
Seeds of feelings.16
2018年、9月。
高専の解剖室。
は冷んやりとした椅子へ座りながら、台に乗せられた歪な造形をした遺体を眺めていた。
それは七海や虎杖たちと向かった小さな映画館で発見された遺体と、屋上にいたという七海と虎杖が倒した遺体だ。
残穢や監視カメラを確認したところ、犯人の姿は映っていなかったが、一人の男子高生が映っていた。
それ以外は大した手がかりもなく、はこの遺体を高専の家入の元へ運ぶのに一度戻って来たのだ。
と言って、それも七海に「さんはこの遺体を家入さんの所へ運んで下さい」と言われて渋々だ。
「くそ、七海のやつぅ…後で覚えとけよ…」
いつもを邪魔者扱いする七海に沸々と怒りが沸いて来る。
だが、そして五条の存在がそれ以上に七海にストレスを与えている事など当人たちは気づいていない。
そこへ家入梢子が電話をしながら入って来た。
「ああ、人間だよ。いや元人間と言った方がいいかな。呪術で体の形を無理やり変えられてる。…ああ、そればっかりは分からないな」
電話の相手は七海だろう。
家入は映画館で亡くなっていた男子高生の遺体を調べ、脳幹にいじられた形跡がある事や、脳と呪力の関係など、そういった事を七海に話している。
だが最後に「虎杖は聞いているか?」と声をかけると、スピーカーにしていたのだろう。
すぐに虎杖は応えたようだ。
「コイツらの死因はザックリ言うと体を改造させられた事によるショック死だ。君が殺したんじゃない。その辺はき違えるなよ?」
家入はそう言って電話を切った。
呪霊と勘違いして戦った虎杖は、七海から彼らが元人間だと知らされて少し動揺していた。
それを見ていたは心配してたのだが、家入の虎杖への言葉を聞いてふと笑みを浮かべる。
「ありがとう、硝子」
「別にの為じゃないよ」
苦笑気味に応えた家入は一通り調べつくしたのか「あ~疲れた」と両腕を伸ばしながらの隣へ座った。
そして手持無沙汰にミント味のガムを白衣のポケットから出して口へ放り込む。
家入が禁煙をしてからだいぶ経つが、未だに恋しくなると前に話していた。
「で?今度は何をして七海に遺体運びなんかさせられたのよ?」
何でもお見通し、といった表情でその艶やかな唇を上げる家入に、負けず劣らず艶のあるのっふっくらとした唇が少しずつ尖っていく。
「何で私が"何かした"って思うのよ」
不満げな口調で言いながらはサングラスを外すと、僅かに細めたその赤い瞳を家入に向ける。
彼女の過去の行いを知っている者からすれば、そこは言わずもがなという結論に達するのだが、当人からすると決めつけられているのが気に入らないと言いたげだ。
「だってあの七海が任務途中で援護について行った術師に補助監督でも出来る運搬を任せるなんて何かしたと思うのが普通でショ」
肩を竦めつつ苦笑いしながら的を得た事を言う家入に、はふふん、と鼻で笑い返した。
「……それは違うわ、硝子」
「え、違う?」
「そう。逆よ、逆」
「逆…?」
「私は何もしなかったの」
「は?」
「七海くんが余計な事はするなって言うから私はその指示に従って"何もしなかった"。だから私は悪くない」
「………」
当然のように言い切るを見て、家入はポカンと口を開けた。
まあが幼い子供と同じ感覚で育ってしまったのは知っているが、言い訳があまりに屁理屈すぎて苦笑しか出ない。
でもそこがの可愛いところであり、面白いとこでもある、と家入は密かに思っていたりする。
きっと七海もそうなのだろうが、何せ彼はあまり冗談の通じないタイプだ。
