Roses and chocolate.10



2013年、2月。


バレンタインデー当日。
娯楽室のテーブルに置かれた可愛らしい蒼いリボンに上品なデザインの箱。
それは昨日、が五条にくれたチョコレートだ。
テーブルに両肘を置き、そこへ顎を乗せながら、五条はその箱をかれこれ一時間は眺めていた。
貰ってからまだ一度も箱は開封していないので、中身がどんなチョコなのかは分からないが、包装紙を見れば、かの有名なショコラティエがオーナーを務める店の物だというのは分かる。
それゆえに値段も張る。
小さなトリュフチョコのセットでも普通に一万超え、通常サイズのチョコのセットは二万超え、それ以上になると一番高価なもので八万超えは当たり前。
それでもこの店のチョコレートは絶品で、五条も時々自分用に買ったりする。
もそれを知っていて、この店のチョコをくれたんだろうな、と五条は思った。
好きな相手が自分の好きな物を知っていて、それをプレゼントしてくれる、というのが、こんなにも嬉しいものなのか、と、ついニヤケる。

「何一人でニヤケてんの?キモ」
「……硝子」

そこへ歓迎したくない人物が顔を出し、五条はズレたサングラスを戻して体を起こした。

「あ!それジャンポールエヴァンのチョコじゃん!どうしたの?あ、自分で買ったの?」
「……何の用だよ」

盗られそうな勢いの家入の喰いつきぶりに、五条はチョコの入った箱をサッと自分の後ろに隠すと、深い溜息をついた。
家入はムっとしたように目を細め、五条の隣に座ると、「バレンタインに自分でチョコ買うなんて空しいわねー」と鼻で笑う。

「自分で買ったなんて誰が言ったよ…」
「え、じゃあまた遊びの女から貢ぎ物?前は結構、貰って帰って来たけど、最近はなかったよね」
「…別に今は誰とも会ってないからな」
「え?そーなの?って、でもそう言われてみると、アンタ、夜遊び減ったよね。何で?」
「…うるせーな。何の用だよ。オマエ、夜勤じゃねーの?」
「だから夕飯後の休憩よ」

と言って家入は缶コーヒーとガムのような物を持ち上げて見せた。
だが、その手にいつもあるタバコの箱がない。
の事があったせいで、歌姫にも「この際タバコやめたら?」と言われ、家入は禁煙を始めたのだ。

「五条、歌姫さんのこと聞いた?」

家入は禁煙ガムなるものを口に放り込むと、五条へ視線を向けた。

「歌姫?あ~京都高の教師に決まったんだっけ」
「そう。だから皆で送別会やるのよ。私と五条が幹事に決まったから」
「…は?幹事?」
「そーよ。だから会場はアンタが探して予約取ってね。私はメンバー集めるから」
「やだよ…ダリィ」
「アンタ、仮にも歌姫さんは先輩なんだから、それくらいしなさいよ!あ、ついでに七海も誘っておいてよね!」
「七海…って…アイツ、忙しいんじゃねーの。会社務めだし」

五条は溜息交じりで頭をかいた。
後輩の七海には期待していたのだが、高専卒業後にアッサリ呪術師を辞め、普通の会社へ入社してしまったのだ。

「それでも声かけてみてよ。別に任務を頼むわけじゃないんだから七海だって時間あれば来てくれるでしょ」
「んぁ~。僕が誘って来るかどうかわからないけどねー。前に何度か食事誘ってみたけど忙しいって断られたし」

と、五条は寂しげに呟く。
七海は在学中から五条の誘いを断る傾向にあった。
五条としては才能溢れる七海を可愛がっているつもりなのだが、つい面白半分でからかってしまったり、無茶ぶりするせいで、プライベートな誘いは常に逃げられてしまうのだ。

「あ~なるほど。確かにね。じゃあ、それはに頼むからいいわ」
「…?」
「七海もに誘われたら来るでしょ。まあ、も七海に取ったら自分を振り回してくる同級生だろうけど、何だかんだ七海もには甘いから」
「…へえ。そうなんだ」

またしてもモヤっとした気分になる五条。
それに気づいた家入は、ニヤっと笑みを浮かべると、少しだけ五条の方へ体を寄せた。

「あれれ?」
「あ?何だよ、その顔…」
「五条ってばヤキモチ?」
「…は?僕が?何で」
「だって今、明らかにイラっとしたよね」
「別に」
「えーしたでしょ。アンタ、分かりやすいもん。そこはと一緒」

家入はからかうように笑うと、「まあ、でもにヤキモチ妬くくらい七海を可愛がってるなら、あまりからかわないであげなよ」と言って缶コーヒーを飲んでいる。

「何だ…そっちね…」

家入の言葉で小さな勘違いをした自分に苦笑する。
が、家入は不思議そうな顔で、「そっちって?」と首を傾げた。

「別に。まーじゃあ、七海の事はに頼むよ」

何だかんだ言いながら、結局幹事をやってくれるようだ、
家入は内心苦笑しながらも、ふとチョコの箱を持って立ち上がった五条を見上げた。

「で、ホント、そのチョコどうしたの?そのラッピングはどう見てもバレンタイン用でしょ」
「あ?ああ…これは…」

と言葉を詰まらせ、五条はガシガシと頭をかいた。

「…昨日、にもらった」
「……えっ?何で?」

殊の外驚いた家入は、少し気まずそうに顔を背けている五条を見上げる。
が日本のバレンタインデーは嫌い、と言って、これまで誰にも、付き合っている彼氏でさえ例外ではなく、チョコをあげない事は家入も知っている。
父親のように懐いている夜蛾からねだられても、逆に「正道、花束ちょーだい」なんて言い出す子だという事も、家入は知っていた。
そのが初めてチョコをあげた相手が五条、と知って、家入が驚くのも仕方のない事だった。

「な、何でアンタにがチョコあげるの?」
「…それは…まあ…お小遣い制の間、迷惑かけたからって事で」
「あー感謝チョコってこと?五条、色々面倒みてたもんね、の」
「まあ…そういうこと」
「へえ…それでもビックリだけど…」

