A curse named love.14



2018年、7月。


北海道での任務は呪っていたと思われたインチキ呪詛師が逆に呪われていた悲劇として、最後は七海が祓った事で無事に終了した。
死者への未練―――。
それを利用した卑劣なものではあったが、被害者になりそうだった子を亡くした母親に何かの気づきを与えられたなら不幸中の幸いだ。

「呪いを祓うよりキツイよね。人の未練を掃うのは」

珍しく五条がそんな事を呟くほど、気分の悪い案件だった。亡くした我が子を蘇らせる事が出来る、と期待させ、粗末な呪骸を使い、さも死んだ子供の魂が入っているなどと騙すのは、さすがの五条でも許せなかったようだ。

「あのお母さん…もう大丈夫だよ。もう一人の子供が傍にいてくれるから」

帰り道、がそう呟くと、五条、そして七海の顏にも僅かながら笑みが浮かんだ。

「ところで…五条さんとさん。二人は結局、何しにここへ?」
「「…ん??」」

呪われた呪詛師を祓ったのは七海であり、五条とはちょっとした荷物持ちしかしておらず、わざわざ飛行機代をかけてまで来る必要があったのか。七海のどこか責めるような目が、そう訴えていた。

「あ、。今夜はジンギスカンにしようか♡」
「えー食べたい!羊!羊食べよう!」
「………(羊って…)」

ホテルのある方へ向かって歩いていたはずの三人。
だが五条とは慌てたように踵を翻し、繁華街の方へと歩き出したのを見て、七海は呆れたように目を細めた。

「ほら、七海くんも早く!羊とビールが待ってるよー」
「ジンギスカンと言って下さい。それじゃリアルすぎます」

相変わらず真面目な返しをする七海に今度はの目が細くなる。
が、七海はまあ、それもいいか、と思い直して素直に二人について行く。
嫌な仕事が終わった後は軽く一杯ひっかけたい気分だった。
すっかり日も暮れ、仕事帰りのサラリーマンが溢れる"すすきの"方面を目指し、三人は歩き出した。






2013年、6月。


まるで薄いノイズのように一定のリズムで降る霧雨の音、まるで甘い罠へ誘うように仄かに漂う秘香の匂い。
異空間へ放り込まれたような感覚でそれらを感じながら、は己の手足を拘束している気持ちの悪い物体と、その光景を楽しむかのような笑みを浮かべている夏油を睨んだ。

「…猿のいない世界って…どういう意味よ」

夏油に投げかけられた言葉の意味が理解できず、訝しげに眉間を寄せる。
そもそも夏油は元高専生だというが、何故非術師を大量に殺して離反などしたのか。
七海に理由を聞いた気もするが、当時のは目の前にいない人間の話など特に興味はなく。
話半分で聞いていたかもしれない。
自分の指導係である"五条の親友"というワードだけ強く残っているのがその証拠だ。
夏油はの問いに対して意味深な笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がり縁側へと出た。
霧雨はいっそう濃く降り続き、色とりどりの紫陽花を濡らしていく。

「…は力のないものについてどう思う?」
「力…?呪力ってこと…?」

夏油は肩越しに振り向くと、普段と変わらぬ優しい眼差しでを見た。

「私はこう思うんだ。弱者が強者を虐げ、間違った世界がまかり通ってる。力のないゴミがのさばるこの世に絶望すら感じている…」
「…ゴミ?」
「だからこそ駆逐しなければならない、とね。だから…君の力が必要だ。一緒に猿の世界を終わらせようじゃないか」

最後は恍惚とした表情で語っている夏油を見て、歪んだ思想だとは思った。
ただこういう考えに至る"何か"が高専時代、彼にはあったんじゃないか、とも。
確かに力を持つ者からしたら普通の人間は弱く見えるのかもしれない。
実際も何度となく、力のない人間を救って来た。ヴァンパイアからも、呪いからも。
どう見ても助ける価値がないようなクズも中にはいた。だけど―――。