常にの言動を真面目に受け取りすぎて時々疲れがドっと押し寄せて来るらしい。
「じゃあ二人が戦闘中、は何してたの?」
「ああ、それはホラ!場所が場所だけにポップコーンをね」
「…は?ポップコーン…?」
「だって小腹が空いた所へあの香ばしい匂いがして来たら誰でも食べたくなるでしょ?!なるよね?!」
「う…そ、そりゃ…まあ…お腹空いてたらね…」
同意を求めるように両手を握り締めながら、は家入の方へ身を乗り出して来た。
その迫力たるや、あまり物事にも動じない家入が多少、後退してたじろぐほど。
そんな家入の同意とも取れる発言を聞いたはニッコリ微笑んだ後で、ふと目つきが鋭くなった。
「それをあの脱サラ眼鏡のヤツ…なんて言ったと思う?!」
「…な…なんて…言われたの…?」
今度は怒りに任せ、指をバキバキ鳴らすに、家入の口元もさすがに引きつる。
「"そんなにお腹が空いてるならこの遺体を運搬するのに一度高専に戻って下さい。移動中なら好きなだけポップコーン頬張れますよ"」
「……へ?(意外と普通なのでは…)」
「って言ったのよー?!アイツ!」
「そ、それの何が腹立つの?七海にしてはまだ柔らかい方じゃ…」
と言った家入を、はジロリと睨みつける。
「その時は私もラッキーって思ったのよ。でも移動中、なーんかモヤモヤしてきて、ここに着いた時にふと思ったの。アイツ、体よく私を追い払ったんじゃ?って」
なるほど、と家入もそこで納得した。
要するに七海の思惑に乗せられ、まんまと遺体を運搬させられたあげく、現場から遠ざけられたと気づいた事で今、怒りが沸いて来たという事だろう。
七海もの性格は熟知している。食べ物で釣られたような形になった事がは悔しいのだ。
「まあ、でも七海も今頃を帰した事を少しは後悔してるんじゃない?」
「え?アイツが?どうしてよ」
「だってコレ…どう見ても一級二級レベルの相手じゃないでしょ」
家入は溜息交じりで異形の遺体が並んだ台を指さす。
人間の姿かたちを変えるなど、例え一級の呪いでも出来るはずがない。
恐らくこんな事が出来るのは―――。
「特級相当…か」
「ええ。だからもむくれてないで七海と虎杖の所へ戻ってあげたら?」
「……まあ。七海くんから助けて下さい、さまって言われたら行ってやらなくもないけど」
「………」
子供のように唇を尖らせ、そんな事を言うに、家入は内心"意地っ張りめ"と苦笑を漏らした。
「それにしても言動が五条に似て来たわね、は」
「え?そう?」
「自覚なし、か。ま、アンタ達は付き合う前から似てたけどねー」
「そ、そうかな…」
「いや、褒めてないから」
テヘへと照れ臭そうに笑うを見て、家入は笑いながら突っ込んだ。
でもその顔を見る限り幸せそうで何よりだ、と家入は思う。
「その様子じゃまだ上手くいってるみたいね」
「む…まだって何よ。失礼」
「だってと五条が付き合いだしたって初めて聞いた時は大丈夫か?って思ったもの」
「何でよ…」
「いやだってあの五条に付き合う上で突きつけた条件がエッチなしって、どんだけ無理難題を吹っ掛けたんだって笑ったもの」
「わ、笑わないでよ!あの時は私だって必死だったんだから…」
別にふざけて出した条件ではない。
とて好きな相手から触れられたいと普通に思うし、またそうされたら嬉しい。
でもただでさえ初めて本気になった相手と、更に体の関係で結ばれてしまえば、この先自分はどうなってしまうんだろうと怖かったのだ。
だってそこまでバカではない。
一生死ぬまで傍にいると甘い言葉を言ってくれたところで、人の心が移ろいやすいという事くらいは知っている。
