
What is the name of this feeling? .09
2018年、7月。
西東京市、英集少年院、運動場上空。
特級仮想怨霊(名称未定)その受胎を非術師数名の目視で確認。
緊急事態のため、高専一年生3名が派遣され、内1名、死亡―――。
高専建物内の地下にある剖検室に、宿儺の器となった虎杖悠仁の遺体が横たわっていた。
眠っているようにしか見えない虎杖の遺体の傍には、彼の副担任でもあるが無表情のまま立ち尽くしている。
青白い虎杖の頬へ、はそっと手を伸ばすと優しく触れた。
―――おっはよー!さん!
昨日まで見せていた明るい笑顔で、今にも起き上がってきそうだ。
起きてくれればいいのに、とそう願った。
何でこんな事に―――。
は強く、唇を噛みしめた。
五条は先に予定していた海外出張へ行く前に、急遽入った地方の任務へ出かけて行き、どちらにせよ、昨日の虎杖達の引率はがする予定だった。
だがにも直前に別の任務が入り、横浜へ出向いていた為、は3人を引率する事が出来なかった。
3人に入った任務内容も、それほど危険なものではなかった事で、は安心して送り出したのだ。
「特級案件になりました!伏黒くんが助けた釘崎さんが軽傷、今病院へ運んで来たんですが、虎杖くんに至ってはまだ建物内にいるようで―――」
途中、補助監督の伊地知から受けた電話で、は真っ青になった。
一年生が特級と戦うなど、あまりに無謀―――。
自分の任務を早々に終わらせ、は3人のいる少年院へと急いだ。だが、何もかも遅かった。
雨の中、駆けつけたが見たのは濡れた地面に倒れている虎杖と、その前で呆然と立ち尽くす伏黒の姿。
遅かったのだ、何もかも。そう悟った時、は伏黒を抱きしめて泣いた。
伏黒は泣いていなかったが、傷ついているのは明らかで。
なのに泣きじゃくるを、逆に慰めながら抱きしめ返し、
「長生きしろよって…アイツ、そう言ってたよ」
と、伏黒は寂しそうに微笑んだ。
知り合ってから2週間という短い時間でも、虎杖悠仁はその真っすぐな性格で、すぐに皆と打ち解けた。
術師にしては根が明るく、親しみやすい懐っこい性格で、も虎杖の事は大好きになった。
そして虎杖は間違いなく五条やの生徒であり、伏黒と釘崎の友であり、仲間だった。
泣く理由はありすぎるほど、ある。
「I'm sorry, Yuji....」
次の日の朝、は虎杖の傍で、五条が戻るのを待っていた。
静かに横たわる虎杖の頬を撫でながら、は遺体にそっと白い布をかけ直す。
その時、ドアの開く音がして振り返ると、そこには慌てて駆けつけた様子の五条、そして伊地知が入って来た。
「…」
「悟…」
五条の顔を見て気が緩んだのか、の瞳から大粒の涙が溢れ、頬を濡らしていく。
五条は足早に歩いて来ると、思い切りを抱きしめた。
「ごめ…ん、悟…!間に合わ…なかった…」
「のせいじゃない…」
横たわる虎杖の遺体を見ながら五条はの頭を抱き寄せると、近くの椅子へ座らせて気が済むまで泣かせてあげた。
それを見て、伊地知も目に涙を浮かべながら項垂れている。
だが五条は虎杖の死を聞いてから、こうなった一つの原因が、ずっと頭の中を支配していた。
目の前で項垂れている伊地知を見ていると、彼のせいではないと分かっていても、ついその燻っていた苛立ちを、口にしてしまった。
「わざとでしょ」
「……は?と、仰いますと…」
不意に五条から言われた言葉の意味が分からず、伊地知は緊張のあまり鼓動が速くなるのを感じて、体の前に合わせている両手を強く握りしめた。
五条はいつもの軽薄な笑みを浮かべるでもなく、どこか冷えた空気をまといながらガシガシと頭をかき、溜息交じりで言葉を続ける。
「特級相手。しかも生死不明の5人の救助に一年生の派遣はあり得ない」
「は、はあ…」
「悠仁は僕が無理を通して死刑に実質無期限の猶予を与えた。それを面白くない上の連中が、と僕のいぬ間に特級を利用して体よく彼を始末したってとこだろう。他の二人が死んでも僕に嫌がらせが出来て一石二鳥とか思ってんじゃない?」
「い、いや…しかし!派遣が決まった時点では本当に特級になるとは―――」
伊地知はそう応えながらもかすかに手が震えて来る。
五条への嫌がらせで、もし本当に上が今回の事を仕組んで虎杖を殺そうとしたなら、それはやはり許せない事であり、五条の怒りは当然だ、と思った。
その時、不意に五条の纏う空気が変わった。
「犯人探しも面倒だ……」
「……え?」
「上の連中、全員殺してしまおうか」
「――――ッ」
普段とは違う底冷えのするような低い声で、静かな怒りを見せる五条に、伊地知は思わず息を呑んだ。
そこで項垂れていたも、ふと顔を上げる。
涙に濡れた彼女の赤い瞳も、五条と同じように怒りの炎が揺らいでいるのが分かった。
もし、この二人が本気で上層部を殺そうと思ったなら、それはあまりに容易い事だと伊地知でも理解できる。
が、その時、自動ドアが開くと同時に、今は高専の医師となった家入硝子が入って来た。
「珍しく感情的だな。彼のこと、随分とお気に入りだったんだな」
「お、お疲れ様です!家入さんっ」
伊地知が慌てたように挨拶をする。
家入はそんな伊地知に笑みを向けると、長い髪を指に巻き付けながら、ふと五条を見た。