と家入は言いながら、ふと先ほどの五条を思い出し、苦笑いを浮かべた。

「あーそれでソレ見てニヤけてたわけか」
「え、ニヤケてた?僕が?」
「自覚ないのかい。こりゃ重症だ」
「…重症?」

五条が訝しげに眉を寄せると、家入は真顔でアッサリ。

「アンタ、のこと大好きでしょーが」
「……は?」
「まさかまさか、とは私も思いながら今日まで二人を見てたけど…この前ので確信したのよね」
「この前って…」
がぶっ倒れた時の五条の慌てぶりを見てさ」
「………」
「あ、図星だ」

不満げに唇を尖らせる五条を見て、家入は楽しそうに笑う。
五条にしてみれば、自分がに惹かれていたと、ハッキリ自覚したのはつい昨日のことだ。
なのに家入はだいぶ前から気づいていたのか、と思うと、何となく悔しくなったのだ。

「ま、これで五条もやっと人並みになったって事か」
「何だよ、それ」
「だーってアンタ、これまで人を好きになった事ないって、どんだけ自分大好きなんだよって思ってたし」
「そんなの皆そーだろーが」
「限度ってもんがあるでしょ。まあ、五条と並べる相手が女の子で良かったじゃない?」

家入がそう言って笑うと、五条は思い切り顔を顰めたが、確かに言われてみればそうだ、とも思う。
これまで強さが全てだと思っていたしも、ぶっちゃけ今もそうだ。
強ければいいじゃん的な考えは常にある。この呪術界で生きていれば、強さが一番必要だからだ。
そういった価値観を非術師に理解できるはずもなく、また、そういった相手と解りあおうとすら思っていなかった五条にとって、自分と並べる強さがあるという存在は、やはり貴重。
そしてそれとは別に、また違う感情を、五条に教えてくれた相手でもある。
何でも出来て、あまり何かに煩わされるといった事がこれまでなかった五条は、というハチャメチャな存在にとにかく振り回されて来た。
それまで好き勝手にしてきた五条が、同じように自由奔放なと一緒にいると、何故か自分がしっかりしなきゃ、と思ってしまう。
は強いだけでなく、五条に成長するキッカケを作ってくれた相手でもあるのだ。

「ま、それだけじゃないけどね」
「えー?他に何があるのよ。ああ、やっぱ保護者的な観点から愛情でも沸いた?」

家入も何となく気づいていた事を口にすると、五条は「ぷ…っ」と吹き出し、楽しげに笑いだした。

「まさか僕が人の面倒見たり、心配するようになるなんて…笑える。放っておけないって思わされてる辺り、やっぱ重症か」
「それな。昔は五条の方が周りを振り回してたしねー。んで、夏油が止める役でさ」
「今なら傑の気持ちが理解できる」
「だね。はーアイツ元気にしてんのかな。サッパリ姿見せないけど」
「さーな。傑の事だからコツコツ仲間集めでもしてんじゃねーの。何とかって宗教団体乗っ取って活動してるって事までは調べついてんだろ」
「そうみたいねー。ま、そのうち何かやらかすだろうけど。その時は五条、アンタが止めてよね」
「当然だろ」

五条はそう言いながら吹っ切れたような顔で笑った。
その表情を見て、家入もコイツは大丈夫だ、と確信する。
そして未だに大事そうに持っている箱へ目を向けると、

「んで…そのチョコ、いつまで取っておく気?」
「あ?ああ…」
「まさか食べるのもったいない、とか乙女みたいなこと考えてないでしょーね」
「…………」
「考えてたのか…」
「うるせーな!食べるよ!…そのうち」(!)

僅かに頬を赤くして顔を背ける五条を見て、家入が吹き出す。

(まさか生きてるうちに、女の事で照れる五条を拝めるとは…地球がそろそろ爆発でもすんのかしら…?)

内心そんな事を思いつつ、家入は未だそっぽを向いている五条を見た。

「で、どーすんの。に告る気はあるわけ?まあ、は今、千尋と絶賛交際中だけど」
「…分かってる。別に千尋との仲を壊してまで間に入ろうなんて思ってないし」
「それは二人がまたすぐ別れるとか思ってるから?」
「まあ…は誰に対しても一線を引いてる付き合いしかしてないじゃん。でも千尋ものこと大事にしてんだろ?」
「そうみたいね。手を出そうとしないみたいだし…意外だけど。ミュージシャンって軽いイメージあったけど千尋って相手の事を一番に考えるタイプだったみたいね」

ひょっとしたらもマジで惚れちゃうかもよ?と家入は意味深な笑みを浮かべる。
だが五条はどこか確信めいたものがあり、「いや、それはないだろ」と苦笑した。

「何でそう言い切れるの?」
「だっての好みは強くて頭のいい男、だろ?千尋はミュージシャンで別に強いわけじゃない」
「そう言われてみれば…そうね。じゃ、何では千尋と付き合ってるんだろ」
「何かギターや音楽の話が合うとか言ってたけど?」
「あ~、楽器も好きだもんね。え、じゃあ、それだけ?」
「あとは…ダイアナが千尋の顏をお好みだとか」
「……なるほど。ダイアナの趣味ってにも影響されるんだっけ?」
「多少はそうなんじゃねーの?心は違っても心臓は一緒なんだからダイアナが反応すりゃ……」

いや、それは違ったんだっけ、と五条はこの前六眼で捉えた"影"の事を思いだした。
まだ本人に確かめてはいないが、それを伝えてもいいものなのか、五条は悩んでいた。

「五条…?どうしたの?」
「…いや。何でもない。つーか硝子、戻んなくていいの?」
「あ、いけない。休憩終わっちゃう…」

家入は時間を確認すると慌てたように立ち上がる。
が、ふと振り返り、「ところでは出張だっけ?」と、訊いた。

「そう。でも日帰りだから帰りがけ千尋んとこ寄って花束おねだりするとか言ってたな」
「へえー。そりゃあアンタも心配ね」
「…別に心配なんてしてないし」

はこれまでも外泊デートをした事がない。
なのでその辺は本当に心配はしてない。
今まで何度かあった事で免疫が出来ているだけだが。
ただ、やはり他の男と一緒にいる、という点では心中穏やか、とまではいかなかった。

「五条って我慢強い方だったんだねー」
「何ソレ。ムカつくんですけど」

むっとしたように睨む五条に、家入は楽しげに笑いながら、手を振って娯楽室を出て行った。

「我慢強い、ね…」

そんなわけあるか、と思う。
ただ、が仲間と恋愛しない、なんて決めてるせいで、このモヤモヤした気持ちが治まるどころか加速する一方だってのに、と五条は舌打ちした。
これまで通り、いい仲間として接するのが一番いいんだろうが、自分の気持ちに気づいてしまった以上、同じように出来るか自信がない。

