2章 / 待宵




「ボクがちゃん、強くしてあげよう思うててん」

隊長から頂いた言葉は、一死神にはもったいないように思えた。
恐れ多くも、三番隊の隊長と二人、月見をしたあの夜から、私の苦難は始まった。








「で?今日は何だ…?三番隊・第五席のお前が、この十番隊・隊長の執務室、、、、、、、、、、に」

シロちゃんは呆れ顔で机に肩肘をつきながら息を吐き出した。
その態度と言い方にムっとして、持ってきたお弁当を腕に抱えた。

「別に今日はシロちゃんに会いに来たわけじゃないもん」
「あ、おい!それ俺に作ってくれた弁当だろ?」

お弁当を奪い返すと、シロちゃんは慌てたように椅子から腰を浮かせた。
私は私で目を細めて振り返ると、

「違うわよー。あ、松本副隊長!お弁当、作ってきたんです〜!一緒に食べません?」
「あら ♡ さん!いいの?」

ちょうど戻ってきた松本副隊長に嬉しそうに微笑む。
そして後ろで椅子から腰を浮かせて、切なそうな顔でこっちを見ているシロちゃんに視線を向けた。

「じゃあ私の部屋で食べましょうか。美味しい茶葉が手に入ったの」
「わ、ホントですか!嬉しいー」
「あ…!おい、松本…!俺の昼飯――」

二人で執務室を出て行くと、後ろからシロちゃんの悲しげな雄たけびが聞こえてきた。

「ふふ…可哀想よ?隊長」
「だって意地悪言うから…」

松本副隊長の部屋へ通され、促されるままソファに据わると、副隊長はニッコリ微笑み隣に座った。

「隊長は心配なのよ。隊を移っても、しょっちゅう遊びに来てたら向こうの人たちと馴染めないんじゃないかって」
「…それは…そうですけど…。隊長があれじゃ三番隊でも私、いつまで経っても――」

そこで言葉を切った。
目の前の副隊長は不思議そうな顔をしている。

(そうだ…前にシロちゃんに聞いた事がある…。松本副隊長と市丸隊長は昔馴染みだって…)

「どうしたの?さん…急に黙っちゃって」
「あ、あの…ちょっと聞いていいですか?」
「ん?何?」
「松本副隊長は…市丸隊長と昔からの知り合いなんですよね」
「え?あ、ああ…まあ、ね」

松本副隊長は少し目を丸くしてから苦笑いをこぼした。

「何?ギン…市丸隊長の事で何か困ってるの?」
「はい…あの――」
「あ、ちょっと待って?」
「…??」

不意に松本副隊長が立ち上がり、ドアの方へ歩いていった。
それを見ていると、副隊長は徐にドアを開け放ち――。

「そんなとこにいないで入ってきたらどうですか?日番谷隊長」

「…ぅわ!」

「…ぇ?」

その言葉にギョっとすると、副隊長の後ろからバツの悪そうな顔をしたシロちゃんが入って来た。

「せっかくだから三人で食べましょ?さん。隊長はさんの作る料理、凄く好きらしいの」
「よ、余計なこと言うな、松本!」

シロちゃんは真っ赤な顔で怒ると、私の方に歩いてきて、腕を組んだまま、どっかりと隣に腰を下ろした。

「さ、さっきは…悪かったよ…」
「…シロちゃん」
「…でも言っとくけど別に弁当が食いたくて来たわけじゃねーからなっ」

そう言うのと同時に顔をプイっと反らすシロちゃんに、松本隊長は笑いを噛み殺している。
私もちょっと笑うと、持ってきたお弁当の一つをシロちゃんに差し出した。

「…え…?」
「最初から三つ作ってきてたの。これはシロちゃんの分」
「はあ?」

すました顔でそう言うと、シロちゃんは真っ赤な顔で口をパクパクさせている。
きっと本当にお預けになるかと思ってたんだろう。

幸い料理だけは得意としてきたから、昔からシロちゃんにも食事を作ってあげたりした。
もし食事専門の部隊、なんてものがあったなら、きっと私は迷わずそこへ入隊してただろう。

