吐く吐息が白くなってきて、私は軽く首を窄めた。
秋の匂いが濃くなって、もうすぐ寒い冬が来る。
「はぁ…寒っ」
手を擦り合わせて息をかけながら、私は救護詰所にやってきていた。
そろそろ足の捻挫も良くなってきていて、今日が最後の治療の日。
これが終われば、私は五席の仕事にも戻っていいと言われている。
「おはよう御座います!」
「あ、さん。お待ちしてました」
中へ入ると、笑顔で出迎えてくれたのは、四番隊の山田花太郎くん。
彼が私の担当になり、治療をしてくれている。
「どうですか?痛みは取れました?」
「うん。もうだいぶ良くなったわ」
「なら良かったです。多分、今日の治療で完全に治ると思いますよ?」
花太郎くんはそう言うと、私に横になるよう促した。
治りかけだったのを何度も無理した事から、普通よりも完治が長引いてしまった私の足を、花太郎くんは根気良く治療してくれたのだ。
「では始めます」
私の足に手をかざし、花太郎くんが微笑んだ。
私は静かに目を閉じて、軽く深呼吸する。
すると、花太郎くんが、「今日は市丸隊長いないんですね」とクスクス笑い出した。
「え?」
「ほら、いつも気づけばさんにくっついて来てるじゃないですか」
「…あれは…きっと仕事をサボる口実よ」
「そうですか?ホントに心配してるような感じに見えましたけど…」
「…花太郎くんてば、人良すぎ。市丸隊長ってば、ホント、外面はいいんだから」
そう言って唇を尖らせると、花太郎くんは驚いたように目を丸くした。
「外面…ですか…。市丸隊長はそりゃ人一倍、愛想はいいですけど…普段はもっと怖いんですか?」
「怖いとか、そういう事じゃなくてね。皆の前では、胡散臭いけど人良さそうな顔してるでしょ?
でも私や吉良副隊長の前だと、"仕事は嫌やー"とか、"イヅルの鬼ー"とか、言って、すぐ抜け出そうとするの!
それに、ランチは私にお弁当作ってとか言い出すし、ホント困った隊長なんだから――」
そこまで一気にグチる私を、花太郎くんはポカンとした顔で見ていた。
それに気づき、慌てて咳払いをすると、「い、今のは内緒よ?」と釘を刺しておく。
こんなグチを言ってることがバレれば、市丸隊長に何を言われるか分かったものじゃない。
「は、はい、誰にも言いませんけど…。でも市丸隊長って、そんな感じなんですねー」
「ホント困った隊長さんでしょ?何回、注意したって直らないんだから…吉良副隊長の苦労が身に沁みて分かったわ」
「…市丸隊長にそんなこと言えるのはさんくらいですよ」
「ううん。吉良副隊長だって言ってるわよ。"ホント我がままな隊長で困る"って――」
「どんな風に困るて?」
「どんな風にって、だから―――」
そこまで言って固まった。
今の声は…明らかに花太郎くんが発したものじゃない。
現に目の前にいる花太郎くんの目が、私にじゃなく、私の後ろに向いていて、しかも飛び出さんばかりに大きくなってる。
それに合わせて急に感じた大きな霊圧に、私の顔は引きつった。
「い、市丸隊長…?」
「お♪声だけで分かるやなんて、ちゃんもさすがやね」
「………(そりゃ、その柔らかいくせに妙に怖い響きの関西弁しゃべる人なんて隊長くらいしか)」
内心、そう突っ込みながら、恐る恐る体を起こし振り返ると、案の定、私の後ろに市丸隊長がにこやかな笑顔で立っていた。
「おもろい話しとったけど…イヅルの奴がボクのこと、何て言うてたって?」
「い、いえ、あれは!……って言うか隊長…どうしてここに…執務室で仕事してたんじゃ…」
確か今朝も吉良副隊長が、市丸隊長にベッタリくっついて仕事をさせてた(!)はず。
だからまさか抜け出してくるとは思わなかった。
「いや、それがなぁ。何や今朝から寒気がして、さっきから頭も痛なってん…。せやから薬でももらおう思てな?」
「……またそんな嘘言って抜け出したんですか?」
「酷いなあ…嘘ちゃうよ。ほんまに寒気すんねんて」
市丸隊長はそう言うと、悲しげな顔で肩を竦めた。
確かに見ればほんの少し、つらそうな顔をしてる。
「ちょっと失礼します」
花太郎くんはそう言うと、すぐに市丸隊長の額に手を当てた。
「…熱い。市丸隊長、熱がありますよ」
「うわ、やっぱし?そうやないか思っててん…」
