12章 / 恋月(3)




シロちゃんの誕生日から10日も過ぎた大晦日、瀞霊廷内では正月に向けて、どの隊も大忙しだった。
全員が隊舎の中を駆け回り、普段は出来ない場所を念入りに掃除して回るのだ。
通常なら30日までに済ませておくべきものだが、任務が重なり、どの隊も忙しかった事から、ギリギリ大晦日にやるハメになった。
私が所属する三番隊も同様で、今日は朝から隊舎全体が賑やかだった。

「ちょっと隊長!邪魔だからどいて下さい!掃除が出来ないじゃないですかっ」

自分の部屋を掃除していると、隣にある隊長の執務室から吉良副隊長の声が聞こえて来て、私はふと手を止めた。
足音を忍ばせ、僅かに開いている扉からこっそり覗くと、市丸隊長がソファに座り、呑気にお茶を飲んでいるのが見える。
その目の前にはハタキを持った吉良副隊長が、怖い顔で仁王立ちしていて、いつものように隊長にお説教しているようだ。
吉良副隊長の説教に混じって、時折聞こえてくる市丸隊長の言い訳めいた言葉に、私は小さく笑いを噛み殺した。

「…だいたい掃除なんてせぇへんでも綺麗やん?」
「それは普段から僕やくんがマメに掃除をしてるからです!でも今日は年に一度の大掃除の日なんですから隊長も協力してくれないと!」
「分かってるけど何からしてええんか分からへんねんもん」
「自分の机を拭くとか、周りの床を雑巾がけするとか、色々あるでしょう!じゃないと明日の正月まで長引いちゃいますよ!」
「えぇぇぇ…。隊長が雑巾がけてありなん?ボクの白魚のような手ぇが荒れてまうやんかー」
「……………ッ!(言葉にならない怒り)」

まるで大人と子供のような、そのやり取りを聞きながら、とうとう耐え切れず、ぷっと吹き出す。
その瞬間、吉良副隊長がくるりとこっちへ振り返った。

くん…。笑ってないで君からも何とか言ってくれないか」
「は、はあ…」

覗いてたのを見つかり、私は頭をかきながら執務室へと入って行った。
といって私の立場で、隊長に雑巾がけをしろ、とは言いにくい。いや、今も縋るように私を見ている市丸隊長を見てしまうと、つい――――

「あ、あの…雑巾がけは私がやります。ついでですから」

なんて言葉が口から飛び出し、ちょうど手に持っていた雑巾を上げてみせる。
自分の部屋を掃除するのも、隊長の部屋を掃除するのも大した差はない。
なのに吉良副隊長は明らかに目を吊り上げ、「何言ってるんだ」と言いたげに、歩いて来た。(ちょっと怖い)

くんがそうやって甘やかすから、市丸隊長もまた甘えるんだよ?分かってる?」
「え?あ…でも私の方はだいたい終わりましたし――」
「だからって隊長を遊ばせとくのは僕は感心しない。年一度、自分の部屋くらい掃除させなきゃダメじゃないか」
「はあ…」

何で私まで説教されてるんだろう、と思いつつ、困っていると、市丸隊長が苦笑いしながら立ち上がった。

「イヅル…ちゃんはちゃんとやってはるんやから、怒ったら可哀想や――――」
「なら隊長もちゃんとやってくれるんですね?!」
「…う」

ジロっと睨む吉良副隊長に、市丸隊長も怯んだように後ずさる。それでも溜息交じりに頭をかくと、「分かったて」と渋々ながら頷いた。

「ああ、ちゃん、ソレ貸して」
「へ?」

返事をする間もなく、手から雑巾が奪われていき、私は目を丸くした。市丸隊長はその雑巾で机周りを拭きだしたからだ。

「ちょ、隊長?そんなの私が――――」
「ええて。ちゃんにやらせたら、まーたイヅルに怒られるし」
「当然です」

吉良副隊長は、やっと仕事(?)をし始めた隊長を満足げに見ながら、手伝おうとした私を怖い顔で見た。

くんは自分の部屋の掃除が終わったなら、ここの窓を拭いてくれるかな。僕は足りなくなった洗剤を十二番隊でもらってくるから」
「わ、分かりました」

吉良副隊長から乾いた雑巾を受け取ると、彼は「くれぐれも隊長の仕事を取らないように」と釘を刺し、執務室を出て行く。
自分がいない間にズルしないように、との事なんだろう。それを聞いていた市丸隊長は苦笑いを浮かべ、屈めていた腰を伸ばした。