「ん、美味しい。さん、ホントに料理上手ねー。私なんて全〜然、ダメ」
「当たり前だ。は小さい頃からやってたからな。松本はどうせ酒ばっか飲んでたんだろ」

まるで自分の事のように得意げになるシロちゃんに、松本副隊長もニヤリと笑った。

「あーら、まるでご自分の事のように自慢するんですねえ、隊長♪」
「う、うるせーな!黙って食えっ」

シロちゃんは顔を赤くしたまま、一気にお弁当を食べ始めた。
その姿を見ながら苦笑すると、松本副隊長が思い出したように私を見る。

「あ、そうだ…。話の途中だったのよね。市丸隊長がどうかした?」
「え?あ、そうだった!」

私もそこで思い出し、掌をポンと叩いた。

「何だよ…市丸の奴が何か無茶なことでもさせるのか?」

シロちゃんが早くもお弁当を食べ終わり、怖い顔でこっちを見る。
それには軽く首を振った。

「ち、違うの…」
「え?」
「その逆なの…」

私がそう言うと、シロちゃんと松本副隊長は訝しげに眉を寄せ、互いの顔を見合わせた。

「どういうことだよ。話してみろ」

シロちゃんにそう言われ、私は昨日の事を思い出しながら、静かに口を開いた―――。











一日前・三番隊・隊舎内――




「では、これから呼ぶ者は俺たちと一緒に参るように」

第三番隊・副官補佐、橘さんの話を聞きながら、目の前にいる隊員たちを見る。
ほんの少し前までは、私もアチラ側にいたのに、今はこうして皆の前に立っているのが何だか気恥ずかしい。
今日は今年から入って来た子たちの実戦訓練のため、現世に行く。
内容は魂葬と、最近、三番隊担当区に出没してる虚退治だ。
私も第五席という役職をもらっているため、その子たちの先導をしなくてはならない。
一隊員だった頃は任されている区の範囲内で好きに戦えたけど、今度からは違う。
自分より下の者を率いていかなくちゃならない。
移籍してから、初めての第五席としての仕事に、私は少し緊張していた。

「準備はいいな!では行くぞ!」

「「「「「「はい!」」」」」

橘さんの声に皆が返事をした、その時――。

「ほぉ、皆、元気やなぁ」

「「「「―――ッ」」」」」

ざわっとどよめきが起こった。
その声、そして抑えていても分かるほどの霊圧で、目の前の新人達は息を呑んで私、いや私の後ろに立っている存在を見ている。

「市丸隊長…!」

橘副官補佐が素早く跪くのを見て、私も慌てて跪こうとしたが、市丸隊長の手でそれは静止された。

「ああ、そない緊張せんでもええよ?ちょっと見に来ただけやから」

そう言いながら副隊長を連れて皆の前に出る市丸隊長は、チラっと私を見て微笑んだ。
普通、こういう時に隊長格の死神は顔なんて見せないのに、と思いながら、その胡散臭い(!)笑顔を見上げると、

ちゃんも行くんか…?」
「…は?あ、はい!」

分かりきった事を聞く市丸隊長に、内心、何を言ってるんだと思いつつ、皆の前でも普通に名前を呼ばれた事に顔が赤くなった。
橘副官補佐なんかは訝しげな顔で私を見ているし、目の前の新人たちも、目を丸くして私に注目している。
何だか気まずい気持ちになったが、その原因を作った隊長は首を軽くかしげて、後ろにいる吉良副隊長に目をやった。

「…そないな報告は受けてへんで?イヅル…」
「…は。は三番隊に来て、まだ一度も任務についていなかったので、急遽、今日の実戦訓練に選ばれました」
「…そうか。ほな…気ぃつけてな?ちゃん。 ―ああ、皆も訓練、頑張りや?」

いきなり隊長に頭を撫でられ呆気に取られていると、緊張から隊長のその動作を気にもしてないのか、
それとも隊長の労いの言葉に後押しされたのか、皆は元気良く、「はい!」などと返事をしている。
が、橘副官補佐だけは怖い顔で私を睨みつけると、戻っていく市丸隊長に軽く頭を下げてから門の方に歩いていった。

