3章 / 月映え



子供の頃から月を見るのが好きやった。
夜の闇の中、静かに満ちては欠ける、儚い月を。


一人の時も。


二人の時も。


大人になった現在も。


天を仰ぎ、月を愛で、孤独な心を照らしてみても。


この身体、暖めてくれはしないのに。


月は薄情、いかようにも形を変える――――




あの日は初月やった。
あの子に話したとおり、ほんまにボクは一人、副官も連れず、現世に降りて、夕日を追う月を見てた。
尸魂界とは違い、やたらと空気の澱んでいるあの世界は好きやない。
でも夜空に浮かぶ月だけは胸に染み入るくらいに綺麗やと思った。

随分と前から自分以外の霊圧は感じていたし、一人は死神、もう一方は虚だと言う事も分かっていた。
ただ、この静かな時間を邪魔されたくなくて、気付かれないよう自分の気配を殺し、次第に近づいてくる二つの影を黙って見ていた。
だいぶ姿形が分かるくらい、その影が近くに来た時、正直、驚いた。
巨大な影に向かっていく小さな影。


死神は小柄な少女やった――――


あない華奢な体で大きな虚に向かっていく少女を、ボクは黙って遠くで見ていた。
暗くて顔や表情までは分からない。
でも少女が斬魄刀を解放する視界の句を叫んだ時、一瞬で、それは鮮明に姿を現した。

その始解で彼女の斬魄刀が真っ白な光を放ち、その光が辺りに飛び散った。
やがて、その光は刃と変わり、虚の方へと飛んでいく。
そして彼女の持つ斬魄刀は、綺麗な弧を描いた三日月形の剣に姿を変え、青白い光を放っていた。
あんな綺麗な斬魄刀を見たのは、初めてで、まるで夜空に輝く、あの月のようや、と思った。

辺りが明るくなったおかげで、その少女を視界に捕らえることが出来た。
長い黒髪が風に舞い、剣から発せられる光の加減か、銀色にキラキラ光って見える。
霊力は問題がなさそうなほどなのに、自分より巨体の虚に手こずっているのか、その大きな瞳には焦りの色が見え、今にも気を乱してしまいそうやった。

(危ないな…)

そう思った時、案の定、彼女の揮った斬魄刀の切っ先から弾けた光は、虚の肩越しをすり抜け、
直撃を免れた虚が、体勢を崩した彼女めがけて凄い勢いで飛び掛って行った。

いつもの自分なら、絶対にあんな事はせぇへん。
あの時の行動は、後で思えば有り得ないもんやった。
名も知らぬ、自分のミスで殺されそうになっている少女を助けるなんて。
いつもの自分やったら。

ただあの時、あの美しい輝きを消したくないと思った。

小さな身体で、必死に戦っている、彼女の輝きを―――。

"神鎗"が虚を貫き、全てが終わった後、彼女に声をかけたら、何が起きたのか分からないといった顔をしてボクを見た。

「貴方は…三番隊の…市丸隊長…?」

唖然とした表情で、ボクの名を口にする彼女は、思っていたよりも幼い雰囲気で、まるで子猫のように瞳が潤んでいた。
その顔に、つい笑みが零れた。
あの時、彼女は自分の死を覚悟したはず。
きっと凄く怖かったんやろう、と手を差し伸べると、小さな白い手が、かすかに震えていた。
それに気付いて、何や知らんけど、かすかに胸が痛くなったのを覚えてる。


その後は彼女の感じた恐怖をやわらげようと、なるべく軽い口調で一方的にボクは話し続けた。
味わった死の恐怖と、隊長格のボク相手に緊張したのか、最初は硬かった彼女の表情も少しづつ綻び始め、
気付けば、ボクの吐き出す下らない話に、声を出して笑うようになった。
その時、見せてくれた笑顔は、彼女の斬魄刀が放つ、あの綺麗な光と似ていて、何故かボクの心に染み入るような暖かさをくれた。
あんなに暖かい気持ちになれたのも、素直に笑いかけられたのも、ほんまに久しぶりやった。


