この日、現世での虚退治を追え、瀞霊廷にある隊舎へ戻ると、私が所属する、護廷十三隊・十番隊・副隊長から名さしで部屋に呼ばれた。
「え」
その言葉のみを発し、固まってしまった私を見て、松本副隊長は困ったような笑みを浮かべた。
「あ、あの…さん…?」
「…副隊長…今の話…本当ですか?」
忙しい身でもある副隊長が、そんな事で一隊員の私に嘘をつく理由もからかう理由もない。
そんな事は分かってる。でも…だからってこんな急に――。
「私も寂しいんだけど…でも今回の話はさんにとっていい話だからって隊長も言ってるのよ…」
「そ、そんなぁぁぁー!」
「―――ッ?!」
そこで絶叫した私は出世した死神とは思えないほどの落胆を見せ、松本副隊長を驚かせてしまった…
――護廷十三隊・十番隊隊長・執務室
「酷い、シロちゃん…」
「…あのな…俺は今、隊長だっての。その呼び方はやめろ」
「…だって今は二人だけだもん…」
そう言って目の前の幼馴染でもある私の隊の隊長、日番谷冬獅郎を睨む。
大きな切れ長の目、そして銀髪の美少年でもある隊長は、私とそれほど身長差もないのに、すでに隊長という座についている。
彼と私、そして今は護廷十三隊・五番隊・副隊長にまでなった雛森桃とは流魂街に住んでた頃からの付き合いだ。
ドン臭い私とは違い、優秀なシロちゃんは真央霊術院の創設以来の天才児なんて言われて、アっという間に隊長にまで上りつめ、
桃は桃で鬼道の達人なのもあって、だいぶ前に五番隊の副隊長になった。
なのに剣の使い手でも鬼道の使い手でもない私は、未だ役職もなく、シロちゃん率いる十番隊の一隊員クラス。
…だったのに――。
「良かったじゃねぇか。お前もこれで少し上に行けるんだぜ?もっと喜べよ」
「喜べって言われても…隊を移籍するなんて…」
「仕方ないだろ?上が決めた事だし…何て言ってもアチラさんがお前をご指名してるんだからさ」
「え、ご指名って…?」
そんなの初耳だ、と驚いて、シロちゃんに尋ねれば、シロちゃんは溜息交じりで肩を竦めた。
「だから…ある程度、剣が使えて長い事、隊にいる奴って事で…」
「それが…私なの?」
「お前が一番、長ぇだろ?まあ…未だにヒラ、だけどよ」
シロちゃんは嫌味ったらしく、そう言うとニヤリと笑った。
でも本当の事だから何も言い返せない。
そりゃ私だって出世は嬉しい。
でも、それがシロちゃんという幼馴染がいる、この隊でなら良かったのに…
「何だよ…やっぱ怖いか?」
「………」
ふとシロちゃんが心配そうな顔をした。
子供の頃から一緒で、真央霊術院に入った時もずっと一緒だったから、シロちゃんのいるこの隊に選ばれた時は凄くホっとした。
シロちゃんが傍にいて、時々は桃とも会えるから、何とかやって来れたのに…
もし移籍したら一人で何でもかんでも頑張らないといけない。
だって私はヒラから"護廷十三隊、三番隊の第五席"として、市丸隊長に呼ばれたのだから――――。
「おい…もし…そんなに嫌なんだったら…俺から市丸の奴に断ってみるけど…」
シロちゃんはさっきと打って変わって心配そうな顔のまま、私の頭を優しく撫でた。
シロちゃんは昔からそう。
口は悪くて意地悪なのに、本当は凄く優しい人。
私や桃をいつも守ってくれてた。
でも…そろそろ潮時なのかもしれない、と、ふと思った。
子供の頃から一緒で、霊術院でも一緒で…立派とまでは言えないけど死神になった今だってシロちゃんを頼ってる弱い私…
このまま甘えてばかりじゃ、死神としても成長なんて出来ないんだ。
「…?どうした?」
ずっと黙ったままの私に、シロちゃんは困ったように顔を覗き込んできた。
そこでパっと顔を上げると、シロちゃんはギョっとしたように後ろに身を引いた。
「何だよ…ビックリするだろ…?」
「シロちゃん…ううん。日番谷隊長…」
「な…何だよ、気持ちわりぃな…」
