
Heart Beat.06
2018年、6月。
釘崎のイカレ具合をテストした後、五条一行は最初の予定通り六本木へやってきた。
そこで五条が目に入れても痛くないほど、かどうかは知らないが、誰よりも溺愛している恋人、のリクエストを受け。
しゃぶしゃぶが美味しいという高級お食事処"花水亭"に皆を案内した。
外装はシックで見るからに高級そうな佇まいのその店を、虎杖と釘崎は口をポカンと開けながら見ている。
そこへ慣れた様子で入っていく五条と、そして伏黒に、慌てて二人もついて行った。
「いらっしゃいませ」
上品な着物に身を包んだ女性が、一行を出迎え、五条を見るなり、「あら、五条さまとさま」と笑顔を見せた。
どうやら五条はここの常連らしい。その女性は「今日は生徒さんもご一緒なんですね」と後ろにいる三人にも笑顔を向ける。
「どうも。五人なんだけど入れそう?」
「もちろんで御座います。いつものお部屋で宜しいでしょうか?」
「うん」
「ではご案内致します」
そんなやり取りをして、着物の女性は五条とを店内へ招き入れる。
伏黒、虎杖、釘崎もその後に続いた。途中、他の女性スタッフからも深々と頭を下げられ、「いらしゃいませ」と声をかけられた。
その女性もまた着物姿で、ここが東京というのを忘れそうになる。
「激しく大人な空間…俺たち浮いてね?」
全てに和がちりばめられている綺麗な通路を歩きながら、虎杖が小声で伏黒に話しかける。
が、伏黒は「もう慣れた」と苦笑気味に呟いた。
中学に上がった頃から、伏黒も五条やにこういった食事処は何度か連れて来てもらっている。
「へえ、凄いな、伏黒。俺、初めてだから緊張するわ」
「俺も最初は緊張したよ。でも五条先生、こういうとこでも全然変わらないし緊張する余裕もなくなった」
「え?それってどういう…」
虎杖が言葉の意味を尋ねようとした時、それまで大人しくしていた釘崎が「は~素敵」と瞳を輝かせながら呟いた。
お目当ての寿司が自動的に却下され、先ほどまでぶーたれていた釘崎だったが、憧れの六本木、それも高級店に連れて来てもらった事で、完全に怒りモードからうっとりモードへシフトしたようだ。
「五条先生、サイコー ♡」
「「………(さっきまでエロバカ目隠しのヤローって言ってただろ…)」」
ころりと態度を変えた釘崎を見て、半目になる伏黒と虎杖。
その時、先に入ってた五条が、通路奥の個室から顔を出した。
「こっちこっち」
手招きをしてくる五条に気づき、三人も急いでその部屋へ入ると、釘崎は更に瞳の輝き度が上がった。
「素敵な部屋…!!」
そこも店内同様、シンプルだがシックなグレーの壁で統一された和モダンな内装。
少し広めの部屋の真ん中には余裕で10人は座れるテーブルがあり、掘り炬燵になっている。
そして壁際には鮮やかな花が飾られていて、シンプルな部屋によく映えていた。
「さ、どうぞ。上がって下さい」
先ほどの女性スタッフーーどうやら店長らしい――に促され、虎杖と釘崎も靴を脱いで適当な場所へ腰を下ろした。
五条とは壁際の一番奥の席へ並んで座り、伏黒たちは二人から少し離れて手前の虎杖の隣席へ座る。
この大人な空間に制服を着た学生がいると、少々奇妙な光景だ。
「何か落ち着くなあ、ここ」
部屋の中を見渡し、ふと虎杖が呟いた。
それには店長だと言う女性も嬉しそうに「ありがとう御座います」と頭を下げる。
この店は日本を代表する著名人が手掛けたこだわりの大人空間を演出しているのが売りだそうで、スタイリッシュで洗練されたシンプルな佇まいの中で料理を楽しんでもらいたいというコンセプトのもと作られたという。
創業から300余年、香づくり一筋の京都老舗、"松栄堂"の白檀を使用した店内は、伝統的且つ華やかな香りが漂う空間だった。
「じゃあ前に頼んだコースを五人分ね」