意外にも、護廷十三隊の経歴が長かった彼女は、と名乗り、十番隊所属である事を話してくれた。
十番隊、と聞いて、ふと昔馴染みの乱菊の顔が浮かんだ。
そして後日、乱菊から、彼女、が、十番隊の隊長でもある日番谷冬獅郎と幼馴染というのを聞いた。


それから、この一年、を見ていた。
と言うても特別意識をしてたわけやない。
ただ瀞霊廷内で彼女を見かけるたび、気付けば目で追っている自分がいて。
彼女が笑っている時は何故かホっとしている自分に、何度も首をかしげた。


のらりくらりと他人を交わし、自分の目的以外、興味を示さなかったはずの自分が、会ったばかりの少女を気にしている。


これは何なんやろうと何度も月を見上げて考えた。
それの答えが出たのは、ある一つの光景が浮かんだ時。


彼女、が笑顔でいる時には、いつも隣に十番隊長がおった。
彼女の楽しそうな笑顔に、ホっとしたのと同時に、焼け付くような胸の痛みが残ったのは…


初めて感じた"嫉妬"いう、やっかいな魔物のせいやった。


気まぐれで助けただけなのに、ボクの手で生きながらえた少女が、自分以外の奴と楽しげに笑っている。


そんなどす黒い独占欲が沸々と沸いてきて。


気付けばボクは、彼女を意識的に探すようになっていた。
そこで気づいた事は、彼女が意図的に守られていると言うことやった。
明らかに危険な任務には行かせてもらえず、下級クラスでもいいような任務ばかりこなしている彼女。
まだまだ未熟なところもあるが、彼女ほどの霊圧なら、もっと上のクラスでもいいのに、とさえ思った。
そして見ているうちに気付いた彼女の心の中に潜む不安。
自分に自信を持てない彼女の弱さ。


そんなものが、ボクの心に届くようになって。


そこから助けてあげたい、なんてガラにもないことを考えた。


あのままなら、彼女はいつか強敵に出会った時、必ず殺される。
前のように、タイミングよく助けられるかも分からへん。
それなら…彼女が上位席官クラスの力を持てばいい。
そう…責任ある立場へ導き、それに見合うよう霊力も上げれば、少しは自信がつくのではないか、と思った。


ボクはただ、見たかっただけや。


あの、儚いけれど、強く、優しい輝きを、彼女の…本当の笑顔を――――










「…痛ぁ…っ」

斬魄刀を振り上げ、市丸隊長にかかっていくも、アッサリ交わされ軽く弾かれた。

「甘いで。もう少し心を沈めて冷静にボクの動きを読まな」
「は、はいっ」

そう言ってすぐに立ち上がる。
が、思い切り転んで足首を捻ったのか、さっきも打って痛めた足首が立ち上がったのと同時に鋭く痛み、顔を顰めた。

「どないしたん?」
「いえ、何でもないです。続けてください」

市丸隊長に内緒で剣術指南してもらって三日目。
斬魄刀を使った訓練となると、隊舎付近では危ないという事で、第三旧市街跡に来ている。
そこで夜中から朝方にかけての訓練は、思ってた以上にキツかった。
それでも手を抜かず、本気で教えてくれる市丸隊長の気持ちが嬉しくて何とか頑張れている自分がいて。

正直、どうして市丸隊長が私にこんなに良くしてくれるのか分からない。
橘副補佐官が言ってたように、取り入ったつもりもない。
でも、それを聞くと決まって市丸隊長は、「ボクの気まぐれや」としか言ってくれず、それ以上聞く事は出来なかった。