「はあ…自分の思い通りにいかないって、しんど」

これまで好き勝手に生きて来た五条にとって、初めての恋愛が自分に立ちふさがる壁となっていた。

その頃―――は出張帰りに恋人である千尋のマンションに来ていた。
今日は曲作りで一日中、家にこもると話していたので、顏だけ見に寄ったのだ。

「じゃあ、ほんとコレありがと」

帰りがけ、腕に抱えた大きな薔薇の花束を見ながら、は嬉しそうに微笑んだ。

「喜んでくれて僕も嬉しいよ」

千尋も笑顔で応えると、がブーツを履いているのを見ながら、「ほんとに帰るの?」と訊いた。

「うん。曲作りの邪魔したくないし、私も明日は朝から仕事あるから」
「そう…。でも送っていけなくてごめんね」

千尋は申し訳なさそうにの腕を引き寄せると、触れるだけのキスを唇に落とした。
いくら深い関係にはなりたくないでも、そのキスは少し物足りないと思うくらい、アッサリとしたものだ。
もう少し強引に引き留めてくれてもいいのに、なんて勝手な思いも残る。
だが千尋はいつもこうで、特に体の関係を迫ってくるでもなく、もその話題はしない為、未だプラトニックでゆったりとした付き合いが出来ている。
ただ不満があるとすれば、お互い忙しいため、会える時間が少ないせいか、そのアッサリした関係がの中では寂しい思いを募らせるだけにもなっていた。
これでは恋人でいる意味がない、と思うほど、今のにとっては物足りないというのが本音だった。

「じゃあ…またね。曲作り頑張って」
「うん、ありがとう。も気を付けて帰ってね」

千尋は笑顔で手を振り、も同じように手を振ると、部屋を出てエレベーターへと歩いて行く。
先ほど補助監督の安田にメールをしておいたから、そろそろ下に到着している頃だろう。
その時、ダイアナがに話しかけて来た。

《その薔薇、早く捨てて。臭いわ…》

「我慢してよ。せっかくプレゼントしてくれたのに」

《その匂い、嫌いなのよ…》

「分かるけど…」

ヴァンパイアにとって好ましくない香りなのか、ダイアナは極端に薔薇の匂いを嫌う。
そしてそれはにとっても同じだが、まさか千尋が薔薇をプレゼントに選ぶとはも思わなかった。

(まあ、薔薇はプレゼントの定番だもんね…)

そう思いながらエレベーターのボタンを押す。
数秒で上がって来たエレベーターに乗り込もうとした時、先に誰かが降りて来た。
それはJOINのヘアメイクを担当している男で、は一度、スタジオで顔を合わせている。名前は確か、そうサトルだ。
彼もまたいわゆる美少年風の端正な顔立ちプラス、五条と同じ名前だから何となく覚えていた。

「あ、どうも…」
「こ、こんばんは」

その男は驚いたようにを見たが、「もう帰るんですか?」と訊いて来た。
彼もが千尋の目下の恋人だという事は知っているはずだ。

「あ、うん。えーと…千尋に用事?」
「ああ、はい。ちょっと次のアルバムのジャケ写の時の髪型を相談したいと言われて」
「そうなんだ。遅い時間にご苦労様です。じゃあ、私はこれで」
「お疲れ様です」

男も笑顔で挨拶をすると、千尋の部屋へ歩いて行く。
それを見送りながら、はエレベーターへ乗った。
が、ロビーのボタンを押してケータイを出そうとした時…

「Shit...」

千尋の部屋にケータイを忘れて来たらしい。
は軽く舌打ちすると、急いで開閉ボタンを押してホールへ飛び出した。
そのまますぐに千尋の部屋へ戻ると、インターフォンは押さずに普通にドアを開ける。
先ほどのサトルというヘアメイクが来たばかりなら、千尋もまだ玄関にいるくらいの時間だと思ったからだ。
そのままケータイだけ取って来てもらえばいい、というくらいの気持ちだった。
が、ドアを開けた瞬間、は思い切りフリーズする事になる。

「Oh... my...god...」











「―――は?ゲイ?千尋が?」

家入は驚愕の表情を浮かべて振り向いた。
深夜一時。夜勤途中、再び缶コーヒーを買いに来た家入は、娯楽室の中からの泣き声、そして五条が何やら慰めてるような声が聞こえて来たので、中を覗いてみた。
すると、そこには号泣している、そして困ったような顔で彼女を慰めている五条がいたのだ。
慌てて事情を聞いてみると――最初は五条が何かしたかと勘違いした――が泣きながら自分が見た事を教えてくれた。
ケータイを忘れた事に気づき、取りに戻ったが目にしたのは、ヘアメイクの美少年と千尋が玄関で抱き合いながら、熱いキスをしている光景だったらしい。

「マジか…」
「…もうショックで…貰った薔薇の花束で殴りまくっちゃった…」(!)
「……そ、そう…」

家入はちょっとだけ薔薇と、そしてその二人に同情した。
きっと千尋とその相手の男も、薔薇の棘で傷だらけになっている事だろう。
薔薇をプレゼントした千尋も、別の花にすれば良かった、と後悔しているかもしれない。

「それで忘れたケータイを取って、そのまま飛び出して来たってこと?」
「ううん…ちゃんと話し合ってきた…」
「え、その千尋の本物の恋人も入れて?」
「だって…ワケ分かんないし…」
「まあ…からすればそうよね。口説かれて数か月も付き合った相手がゲイだなんて言われても」

家入は溜息交じりで頬杖をつくと、の隣で複雑そうな顔をしている五条へ視線を向けた。
五条にしてみたら思ってもみない展開だったろう。

「で、千尋は何でに付き合おうなんて言ったのよ。バイではないんでしょ?」
「ああ、だから…カモフラージュに使われたくさい」

と、の代わりに五条が口を開いた。

「え、カモフラージュ?」
「千尋ってよく考えたら今まで女絡みのゴシップって一度もなかっただろ」
「ああ、言われてみると、そうね」
「でもここ数年人気も上がって注目を浴びて来ると邪推するヤツも増えるからカモフラージュとして―――」
「女の恋人がいるフリ、ね」
「そういうこと。自分のファンでもない、芸能に疎そうななら大丈夫だって思ったんだろ」