その上どんなに欲しかったものでも、手に入ってしまえばそこから興味が薄れて行ってしまうのも、また人間だ。
五条だとて例外ではないとが考えてしまうのも当然だった。
そもそもが誠実な男とは言い難いほど、あの頃の五条は軽薄だったし、もそれは嫌と言うほど見て来た。
いくら初めて本気で好きになったと言われようと、そこは不安に思ったりした事もある。
そして自身はきっと、一人の人を愛しぬく性格だと分かっていたからこそ、余計に怖かった。
それまで軽い恋しかしてこなかったのは、自分のそういう性格を分かったうえでの事でもある。
ただでさえ不老不死の自分が誰かを本気で愛してしまったら、孤独に向かっていくだけだと思い込んでいた。
特に五条と深い関係になったら、その孤独が早まるのでは、と。
「ま、でも五条は冷めるどころか未だに燃えまくってるじゃない。信じて良かったでしょ?」
「……うん」
「うわ、何よ、その幸せそうな顔は!何かムカつく」
ポっと頬を赤らめ、少女のような顔で頷くを見て、さすがの家入もひがみ根性が丸出しになる。
とは言え、色々あった二人がめでたく恋人同士になり、数年経った今でも付き合いだしたばかりのカップルのように仲がいいのは明るい話題が少ない呪術界の中で、唯一の光のようにも感じるのは確かだ。
「まあ、早く二人には落ち着いて欲しいけどね、私としては」
家入は苦笑気味に言いながらも、の額を軽く指でつついて優しく微笑んだ。
2013年9月。
お盆を過ぎた頃からだいぶ暑さも和らいできて、この高専の敷地内も少しずつ青葉が落ち始めて来た頃。
忙しかった繁忙期を無事に乗り越えた呪術師達が、それぞれ順番に夏休みを取る時期がやってきた。
「ふあぁぁ…ねむ…」
この日、珍しく任務の入らなかったの姿は高専内の図書室にあった。
夏油の離反があった後から漠然と抱いて来たという五条の夢の為に、もここ高専で教鞭を取るべく未だに学んでいる最中であり、この日も他の術師の授業を見学したり体術指導に参加させてもらったりしていた。
それも飽きて来た頃、学長の夜蛾正道から呼び出され「今日は暇だろ?オマエに頼みがある」と言われた。
「本の整理…?」
「そうだ」
「…私、特級呪術師だけど」
「知ってる。だが今時期は校内のスタッフも休暇を取る者が多くて、補助監督すら手が足りん。だから特級と言って暇そうにしているを遊ばせておくのもな」
「で、でも何で私一人?!」
「他の奴は任務に出てるだろう。本当に暇そうなのはどこを探せどだけだった」
「……」
夜蛾は笑いながらの頭をぐりぐりと撫でているが、の唇は不満げに突き出され、その大きな目も半分まで細められている。
「それで何で本の整理…?」
「いや9月は新しい本が毎年入荷されてくるんだ。そこで今週中までにその分のスペースを空けたい」
「…どのくらい?」
「そうだな。本棚二つ分かな」
「は?それを一人でやるの?!」
「今週中までにでいいんだ。この時期は特級案件などの大きな任務は殆ど入らないからだって暇だろう?」
「ひ、暇…だけど!でも七海くんや悟は任務に行ってるのに…」
「大きい任務は二人だけで事足りたんだ。おかげでが休みになったんじゃないか」
夜蛾は苦笑交じりで肩を竦めてみせた。
いくら暇な時期になるとは言え、呪いが0になる事はなく。
やはりそれなりの任務は入る。
現に七海は昨日から沖縄に出張で出かけていて、五条は昨日から仙台へ一泊での出張に行っている。
こんな事なら五条について行けばよかった、とは思った。
"任務ないならも来ない?"