(…ダイアナは…どう思う?常に人間からは忌み嫌われて恐れられて来たんでしょ?命を狙われながら)

《何よ…新月は眠たいの。起こさないで…》

気だるそうに応えたダイアナはでもそうね、と苦笑しながら、

《彼らは必要だったわ?だって…私たちにとったら大事な"餌"だもの》

(……はあ。ダイアナに聞いた私がバカだったわ)

《あら、ごめんなさい》

楽しげに笑うダイアナに、は溜息を一つ。

(その"餌"に殺されてちゃ世話ないと思うけど)

《…うるさいわね。それより何?この臭い匂い…大丈夫なの?新月なんだから無茶はしないでよ?》

ダイアナもこの状況に気づいたのか呆れたように笑った。

「…大丈夫よ」

と言ったところで現状、体はまだ動かない。
どうしたものか、と思案していると、夏油はふとの方へ振り向いた。

「何か言ったかい?」
「…ううん。こっちの話」

夏油は特に気にした様子もなく、再び中へ入って来るとの傍へ静かに腰を下ろした。

「さて。君の答えは?」
「…猿のいない世界を作るって話?」
「ああ、そうだ」

夏油は僅かに身を屈め、の顔を覗きこむ。
何かを期待するような、欲しい答えをくれとでも言いたげな顔で。
は自分を見下ろす夏油をマジマジと見つめながら、彼の瞳の中にそれらのものを感じ取っていた。
不意にが笑う。

「アンタ、バカね。どうやら普通の人間が嫌いなようだけど…呪力がなくたって人は強いのよ。
大切な人達の為なら強くなれるの。一部のバカしか見ないで全てを分かったような気になってるアンタこそ私には弱い"猿"に見えるわ」

早口でもなく、ゆったりでもなく。
はごくごく普通のテンションで素直な気持ちを口にした。
今は違えど元はとて何の力も持たない"猿"だった経験がある。
でもその時の自分が今の自分より弱いとも情けないとも思わなかった。
限りある命の中、ただ明日の幸せを夢見て生きていた。
地下室で死にかけた時も、生きたいと強く願ったからこそ今がある。

「生き物の価値は"力"だけじゃない」

夏油は黙って話を聞いていたが、不意に底冷えのするような侮蔑的な視線をへ向けた。

「残念だ。非常にね」

の顏の横へ手をつき、上から見下ろす。
その瞳に僅かな怒りが見てとれたのと同時に、先ほどよりも妖しい炎が灯っていた。
かつて五条と共に"最強"と呼ばれた呪術師の姿はどこにもなく。
その時の姿を知らないにとって、夏油傑という呪詛師は己の中に生まれた歪んだ思想に支配されただけの男に見えた。

「ここまで侮辱されたのは初めてだよ…。君を仲間にしようと思ったが、やはり殺すとしよう」
「…殺してくれるの?」

夏油はの言葉に眉を寄せたが、すぐに「ああ、君は不老不死、だったね」と口元に僅かな笑みを浮かべた。

「なら私を侮辱した罰として……女性が一番屈辱だと思う事をしてあげる」
「…は?」
「君のフェロモン効果でさっきから体が疼いて仕方がない。これまで耐えてはいたが、もう我慢するのはやめよう」
「―――ッ?」

夏油は徐にの口元へ唇を寄せ「悟から君を奪う」囁き、強引に唇を塞いだ。
の体が一瞬にして強張ったが、手足は拘束され、顏も夏油の両手で固定されて僅かな抵抗すらさせてもらえない。
その間も口内で夏油の舌が好きに動き回り、の逃げ惑う舌を器用に絡めとる。
胸元を乱され 肌を這うゴツゴツとした夏油の手の感触に全身が総毛だった。
やはりフェロモンの効果はあったのだろう。
夏油の息が乱れ始め、この行為は本気なのだとは身を以って実感した。

