前の日の曇り空が嘘のように、当日は青空が広がって、気持ちいいくらいの天気だった。
「おお〜よく来たな、二人とも」
「おばあちゃん!ただいま」
懐かしい笑顔が出迎えてくれて、私とシロちゃんは笑顔で手を振った。おばあちゃんは少し涙ぐんだ目で私達を見ると、昔と変わらない暖かい手で優しく抱きしめてくれる。
その温もりに、何だか無性に泣きたくなったけど、シロちゃんがいるからぐっと我慢して、もう一度「ただいま」と声をかけた。
「忙しいのによく来てくれたねぇ。さ、中へ入りなさい」
おばあちゃんは濡れた目じりを手で拭うと、家の中へと入っていく。その背中は前よりも小さく見えて、かすかに胸が痛んだ。
この歳で一人暮らしをさせているという罪悪感。シロちゃんも同じようなものを感じているんだろう。おばあちゃんを見つめる目は、どこか寂しげだ。
「今日は帰らないといけないんだろう?なら夕飯はいらないね」
「うん…ごめんね、おばあちゃん。ホントは泊まりたいんだけどちょっと約束があって……」
「いいんだよ。こうしてお前達の元気な顔が見れただけで」
暖かいお茶を用意しながら、おばあちゃんは微笑んだ。おばあちゃんはいつも、私達の事を優先に考えてくれる。
でも寂しくないわけじゃないだろう。本当は、久しぶりに会ったのだから、私達に泊まって行って欲しいと思っているだろうに。
おばあちゃんの気持ちが分かるだけに、、やっぱり今夜泊まっていくと言えば良かった、なんて後悔する。
でも皆との約束を私の都合で破るわけにはいかない。シロちゃんは何も言わず、昔のようにおばあちゃんに寄り添いながら、お茶菓子を出す手伝いをしていた。
――――西流魂街、第一地区"潤林安"。
他の地区よりは平和だけど、何もない田舎町。私とシロちゃん、そして桃はここで育った。
おばあちゃんが私達の母親的な存在で、かけがえのない家族だ。何よりも先に、私達の事を考えてくれる、優しい人。
皮肉にも私達三人が、力に目覚め、死神として瀞霊廷に行くことになった時も、笑顔で送り出してくれた。それが何より、嬉しくて、ちょっぴり辛かった。
「あ、甘納豆買うの忘れた」
シロちゃんが思い出したように言って、困ったように頭をかいた。甘納豆はおばあちゃんの好物だから、帰る前に買って行こうって言っていたのに。
「じゃあ私が――」
「いいよ。オレが行って来る。はばあちゃんに近況報告でもしてろよ。五席になったこと、まだ話してないだろ」
「あ、うん…。じゃあお願い」
「すぐ戻る」
シロちゃんはそう言って昔のように家を飛び出していく。それを懐かしく思い出しながら、おばあちゃんの淹れてくれたお茶を受け取った。
「何だい、お前、出世したのかい?」
「あ、うんまあ……」
「冬獅郎のいる隊だったね、は」
「あ、でも今は違うの」
「違う?」
「うん…えっと…半年前に隊を移って…」
そこでおばあちゃんに、これまでの事を分かりやすいように説明した。
おばあちゃんは私が三番隊に引き抜かれ、五席になった事を、凄く喜んでくれたけど、シロちゃんと離れた事は心配のようだった。
「大丈夫だよ?今の隊も凄くいい人ばかりだし…結構馴染んでるから」
「そうかい?でも…冬獅郎が傍にいれば安心だったんだけどねえ…」
「もう…おばあちゃんもシロちゃんと同じくらい心配性ね。私は大丈夫だってば。桃だって副隊長として頑張ってるでしょ?」
「そりゃそうだけど…お前は桃や冬獅郎と違って昔からどん臭いところがあるから…。ほら前も木の実を取ってくるって言って、木から落ちたし…」
「こ、子供の頃の話でしょ?もうそんな事ないもん。これでも虚と何度も戦ってるのよ?」
「―――そのうち二回も助けられてんじゃねーか」
「……!」
その声に振り返ると、シロちゃんが苦笑いを浮かべて立っていた。その手にはおばあちゃんの好物である甘納豆を持っている。
「な、何よ、シロちゃんまでそんな前の事…」
顔を赤くして反論する私に笑いながら、シロちゃんはおばあちゃんに甘納豆を渡した。
「大丈夫だよ、ばあちゃん。も今は剣術指南を受けて腕も上がってるみたいだし」
「そうなのかい?ならいいけど…危ない時はお前が助けてやるんだよ」
「分かってる」
おばあちゃんの言葉に、シロちゃんは笑顔で頷くと、チラっと私を見て微笑んだ。いつもの皮肉な笑みじゃない。昔のように、私を安心させるような、優しい笑顔。
シロちゃんは昔からそうだ。何でも器用にこなす桃と違って、何をやってもドジで不器用な私を、おばあちゃんはいつも心配していて。
そしてシロちゃんはそんなおばあちゃんとの約束どおり、私をいつも助けてくれる。昔も今も、そこは変わっていない。
「それで、冬獅郎はどうなんだい?隊長さんの仕事の方は」
私の近況を聞いて、一応は安心してくれたおばあちゃんは、今度はシロちゃんに話題を振った。
シロちゃんは別に変わりねーよなんて言いながらも、おばあちゃんが心配しないように、普段の仕事のこと、自分の部下のこと――もっぱら乱菊さんの愚痴だった――を面白おかしく話してあげていた。
おばあちゃんを気遣う、そんなシロちゃんの姿が、前よりもずっと大人びて見えて、いつの間にシロちゃんはこんなに大人になったんだろう、とふと思う。
隊長ともなれば、その責任ある立場の重責で、きっと私なんかが想像出来ないような苦労もあったのかもしれない。
その色んなものを背負って大変な毎日の中、シロちゃんは一人残してきたおばあちゃんの事を心配してた。
――――そう言えば、今日ここへ来ようと言ったのはシロちゃんからだった。
ずっと傍にいたくせに、シロちゃんが一人で抱えているものに、私は何も分かっていなかった気がする。自分の事で、精一杯で――――
「…どうしたんだい?こんなところで」
久しぶりに、家の裏にある木に登っていると、下からおばあちゃんの声が聞こえた。
「シロちゃんは?」
「ちょっと寝るって言って寝てるよ。夕べは遅くまで仕事だったらしいからね」