「隊長…?」

斬魄刀を発動し、構えているのに、市丸隊長は自分の剣を下ろし苦笑いを浮かべた。
そしてまだ解放もしていない脇差のような斬魄刀を腰に戻すと、私の方に歩いてくる。


「今日はここまでにしとこ」
「え?で、でもまだ日は上がってません」


いつもは太陽が上がる頃まで続けるのに、突然やめるという隊長に首を傾げれば、彼は困ったように頭をかいた。


「足、捻ったんやろ?」
「――――え?」
「そんな足で無理したら腫れてまうしな」


そう言うと市丸隊長は私の方に歩いてきて足元にしゃがんだ。


「あ、あの」
「ああ…動いたらあかん。だいぶ強ぅ、捻ったな…」
「い、痛たた…」


足首を軽く掴まれるとズキンと痛みが走り、私もその場にしゃがみこむ。
そんな私を見て、市丸隊長は小さく息をついた。


ちゃん…もしかして無理してたん?」
「え…?」


その言葉に顔を上げると、市丸隊長は困ったように笑みをこぼし、私の足首を指差した。


「い、いえ、そんなこと―」
「嘘言わんでええよ。もう、こんなに腫れてるやん。元々痛めてたんちゃう?」
「い、いえ…」


ドキっとして目を伏せると、市丸隊長はちょっと笑って「ほんま嘘つきやなぁ」と頭を撫でてくれた。


「これ治るまで訓練は中止やね」
「えぇ?」
「えぇ?やない。悪化したら困るやろ?明日の任務も休んでええし四番隊の奴に言うて治療してもらい」
「い、いえ、大丈夫です!そんな休むなんて――」
「あかん。これは隊長命令や」


市丸隊長は少し怖い顔をすると、私の身体を支えて立たせてくれた。
命令、と言われれば、部下として聞かないわけにいかず、仕方なく頷けば、すぐにいつもの笑顔をくれる。


「ええ子やね」
「な…私は子供じゃありません…っ」


子ども扱いされ、私は相手が隊長だと言うのに、シロちゃんを相手にするみたいに唇を尖らせ軽く睨む。
が、キョトンとした市丸隊長と目が合い、慌てて手で口を抑えた。


「す、すみません…つい…」


思わず謝ると、市丸隊長は怒る様子も見せず、「そういう仕草が子供みたいやん」と楽しげに笑った。


「それと…別に謝らんでもええよ?普通に話してくれてかまわへんし」
「ま、まさか!そんなこと出来ません…。シロちゃんなら、ともかく―」


口を滑らせ言葉を切る。
この三日で隊長と二人きりの訓練は、それまでの緊張を少しはやわらげてくれた。
それでも隊長である事に変わりはなく、それ以前に市丸隊長は私よりも数倍は年上なわけで(!)私の何百倍の修羅場をくぐってきた人だ。
同じ隊長でも、幼馴染である年下のシロちゃんとは全く別なんだ、と思った。


「市丸隊長…?」


ふと支えてくれていた手が外され、顔を上げると、市丸隊長の顔から笑みが消えていた。


「あの―」
「…シロちゃん、言うのは…十番隊長さん?」
「え?あ…す、すみません…。あのシロ…いえ、日番谷隊長とは幼馴染で―」
「知ってるで」
「あ、そ、そう…ですか…」
「前に一緒に住んでたって、ほんまなん?」
「あ、はい。五番隊・副隊長の雛森さんと一緒に…」
「あぁ…そうなんや…」
「…??」


急に黙った市丸隊長に首をかしげると、すぐに微笑んでくれた。


「あの、隊長…?」
「何や、ちょっと妬けるなぁ」
「…は?」


急に何を言い出すのかと驚いて顔を上げると、市丸隊長は苦笑いを浮かべ、「そない驚かんでも」と言って再び身体を支えてくれた。


「まあちゃんの子供時代も可愛かったんやろね」
「えっ?そ、そんなことは―」


いきなりの、その言葉に頬が一瞬で赤くなる。
だいたい可愛い、なんて言葉、男の人から言われた事なんか―


(あ、あったわ…。八番隊・京楽隊長に…)