「え、ホント?花太郎くん」
「はい。かなり熱いですね。今はだいぶ寒くなりましたし風邪も流行ってるから…市丸隊長も風邪かもしれないです」
「はあ…それ分かったら、何やどんどん体がだるなってきたわ…」
「ちょ、大丈夫ですか?」
その場にしゃがみこんでしまった隊長を見て、慌てて立ち上がる。
すると花太郎くんが「さんも治療が済むまで動いちゃダメですよ」と言って私の腕を掴んだ。
「まずは足の治療をしてしまいましょう。市丸隊長には、それが終わったら薬をご用意します」
「…ボクはここで待ってるし大丈夫やで?はよちゃんの足、治してあげてーな」
「…はい。では治療の続きをしましょう。すぐ終わりますから」
「…うん」
具合の悪そうな隊長が心配になりつつも、仕方なく治療を受ける。
市丸隊長はそれを見ながらソファに座ると、つらそうに凭れかかってグッタリしてるようだ。
そう言えば最近はずっと溜まった仕事をしてて、毎日夜遅くまで起きてたみたいだった。
それに急に冷え込んだからか、周りには風邪をひいてる人が多かったし…
「…はい、終わりましたよ。これで痛みも完全になくなったと思います」
「あ…ありがとう」
あれこれ考えてる間に治療は終わり、私はベッドの上から起き上がった。
そして市丸隊長の方を見れば、彼はすでにソファに横になって、かなり寒そうに体を丸めている。
「隊長?大丈夫ですか?」
「…う〜ん…あかん…めっちゃ寒なってきた…」
「熱が上がってきたのかもしれませんね。今すぐ薬を出しますので、今日はもうお休みになって下さい」
「…あ、じゃあ私が部屋まで送ります」
そう言って市丸隊長を起こす。
確かに熱があるのか、体も普段より熱い。
それから花太郎くんの出してくれた薬を持って、私は市丸隊長の部屋まで彼を送っていった。
歩くのもつらそうにしてた市丸隊長は、部屋に着くなり寝室の布団の上に寝転がり、「寒い」を連呼している。
「はい、薬飲んで下さい」
「…了解」
水差しからコップに水をつぎ、薬と一緒に隊長へ渡す。
隊長はそれを受け取り、素直に薬を飲み干した。
「うぇ…マズイわぁ…」
「美味しい薬なんてありませんよ。ほら、早く寝て下さい」
「…はいはい…」
苦笑しつつも布団に入ると、市丸隊長は軽く息を吐き出した。
「ごめんなぁ、迷惑かけて」
「迷惑だなんて思ってません。市丸隊長だって私の事、いつも助けてくれるでしょ?」
「…そう思ってくれてるんや」
「当たり前です。ああ、ほら。しゃべってないで寝てください。吉良副隊長には私から話しておきますから」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、手首を掴まれ驚いた。
見れば市丸隊長は、「もう行くん?」と悲しげな顔をしている。
それが子供みたいで、思わず苦笑してしまった。
「私にも仕事があるんですよ?市丸隊長」
「でも、まだ内勤やろ」
「そうですけど…もう足が治ったから、そろそろ指導の方にもまわらないと橘副官補佐だけじゃ大変ですし…」
そう説明すると、市丸隊長は明らかにムっとしたように唇を尖らせた。
「熱出して寝込んでるボクを置き去りにして、ちゃんは橘んとこ行くんか?」
「な…置き去りって…」
「そうやん…。こういう時は普通、傍におって看病してくれるんちゃう?」
「で、でも私だけ仕事をサボるわけには…」
「ボクからイヅルに言うとくし…ちゃんはここにおってくれへん?今日だけでええし…」
「う……」
すがるような目で見つめられ、私は何も言えなくなってしまった。
確かに熱を出した時は一人で寝てるだけでも心細い。
その気持ちは分かる。
まあ、市丸隊長までが、そうだとは思わなかったけど…
そう思いながら部屋の中を見渡す。
市丸隊長の部屋に入ったのは初めてだった。
隊長クラスの部屋だと言うのに、特に飾り立ててるわけでもなく、寝室を含め、他の部屋もかなりシンプルだった。
彼らしいと言えば彼らしいけど、どこか殺風景で、あまり使ってないように感じた。
彼以外、この部屋に出入りしてる人がいない、そんな空気がある。
(隊長ってば…普段はあんな感じだけど、ホントは凄く寂しがり屋なのかも…)