「そっか…。今時期はどこの隊も忙しいのよね…」
そう言いながら、私は目の前の景色に視線を戻した。もうすぐ日が落ちるのか、高いところにあった太陽が、ゆっくりとその姿を傾けている。
「私ね、ここから見える景色が好きだった。沢山の木々が、春には色をつけて、秋には紅葉になっていくのを見てるのが好きだった」
「そうかい」
「瀞霊廷にも綺麗な森はあるけど……ここからの景色には負けるかな」
おあばちゃんは何も言わなかった。何も言わず、私の話に耳を傾けていて、その静かな存在に、ホっとした。
オレンジ色に染まっていく景色にも、優しく吹く風にも、安心感が宿る。ここは、私の帰るべき場所―――――
「何か、あったのかい?」
家に戻ろうと下へ降りた時、不意におばあちゃんがそんな事を訊いて来た。
「どうして?」
内心ドキっとしたけれど、それを隠して微笑む。おばあちゃんは昔から私の僅かな不安や、動揺を見抜くのが上手かった。
「何だか寂しそうだからさ」
「そんな事ないよ?久しぶりに帰って来たからちょっと感傷に浸ってただけ」
「私の心配なら無用だよ?」
「…おばあちゃん」
その言葉に、泣きそうになった。何だろう、昨日から少し涙もろくなっている。
前のように無邪気に笑う事も出来なくて、それほど子供じゃないことを、私は知ってしまった。
「あんた、恋でもしてるのかい?」
「…え?」
「そんな顔、初めて見たよ」
おばあちゃんは優しく微笑んで、一瞬で赤くなった私の頬へとそっと手を伸ばした。いったい私は今、どんな顔をしてたんだろう。
「な、何よそれ…そんなはずないでしょ?」
「前に帰ってきた時は、仕事が忙しいとか言いながらも、ここにいた頃とあまり変わりはなかったからねえ」
「私は…別に今も変わりは――」
「女は恋をすると変わるもんだよ。自分でも気づいてるんじゃないのかい?」
「…こ、恋って私は……そんなヒマもないもの」
「じゃあ何でそんな悲しそうな顔をするの?」
「………悲しそう?私が?」
「ああ。誰かを想って、辛いって顔だったよ」
おばあちゃんはそう言いながら、沈んでいく太陽を見上げた。その横顔を見ながら脳裏に過ぎるのは、夕べの市丸隊長の冷めた瞳…
その事を思い出すだけで、また胸が軋むように痛む。
「言ったでしょ…?久しぶりに帰ってきたから色んなこと思い出して…だから――――」
そう言いながらも、心の不安を全て吐き出してしまいたいと思った。おばあちゃんなら、きっと黙って聞いてくれる。そう思った。
「………人を…傷つけちゃって…」
溜息一つ、ついてから思い切って口を開けば、おばあちゃんは黙って私を見上げた。
私は返事を待つこともなく、静かに話し始めた。
「その人は…私の隊の隊長さんで…二度も私を虚から助けてくれた恩人でもあるの…」
「そうかい…」
「普段は何を考えてるのか分からないし、我がままだし、いつも私をからかったりして頭に来る事もあるけど…でも凄く優しいところもあって…」
話しながら、今日まであった色んな事を思い出していると、無性に泣きたくなった。
「なのに…隊長を傷つけちゃった…。嫌いじゃないのに…そう思わせるような態度をとっちゃって…」
泣かないよう、強く唇を噛み締めた。市丸隊長の優しい笑顔ばかりが浮かぶから。
おばあちゃんは黙って話を聞いててくれて、その事も凄く安心したのかもしれない。
でも暫く沈黙が続いて、本当に泣きそうになった頃、おばあちゃんが静かに口を開いた。
「……その隊長さんの事……好きなんだねえ、お前は」
不意に言われた一言にドキっとする。その言葉が頭の中でぐるぐると回って、頬が熱くなった。
「す、好きって……」
「何だい。自分の気持ちも分からないのかい?」
(――自分の気持ち?)
そう言われて私は戸惑った。市丸隊長を傷つけてしまった事が辛くて、何故こんなに辛いのか、そこまで考えた事もなかった。
「どういう意味…?私は隊長のこと嫌いじゃないけど、でも好きって――――」
「惚れてるって事だよ」
「な……」
とんでもない事をサラリと言われ、私は顔が赤くなった。そんな私を、おばあちゃんは苦笑いしながら見ている。
「私にはお前が、その隊長さんが好きでたまらないって聞こえたけどね」
「な、何よそれ…っそんな意味じゃなくて…」
「傷つけてしまった事でも傷ついてるんだろう?誤解させてしまった事が苦しいんだろう?」
「それ…は…」
「惚れてる相手じゃなければ、そこまで気にしないさ。相手が好きだから、そんな些細な事で苦しむんだ。悩むんだよ」
「ま、まさか……彼は隊長よ?尊敬はしてるけど…好きとかそんな感情、あるはずないじゃない…」
自分の意志とは裏腹に、どんどん早くなる鼓動に戸惑いながら、私は笑った。そんな感情、よく分からない、なんて言えるほど、もう子供じゃないのに。
でもおばあちゃんは何もかも分かっていると言うように微笑むと、
「そのうち気づくさ。色んな事に…。もう昔のままじゃいられないんだから」
「……おばあちゃん…」
「大人になったんだねぇ…冬獅郎も、お前も…。もうあの頃とは違うんだねえ」
おばあちゃんはそう呟きながら、少しだけ寂しそうな顔をした。私は何も言えなくて、おばあちゃんの言っている事に否定も出来ず、一緒に綺麗な夕日を見つめた。
前にここへ帰って来た時と、今の自分が違う事に、私も気づいていたのかもしれない。あの頃のように、もう無邪気な子供ではいれないと、分かっていたのかもしれない。
「なーに二人でコソコソ話してんだよ」
「…シロちゃん…」
その声に振り向くと、シロちゃんが欠伸を噛み殺しながら、顔を出した。
「別に何でもないさ。それより…玉子焼きでも食べるかい?それくらいなら食べる時間もあるだろ」
「お、食べる食べる」
「じゃあすぐ作るから待ってなさい」
おばあちゃんはそう言って、私の背中をポンと叩きながら、家の中へと入っていく。代わりにシロちゃんが私の隣に歩いて来た。