ふと一昨日の夜、五条に誘われた事を思い出し、ガックリ頭を項垂れる。
付き合い始めてから二人で泊りの出張はした事がない為、ちょっとだけ警戒して断ってしまったのだ。
出張先で気が緩んでなし崩しに関係を持ってしまうのは嫌だった。
と言うのも、海外出張から戻って以来、五条はと二人でいると常にどこかへ触れて来る。
もちろんキスもされまくるし、食事をしていても一緒にテレビを見ていても、気づいたら密着している。
いやそれが嫌だと言うわけじゃない。むしろ甘えん坊のに取ったら凄く嬉しいし自分も甘えられるからいい。
けど次第に濃厚なスキンシップに変わって来ると、最近はの身体にも異変が起こるようになった。
甘いキスをされれば鼓動がうるさくなり、頬が熱くなるのは同じだが、舌を絡められたり、首筋にキスをされ、五条の手に触れられると、お腹の奥が次第に疼いて来る。
五条とのキスが気持ちよくて、触れられる場所が熱くて、どうしようもなく全身が火照ってしまうのだ。
初めての感覚に最初は戸惑っていたも、それが女性の"感じている状態"だという事はだんだん分かって来た。
好きな相手に触れられれば誰でもそうなるというのは何かの雑誌でも読んだ事はある。
ただ五条と付き合う際、自分でエッチなしと決めておきながら、最近ではの方がたまらなくなってくる事も多い事から、こんな状態で五条と出張に行ったりすれば何が起こるか分からないと思った。
なのでアッサリ断り、ついでにお土産まで頼んでしまったのだが…
「はあ…これを移動させるのぉ?」
結局夜蛾に押し切られ、は図書室に来ると目の前の本棚を溜息交じりで見上げた。
よりも大きな棚の中には重たそうな本がぎっしり詰まっている。
この中から必要な本だけ残し、使わなくなったものは段ボールへ入れて廃棄処分となるらしい。
は邪魔なサングラスを外すと夜蛾から渡されたメモを見ながら、そこに載っている必要な本だけをまず避けて行った。
「はあ…重っ」
数冊ずつ抱えて必要な本、不必要な本、と仕分けながら棚を空けて行く。
延々やっていたらアっという間に夕方になっていた。
「はあ……疲れたぁ…」
とりあえず廃棄する本の方はいくつかを段ボールにまとめた。
だが残す本はまだ山のように積まれている。
本棚を二つ分空けるのはそれほど手間じゃないが、この本の仕分けが何気に大変だった。
一冊一冊チェックをしなくてはならないからだ。
「お腹も空いて来たなぁ・・・」
途中、夜蛾がハンバーガーやポテトを差し入れしてくれたが、は再びお腹が空いて来るのを感じた。
「暑…」
いくら夏も終わりに近づいているとは言え、体を動かしているとじんわり汗が滲み出て来るくらいにまだ気温は高い。
クーラーが効いていて、ジっと座って読書をする分には涼しい図書室だが、それゆえ設定温度は高めなのだ。
延々と動いている分には物足りないくらいに感じる。
仕方ない、とは着ていた夏用の上着を脱いでワンピース一枚になった。
これも自分でデザインをリクエストして作ってもらった制服だ。
両腕が出ている分、さっきよりは涼しくなった。
「あーまだ一番上の段の本が残ってたっけ…」
椅子に腰を掛けて休憩していたが、ふと上の方に視線を向ければ最上段にある本は手つかずのままだった。
あの高さはの身長でも届かないので脚立を使わなければならない。
サッサと出すだけ出してしまおう。
そう思いながらは空腹の体を何とか動かすと脚立を運んで棚の前へ置いた。
「ん~まだ少し足りない…?」
脚立を使ってもなお指先しか届かず、はもう一段上に登って手を伸ばす。
この辺りで何とか本を掴めるくらいにはなったが少しキツイ。