脳裏にニヤケ顔で追いかけてくる京楽隊長の顔を思いだし、軽く首を振る。
おかげで平静さを取り戻し、痛む足を何とか動かした。


「大丈夫か?また抱っこでも―」
「け、結構です!おかまいなく!」


この前みたく隊長に抱きかかえられるなんてとんでもない、と、ぶんぶん首を振りキッパリ言えば、市丸隊長は声を上げて笑った。


「そんな思い切り拒絶しなくてもええやん。ボクかて、少しは傷つくで?」
「え?!あ、す、すみませんっ。あの、そんなつもりじゃ―」


ちょっと悲しげに眉を下げる市丸隊長を見て、慌てて隊長の着物の裾を掴んでしまった。
そこでハっとすると、すぐに手を離す。


「す、すみません、私ってば失礼な事を…」
「…ちゃんはいつも謝ってくるなぁ…。ボクはちぃとも気にしてへんのに…」
「…隊長…?」


何となく、その声が元気のないように聞こえて顔を上げると、市丸隊長はシュンと頭を垂れていて驚いた。


「あ、あの」
「いつまで経ってもちゃんは他人行儀やし、ボク、何や悲しいわ…」
「え、いえ、そんな事!わ、私、市丸隊長には凄く感謝してるし、二度も助けてもらってるし、こうして指導までして頂いて…だから逆にこれ以上迷惑かけちゃダメだって―」
「………」
「…市丸…隊長…?」


下を向いたまま、僅かに肩を震わせている隊長が心配で、恐る恐る顔を覗き込んでみた。
すると―




「…クク…ク…」


「…あの?」


「…ぷ、あはは…っ」


「な…!」




いきなり噴出したかと思えば大笑いされて、私は一瞬で顔が真っ赤になった。


「な…な、何…」
「くく…必死な顔して…ほんま可愛いなぁ…ぁははは…」
「い、市丸隊長!」


ホントに傷つけちゃったのかな、とか凄く心配したとゆうのに、この人は!!
私をからかって遊んでただけなんて、やっぱりシロちゃんの言うとおり、市丸隊長は侮れない!!


「そんな笑うのでしたら先に帰りますよっ」
「あー待ってぇなーちゃん!足、怪我してねんから危ないて」
「ひゃ、」


一人で歩いていこうとした瞬間、腕をグイと掴まれ、気付けば先ほどと同じように隊長の腕に支えられていた。
悔しいけど、やっぱり力では敵わず、また「すみません…」と謝れば、市丸隊長は苦笑いを浮かべて息をついた。


「…そない謝らんといて。悲しいなる言うのはほんまやから」
「…え?」


その言葉にドキっとして見上げると、隊長はフっと笑みをこぼして黙って歩き出した。
もしかして…隊長なりに私に気を遣ってくれたのかな、と、ふと思う。


「ありがとう…御座います」


今度は謝罪の言葉ではなく、素直にお礼を口にすれば。


市丸隊長は嬉しそうに微笑んでくれたような気がした。










「あー随分と腫れてますねぇ」


そう言って花太郎くんは苦笑交じりに私を見た。


次の日、捻った足首は倍に腫れあがり、市丸隊長の言うとおり任務の出来る状態じゃなかった。
そこで仕方なく、朝から四番隊の救護詰所に来て、顔なじみでもある花太郎くんに治療してもらっているところだ。


「そんなにキツイの?三番隊の任務って」
「え…?あ、ううん…そんな事は…」
「そう?ならいいけど…。僕、驚いたよ。さんが三番隊に移席したって聞いて」
「うん…私も言われた時は驚いた…」
「ほら十番隊の日番谷隊長とは幼馴染だって言ってたし、まさか他の隊に出すなんてしないと思ってたからさ」


花太郎くんは私の足首に手をかざしながらニッコリ微笑む。


「仲良かったろ?日番谷隊長とさん」
「そ、そう…?仲いいというか…ケンカばっかしてたけど」
「あはは、そうだよね。僕が見かけるたびに二人で何かしら言い合いしてたっけ。でも、それも仲がいい証拠だよ」
「そう…かなぁ…。まあ…シロちゃんは口うるさい弟みたいな存在だし…」