「"極み"で御座いますね。畏まりました。本日は黒毛和牛のA5ランクとなっておりますが宜しいですか?」
「構わないよ。はそれも好きだから。あ、あと今日は食べ盛りの子達ばかりだから早めコースで」
「そうでしたね。では、少々お待ち下さい。只今、準備の為スタッフが参ります」
店長は五条のファーストな注文を心得ているのか、楽しげに笑いながら頭を下げるとすぐに個室を出て行った。
それを見送っていた虎杖が「先生、"極み"ってどんなの?」と不思議そうな顔で尋ねる。
「ああ、しゃぶしゃぶの他に特大のズワイガニがつくの。はカニも好きだから。ね?」
「カニも大好き!お肉と同時にカニまで食べられるなんて最高よね。それにお肉も食べ放題だし」
「食べ放題ではないけどね。が食べられるだけ頼んでいいよ ♡」
「やったー!」
「………(とことんファーストだな、この人)」
が嬉しそうに喜んでいるのを見て、五条の顏が更に緩んでいく。
そしてそれを見ている伏黒の目は、昼間同様、極細になっていった。
それは虎杖と釘崎も同様だったが、思った以上にいいお店へ連れて来てもらった事で、今はその程度のラブトークは気にならない。
むしろ大目に見てやろう的な気持ちで、肉が届くのを待っていた。
そこへ着物を着た女性スタッフが数名、先付なるものを人数分、運んでくる。
「何、これ」
「白胡麻豆腐と美味出汁の山葵で御座います」
キョトンとしている虎杖と釘崎に、女性が説明をする。
何とも上品な器に乗せられた豆腐だ、と思う。
するとすぐにまた別のスタッフが何やら運んで来た。
「凌ぎは鯖の巻きずしで御座います」
奇しくもここで寿司まで出て来た。
そして次に造り、と呼ばれる"鱧落とし帆立"、"梅肉ジュレ掛け"等々、どんどん運ばれてくる。
普通、コース料理は客の食事のペースを見ながら、ゆったり運ばれてくるものだが、今日は若人がいるという事で巻き巻きで運んでくれてるらしい。
そしてふとを見れば、運ばれて来たものを次々に口へ運んで、パクパクと美味しそうに食べている。
その見事な食べっぷりに、虎杖と釘崎は目を奪われた。
「すげー食べんのな、さんって」
「ほんと、あれだけ細いのに」
「まあ、は昔から大食いだから。でも彼女の力の問題でもあるっつーか」
「力って?」
伏黒の言葉を聞き、そこで釘崎が興味を示す。
呪術高専で教師をしているなら、やはりそれなりに力があるんだろう、という好奇心だ。
だが伏黒と虎杖は互いに顔を見合わせると、「その話はまた今度だな」と苦笑した。
「えー何でよ!」
「いや…長くなるし、まあ…オマエ、衛生的とか言いそうだし、また落ち込むから…」
「は?何が?」
伏黒の説明に釘崎は眉をひそめたが、それ以上話す気はないといった空気を出され、仕方なく運ばれて来た料理へ箸を伸ばした。
「うんまっ!」
最初は豆腐なんか、と思っていたが、口に入れて驚いた。
口内で蕩けるように崩れ、その後から香ばしい胡麻の香りが追いかけて来て何とも言えず美味。
その他にも巻きずしや、鱧と帆立も初めて食べる美味しさだった。
その時、「はい、あーん」というバカップルあるあるなアレが聞こえて来て、釘崎の手がピタリと止まる。
恐る恐る奥の席を見れば、五条がにカニをつまんで食べさせようとしている光景だった。
「じ…自分で食べられるってば…」
「いいから、いいから。僕が食べさせてあげる」
「でも…」
同じ室内に生徒達がいるせいなのか、はどこか恥ずかしそうに三人をチラチラ見ている。
伏黒はそんな彼女を気遣うように視線を向ける事はせず、食べることに集中しだした。
「オマエら、あんま見るな」
「え、だって、あーんとか聞こえたら見ちゃうよね。虎杖もそうでしょ?」
「え?あ、まあ…」
「分かるけど、これから五条先生たちの引率受けるなら見て見ぬフリを覚えた方が心の平穏を保てるぞ」(!)