「…ゃあっ!」
「滑らかな肌だ。手に吸い付いて来る」

太ももを厭らしく撫でながらその長い指先が下着を捉える。

「やだ…!やだってばっ!この変態!触らないでっ」
「随分な言い方だね。君の方から私を惑わしておいて…」

罵倒されてもなお夏油は楽しげにくつくつと笑う。
そのまま体を下げ、の太ももへ口付けながら指先で下着をするりと下げた後、夏油は力任せに引きちぎった。
隠れていた場所に外気が触れた事でゾっとしたは全身に力を入れる。
だが手足を拘束している呪霊の触手はビクともしない。

「ちょ、…やめて!」

これまで誰と付き合っても見せた事のなかった場所に夏油の顏が埋められていく光景にたまらず叫ぶ。
自分がこれから何をされるのかを想像した時、カッと頬が熱くなった。
すると夏油が小さく息を呑んだ空気が伝わった。どうしたんだろうか、と考えるまでもない。

「…君ごと吹き飛ばす気だな、悟のヤツ」

夏油が呟いた言葉の意味を理解する前に。
大きな塊が近づいて来るのを肌で感じては思わず目を見開いた―――。







「ここです!五条さん!」

安田の案内でが向かったらしい寺へやって来た五条は勢いよく車から飛び出した。
都心から少し離れた郊外にあるその寺は、大きな塀で囲まれていた。
だがそこは見る限り普通の寺ではない。正門には大きく書かれた"盤星教"の文字。

「こ、これ…まさか…」
「気づかなかったのかよ?」
「は、はい…。いつも裏口を使ってたので、わざわざ遠い正門にまでは…」

安田は青い顔をしながら唇を震わせた。
ここで彼を責めたところで仕方がない、と五条はすぐに「裏口ってどこ?」と尋ねる。

「こ、ここを塀伝いに真っすぐ行って角を右に曲がって更に真っすぐ―――あ、五条さん!」

簡単な説明だけを頭に入れると五条はすぐに走り出した。
安田から連絡を受け、近くまで転移で飛んだ後に車での移動。それだけでも30分は経っている。
が拘束されていたなら何が起きても不思議じゃない。
五条は走りながらもサングラスを外すと、六眼で塀の向こうを確認してみた。
弱い呪力が数人ある中、少し離れた場所に大きな力が二つ。

(―――あれだ!)

あそこにがいる。そして呪力が見えるという事はは無事だという事だ。
五条は安田に言われた通り壁伝いに走って角を曲がった。
そこでふと、これ以上近づけば夏油に察知される恐れがある事に気づく。
腐っても特級。夏油が五条の気配に気づかないはずがない。

「…ま、大丈夫だろ。アイツなら」

正面から飛びこんで戦闘してもいいが、が拘束されているなら不意打ちで仕掛けた方が夏油を引きはがす事が出来る。
それに夏油が攻撃に気づいた時点で回避されたとしても、恐らく多少は削れるだろうと五条は考えた。
五条は掌印を結び自身の最大術式"茈"を発生させ、それを夏油とがいるであろう場所へ躊躇うことなく撃ち込んだ。
大きな見えない質量が霧雨を割いてゴリゴリゴリっという凄まじい音を立てながら建物ごと削っていく。
削れて道のようになっている場所を五条は一気に走って行った。
夏油の一派の下っ端などはこの攻撃で一瞬で塵となっただろう。
だが夏油なら"茈"を感じた時点で恐らく―――。
五条はそこでどんよりとした空を見上げた。

「…傑!…?!」

やはり、というべきか。
夏油は呪霊を操り、空中へと逃げていた。その腕にはグッタリとしたの姿。
それを見た時、五条は思わず二人の名を呼んでいた。

「やはり君か。悟…。困った事をしてくれたね。せっかくの拠点が台無しだ」

夏油は相変わらず飄々とした顔で溜息をついている。
久しぶりにその姿を見た五条は頭に血が上るのを感じた。

「傑…てめぇ…!に何した?!」

すぐさま無限を操り宙へ浮かぶと、五条は目の前で薄ら笑いを浮かべる夏油を睨む。
夏油は確かに話で聞いた坊主のような和服姿。だが今の攻撃に触れたせいか、着物はあちこち破れてボロボロで夏油本人もかなり出血しているようだった。
だが、その腕の中でぐったりしているの姿を見て、五条は小さく息を呑んだ。