そう思うと、捨て猫を見てる気分(!)になり、このまま置いていくのは可哀想かな、と思った。
でも……
「あ、あの隊長…」
「ん?」
「看病しに来てくれる人とか…いないんですか?」
つい、そんな事を聞いていた。
すると彼は黙ったまま私を見つめ、ふと苦笑いを零すと、
「おったらちゃんに頼まへん」
「そ、そうですけど…隊長くらいなら看病しに来てくれる女性の一人や二人いそうな気がして」
隊長、副隊長ともなれば、女の人からも一目置かれ、密かに憧れる子だって少なくない。
特に六番隊の朽木隊長は女性からもモテモテで、いつも話題に上がってる。
後は桃も憧れる、五番隊の藍染隊長。
彼は「あの優しい笑顔が素敵♪」なんて言って人気が高いし、はたまた、あのシロちゃんにまで「クールで可愛い♪」なんて言ってファンがいるのは知ってる。
もちろん他の隊の隊長も人気があるし、(八番隊と十二番隊は……まあ置いといて)当然、市丸隊長のファンだっている。
現に毎日のように三番隊を覗きに来る女の子がいるのを、私は見ているし、三番隊の9割は市丸隊長のファンらしい…(吉良副隊長から聞いた)
なら、市丸隊長が頼めば、看病しに飛んできてくれる子の一人や二人いても、おかしくは――
「看病しに来てくれる子がおっても、ボクが嫌なんや」
不意に市丸隊長が口を開き、私はハッと顔を上げた。
「ど、どうしてですか?」
「…ん〜。あんまり知らん奴を部屋に入れたないし…傍におってもらいたくもない」
「…え、でも私、入っちゃいましたよ?」
市丸隊長の言葉に、思わずそう言うと、彼は困ったように苦笑を漏らした。
「ちゃんは"知らん奴"とちゃうやろ?それに…君は特別や…」
「…え?」
「ボクの部屋に入った子ぉは…ちゃんが二人目やな…」
「…二人目…?」
「ああ…もう一人は…乱菊や。あいつは昔馴染みやから、何度か、ここに顔出した事はある」
市丸隊長はそう言って微笑むと、軽く息を吐き出した。
熱が上がって来たのか、相当息も荒くなっているようだ。
これじゃ一人にしておくのは確かに心配だ。
(やはり私が傍にいた方がいいかも…)
そう思った時、今、話に出てきた乱菊さんの顔が頭に浮かんだ。
「…隊長」
「…ん?」
「乱菊さんに頼みますか?」
「……はい?」
「ほ、ほら。乱菊さんなら気兼ねなく傍にいてもらえるかなーって思って…。何なら私、今から呼んで――」
「嫌や…」
「…えぇ?」
またしてもスネたようにそっぽを向く隊長に、私はガックリ項垂れた。
親切で言ったつもりだったのに、隊長にはかなり迷惑だったようだ。
「アイツはいちいち小言がうるさいねんもん…。そんなん聞いてたら下がる熱も上がる一方やし」
「…………(隊長ってば乱菊さんにまで小言、言われてるんだ…)」
彼の言い分を聞いて、内心そう思ったけど、口に出しては言わないでおいた。
が、こうなれば、やっぱり私が看病するしかない。
「…分かりました。私が看病させて頂きます」
「…ほんま?」
今までスネてたクセに、私がそう言うと、市丸隊長は嬉しそうな顔で振り向いた。
そんなに嬉しそうな顔をされると、断れない。
「はい。その前に…今から吉良副隊長に、この事を報告してきます」
「…えぇ…そんなん放っておけばええやん」
「そういうわけにはいきません。それにお粥とか作る材料も買ってきたいし」
「え…ちゃんが作ってくれるん?」
「もちろん。熱が出れば体力使いますから、食事もきちんと摂らないといけないでしょう?」
「…ちゃんの手料理がまた食べられるなんて、風邪菌に感謝せなあかんわー」
そう言ってニコニコしている隊長を見ると、怒るに怒れなくなる。
それでも苦言を呈すように、「何言ってるんですか、まったく…早く治してもらわないと困りますよ」と言えば、隊長も苦笑いを浮かべ「分かってる」と言ってくれた。
「それじゃ行って来ます。早めに戻るので隊長は大人しく寝てて下さいね!」
「…はいはい。でも、はよ戻ってきてな?寂しいし」
「子供ですか、隊長は」
部屋を出る際に、そう言うと、隊長はかすかに笑ったようだった。
私も軽く苦笑すると、そのまま執務室の方へと戻る。
隊長の部屋は隊舎の一番奥にあり、長い廊下を進んでいくと、一旦外に出て隣の隊舎へ向かう。
「うわ…寒い…」