意外にも真面目な顔で言う伏黒に、虎杖と釘崎も互いに顔を見合わせる。
すると、またしても「はい、あーん」という五条の楽しげな声が聞こえてきて、二人はついそっちへ視線を向けてしまった。
は恥ずかしそうにしながらも、五条の差し出すカニをパクリと食べ、「美味しい…」と嬉しそうな笑顔を見せている。
その笑顔を見て、五条は更に口元を緩ませ、「次は何食べたい?巻きずし?」と自分の食事より、に食べさせる事だけに従事しているようだ。
その姿はどこか餌付けをしているように見えなくもない。
「……ほんと大丈夫なの?あの先生について」
「いや、大丈夫でしょ。だって最強つってたし」
「最強ぉ~?どこら辺が?恋人バカにしか見えない」
虎杖の説明に釘崎が呆れたように肩を竦める。
が、伏黒は苦笑交じりで顔を上げると、テーブルに頬杖をついた。
「じゃあ今度五条先生の任務にくっついて行ってみるといい」
「はあ?何それ」
「そうすれば嫌ってほどわかるよ。あの人がいかに厄介な人かって」
「…厄介?今でも充分、あのイチャつきが厄介なんですけど」
「そういう意味じゃなく。まあ、あれも充分そうだけど」
伏黒はそう言って笑うと、の隣で優しい笑みを浮かべている五条を見た。
軽薄でいて適当。デリカシーの欠片もない。
伏黒が初対面で感じた五条の印象だ。
だけど―――敵を前にした時の五条を見て、衝撃を受けた。
"現代最強"と呼ばれる彼の実力は紛れもなく本物で。
どれだけ腹の立つ相手でも、そこは認めざるを得なかった。
そして悔しい事に、気づけば羨望の眼差しを向けてしまった過去の自分を思い出す。
(だからこその"厄介"。どれだけ苛立たされても、絶対に敵う事のない相手だ)
それは五条と一度でも関わった人間なら理解出来るだろう。
「で、その厄介で最強な先生と彼女って高専で知り合ったの?」
ふと気になったのか、釘崎が伏黒を見た。
「え?ああ…まあ。そうみたいだな。二人も元高専生だし」
「ふーん。じゃあ、やっぱ五条先生が彼女に一目ぼれしたとか?めちゃくちゃ綺麗だし。性格はまあ…アレだけど」
苦笑気味に言ってから釘崎はの方を見た。
美人でいて、時折見せる表情や仕草なんかは女の釘崎から見ても色気がある。
でもそれは色気むんむんといったセクシーさとかではなく、どこか可愛らしいもので、何となくアンバランスな印象を受けた。
それもこれも、あの無邪気な性格ゆえなのかもしれないな、と釘崎は思う。
会った時から感じていたが、生徒の自分達と一緒になってはしゃいでる姿は、教師と言うより同じ生徒、といった感じに見えた。
そしての境遇を聞いて釘崎が全て納得するのは、もう少し後の事だ。
「…ん?何、見てんの?」
それまでしか視界に入れてないんじゃないか、と思っていた五条が、ふと三人の方を見た。
三人がコソコソ話してはチラチラ見ていたのを気づいたようだ。
「いーえ、別に。ただ仲がいいなあと思って見てただけで」
釘崎が顔を引きつらせながらも笑顔で応えると、五条は「羨ましい?」と言っての肩を抱き寄せた。
それには釘崎も更に引きつったが、本音を言えば確かに羨ましかった。(!)
(クソ…東京に来たからには絶対!ちょーイケメンの彼氏みつけてやる!)
内心そう思いながら同級生たちを見て、コイツらは除外、と勝手に決めていた。
その時、虎杖が素直に「羨ましいっす」と言ってニカッと笑う。
「二人は最初、戦ったんだったっけ。まあダイアナに邪魔されたっぽいけど」
「うん、そーだよ」
虎杖の質問に五条が笑顔で応える。
は言わずもがな、カニに夢中だった。
「ダイアナ?」
釘崎は何の事か分からず、首を捻っていたが、虎杖は昨日聞いた話を思い出しながら、
「でもさー。最初そんな出会いで、どうして付き合うようになったの?五条先生はうっかり惚れちゃったって言ってたけど」
今はこんなに仲がいい二人でも、過去を少し聞いていた虎杖は素朴な疑問をぶつけた。
その質問に五条は笑うと、
「そんなの気になるわけ?」
「そりゃ、まあ…。恋愛素人なんで」
「ははっ。自分で言っちゃってるよ」
「っていうか、俺からすると最初のキッカケとか気になるかも」
「最初のキッカケ?」
「うん。うっかり惚れちゃってって言うなら、そのキッカケというか…」
「あー」