「嘘…だろ…何で…」

の体は傷だらけで出血があるのか、その手足は血まみれだ。
いや、その前にの足が、膝から下が、ない。

「何で?悟、君の攻撃で彼女はこうなった。驚いたよ。まさか彼女ごと私を吹き飛ばそうとするなんて」
「……ッ」
「ああ、そうか。通過自在の力があるから彼女だけは無事だと思ったんだね。でも…おかしいな。では何故彼女はケガを―――」
「うるせえ!を放せ!」

全身の血が引いて行くのを感じながら、五条はの様子を探った。
六眼で確認すれば大怪我はしているが生きているようだ。その証拠に失われたはずの足が再生を始めている。
多少ホっとはしたが、攻撃が当たらないはずのの体に何故"茈"が触れたのか、五条には分からなかった。

「へえ。悟がそんなに慌てている姿を見るのは初めてだな。そんなにが大切なのか?」
「…気安く呼ぶなよ。それより何だ?その恰好。オマエ、いつから出家したんだよ」
「ははは。出家したわけじゃない。この恰好だと信用されやすいのさ」

夏油はふと腕の中のを見て「彼女が欲しかったが…振られたよ」と苦笑いを零した。

「ソイツは一筋縄じゃいかねーよ」
「そうみたいだな…というわけで、悟に返すよ」
「…おい!」

夏油が抱えていた体から腕を放すと、はそのまま落下していく。
意識のない今、地面に落ちれば更にケガをする可能性がある。
五条は素早く移動しての体を捕まえると、すぐに空を見上げた。
だが案の定、夏油は空高く移動して逃亡したようだ。

「またいつか会おう」

そんな声だけが遠くからかすかに響いて来るのが聞こえた。

「クソ…」

いや、今は夏油よりの無事を確認する方が先だ。
そう思い直し、五条はを抱えたまま下りると、安田に車を回してくれと電話を入れた。

「何でこんなケガなんて…」

腕の中でグッタリとしているを見て、五条はその体を強く抱きしめた。
雨に濡れているせいなのか、それともケガのせいなのか。
は死んでいるかのように体が冷たい。
吹き飛んだであろう足も治りかけているが、これまでがケガをした姿など見た事がなかった五条は少し混乱していた。
通過自在があるからこそ、先ほどの攻撃を仕掛けのに、まさかにケガをさせてしまうとは夢にも思わない。

(傑が何かしたわけじゃない…。の力の事は知ってたようだがケガをしたのを見てアイツは驚いていた…)

とにかく今はを高専に連れて帰るのが先だ、と五条は自分の上着を脱ぐとへとかけた。
が、その時、の服が変に乱れている事に気づき、はたと手を止める。
攻撃に触れてあちこち破れているからすぐには気づかなかったが、よく見れば胸元は誰かの手で乱されたかのようだ。
誰か、なんて一人しかいない。

「…は?まさかアイツ…!」

"彼女が欲しかったが…振られたよ"

そういう、、、、意味も含まれてたってわけか?」

先ほどの夏油の言葉を思い出し、五条の頭に血が上った。
拘束されていた間にが何かされたのかと思うといても経ってもいられない。
そこへ安田が車で迎えに来たのが見えて、五条はを抱えて車へと乗り込んだ。

「良かった…!さん無事だったんですね!」
「……無事じゃねーかも」
「え?」

まるで悪魔のように低い声で呟いた五条に、安田は全身に鳥肌が立ち、急いで帰ろうとアクセルを思い切り踏み込んだ。







暖かい…とは思った。
全身は冷えているはずなのに、手だけが暖かい。
まるで誰かに包まれてるような安らぎを感じながら、はやっと死ねるんだろうか、という思いが過ぎる。
だが思いに反して、温もりのある手に僅かながら力が込められたのを感じ、はゆっくりと目を開けた。

「…?」
「……さと…る…?」

かすかに聞こえた五条の声に無意識に反応した。
室内は薄暗く、近くにあるスタンドライトだけが付いているに気付き、考えのまとまらない脳内でここはどこだ?と考える。
今日もあの寺へ足を運んだはずだ。それは覚えている。
そしていつものように縁側で紫陽花を見ながらお茶を飲んで。飲んで…それから―――?