もう一段登る?と考えつつ、かすかにグラつく足場が少しだけ不安を煽る。
別に落ちたところでに取ったらどうって事はないのだが、これは気分的な問題だ。
「あ~っもうちょっと…!」
グっと腕を伸ばし、ぎっしり詰まっている本をまずは一冊だけでも抜こうと指に力を入れる。
すると本が少しずつ傾き、抜けそうだと思ったその時。
「おー!いーい眺め♡」
突然、背後で声がした事で驚いたが条件反射で振り向こうとしてしまった。
だが腕を極限まで伸ばした不安定な体勢だった為、案の定その体はゆっくりと後ろへ傾いて行く。
「あ…っ」
まずいと思った時、の体はふわりと誰かの腕に包まれた。
「あっぶねー」
「……さ、悟?」
背中を抱き留められたまま、が首を後ろへ傾けて仰ぎ見れば、そこには苦笑いを浮かべた五条が立っていた。
倒れて来たの体を受け止めてくれたようで、ちゃっかり後ろからお腹に腕を回して「ただいま」との頬へキスを落とす。
「お、お帰り…早かったね。帰りは夜かと思ってた」
「もーさっきメールしたでしょ。夕方には着くって」
「え、嘘!ごめん…作業に夢中でケータイ見てなかった…」
そう言って五条の方へ向き直ると、サングラスで蒼い目は見えないものの、唇が不満げに少しだけ尖っている。
「戻ってきて学長に任務の報告に行ったらがここにいるからオマエも手伝って来いってさ。酷くない?出張で疲れてるってのに」
「嘘ばっかり。悟、疲れてないじゃない」
「…あ、バレた?」
舌を出して笑う五条の顏に疲労の色は見えない。
特級の任務と言えど、五条が疲れるほどの任務でもなかったんだろう。
「っつー事でほい、お土産ー」
「あ、喜久福!」
「それとーこれも」
「え?あ…駅弁!仙台の牛タン弁当?!」
五条に渡されたお土産にのテンションも一気に上がる。
が何をあげれば喜ぶのか、五条は全て知っているのだ。
「何か大変な作業みたいだし、まずは休憩したら?」
「うん。ちょうどお腹空いてたんだ」
「ああ、これお茶もね」
「わ、さすが悟、気が利く」
「任せなさーい」
五条はお弁当と一緒に買って来たお茶をテーブルに並べると、早速お弁当へ手を伸ばそうとしていたの体をすぐに抱きしめた。
「ちょ、な、何?」
「その前に…お帰りのキスして」
「…えっ?だ、だってここ学校内だってば…」
額をくっつけながらキスのおねだりをしてくる五条にも焦りながら室内を見渡す。
だが当然最初から二人以外に人はない。
「誰もいないし。校舎内も静かなもんだったよ」
「で、でも正道がサボってないか覗きに来るかも…」
「あー夜蛾学長は今頃、残った術師達と毎年恒例の暑気払いに行ったかも」
高専では忙しい夏が終わった頃に暑気払いなるものが行われるが、五条は下戸なのでこれまで参加した事はない。
だがお酒好きのとしては聞き捨てならないとばかりに怒りだした。
「…は?私にこんな作業させといて?!」
「だから僕が来たんでしょ」
「そ、それは嬉しいけど…」
「それともは僕と二人きりでいるより、学長たちと飲みに行く方がいい?」
「……まさか」
その意地悪な質問にが慌てて首を振れば、五条も嬉しそうな笑顔を見せる。
そして「早くお帰りのキスしてよ」との方へ唇を突き出す。
五条のその子供みたいな仕草が可愛くて、つい吹き出してしまった。
一瞬迷ったものの、誰もいない事は分かっている。
は覚悟を決めると、僅かに背伸びをして五条の唇へちゅっと軽めのキスをした。
「お帰り、悟」
「ただいま、」
の方からキスをしてもらえた事が嬉しいのか、五条の顏はいつも以上に緩んでいる。
そして「あ、そーだ」と何かを思いついたかのようにの顔を覗き込む。