私がそう言うと、花太郎くんは苦笑しながら、「そんなこと言えるのもさんだけですよ」と肩を竦めた。


「日番谷隊長と言えば、天童なんて言われてる凄い方なんですから…」
「…そう…なんだけど…」


天童、なんてピンと来ないよ…なんて思っていると、隣の部屋から誰かが出てきた。


「では卯ノ花隊長、お世話になりました」


その声を聞いてハっと顔を上げる。
相手もドアを閉め、こっちを見ると小さく息を呑んで足を止めた。


「橘副官補佐…」
…」


橘副官補佐はあの時の怪我のせいで数日、任務を休んでいたのだ。
数日ぶりに、その姿を見て私は慌てて立ち上がろうとした。


「あ、さん、まだ――」


治療中の花太郎くんが驚いて私を静止するも、「少しだけ…ごめんね」と言って、そっと立ち上がった。
花太郎くんは心配そうに私を見ていたが、そのまま橘副官補佐の方へと歩いていく。


「…橘副官補佐…少しお時間宜しいですか?」


そう言って見上げると、彼は「ああ」と短い返事をして廊下へと出て行った。
痛む足を引きずりながら、その後を追えば、橘副官補佐が廊下から庭先へと続く階段を下りていく。
私も同じく庭先に下りると、門の方から騒がしい声が聞こえてきた。


「また怪我人でも到着したかな…」


橘副官補佐はそう呟くと、静かに振り返った。


「お前も怪我をしたのか?」
「…い、いえ…大した事は…。それより橘副官補佐――」
「橘でいい。お前は第五席なんだ」
「え、でも…」
「俺がいいと言ってるんだ。そう呼べ」
「…はい…橘…さん」


おずおずと名を呼ぶと、彼はかすかに微笑み、両腕を袖に入れると空を見上げた。


「この前は…悪かったな…」
「…え?」
「酷い事を言った。そして…救えなかった」
「…橘さん…」


まさか、そんな事を言われるとは思わなくて驚いていると、橘さんは苦笑いを浮かべ私を見た。


「つまらぬ嫉妬だ。許せ」
「……そんなこと…」


いつも凛々しく敵を見据える切れ長の目が、僅かに伏せられ、私は何も言えなくなった。
私よりはるかに身長の高い橘さんを見上げると、彼はもう一度、「すまなかったな」と、私の頭に手を置いた。


「…橘さんが謝る事なんて…」
「いや…あの時の俺は冷静に戦えなかった。そして傷つき、お前に助けられた。…副官補佐、失格だ」
「そ、そんな事ないです…!私だってあの時は――」
「お前がいなかったら…俺はあの二撃目でやられ、死んでいたさ」


橘さんはそう言うと、ふっと笑みをこぼし、「ありがとう、」と呟いた。
その言葉が胸に沁みて、何度も首を振ると、彼はちょっと笑って、


「で…お前の話というのは何だ?」
「え?あ…」


そう言われ、私は目を伏せると、伝えようと思っていたことを口にした。


「…私…隊長に取り入ったわけじゃ――」
「ああ、だからもう、その話は…」
「いえ、きちんと伝えたかったんです…。私も…自分の実力で五席なんて無理だと思ってます…」
…」
「でも…任命されたからには…きちんと鍛錬を重ねて頑張りたいと思っています…」


ホントはやめてしまいたい、と思っていた。


"辛くなったら…すぐ帰って来いよ"


シロちゃんの言葉が頭に響いて、本当に十番隊に帰ろうかとさえ思った。
でも…何の努力をしないまま、ただ逃げるなんてしたくない。
だから市丸隊長からの、とんでもない申し出を受けた。
強くなりたい、とそう思ったから。