外に出ると、冷たい風が吹きつけ、思わず首を窄めた。
午後にもなると、だんだん気温が下がってくようだ。
「…雪でも降りそうね…」
どんよりとした空を見上げ、そう呟くと、白い吐息が宙を舞っていった。
「乱菊さん、いますか?」
そう言ってひょいっと中を覗くと、不機嫌そうなキツネ目と目が合ってしまった。
「…か?」
「あ、シロちゃん」
そう言って中へ入ると、シロちゃんは苦笑しながら、机に頬杖をついた。
「何だ、また遊びに来たのか?三番隊も暇みたいだな」
「そうじゃないもん。乱菊さんに用があるの!」
相変わらずの物言いに、そう言い返すと、シロちゃんは僅かに眉を顰め、「松本に何の用だ」と言った。
そして私が持ってる大きな袋を見て、「それは?」と聞いてくる。
「ああ、これは…食材。今、買い物の帰りなの」
「…買い物?お前、仕事はどうした。足はもういいんだろ?」
「足は治ったけど…ちょっと市丸隊長が熱出して寝込んじゃって…」
「市丸が?」
「うん。それで私が看病する事になったの。だからお粥とかの材料を買ってきたってわけ」
そう説明すると、シロちゃんは明らかにムっとした顔で、椅子から立ち上がった。
「何でが看病するんだ?そんなの四番隊の奴に任せたらいいだろ」
「あのね…。四番隊の人たちは治療はするけど、看病まではしてくれないでしょ?それに隊長も薬もらってるし、後は熱を下げるだけなの」
「だからってが市丸の為にお粥作ったりしなくたって――」
「だってお世話になってるし当然じゃない。それに他に看病してくれる人いないって言うんだもん」
「……チッ。嘘に決まってるだろ。アイツの周りには女がわんさかいるだろ」
「…だから、そういう人たちは嫌だって。よく知らない人に傍にいてもらったら逆に気を遣うのかもしれないし」
そう言うと、シロちゃんは大きな溜息をついて、再び椅子へと座った。
「あっそ。で…松本に何の用だ?」
「あ…だから乱菊さんに市丸隊長の苦手なもの聞いておこうかと思って」
「…苦手なもの?」
「うん。嫌いなもの食べさせても良くないし、乱菊さんなら市丸隊長と昔馴染みだって言うから何か知ってるかなーと思って」
「…ふん…病人に好き嫌いさせるな」
「何、怒ってるのよ。シロちゃんだって苦手なものあるじゃない。昔は――」
「ガキの頃の話はするな。あの頃とは違う」
プイっと顔を背け、そんな事を言うシロちゃんに、私も目が細くなる。
その時、ドアが開き、「あれぇ?ちゃん?」と明るい声が聞こえてきた。
「あ、乱菊さん!」
「どうしたの?あ、また十番隊が恋しくなって遊びに来たの?」
「ち、違いますっ。今日は乱菊さんに聞きたい事があって」
「私に?何?」
首をかしげる乱菊さんに、私が口を開く前に、シロちゃんが口を挟んだ。
「市丸の野郎が熱出して寝込んだんだとよ。それで食事の世話までがすることになったらしい」
「え?ギンが?」
「はい…」
「大丈夫なの?アイツ、昔から寒くなると熱出しちゃうのよね」
「あ…そうなんですか…」
「昔もよく寝込んでたわ。それで…聞きたい事って?」
「え、えっと…それで食事を作るにあたって市丸隊長の苦手なものって何かあるかなと思って…乱菊さんなら知ってますよね」
「苦手なもの、ねぇ…。そんなになかったと思うけど…」
そう言って考えるように顎に手をやりながら、乱菊さんはパチンと指を鳴らした。
「ああ、あるある。苦手なもの」
「え、何ですか?」
「干し芋」
「…へ?」
「アイツ、干し芋だけは食べられないのよねー。あんな顔して大好物は干し柿なんだけど、それと間違えて干し芋食べちゃってから嫌いになったみたい」
「そ、そうですか……干し芋…」
食事にまさか干し芋など出すわけもないし、と思いつつ、そこは笑顔で聞いておく。
それでも市丸隊長の大好物が干し柿というのは、ちょっとだけ笑えた。(おじいちゃんみたいだ)
「あ、ほら。三番隊舎の裏庭に、柿の木が植えてあるでしょ?」
「ああ…そう言えば立派なのが」
「それ、ギンが自分で植えたのよ。それで干し柿作ってるの。笑うでしょ?」
「…………」
笑いながら説明してくれる乱菊さんに、私は思わず笑顔が引きつった。
シロちゃんは干し柿が大の苦手だから、その話を聞いて、「おぇっ」と顔を顰めている。