「シロちゃん、おばあちゃんの玉子焼き好きだもんね」
そう言って笑うと、シロちゃんは照れ臭そうに頭をかきつつ、また小さく欠伸をした。
「まだ時間あるだろ?」
「うん。約束の時間は6時だから」
「…本当に朽木隊長の家でやるのか?」
「え?あ…うん、まあ…」
「よくあの人がOKしたな…」
シロちゃんは未だ訝しげな顔でそんな事を言う。私は内心ドキっとしながらも、笑って誤魔化すしかない。
事情を知ったら、きっとシロちゃんは中止にしろと言いかねないから。
「そ、それより…今日ここに来て良かったね。おばあちゃん嬉しそう」
「ああ…出来れば泊まって行きたかったけどな」
「…だ、だからそれは…」
「いい、分かってるよ。どーせ松本辺りが強引に計画進めたんだろ?」
「…う…ま、まあ…それもあるけど…」
「ま、と阿散井の昇進祝いもかねてるんだから、今日は我慢してやるよ」
シロちゃんはそう言いながら苦笑いを零した。
「でも来年は泊まりに来ような」
「……うん、そうだね」
来年、と言われて、ふと一年後の自分はどうなってるんだろうと思った。以前の私なら、きっと同じような未来を描いていたのかもしれない。
でも今は僅かな変化のせいで、一年後の自分がどうなっているのか、想像すら出来なかった。
「なあ」
「ん?」
「お前…何かあったのか?」
「…え?」
不意にそんな事を言われ、ドキっとした。
「今朝から元気ねーし…」
シロちゃんはそう言ってチラっと私を見た。おばあちゃんもシロちゃんも、私の微妙な変化が分かるのかと、やっぱり少し驚いた。
「別に…疲れてるだけだよ。今はどこも忙しいでしょ?」
「…まあな。松本も毎日愚痴ってうるせぇし」
「でも…帰って来てリフレッシュできたし、もう大丈夫」
「…本当か?」
「うん」
「ならいいけど」
シロちゃんはそれ以上、何も言わず、黙って夕日を見つめている。その時、おばあちゃんが顔を出した。
「焼けたよ。二人とも入りなさい」
その声と同時に、玉子焼きの焼けたいい匂いがしてきて、私とシロちゃんは顔を見合わせると、急いで家の中へと戻る。
その時だけは、昔の自分に戻ったかのように、無邪気に笑えた気がした。
「――――体に気をつけて、仕事頑張るんだよ」
時間が来て、瀞霊廷に戻る時、おばあちゃんが涙ぐみながらそう言った。私もシロちゃんも、素直に頷きながら、最後におばあちゃんを抱きしめる。
また来るから、それまで元気でいてね、というように。
「これ、持って行きなさい」
最後に、おばあちゃんは私達に小さなお守りを差し出した。
「冬獅郎の誕生日だからね。夕べ作ってみたんだけど…、お前にも」
「おばあちゃん…」
「サンキュ…」
シロちゃんは嬉しそうにそれを受け取り、私も胸が一杯になりながらお守りを受け取った。
「怪我に気をつけて…」
「うん…ありがとう、おばあちゃん。また…来るね」
「ああ、待ってるよ」
「ばあちゃんも体に気をつけろよ」
シロちゃんがそう言いながら先を歩いていく。私も行こうとして、ふと足を止めると、もう一度だけおばあちゃんの元へと走った。
さっき言われた事が、心の奥で燻っているような気がして…
「…おばあちゃん、私…」
「…素直に自分の気持ちと向き合いなさい。そうすれば、答えが見つかるから」
おばあちゃんはそう言って優しく微笑んだ。
「…おばあちゃん…」
「相手が誰であろうと、もしお前が惚れてしまったんなら、その想いを貫けばいい。私はお前を信じてるよ」
「……好きとか…まだ分からないよ…。ただ…その人にそっぽを向かれると、凄く悲しいの…これって好きって事なの…?」
「…お前の顔を見てれば分かるって言ったろ。前よりもずっと綺麗になった……恋をしてる証拠だよ」
「……やだ、おばあちゃんてば」
泣きそうになり、それを誤魔化すように微笑んだ。上手く笑えてたかは分からない。
だけど、おばあちゃんが優しく手を握るから、それに答えるように私も強く、その小さな手を握り締めた。
「おい、!早くしろ!」
その時後ろで待ちくたびれたかのようにシロちゃんが叫んだ。今行く、と言って、おばあちゃんの手を離す。
「女はね。惚れた男の傍にいるのが一番の幸せだよ」
その言葉が胸に沁みて、私は零れ落ちた涙をそっと拭った。
「………ありがとう、おばあちゃん。元気でいてね」
最後にもう一度おばあちゃんを抱きしめて、私は走り出した。いつまでも、見送ってくれている暖かい存在を感じながら、いつもの日常へと戻って行く。
次に来る時は、もう少し大人になっていれたらいいな、と思いながら――――
「何話してたんだよ」
瀞霊廷に向かいながら、シロちゃんは訝しげな顔で訊いて来た。
「何でもない。女同士の話だもん」
「何だそれ……」
「いいから急ご!約束の時間に遅れちゃう」
そう言ってシロちゃんの手を引っ張ると、シロちゃんは呆れたように、「誰のせいだよ」と笑った。
もうすっかり日が暮れて、瀞霊廷に戻った時には、太陽も沈みきっていた。
「あ、乱菊サンだ」
言われたとおり、朽木隊長の屋敷前に行くと、そこには乱菊さんを筆頭に、十一番隊の面々が顔を揃えている。
それを見て、シロちゃんだけは小さく溜息をついていた。
「おっそーい!何してたのよ〜」
「すみません!」
門の前で手を振る乱菊サンに誤りながら、そこに集まっている一角さんと弓親さん、そして更木隊長にも頭を下げた。
「オレ達もちょーど今来たとこだよ」
「僕はとっくに来ていたけどね。遅刻は美しくない」
相変わらずの二人に苦笑していると、更木隊長がニヤリと笑った。
「ごちゃごちゃウルセーぞ。で?どうやって忍び込むんだ?」
「あ、それは――――」
乱菊サンが応えようとしたその時、後ろで聞いていたシロちゃんがギョっとしたように口を挟んだ。
「し、忍び込むって何だよ?朽木隊長に許可もらってんじゃねーのか」
「何だァ?知らなかったのか、日番谷…」