「全く信用ないねんなぁ」
「…いつも隊長がサボってるからですよー」

笑いながら残り少ない洗剤を手に、窓の方へ向かう。
今の時期は雨の汚れはないものの、結露でガラスも濁ってくるからマメに拭かないといけない。

「何や、ちゃんまで人のこと、サボり魔みたいに」
「だって目を離すとすぐ抜け出すじゃないですか」

不満気な口調の市丸隊長に苦笑しながらも、洗剤を窓にかけて全体を念入りに拭いていった。

「…後は上か」

窓の上部を見上げながら軽く息をつく。私の身長では届かないので、使ってない椅子を窓の下に運び、その上に乗る。
それを見て後ろで机を拭いていた隊長は、驚いたように「大丈夫なん?」と心配そうに歩いて来た。

「ボクがやったげよか?」
「大丈夫です、これくらい」
「でも危ないし――」
「こっちより隊長は他のとこ拭いてください。吉良副隊長が戻ってきたら、また怒られますから」

こんな事くらいで隊長の手を煩わせるわけにはいかない、と、私は思い切り手を伸ばした。
それでも、この窓は思っていたよりも高く、ギリギリ枠までは届かない。
そこで少しだけ背伸びをした。その時――乗っていた椅子がガタガタっと音を立て、危ないと思った時にはゆっくりと体が傾いていた。

「きゃ――」
ちゃん?!」

床に叩きつけられる――――と覚悟をした瞬間、市丸隊長の声が聞こえ、次の瞬間、何かが私の体を後ろから受け止めた。

「…あれ?」
「大丈夫やった?」
「―――――」

その声に顔を上げると、市丸隊長が苦笑いを浮かべているのが視界に入り、驚いた。
どうやら隊長が私の体を両手で受け止めてくれたらしい。後ろから抱きしめるように支えられてると気づき、私は慌てて隊長から離れた。

「す、すみません、私…っ」
「せやから言うたやん。危ないて…。ここはボクがやるから」

市丸隊長は苦笑交じりで私の頭を撫でると、窓の上部を丁寧に拭き始めた。
私じゃ届かなかった場所が、隊長は椅子を使わずとも、そのままで届く。それを見て、やっぱり身長高いんだ、と改めて思う。

(いけない、いけない…。私も手伝わなくちゃ)

ボケっとはしてられない、と隊長がさっきまで拭いていた机の上を片付けようと手を伸ばす。
その時、右ひじの辺りがズキっとして、顔を顰めた。

「痛…」
「…どないしたん?あ〜擦りむいてるやんか」

窓を拭き終わった隊長が歩いてきて、私の肘を見ると、困ったように息をついた。
どうやら椅子から落ちて隊長に受け止められた時、肘だけ机の角にぶつけていたようだ。
落ちると思った驚きで、全く気づかなかった。

「血が滲んでるし、バンソウコウもらってきたるわ」
「え?あ、いいです!自分で――――」
「ええって。トイレ行くついでやし。ちゃんは休憩しとき」

優しい笑顔を浮かべ、私の頭を軽く叩くと、市丸隊長はサッサと執務室を出て行ってしまった。
ドアが閉じたのを見た瞬間、一気に緊張が解け、隊長の椅子へと腰を下ろし、溜息をつく。
意識するまいと思えば思うほど、二人きりでいると息苦しくなるのだ。

「はあぁ…大丈夫かな、こんなんで」

そうボヤきながら、ふと机の上に飾ってある花を見る。そこにはクリスマスローズが飾られていて、ふんわりといい香りが漂っていた。
以前までは私が毎日色んな花を花瓶に飾っていたが、ここ最近は市丸隊長が、自分の庭から持ってくるのだ。
急にどうしたんですか?と一度尋ねた時、「これちゃん好きや言うてたから」という、言葉が返って来て、内心凄く嬉しかった。