「僕はいつだって生徒思いのナイスガイさ」
五条は人差し指を立てると、表情も変えずに言い、それを見た家入はかすかに笑みを浮かべた。
「あまり伊地知をイジメるな。私たちと上の間で苦労してるんだ」
「………(もっと言って…)」
思いがけず家入に優しい言葉をかけてもらい、伊地知の胸がキュンと鳴る。
だが五条は鼻で笑うと、
「男の苦労なんて興味ねーっつーの」
と吐き捨て、もっと優しい言葉が欲しかった伊地知の顏が一瞬フリーズする。
殆ど五条の無茶ぶりで苦労してるのだが、そこは労ってもらえないらしい。
だが五条は今、虎杖の件でイラだっているし仕方ない、と伊地知は諦めた。
家入は苦笑いを浮かべながら「そうか」とだけ言うと、虎杖にかけられた布を徐に取り去った。
虎杖の胸には宿儺が心臓を抜き取ったせいで、大きな穴が空いている。
「―――で、これが宿儺の器か…。好きに解剖していいよね」
「役立てろよ」
「…役立てるよ。誰に言ってんの?」
硝子は五条を見てそう言い捨てると、解剖の準備をすると言って、いったん外へ行った。
五条は軽く息を吐くと、のその細い肩を抱き寄せ、この時ばかりはも素直に五条の方へ身体を寄せる。
伊地知も気まずそうにしながら、解剖が始まるのを待つため、二人の横に静かに立つと、横たわっている虎杖を見つめた。
補助監督として、未成年の彼らを危険な場所へ送り出さなければならない事は伊地知にとっても辛い事だ。
任務には危険が伴うという事も充分に分かってはいるが、いざこんな最悪の結末を目にすると、何も出来なかった不甲斐ない自分にも腹が立つ。
彼らのような若者が、あっさり命を落としてしまう事が、ただ悲しい。
その時、ふと五条が顔を上げたのに気づき、伊地知も何となく五条へ視線を向けた。
「僕はさ。性格、悪いんだよねーーー」
「知ってます(キリッ)」
間髪入れず、いや、少々かぶり気味で伊地知が応える。
「伊地知~。後でマジビンタ」
五条もつかさず伊地知を指さし、はキョトンとした顔で二人を見上げた。
「マ…マジビンタ…?」
現代最強にマジのビンタをされるのか、と、一瞬ビビる伊地知。
だが五条はそのまま言葉を続けた。
「教師なんてガラじゃない」
「はあ…」
「そんな僕がなんで高専で教鞭をとっているか……聞いて?」
「え?」
不意に話を振られ、伊地知は恐る恐る「何で、ですか…?」と尋ねた。
すると五条は真剣な顔で、「夢があるんだ」と一言、呟いた。
「夢…ですか」
「そっ」
五条は小さく息を吐くと、椅子へと凭れ掛かり、
「悠仁の事でも分かる通り、上層部は呪術界の魔窟。保身バカ、世襲バカ、高慢バカ、ただのバカ。腐ったミカンのバーゲンセール。そんなクソ呪術界をリセットする」
「……リセット?」
「上の連中を皆殺しにするのは簡単だ。でもそれじゃ首がすげ替わるだけで変革は起きない。そんなやり方じゃ誰も付いてこないしね。だから僕は教育を選んだんだ」
五条は真剣な顔で、
「強く、聡い仲間を育てる事を」
「……(そうだったのか)」
五条の夢を知り、伊地知はジーンとするのを感じた。ただ軽薄でパワハラ好きの先輩(!)だと思っていたから正直意外だった。
「そんなわけで…自分の任務を生徒に投げる事もある。愛のムチ ♡」
「……(それはサボりたいだけでは?)」
その辺はやはり五条悟だな、と思いつつ、心の中で突っ込む伊地知に気づかず、五条は更に言葉を続ける。
「皆、優秀だよ。特に三年、秤。二年、乙骨。彼らは僕に並ぶ術師になる。悠仁も……その一人だった」
「……五条さん」
強く拳を握り締め、怒りに満ちた声で呟いた五条に、伊地知は小さく息を呑む。
はその五条の手に、そっと自分の手を重ねた。
高専を卒業する前から、五条がその夢を叶えるべく動いて来た事はも知っている。
そして普段は見せないが生徒達を大事に想っている事も、五条なりに可愛がっている事も知っていた。
だからこそ、虎杖の死を心から悲しんでいる五条の心痛を思うと、も胸が痛んだ。
重ねられた手を、五条も優しく握り返す。
そこへ解剖の準備を終えた硝子が戻って来た。
が、部屋の隅に残っている三人に気づき、「ちょっと君達」と声をかける。
そこで三人が何となく硝子の方へ視線を向けた。
「もう始めるけど…そこで見てるつもりか?」
「「「…………?!」」」
硝子の声は聞こえていたが、三人の脳に到達するまでに時間がかかった。
それくらい驚愕する光景が、今、目の前で起こっているからだ。
「おわっ!フルチンじゃん!!」
解剖台に横たわっていた虎杖が、三人に顔を向けている硝子の背後でのっそりと起き上がり、普通に言葉を発した。
三人の驚愕した表情に気づき、振り向いた硝子も、この時ばかりは目を飛び出さんばかりに驚いている。
「ごごごご五条さん…っ!いいいい生き、生きかかか……っ」
「クックック……伊地知、うるさーい」
「…oh...my....god....」
あまりの驚きで言葉にならない伊地知に、突っ込む五条、そして口をあんぐり開けて外国映画で良く聞くあのセリフを呟く。
三人三様の反応を見せながら、何も知らない虎杖は自分が素っ裸だという事にまず驚いたようだ。