でもあの市丸隊長が自分で柿の木を植えて、あげく干し柿を手作りしてる、という事実に、何とも言えないおかしさが湧いてきた。
「私にね、初めて会った時も、アイツ、干し柿くれたのよね」
「……え?」
「お腹空いて動けなくなってた私を見て、助けてくれたの」
「……そう…ですか」
「まあ、ガキの頃の話だけど!」
そう言って微笑む乱菊さんを見て、何故か胸の奥がざわついた。
乱菊さんは、私の知らない市丸隊長を知っている。
二人には、私の知らない絆がある……
「で、役に立てた?私の情報」
「え?あ、は、はい…。あの…助かりました」
「そう?なら…アイツの事、頼むわね。普段は飄々としてても、熱出すと途端に弱気になるから」
「……はい」
「あ、それとも私も手伝おうか?」
「え?」
そう言われ、顔を上げると、乱菊さんの優しい笑顔があった。
お願いします、と言えば、きっと乱菊さんは市丸隊長の看病を手伝ってくれるだろう。
それに、いくら本人が嫌だと言っても、こんなに隊長の事を理解してくれてる乱菊さんに頼んだ方が、やっぱりいいのかもしれない。
そう思っていると、後ろで話を聞いていたシロちゃんが、聞こえるように咳払いをした。
「何ですか?隊長〜。わざとらしく咳払いしちゃって」
「あのな…お前は仕事が山ほど残ってるだろうが」
「…いっけない、そうだった!今日中に仕上げないといけない書類があったんだ…っ」
乱菊さんはそう言ってぺロっと舌を出し、私に向かって手を合わせた。
「ごめんねぇ〜。我がままな奴の看病は大変だと思うけど、ちゃん、宜しく頼むわ」
「…あ、はい。任せてください」
「じゃあ宜しく。あ、それと、アイツ、玉子酒も好きだから作ってあげてくれる?特に甘〜くしてあげて」
「あ…分かりました」
「それじゃ、また何かあったら連絡して!」
乱菊さんはそう言うと、自分の机に向かい、仕事を始めた。
「あ、じゃあ…行くね。シロちゃんもお仕事頑張って」
目の前で仏頂面しているシロちゃんに声をかけ、廊下に出る。
すると後からシロちゃんが追いかけてきた。
「おい、一人で本当に大丈夫か?」
「…大丈夫だってば。看病するのは慣れてるもん。シロちゃんの看病だって、してあげてたでしょ?」
「…だからガキの頃の話はいい」
私の言葉に、シロちゃんは顔を顰めつつ、頭をかいた。
今でこそ、こうして十一番隊、隊長なんてやってるけど、シロちゃんも昔は熱を出して寝込む事も、よくあった。
そのたびに私が看病していたのだ。
(ああ、そうか…。乱菊さんと市丸隊長って、私とシロちゃんみたいな関係なのかも…)
ふと、そう思った。
私がシロちゃんの事を何でも知ってるように、乱菊さんだって市丸隊長の事を知っている。
幼馴染というものは、そんなものなのかもしれない。
なのに…何でさっき、あんな気持ちになったんだろう。
市丸隊長の事をよく分かっている乱菊さんを見て、何となく胸の奥が苦しくなった。
凄く変な気分だった。
「…おい、…?」
「え?」
知らずボーっとしていたらしく、シロちゃんが訝しげな顔で私を見ている。
「あ、何でもない…。あ、あの…お仕事の邪魔しちゃってごめんね」
「そんなのいいけど…。まあ…もあまり無理すんなよ?疲れたなら、市丸放って、ちゃんと休め。分かったか?」
「…うん、ありがとう。じゃあ、またね」
そう言ってシロちゃんに手を振ると、私は三番隊舎に向かって歩き出した。
買出しした材料を抱えなおし、小走りに外へと出る。
薬が効き始める頃だから、隊長は寝てるかもしれないけど、なるべく早く戻ると言った手前、何となく気持ちが急いた。
買出しに行く前、吉良副隊長に報告をした際、「市丸隊長を頼むね」と言われたからには、きちんと看病したい。
「よいしょ、っと…」
市丸隊長の部屋につくと、材料を台所に置いて、そのまま寝室を覗きに行った。
そっと中を覗くと、静かな寝息が聞こえ、案の定、市丸隊長は薬が効いて眠っているみたいだった。
足音を立てないように近づき、その場に座ると、体を横に向けて寝ている隊長の寝顔を眺める。
寝顔を見るのは初めてで(当然だけど)何となく不思議な気持ちになった。
「そう言えば…シロちゃん以外の男の人の寝顔って初めて見たかも…」