「今度から僕か、どっちかが出張から帰った後は必ずお帰りのキスね」
「…え?」
「そーだ。それがいい。そーしよっと♡」
「なにその勝手な三段活用!」
一人楽しげに人差し指を立てて勝手な決め事を口にする五条にはも突っ込まずにはいられない。
別に決められなくともキスくらいでもしたいのだが、ただ照れ臭いのも手伝ってついそっぽを向いてしまう。
そして向いた先には五条が買って来てくれた美味しそうなお弁当。
見た瞬間、ぐぅっとお腹が鳴るのは仕方のない事だった。
このだいぶ前からは空腹だったのだから。
ただ五条にとっては予想外の音だったようで、すぐにむくれた顔でを睨む。
「おーい…せっかく僕が大事な話をしてるのにお腹鳴らすなんて台なし」
「だ、だってお腹空いてたんだもん!」
「でもさあ…。まあ…の食欲には僕も勝てる気がしないし」
「な、何よ、それ。人を食いしん坊お化けみたいに…」
「ぷ、ははは!お化けって…でも実際そうだろ。いーから早く食べなよ。その間に僕があの本を出しておくから」
五条はの手を引き、椅子へ座らせると、お茶とお弁当を彼女の前へ置く。
そして自分は喜久福のクリーム大福を一つ頬張りながら、本棚を見上げた。
「この一番上の本を全部出せばいいの?」
「あ、うん…。残す本のリストはそこのメモに書いてる。捨てるのは段ボールに廃棄って書いてあるからそこへ入れるの」
「りょーかーい」
五条は軽く手を上げ、上着を脱いで椅子へ引っ掛けると、シャツの袖を肘までまくった。
そして一番上の段から本をいとも簡単に抜いて行く。
(む…脚立を使わなくても余裕でアレが取れるのか、悟ってば…)
お弁当を食べつつも手際よく作業をしている五条を見て、は(かっこいいな)と自然に思ってしまった。
軽薄でいて適当、天上天下の唯我独尊、人より何でも器用にこなし、出来ない事を探す方が難しい。
五条悟は出会った時から完璧だった。
よく周りは五条の性格の事を何だかんだと言ってくるが、も似たようなものなのだから全く気にならなかった。
むしろ適当かげんで言えばの方が数段上だったかもしれない。
あの五条が放っておけない、と思うほどには。
最初の印象は強気で自信家、でもどこか心に傷を作ってた。はそんな印象を受けた。
(そっか…今思えば、あれは親友の夏油が離反した後だったんだ)
が高専に入る事を喜んでくれたのは、その心の隙間を埋めるためだったのかもしれない。
五条とは仲良くなってからも色々からかわれては小さなケンカ――主にが勝手に怒っていた――したけど、最初は口の悪い兄貴くらいに思ってたのに。
知り合って早々一緒にヴァンパイア退治をしにブルガリアにも行った。
七海に平気で嘘をついてからかっては大笑いしてた頃が懐かしい、とは思った。
あの五条と今、こうして付き合っているのがどこか嘘みたいだとさえ思う。
テキパキと作業をこなしていく五条を見ながら今までの事を思い出しては不思議な気持ちになっていた。
すでにお弁当は食べ終えていたが、しばし五条の仕事ぶりを見てが一人ニヤケていると、不意に蒼い双眸と目が合う。
「何?ニヤニヤしちゃって」
仕分け様のメモを見ていた視線をに移すと、五条は苦笑気味に歩いて来た。
シャツの袖をまくっているせいで逞しい腕が惜しげもなく出されていて、やけに男を感じさせる。
普段隠れている部分を出されると、こうもドキドキするものなんだ、とは初めてチラリズムが好きだと言う男の気持ちが理解できる気がした。(違)
「どうした?顏赤いけど」
「な…何でもない…」
椅子に座っているの目線までしゃがんだ事で、サングラスに隠れていた五条の瞳に見上げられる形になる。
その眩いくらいの蒼に見られるだけで自然に頬が熱くなった。