そして素っ裸の少年を前に、硝子が少し残念そうな顔で溜息をつく。どうやら解剖はしてみたかったらしい。
「うーん…ちょっと残念」
「あの~恥ずかしいんですけど…誰?」
硝子と面識のなかった虎杖が顔を赤らめているのを見て、硝子が慌てて服を取りに走って行った。
その時、「悠仁!」と声がして、虎杖が振り返ると、五条が笑顔で歩いて来る。
驚きはしたが、すぐにこの状況を受け入れるところが五条悟らしい。
「おかえり!」
「オッス!ただいま!」
「悠仁ぃぃ~~~!!!」
「…おわっ!」
虎杖が笑顔で五条とハイタッチをした。その瞬間―――。
物凄い勢いで走って来たが、傍に立っていた五条を押しのけ、解剖台に飛び乗ると虎杖に思い切り抱き着いた。
「ちょ、さん?!」
「…良かったぁぁぁ~!!」
「ちょ…ちょっと…さん、俺、裸だって!」
よほど嬉しかったのか、悠仁に抱き着きついたまま、おんおんと泣き出す。
だが素っ裸の上、女性に抱き着かれたことなどない悠仁は、恥ずかしさのあまり首まで真っ赤に染まっていく。
そしてやはり慌てたのはの恋人でもある五条悟、その人だった。
「おい、!それはダメだって!離れて!悠仁、フルチンだから!」
「…何よ、悟!悠仁が生き返って感動してるのに―――」
後ろから引き離そうとする五条に、号泣していたがガバリと顔を上げる。
が、そこで五条は虎杖から力任せにを引きはがすと、自分の胸に彼女の顔を押しつけた。もちろん虎杖の裸を見せない為だ。
はフガフガ何やら文句を言っていたが、丁度そこへ着替えを持ってきた硝子が戻って来る。
「はい、着替え」
「あ…どーもっす」
素っ裸で抱きつかれ落ち着かなかった虎杖もホっとしたように着替えを受け取ると、その場で服を着始める。
それを確認した五条はの頭を抱いたまま、先ほど座っていた椅子まで連れて行くと、そこへ腰を下ろし、を解放した。
「ぷは…何すんのよ、悟…っ」
「何って僕以外の男の裸、見て欲しくないし。あげく抱きつくなんてもってのほかでしょ。それも僕の目の前で」
「…な…何言ってんの…?別に見たわけじゃないし、悠仁が生き返って嬉しかったの!」
「でも抱きつかなくてもいーでしょ」
「だ、だから嬉しくてつい……」
スネたような顔で怒る五条に、は顔を赤くして立ち上がった。
だが振り返って服を着こんだ虎杖を改めて見てると、はやっとこの不思議な現象が夢ではなく現実なんだ、と実感してホっと息をつく。
何故あの状態で生き返ったのかは分からないが、きっと宿儺が関与したんだろうとは思った。
「でもほんと良かった…。ね?悟」
「………」
涙を拭いながらが振り返ると、五条はそっぽを向き、不機嫌そうに腕と足を組んで座っている。
その様子はまだ虎杖に抱きついた事をスネているようだ。
「悟…?」
「………」
顔を覗き込もうとしても、更にそっぽを向く五条に、は困ったように眉を下げた。
は奔放でフレンドリーな性格の為、そのたびに五条がヤキモチを妬いては時々こうして機嫌が悪くなる事がある。
これまでも夜蛾や七海、伏黒や他の術師達に軽いスキンシップなどをした際、同じように不機嫌になった事があった。
が、は深く考えていない上に、男女問わず友達や仲間とのスキンシップは当たり前という認識。
なので、何故五条がそこまで怒るのかが分からない為、似たような事が繰り返されている。
「何では僕がする事は恥ずかしがって怒るのに、自分は他の男に平気で出来るの」
と以前、言われた事もあるが、そもそものソレは異性に対してとかではなく。
男でも女でもあくまで友達に対してのハグ、といった具合で、その辺の価値観に食い違いが出るのだ。
相変わらず自分の方を見ようとしない五条に、もだんだん寂しくなってきた。
もともと寂しがり屋で甘えん坊の性格であるは、こんな風に無視されるのが一番こたえる。
「悟…まだ怒ってるの…?」
「………」
何も応えてくれない五条に、は泣きそうになった。
子供の頃、話しかけても応えてくれなかった、あの冷たい母親を思い出すのだ。
でもあの母親と五条は違う。
甘えたら、いつもちゃんと自分の方を見てくれる、とは分かっていた。
「さーとる」
最後の手段とばかりに、は五条の膝の上にまたがり、そっぽを向いている五条の頬を両手でつかみ、ぐいと自分の方へ向けた。
「まだ怒ってる…?」
目隠しのせいで表情はあまり分からないが、ふと五条の口元が緩んだ気がした。
「…からキスしてくれたら許す」
「…えっ」
「嫌ならいいけど」
と言って、また顔を横に向ける。
はむぅっと唇を尖らせたが、ふと後ろを振り返った。
虎杖は硝子と何やら話していて、伊地知は二人の方を見ているので、たちの方は見ていない。
ならば今の内、とは再び五条の頬を包んで自分の方に顔を向けると、少し身を屈めて五条の唇へ軽くキスをした。
そしてすぐに離し、これでいい?と聞こうとした瞬間、五条の手がの頭の後ろへ回り、グイっと自分の方へ引き寄せると、強引に唇を塞ぐ。
「…んっ」
は驚いて離れようとしたが、更にもう片方の手で腰まで抱き寄せられ、逃げる事もかなわない。
深く重なった唇の隙間からゆるりと五条の舌が入りこみ、の口内をやんわりと愛撫するように絡めて来る。
