灰色の世界⑵


鈍色の空にびっしりと雲が切れ間なく広がっている。頬に触れる風は湿っていて、今にも雨がふり出しそうな天気だ。こうして寝転がって見上げていると、視界全てが灰色で、次第にどちらが上か下か分からなくなってくる。まるで昔のオレの心を写し取ったみたいに、限りなく黒に近いグレー。見ていると飲み込まれそうで、オレは荒い呼吸を整えてから体を起こした。

「伏黒~!もうバテたのかよ」
「ったく体力ないわね~。夕べはナニしてたのかしら~」

虎杖と釘崎が運動場で呪具を交えながら叫んでいたが、オレは無視して額に浮かんだ汗をタオルで拭った。特に釘崎にはアレを見られたせいで今朝からやたらとジロジロ見られるから嫌になる。別にアイツにどう思われようとどうでもいいが、からかうネタを提供してしまった感が否めない。

「はい、恵」

鬱々とした気持ちを溶かすような彼女の声に顔を上げると、目の前にはスポーツドリンクの入ったペットボトル。それを差し出しているのは眩しいくらいの笑顔を見せるだった。

「サンキュ」

彼女の笑顔に何故かホっとして、ドリンクを受けとった。昔の自分に引き戻されそうになるオレを引き留めてくれるのは、いつだってだった。

「オマエ…それどうした」

ふと見れば、の膝に擦り傷があった。かすかに血が滲んでいるのを見て顔をしかめると、彼女はわたわたしながら「ちょ、ちょっと転んだだけだよ」と笑っている。補助監督でも体力は必要だ、と自らオレ達との特訓に参加したの体には最近生傷が絶えない。オレは軽く息をつくと、こんな時の為に持って来たバッグの中から消毒液と絆創膏を取り出した。

、座って」
「え、大丈夫だよ」
「いいから」

オレが見上げると、はモジモジしつつも隣に腰を下ろした。消毒液をコットンに浸して傷口に当てると、やはり沁みるのか彼女は僅かながら顔をしかめている。

「沁みる?」
「す、少し。でも平気」

オレが傷口を丁寧に消毒すると、は嬉しそうな顔で「ありがとう」と言ってくれる。でも素直じゃない性格が災いして、オレはいつものように素っ気ない返ししかできない。こんなオレを、は好きだと言ってくれる。誰よりも必要だと頼ってくれる。慈しんでくれる。唯一、オレの心を温めてくれる大切な存在。

「はい、出来た」

傷口に絆創膏を貼って膝をぺちんとはたけば、「痛いよ、恵」と可愛い苦情を言われた。

「オマエがどんくさいからだろ。少しはケガをしないように動けよ」
「…だ、だって…」
「あとショートパンツじゃなく、長いの穿け。その方が多少マシだろ?」
「え、でも暑いよ…」

彼女は極度の暑がりだ。そして冬は寒がり。要するにこらえ性がない。そんな彼女がオレの為に苦手なことを頑張り、補助監督として一緒に高専に来てくれた。こうして隣にいてくれるだけでオレは――。

「はい、そこー!イチャイチャしない!」
「……五条先生」

腹の底からイラっとくる声が背後から聞こえて、オレは思い切り感情が顔に出ていたようだ。

「あれ、恵、なに、その顔。いつにも増して黒いオーラが出まくってるよ」
「別にイチャイチャしてないっスけど…」
「えー?そーお?甲斐甲斐しくの手当てしてあげてたじゃない」
「……手当すんのがイチャイチャに分類されるんスか、先生の常識じゃ」
「さーて!次は体術の時間だよー、みんなー」
「………」

オレのツッコミを見事にスルーして、五条先生は虎杖たちの方へ歩いて行く。相変わらず適当で緩い人だと思う。

「げー五条先生、ちょっと休憩させてー」
「何、悠仁。それくらいでバテたの?」
「バテるに決まってんでしょ!この蒸し暑い中、一時間以上、呪具振り回してんだから!」

虎杖に続き、釘崎まで文句を言いだし、五条先生もさすがに仕方ないなーと苦笑を零した。

「じゃあ10分の休憩~」
「短っ!」
「文句言わないの」

そのやり取りを聞いていたが慌てたように立ち上がり、大きな木の陰に置いてある保冷容器の中から二人分の飲み物を出している。そこまでしなくても、と毎回思うが、これも補助監督としての仕事の内だと、は笑うんだから嫌になる。こういうところは中学の頃から変わらない。

「はい、野薔薇ちゃん、悠仁」
「ありがとー。気が利く~」
「サンキュー、

二人は汗を拭きながらも彼女からドリンクを受けとると、それを一気に飲み干して「生き返る!」と大げさに騒いでいる。はそんな二人を見ながら嬉しそうな笑顔を見せた。彼女は人の為に何かをするのが好きみたいだ。些細なことでも自分が誰かの役に立つことが嬉しい。前にそう話してた。自分がここにいていいと思えるからだそうだ。存在理由が欲しい、と彼女は言った。

「ほーんと、こんなに可愛くて気の利く子が、何で伏黒なんかの彼女なわけー?」
「……聞こえてるぞ」

釘崎はわざとらしいくらいの大きな声でいつもの嫌味をぶつけてくる。そんなのオレが一番思っていることだ。素直で、優しくて、少しドンくさいけど何事にも一生懸命な彼女が、何でオレなんかって今でも思う。

「バカだな、釘崎。やっぱ怖い思いしてるとこへ助けに来てくれたら、そりゃ惚れるだろ」

虎杖がまたその話を蒸し返し、オレは軽く舌打ちが出た。あの頃のことはあまり思い出したくもない。にも思い出させたくはなかった。怖い思いをしたんだから当然だ。

「でもさー助けたまでは分かるけど…その後はどんな風にくっついたわけ?この不愛想な男と」
「え、っと…」

釘崎が余計なことを言いだし、更に顔が引きつった。がオレの様子伺うようにチラチラと視線を送って来る。無言のまま睨み、言うなという圧をかけると、さすがに彼女も苦笑気味に頷いた。

「そ、その話はまた今度…」
「えぇー?いいじゃない、教えてよ」

釘崎がしつこく言い寄る。でもそこで助け船を出してくれたのは、まさかの五条先生だった。

「はい!休憩終わり―!恵!悠仁!野薔薇!こっち来て」

五条先生の号令で、釘崎は「えー?もうー?」と文句を言いつつ、虎杖と歩いて行く。それには少しだけホっとした。

「恵も頑張ってね」
「…おう」

ニコニコとオレを見上げて来るの頭を軽く撫でた。それだけで嬉しそうにするんだから嫌になる。何でこんなオレのことを、コイツはそこまで想ってくれるんだろう。
出逢った頃は、まさかこんな関係になるとは、オレも思っていなかったのに。