五条が苦笑交じりで肩を竦める。
が、そんな事に使われたにとったら、やはりショックだったようだ。

「でも通りでね」
「え?」
「あのと一緒にいて少しもその気にならないのは変だなーとは思ってた」
「あー確かに、な」
「男が好きな千尋にとったら、多分私とか歌姫さんがといて、ふわふわしてくるのと同じくらいのものだったんじゃない?」

家入はテーブルに突っ伏して落ち込んでいるを見ながら苦笑した。

「良かったじゃない、五条」
「あ?」
「これでは晴れてフリーなんだから気兼ねする事もないんじゃないの」
「……別に落ち込んでるとこ付け込むようなマネ、する気はないよ」
「へえ。優しいじゃん」
「うるせーな…」

には聞こえない程度の声量で話す二人。
だがはガバリと顔を上げると、「決めたっ」と大きな声を出した。

「私、もう恋人なんか作らない!」
「はい?」

の宣言に、家入が目を丸くする。そしてつい視線を五条に向けた。
しかし五条は「無理に決まってんだろ?」みたいな顔で肩を竦めて苦笑いを浮かべている。

、そんなこと決めなくてもいいんじゃない?」
「ううん。もう決めたの。結局、私も千尋に深入りしなかったのは事実だし、それは向こうにも都合が良かったんだろうけど、私だって彼と本気で向き合ってたわけじゃないから同罪だよ」
「それでいいの?は寂しがり屋じゃない」
「いいの。よく考えれば私には硝子も悟もいるし寂しくないもん。正道だってパンダだっているし」
「………」

家入がチラリと五条を見ると、想像通り"夜蛾やパンダと同じ枠かよ"的な顔をしていた。
要はウンザリ顔だ。

「さ、そうと決まれば明日からはバリバリ働くキャリアウーマン目指す!」
「いや、呪術師だから!キャリアーウーマンではないでしょ」

気持ちを切り替えたのか、家入の突っ込みはスルーして、はスッキリしたような顔で立ち上がると、

「じゃあ明日も早いから私は寝るね。お休み、悟、硝子」
「お休み、
「はあ…お休み…」

元気よく娯楽室を出て行くを見送り、五条は深い溜息をついた。
それを苦笑気味に見ていた家入は、缶コーヒーを飲み干すと静かに立ち上がる。
五条の様子を見れば、またに振り回されたというとこだろう。

「もしかして…戻って来たに泣きつかれた?」
「…ああ。ったく、人を叩き起こして散々泣きわめくし、他のヤツに迷惑だからここに連れて来たの」
「なるほどね」

五条の話に、家入は爆笑すると、「ま、惚れた弱みってやつか」と五条の肩へポンと手を置く。

「とりあえず、がまた他の人を見ないように、アンタも口説いてみるくらいの事してみれば?」
「……口説くって…」
「アンタも散々他の女を口説いてきたんでしょーが」
「それは遊びだからテキトーだったし。でも本気の子を口説くってどーやんの?」
「知らないわよ…。普通に好きだって言えばいいじゃない」

家入は呆れたように五条を見下ろす。
遊びでは口説けても本気となると勝手が違うらしい。

「ああ、そう言えば五条、にチョコ貰ったんでしょ?」
「だから?」
「ならホワイトデーのお返しついでに告っちゃえばいいじゃない」
「は?ついでって…」
「だから何かの好きそうなものプレゼントしてさ。あんま安物じゃなく、でも高級すぎず、まあ本気だって伝わるような物を買ってあげたら?そうしたらも意識するかもよ?」
「……そんなんで意識、する?僕のことパンダや学長と同じ枠で見てるアイツが」
「まあ、そこは頑張りどころじゃないの?」

家入の提案に、五条は腕を組んだまま首を傾げつつ何やら考え込んでいる。
そこで家入は最後のダメ押しと言わんばかりに、

「いいの?がまた他の男に恋しちゃっても」
「……考えただけでイラっとする」
「ほーら。だったら自分の方に振り向かせるしかないじゃない。だって仲間と恋しないって決めてるけど、そんなに人の気持ちって単純なものでもないでしょ」
「そうか?は単純だろ」
「でも素直ではあるから案外、五条が本気で告白したらコロっと落ちるかもよ?」
「そう簡単に落ちて欲しくもないんだけど…。は今まで別れを前提にした付き合いしかしてないんだし、簡単に落ちたらアッサリ終わりそうで怖い…」

五条はそう言いながら溜息をついている。
まあ、それを心配する気持ちは、家入にも痛いほど理解できた。
と言って、このままの立ち位置で、好きな相手が別の男と付き合うのを見せられるだけなんて、そっちの方がよほど不毛だろうと思う。

「ま、告るかどうかは五条次第だけど。私はお似合いだと思うわよ?と五条」
「お似合い…?」
「そ。問題児同士で」

家入は笑いながら言うと、「じゃ、仕事戻るわ」と言って娯楽室を出て行く。
それを見送りながら、五条は「ホワイトデーねぇ…」と苦笑を零す。
チョコのお返しなんて一度もした事がない五条にとっては、それすらハードルが高い気がした。
が、家入の言う通り、がフリーになった今がチャンスなのは間違いない。

「プレゼント…か」

が喜びそうな物を考えながら、五条は再び眠れぬ夜を過ごす羽目になった。










2018年、7月。


虎杖を高専に残し、五条とは伊地知の運転する車で、夜蛾と待ち合わせをしている店へ向かっていた。

「あ、そう言えば悟。いつ憂太に会いに行くの?この前は他の任務で発てなかったでしょ」
「ああ、実は明後日、ちょっと七海と北海道の任務に行く事になってさ。だから憂太のとこはその後かなー」
「え、北海道?でもいいの?海外出張、先延ばしで」
「いいのいいの。それは僕の個人的用事の出張だから」
「ふーん。ああ、そう言えば憂太に何か頼んでたよね」