シロちゃんの驚きように更木隊長が笑った。そこにつかさず乱菊サンが割り込み、
「やだなあ、隊長♪あの朽木隊長が許してくれるわけないじゃないですか〜♪」
「バ、バカヤロウ!だったら他の場所に――」
「そういうわけにもいかねーんスよ!阿散井がここに呼ばれてるし、主賓の一人であるアイツがいねー事には話にならねえ」
一角さんはそう言うと、「ね?副隊長♪」と、ワクワクしたように更木隊長の方へ振り返る。
すると更木隊長の背中から、副隊長であるやちるちゃん――こう呼べと以前脅された――がひょこっと顔を出した。
「そーだよ、シロちん!あたしなんていつも追い出されてるもん」
「誰がシロちんだ!つーか、追い出されんならやめろよ!」
「面白そうじゃねーか。オラ行くぞ!どっから入るんだァ?」
「お、おい更木!やめろって――――」
シロちゃんの反対も空しく、更木隊長の一言で、皆はゾロゾロとやちるちゃんの案内する裏ルートに歩いていく。
ついでに言えば、一人反対しているシロちゃんは更木隊長に抱えられ、殆ど拉致状態だ(!)
「離せ、更木てめえ!」
「ごちゃごちゃとウルせーんだよ!たまには、てめえもハメ外せ」
少しも周りを気にしない大声で、更木隊長が笑う。これじゃ見つかるのも時間の問題だ、と思ったその時。
ギギギ…っという重苦しい音と共に、屋敷の表門が開いて、皆が立ち止まった。
「…あ、あれ…」
乱菊サンが驚いたように指を指した先に、朽木家の使用人らしき老人が立っていた。
さっそく見つかったと冷や汗が流れたが、その老人は、私達に一礼をすると、
「旦那様がお待ちです。こちらからどうぞ」
「「「「「―――――っ」」」」」
その一言に、その場にいいる全員がギョっとした…いや、一人だけ嬉しそうに飛び出した。
更木隊長の背中に掴まっていたやちるちゃんだ。
「ワーイ♪びゃっくんが入ってもいいってー♪」
「ちょ、やちる!罠かも――」
乱菊サンが慌ててやちるちゃんを捕まえる。それを見て老人は微笑むと、
「事情は阿散井さんに聞いております。旦那様もそれなら全員を中へ通せ、とおっしゃっております」
「え……ホントにいいんですか?」
「はい。忍び込まれ、勝手に徘徊されるくらいなら、ご招待した方がマシだ、とおっしゃられて…」
「…………………(そういうことか)」
その説明に、私は溜息をついた。どういうわけか知らないが、この計画がバレたらしい。
阿散井くんがソワソワしすぎてバレたのか、それとも罪悪感に苛まれ自発的に話したのか……どっちにしろ忍び込む必要はなくなったようだ。
「そういうことなら堂々と正面から入ろうぜ。他の奴らにもそう言っとけ」
「じゃあ僕が伝えに行って来るよ」
弓親さんはそう言うなり、瞬歩で姿を消した。それを見ていたシロちゃんが――まだ更木隊長に抱えられてる――
「お、おい!他の奴らって何だよ!まだいんのか?」
「ああ、後は檜佐木と…京楽の野郎だ。どっかから噂を聞きつけやがったらしくて仲間に入れろと言ってきた」
更木隊長の説明に、シロちゃんは軽い眩暈を感じたのか、暴れるのをやめてグッタリ項垂れている。
いつもの"飲み会のメンバー"勢ぞろいで頭が痛くなったんだろう。
それでも門の中に足を踏み入れた瞬間、ギョッとしたように目を見開いている。
初めて入った朽木家の庭は、まさに貴族を象徴している豪華さで、かなりの広さ。私も思わず溜息をついた。
「広い…」
「ホント、凄いわねぇ、さすが朽木隊長のお宅だわ」
乱菊サンも感心したように息をついている。そんな中、豪華な庭先には興味のなさそうな更木隊長と一角さんは勝手にズカズカと玄関先へ入っていく。
その時、音もなく姿を現したのは、朽木白哉、この家の当主その人だった。
まさか当人が出てくるなんて思いもせず一瞬にして緊張が走った……のは私だけで、更木隊長は堂々と朽木隊長の前へ歩いて行く。
「よぉ!招待されに来てやったぜ?」
今の今まで忍び込もうとしていた人の言うセリフじゃない、と私はシロちゃん同様、軽い眩暈を覚えた。
朽木隊長は無表情のまま更木隊長を見ると、
「兄らをはなから招いたつもりはない。こうでもしないと、その副隊長殿がまた勝手に我が邸を走り回る――――」
「びゃっくん!こんばんわー☆遊びに来たよ♪」
「……………」
朽木隊長の嫌味すら通じていないのか、やちるちゃんはニコニコしながら顔を出す。その様子に、朽木隊長も溜息一つ、つくと、
「奥の客間を用意した。そこで勝手に待っていろ。阿散井は話が終わり次第、行かせる」
「悪ぃな。じゃあそうさせてもらうぜ」
「お邪魔しまっす!」
「びゃっくんも後でおいでね〜♪」
更木隊長、一角さん、やちるちゃんとそれぞれ朽木隊長に声をかけて中へと入っていく。――もちろんシロちゃんは抱えられたまま文句を言っていたけど――
乱菊サンも「私達も行こっか」と言ってその後に続いた。でも私は何となく気後れして、無言のまま立っている朽木隊長を見上げた。
「何だ。行かないのか?」
動こうとしない私を見て、朽木隊長は怪訝そうな顔をした。こんな間近で、しかも言葉を交わすのは初めてで、私は緊張しながら頭を下げた。
「あの…すみません、変なことに巻き込んでしまって…」
「別にお前が謝る事はない。大方、松本辺りが計画した事だろう」
「………」
やっぱり分かってらっしゃるのね(!)さすが朽木隊長…と感心しつつ誤魔化すように笑う。
「あ、あの…阿散井くんのこと、宜しくお願いします」
せっかくの会食を邪魔した事への罪悪感もあったけど、阿散井くんがこれからお世話になる事を思い出し、慌てて頭を下げる。
それを見て、朽木隊長は訝しげに眉を寄せると、
「知り合いか?」
「あ…はい。友達というか……」
「そうか」
朽木隊長はそれだけ言うと、「早く入れ。阿散井は後で行かせる」と、私を中へ促した。
意外にも優しい響きに私はホっとすると、その言葉に甘えて恐る恐る中へと入らせて頂いた(!)