訝しげに眉を寄せているシロちゃんを、私は真っ直ぐに見据えた。
「私…三番隊に行きます…」
「…えっ?」
「行きます…。そして立派に三番隊、第五席を勤めさせてもらいます」
軽く息を吸い込み、一気にそう言うと、シロちゃんは呆気に取られた顔のまま、「あ、ああ…」とだけ答え、後ろの椅子に座り込んだ。
「でも…ほんとに大丈夫かよ?お前…」
「大丈夫!私だって一応、死神なんだし、こんな私を第五席に迎えてくれようって言うんだから、その気持ちに答えなくちゃ」
明るくそう言ってシロちゃんに微笑む。
もう、私の事で忙しいシロちゃんを心配させるような事は嫌だって、今ハッキリ思った。
今より成長して、ずっと守ってくれたシロちゃんに恩返しがしたいって、そう思ったんだ。
「だから心配しないで、シロちゃん。私、頑張る」
最後にいつもの口調でそう言うと、シロちゃんもやっと笑顔を見せてくれた。
「辛くなったら…いつでも帰って来いよ」
「…やだなあ。それだったら移籍する意味ないじゃない」
「ま、まあ、そうだけどよ…。でもホント…市丸の奴にイジメられたら、すぐ俺に言えよ?」
「……ありがと。シロちゃん」
ぶっきらぼうだけど、いつも優しいシロちゃん。
シロちゃんだって心配だけど、私の事を考えて、この話を受けてくれたんだ。
だったら、その期待にも応えないと…
そう思いながら明日付けで移籍するための任命書に隊長の印をもらい、部屋を出て行こうとした。
その時、
「おい」
「え?」
「あ、いや実はさ…。お前を我が隊に、と言ってきたのって市丸だけじゃねーんだ」
「…は?」
何を言ってるんだと思いつつ振り返ると、シロちゃんは困ったように頭をかきつつ、
「実は京楽のオッサンからも要望が「市丸隊長の隊でいいです」
思い切りかぶるように遮れば、シロちゃんは目を丸くして、「お、おう…」と呟いた。
「だ、だと思って…それは即効で断ったんだけどよ…。一応、報告っつーか…」
私の据わった目を見て笑顔を引きつらせるシロちゃんを尻目に「失礼します」と部屋を出た。
そこで大きく息をついて廊下を歩いていく。
まさか八番隊の方からも要望があったなんて驚いた。
けど絶対にあの隊へは行きたくない。
と言うのも…八番隊の隊長でもある京楽春水が問題あり…だからだ。
「あんな女好きの隊長の下じゃ、それこそ大変…」
いつも会うたびにニヤけた顔で話しかけてくる、およそ隊長らしかぬ京楽さんの笑顔を思い出し、軽く首を振る。
(まあ…市丸隊長だって、何を考えてるか分からないって、いつもシロちゃんが言ってたし、ちょっと怖いんだけど…)
その時、ふと、一年前の初月を思い出した。
一年前―――現世
現世で中秋最初に見られるという、夕日を追うように沈もうとする月。
その月を正面に見ながら虚退治をしてた私は、一瞬、オレンジ色の光で視界がかすみ手元を狂わせた。
私の斬魄刀"乱月光"が無常にも虚の肩をかすめ、飛んでいくのを見て、私は思わず息を呑んだ。
そして直撃を免れた身の丈ほどもある虚が、私に向かって飛び掛って来るのを、まるでスローモーションのように見ていた。
やられると思った瞬間、行く前にシロちゃんに「一人で平気」と強がった自分を呪いながら覚悟を決めた、その時。
一瞬で遥かに大きな霊圧を肌で感じ、それを脳で理解した、まさにその瞬間――。
「射殺せ―――神鎗」
始解の句が耳に入るのと同時に、私の真横を、とてつもなく長い剣が目にも見えない速さで飛びぬけていった―――。
「大丈夫やった?」
「…………」
何が起こったのか分からなくて。
ボーっとオレンジ色の光が低く堕ちて行くのを視界の隅で見ていたら。
目の前にいつの間にか私を見下ろしている、優しい笑みを浮かべた男の人が立っていた。
その人の顔には見覚えがあって、私が瀞霊廷に来てすぐの頃、遠めに見たことがある人物…
スラリとした長身に、サラサラの銀髪、そして細く、切れ長の目をした男――――。