が、それはすぐに解放され、の口内から舌が出て行ったと同時に、最後はちゅっと軽くキスをされた。
「ぷ、、真っ赤」
「……だ、騙したでしょ」
「騙してないって。僕からもしたくなっただけ」
五条はの腰を両手で抱き寄せたまま、シレっと応えた。
「それに、この体勢はちょっとエッチな気分になるでしょ」
「…え?」
そう言われては改めて自分の体勢を見れば、五条の膝の上にまたがっている状態であり、確かに見ようによってはエッチな体勢にも見える。
だがそんなつもりで乗ったわけではなく、にしてみれば甘えたかっただけ。
五条の言葉に真っ赤になると、慌てて膝から降りようとした。
だが五条はの腰に腕を回して放そうとしない。
「もー悟…?」
「いいじゃん。誰も見てないし」
五条は笑いながらそう言ったが、後ろでは虎杖がイチャつく二人に気づき、内心俺が見てるんだけど…と頬を指でかいていた。
そして家入もまた、相変わらずの二人を見ながら苦笑している。
学生の頃から五条を知っている家入は、五条がに惹かれていくのを、長い間見守ってきた。
自由奔放で甘えん坊のに、あの五条が散々振り回され、でも結局は放っておけずに世話を焼いてたのは、家入にとっても当時は意外だった。
手がかかる子ほど可愛い、とはよく聞くが、恋愛においても例外ではなかったのか。
遊びで軽い付き合いしかせず、本気の恋愛になど興味のなかった五条がに惹かれて行ったのも、まさにそれだったのかもしれないな、とふと思う。
そして家入の脳内に、数年前の出来ごとが浮かぶ。
元々愛煙家だった家入が、タバコをやめるキッカケとなった五年前のあの日の事だ。
(あの頃から五条は…のこと好きだったよな…)
未だを抱きしめながら、優しい笑みを浮かべている五条を眺め、家入は昔の事を思い出していた。
2013年、1月。
夜蛾からカード類を没収され、お小遣い制にされてから早二か月。
は中身の乏しいお財布を覗きながら、深い溜息をついた。
「I do not have any money....」
休憩所のテーブルに突っ伏し、全然、お金がない…とボヤくを見かけたのは、医師になって一年目の家入だった。
家入は咥えたばかりのタバコに火を点けながらの方へ歩いて行くと、彼女の隣へ腰を下ろした。
「なーにボヤいてんの?」
「あ…硝子…」
落ち込んだ様子で顔を上げたは、無言のまま手にしていた財布を家入に見せる。
「んー?何よ、このスカスカのお財布。せっかくのヴィトンが台無しじゃない」
「今月、まだ残り半月あるのに三千円じゃ生きてけない…」
「え、お小遣い貰ってそんな経ってないじゃない。もう使ったわけ?」
が夜蛾にお小遣い制にされてるのは家入も知っている。
この二か月、散財が得意なが欲しい物も買えず、ストレスを溜めている事も。
お小遣いの範囲以外で買いたい物が出来た時、本当に必要な物なら五条が買ってあげる、と言ったらしいが――これは正直驚いた――殆どが「今すぐ必要ないでしょ」と却下されているらしい。
「先月買えなかったメイク用品買ったの。来月の為に少し貯金したから今月は3千円でしのがないと…」
「へえ、貯金なんてにしたら珍しいじゃない。お小遣い制にした成果が出てるんじゃない?」
これまでは使うばかりで貯金など一切した事がなかった。
それを思えば夜蛾の思惑通り、多少なりともだってお金の有難みが分かったんじゃないだろうか、と家入は思う。
「でも三千円はさすがにキツイね。食事とかは、まあオバちゃんのご飯で賄えるか…」
この高専にも一応、生徒や教師の為に食事を作ってくれる人がいる。
非術者のオバちゃんだが、事前に言えば好きな料理を頼む事も可能だ。
ただ、の場合は普通の人より倍は食べるので、それだけで足りるんだろうか、と家入が思っていると、はふと顔を上げ、
「あ、ご飯だけは悟が食べさせてくれてるの」
「…え?五条?」
「うん。夕べはねー、お寿司屋さんに連れてってくれた」
「は?寿司?それって回るやつ?」
「ううん、回らないお寿司屋さん」
「…………(マジで?)」
私より良いもん食べてんじゃん、と家入は思ったが、その前にあの五条がに寿司を、それも回らない寿司をご馳走したという事実が信じられなかった。
(アイツ、私には自販機の缶コーヒーさえ奢らないくせに…)
家入はそんな事を思いつつ、隣に座るを見た。
相変わらずお金が入っていない財布を見て、悲しそうに項垂れているが、そもそも寮に住んでいて家賃はかからない上に、高専は授業料といったものもないので当然学費もかからない。
食事だってオバちゃんの料理で賄おうと思えば賄える。
故に月に10万でも余計なものさえ買わなければ、普通に生活が出来る環境なのだ。
「ま、残り一か月だし何とかしのげばカードも返してもらえるよ」
「うーん…。でも新しいブーツとコート欲しいぃぃ…」
あーイライラする、と言いながら、はふと家入の持つタバコへ目を向けた。
「硝子はタバコ好きだよね~。お金かかるし、そんな臭いのに何が美味しいわけ?」
ヴァンパイアの嗅覚は人の何倍も良いので、に取ったらタバコの匂いは悪臭でしかない。
だが硝子はいつも美味しそうに吸っているので、は不思議でならなかった。
の言い分に硝子は笑うと、
「まあ、これはリフレッシュ用かなあ」