はふと今年初めに海外へ経った憂太の事を思い出していた。
五条は色んな事を考えて何かしら動いているのはも知っている。
その一つ一つ全てを聞くわけではないので、憂太が今、海外で何をしているのか、も詳しくは知らなかった。
と言っても、五条はその都度に簡単な説明はしてるのだが、が忘れてしまうだけ、ともいう。
この時もの様子を見ていた五条は、前に説明したのを忘れてるな、と気づいて内心苦笑を零した。

「でもいいなあ、北海道」
も行く?任務は七海に任せて二人で観光しようか ♡」

五条はそう言いながらの肩を抱き寄せ、頬へキスをする。
半分本気の五条の誘いに、は軽く首を振った。

「行きたいけど悟がいない間は恵や野薔薇、あと悠仁の様子も見ないといけないし…」
「ああ、恵と野薔薇はパンダたちに頼んでおいたよ」
「え?帰って来たの?」
「うん。もう今日の昼間、野薔薇とも顔合わせしたみたい」
「そっかー。あの三人なら二人を任せられるね。じゃあ私は任務の合間に悠仁を見てればいいの?」
「んー。悠仁は暫く引きこもりで映画鑑賞させる予定だから、僕が戻るまで放置でいいよ」(!)
「放置って…じゃあ私、暇じゃない」

苦笑しながらが五条を見上げる。
その瞬間、唇を塞がれ、が目を見開くと、それはすぐに離れた。

「だからも北海道に来たらいいんだよ。七海と二人きりなんて面白くもないし」
「な…何でキスするの…」
「え?そりゃーしたいから」

同じ車内に伊地知がいても相変わらずお構いなしの五条に、の頬が赤くなる。
そして見てはいないものの、ちゅっという音は聞こえてしまった伊地知もついでに顔が赤くなった。
二人のイチャつきは何度となく見せられているが、一向に慣れない。

「北海道から帰ったら僕は海外だし、少しの間離れる事になるから、それまではと一緒にいたい」
「でも任務が入ったら…」
「一泊くらい大丈夫でしょ」

一泊くらい、と聞いては悩んだ。
五条にそう言われるとそうかな、と思ってしまう。
それに残ったところで生徒達は、二年の皆が面倒を見ると言うし、がどうしてもいなきゃいけないわけでもない。

「じゃあ…北海道、行こうかなぁ」

がそう言うと、五条は「実はのチケットも手配済み」と微笑んだ。
何とも仕事が早い五条だが、それも伊地知に用意させたものだ。

「それじゃー私が返事する前に準備してたってこと?」
「まあ念のため」

と、五条は笑いながらの頭を抱き寄せ、そこへキスを落とす。
どうもうまく丸め込まれた気がするだったが、五条と一緒に北海道旅行が出来るならまあいいか、という気にもなって来る。(※旅行ではない)
その時、伊地知が時計を確認しながら五条へ声をかけた。

「学長との約束の時間まで、まだ少しありますけど、どこか寄ります?」
「いや、いいよ。たまには先についててあげよう」

いつもはだいたい五条が少し遅れて到着する為、夜蛾にブツブツ言われる事になる。
だが今日はが一緒という事もあり、二人で先に行って待つのも悪くない、と五条は思った。
が、不意にある気配を感じ、五条は窓の外へ視線を向けた。

「……止めて」
「えっ…ここでですか?」

まだ高専を出て数分進んだこの場所は、周りに雑木林しかない寂しい場所だ。
何の為に?と思わなくもないが、そんな事を言えば五条に何をされるか分からない為、とりあえず素直に止める。
すると五条は「は伊地知と先に行ってて」と声をかけている。

「え、悟は?」
「僕もすぐ追いかけるから」

そう言って五条はの唇へ軽くキスをすると、すぐに車から降りた。

「伊地知、分かってると思うけど、に惑わされても触れちゃダメだよ?」
「そ、そんな滅相もない…!」

と伊地知は首をぶんぶん振りながらも、じゃあ何故自分と二人にするんだ、という思いがこみ上げて来る。

「あのぉ…これ何か試されてます?本当に先に行ったら殴る、的な…」
「……僕を何だと思ってるの」

伊地知のあほな質問に、五条の声が一段低くなる。
そして、「ま、に手を出したら殴るだけじゃ済まないけど」とにっこり微笑んだ。
その笑顔が悪魔に見えて、伊地知を震え上がらせる。
そもそも補助監督の自分が特級術師にセクハラなど出来るわけがなかろう!と心の中で叫ぶ。

「悟、早く来てね」

心配そうなには優しい笑顔を見せて手を振る五条に、伊地知は差別だ、と思いながらもアクセルを踏みこんだ。
そしてバックミラー越しに後ろを見ると、は後ろを振り返り、五条の姿をいつまでも見ている。
その顔はどこか寂しそうで、伊地知は、ああ、さんは本当に五条さんの事が好きなんだな、と思うのと同時に、彼のどこがそんなに好きなんだろう、と失礼な事を考えていた。
伊地知からすれば五条は無理難題を押し付けて来るストレスの根源ではある。
だが見ている限り、彼女に対しては恐ろしく優しい。そしてエロい。(!)
スキンシップ大好きで、あの大胆に見えるが照れるくらい時と場所を選ばず、キス魔の本領を発揮しているし、常に彼女のどこかに触れている。
独占欲もかなりのもので、他の男と仲良く話しているだけで不機嫌になり、だいたいその後は小さなケンカが始まるのだ。
でもそれをも受け入れてるのだから、恋とは理屈ではないんだろうな、と伊地知は思った。

「あ、あのさん。心配なら少し先で五条さんが来るのを待ってますか?」
「…ううん。いいよ。伊地知くんは先行ってて」
「はあ。そうですか?じゃあ……」

と、つい返事をした伊地知。
が、待てよ?と今の言葉の意味を考えた。

(伊地知くんは先に行ってて?行っててとはどういう意味だ?だってさんも一緒に―――)

と思いながら再びミラー越しで後部座席を見る。
そして目が飛び出るくらいに驚いた。

「え?」

思わず振り返ってしまったが、今の今まで座ってたがいない。忽然と消えた。
思わずブレーキを踏みこみ、身を乗り出してシートの足元まで覗いてみたが、そこにもいない。当たり前だ。

「え?さん?!」

車の外へ下りて辺りを見渡したが、の姿はどこにもない。
ただ外灯も少ないその国道は、奥に雑木林が広がっているだけだった。
そもそも走行中の車内から姿を消すなんて、普通はあり得ないが、ならそれが可能、というのは伊地知も知っている。
だが、そんな事をされたのは初めてで少々驚いたのだ。