そう思いながら、そっと額に手を当ててみる。
さっきより熱が上がったのか、かなり熱い。
「冷やさなくちゃ…」
急いで台所に戻ると、タオルと洗面器を探し、氷水で冷やす。
それを持って寝室に戻った。
「隊長…オデコ冷やしますね」
小さく声をかけると、しぼったタオルをゆっくりと額に乗せた。
こんな風に誰かを看病するのは久しぶりだ。
「……ん…?」
「………ッ」
額にタオルを置いた瞬間、市丸隊長がかすかに目を開けた。
どうやら冷たさで目が覚めたらしい。
「…ちゃん…か?」
「すみません…起こしちゃいましたね」
「…いや…知らんうちに寝てもーてたみたいやなぁ…」
「あ、起き上がらないで下さい。熱、また上がったみたい」
体を起こそうとする隊長を押さえ、また寝かせると、肩までシッカリ布団をかける。
外もかなり寒くなり、この部屋も相当、気温が低い。
「あ…あそこ閉めますね」
ふと寝室前の縁側が全開になってる事に気づき、立ち上がろうとした。
が、不意に手を捕まれ、ドキっとする。
「…ええよ。そのままで」
「…え、でも…寒いですよ?」
「大丈夫や。外の空気、吸いたいしな」
「でも熱があるのに…」
「熱が出るいう事は、菌と戦ってる証拠やし大丈夫やって…」
市丸隊長はそう言って微笑むと、そっと体を縁側の方に向けた。
私もそっちに視線を向けると、庭先に立派な柿の木が見えて、先ほど聞いた乱菊さんの話を思い出す。
「もう…あんなに、なってますね、柿」
「ああ…そろそろ収穫せなあかんなあ」
「また干し柿作るんですか?」
「……何で知っとんの?」
私の言葉に、市丸隊長は不思議そうな顔で振り向いた。
「今、乱菊さんのとこに行ってきて…聞いたんです」
「…乱菊に?何で乱菊のとこに行ったん?」
「それは…市丸隊長の嫌いな食べ物とか、色々聞くためです」
「………」
私の説明に、市丸隊長は何とも言えない顔をして、小さく溜息をついた。
「そんなもんボクに聞いてくれたらええのに」
「…そう思ったんですけど…寝てるかなと思って。あ、後でお粥と一緒に玉子酒、作りますね。市丸隊長、好きなんでしょう?」
「……それも乱菊に聞いたん?」
「はい。乱菊さん、隊長の事、何でも知ってるから助かりました」
そう言いながら笑うと、市丸隊長は苦笑いを浮かべ、「そんなん昔の話や…」と呟いた。
その言葉の意味が分からず、首をかしげると、隊長はいつもの笑顔を浮かべ、「今はちゃんの方が知ってるやろ」と微笑む。
「まさか…私だって、まだ市丸隊長のこと分からない事だらけです」
「…そうなん?」
「そうですよ。そうやって笑顔見せてるけど、腹の中じゃ何を考えてるのか、結構謎ですよ?」
「……はは…。何や、そう思われてんねや…」
私の言葉にクックックと笑いながら、再び庭先に目を向ける。
その市丸隊長の瞳は、ここではない、どこか遠くを見てるような、そんな気がした。
「…なら…これから知ってくれればええよ」
「…え?」
「少しづつ…知ってくれたら、嬉しいなぁ…」
「…隊長…?」
「こうして…傍におるうちに…」
一言、一言、囁くような声で呟きながら、市丸隊長は薄暗くなってきた空を眺めている。
その横顔は、少し寂しげで、こんなに近くにいるのに、何故か私には市丸隊長が遠い存在のように思えて…
「…雪が降りそうや…なぁ?ちゃん」
「…はい」
そう呟いた市丸隊長の顔には、いつもの笑顔が戻っていた。
夜になると、白い小さな粉雪が、どんよりとした空から舞い降りて、冬の到来を告げた。
その中をゆっくり歩き、目的の隊舎に向かう。
その間、誰一人として会わないのは、普通の隊員は近寄れない場所だからだろう。
そっと足音を忍ばせ、庭先から、小さな明かりのついた部屋を見つけると、ゆっくりと近づいた。
「…ギン…?」
この寒さだと言うのに、開け放したままの縁側から中を覗けば、部屋の真ん中でギンが眠っていた。
台所の方からはいい匂いが漂ってくる。
「ちゃんは食事の用意中か…」
何となくホっとして、静かに部屋に上がりこむ。
堂々と正面から来ても良かったのだが、出来ればこうして二人きりで会いたかった。
「…ったく…。この季節になるとすぐ熱出すんだから」