「リフレッシュ?」
「そう。仕事で疲れてる時とか、イライラした時に吸うと、そういうものを少しリセット出来るって言うか」
「リセット…?そんな効果あるように思えないけど…」
は疑いの眼差しを向けながら、椅子へ、凭れ掛かった。
が、ふと硝子の方を見ると、彼女が灰皿へ置いたタバコをサっと奪う。
「じゃあ今、イライラしてるから、一口吸わせてよ」
「え、大丈夫?」
「そんな効果あるなら匂いは臭いけど味は美味しいんじゃないの?」
「いや、吸った事ない人に美味しく感じるかは謎―――」
と家入が言った時にはすでにはタバコを口にし、思い切り吸い込んでいた。
「……っ?ゴホッゴホッ…ゲホッ」
「?」
思い切り煙を吸い込んだせいか、が驚いたような顔で激しくむせだした。
家入は驚いての背中をさすりながら、「吸った事ない人がタバコ吸うと最初はそうなるのよ」と苦笑いを零す。
だが、は苦しそうに何度か咳をした後、大きく息を吸い込んだかと思うと、急に喉をかきむしった。
空気を求めて口をパクパクと動かしているようにも見える。
「…?!」
ただタバコでむせただけかと思っていたが、家入もこれには驚いた。
様子が明らかにおかしい―――。
その時、が椅子から崩れ落ちるように床へ倒れこんだ。
「…?!ちょっと…どうしたのっ?」
まさか倒れるとは思わず、家入は急いでの体を抱き起し、彼女のサングラスを外した。
すると、綺麗な赤い瞳が見開かれ、瞳孔が開いているように見えて、家入は息を呑んだ。
慌てて口元へ顔を寄せたが、の呼吸は止まっているようだった。
「う、嘘でしょ?何で―――」
と、呟いた時、休憩所の自販機に五条が飲み物を買いに来た。
「硝子、何してんのーーー?」
床に座り込んでいる家入に気づき、五条が声をかける。
だが、家入の腕の中でグッタリしているに気づき、「どうした?!」と青い顔で駆け寄って来た。
「おい、…!何だよ、これ…意識ないのか?!」
「ご、五条…」
「何があったんだよ?―――おい、!」
五条がの頬を軽く叩きながら名前を呼ぶが、全く反応がない。
家入の腕から奪うようにを抱き上げると、五条は「硝子!」と大きな声を出した。
「医務室へ運ぶ。オマエも来て治療しろ!」
「う、うん…そうだね」
「シッカリしろよ!オマエ、医者になったんだろーが!」
「ご、ごめん…まさかあのが倒れるなんて思ってなくて…」
しかもタバコを一口吸っただけで、あんな風になるとは思いもしない。
それには不老不死であり、死ぬ方法を探して世界中を旅していたくらいだ。
今更タバコ如きで身体にあんな異変が起こるなんて想像もしていなかったせいで、処置をするという初歩的な事を忘れてしまった。
五条は医務室までを運ぶと、ベッドへそっと寝かせて、家入を見た。
「早く!は息してないっ!」
「わ、分かってる」
家入は頭を切り替え、青白い顔で横たわるへ反転術式を使ってみた。
何故倒れたのか知らないが、とにかく体に異変があるのは間違いない。
ヴァンパイアが呼吸出来ないくらいで死ぬとも思えないが、意識がないのは間違いなく、絶対に無事とも言い切れない。
「…!」
五条がの手を握り締めながら声をかける。
その顔は明らかに動揺していた。
「ダメだ…まだ息してない…」
顔を近づけ、の呼吸を確かめながら五条が声を震わせた。
そして徐にの口元へ自分の唇を寄せると、思い切り息を吸い込み、人工呼吸を始めた。
「五条…?!」
「…硝子はそのまま続けろ!」
「わ、分かった…」
人工呼吸は五条に任せて、家入は術式を使い、の体内へ生エネルギーを送り続ける。
これまで怪我すらした事がなかったに、家入は治療をした事がない。
自分の力が彼女に効果があるのかすら分からない事を、家入は今更ながらに気づかされた。
すると何度めかの人工呼吸をした時、「…ゴホッ」とが咳き込んだ。
「呼吸…してる」
「…良かった…」
口元に耳を寄せて五条が確認すると、家入もホっとしたように大きく息を吐き出した。
そこでがこうなった原因が気になり、五条は家入に訊いた。
「何でこんな事になった?何があったんだよ」
「な、何も…ただ…」
「ただ…?何だよ」
「タバコ…がふざけて私の吸ってたタバコを一口…吸ったの」
治療の手は止めず、家入が説明すると、五条は「タバコ?」と眉間を寄せた。
「何でそんなもん…!硝子、オマエ、何で止めなかったんだよ!」
「…ごめん」
家入も泣きそうになりながらの治療を続けている。
それを見ながら、五条はサングラスを外し、のオーラの流れを見てみた。
「…これは…」
六眼が捉えたの禍々しいオーラは普段よりも激しく乱れていて、通常とは違う流れをしていた。
そして、以前から五条が気になっていたの体内にある"何か"が揺らいで見え隠れしている。
"それ"は普段は濃いオーラで隠すようにしてあった為、六眼をもってしても見えなかったもの。
「嘘だろ…?」
「…何?」
何かに驚いている五条に気づき、家入が顔を上げる。
が、五条の目はの体内にある"影"を黙って見つめていた。
(これはも知らないものなのか…?ずっと隠すようにしていた、という事はそれだけ重要なもの。そしてそれを隠せるのは…ダイアナしかいない)