「では参る!解錠!!」

橘副官補佐の掛け声で、現世への扉が開かれる。
彼の後ろからついていく子達の後ろを私が引率しながら、内心は不安で一杯だった。

橘副官補佐のあの目…
どうして隊長に直々に名を呼ばれ、声をかけられているのか、という非難の目だった。
彼は私に一番近い上官だし、出来ればモメたくはない。

そう思いながらも、どうして市丸隊長は私なんかに優しくしてくれるんだろう?と首をかしげた。
確かに一年前、助けてもらった時は感謝もしたし、憧れた事もある。
でもシロちゃんから聞く彼の話はどれも良くないものばかりで、どんどんイメージが変わっていって、今では近寄りがたいとすら思っていた。

!ボーっとするな!」
「は、はい!」

考え事をしていると、橘副官補佐の怒鳴り声が飛んだ。
すでに現世の入り口まで来ていて、ここから何組みかに分かれて行動する。

は2部隊を率いて現世定点2012番、南西1182地点に行け」
「はい!」
「私はその近くの2015地点にいる」
「分かりました」
「では皆も心して訓練するように!危険と思えば、すぐに上の者を呼べ!」

彼の言葉で私たちは散り散りになり、訓練が開始された。










訓練から一時間もしてくると、皆はだいぶ慣れたのか、最初よりは早く魂葬が出来るようになった。
他にもこの区を荒らしていた虚を何体か倒し、そろそろ尸魂界へ帰る時刻となった頃、すぐ後ろで悲鳴が聞こえた…


「わぁぁぁっ!」


その悲鳴に皆と合流しようとして歩き出した足を止め、瞬時に気配を探る。
近いというのは感じるが、姿が見えず辺りを見渡した。

「誰かいなくなったものは?!」
「は、はい!俺の後ろにいた奴がいません!」

(やはり私の率いてた隊員…!)

それを聞いて急いで声のする方へ駆けていくと、目の前に公園が現れ、そこで大きな霊圧、そして消えかかっている魄動を感じハっとした。


≪…おぉ、まだ死神がおったのか…≫


私の気配に気づいた虚はニヤリと笑うと血まみれの隊員を地面に落とし、こっちを見た。
すると虚の足元に、もう一人の隊員がいて慌てて私の方へ走って逃げてくる。
この場所、そして二人だけでという命令は出していないから、この二人は隊から離れ、勝手に行動してたのだろう。

「す、すみません、さん!アイツが虚の気配に気付いて…自分の手柄にしようって言うから――」
「言い訳はいい!!それより皆を連れて逃げて!すぐ橘副官補佐の元へ!」
「で、でも――」
「私は後から行く!いいから早く行って!」

今は私が彼らを守らないといけない。
その辺の虚なら彼らでも大丈夫だが、今、目の前にいる虚はさっきまで倒してきた奴らの比じゃない。
私より数倍、大きく、霊圧も高い。

(ここで皆と戦っても怪我人を出すだけ…私が何とか食い止めないと…!)

斬魄刀を構え、目の前の虚を睨む。
その後ろには不気味な赤い月がこっちを照らしていた。

(まるで…あの時と同じ)

一年前、こんな夜に、私は同じように一人、巨大な虚と戦っていた。

そして―――。

≪おやぁ?私を前にして考え事かい?≫

「―――くッ!」

シュっという音と共に丸い巨体から伸びてくる触手が目の前で揺れるのをスレスレで交わし、地面に手をついた。

(しっかりしなくちゃ…!私はもう一年前の私じゃない!)

斬魄刀を握り締め、始解の句を唱えようとした、その時、

…!」

「…橘副官補佐…?!」

どうやら皆は無事に戻ったのか、副官補佐が一人でこっちに向かってくるのが見えた。

「何をしていた!」
「すみません!目を放した隙に隊員がやられました!」

橘副官補佐と並んで剣を構えながら、倒れたまま動かぬ隊員に目をやる。
でも、かすかだけど霊圧を感じる。まだ死んでいない。
まだ…助けられる――!