そう言って苦笑すると、額にあるタオルを取り、横に置いてある洗面器の中の氷水で冷やし直す。
それをまたギンの額に乗せれば、かすかに寝返りを打ったが、起きる事はなかった。
「……ねぇギン……もう昔みたいに…あんたのこと看病するのは…私じゃなくなったんだよね…」
そう呟きながら、あの雪の日の事が脳裏を過ぎる。
二人で過ごした最後の時間…その数日後、あんたは私を置いて、どこかに行ってしまった。
この季節が来るたび、思い出す。
この季節が来るたび、不安になる。
「ねぇ…ギン。私は…あんたにとって何だったの…?何で…私を助けたりしたの…」
答える事のない、相手の寝顔を見つめながら、胸の奥に残ったままの傷が痛むのを感じ、ぎゅっと唇を噛み締める。
その時、台所の方から、ガシャンという音と共に、「あつっ」という彼女の声が聞こえてきた。
「……あの子がいると…この殺風景な部屋も賑やかね、ギン…」
苦笑いしながら、ゆっくりと立ち上がると、そっと台所の方の気配を探ってみた。
「ああ、もう…私のドジっ。っつぅ…火傷しちゃったかなぁ…」
一人でブツブツ言っている声に、笑いを噛み殺すのと同時に、彼女の明るい笑顔を思い出した。
彼女なら…ちゃんなら…もしかしたら…
「あんたの事…照らしてあげられるのかもしれないわね…」
そう言って振り返れば、安心したように眠るギンの姿に、少しだけ胸が痛んだ。
「いつも警戒心、むき出しのギンが、こんな風に眠るなんてね…」
私じゃ、ダメだった。
ギンの心の奥底までは、見ることさえ出来なかった。
それでも…傍にいれるなら…どんな場所でも良かったんだ。
もう一度、視線を向ければ、そこには遠い存在になった、幼馴染が、いた――――
「シ〜ロちゃん♪」
「うぉ!」
静かな部屋で一人、仕事をしていると、突然背後から声がして飛び上がった。
「な…っ?」
「あ、ビックリさせちゃった?気づいてるかと思ったから…」
そう言って入って来た幼馴染は、ぺロっと舌を出して笑った。
深く息を吐き出し、早くなった鼓動を何とか落ち着かせると、「真剣に仕事してたんだ」と言ってやる。
だが、実際はあれこれ考えていて、の霊圧に気づかなかったというとこだ。
「ごめん」
「…別にいい。それより…何しに来た?市丸の看病してたんじゃないのか」
面白くない事を思い出し、素っ気なくそう言えば、は特に気づいた様子もなく微笑んだ。
「うん、してるんだけど…今、市丸隊長、眠ってるから、シロちゃんと乱菊さんに差し入れしようかと思って」
「差し入れ?」
「うん。これ作りすぎちゃったから」
そう言って手に持っていた袋から、数個のタッパを出すと、それを机に置いた。
「これ…」
「シロちゃんの好きな大根おろし付きの玉子焼き」
「え…何で――」
「玉子酒を作るの初めてだから失敗した時用に玉子買いすぎちゃって。だから余らせてももったいないし玉子焼き作ったの」
そう言っては玉子焼きをオレに差し出した。
「シロちゃん?」
「え?あ、ああ……サ、サンキュ…」
思いがけない差し入れに驚きつつ、それを受け取る。
綺麗に焼きあがった玉子焼きの隣には、オレの好きな大根おろしが入れてあって、つい笑みが零れた。
「…久しぶりだな、の玉子焼き」
「え、そうだっけ?」
「ああ…。最近は弁当に入れてくれと言っても作ってくれなかったしな」
「…だって…そればっかりじゃ飽きるじゃない。栄養だって偏るし」
「はいはい…分かってるよ」
「はいは一回!でしょ?」
「………」
以前、オレがによく言っていた台詞を、得意げに言って来る彼女に、思わず目を細める。
それでも、市丸の所からオレのところに来てくれた事は、嬉しい事だ。
「…あれ、乱菊さんは?」
「ん?ああ…そう言えば遅いな…。トイレ行くっつったきり戻ってこないが」
「…もしかして、また抜け出したかな。残業が嫌で」
の言葉に、思わず顔を顰める。
松本は前からそういうところがあり、も当然その事は良く分かっているのだ。
「…もしそうなら明日は倍の仕事させてやるさ」
「ふふ…でもきっと最後はシロちゃんがやる事になるんだよね」
「…あのな…」
クスクス笑うに、つい苦笑が洩れる。
彼女の明るい笑顔は、オレをホっとさせてくれる。
「あ、冷めないうちに食べてよ」
「ああ」