と言って、誰もが五条のように呪力や術式といった普通なら目に見えないものを見られるわけではない。
が得た情報はそのままダイアナにも伝わる、というのは聞いている。
ならば、が五条に会いに日本へ来ると決めた時、ダイアナは敢えて"あれ"を隠したという事だ。
六眼で、見抜かれないように―――。
まさか、と一つの答えが導き出され、五条は小さく息を呑む。
だが今はの意識を取り戻す方が先だ―――。
自分の手が、かすかに震えている事に気づき、五条はそれを隠すように強く握りしめた。
そして、それを見ていた家入は、酷く動揺している五条に気づいていた。
の意識が戻らない事で、徐々に五条の顔色も悪くなってきている。
あの五条がここまで動揺しているのを見るのは、家入でも初めての事だった。
その時、六眼で見ているであろう五条が、不意に「戻って来てる…」と呟いた。
「え…?」
「そのまま治療続けて。のオーラが安定してきた…」
「う、うん…」
家入には見えないが、五条の眼には見えてるのだろう。
少しホっとしながらも、そのまま治療を行っていると、の頬に赤みが戻ってきたことに気づいた。
そして数分後、の目がゆっくりと開き、何度か瞬きをした時、家入と五条は深い安堵の息を漏らした。
「…大丈夫か?」
「……さと…る?」
「…!ごめんね、私が止めなかったから…」
ホっとしたのと同時に、家入の目に涙が浮かぶ。
それを見ていたは、自分に何が起こったのかを思い出した。
「あ…私、硝子ちゃんのタバコ吸って…急に苦しくなったんだっけ…」
「一度、呼吸が止まったんだぞ、オマエ…何やってんだよ…っ」
安心したら無性に腹が立ってきた五条は、呑気に呟いたの鼻を思い切りつまむ。
は「痛いよ…」と文句を言ったが、それでも五条や家入の様子を見て、心配をかけた事に気づき、ごめん、と謝った。
「でもタバコ一口吸っただけで呼吸が止まるなんて…何でなの?」
家入が気になっていた事を聞くと、も軽く首を傾げ、
「初めて吸ったから分かんないけど…何かタバコって私の体…というよりヴァンパイアの体には異物というか毒に近いものがあるっぽい」
「え、で、でもそれで死ぬわけじゃないでしょ?」
「まあ、こうして生きてるから死ぬほどじゃないんだろうけど…さっきからずっとダイアナが苦しみながら怒ってたし…」
「怒ってた?」
「うん…"異物なんか体内に入れてどういうつもり?"って…。そりゃーもう凄い剣幕で…」
は呑気に笑うと、「はあ…何か喉乾いた…」とボヤいている。
それを聞いて家入は「私、何か買って来るね」と、すぐに医務室を飛び出して行った。
「何か…心配かけちゃったみたいだね…二人に」
ゆっくりと上半身を起こしながらが俯く。
ベッドの端に座っていた五条は呆れ顔で溜息をついたが、の頭をそっと自分の胸元へ寄せた。
「…さ、悟…?」
「…僕の方が心臓止まるかと思った」
「え…?」
頭を抱き寄せられ、不意にそんな事を言われたは、驚いたように顏を上げた。
どこかいつもとは違い、五条は少し元気がないように見える。
それほど心配かけてしまったんだ、と思ったは、もう一度「ごめん…」と俯きながら呟いた。
「ったく…もう二度とタバコなんて吸うなよ?」
「わ…分かってるよ…。もう懲りた。死ななくても死ぬほど苦しかったし…」
「だったらタバコ吸ってる時は硝子に近づくな。副流煙だってダメだろ」
「まあ…匂いも私の鼻にはキツかったけど…」
「だったら何であんなもん吸うんだよ…」
「だって…イライラが解消するって言うから…」
「イライラ…?何で」
「……そりゃ…ビンボーだから?」
の言葉に、五条の目が僅かに細められる。
「、また余計なもん買ったのかよ」
「よ、余計なものじゃなくて化粧品だもん…」
「それで…いくら残ってんの」
「……三千円」
「はあ?ってこの前貰ったばかりだろ。いくらの化粧品買ったんだよ?」
心底呆れた様子で五条が溜息をつく。でもその声色はどこか優しいものだ。
その声を、家入は医務室の外で聞いていた。
飲み物を買って来たはいいが、入ろうとした時、五条がの頭を抱き寄せている光景が目に飛び込んで来て、慌ててドアを閉めたのだ。
「五条ってば、やっぱりのこと…?」
前から何となく気にはなっていた。
あの唯我独尊男がに対し、他の人とは明らかに接し方が違う気がしたからだ。
でもそれはの強さを認めたからだ、と思っていたし、五条が恋愛に興味がないというのは前にも聞いて知っている。
だから五条がに対して特別な想いを抱いているのは恋とか愛なんて感情ではない、と思った事もある。
でもさっきのうろたえ方は、ただの術師仲間を心配しているようには見えなかった。
と言って、も仲間に対して恋愛感情は持ち込まないと言っていたし、それは家入も五条に話した事がある。
ついでにも今は千尋と付き合っているのだ。もちろんその事は五条だって知っている。
そんな状況で果たしてあの五条が報われない恋をするものなんだろうか、と家入は思った。
「でも…実際、人を好きになるのって理屈じゃないのよね…」
家入も多少なりとも恋愛はしてきた。
だからこそ、その複雑な感情というものは理解できる。
「あまり、こじれなきゃいいけど」