"猿のいない世界を作ろう"

「…傑!」

不意に夏油の言葉を思い出し、ついでに自分に起きた出来事までハッキリ思い出したは思い切り飛び起きた。

「…って、あれ?!」

自分が寝ている場所がベッドという事に気づき、は間抜けた声を出した。
しかも寺でもない、ここは高専の寮の部屋という事はかろうじて分かったが、でもまず自分の部屋ではない。
ここは―――。

「…悟…」

ふと横を見れば五条が仏頂面で立ち上がった。

「やっと気づいたかと思ったら開口一番、傑の名を呼ぶとはね。オマエ、傑と何かあったわけ?」
「は?な、何かって…何もないわよ!っていうか何で私、悟の部屋で寝てるの?」
「オマエがケガして意識なかったから運んだんだよ。オマエの部屋、相変わらず買ったもんでいっぱいだろーが」
「……そっか…。私、傑に拘束されて…」

そこで全てを思い出し、目の前の五条を見上げた。

「悟が…助けに来てくれたの…?」
「ああ。安田さんからが夏油に捕まってるって電話が来て」
「あ…そっか。今日もいつもの時間に迎えを頼んでたんだっけ…」
「オマエが出てくるの遅いからって安田さんが寺の中まで迎えに行ったらオマエが傑と一緒にいるの見て慌てて連絡してきたんだよ」

あの人も古いから傑の事は知ってるし、と五条は言いながら深い溜息をついてベッドの端へ腰を掛けた。

には聞きたい事が山ほどあるけど……」

五条はそこまで言うとの体を抱きしめ「無事で良かった…」と呟く。
突然、抱きしめられ驚いたものの、五条が心配して駆けつけてくれた事はも嬉しかった。
だが不意に一つだけ大事な事を思いだし、五条の体をグイっと押しやる。

「な…何だよ…」

が怖い顔で自分を見ている事にドキっとした五条は僅かに口元を引きつらせた。
いきなり抱きしめた事を咎められたのかと思ったのだ。
だがは「私を殺す気?」と五条を睨んだ。

「え?」

いったい何の事だと首を傾げた五条に、の目が吊り上がった。

「茈なんか撃って私を殺す気かって言ってんの!」
「あ、ああ、それか…。つーかオマエなら大丈夫だろーと思ってだな―――」
「新月には通過自在の力は使えないの!悟のせいで足が吹っ飛んだでしょ!」
「はあ?!聞いてねーぞ、そんな話!新月って何の話だよ?!」

初めて聞く話にさすがの五も驚いた。
そこでは初めて新月の時は力が弱まる事を伝えると、五条は更に怒り出した。

「バカか、オマエ!そういう事は早く申告しろ!知ってたらあんなもん撃つわけないだろ!」
「そ、それは悪かったけど…」

自分が怒っていたはずが逆に怒られて、は思わず首を窄めた。
まあ確かに申告するのを忘れていた自分も悪いと、そこは素直に「ごめん」と謝っておく。
だが五条はがケガをした理由が分かってホっとするのと同時に、今度は夏油の間に何があったのかが気になって来た。
五条は軽く息を吐くと、未だ項垂れているの頭に手を乗せ「傑と何があった…?」と訊いてみた。