虎杖の質問に五条は天井を見上げるようにして、その後に隣にいるを見た。
は相変わらずカニに夢中で、五条は軽く吹き出すと、「美味しい?」と彼女に分かり切った質問を投げかけている。
「ん?おいひいよ」
「なら良かった」
カニを頬張りながら頷くを見て、五条はへにゃっとしたように表情を崩すと、何とも優しい顔で彼女の頭を撫でている。
恋人の前でも変に気取らず常に自然体、感情を体いっぱいで表してくるが、可愛くて仕方ないといった顔だ。
「キッカケ、ね」
今は周りよりも食べる事に夢中のを見ながら、五条は軽く首を傾げた。
は基本、楽観的で美味しい食事と酒に目がなく、特技は散財。欲しい物があれば何でも買うし、そのおかげで部屋の中は常に物で溢れてる。
一度、それで自称父親代わりの夜蛾に叱られ、キャッシュカードとクレジットカードを取り上げられたあげく、お小遣い制にされた事で、五条に泣きついた事もある。
お洒落が好きで、ヒールとダンスと歌が好き。死なないからって車を運転させるとスピード狂。九十九の影響でバイクも乗れる。
ピアノもギターも弾ける。が、ドラムは叩けない。
だいたいの事は何でも出来る方だが、漢字を書くのと料理は苦手。
以前、五条に朝ご飯を作ろうとしたら卵焼きがスクランブルエッグになったし、米も洗剤を入れて洗う始末。
誰もが作れる簡単なカレーでさえ、何故かスープカレーになって出て来た事もある。
半分ヴァンパイアで太陽を浴びても平気だが、人よりは眩しく感じるのでサングラスは必須。惑わし効果もコレで回避。
強くて頭のいい男が好き。でも彼氏は作っても深入りしない。理由は不老不死だから。
あの頃のは誰かを本気で愛してしまう事を、酷く恐れていた。なのに懲りずにまた恋をしてしまうからタチが悪い。
は結局、そう。とても寂しがり屋な女の子だった。家族に置いて逝かれた、小さな少女のまま。
「あっ」
あれこれの事を考えていた五条だったが、そこで遠い昔、に少なからず心を動かされたキッカケがあった事を思い出した。
「何?何か思い出した?」
五条の様子に気づいた虎杖が身を乗り出す。
それをさりげなく伏黒も観察していた。
「えーと、あれはと二人で地方に泊りがけの出張に行った時の事なんだけど…」
「ふんふん」
「その時、は彼氏に振られたって言って落ち込んでてさ」
「彼氏?五条先生と付き合ってたんじゃないの?」
虎杖が不思議そうに尋ねると、五条は苦笑しながら「いや、全然」と首を振った。
「その頃の僕は恋愛よりも自分の術式100パー使いこなせるようになる為に必死だったし、はで深入りしないくせに恋多き人だったから」
「そーなの?じゃあ何がどうなって、こうなったわけ」
「最初の小さなキッカケは…その出張かな、やっぱり」
「何があったの?」
虎杖は興味津々といった様子で五条を見つめる。
五条はそんな虎杖を見て軽く笑いながら、遠い過去を懐かしむように、少しずつ語りだした。
2009年、10月。
一つ目の任務を完了させた後、山を下りた三人は安田が取ってくれたという温泉宿にやってきた。
それほど大きくも立派でもないが、この小さな町の中では一番だと言う。
自分の力でずぶ濡れになったはすぐに温泉へ入りたい、と言って、宿のスタッフに案内され風呂場へ。
五条と安田はとりあえず部屋で休む事にした。
五条にお茶を淹れた安田は次の呪いの資料を渡すと、軽く息を吐いて座った。
「先ほどのよりはコッチの方が格上らしいんですが、"窓"の報告ですと先月辺りから数十人ほど被害を受けたようです」
「へぇ…"鳩人間"ねぇ…ふざけたネーミングだな」
肘をつきながらお茶を飲みつつ資料を眺めていた五条は、軽く吹き出した。
「鳴き声が"コレダモンナ"ってウケる。絶対も笑うだろ、これ」
「はあ…。で、でも結構、大きいとの話ですし、その情報よりはふざけた呪いでもないような気が…」
安田はどこか怯えたような顔で額の汗を拭いている。
"鳩人間"は元々山形県にて古くから伝承されてきた妖怪らしい。
魔界の使いで人間が脳髄を鳩のものと入れ替えられて誕生したとされている。
人間の意識と動物の狂暴性を持ち合わせ、怒り狂った時には破壊衝動に支配され、村を破壊してまわったと記載があった。