家入はそう呟きながら、中で楽しそうに話す二人の会話を暫く聞いていた。
2018年、7月。
上層部の思惑で一度は死亡、とされた虎杖悠仁だったが、次の日にはまさかの復活を遂げ、安堵したのもつかの間。
五条は虎杖が生き返った事を上層部にはバレないようにする為、家入に嘘の診断書を提出させた。
そしてその虎杖を暫くかくまう為に、五条は高専の地下にある個室を勝手に改造し、そこで映画鑑賞なる修行をさせると言い出した。
「うわー何か秘密の部屋みたいで落ち着く」
「ほーんと。え、ここで俺、修行すんの?」
「そうだよ」
と虎杖の後ろから部屋に入って来た五条が頷いた。
長い階段を下りた地下深くに、その部屋があり、中には五条が持ち込んだテレビとソファが鎮座していた。
そこで五条は虎杖に呪力と術式の違いなどから説明しだしたが、当の本人は「なるほど。わからん」と首を傾げている。
呪術の事は全くの素人である虎杖に、五条は根気よく術式の何たるかを教えている。
はそんな二人を見ながらソファに座り、五条が運んで来た沢山のDVDを一つ一つ見ながら、夜蛾からくすねてきた呪骸を抱き、暇を潰していた。
この部屋で虎杖に修行させ、ある程度の力をつけさせたら、夏に行われる京都姉妹校との交流会で復活させるようだ、
「訓練方法はいくつかあるけど、悠仁にはかなりしんどいのやってもらうよ」
「ど、どんな?」
一通り説明し終わったのか、五条がの方へ歩いて来ると、テーブルに並べてあるDVDのパッケージをいくつか手に取った。
「映画鑑賞!」
「映画…鑑賞?!」
案の定、虎杖が驚いた。
「そ、名作からC級ホラー。地雷のフランス映画まで起きてる間はブッ通しでだ」
「??」
「もちろん、ただ観るだけじゃないよ」
と、五条は言って、が抱いていた呪骸を手に取った。
「コイツと一緒に観るんだ」
と、呪骸を虎杖の方へ差し出す。
それを受け取った虎杖は不思議そうな顔で、寝息を立てている呪骸を眺めた。
「何、このキモカワイイ人形」
「…可愛いか?。それ学長特性の呪骸だよ」
「あー!やっぱりか!趣味が同じ!」
思い出したように虎杖が叫ぶと、更にわからんといった顔をした。
「……で?全然要領を得ないんだけど」
「焦らない、焦らない。そろそろだよ」
と、五条が言った瞬間、虎杖の手に抱かれていた呪骸の目がパチリと開き、渾身の右ストレートが顎に炸裂した。
「いっでえぇぇぇぇぇ!」
まさかの攻撃に、油断しまくっていた虎杖は顎を押さえて叫んでいる。
その様子を見ながら、五条は説明を続けた。
「その呪骸は一定の呪力を流し続けないと目を覚まして、今みたいに襲って来るよ。さっきも言った通り、ここには色んな映画が揃ってるから、ドキドキハラハラワックワク。泣けて笑えて胸くそ悪くなれる」
五条は映画と呪骸の説明を終わらせると、呪骸に何度も殴られている虎杖を見て苦笑いを浮かべた。
「もっぉぉおー-!!」
何度目かのパンチを喰らい、虎杖が呪骸を床へ投げ捨てる。
「はい。イライラしても呪力は一定」
五条がつかさず言うと、ソファに座りながら呑気に見学していたが笑った。
「なーんか面白そう。私も悠仁とここで映画でも観てようかな。お菓子も買いこんできたことだし」
その一言に、五条が反応し、の隣へ座った。
「そんなのダメに決まってるでしょ」
「え、何で?」
「僕が他の男とが二人きりで映画鑑賞するのを許すと思う?」
「他の男って…悠仁は生徒じゃない」
「でもダメ。宿儺の器である悠仁にものフェロモン効果があったのは確認済みだし絶対ダメ」
「えぇぇぇ…」
「い、いや、俺も自信ないっす…」
二人のやり取りを見ながら、虎杖も苦笑いを零す。
先ほど抱きつかれた時も何気に体がヤバかったのを思い出し、かすかに頬が赤くなる。
ただでさえからはいい匂いがして、傍に長くいると変な気分になってくるのだ。二人きりだと何もしない、とは言い切れない。
まあ何かしたとしての方が強いのだから、返り討ちにされるだろうが、それも普通に怖い虎杖だった。
そして、虎杖の反応を見逃す五条ではなかった。
「ほら!本人が申請してるんだから間違いない。だからはこれから僕と一緒に食事ね」
「え、でも今夜は正道と食事に行くんでしょ?」
「そうだけど、もちろんも連れて来いとの命令だから」
「えっそうなの?」
「そうなの」
五条はそう言ってニッコリ微笑むと、の腕を引き寄せ、その赤い唇を優しく塞いだ。
そしてそれを見せられた虎杖は慌てて後ろを向く。内心また始まってしまった…と思っていた。
そして二人に意識が向いた事で、またしても呪骸のパンチが顎にヒットする。
「うがっ!!」
「ちょ、ちょっと悟…」
「いだっ!!」
「ほら、僕らがいると悠仁も集中できないみたいだし、伊地知が車で待ってるから、行くよ、」
二人がイチャついている間中、部屋に響く虎杖の悲鳴に、五条が軽く吹き出した。
そしての手を引っ張ると、虎杖にソファを譲る。
するとが部屋の隅に置いてあったコンビニの袋を持ってくると、虎杖にコーラとポテチを差し出した。
「はい。これ食べて」
「あ、サンキュー。さん。やっぱ映画鑑賞にはコーラとポテチだよな」
「だよねー。じゃあ、頑張ってね」
すでに呪骸に殴られまくっているボロボロの虎杖に、は笑いを噛み殺しながら手を振った。