「はあ…五条さんのとこに戻ったんだ、あの人…」

という事は五条が何故あそこで降りたのか、は気づいたという事なんだろうか。
伊地知にはその理由は分からなかったが、が後を追った、という事は何かしら危険を察知したからだろうか。
いや、でも最強の呪術師である五条悟に、早々危険な事など起きるはずもない。
まあいくら考えても分からないので、とりあえず伊地知は言われた通り、夜蛾の待つ店へ先に向かう事にした。

「はあ…私だけ行っても仕方ないのに…」

夜蛾学長が不機嫌になるのは容易に想像できて、伊地知は本日69回目の溜息をついたのだった。







伊地知の想像通り、は力を使って車体を通り抜けると、空高くまで浮かび、五条が降りた辺りを見渡した。
すると大きな衝撃音と共に炎のようなものが見えて、はニヤリと笑みを浮かべた。

「やっぱり…呪いがいたんだ」

先ほど五条が車を止めさせた時は気づかなかったが、彼の様子が気になりもそこへ向かう事にしたのだ。
五条だけでも大丈夫だろうが、車を降りてまで彼が相手をする呪いに、も多少の興味が沸いた。

「ちょっと見学に行こ」

風を操りスピードを出すと、あっという間に先ほどの場所へ戻って来た。
だが、その場所はさっきとは違い、道路はひび割れ、焼け焦げていて、コンクリートの溶けた匂いが充満している。
そしてあちこちに残る呪霊と五条の"残穢"。これは相当強い呪霊の仕業だ、とにも分かった。

「まさかの特級か…」

術師をやっていても特級となると滅多に遭遇しない。
それほどに奇異な存在なのだ。
宙に浮きながら辺りを見渡すと、五条の"残穢"が道路から下方の雑木林まで続いている。
どうやら"赫"を使ったようだ。
その雑木林から何かがなぎ倒されてるような騒音が聞こえて来る。
上から見下ろせば、ドミノのように大きな木々が次々に倒れていくのが見えた。

「あそこ?」

すでに五条は戦いの場を移動したようだ。
は迷わず、戦闘音のする方へ飛んで行った。
すると、月明りの中、手から呪力の塊を発している"何か"が宙を舞う姿が視界に入る。
その直後、ソレの背後に高く跳躍した五条が現れ、呪霊と思われる物体を思い切り蹴り飛ばすのが見えた。

「あ、悟!」

お目当ての五条を見つけた事で嬉しそうな声を上げたは、すぐにその方向へと飛んでいく。

蹴り飛ばされた呪霊は雑木林の中央にある湖へと大きく弾き飛ばされ、派手に水しぶきが上がった。
その様子を空中から見下ろしていた五条はふと良い事を思いつく。

「あ、ちょうどいいか」

その時、背後にの気配を感じ取り、五条は驚いた様子で振り返った。

?!」
「悟ー!」
「…ぅわっ」

は五条の方へ飛んでいくと、その勢いのまま思い切り抱き着いた。
そして至近距離で見つめると、は嬉しそうな顔で微笑む。

「特級、あっさりボコボコにしちゃうなんて、さすが悟」
「もー驚くでしょ?何やってんの」

口ではそう言ったものの、その顔は怒ってるわけではなく、またしても予想のつかない行動をしたに苦笑しているといった様子だ。

「先に行っててって言ったよね」
「んーでも一人で先に行ってもつまんないし見学しようと思って」
「ったく…」

あっけらかんと言い放つに、五条の口元も緩んでいる。
自分に抱き着いているの腰を抱き寄せると、その赤い唇に軽く口付けた。

「見学で思い出したけど…ちょっと高専に戻って悠仁連れて来るから、はアイツ見張っててくれる?まあ、あの性格じゃ逃げないとは思うけど念のため」
「性格…?」
「ああ、アイツ、フツーにコミニュケーション取れるんだ。まあ、今の宿儺よりはるかに強いよ」
「Wow!そんな特級、滅多にお目にかかれないのに。でも悠仁連れて来るって…何で?」
「勉強だよ。僕ら呪術師がどう戦うのか実際に見るのもね」
「あ、そっか。OK」

あっさり承諾したを見て、五条は軽く微笑む。特級呪霊相手に五条がこういう頼み事が出来るのもくらいだ。
五条はもう一度身を屈めてにキスをすると、そのふっくらとした唇を軽く甘咬みした。

「ん、悟…?」
「このお礼は今夜たっぷりしてあげる」
「……っ?」

そう言って妖しく微笑むと、五条は瞬時に姿を消した。
"蒼"を使って高専に転移したのだろう。
だがは真っ赤な顔のまま、「悟のエッチ…」とボヤきつつ、湖上空へと飛んだ。
そこには五条が蹴り飛ばした特級呪霊が浮かんでいる。

「アイツかぁ…。凄い呪力量…今の宿儺より強いってマジだな、あれ」

その時、浮かんでいた呪霊がゆっくりと身体を起こすのが見えて、はその呪霊の方へ移動して行く。
そしてその呪霊――漏湖は仲間である呪詛師、夏油の言っていた言葉を回想していた。

"いいけど…死ぬよ、漏湖"

自分が五条を殺す、と言った漏湖に対し、夏油はあっさりとそう言い放った。
確かにあの言葉は眉唾ではなかったな、と思う。
現代最強などと言っても、実際のところ半信半疑だったのだ。
だが五条悟と戦ってみて嫌というほど思い知らされた。―――今の自分の力では五条悟に勝てない、と。
とにかく、あの無限とかいう術式は厄介だ。

(が…当たらぬなら領域に引きずり込むまで)

最後の手段として漏湖はそう思いながら辺りを見渡した。
が、その瞬間、ぬるりとした不気味な気配が自分の真上からする事に気づき、ハッとしたように見上げる。

「Hey!How are you?」

《――――ッ?》

そこには胡坐をかきながら宙に浮き、笑顔で手を振る赤い目の女。
しかもその体が発するエネルギーは、これまで漏湖が感じた事もないものだった。

(何だ…?この女…呪術師なのか?)