鳩人間の全長は50メートルほどで羽ばたきは一瞬で木造住宅を吹き飛ばし、口から吐く光に当たった物は爆発するかドロドロに溶けてしまうようだ。
「まあ、デカくても何とかなるっしょ。さっきのも巨大だったけどしょぼかったし」
「はあ。まあ五条さんとさんでしたら余裕かとは思いますが…」
「で、これは明日だっけ」
「そうです。なので今夜はゆっくり休んで下さいね。私も温泉に入って休ませて頂きます」
「あーうん。安田さんもお疲れ」
「では私はこれで」
安田は軽く頭を下げると、自分の部屋へと戻って行った。
今時期はシーズン前だからか、客もまばらで楽に三部屋取れたようだ。
「さて、と。まだ午後5時過ぎ?温泉入るのはいーけど、寝るには早いし…」
ケータイ画面を眺めながらボヤくと、五条は安田の淹れたお茶を一口飲んだ。
特に上手くもないただの緑茶だが、テーブルの上には饅頭が乗せてある。
甘党の五条は当然のように手を伸ばした。
「うま。帰りは温泉饅頭でも買ってこ」
この場合、誰かの土産とかでなく。もっぱら自分のオヤツ用だ。
その時、メールの着信音が鳴り、ディスプレイを見れば"硝子"となっている。
珍しいな、と思いながら開くと、そこには『温泉饅頭、よろしくー(^ε^)-☆Chu!!』というメッセージがあった。
「ったく。誰かに聞いたな、硝子のヤツ」
苦笑しながらケータイを閉じると、もう一つ饅頭に手を伸ばす。
「僕がお土産買っていった事ないの知ってるクセに」
普段から出張の多い五条はよく土産を頼まれたりするが、殆どスルーで終わらせている。
そのくせ自分のオヤツ用は買うので、「ケチ」と言われたりするが、別にケチって買わないわけじゃなく。
単にいつも忘れて自分が食べたい奴だけ買ってるだけだった。
それを知ってる硝子はある時から、こうして五条が忘れないようメールで催促してくるようになった。
多分、帰りの日にちが近づいたら、もう一回くらい土産買って来いメールが届くだろうな、と五条は思った。
その時、ノックをする音が聞こえて、ふとドアの方へ振り向く。
「悟ー?いるー?」
「?」
風呂から上がったのか、と思いつつ、すぐにドアを開けると、そこには浴衣を着たが立っていた。
湯上りらしく長い髪をアップにして、頬もほんのりピンク色に染まっている。
一言で言えば、やたらと色っぽかった。そして最悪な事にサングラスはしていない。風呂上りなのだから当然だ。
「悟?」
「あ、ああ。何?飯ならまだだけど」
食事は宿の方に頼んで、五条の部屋に運ぶよう言ってある。が、食事の時間までまだ一時間ほどあった。
だがは「違うよー。明日祓いに行く呪いの資料、安田さんに目を通しておいて下さいって言われたの。悟が持ってるんでしょ?」と唇を尖らせた。
そして五条を押しのけて入って来ると、テーブルの上にある資料を手に取っている。
「何これ。鳩…人間?Pigeon human....ぷっ!コレダモンナって鳴く呪い?"This is it"?ぷぷ…っ」
案の定、早速そこで笑っている。しかも、いちいち英語に直してそっちの方が実感が沸くのか、更に笑っている。
五条は苦笑いを浮かべながら中へ戻ると、は未だ「コレダモンナ…ぷははっ」と一人でツボっていた。
「笑いごとじゃないから。一応、一級扱いだよ、それ」
「わ、分かってるけど…ネーミングが…鳴き声が…」
「いや、分かるけど」
人が何かにツボって笑っている時、何故かそれが他人に伝染する事がある。
この場合の五条も例外ではなく、が笑い転げている姿を見ていると、だんだんジワってきた。
「や、やめろって…ぷ…っ」
「何がー?悟だって笑ってるくせにー!ぷぷぷっ…」
「が笑うからだろーが!」
意思とは関係なく、笑うまいと思えば思うほど頬が緩んでくる。
はすでに涙を浮かべながら笑っていて、それが余計に五条の笑いのツボを刺激してきた。
「な…泣くほど…笑うなって…クックック…」
「だって…コレダモンナー!って鳴くらしいよ?」
「やめろ!その鳴き声は言葉に…すんな…って…ぷっぁはははっ」
すでにテーブルを叩きながら笑い出したに、五条も笑いすぎて涙が浮かんで来た。
サングラスを取り、指で拭えば、笑っただけでこんなに出るのかと思うほど涙が溢れている。
「あー無理!腹痛てぇ~っ」
畳の上に寝転びながら腹を押さえている五条を見て、が更に笑う。