「橘副官補佐…皆はどうしました?」
「先に帰した。こんな奴、俺だけで十分だ!」
「でも――」

一人で行こうとする副官補佐についていこうとした時、彼が怖い顔で振り向いた。

「実力で第五席になってもいない奴の手はいらない!!」
「……っ?」
「どうやったか知らないが…隊長の気を引いて成り上がった奴は黙って見てろ!」

橘副官補佐はそう怒鳴ると、一人で虚に向かっていった。
私は頭をガツンと殴られた気がして、構えていた剣を下げると、目の前で笑っている虚を見上げた。

(そんな風に思われてたなんて知らなかった…)


≪おやおや…この状況で仲間割れとは悠長じゃないか…私もナメられたもんだ…≫

「うるさい!」

橘副官補佐は剣を掲げると、始解の句を叫んだ。


「――颶風ぐんぷうやせ――烈火丸れっかまる!!!!」


その瞬間、物凄く熱い突風が吹き、私はよろめいた体を何とか踏みとどめた。
風が髪を浚って、辺りの木々が大きく撓る。
副官補佐の斬魄刀は風と火を同時に操る力なのか、彼の周りに風で舞い上がる大きな炎の竜巻が渦を巻いていた。

だから一瞬、何が起きたのか分からなかった。

気付けば、突風は静まり、長い触手が橘副官補佐の肩を貫いていた。











「はぁぁぁ?!で、で!お前は大丈夫だったのか!!」

バンっとテーブルを叩き、シロちゃんが真っ青な顔で立ち上がった。
それには私も松本副隊長も目が点になる。

「だ、大丈夫だからここにいるんじゃない!何言ってんの?」
「そ、そうか…。そう、だよな…ははは」

シロちゃんは頭をかきながら笑うと、再びソファに腰を下ろした。

「で…その橘はどうなったんだ?」
「…助かった」
「な…じゃあお前がその虚をやったのか?」
「……それが…」

シロちゃんが怖い顔で詰めよってくるから思わず目を伏せた。

いや、私だって別に好き好んで、あんな気持ち悪い虚と戦いたくはなかったけれど―――――










「た、橘副官補佐!!!」

血にまみれて崩れ落ちた彼を、私は信じられない思いで見ていた。
彼の実力は知らないが、副官補佐まで勤めるほどの人がどうして、と。

≪…ひっひ。乱れた心で向かってくる死神ほど弱い者はないねぇ…≫

「何…?!」

グニョグニョとした触手を揺らしながら、虚は私を見て笑った。
色々な虚はいるが、触手系の虚は苦手な私は思い切り間合いをとり、再び剣を構える。
かすかにその手が震えていた。

≪…ナメてかかるから、こういう目に合う…≫

「黙れ!!」

虚の言葉にカッとなる。
それと同時に、橘副官補佐が心乱したのは私のせいだ、と思った。

「く……逃げ…ろ」
「っ…橘副官補佐!」

≪おや、まだ動けるのかい?さすがにしぶといねぇ…惜しい惜しい…平静を保っていれば、あるいは私に傷の一つも――≫

「黙…れ!お前なんか…に負けるかっ」
「副官補佐!無茶です!その肩で――」
「うる…さいっ」
「動いてはダメです…!」

傷ついた腕で剣を構えようとする彼に、虚の触手が飛んでいく。
その瞬間、私は始解の句を叫んだ。



「月の光宿やどりて…みだえ!!――乱月光らんげっこう!!」



一瞬にして辺りに光が飛び散り、白い三日月の形をした刃が伸びる。
その刃からは幾すじもの光の刃が乱れ舞い、副官補佐に飛んだ触手を弾くと、虚を一瞬で囲んだ。

(私のせいで副官補佐が…。このまま逃げるわけにはいかないっ)

一瞬、笑顔で三番隊に送り出してくれたシロちゃんの顔が浮かんだ。

こんなところで死んでたまるもんですか…絶対に二人を助ける…!