その事を橘さんに伝えたかったのだ。
例え、拒否されても、とそう思ってた。
でも今、私を見つめる橘さんの眼差しは優しく、困ったように微笑んでいる。


「あの…」
「分かった。頑張れよ?」
「え…?あ…はいっ」


その一言が嬉しくて思わず笑顔になる。
すると橘さんは苦笑しながら、「でもお前は別に力がないわけじゃない」と言った。


「…え、どういう…」
「いや…この前お前が戦ってるところを見たが霊圧も高いし全く力がないわけじゃなかった」
「…橘さん…」
「そうだな…今のお前に足りないのは…経験、かな」
「…経験…?」
「ああ。実戦に対する経験だ。やはりその辺が強さや個々の能力を数倍にも上げる」


橘さんにそう言われ、何となく思い当たる事があった。
市丸隊長に言われて知ったけど、シロちゃんは私をなるべく危険な任務から遠ざけてた。
だから実戦での経験が足りないのはそのせいかもしれない。


「時にお前、鬼道は得意か?」
「…鬼道…ですか?いえ、得意というまでは…。でも幼馴染の雛森副隊長には時々教わってます」
「ああ、五番隊・副隊長さんか。彼女は鬼道の達人だったな」
「はい。でも最近は忙しくて殆ど会う時間もないんですけど…」


そう言って笑うと、橘さんは口元に指を当て、「では俺が教えてやろうか?」と私を見下ろした。


「えっ?た、橘さんが…?」
「何だ。不服か?俺だって鬼道は得意なんだぞ?」
「え…で、でも…」


ただでさえ市丸隊長にコッソリ指導してもらってるというのに、この上、橘副官補佐にまで教えてもらうなんて、と躊躇した。
が、橘さんは、「何だ?さっきの言葉は嘘なのか?」と、すぐに怖い顔をする。