今度は五条がツボっている姿にがツボり、抜け出せない笑いのループにハマっていた。
誰かが部屋の前を通っていたなら、男女の大爆笑している声を聞いて何事かと思うだろう。
「あー面白かった。っていうか悟、笑いすぎ。人に泣くほど笑うなって言って自分も泣いてるじゃない!」
「のせいだろーが。ったく…あ~疲れた…」
本気で笑うと人は疲れる、という事を、五条はこの時初めて知った。
そして腹筋が痛い。普段使う筋肉と笑った時に使う筋肉が違うなんて事も知らなかった。
多分、こんなに涙が出るくらい笑った事は、これまでなかったな、とふと思う。
しかも祓うべき対象の呪いネタで、ここまで爆笑する術師はまずいない。
「はーには敵わないわ……」
「何が?」
「…呪いの鳴き方だけで、ここまで僕を疲れさせるほど笑わす女はくらい」
「そーなの?」
「そーなの」
寝ころんだまま、目の前に座っているを見上げた。
少し落ち着いたのか、今は不思議そうに五条の顔を見ている。
「どうした?僕の顏に何かついてる?」
「ううん、悟の…碧い眼が涙で潤んでキラキラしてるから綺麗だなって」
「…も同じだよ。赤い瞳がルビーみたいにキラキラしてて凄く綺麗」
「あ…っていうかサングラス忘れて来ちゃった…」
一瞬、目を合わせて言った五条の言葉に、は別の方へ意識が向いたようだ。
「ご、ごめんね。私こっち向いてる」
そう言って背中を向けるに、五条はふと笑みが零れた。
そして自然に"綺麗"なんて言葉を吐いた自分が、ちょっとだけ気持ち悪いと思う。
これまでナンパした相手に嘘で言った事はあっても、今みたいに無意識で言った事はない。
「ま、でもそんなに笑えるだけ元気が出て良かった」
「え?何が?」
五条に背中を向けたまま、が訊いた。
そこで先ほどが言っていた事を、五条も訊いてみる。
「振られたって言ってたけど…何で?一週間前はフツーにデートしてたよね」
「あ…ああ、そのこと…」
「まさかダイアナが暴走したとか―――」
「ち、違うの!」
慌てたのか、背中を向けていたが振り向いた。
「正体はバレてないから…安心して?」
「いや…例えバレても相手は刑事だろ?日本警察と高専って裏では何かと繋がってるから、そこは心配してないけど、さ。じゃあ何で?」
上半身だけ起こした五条は、もう一度振られたという理由を尋ねた。
は気まずそうに俯いていたが、ふと顔をあげると、「私が悪い」とだけ言った。
「が悪い?何で」
「だから…」
「もしかして…また惑わしちゃって押し倒された、とか?」
「そ、そうじゃないけど…!まあ…似たような…事かも」
はますます気まずそうな顔で項垂れると、「前からね。デートのたびに何度か泊っていきなよって言われてて…」と話を切り出した。
「あ~まあ…分かるけど。で、はその誘いを―――」
「ずっと…断ってた。そしたら昨日、そんなに僕の事は好きじゃないんだろって。女子高生の気まぐれかって言われて…」
「で、会うのはよそうって?」
「うん…まあ、仕方ない、よね。もういいの。そういう関係にならないなら別れるって男は前にもいたし」
もだいぶ吹っ切れているのか、そんな事を言って苦笑いを浮かべた。
だが五条は、のその頑なまでに恋人と深い関係になる事を拒む理由の方が気になった。
「ま、男はそういう事で相手の気持ちを図ろうとするヤツもいるから」
「え…?」
「男って変なプライドがあってさ。体の関係を迫って断られた時のダメージって女が思う以上に大きいわけ。で、何度もチャレンジして全て断られた場合,今度は相手の気持ちを疑う」
「そ、そんなもの、なの?」
「そんなものなんです。男なんて」
五条は笑いながら言うと、驚いているの頭にポンと手を置いた。
「で、は?」
「…私?」
「何でそこまでして恋人と身体の関係築くのが嫌なわけ?」
「そ…れは…」
は困ったように視線を泳がせ、そのまま目を伏せてしまった。
五条は何度となくの目から視線を外しつつ、時々表情を伺ってみるものの、彼女はどこか泣いてしまいそうな雰囲気で、そんなに言いにくい事なのか、と思った時。
静かにが口を開いた。
「誰か好きな人が出来て、もしその人に…その…抱かれたとして…」
「うん」
「………怖いから」
「怖い…?」
そこではふと顔を上げると、真っすぐ五条を見つめた。