「貴方は…三番隊の…市丸隊長…?」
私が独り言のように呟くと、彼はニッコリ微笑んで、そっと手を差し伸べてくれた。
何故、隊長ともあろう人が、自分の担当地区でもない場所に居合わせたのか。
後で落ち着いた時に、そう聞いてみれば…
「いやぁ、ボクんとこの副隊長が、現世から見る月は綺麗やって言うから月見に来ましてん」
そしたら可愛い女の子が危ない目におうてる気配がして飛んで来ましたんや、なんてトボケた答えが返って来た。
それが私と市丸ギンという、護廷十三隊の中でも切れ者と呼ばれる隊長との出会いだった。
入り口によく知った霊圧を感じて、俺は顔を上げた。
「何だ、松本。そんなとこに突っ立って」
素っ気なく言って、報告書から視線を上げると、十番隊、副隊長の松本が溜息交じりで入って来た。
「いいんですか?さんを三番隊に移籍させるなんて…」
「…仕方ないだろ?そろそろアイツだって一隊員でいるわけにはいかねぇし」
「そうだけど…十番隊でだって―」
「俺が傍にいちゃダメなんだよ…」
「え?」
俺の言葉に松本はかきあげた髪をサラリとたらし、目の前に歩いて来た。
「どうしてです?」
「…どうしてって…アイツは…俺が傍にいると甘えるからな…。誰も知ってる奴のいない隊に入った方が成長するだろ」
「…隊長…」
「そ、それによ!京楽のオッサンに任せるより、まーだ市丸ギツネ(!)に預けた方が安心だろ?まあ…違う意味で心配もあるが…」
松本の奴が無言のままジっと見てくるから、何となく心の中を読まれてる気がして慌てて視線を反らす。
するとクスクス笑う声が聞こえてきて、カッと耳が熱くなった。
「何笑ってんだよ?」
「いーえー。まあ…隊長の言うように、まだ三番隊の方が良さそうね。八番隊、副隊長の七緒も会うたびにグチってるし」
「…だ、だろ?それに…と市丸は一年ほど前に顔見知りになってるらしいから…少しはマシだろ」
「ああ…さんが助けられたって言う…」
松本はそう言うと、小さく笑い、
「あの日の隊長は落ち着きなくてソワソワしてましたっけ」
「う、うるせーな!とっとと仕事に戻れ」
バンと机を叩き、怒鳴れば松本は高笑いしながら部屋を出て行った。(ムカツク)
「チッ…ったく…」
熱くなった頬を冷やすのに窓を開けて外の空気を吸い込む。
いつの間にか暗くなった空を見上げながら、大事な幼馴染の今後を思った。
ハッキリ言えば俺だって無理に移籍なんかさせたくない。
でも市丸の奴が、何を思ったのかを自分の隊に、と申し出てきたのは、つい先日の事。
もちろん、その話を聞いた時、何を莫迦な事を、と一笑に付して断った。
なのにアイツときたら―――。
「へぇ、そんなん言うてええんやろか…」
「どういう意味だよ?」
「彼女は長いこと隊におるのに、最近は伸び悩んでるとか…?こういうのんが"飼い殺し"言うんやろねぇ…」
「…あぁ?」
「それもこれも隊長さんが、彼女に仕事をさせてない、なんて噂やけど…」
「…何が言いたい…」
「…自分の部下を任務から遠ざけてる隊長なんて聞いた事ない、とでも言うときましょか」
市丸はシレッとした顔でそんな事を言いやがった。
何もかも見透かしたような顔で。
(アイツは元々キツネ顔だけど性格もとんだキツネだぜ…)
でもまあアイツがいう事にも一理ある。それに…
俺は知ってる。
も自分の今の立場に悩んでる事を。
十番隊の中でも俺と松本の次に長くなり、後輩だって出来たのに、未だ一隊員のまま。
剣を鍛えようにも、俺がアイツに気付かれないように任務から遠ざけてるわけだから、成長しようもない。
そう…あの一年前の出来事があって、俺はが心配で、本来の任務でもある虚退治を前よりさせないようにしてきたんだ。
それを知ってるのは副隊長でもある松本だけ。
だったはずなのに…
「市丸…アイツ、何考えてんだ…?」
アイツのニヤケた顔が頭に浮かび、俺は思い切り窓を閉めた。