「な、何かっていうか…仲間になれって誘われて…」
「それから?」
「そ、それから…断ったら…」
「断ったら?」
「……な…何でそんな怒ってんの…?」

目の前で怖い顔をしながら自分を見つめている五条をそっと見上げる。
さっきから"僕、怒ってます"オーラをひしひしと感じるのだ。
それに最近は避けられていたのに何故来てくれたんだろう、とまで考える。
が、五条はさも当然というような顔で、

「何でって好きな女が他の男、それも元親友と密会してたんだから気分悪いのは当たり前でしょ」
「………し、知らなかったんだもん。傑が高専を離反した悟の親友だった人だって…」
「それはそうかもしれないけど。名前くらいは把握していて欲しかったな。はいつも人の話を半分くらいしか聞いてないから」
「う…ご、ごめ…」
「で?仲間になれと言われたのまでは100歩譲って理解できるけど、何でその話での服が乱れてるわけ?」
「………ッ」

気になっていた事をズバっと口にした五条に、はギョっとして、すぐに自分の服装を確認した。
だが外されたはずのボタンが元に戻っているのを見て、あれ?と首を傾げる。
その答えは五条がくれた。

「僕が戻した。あんな恰好、安田さんに見せたくないし」
「…あ、ありがとう…」
「で?何されたの」
「…だ、だから…仲間になるの断ったら襲われかけて…」

とそこまで言った瞬間、五条の眉がピクリと上がる。

「あ、で、でも何もされてないから!危なかった時に茈が飛んできて私も喰らって意識飛んじゃったし―――」

そこまで言った瞬間、再び五条はの体を抱き寄せた。

「それは…ほんとごめん…」
「う、ううん…あれがあったから何もされずに済んだし…」

そこで五条の腕に力が入り、強く抱きしめられた。
も今は素直に体を預けて、五条の胸に顔を埋める。

「良かった…」

囁くように呟かれた言葉にの頬がかすかに赤くなる。
先ほど当然のように口にされた「好きな女」と称された事も今頃になってドキドキしてきた。
五条に告白めいた事を言われ、返す言葉を間違えて怒らせてからは、ずっと避けられていたはずなのに、まだ同じ想いでいてくれた事に少し驚く。
だが納得したようでいて、まだ少し不満だったのか、五条が不意に口を開いた。

「でも…少しは傑のこと好きだった…?」

その問いに驚いたがえ?と顔を上げると、不機嫌そうな蒼と目が合う。
今はサングラスも外し、薄暗い部屋でキラキラとした輝きを放っている。

「す、好きっていうか…ただ一緒にいると落ち着く人だなって思って…黙って話も聞いてくれたし…」
「ふーん…だから毎日会いに行ってたんだ」
「だ、だから…悟は私を避けるし…寂しかったんだもん…」
「それは…悪かったけどさ…」

それを言われると五条もツライとばかりに目を細めた。
五条自身も自分の想いを持て余していて、と顔を合わせるだけで辛かったのだ。
今日はもう一度、とちゃんと話をしなければならない。

「でも…まさか騙されてるとは思わなかったな…」
「え?」

不意にが寂しげな笑みを浮かべた。

「傑…凄くいい人そうに見えたし…」
「何だかんだ傑も…に多少惹かれてたと思うけど」

面白くもないといった顔で五条が言えば、はまさか、と笑った。

「こんな化け物、誰も本気で愛してくれないよ」
「僕が愛してるからいーでしょ」
「…悟…」

その言葉に泣きそうになって顔を上げれば五条は優しく微笑み、一度を離すとベッドから立ち上がった。
そして壁にかかっているジャケットのポケットから何かを出すと、の所へ戻り、再びベッドの端へと腰をかける。

「これ…ほんとはホワイトデーに渡そうと思ってたプレゼント」
「え…こ、これって…」

五条の手に乗せられた有名ブランドの箱を見て、は驚いたように顔を上げた。
五条は自分でリボンをほどき、箱からパールの施されたブレスレットを取り出すと、の手首へそれを付ける。
思った通りそれは色白なの腕に良く生えた。