「うわ…中も広ーい…天井、たかっ!」
「…………………」
朽木邸のあまりの広さに思わず、その感想が口から漏れる。そこで後ろに朽木隊長がいる事を思い出し、慌てて口を押さえた。
「あ、あの…すみません、騒がしくて……」
「いや…構わん」
呆れているのか、それとも煩わしいと思っているのか、朽木隊長は相変わらず無表情だ。
それでも冷や汗を垂らしながら、私は皆がどこに行ったのかとキョロキョロしていると、朽木隊長は奥の廊下を指差した。
「客間はその奥だ。途中まで一緒に行こう」
「え、あ…ありがとう…御座います」
そうは言ったものの、余計に緊張すると思いながら引きつった笑顔でお礼を言う。
朽木隊長が直々に案内、しかも隣を歩いている事で硬くなりながらも、つい話題を探してしまう自分がいた。(沈黙は耐えられない)
「あ、あの…今日ルキアさんは…」
その名を口にすると、朽木隊長は少しだけ驚いたように私を見た。
「ルキアを…知っているのか?」
「い、いえ直接は…でも阿散井くんにはよく話を聞いていて」
「…そうか。ルキアは……任務で今は現世に行っている。暫くは戻らない」
「え…あ、そうなんですか…残念…」
朽木ルキア――阿散井くんの幼馴染で、一番の親友。苦しい時代を一緒に生き抜いてきた仲間…よく、そう聞かされていた。
阿散井くん曰く、ルキアさんと私は多少似てるところがあるようで、――ドジで天然なところらしい(失礼な)――「きっとお前ら気が合うぜ」なんて言われたりもした。
だからなのか何なのか、一度くらい会ってみたかったというのが本音だった。
「残念、とは?」
不意に朽木隊長が足を止めた。だから私も歩くのを止め、「え?」っと顔を上げる。あれこれ考えていて、質問の内容が一瞬、分からなかった。
朽木隊長はその様子で理解したのか、もう一度、静かな口調で言った。
「ルキアが不在で何が残念なのだと聞いた」
「あ……えっと…阿散井くんにルキアさんの話を聞いてるうちに…会ってみたいなぁと思うようになって…彼が言うには私に似てる所があるらしくて――――」
そこまで言って顔を上げると、朽木隊長ともろに目が合った。心臓が口から出るかと思うくらいドキっとした。これほど近くで顔をまじまじと見た事すら初めてだ。
(綺麗な、顔…)
最初の感想にしてはミーハーだけど、朽木隊長が女性死神に人気が高いのも、よく分かる気がした。
市丸隊長も美形だけど――キツネ顔の割りに(オイ)――朽木隊長は何ていうか…綺麗…そう、その表現がピッタリだ。
整いすぎるくらいに整った目鼻立ちといい、涼しげな視線といい、こんな瞳で見つめられたら、その辺の女性は皆、見惚れてしまうんじゃないか。
素直にそう思いつつ、私もその辺の女性同様、見惚れていると、朽木隊長も黙って私を見つめていた。
「似ている…?お前とルキアが、か?」
朽木隊長はそう言いながら更に私を観察するように見てくる。そこで慌てて首を振った。
「…え、あ、いえ!すみません…失礼ですよね、そんな…っていうか、それは私が言ったんじゃなくて――――」
「別に謝る必要はないが」
「…え?あ、すみません…」
そう言ってからハッとした。朽木隊長は怪訝そうな顔をしながらも、「よく謝る奴だ」と言って、ほんの僅か、笑ったかのように見えた。
あまり見られないその表情に唖然としている私を、朽木隊長は黙って見ている。
「あ、あの…」
「…ルキアは一ヵ月後に戻る予定だ。その時に会えばいい」
「………え?」
その意外な言葉に驚いて再び顔を上げた途端、朽木隊長は歩き出した。そして角の手前で立ち止まると、
「そこを曲がった奥の部屋が客間だ」
「あ…はい。ありがとう御座います…」
急いで追いついた私が軽く頭を下げると、朽木隊長は無言のまま私を見て、その後、もと来た廊下を歩いていく。
その背中を見送りながら、思い切り息を吐いた。極度の緊張からの開放感。でも…最後に見せた朽木隊長の優しい眼差しが意外で驚いた。
(朽木隊長って、ルキアさんの話をする時はあんな優しい顔をするんだ…見かける時はいつも無表情でとても怖そうなのに…なんか意外)(失礼)
養子縁組での妹とは言え、きっと朽木隊長なりに、とても深い愛情を持っている。そんな気がした。
「――――おーい、!何してんだぁ?早く来いよ!」
「あ、今行く」
朽木家に招かれた――仕方なくだと思うけど――分際で、まるで我が家のように客間から顔を出した一角さんに苦笑しつつ、私は皆のいる部屋へと向かった。
中を覗いて見ると、そこはすでに宴会場と化していて、シロちゃんだけが一人、ブーたれている。(どう見ても主賓の顔じゃない)
「おせぇよ…」
「ごめんね、シロちゃん」
私が歩いて行くと、シロちゃんは深々と息を吐き出し、「やっぱりこうなるんだよな」とボヤきながら、乱菊さんの持ち込んだジュースを口にする。
シラフのままで皆の酔う姿を見ていれば、それも仕方ない事かもしれない。
「檜佐木や京楽のオッサンが来たら、もっと酷くなるぜ?」
「…そうかもね」
「お前も飲みすぎるなよ?つっても、どーせ無駄だろうけど」
「きょ、今日はそんな飲まないよ…」
そう言いつつ、目の前に置かれているビールに手を伸ばす。このメンツの前で飲まないでいるには、相当覚悟がいるのだ。
けど先日、飲みすぎて失敗しているからか、心なしかビールが喉を通らない。そこへ、すでにほろ酔いの乱菊さんが乱入してきた。