もう、戻れない――。
は明日、俺の隊から市丸の隊へと移籍する。
心配だけど、見守るしかないと、何度も自分に言い聞かせた。
「では、ここを使って下さい」
「は、はい…。ありがとう御座いますっ」
十番隊、隊舎から三番隊の隊舎へ荷物を運び、隊員だけが住む部屋へと案内された。
しかも案内してくれたのが、三番隊、副隊長の吉良イヅルその人で、私は恐れ多いと、内心ビクビクしていた。
「何か分からない事があれば僕に聞いてね」
「は、はい…すみません」
「あはは、そんな硬くならないで。明日からは仲間なんだし」
「い、いえ…滅相もないです…」
自分の隊では、それこそ副隊長クラスの人と接してきたけど、こんな風に他の隊の副隊長と面と向かって話した事がない。
何だか極度に緊張して顔を上げられなかった。
すると頭にポンと手が乗り、ドキっとして顔を上げると、そこには優しい笑顔がある。
「君…雛森くんの幼馴染なんだってね」
「…え?」
その言葉に驚くと、吉良副隊長はちょっと笑って肩を竦めた。
「僕は彼女と同級生でね。特進学級で一緒だったんだ」
「あ…そ、そうですか…」
何とか受け答えをしつつ、そう言えば桃から聞いた事があったかも、と思い出す。
でもいくら幼馴染と同級生でも、今は、というか明日からは私の上司になる人だ。
気安く言葉なんて交わせるはずもない。
「今回の移籍には驚いただろう?」
「え?あ…はあ…」
「まあ…うちの隊長も気まぐれというか…何を考えてるのか分からない人だから」
「そ、そう…らしいですね」
一年前に言葉を交わした日の事を思い出しながら、ちょっとだけ笑うと、吉良副隊長も苦笑をこぼした。
「そうそう、君なんだってね。隊長が助けた子というのは」
「え?あ…」
「噂は聞いてたんだけど、ちょっと驚いたかな?」
「…驚いた…?」
彼の言葉に首をかしげると、吉良副隊長は笑いながら、
「うちの隊長はあまり他人に興味を示さないし、まして自分のミスで虚にやられそうになってる死神を助けるようなマネ、普段はしない人だから」
「…はあ」
「あ、ごめんね?べ、別に君がどうのってことじゃなくて、その―」
「あ、いいんです。私のミスというのは本当の事ですし…市丸隊長のおかげで今、こうしていられるわけですから…」
そう言って笑うと、吉良副隊長は困ったように頭をかいた。
何だか凄くいい人そうだ。
「あ、それじゃ正式な入隊は明日からだよね」
「はい。お世話になります」
「じゃあ…明日の定例会議で…」
「はい。遅刻しないよう気をつけます」
私が真面目な顔でそう言うと、吉良副隊長は楽しげに笑って部屋を出て行った。
「はぁぁあ…」
一人になると、その場にへたり込む。
やっぱり遥か上の人と面と向かって話すのは緊張する。
「シロちゃんや松本副隊長なら平気だったのに…」
軽く息をついて立ち上がると、部屋をグルリと見渡した。
隊長、副隊長クラスは個室を与えてもらえるけど、私たちのような隊員は数人で一つの部屋に住む。
けど第五席になった私は前よりも少ない2人部屋へと案内されてホっとする。
同室の子は任務があるのか、今は誰もいない。
私も今日は荷物を運んできただけで、完全に移籍する明日までは、まだ十番隊の隊員だ。
一度、戻ろうと部屋を出て、十番隊、隊舎へと足を向けた。
ふと廊下から外を見れば、スッカリ日は暮れて真っ暗な夜空に綺麗な月が浮かんでいた。
「あの日と同じ…」
「初月やね」
「―――ひッ?!!」
いきなり後ろから声が聞こえて、ギョっとその場から飛びのけば―――。
「そない驚かんでも…」
そこには苦笑を浮かべた市丸隊長が、いつの間にか壁に寄りかかって立っていた。
「あ、あ、あの…」
「待ってたで。お嬢さん」
「…へ?」
彼はいつの間に、私の背後に忍び寄ったんだろう?と思いながら、優しい笑みを浮かべる市丸隊長の顔をおずおずと見上げた。