「いつか別れなきゃいけない相手を…本気で愛してしまうのが…怖いの」
は真剣だった。
真剣にそんな事を恐れている。
もし、本気で誰かを愛したとしても、決して結ばれない。そう信じているかのようだ。
「だから…いいの。振られても仕方ないって思ってる」
「そんなこと…ないだろ」
「あるよ」
「ないよ…!」
「…悟?」
気づけば声を荒げていた。
が、あまりに悲しそうな顔をするから。
五条にはの気持ち全てを理解してあげる事は出来ない。
でも、死を切望するくらい、自分の運命に絶望してるのは知ってる。
別に生きていく中で、恋をしなければいけないなんて事はない。
でも、こんなに寂しがり屋のは、誰かが寄り添ってくれなければ少し先の未来でさえ、孤独に感じてしまうんだろう。
それが別れる事を前提にした相手でも、縋ってしまいたくなるんだろう。
「はさ…。もっといい男探せよ」
「…え?」
「別にセックスしなくたっていいって男だっているだろうし……多分」
「悟……」
の瞳に、また涙が浮かんだのが分かった。
でも敢えて見ないように視線を反らしてた五条は、「まあ、つーことで僕も―――」温泉に、と言おうとした瞬間。
「悟…!」
「ぉい!」
立ち上がろうとした時、が思い切り抱きついて、五条はその場に尻もちをつく格好になった。
「ありがとう…悟」
「あ、ああ…えーと、分かったから放して?じゃないと色々マズい気が…」
風呂上り、浴衣姿のはただでさえ色っぽい。
その姿で五条の首に腕を回し、ぎゅうっと抱きついている。
あげくからは甘い誘うような匂いがしてくるのはフェロモン効果だ、と分かってはいても、体が反応してしまうのは男の性としか言いようがない。
とりあえず、未だ泣いているを落ち着かせよう、と五条はゆっくりと腕を彼女の背中へ回し、包むように抱きしめた。
その間、変な気を起こさないよう、脳内で七海が一人、七海が二人、と、あの全てが萎えるような無表情の後輩の顔を思い浮かべる。(!)
だが、七海が10人ほどに増えた時、ふと気づいた。
今、自分の腕の中で、肩を震わせながら泣いている存在に、癒されている自分がいる事に。
胸を貸しているのは自分の方なのに、と思いながらも、心の奥の方がじんわり暖かくなっているのは確かで。
女の子を抱きしめて、こんな風に感じた事も、ドキドキするといった事もなかった五条は、その初めての感覚に少し戸惑っていた。
縋るようにしがみついてくるを、愛しい、なんてガラにもない想いが一瞬でもこみ上げたのは、彼女に惑わされてる証拠なんだろうか、とまで考える。
(まあ…それでもいいか…)
それが一時の想いでも、この瞬間、確かにを愛しい、と感じたのは事実だから。
今はただ、彼女に笑顔が戻るのを、抱きしめながら待つとしよう。
震える背中をあやすように叩きながら、五条はかすかに微笑んで、の頭に頬を寄せた。
「―――って事があってだな」
真剣に聞き入っている虎杖と釘崎に、五条はにっこり微笑んだ。
「えーそれが最初のキッカケ?」
「後で思えばね」
「ってか、五条先生がそれまで女の子にそういった感情がなかったって方にビックリなんだけど!」
「あー。まあ、あの頃はクズだったからね、僕」
「自分で言う?」
釘崎は呆れたように五条を睨む。
そこへが「え、悟ってクズだったの?」と急に話に入って来た。
それまではカニと格闘するのに夢中で、今の話は殆ど聞いてなかったようだが、どうやらカニはペロリと平らげたようだ。
「え、さん、気づいてなかったんだ」
「何を?」
「い、いや五条先生がクズーーー」
「あー!虎杖くん?余計な事は言わない方が身のためだよ?」
「は…はいぃっ」
指を鳴らす仕草をしながらニッコリ笑顔を見せる五条に、虎杖の口元が引きつった。
会ったばかりでも、五条が只者ではない事は、虎杖も十二分に理解している。
そこは大人しく口をつぐんだ。
だがは気になるのか、「何で悟はクズなの?」と首を傾げている。
「悟は今も昔も優しいけど…」
「「「………(騙されてる)」」」
伏黒、虎杖、釘崎の思考がはかなくも一致した。
「で、何の話してたの?悟」
「ん?あ~。との思い出話」
「私との?何ソレ」
「ほら、昔さー。山形に出張行ったでしょ。僕と二人で。あ、安田もいたけど」
「山形?行ったっけ…?」