「い、いえ嘘じゃありません。私は本当に……」
「では剣だけじゃなく、鬼道も使えるようになれ。そうすれば何通りの戦い方も出来る」
「…はい」


その言葉に頷くと、橘さんはニッコリ微笑み私の頭をクシャっと撫でた。


「では、その足首の怪我が治ったら、早速訓練開始だ。分かったな?」
「はい、橘副官補佐」
「だから名で呼べと言っただろう」
「あ、す、すみません、つい…」


私がぺロっと舌を出すと、橘さんは楽しそうに笑った。
彼がこんな風に笑うところを、私は初めて見た気がした。


「では…早く怪我を治してもらってこい」


橘さんはそう言って隊長の下へ完治の報告へ行くと、隊舎へ戻っていった。
私はそのまま花太郎くんのところへ戻るのに廊下へ上がると、さっきの部屋へと急いだ。


「…あ、さん…っ」

「ごめんね、花太郎く――――」



そこで言葉が切れた。

「その足でどこ行ってたん?」

「―――た、隊長?!」

そこには緊張した面持ちの花太郎くんと、いつものように笑みを浮かべた市丸隊長が立っていた。

「な…こんなところで何してるんですか?」

今頃は執務室でお仕事中であるはずの市丸隊長を見て、私は思い切り口を開けた。
隊長はそんな私を見て苦笑しながら歩いてくると、


「女の子がそんな口開けて…。なにてちゃんの怪我が酷い言うから心配で見に来たんやないのー」
「し、心配って…」
「どれ見せてみ?」
「ひゃ、た、隊長?」


いきなりしゃがむと、市丸隊長は私の着物の裾を捲り、足首を見ている。


「ああ、こらあかん…赤く腫れてるなあ…」
「…す、すぐ治しますっ」


そこに花太郎くんが慌てて飛んできた。
すると隊長はゆっくり立ち上がって花太郎くんを見下ろした。


「君は…?」
「え?あ、はい!四番隊・第七席の山田花太郎です!」
「山田くん、か…。ほな頼むわ。ボクはここで見てるし」
「えっ?」


そう言って部屋のソファに腰を下ろす隊長にビックリした。
花太郎くんは名前を呼んでもらったのが嬉しいのか、笑顔で私にベッドへ寝るよう促している。


「あ、あの、隊長っ」
「んー?」


横になりながら呑気に患者名簿を捲る隊長に、私は溜息をついた。


「私は大丈夫なんで、すぐ執務室にお戻り下さい」
「えぇ…?何で?」
「えぇ、じゃないですよ!今、橘副官補佐も隊長に報告に行くって隊舎に戻りましたよ?」
「ふーん。まあ完治した言う報告やろ?それならイヅルがおるし、イヅルにしたらええやん」
「な…また吉良副隊長に任せて抜け出してきたんですか?」


隊長の言葉に呆れたように溜息をつくと、花太郎くんがハラハラした顔で私を見ている。
大方、隊長に向かってズバズバ物を言う私に驚いてるんだろう。
私だって失礼かなと思うけど、でも。
市丸隊長と毎日訓練してて、だんだん分かってきたのだ。
この人はハッキリ言わないと、すぐはぐらかすという事を。
今だってニコニコしたまま私を見てるし、あんなに言っても、ちっとも堪えてないみたいだ。


「山田くん、うちのちゃんの怪我、どんな感じ?」
「えっ?あ、はい!あの…あと30分もすれば普通に歩くくらいまでには治るかと―」
「そうかー。ほな頼むね。ちゃんはボクの大事な部下やから」
「は、はい!市丸隊長!」
「ちょ…ちょっと…隊長、何言ってるんですか…っ。それより早く執務室に―」
「嫌や」
「な、何でですかっ」


聞き分けのない(!)隊長に声を荒げると、市丸隊長は子供のようにスネた顔で私を見た。


「今、隣に八番隊が来てはるねんや。ちゃん、八番隊の隊長さん、苦手なんやろ?」
「…え?」
「まあボクも心配やから八番隊長さんがいなくなるまでおるし、気にせんといて」
「……そんなこと言って…」


ニッコリ微笑む隊長を見て、私は小さく息を吐き出した。
確かに京楽隊長は苦手だけど、そんな心配するほどでもないのに…


(きっと自分がサボりたいだけなんだ…)(!)


そう思いながらも、これ以上言っても無駄だと思い、大人しく治療に専念する事にした。
花太郎くんも一生懸命、霊力を使って治してくれてるのを見て、私はそっと目を瞑った。


気の弱い花太郎くんでも、こうして自分の持つ力を使い、人の役にたっている。
私も早く自分に出来る事を見つけたい。


"俺が教えてやろうか?"


ふと、先ほどの橘さんの言葉を思い出す。
剣も大事だけど鬼道も死神にとっては大切なものだ。
斬拳走鬼ざんけんそうき、なんて万能型にはなれなくても…斬と鬼だけでも、かなりの力がつく。


(早く治して…橘さんに鬼道戦術を教えてもらわなくちゃ…)


はやる気持ちを抑えながら、私はギュっと手を握り締めた。









「…さん…終わりましたよ?さん…?」


治療を終え、声をかけたが、何の反応も示さないに、花太郎が首をかしげて立ち上がった。


「あれ…寝ちゃってる…」


仰向けで横になっていたは、スヤスヤと気持ち良さそうに眠っていて、花太郎は苦笑いを浮かべた。
すると今まで静かに本を読んでいた市丸ギンが、ゆっくりと立ち上がる。


ちゃん、寝てもーたん?」
「あ、市丸隊長…。ええ、あ、あの…治療は終わりました」
「そうか、ほなボクが運ぶしええよ」
「え、運ぶって…」


その言葉に驚いて花太郎が顔を上げると、ギンはニッコリ微笑んだ。


「こない誰が来るかも分からん場所に置いていけへんし」
「はあ…」


そう言うとギンは眠っているを軽々と抱き上げた。
隊長自らが自分の部下を抱く姿に、花太郎が口を開けて見ていると、ギンはドアを開けて振り返り、



「治療、ありがとうな。君も頑張りや」
「は…はい!ありがとう御座います!」



ギンからお礼を言われて、花太郎は顔を赤くして頭を下げたのだった。


「おう、市丸くんじゃないのー」


「………」


廊下に出た途端、派手な色の着物が舞い、八番隊長、京楽が振り返った。
面倒な奴に会った、と思いながらも、ギンは笑顔を絶やさず、「どーも。八番隊長さん」と適当に挨拶を交わす。
すると京楽は目ざとく腕の中で眠るを見てこっちへ歩いて来た。