「バカヤ…ロウ!…逃げろ…」

副官補佐の声がかすかに耳に届き、一瞬、気が乱れる。
それでも私は虚に向かって斬魄刀を振り上げた。


≪ふふ…眩しいねぇ…。が…お前も心乱して何をするつもりだ…?ほれ、光が乱れておるぞ?≫


「―――ッ?」


大きく長い触手が弾け飛び、周りで光っていた刃が叩き落されたのを成す術もなく、空中から見ていた。
その時、虚が私を見上げ、ニヤリと笑う。


(ダメ…空中では避けきれない…!)


自分に向かって伸びてくる触手を、斬魄刀で防ごうと前に構える。


その時―――あの夜と同じ、静かな始解の句が聞こえた気がした。



「射殺せ―――神鎗」



気付いた時には、目の前の虚が長く大きな剣に貫かれ、無数の触手が飛び散り、一瞬で消滅していた。












「じゃ…じゃあ…また市丸が…?」

目を丸くしているシロちゃんに、黙って頷けば。
松本副隊長は溜息交じりで首を振った。

「な…何でだよ…?何で隊長のアイツが、わざわざ新人の実戦訓練の場に出向いてんだ?!」
「…そ、それは…知らないけど…。市丸隊長は"暇だったから"って…」
「はあ?!アイツ、ふざけてんのか!!」

ドン!とまたしてもテーブルを叩いて立ち上がるシロちゃんを、松本副隊長は、「まあまあ隊長」と宥めてくれた。

「どんな理由にしろ…さんが怪我もなく、こうして元気なんだしいいじゃないですか」
「よくねえ!あ、いや助かったのは良かったけど…助けた奴が、またアイツだなんて―」
「シロちゃん…?」

急に黙ったシロちゃんに首を傾げれば、松本副隊長が苦笑いを浮かべ、「また始まった…」と呟いた。
その言葉に、「また?」と尋ねると、

「それが…隊長ってば一年前の時も、市丸隊長がさんを助けたのが気に入らないって感じで怒ってたのよ」
「え?」
「ま、松本!余計な事は――」
「それで次の日、市丸隊長に"昨日はうちのを助けてくれたようで"なんて嫌味っぽいお礼まで言いに行っちゃって――」
「松本!!」
「シロちゃん…?」

あまりに顔を真っ赤にしているシロちゃんに驚いて立ち上がると、シロちゃんは私に背を向けた。

「と、とにかく!はドン臭すぎる!もっと斬魄刀の腕を磨け!それか鬼道の練習でもしてろ!」
「な、何よ、それー!感じ悪い!それに言われなくても今夜から隊長に剣術指南してもらって訓練するんだから!」
「……は?」
「―――ッ(マズイ)」

思わず口を滑らせてしまい、慌てて口を押さえた。
でもシロちゃんの耳にはしっかり届いてたようで――

「お前…市丸の剣術指南、受けるのか…」
「え、あ、あの…だ、だって隊長がそう言うから―」
「はぁあ?!隊長が第五席クラスの部下にマンツーマンで剣術指南するか?!聞いたことねーぞ!」
「そ、そんなこと言ったって…私だって断ったのよ!でも何度も助けられてるし無碍むげに断れなかったの!」

そう言い返すと、シロちゃんは軽く舌打ちをして、いつものように三白眼で睨んできた。

「…じゃあ勝手に教えてもらえよ…。そんな話しに、いちいち来んな」
「ちょ…シロちゃん!」

何故か怒りだし、大またで部屋を出て行くシロちゃんを唖然として見送っていると、後ろで松本副隊長が大きく息を吐いた。

「あーあ。またへそ曲げちゃったわ、うちの隊長ってば」
「あ…ご、ごめんなさい…。シロちゃんってば昔から短気だし、私も未だにシロちゃんの怒りのツボが分からなくて…」
「はぁぁ…さんも相当、鈍感なのね…。隊長も苦労するわけだ…」
「…え?」

よく聞こえなくて首をかしげると、松本副隊長は笑いながら手を左右に振った。

「何でもないわ。それより…話はあれで終わりなわけじゃないでしょ?」
「あ…はい…」
「何、もしかしてギンの奴…じゃなくて…市丸隊長が何か危ない事でも?」
「…松本副隊長」
「ん?」
「私だけしかいないし…お名前で呼んでもいいんじゃないですか?」