は覚えてないのか、訝し気な顔で首を捻る。
そこで五条が、「"コレダモンナー!"と戦ったじゃん」と笑った。
その瞬間、記憶が蘇ったのか、は突然、「鳩人間!!」と叫んで爆笑し始めた。
長い年月が経とうと、そのツボは未だに有効だったようだ。
「懐かしい~!アレ、ほんとに鳴いてたよね!コレダモンナ―!って」
「ああ、あれは参った。祓いたいのにが延々笑ってるから、僕もつられて笑っちゃって、あげく手元狂って地面ボッコボコにしちゃったしね」
「ほんとにいたのね…呪い鳩人間…」
それには釘崎も軽く吹き出す。
爆笑しながら呪いを祓っている二人を想像したら笑けてきたのだ。
「で、祓ったんですか?その一級相当の鳩人間」
「当然。まあ、デカかったけど何とか最小限の被害で済んだ」
「…被害?」
「ああ、アイツ、口から光線飛ばすんだよ。それもヤバめの」
「ヤバめ?」
「それに当たったらドロドロにとけんの」
「こ…怖いっすね、それ」
虎杖の顏が青くなる。
が、伏黒は「でも二人には効かないでしょ」と話に入って来た。
無関心なようでいて、ちゃっかり五条の話は聞いていたようだ。
「まー僕とには当たらないけど周りの民家には被害出ちゃってさ。まあ、無人だったけど。で、結果今の学長に僕だけこってり絞られた苦い記憶」
「五条先生だけ?」
「あー夜蛾学長、には甘々だからさ。が何やらかしても殆ど叱ってるとこ見た事ないな」
「マジで?あの可愛いを作ってたオッサンでしょ?」
「あーそうそう。そのオッサン」
虎杖は高専に入学する際、夜蛾の洗礼を受けているからか、「あの怖いオッサンが甘々って…凄い」と驚いている。
「っていうか五条先生が一番、に甘々でしょ」
「お?恵ーよく分かってんじゃん」
「……分かりたくもないですけど」
「あれ?恵、ヤキモチ?」
「はあ?んなわけないでしょっ」
「まーたまたー」
五条にからかわれ、伏黒の顏が次第に赤くなっていく。
五条は何でもお見通しのようだ。
「恵の初恋がってのは知ってたよ」
「「「えぇ?!」」」
「……ぐっ」
五条にバラされ、更に顔が赤くなった伏黒を見て、も驚いている。
どうやら彼女自身は気づいていなかったようだ。
「マジで?伏黒、さんが初恋なの?!」
「う、うるせーなっ。関係ないだろ、オマエに!」
「いいじゃん。ガキの頃の話なんだし」
五条はあっけらかんと言い放ち、
「恵のファーストキスはだからね」
と余計な事まで言い出した。
「「はあ?ファーストキス?!」」
虎杖と釘崎が綺麗にハモった。
そこでが思い出したように「あ!」と声を上げる。
「確かに…小学生の頃、したかも…」
「ぐ…いいからは黙ってろって。ややこしくなるから」
「あ、ごめん…でもあの時は…ほんとごめん」
怖い顔をする伏黒を見て、がシュンと項垂れる。
だが五条は笑いながらの頭を撫でると、「別にのせいじゃないじゃん」と言った。
「って事は…?」
虎杖が何かに気づいたように伏黒を見る。
が、精神的に限界だった伏黒の額はピクピクしていて、虎杖は恐ろしいほどの殺気を感じた。
「ま、その話はまた今度ね」
「しなくていいですよ!」
ケラケラ笑う五条に、伏黒がキレる。
が、そこに助け船の如く、今夜のメインであるお肉と鍋が運ばれて来た。
「おおーすっげー!」
「何か花びらみたいね、この盛り付け、綺麗~!」
肉が来た事で皆の意識がそっちへ移り、伏黒は心の底からホっとした。
まあバレている事くらい百も承知だったが、皆の前で改めて言われることほど恥ずかしい事はない。
「Wow!お肉~!」
も念願の肉を見てテンションが上がったようだ。
そこで五条がまたしても菜箸を握ると、の為に肉をしゃぶしゃぶしてあげている。
そしてやはり―――。
「はい、。あーん ♡」
「お、お肉はいいってば…っ」
「何で?食べさせたいんだけど」
「い、いいよ。恥ずかしいから…」
「誰も見てないし大丈夫。はい、あーん ♡」
「「「………(俺(私)たちが見てますけど?)」」」
再び五条のお楽しみタイムが始まり、生徒三人はすでに食欲が失せていくのを感じて、盛大に溜息をついた。
鳩人間は山形の妖怪探してたら妖怪サイトで見つけました笑
ふざけたネーミングだけど結構怖い話だったり笑
ヒロインファーストな五条先生、威厳がなくなっていく…