさんにキスしたい」
「……ゆう、」

ほんの数ミリしか離れていなかった互いのくちびるが再び重なり、仄かな熱を持つ。の吐息ごと深く飲み込むように、乙骨は濡れたくちびるを貪った。
たった三日、意識がなかっただけなのに、何年も会っていなかった気がするくらいに彼女のくちびるが甘く感じる。肉体だけがそばにあったところで、こうして心を通わせられないのなら、いないのと同じだ。
目の前での意識を奪われた悔しさを思い出すと、今でも心が凍り付くようで、乙骨は彼女を強く抱きしめた。
もう二度と、さんを危険な目にはあわせない――。
その為に自分が何をすべきかは、もう分かっていた。