私がそう言うと松本副隊長はちょっと笑ってソファに寄りかかった。

「まあ…そうね。で…ギンに剣術指南してもらうって言ってたけど…本当?」
「…ええ、まあ…」
「とにかく座って。話聞かせてよ」

そう言われ、私は再び腰をかけると、昨日の事を聞いてもらおうと口を開いた。












地面に座り込んだまま、ゆっくりと振り向けば、月明かりの中、思ったとおりの人物が笑顔で立っていた。

「い、市丸…隊長…?」

まるで再現されたかのように、あの夜に戻ったみたいだった。
あの夜、私は彼に助けられ、今ここにいる。なのに、また今夜、同じように助けられた。

「怪我…ないか?」
「どうし…て、ここに…?」

目の前に歩いて来た市丸隊長を見上げると、彼はゆっくりしゃがんで私の頭へ手を置いた。

「いやなぁ。ボクが昼寝しとったら、イヅルが少しは仕事してくれー言うて泣きついて来たし散歩がてら虚退治に来てん」
「……は?」

またしても隊長のオトボケ攻撃に一瞬で半目になった。

「そしたらボクの可愛い部下が、エライ気色の悪い虚にやられそうになってるし慌てて助けに飛んで来てんで?」
「あ、あの…」
「まあ間に合うて良かったわ。ちゃんに怪我でもされてたら、ボクが橘を切ってるとこや」
「――っ?」

その言葉に驚いて顔を上げると、市丸隊長は地面に倒れている橘副官補佐に冷めた目を向ける。

「あ、あの――」
「…なんて…嘘やし、そない顔せんといてぇな、ちゃん」
「…え」

そう言って私を見た市丸隊長の顔には、いつもの優しい笑みが浮かんでいて、本気で胸を撫で下ろした。

「あぁ、あかん。はよ連れて帰らな死んでまうな、あの二人」
「え?あ、そ、そうだった…」

市丸隊長の言葉に我に返り、慌てて立ち上がる。
でも思った以上に気を張っていたのか、足元がフラつき、市丸隊長が支えてくれた。

「無理せんでええよ?疲れたやろ」
「だ、大丈夫です、これくらい…」

と言っても、今日は新人の訓練で、かなり精神的にも気力を使い果たしていた。
それの最後に、あんな思いをしたからか、思うように足が動かない。

「ええて。ボクが助っ人呼んどいたし…ああ、噂をすれば、や」
「え?」

そう言って後ろを振り返ると、いつの間にか救護隊がやってきていて、倒れている二人を運んでいった。

「さて、と。ちゃんはボクが連れ帰ろか」
「は?いや、私は一人で――」
「遠慮せんでもええよー?フラフラしとるやん」
「いえ、これは…ひゃっ」

いきなり体が浮いて、私はまたしても市丸隊長の腕に抱えられてた。

「ちょ…あの隊長…っ」
「急いで戻るしシッカリ掴まっとき」
「あ――」

そう言うや否や、市丸隊長は素早い動きで救助隊の後を追っていく。

こうして私は一度ならず二度までも、市丸ギンという何を考えてるのか分からない隊長に助けられてしまった。












「へぇ…ギンの奴…優しいとこあるじゃない」

話し終えた時、松本副隊長がにこやかに言った。それには口が開き、すくっと立ち上がる。

「そ、そういう問題じゃありませんっ」
「ちょ、さん、どうしたの?」

いきなり立ち上がった私を見て、松本副隊長は目を丸くした。

「あ、す、すみません、つい…」

慌てて謝ると、そのまま座り頭を下げる。
松本副隊長はクスクス笑いながら、「さんもギンに振り回されてるのね」なんて呑気に笑った。

「ふ、振り回されてるって言うか…はっきり言って…」
「はっきり言って…?」
「ここにいる時以上に甘やかされてる気がします…」

そう言って顔を上げると、松本副隊長はキョトンとした顔で私を見た。

「…そう?」
「はい…。それに私はシロちゃんが、わざと私を虚退治の任務から遠ざけてたって事も知らなかったです」
「あ、それは…もしかして…ギンに聞いちゃった?」
「はい…でもいいんです。シロちゃんは昔から心配性だから…理由は分かってます」
「そ、そう…」
「でも私はその甘やかされてる自分を変えようと思って三番隊に行ったのに…」