五条とはまた違う異質な気配に、漏湖は少しばかり警戒した。
舐めてかかり、たった今も五条に後れを取った事を学習したのだ。

《貴様…何者だ?》

「うわーほんとに話せるんだ!っていうか、その頭どうなってんの?!富士山?!噴火してるけど大丈夫?!」

《……ッ》

無邪気に騒いでいるを見て、漏湖は呆気に取られた。
五条もそうだが、目の前の女も自分に対し怯えた様子すら見せない。
それが漏湖の呪霊としてのプライドを激しく傷つけた。

《貴様ぁぁ!ナメてるのかぁっ》

言った瞬間、掌から術式の付与された呪力を放出する。
だが浮いている女は避けようともせず、むしろ楽しげな笑みを浮かべた。

《な…っなんだと?》

自分の放った攻撃が、の体をすり抜けるようにして夜空へと消えるのを、信じられない思いで見ていた。
先ほどの五条と同じく、攻撃が効かない。何の術式だ?と短い間に考える。
が、その数秒の間に気づけば目の前にが、いた。

「とりま、逃げられないように拘束するね。噴火頭さん」

《…何?!》

そう言った瞬間、漏湖の体の周りに突風が吹き、それが一瞬で竜巻へと変わる。
何が起こったのか、分からなかった。
突如現れた竜巻が、己の周りを囲むようにして発生したのだ。
逃れようとその風に触れた時、漏湖の体は風に持って行かれ、洗濯機に放り込まれた衣服のように、その小さな領域の中でグルグルと高速で回るはめになった。

《な、何だこれは…っ!》

竜巻の中に激しい雷雹まで交じり始め、回るついでに感電させ、全身を貫いてくる。
体中に痛みが走り、しかも痺れて全く動けない。漏湖はたまらず叫び声をあげた。

(何だこの突然現れた女は…そして五条悟はどこへ消えた?!)

状況が分からず、あげくおかしな攻撃を受けている漏湖は、沸々と怒りが沸いて来るのを感じた。
そしてその怒りのまま体中の呪力を使い、自分を囲んでいる竜巻をどうにか吹き飛ばす。

「Wow! I'll do it, you!As expected it is a special grade!」

が楽しげに笑い、さすがは特級、と漏湖を褒める。
だが、それすらバカにされていると感じた漏湖は素早い動きでの傍まで距離を詰めると、その手に呪力を込めて彼女の体へ攻撃を仕掛けた。

《…何…?》

またしてもの体を、今度は自分の手が通り抜けた事で、漏湖は驚愕した。

「捕まえた ♡」

《―――ッ》

不意に呟くと、すり抜けた漏湖の腕をが難なく捉える。
そして力任せに振り回され、五条の時と同様、漏湖は湖の方へぶん投げられた。

「パンダ直伝回し投げ」

湖に突っ込んだ漏湖を見て、がガッツポーズをして笑う。
女の細腕に振り回され、あげく投げられた事で、更に漏湖の怒りが爆発した。
すぐさま水から飛び出ると、上空で笑っているめがけて領域を展開しようと印を構えた、その時―――。

「―――ごめん、ごめん」
「どこ?!ねぇ、ここ、どこ?!」
「待った?」

《……ソイツは?!》

消えた時と同様、またしても突然現れた五条に、漏湖も驚く。
そして五条が抱えている存在に気づき、小さく息を呑んだ。

(…宿儺の器!!)

「見学の虎杖悠仁くんでーす」
「富士山!頭、富士山!」

映画を観ていた虎杖は、急に戻って来た五条に突然連れてこられ、しかも目の前には変な頭の呪霊がいる事で、少しパニックになっていた。

、大丈夫だった?」
「うん。ちょっと遊んでただけだから」
「うわーアイツ、穴だらけじゃん。悠仁の見学、すぐ終わっちゃいそう」

漏湖の状態を見て、五条が苦笑いを零すと、虎杖はに気づき、更に驚いた。

「あれ?さんもいる…。ってか、何してんの?!」

虎杖だけは状況が把握できていないようだ。

《なんだ、そのガキは…盾か?》

「盾?違う違う。言ったでしょ。見学だって。今この子に色々教えてる最中でね。ま、君は気にせず戦ってよ。因みに今まで君が戦ってたその子も見学だから」

《…見学?この女がか》

「そーよ。悟がアンタをボコボコにするのを見に来たの ♡」

《……この小童が…!自ら足手まといを連れて来るとは、愚かだな》

楽しそうに笑うを見て、一瞬キレそうになったが、その苛立ちを隠して漏湖はそう吐き捨てた。
宿儺の器である虎杖悠仁は殺せない。そしてそれを気づかせないようにしないといけないのだ。
だが、五条は軽く笑うと、

「大丈夫でしょ」

《…何?》

「だって君、弱いもーん」

《………ッ!!》

漏湖は今度こそ本気でキレた。
頭の火山から一気に炎をまとった溶岩が噴射される。
その勢いはすさまじく、湖の水面が津波のように流れて襲って来る。ついでに周りの空気が熱くなっていった。
五条は弱いと言ったが、虎杖は目の前で激怒している漏湖を見て唖然としていた。
これまで戦ったどの呪いよりも、虎杖にとって漏湖は遥かに化け物だったからだ。
あれが弱い?そうアッサリ言い捨てた己の担任に、更に驚愕する。
その時、五条の手が、虎杖の頭にポンと置かれた。

「大丈夫。僕から離れないでね」

五条はそう言うと、上空に浮かんでいるへ向かって、「おいで」と手を差し伸べた。

「あっつーい…」

空気の熱が上昇して、が手で顔を扇ぎながら、五条の傍へ降下し、差し出された手を握る。
その時、漏湖が最大術式の印を結んだ。

《領域展開―――蓋棺鉄囲山がいかんてっちせん!!》










数分後、漏湖は首だけで地面に転がっていた。
領域を展開したにも関わらず、漏湖のそれは五条の領域に圧し負け、後は全てが完結しない無下限の内側へ入れられた。故に何も、出来なくなった。
五条悟の圧倒的強さを、その身を以って体感させられた形で、漏湖の奇襲は幕を閉じたのだ。

「僕を殺すと何かいい事があるのかな?どちらにせよ、相手は誰だ?」
「悟、強ー-い!最高!カッコいい!!よ、最強呪術師!」
「当然でしょ」(キメ顔)