(やだ…何意識してるんだろ…これまでだって、そう…付き合う前からだって普通に目を合わせたりしてたのに)
今は五条と目が合うだけで心臓が早鐘を打っている。
そしてこんなに傍にいると自然に触れたくなってしまうのだ。
「え、えっと…早く終わらせないとね」
これ以上目を合わせていると自分が自分じゃなくなりそうで怖いと思った。
いつも惑わせてしまうのは自分の方なのに、今は五条の蒼い瞳に惑わされてる気さえする。
椅子から立ち上がると、は急いで本棚の方へ歩いて行く。
だが不意に腕を掴まれ、後ろへ引き戻されたかと思えば、今度は体を抱えられテーブルの上に座らされた。
「さ、悟…?」
「何で逃げるの」
「に…逃げてなんか…」
両頬を手で包まれ、顔を上に向けられると僅かに鼓動が跳ねる。
「…?何か顔が熱いけど…熱ある?」
「な、ないよ…大丈夫だから」
慌てて五条の手を頬から外すと、はテーブルから下りようとした。
それを腕で静止され、ドキっとして顔を上げると五条が心配そうにを見下ろしている。
「何か、変。具合悪い?」
「わ、悪くない。お腹いっぱいになって眠いだけ」
「そう?でもホッペ赤いし、やっぱり熱が―――」
「だ、だいじょーぶ!」
額をくっつけようとする五条の体を手で押さえる。
だがその手を掴まれ、アッという間に二人の距離が近くなった。
「…顔、上げて」
「…な、何で…?」
「キスしたい」
「な…何で急に?」
「んー惑わされたかな。だって、さっきから僕を煽るような顔ばっかするし」
額をくっつけながら五条が苦笑する。
「し、してない…」
「してるよ…せっかく我慢してるのに」
「……ぁっん」
五条が拗ねたように呟いた瞬間、強引に唇を塞がれ、全身に電流が流れたかと思うほどの刺激が走る。
「ん…ふ…」
後ろへ傾くの頭の後ろに手を回して、支えながら五条が少しずつキスを深めていく。
舌先が強引に唇を割って侵入して来ると、更にの体が熱く火照って来た。
「ん…悟…」
絡ませていた舌から解放されたと思えば、今度は首筋にちゅうっと強めに口付けられ、そこからじんわり甘い刺激が広がっていく。
五条の大きな手が背中を撫でていく刺激さえ、敏感に感じとってしまう。
「…ん…く、くすぐったいってば…」
首から耳たぶ、項にも口づけていく五条に可愛い苦情を言ってみたところで何の抑止にもならない。
気づけば足の間に五条の体が入り込み、短いスカートがめくれた事で、の白い太ももが露わになっていた。
自然と脚が開く格好になっている事に気づき、はカッと頬が熱くなった。
「ダ、ダメ…だってば…」
「んー。触るだけ」
「さ、触るだけって…あ…っ」
首筋に顔を埋め、ペロリと耳たぶを舐められた事で、の声が上がる。
自然と体が後退していく事で少しずつ五条の体も前に倒れて行く。
気づけばの体はテーブルに押し倒されていた。
「さ、悟…っひゃ…」
鎖骨辺りに口付けながらも、五条の手が露わになった太ももをやんわり撫でて行き、その強い刺激に体が跳ねる。
「や、だ…恥ずかしいってば…」
五条の体が足の間にあるせいで閉じる事も出来ず、体を起こしたいのに五条は再びの唇を塞いでくる。
舌を吸われ、の体がかすかに震えた。
静かな図書室に二人の乱れた呼吸の音と舌を絡ませる卑猥な音だけが響く。
普段の部屋とは違い、学校という場所でこんな事をしている後ろ暗さが余計に羞恥心を煽る。
「さ、悟…ダメ…だよ…」
僅かに唇が離れ、がそう呟いても、五条は頬や首筋にちゅっちゅっとキスを仕掛けていく。
同時に太ももを撫でていた手がスカートの中へ侵入してくるのを感じ、は慌ててその手を掴んだ。