「綺麗…」

自分の腕で光るブレスレットを眺めながら、のそのルビーのような瞳が輝いている。
よほど嬉しいのか、次第に目を潤ませながらも「悟、ありがとう…」とが呟く。
こんなにも喜んでもらえると散々悩んで選んだ自分の努力も報われた気がして、五条は改めてと向き合った。

「そろそろ本気で僕のものになってくれない?」
「…悟…」

不意に告げられた言葉は、の鼓動を少しずつ速めていく。
五条は真剣な顔でを見つめている。
が思っている以上に本気なんだ、と言っているようで胸の奥がかすかな音を立てた。
でもとっくに分かっていたのだ。五条が傍にいなければ、当たり前のように来る明日が意味を持たなくなると。

「最後は…私を置いて逝くのに?」
「それでもその時まで傍にいる事は出来る」

五条が即答する。

「エッチなしでも?」
「……努力する」
「あ、今ちょっと間があった。じゃあ…その事が原因で他の女と浮気しないって誓える?」
「それは絶対あり得ない」
「…私以外の女を好きにならないって誓える?」
だけを愛する自信しかない」

五条がそっとの頬へ手を添えると、はくすぐったそうに目を伏せた。

「じゃあ……死ぬまで私の傍にいてくれるなら……いーよ」
「いるよ、ずっと。死ぬまで」

言い終わったと同時に五条はの頬を引き寄せ、ちゅっと軽く唇を啄んだ。
その突然のキスにほんのりとの頬が染まるのを満足そうに眺め、五条はもう一度触れ合うだけのキスをその赤い唇へ落とした。
戯れるかのように何度も唇を重ね、頬に置いた手はゆっくりと首の後ろへ回される。
過去にとは二度キスをしているが、一度目はダイアナの戯れ、二回目は五条がのフェロモンに中てられてしまった時であり、気まずい過去としての記憶しかない。
だが思いを遂げ合ってから初めてするキスは、その時とは比べ物にならないくらいに心が満たされていくのを感じる。
角度を変えて口付けながら、再びちゅっと音を立てて僅かに唇が離れた時、少し息を乱した五条が呟いた。

「…ほんとに…エッチなし?」
「……努力するんじゃなかったの?」

悲しそうな顔をする五条を見て、が恥ずかしそうに視線だけを上げて呟く。
そう言っているも頬が紅潮し、かすかに息が乱れている。
これまで付き合ったどの男とのキスよりもドキドキするのは、本当に大切に想っている相手だからだろうか。
がそんな事を考えていると、五条は少しだけスネたように目を細めた。

「そりゃするけど…好きな子とキスしてたらやっぱしたくなるでしょ」

そう言いながらの唇を塞ぎ、何度か啄むようにしながら少しずつキスを深めていく。
角度を変えて何度か重ねた後、の唇が薄く開いた隙間からぬるりと熱い舌が侵入してくる。
驚いて逃げ惑うの舌を器用に捉えて、首の後ろに回された腕に力を入れれば更に深く交わう唇は次第に貪るようなキスへと変わった。
何度も唇で唇を愛撫すればの喉が小さく鳴った。
五条に身を預けながら胸元へしがみつき、その熱い唇に体中が火照ってくる。
僅かに離れれば名残惜しいと言いたげに唇が追いかけてきて、またすぐに塞がれる。
重ね合う隙間からくちゅっと水音が漏れ、の頬が羞恥で更に熱を持った。
ゆっくりと離れた唇から、かすかに洩れた吐息さえ、五条にとっては煽られてるような気さえしてしまう。
とろんとしているの瞳に赤みを帯びた頬、薄く開いたぷっくりとした唇が、更に五条の欲情をそそる。

「…何か悟って慣れてる…」
「…え?」

引き寄せられるようにもう一度の唇へ自分の唇を寄せた時、不意にスネたような言葉をぶつけられ、五条の動きがピタリと止まる。

「キスが上手い男って遊んでるっていうもんね」

頬を赤くしながらも、どこかスネたように顔を背けるを見て五条は驚いた。
以前、付き合ってもいない女の何人かがこんな感じの空気を出してきた事がある。
これってもしかして―――。