殺気をまとい漏湖に詰問していた五条も、隣で無邪気に喜ぶを見て、すぐにデレている。
だが虎杖は唖然とした顔で五条を見つめていた。
あの恐ろしい化け物が一瞬にして地面に転がり、五条に生き物としての格の違いを見せつけられたのだ。
だが、もう少しで漏湖が祓われる、と思ったその時、仲間の呪霊、花御が助けに入った。
漏湖を足蹴にしていた五条の前に、何かの花の根が刺さった、と思った瞬間、辺り一面に綺麗な花が咲き誇る。

「うわー ♡」(五)
「お花だー ♡」(虎)
「綺麗ー ♡」(五)
「Wow...beautiful...♡」

三人は足元に広がる花畑に、うっとりした顔でそれを眺めている。
が、五条はハッと我に返り、自分の頬を軽く叩いた。

(呪術、だよな?戦意が削がれる)

が、その時、悠仁の足首に木の根のような物が巻き付き、空中へと高く持ち上げられた。

「げっ!」
「悠仁?!」

同時に、どこからか現れた新たな呪霊が漏湖の頭部を抱えて走り去りながらも、悠仁を連れて行こうとする。

「うぉぉぉ!先生、俺は大丈夫!ソイツを追ってぇぇぇぇえ!」

だが根っこに引っ張られ、悠仁が飛んでいく方向には大きく口を開けた木の幹があり、虎杖はギョっと目を見開いた。

「ごめん、嘘ー!ヘルプ!!」

その声に反応した五条が木の根を術式でねじ切ると、虎杖は地面に落ちた。
が、すぐに呪霊の逃げた方向へ五条が振り返った時、すでにそこには誰もいない。
時間にして二秒。

「へぇ」

(逃げられた…。気配を消すのが上手いな。火山頭よりも、よっぽど不気味だ)

五条は嬉しそうな笑みを口元に浮かべながら、静けさを取り戻した雑木林を見渡した。
その後ろで、虎杖は静かに膝をつき、深々頭を下げると、左手をつき、右手は五条の方へ差し出した形で掌を上に向けた。

「どーもスミマセンでした。私のせいで逃げられてしまいまして、でもここに連れて来たのは五条先生ですよね?」
「このレベルの呪霊が徒党を組んでるのか。楽しくなってきたねぇ?

背後で念仏のように謝罪を述べている悠仁を背に、五条はワクワクしながらへ声をかける。
が、返事がない上に、さっきからやけに静かだった事に気づき、五条はハッとしたように振り向いた。

?」

見ればは二人より少し離れたところにしゃがんでいて、足元に広がる花を「綺麗ー」と言いながら楽しそうに摘んでいた。(!)
どうやら未だに花の呪術効果が続いているようだ。
その姿を見て、五条は苦笑いを浮かべると、楽しそうに花を摘んでいるの方へ歩いて行った。

、何してるの」
「あ、悟ー。見て、こーんなに可愛い花がいっぱい」
「ほーんと綺麗だねぇ。でもの方が何千倍も綺麗だけど」
「え?」

嬉しそうに花を見せて来るに五条は頬を緩めると、彼女の体を自分の腕の中へと収めた。

「それに、素直で可愛い」
「…悟?」

呪霊の呪術に素直に反応し、喜んでいるに、五条は笑みが零れる。
は援護に入った呪霊の殺気を感じなかった事で、敢えてソレに身を任せていたようだ。
未だほんわかした顔のを見て、五条は優しい笑みを浮かべると、身を屈めて彼女の唇をやんわりと塞ぐ。
呪術に惑わされている間に、ゆっくりの唇を堪能しながら、その手は徐々に下がり、形のいいお尻へと滑らせる。

「ん…っ」

するりとスカートの中へ入って来た五条の手に、が僅かに反応し、目を見開く。
お尻を撫でるその刺激で、現実に戻ってきたようだ。

「…ちょ、悟…っ?」

塞がれていた唇を引きはがすと、は目の前で笑みを浮かべている五条を睨んだ。

「な、何してんの?」
「何ってが可愛いから、つい手が」
「つつ、ついって何よ!人が呪術にハマってるのをいいことに―――って、あれ?噴火頭は?」

我に返ったは辺りを見渡し、首を傾げた。
後ろでは虎杖が何故か土下座をしていて未だブツブツ念仏のように何かを唱えている。

「あー何か他の呪霊が頭だけ持って逃げた」
「えっ?逃げられたの?!」

そのの声に、虎杖が反応し再び「どーもスミマセンでした…私のせいで――ー」と謝罪ループが始まった。
それを笑って見ていた五条はもう一度、に軽く口付けると、「このまま帰っちゃおうか」と耳元で囁く。

「え?帰るって…」
「だから悠仁をあの部屋に送って、は僕と部屋に帰るの」
「でも正道待ってるよ?」
「この際、学長には伊地知と食事してもらお」
「えーでもお腹空いたもん」
には僕を食べてもらって僕はを―――」

と言いかけた時、の足が五条の足を踏みつける。しかもヒールで。
もちろん愛しい恋人は術式をOFFにしている五条は、当然のようにその場に蹲った。

「軽いジョークでしょー?何もヒールで踏む事なくない?」
「悟が言うとジョークに聞こえないのっ」

足を擦りながら唇を尖らせる五条を、が見下ろす。
が、五条の目がふと目の前に晒されたの綺麗な太ももへ向けられる。

「あ…!」

思わず五条が声を上げた。
は普段から短めのスカートを履いているが、今はそれ以上に短くなっている箇所があったのだ。

「え?あー--!!」

は悲痛な叫び声をあげた理由。
それはスカートの右部分が焼け焦げていて、太ももが丸見えになっていたからだ。

「噴火頭の領域に入った時、悟に触れる前に燃えたんだ…」

はショックだったのか、「また作り直さなきゃ!」と頭を抱える。
だが五条はこれ幸いといった顔で立ち上がると、自分の上着を脱いでの腰へと巻き付けた。

「これじゃー部屋に帰って着替えないと外出はさせられないなぁ?」
「……わ、分かってるもん」
「じゃあ、すぐ帰ろうか」

五条は落ち込んでいるへ軽くキスを落とすと、ニッコリ微笑んだ。(※下心あり)




 
 

 


呪霊の中でも漏湖は一番人間臭くて好きだったなあ🤔
宿儺とのやり取りは泣けました。