「〜!隊長ー飲んでるぅー?」
「松本…お前、もうそんなに…」
シロちゃんは乱菊サンの握り締めている焼酎の瓶が、半分ほどになっているのを見て、呆れたように溜息をついた。
それでも乱菊サンにすれば、序の口だ。
「何言ってるんですか、隊長も主賓なんだからもっと飲んで飲んで♪」
「オレは酒は飲まねーよ。知ってんだろ?」
「もーつまんないなー。じゃあが飲みなさいよ」
「私はまだビールでいいですよ。今夜は長そうだし」
「そぉーお?じゃあ恋次が来たら、もう一回カンパイするからねー」
乱菊サンはそう言って豪快に焼酎を煽ると、今度は一角さん達の方に乱入しにいった。更木隊長と一角さん達も豪快に一升瓶を空けている。
「…あーあ。こりゃそのうち朽木隊長に追い出されそうだな…」
「朽木隊長も一緒に飲めばいいのにね」
「…あいつが皆と飲みに行ったなんて聞いたことねーよ」
「そうだけど…」
「ま、お前もほどほどにしとけよ?明日は仕事だろ」
「うん。でもお昼からでいいって、吉良副隊長が言ってくれたの。ここ最近、遅くまで仕事してたから」
「へえ、気が利くな。吉良の奴」
「吉良副隊長もホントは今日、参加したかったみたいなんだけど…」
「あいつは酒、弱いからな…。いつも松本に潰されてるだろ」
シロちゃんはそう言って笑った。私も笑いながら、ふと市丸隊長の事を思い出す。
私は休みをもらったが、市丸隊長や吉良副隊長は、今日も仕事をしているはずだ。今も…まだ執務室にいるんだろうか。
そんな事を考えて、少し気になった。
(でももう7時過ぎたし…そんな事ないか。吉良副隊長はともかく、市丸隊長は遅くまで仕事するの嫌がって早めに帰っちゃうし…)
――って、今は考えるのはよそう。せっかくのシロちゃんの誕生日なんだし…
そう思いながら、私は一気にビールを飲み干した。
―――――ああ、ちっとも酔えない。
あれから一時間が経過し、弓親さんが檜佐木さんと京楽隊長を連れて戻ってきたけど、皆が酔う姿を見れば見るほど、酔いが冷めていく。
それは他に気になってる事があるからに他ならない。
「ちゅわ〜ん、飲んでる〜?ちっとも減ってないじゃないかぁ〜♪」
「……京楽隊長……近すぎます」
勝手に肩を抱きよせ、ぐぐいっと顔を近づけてくる京楽隊長に顔を顰めつつ、ジロっと睨む。それでもこの人にそんなものが通用することは滅多にない。
「相変わらず冷たいなぁ♪でもそこも好きだけどね〜♡」
「…それはどうも。っていうか、肩の手、避けてください」
そう言ったのと同時に、「コラァ!その手を離せよ、京楽隊長!!」と、一角さんの怒声が飛んできた。
「ちゃんにまで手ぇ出すな!汚れるだろっ」(!)
彼には怖いものなどないのか――更木隊長以外――三席であるにも関わらず、仮にも八番隊の隊長である京楽隊長を臆する事なく怒鳴っている。(いつもの事)
そして京楽隊長はといえば、特に怒ることもなく、ニヤケた顔のまま、
「お目付け役が増えたんじゃない?ちゃ〜ん♡」
と、悲しそうな顔で手を離した。(きっと七緒さんなら、肩を抱かれた時点で引っぱたいてたところだろう)
そこにシロちゃんが口を挟んだ。
「おい、京楽…いいからにかまうな」
「…日番谷くんも相変わらずだねえ♪ま、お誕生日おめでとうって事で。何歳になったの?」
「……………(酒くせぇ)」
京楽隊長は今度はシロちゃんに絡みだし、私はその隙に(!)その場から逃げ出した。(ごめんねシロちゃん)
そしてそのまま外の空気を吸いたくて、部屋を出ると、廊下から庭先へと降りる。皆の騒ぐ声が少し遠のいて、ホっと息を吐き出した。
「寒い…」
夜になると、かなり冷え込むこの時期は、それでも空気が澄んでいて綺麗だから好きだった。
「はあ…」
縁側に腰をかけ、夜空を見上げる。雲ひとつない空には、ぼやけた丸い月が浮かんでいた。
ハッキリとは見えないその姿に、まるで今の私の心のようだと、息を吐く。何でこんなにも気分が沈むのか。
シロちゃんや阿散井くんのお祝いも、密かに朽木家に来る事も、全て楽しみにしてたはずなのに。
考えないようにしようと思えば思うほど考えてしまうのは、やっぱり夕べのこと。市丸隊長のこと…
"……その隊長さんの事……好きなんだねえ、お前は"
不意に、おばあちゃんに言われた事を思い出し、慌てて首を振る。ない、そんなのありえない。そう思うのに、心はそれを肯定するかのようにドキドキしてきた。
私が市丸隊長の事を、好き?そんなの分からない。尊敬してるし、いつも助けてくれて感謝もしてる。でもそれが恋なのかと言われると……
「………分かんないよ…」
どうしようもなく胸が痛くて、そんな言葉が零れ落ちる。この胸の痛みが恋だというのなら、いっそ知らない方がいい。気づきたくない。そんな事をふと思った。
「何が分からないって?」
「――――――」
その声に弾かれたように振り返ると、そこには阿散井くんが苦笑いを浮かべながら立っていた。
「…阿散井くん…」
「何してんだよ。皆は中で飲んでんだろ?」
「あ、うん…私はちょっと風に当たりに…っていうか、朽木隊長との会食は終わったの?」
「ああ…まあ何とか、な。つーか、悪かったな…バラしちまって」
阿散井くんはそう言って頭をかきながら隣に座った。その言葉に小さく噴出すと、
「やっぱり阿散井くんからバラしちゃったんだ」
「いや…やっぱ落ち着かなくてな。朽木隊長もオレのその様子を見て、何を隠してるなんて訊いて来るもんだから」