そこで言葉を切って松本副隊長を見た。

「市丸隊長は私に好きなだけ任務をこなしていいって言ってくれました。それなのに助けてくれちゃうし…」
「…い、いいじゃない。じゃなければさんだって危なかったんだし…」
「でもそれじゃ腕も上達しないって言ったんです。そしたら…」
「ああ、それでギンが教えるって言ったの?」

松本副隊長の言葉に、私は小さく息を吐き出した。

「本当は…私、第五席という役職から外してくれるよう、お願いしたんです」
「…え?どうして…」
「私の実力が伴ってないからです。あんな虚に心を読まれて手こずるなんて――」
「あ、ねぇ、その虚って…大きな丸い体に触手がいーっぱい伸びてる緑色の奴?」
「え?あ、はい…知ってるんですか?」

松本隊長の言葉に驚いて尋ねると、彼女は大きく息を吐いて苦笑いをこぼした。

「知ってるも何も…ソイツは死神ばかり狙う、たちの悪い虚よ…」
「え、死神ばかりって…でも確かに霊圧もその辺の虚よりは凄かったけど、そんな――」
「奴は相手の心を読み取れる。だから少しの気の迷いはアイツにとっていいカモ。隊長クラスになれば無心で戦えるけどね」

そう言われて、そう言えば、と思い出した。
アイツは橘副官補佐の心の奥を読んでいた。
怒りという感情で心を乱した橘俯瞰補佐を一撃できたのも、それでか、と納得する。
そしてそれはやっぱり私のせいかもしれない、と。

「気にしない方がいいわよ?さんは悪くない。ギンの気まぐれのせいじゃない」
「はい…。でも私やっぱり市丸隊長に剣術指南してもらうなんて――――」










「市丸隊長…やっぱり私に第五席なんて役職は早いです…外してください」
「何でやの?」

市丸隊長は私の言葉を聞いて、不思議そうな顔をした。

「何でって…」
「ああ、もしかして、さっきの戦いでそう思たん?」
「………」
「おかしな話やねぇ…。それなら役職に見合うよう、腕を上げたらええんと違う?」
「…え?」

驚いた私に、市丸隊長はニッコリ微笑んだ。

「ボクが剣術、指南してあげよか、ちゃん」

「は…?」

隊長のその言葉に、私は言葉をなくして、その場に立ち尽くした。

そう、尸魂界ソウルソサエティに戻ってきた時、私を何と部屋まで送ってくれた市丸隊長に、失礼ながらも苦言を訴えた。
なのに隊長は笑顔で――

「ボクがちゃんの剣術指南したげよか」

なんて言い出す始末。
あまりにビックリ発言で、はっきり言って目が点になったくらいだ。
さっきシロちゃんも言ってたけど、隊長が自分の部下を直々に剣術指南するなんて聞いた事がない。
それじゃ他の隊員に示しがつかない、と断っても、市丸隊長はシレっとした顔で、
「ええやん。ここはボクの隊やし、ちゃんはそのボクの部下なんやから他の奴には何も言わせへん」

なんて返されて。
それでも私が渋っていると、市丸隊長は一つの提案をした。

「誰にも知られたくないんやったら、皆が寝静まる夜中から早朝にしよか。そしたら見つかる心配もないやろ?」

なんて結局は言いくるめられた。

だって私だって腕を上げたい。
斬魄刀だって使えるけど、もっと使いこなしたい。
せめて昨日の虚クラスを圧倒できるくらいに…霊力をもっと上げたい。
せっかく第五席に、と迎えてくれた市丸隊長の期待に応えるためにも。