「も、もう…我慢するって言ったくせに」
「触るのもダメ?」
「…う…」
至近距離、それも捨て犬のような潤んだ目で見つめられると、も言葉に詰まる。
その高揚したような顔を見ると、確かにのフェロモンに中てられてるようにも感じる。
これまで我慢はしてくれていたものの、そろそろ限界なのかもしれない、とは思った。
ただでさえ欲求不満だと豪語していたわけで、その状態での傍にいればこうなるのは初めから分かっていた気がする。
いや、それ以前にもそれは同じだった。
さっきから五条に触れられるたび、体の芯が熱くなっていくのが分かる。
その状態がどういう意味なのか、にも分かっていた。
これ以上触られてしまうと、何もかも許してしまいそうで怖くなる。
「…ダメ」
「えっ!」
「そ、そんな驚かなくても…」
上から見下ろしてくる五条の口からクウンという泣き声が聞こえた気がして、は小さく吹き出した。
「なーに笑ってんの…」
「だ、だって…悟、可愛いんだもん…」
「は?可愛いって嬉しくないんだけど」
に可愛いと言われた事が少なからずショックだったらしい。
五条は「萎えた…」と言って上から体を避けると、の腕を引っ張って起こしてくれた。
だがその瞬間「うっそー」と言いながら、の唇にちゅっとキスをする。
「な…嘘って…」
「だーってがとことん意地悪するから」
「意地悪じゃないもん…」
「じゃあイジメ」
「いじめ?」
「僕のこと煽るような顔で見て来たくせに、その気になったら触るのもダメってイジメじゃん」
「…う…そ、それは…」
煽ってるつもりはなかったが、確かに五条の事を強く意識してしまったのはの方だ。
その時の顏が五条からすれば煽られたように見えるのかもしれない。
「ご、ごめん…」
「別に謝らなくていいけど」
苦笑気味に言いながら、五条は項垂れたの頭を優しく撫でた。
五条とて彼女を落ち込ませたいわけじゃない。
ただ男と女である限り、相手をどうしようもなく好きな限り、傍にいれば触れたいという自然な欲求が生まれて来るだけだ。
でもそれはが望まない事だと五条も分かっている。
「さてと、んじゃーイチャつくのはここまでにして、サッサと片付けちゃおうか」
五条はなるべく明るく言うと、の体を抱えてテーブルから降ろした。
もやっと笑顔を見せると、素直に頷く。
「早くやんないと朝までコースは勘弁だよなあ」
頭をガシガシかきながら、五条は積まれた本を見て溜息をつく。
本当は無理してるんだろうな、と思いながら、は黙って五条の手を握り締めた。
こうしていつもの気持ちを優先してくれる。
気持ちを察して引いてくれるのは五条の優しさだとも気づいている。
そしてそんな五条の事を、はたまらなく好きだと感じた。
肌を合わしてもいないのに、こんなにも愛しいと思ってしまうなら、行きつく先はきっと同じなんじゃないか。
そんな思いがふと過ぎる。
「、ほらボーっとしてないで、ちゃっちゃと終わらせちゃおーぜ。んで帰って一緒に映画でも観よう」
「…うん」
再び腕まくりをして本を仕分け出した五条を見ていると、の胸がかすかに音を立てた。
もし…次に悟に求められたら……その時は私も覚悟を決めよう―――。
所詮、無理だったのだ。
胸の奥に居座っている五条を好きだと言う想いの種が、大きく育って行くのを止める事なんて、所詮無理な話だったのだ。
その細い指先も、柔らかい髪も、綺麗な瞳も、名前を呼んでくれるその声も、全てが愛しい。
「?どうした?」
ふと五条が振り向いて優しい瞳を向ける。
見惚れてた、なんて言えなかった―――。
図書室とか本屋とか大好き過ぎてムラムラしますね🤔(何ソレ)
本の匂いがたまらなく好きなのです📚💑