「あれれ、この子…ちゃんじゃないかー。どこか怪我でも?」
「…ちょっと足を痛めててんけど治療してもらって戻るとこですわ」
「そっかー。しかし市丸くんが直々に部下を運ぶなんて珍しいねー」
「この子はボクの大事な部下やし…」


いつものように笑みのまま応えると、京楽は一瞬、ニヤリとした。


「あーそうかー。ボクも日番谷くんに、ちゃんを要請してたんだけど…市丸くんに盗られちゃったんだ」
「…八番隊長さんも?それは…初耳やねぇ…」
ちゃんは可愛いからねー可愛い部下が増えればやる気も出ると思ったんだけど…ちょっと遅かったなぁ」


京楽はそんな事を言いながら被っている笠を手で下げると口端を軽く上げて、「それじゃ…ちゃんお大事に」と静かに歩いていく。
その後姿を見送ってから庭先に出ると、ギンは人目を避けるように裏から三番隊の隊舎へ向かった。











今宵も綺麗な月で、それを見上げていると、背後に、よく知った霊圧を感じ、ギンは振り返った。


「…ギン…」
「これはこれは十番隊、副隊長さん…こんな場所までどないしましたん?」


月を見上げたまま、そう言えば十番隊・副隊長の松本乱菊は軽く苦笑して隣に立った。


「…さんが…怪我したって京楽隊長に聞いたわ…大丈夫なの?」
「ああ、その事…それなら、もう良くなってきてるし心配せんでもええよ?今は部屋で休ませてる」


そう言って初めて乱菊を見ると、ギンはニッコリ微笑んだ。


「…無理…させてない?彼女に」
「無理…ねぇ…。そんなんさせる思う?」
「…さあ。分からない。ギンの考えてる事なんて、昔からね…」


乱菊が月を見上げながら、そう呟くと、ギンも一緒に月を見上げる。


「昔…よくこうして二人で月を見たわね」
「…昔のことはもう忘れたわ」
「私は…覚えてるわ?こんな風に、月明かりの下で、川の荻が綺麗に輝いてた事も…」
「………」


乱菊の言葉に笑みを消して軽く俯くと、ギンはガシガシと頭をかいた。


「…何の用や?昔話、しに来たわけちゃうやろ」
「…別に…顔が見たくなったから来ただけよ?どうして?」
「顔なんてしょっちゅう見てるやんか」
「でも二人で話すことなんてないじゃない」


そう言って乱菊はギンを見上げた。
その真っ直ぐな瞳を見て、ギンはふっと笑うと、乱菊に背中を向けて隊舎へと歩いていく。


「心配せんでもちゃんを苛めたりせぇへん。大事に育てるし…十番隊長さんにもそう言うといて」
「ギン…!」
「……」


名を呼ばれ、ギンは静かに足を止めた。


「…さんの事だけじゃない」
「…ほな何や…?」
「また…どこかへ消えたり…しないでね」
「………」


乱菊の言葉に、ギンは無言のまま軽く手を振り、そのまま歩き出す。


二人の間に伸びた、長い影が少しづつ離れていくのを見ながら、乱菊は再び月を見上げた。



ギン…あんたがいなくなった夜も…こんな月映えの、寒い雪の夜だったね…

あんたは…いつも私に肝心な事は何も話してくれない…



ゆっくり振り返ると、そこに残されたのは、一つの長い影と静かな夜の気配だけだった――――





  
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