…妬いてる…?」
「………」

そっぽを向いているの赤みを帯びた頬が少しずつ膨れて行くのを見て、五条は口元が緩んでしまうほどに胸の奥から愛しさがこみ上げて来た。
五条は未だスネているを抱き寄せて赤い唇を少し強引に塞ぐと、その勢いのままベッドへと押し倒す。

「さ…悟…?」

何度か啄んだ後で僅かに唇を離せば、が真っ赤な顔で五条を見上げていた。

「僕も今まで恋愛なんてどうでもいいと思ってたから色々遊んでたのは事実だけど…キスだけで勃ったのはが初めてだから」
「……は?」

まさかの発言にギョっとした瞬間、確かに硬いものが太ももに当たっている事に気づく。
そしてソレの意味を理解した時、火が吹き出したのではと思うほどに顔が熱くなった。
も男の体の仕組みくらいはもちろん知っているが、色々付き合って来たわりに誰とも体の関係を持ったことがない。
それは抱かれる事で誰かを本気で愛してしまうのが怖い、という理由だ。
ついでに言えば正直そこまで許したいと思うほどの相手ではなかったというのもある。
でもにとって五条は今までの誰とも違う。
本気で愛しいと、この人が大切だと感じた初めての相手であり、だからこそ余計に怖くなるのも当然だった。

「…さ、悟のエッチっ!」
「エッチって…仕方ないでしょ。が相手だとキスだけでこーなるんだって」
「……ダ、ダメ。もうキスしない」
「え!何で?!エッチもダメでキスもダメって男にとっては地獄だよ?」
「お、大げさ…」
「いや真面目な話だけどね」

と真剣な顔をする五条に、もうっと言葉を詰まらせた。
言われてみれば酷な気がしてくる。

「っていうかはどーなの?」
「え…どうって…?」
「まだ聞いてないよね。僕のことどう思ってるか」
「あ…」

それこそ自分の心の奥に隠したままの想いを、五条に告げてもいなかった事を思い出した。

「ご、ごめんね、私…つい言った気になってた、かも…」
「それって…僕のことが好きってこと?」

不意に意地悪な笑みを浮かべた五条を見上げて、は頬が赤くなった。
今まで好きなんて言葉を言うのは簡単だったはずなのに、五条が相手だと何故こうも恥ずかしくなるのか分からない。
いや、それまで「I LOVE YOU」と何度か言った事はあるが、それは仲間に対しての愛情表現だったからこそ言えていたのだと気づいた。

「…?」
「私も…悟の事が…だ…」
「だ…?」
「…大好き」

と言った瞬間から一気に恥ずかしさがこみ上げる。
だが五条は今まで見せた事もないような笑みを浮かべ、その大きな手で口元を隠した。

「やべ…に言われると破壊力凄いわ…」
「…は、破壊って何でよ…」

ムッとしたように唇を尖らせると、五条はの耳元へ唇を寄せた。

「心臓が壊れそうってこと」
「……っ?」
「顔もニヤケる」

そう言った五条の顏は確かにでも見た事がない表情をしている。

「悟…ほっぺ赤い」
「そりゃぁ…嬉しいから」

コツンと額をくっつけると、五条は優しい笑みを浮かべながら「キス、していい?」と訊いた。

「やっぱ我慢すんの無理っぽい」
「え、……んっ」

五条はの返事も待たずに、今度は優しく唇を塞いだ。
その熱い唇を感じながら五条の背中へ腕を回せば、体が沸騰するみたいに熱くなる。
本気で拒めるとは思っていない。
こうして触れ合っていると、の心も満たされるのは五条と同じだった。

「悟の一生をくれるなら…いつか…あげてもいーよ」

キスの合間に呟いて、は五条を抱きしめた。

「あげるよ。僕の全ては―――にあげる」

それは愛情という名の呪いのように、二人の心に刻まれた。