「するどそうだもんね、朽木隊長」
「するどいってなもんじゃねーよ。千里眼でも持ってんじゃねーか?まあ…理由は何にしろ、了解してくれて良かったけどよ」
「…まあ…皆が暴れ始めたら、きっとすぐに追い出されると思うけど」
「言えてるな」
阿散井くんはそう言って笑うと、ゆっくりと立ち上がった。
「んじゃオレ、皆のとこ行くけど…お前はまだここにいんのか?」
「あ、うん…もう少しここにいる」
「そっか。ま、早く来いよ?じゃないと日番谷隊長も心配する」
「うん…分かってる」
そう言って苦笑すると、阿散井くんは軽く手を上げて中へと入っていった。朽木隊長がいないところを見ると、やっぱりあのメンツと一緒に飲むのは避けたらしい。
それでも客室を使わせてくれるんだから、よほど忍び込まれる事が嫌なんだろうな、と苦笑した。(まあそれも、やちるちゃんのせいだろうけど)
「…ホント、綺麗な庭…」
静かな空間で、こうして豪華な庭を見ていると、少しだけど心が安らぐ。よく手入れをされている庭には、この時期に咲く花が植えられていた。
その中に見覚えのある花がある。市丸隊長の部屋から見える庭にも咲いてたものだ。
「…クリスマスローズ……」
立ち上がって庭先に下りると、その花の方へと歩いていく。
一つとして同じ花色がないところが魅力なんや、と以前市丸隊長が話していたように、この庭に咲いているクリスマスローズも白、赤、紫と鮮やかな色合いが並んでいる。
それが月明かりで照らされて、凄く綺麗だった。
「その花が好きなのか?」
「…ひゃっ」
突然、背後から声が聞こえて、私は飛び上がった。
「く、朽木隊長…っ」
振り向くと、そこには朽木隊長が立っていて、こっちに歩いてくる。それを見て、さっきの緊張感が再び襲ってきた。
「す、すみません。勝手に庭を見せてもらって…」
「構わん。誰の目にも触れなければ、花も枯れる」
そう言って朽木隊長は私の隣に立った。そしてクリスマスローズを一本、その手に取ると、香りを楽しむように口元へと寄せる。
さすが、美形と花は絵になるなぁ、なんてバカみたいに見惚れていると、朽木隊長が不意に私を見た。
「どうした。あ奴らと祝い事をしているんじゃなかったのか?」
「え、あ…ちょっと…外の空気を吸いに…。朽木隊長は…どうされたんですか?まさか参加しに――」
「そうではない。暴れていないか確認しに来ただけだ」
「そ、そうですよね…えっと…今のところ大丈夫です」
そう言って引きつった笑顔を見せると、朽木隊長は手にした花を私に放った。
「え…?」
「好きなら持って行け」
「え、い、いえそんな――」
慌てて振り返ると、そこにはすでに誰もいない。何て速さだと驚きつつも、手の中の花を見た。そっと香りを嗅げば、かすかに甘い匂いがする。
「綺麗な花…」
――せっかくだから自分の部屋に飾ろう。
市丸隊長の好きな花…クリスマスローズ。
「花言葉は……」
「"追憶・私を忘れないで"」
「………乱菊サン…!」
その声に驚いて振り向くと、乱菊サンがフラフラと歩いて来た。
「いないと思えばこんなとこにいたのー?っていうか、その花、どうしたの?」
「え、あ……もらいました。朽木隊長に……」
「えぇー!あの朽木隊長が女に花?!意外ー!」
乱菊サンは大げさに驚きながら、その花を見つめた。そして小さく息を吐くと、
「それ、ギンが気に入って庭に植えてるのよねー」
「……あ…そう…ですね。っていうか、乱菊サン、花言葉なんて知ってたんですか」
「まあねー。前にギンが現世での土産でもらったって見せてくれた種の袋にそう書いてあったから」
「そうなんですか……何か、綺麗な花なのに…寂しい花言葉ですね…」
そう言いながら手の中の花を口元に寄せる。その香りを嗅いでいると、市丸隊長の顔が浮かんでは消えた。
隊長からは、いつもかすかにこの香りがしているからかもしれない――
「あれ、?中、戻らないの?恋次も来たし盛り上がって来たわよ」
一人戻ろうとした乱菊サンは、庭先に立ったままの私を見て首を傾げた。でも私の足は動かず、代わりに「ごめんなさい」という言葉が口から零れた。
「えっと…私、ちょっとだけ抜けますね」
「……へ?抜けるって、どこに……」
「す、すぐ戻ります!皆に上手いこと言っておいて下さい」
「あ、ちょ、――」
そこで私は駆け出した。後ろからは乱菊サンの私を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、庭から正門の方まで一気に走りぬける。
門番をしていた男の人が驚いた顔をしたけど、「ちょっと忘れ物を取りに…」と言うと、すぐに門を開けてくれた。
そこからは瞬歩を使って、急いで目的地へと向かった。手にはクリスマスローズ。今、どうしても行かなくちゃいけない、と思った。
「…まだ明かりが……」
三番隊・隊舎前。そこを通り過ぎて、市丸隊長の私室へ行こうとした時、執務室の部屋の明かりが見えて足を止めた。
市丸隊長がこんな時間までいるはずがない。という事は…吉良副隊長?私は迷いつつも執務室へと向かった。
すでに誰の気配もしない廊下を静かに歩いて行くと、執務室の扉が少しだけ開けられているのか、隙間からかすかに明かりが漏れているのが見えた。やっぱり誰かいるようだ。