「今日だけ十番隊の隊長さんにサービスなんだから味わって食べてよね」
「……今日だけって…って言うか…お前、市丸にまで弁当作ってやってるんじゃないだろうな」
「…えっ?」
「おい…その顔…まさか作ってるのか…」
明らかに動揺したを見て、ムっとした。
「だ、だって一度、余ったお弁当あげたら、"また作ってぇなぁ"ってうるさいし…」
「そんなモノマネはいらない。だいたい言われたからって、ホイホイ作るな。お前を市丸の家政婦するために三番隊に行かせたんじゃないぞ」
「分かってるわよ…でも隊長から頼まれたら嫌ですって言えるわけないでしょ?」
「じゃあお前は市丸に言われたら何でもするのか?付き合えって言われたら、付き合うのかよ」
「な、何言ってるの?そんなわけないでしょ?って言うか、どうしてそんな話になるのよ…。私はシロちゃんに言われた通り、三番隊に馴染もうと必死なんだから」
「だからそれは――」
訝しげな顔をするにハッとし、ムキになってる自分が恥ずかしくなった。
そもそも三番隊に行かせる事を了承したのはオレだ。
市丸の性格を考えれば、と市丸が親しくなる事だって考えられた。
三番隊に行かせた事を今は後悔していても、頑張ってるにそう言っても仕方がないし、何より理由を聞かれても困るから何も言えない。
「……シロちゃん?」
「…悪い。言いすぎた」
「…どうしたの?シロちゃん、何だか変…。怖い顔しちゃって…何怒ってるのよ」
「怒ってない。って言うか腹減りすぎてイライラしてた。これ、もらうな」
そう言ってが作ってきてくれた玉子焼きを口に放り込む。
懐かしい味が口内に広がり、思わず「美味い」と呟いた。
それを聞いてが嬉しそうな顔をしてくれる。
そんな顔を見れるなら、オレの個人的な感情を、今にぶつける必要などないと思った。
「…味は変わらないな」
「シロちゃんのおばあちゃんほど、まだ美味く焼けないけどね」
「いや、ばあちゃんといい勝負だ」
「ホント?」
「ああ。ホント美味いよ」
「良かった」
心底、嬉しそうに笑うに、オレもつられて笑顔になる。
昔と変わらぬ、こんな時間に、疲れていた事さえ忘れてしまう。
「……」
「…ん?」
「三番隊でも…やっていけそうか?」
「うん。今のところは。まだまだ覚えないといけない事いっぱいだけど。やりがいあるから」
「そうか…」
「シロちゃんは心配しすぎ!私、これでも部下がいる第五席なんだから」
「…そう、そうだな…」
そう頷きながらも、の言葉に少しの寂しさを感じた。
昔は、一緒に暮らしてた頃は…オレの後ばかりくっついてた女の子だったのに。
年上のクセに、どこか妹みたいで、オレが守ってやらなくちゃ、とずっと思ってきた。
でも彼女は、どんどん前に進んでいく…
もうオレが守らなくても、ちゃんと一人で歩いて行ってる。
それが…少しだけ寂しい、なんて、オレの我がままだろうか。
「そう言えば雪が降ってきたのよ。見た?シロちゃん」
「いや…。もう、そんな季節か…」
「あ、ほら…だんだん本降りになってきた」
窓に顔をくっつけて外の様子を伺うに、苦笑しながら隣に歩いていった。
外を見れば確かに白い粉雪が舞っていて、今夜はますます冷え込みそうだ。
「シロちゃんは冬生まれだから寒いの強いもんね」
「ああ」
「来月はシロちゃんの誕生日だし、また去年みたく皆でお祝いしよう」
「…うるさいのは呼ぶなよ?」
「あははっ。でも絶対、乱入してくるよ?一角さんたち」
「あいつらは飲める口実があれば、どこにでも顔出すからな…」
「でも盛り上がるから楽しいじゃない」
「………あれを盛り上がる、というのか?」
去年の乱ちき騒ぎを思い出し、オレが深く溜息をつけば、は楽しげに笑った。
「十一番隊が加わると、すーぐ乱闘になっちゃうからね」
「そのせいでオレは頭にタンコブ三つは出来た…」
「ああ、一角さんと乱菊さんの飲み比べ対決の時…」
「ったく…。酔っ払いのケンカ止めるのは二度とごめんだ」
そう言って顔を顰めれば、はクスクス笑いながら、再び外を眺めた。
「あ…雲が切れた…」
はそう呟くと窓を開けた。
「月も…寒そうだね」
そう言ってが指さしている、その先に、雪が降るのを待っていたように、雲の合間から白い月が顔を出していた―――――