「そういう事、か。珍しい」

松本副隊長はそう言って笑うと、私の肩をポンと叩いた。

「まあ私は何とも言えないけど…ギンは放っておけなかったんじゃないかな、さんのこと」
「え…?」
「自分が前に助けた子だから何となく放っておけないのかも」
「ま、まさか…」

松本副隊長の言葉に思わず首を振る。

「あら、どうして?」
「だって…吉良副隊長も、市丸隊長はあまり他人に興味を示さないって言ってたし…」
「ああ、それは私も否定しないけど…」

そう言って松本隊長は立ち上がると、優しく微笑んだ。

「でも悪い奴じゃないわ?それにさんのためにそう言ってくれてるなら…彼に剣術指南してもらうといい」
「…え?」
「まあ…胡散臭さでは十三隊の中でもナンバーワンだけど、女の子を騙して何かしようっていう奴じゃないから」
「……」

松本隊長の言葉に、思わず笑うと、彼女は優しく微笑み私の頭に手を置いた。

「自分のためになると思うのならギンを信じて任せて。きっと導いてくれるから」

その言葉に松本副隊長と市丸隊長の信頼が伺えて、私は静かに頷いた。













三番隊・隊舎近くの外廊下に立ち、下の広場を眺めているアイツを見つけて、俺は静かに近づいた。

「こない場所で怖いなあ、その殺気。なあ?十番隊長さん」

俺の霊圧で気付き、市丸の奴はこっちを向いてニッコリ笑った。

「ボクの背後から刺そう思てはるん?」

シレっとした顔でヌケヌケとそんな言葉を吐く市丸を俺は軽く睨みつけた。

「殺すなら気付かれる前にやってる」
「おーこわ。ボク、何かしました?」

市丸はそう言うと視線を再び、に戻した。
は今、下の広場でこの男を待っている。
その間も落ち着かないのか、斬魄刀を振って訓練しているようだ。
のその必死な姿を見て、軽く奥歯を噛み締める。

に…構うな」
「あらら、おかしな事を言わはりますなぁ。彼女はもう君の隊員とは違うはずやねんけど…」
「うるせぇ。何でお前はアイツに構う?何で手助けしてやるんだ。一年前といい、昨日のことといい」
「さすが、お耳が早い。でも…彼女が傷つかなかったんやしええんちゃうの?」
「ごたくはいい。答えろ。どうしてアイツ…を構う?何考えてるんだ」
「…、か」

市丸はそう言って再び俺を見た。
その顔からは例の胡散臭い笑みは消え、異様なオーラを放っている。

「確か十番隊長さんと、彼女は…幼馴染やとか…」
「それがどうした…?」

殺気ではないにしろ、奴の異様とも言える不思議なオーラに少し警戒しながら様子を伺う。
が、市丸はすぐに笑みを浮かべると、

「いくら幼馴染と言うても…彼女の邪魔せんといて欲しいわ」
「…何だと?」
「ボクは…彼女が安心して戦えるよう、導くだけ。十番隊長さん、アンタは彼女を閉じ込めておくだけ。それじゃ何も成長せぇへんよ?」
「……っ?」

市丸の言葉に嫌なものを感じ、眉を顰める。
もしかしてコイツは――

「お前だって助けてるだろ…」
「そら勝てる術を教える前に死なれたら悲しいし…それに…」

市丸はそこで言葉を切ると、真っ直ぐに俺を見据えてきた。

「ボクは彼女に、もっと輝いて欲しいだけやから」

「…何?」

「今宵の月明かりのように、儚げに、ね」

市丸はそう呟くと、天を仰いだ。

「ああ、月だけ薄っすら残して…もう夜が明けてきましたわ…」

その声に俺も見上げると、暁の向こうで月が白く光っていた。

「ほな、彼女が待ってるしボクもそろそろ行きますわ」

そう言うと、市丸は意味深な笑みを浮かべて、の元へと歩いていった。

「チッ…」

(アイツ…やっぱり…)

市丸の後姿を見ながら、俺はこの時、はっきりと確信していた。

先ほど感じたアイツの…殺気とは違う、不思議なオーラは…

俺に向けられた嫉妬の念だったという事に――。




  
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