私は軽く深呼吸をすると、扉の前に立ち、思い切ってノックをしてみた。暫し待つ。それでも応答はなく、おかしいなと思いながらも静かに扉を開ける。
「…吉良副隊長?いますか?ですけど……」
声をかけながら中を覗く。でもやっぱり部屋には誰もおらず、私は首を傾げつつ中へ入った。
「もしかして消し忘れただけなのかな…」
吉良隊長の机の上は綺麗に片付いていて、残業をしていた形跡はない。逆に市丸隊長の机の上は書類だらけのままだったけど、これはいつもの事だ。
きっと明かりを消し忘れて帰ってしまったんだ、と私は小さく息を吐いた。その時――
「誰…?」
「――――っ」
突然背後から声がして、私はまたしても飛び上がった。――――今日はよく驚かされる日だ。
「ちゃん…?」
「…い、市丸隊長……」
振り向いて更に驚いた。部屋に入って来たのは、とっくに帰ったと思っていた市丸隊長で、その手には山ほどの書類を抱えている。
そのまま市丸隊長は驚いたような表情で私を見ていた。
「…ど、どうしたんですか?市丸隊長…」
「それはボクのセリフや。どうしたん?今日は休みやろ」
市丸隊長はそう言いながら、私の横を通り過ぎると、溜息混じりで机に向かった。その背中が、私を拒否しているかのように見えて、また胸が痛くなる。
同時に何故これほど悲しい気分になるのか分からなくて苦しくなった。
「…すみません。お仕事の邪魔しちゃって…っていうか…隊長一人ですか?」
「…イヅルは先に休ませた。だいぶ疲れとったみたいやし」
「すみません…そんな時にお休みいただいちゃって…」
「かまへんよ。ボクとイヅルがおれば何とかなるし」
素っ気ない言葉。私を見ようともしない市丸隊長に、何故だか泣きたくなった。でも、私は泣くために、ここへ来たわけじゃない。
「あ、あの…市丸隊長」
「……何?」
書類に目を通しながらぶっきらぼうに答える隊長に、私は強く手を握り締めた。
「…昨日の…事なんですけど…」
「…昨日?」
「はい…」
そこで市丸隊長が初めて私を見た。いつもの優しい笑顔もない、冷めた表情。また胸が痛くなったけど、私はそれを振り切るように小さく喉を鳴らした。
「……誤解…させてしまったこと、誤りたくて……」
「誤解…?」
「…私…市丸隊長のこと、嫌いなんかじゃありません…。あの時はちょっと驚いてしまって……ただ…その…恥ずかしくて…」
思い切って言ったその言葉すら恥ずかしさが込み上げてくる。だけど市丸隊長に誤解されたままなのはもっと嫌だった。
「私…嫌ってなんか――――」
「ええよ、無理せんでも」
「……隊長…?」
市丸隊長は小さく息を吐くと、そう呟いた。それだけで涙が溢れてくる。
「そんな事でちゃんの評価を下げるつもりもないし、心配することない」
「違います!私そんなつもりじゃ……っ」
「もうええって。それよりもう遅いからはよ部屋に――」
「良くない!!」
溜息交じりで立ち上がる市丸隊長に、思わず大きな声を上げてしまった。市丸隊長は驚いた顔で私を見ると、ゆっくりと傍に歩いてくる。
そしてその綺麗な手を、そっと私の頭に乗せた。その感触で思わず涙が頬を伝っていく。
「何で…泣くん?」
「い…市丸隊長が…意地悪…するから…」
「ボクが意地悪なんはいつものことやろ」
「…そうですけど…でも違う…いつもの隊長じゃない…」
ついそんな事を口走る。市丸隊長は何も言わず、黙って私を見つめると、頬に落ちた涙をそっと指で拭ってくれた。
「…いつものボクてどんなん?」
「………え?」
「部下の危ないところを助けてくれる優しい隊長?ちょっと意地悪で、サボりぐせがあって、部下から怒られる頼りない隊長?」
市丸隊長はそう言って苦笑すると、ぽんぽんと私の頭をたたいた。
「ちゃんは、ほんまのボクを知らんやろ」
「…………っ?」
そう呟く市丸隊長は、何故かとても悲しそうで。私はまた、泣きそうになった。胸が痛い。そんな顔、しないで。
「…知ってます……」
「…………」
「すぐ仕事をサボるけど、でもその分、後でコッソリ仕事をしてるところも、意地悪で腹黒くても、ホントは凄く優しい人だって事も…私はそういう隊長が――――」
そこまで言って、言葉を切った。今、自分が何を言おうとしたのか驚いて、思わず息を呑む。一気に鼓動が早くなった。
「……腹黒いて…ヒドイなあ…」
市丸隊長は小さく噴出すと、困ったように微笑んだ。
そのいつもの優しい笑顔に、胸の痛みが和らいだのと同時に、ドクンと大きく鼓動が跳ねた。
――わ…たし……市丸隊長のこと……
抑えようのない感情が込み上げてきて、目の前の市丸隊長を見上げた。私を見つめる優しい瞳を見て涙が溢れる。それが静かに頬へと零れ落ちた。
市丸隊長は苦笑いを浮かべながら、
「あーあ…。泣き虫さんやな」
「…………す、すみませ…」
その声にハッとして、すぐに涙を拭おうとした。でも市丸隊長はその手をとめて、優しく指で拭いてくれる。
「そんな顔されたら……ボクの理性が吹っ飛ぶやん…」
「………っ?」
「ちゃんが心配してる事なら、ボクはもう気にしてへんし……泣かんといて」
「市丸…隊長……」
その声の優しさが胸に沁みて、泣いたらダメだと思うのに、涙が次から次に溢れてくる。ホっとしたから。誤解が解けたから?もう何でもいい。今は胸がいっぱいだ。
「あらら…ほんま泣き虫やな、ちゃんは」
宥めるように、私の頭を撫でてくれるその仕草に、隊長が泣かせてるんだよ、と心の中で呟いた――――