「あ、あの…明日からお世話に――」
「ああ、そない堅苦しい挨拶はせんでええよ」
「で、でも――」
「それより…今宵は前に現世で見た月のような美しさやし…今から一緒に月見でもしよか」
「え、は?あの…」
返事をする間もない。
見た目より逞しい市丸隊長の手に取られ、気付けば私は夜の瀞霊廷内を、彼と一緒に走っていた。
「ど、どこに行くんですか?市丸隊長…」
一気に走って外に出たからか、軽く息が切れる。
なのに彼は少しも息を乱さず、「ボクの秘密の場所」と答えるだけ。
いくら明日から第五席となろうと、一隊員の私と、その隊の隊長が手を繋いでいる光景を、誰かに見られたらとんでもないことだ。
「あ、あの…こ、困ります!て、手を離して下さ――」
「ちょっと抱っこさしてもらうし堪忍な?」
「へ?きゃぁぁっ」
いきなり体がふわりと浮いた、と思った瞬間。
私の体は市丸隊長の腕に抱きかかえられ、建物の屋根から屋根へと飛び移っていた。
「ちょ、ちょっとー!お、下ろして下さ…」
「もう、ついた」
「…ぇ…?」
その言葉に顔を上げると、彼は目の前には瀞霊廷を見下ろす形で立っていた。
後ろを見れば真っ白に聳える懺罪宮が見えて、どうやら私と市丸隊長は、その塔から一番近い建物の屋根の上にいるらしい。
という事は……めちゃくちゃ高いって事であって、少しでも暴れたら=落ちる、という図式が私の脳内で出来上がった。
「こ、ここ…」
「ええ眺めやろ?」
「え?あ…はあ…」
市丸隊長は私をそっと下ろすと、背中を支えながら微笑んだ。
背中に感じる体温が死ぬほど恥ずかしくて離れたいけど、そうすると不安定になって落ちるかもしれない。
一瞬の間にそれだけ考えると、この場は大人しくしてる方が身のためということで落ち着いた。
「大丈夫か?」
「は、は、はい…」
大きな屋根だから、動けばすぐ落ちるという事はないけど、少し斜めになっていて足元が怖い。
私は目の前の景色を見るのも忘れてギュっと目を瞑っていた。
しかも怖さのあまり市丸隊長の着物の裾をしっかり握ってしまって、マズイと思うのに手が固まったように動かない。
「あらら…そない怖いんか?」
「い、い、いえ…」
「可愛いなぁ。でも目ぇ瞑ってたらせっかくの月見もできひんよ?」
「ひゃっ」
いきなり前髪をかきあげられ、ぎょっとして目を開ければ。
目の前には綺麗に整った市丸隊長の顔がドアップであり、ビックリしたまま固まってしまった。
「な、な…」
「やっぱりちゃんは前髪上げた方が可愛いのん違う?」
「はははい?!」
「オデコ。出したら?」
「…へ?」
何だか飄々とした市丸隊長の言葉に、目が更に丸くなる。
だいたいシロちゃん以外の隊長という肩書きの人を、こんな目の前で見たのなんて初めてで、緊張と恥ずかしさがいっぺんに襲ってくる。
すると市丸隊長はクスクス笑いながら、ふと空に浮かぶ月を見上げた。
「覚えてはる?去年もこうして初月を見たこと」
「え、あ…は、はい…。あの時は助けていただいて――」
「お礼なんてええて。ボクの気まぐれやから」
「はあ…。でもやっぱり…」
「しぃ」
そう言いかけると、唇に冷たいものが触れドキっとした。
見れば市丸隊長の細くて綺麗な指が触れていて、耳まで真っ赤になる。
「あ、あの」
「それより…この一年、見てきたけど…ちゃん、剣は上達してへんみたいやなぁ」
「……っ?」
そう言ってニッコリ微笑む隊長は、真っ赤になった私を見下ろした。
「ボクは十番隊、隊長さんみたいに君を任務から遠ざけたりせえへんよ?」
「え…?」
「ちゃんは…強くなりたいんやろ?」
「……はい」
何となく素直に頷いてしまった。
そんな私を見て、市丸隊長はただ優しく微笑んでいる。
そして月を見上げると、一言――。
「ボクがちゃんを強くしてあげよう思うててん」
護廷十三隊・三番隊・隊長、市丸ギンは、月の光を浴びながら、妖しく微笑んだ。