「じゃあ悠仁ー。僕ら用事があるから行くけど、その調子で頑張ってね」
「…こんなんで強くなれんの?」
少々不満げにボヤく虎杖を見て、五条は笑いながら出て行きかけたが、ふと大事な事を聞くのを忘れて振り返った。
「そうだ。死んでる時、宿儺と話したかい?」
「話…」
「心臓を治すにあたって条件とか契約を持ちかけられなかった?」
「あー…。何か話した気がするけど…思い出せねぇんだよな」
「……そうか」
虎杖の言葉に、五条はしばし考えこんでいたが、が「早く行こ?」と言って手を引っ張って来るのを見て、一緒に部屋を出た。
だがあの宿儺がタダで虎杖の心臓を治すとは思えない。
何かあるな、と思ったが、当の本人が思い出せないと言うなら様子を見るより他に手はない。
「正道、何ご馳走してくれるのかな」
「きっとの好きなものでしょ」
嬉しそうに話しながら繋いだ手を引っ張って来るに微笑みながら、五条は階段を上がっていった。
2013年、2月。
がふざけ半分でタバコを吸いぶっ倒れてから三週間。
すっかり元気になったは、お小遣い制の期間が終了した事で夜蛾からカードも返してもらい、精神的にも元気になったようだった。
任務のない今日は、昼間から夜蛾の息子(?)パンダと一緒に、仲良くグラウンドで体術の訓練をしている。
朝から一件、任務をこなして帰って来た五条は、校舎に向かう途中でを見かけてグラウンドへと足を向けた。
夜蛾が突然変異呪骸を作り出してから早数年。子供の頃から面倒を見ていたパンダとジャレるは、傍から見てるとまるで姉弟のようだ。
「この寒い中、あいつら、元気だな…」
今日は呪具を使っての戦闘をシミュレーションしているのか、とパンダはいつもの格闘技ではなく、長物を使った中距離戦を繰り広げている。
時折楽しそうな笑い声を上げるに、五条はふと笑みを浮かべた。
の笑顔は、周りを元気にする力があるな、と思う。
だからこそ、三週間前、青い顔で倒れていたを見た時、五条は血の気が引いた。
あれほど、何かに対して怖いと感じたのは生まれて初めてだ。
不老不死だと分かっているのに、を失うかもしれない、と一瞬でも考えた時、五条は確かに恐怖を感じた。
そして頭によぎったのは四年半前、五条を置き去りにし、雑踏の中に消える親友の後ろ姿。
また、僕を置いていくのか―――?
そんな言葉が頭に浮かんだ。
いつの間にか、五条の中で傍にのいる日常が当たり前になっていた。
「あ、悟ー!」
その時、が五条に気づいて笑顔で手を振って来た。
五条も軽く手を上げると、はパンダに何かを言って、急いで走って来る。
「お帰り!任務終わったの?」
「ああ。サッサと終わらせてきた。はパンダと遊んでたの?」
五条が敢えてそう言うと、はムっとしたように唇を突きだした。
「遊んでたんじゃないよ。呪具訓練だもん」
「どう見てもジャレて遊んでるようにしか見えなかったけどねー」
五条は笑いながらパンダを見て、再びの方へ視線を戻した時。
目の前には可愛らしいリボンでラッピングされた箱があり、五条は驚いてサングラスをズラした。
「え…?なに―――」
「Happy Valentine!」
は笑顔でそう言うと、その箱を五条の胸に押し付けて来る。
それを受け取った五条は、「え、バレンタイン…って…」と驚きのあまり、言葉を失った。
「明日のバレンタインは私、出張でいないから一日早いけど、チョコだよ」
その言葉で更に驚いた五条は、自分の掌にある箱をマジマジと眺めた。
「え…でも、自分の国では男から女に花を渡すのが当たり前だし、女から何かを渡すなんて考えられないって言ってたろ。これまで一回もくれた事なかったのに何だよ、急に…」
外国と日本でのバレンタインは形式が違う為、は一度も誰かにチョコを渡した事はなかったし、それは五条もよく知っていた。
なのに今年に限ってチョコをくれたに、五条は少し戸惑った。
だがは楽しげに笑うと、
「だって悟にはお小遣い制度の三か月間、凄くお世話になったし、この前倒れた時は人工呼吸までしてもらって迷惑かけたし…だからその感謝を込めて」
「…感謝チョコかよ」
「え、嫌?」
「…別に嫌とかじゃないけど」
と言いつつ、また胸の奥がモヤっとした。
「ああ、本命チョコは千尋にやるんだ」
ふとその存在を思い出し、ついそう言っていた。
だがはキョトンとした顔で「え?あげないよ」と言った。
「言ったでしょ?私の国には女からチョコをあげる習慣なんかないって」
「それは聞いたけど…。じゃあこれ…」
「だからそれは、私が生まれて初めて人にあげるチョコ。悟にはあげたいなあって思ったから」
「………」
そう言って不意に見せたの笑顔を五条は素直に、綺麗だ…と思った。
そして自分にだけ、それも初めてのチョコをくれた、と聞いた時、胸の奥が苦しくなるような感覚を覚えた。
心の中にこみ上げて来た、狂おしいくらいの感情と心音の正体を知った時、五条は今日まで、自分が恋をしていた事に気づいた。
初めて殺せない相手に出逢ったあの日からずっと、自分はに恋をしていたのだ、と気づかされた―――。
フルチンでも、あまり動じてない虎杖に笑ったシーン笑
虎杖は見ててホント面白いというか素直で可愛い。