「…私の為に…飾ってくれてるのかな…。なんて自惚れすぎか。クリスマスローズは隊長も好きな花だもんね」

指先で花弁をつつき、苦笑を漏らす。

この花を見ていると、あの夜の事を思い出した。自分の気持ちに気づいてしまった、あの夜の事を――――










「…クリスマスローズ…?」

黙って泣いている私の頭を撫でていた市丸隊長が、ふと呟いた。
私がゆっくりと顔を上げると、隊長の手が、私の手からその花を奪っていく。

「どうしたん?これ…」

怪訝そうな顔で市丸隊長は私を見た。
その問いに慌てて涙を拭くと、どう応えようかと視線を泳がせる。

「え…っと…もらったんです…」
「誰に…?」

間髪入れず聞かれて、私は一瞬迷ったが、「朽木隊長に…」と素直に答えた。
市丸隊長は意外そうな顔をして、それからもう一度クリスマスローズに視線を向ける。

「六番隊長さんに…って、いつもらったん?」
「あ…さっき…。実は今日、シロ…日番谷隊長の誕生日で、そのお祝いをするのに朽木隊長のお屋敷を借りていて…」

他に阿散井くんの事も簡単に事情を説明すると、市丸隊長は苦笑いを浮かべながら、その綺麗な手で口元を覆った。

「よお許してくれはったな?あの六番隊長さんが」
「……渋々…みたいでしたけど」
「それで…ちゃんにこの花を?」
「あ…私が庭で見てたからだと思います…。市丸隊長の庭先にも咲いてたなぁと思って…」
「…ふーん…」

市丸隊長は僅かに目を細めると、その花を私の髪へと飾った。

「い、市丸隊長…?」
「欲しいならボクがあげたのに」
「…え?」
「他の隊長さんから花もらうなんて何や妬けるわ」
「な、何言って……」
「なんて…こんなんばっか言うからアカンのか」

市丸隊長は赤くなった私を見ると、そう言って笑った。
その笑顔はいつもの隊長と変わらず、それが見れただけで先ほどまでの沈んだ気持ちが軽くなる。
さっきまでは、もう私に笑いかけてはくれないんじゃないかって思ってたから。

(…私…やっぱり隊長の事が…)

先ほど気づいた気持ちに戸惑いながら、目の前の市丸隊長を見上げると優しい眼差しの隊長と目が合う。
何となく気恥ずかしくなった私は、慌てて視線を反らした。

「あ…っと…私も何か手伝います」

ふと机の上に重ねられている書類の山を見て言うと、市丸隊長は苦笑いを浮かべた。

「それより…そろそろ戻った方がええんちゃうの?」
「え?」
「今日は十番隊長さんと阿散井くんのお祝い事やろ。抜け出して来たんバレたら、みんな心配しはるで」
「あ…そっか…」

知らないうちに舞い上がってたのか、その事をすっかり忘れていた。
確かに抜け出したのは乱菊さんにも見られてるし、あまり遅くなれば心配するだろう。
どこに行ってたのかと問われれば、私としても困ってしまう。

「…そうですね。でもお一人で大丈夫ですか?あれを今からやるのは時間が…」
「別に急ぎの仕事とちゃうし大丈夫や。ボクも適当に切り上げるし」
「…なら…いいですけど。あまり無理はしないで下さいね」

いつものように部下らしく言えば、市丸隊長は「はいはい」と言いながら笑っている。
その笑顔を見ていると、胸の奥がざわつくような感覚に襲われた。
今までにも何度か、こういう感じになった事はある。その時は理由が分からなかった。けど、今ならはっきりと分かる。

「どないしたん?ボーっとして」
「…いえ…。じゃあ…私は戻ります。隊長も早めにお休みになって下さいね」

自分の心の変化に気づかれないよう、部下らしい台詞を口にすると、市丸隊長が「分かってるて」と苦笑交じりで私の頭を優しく撫でる。
市丸隊長の大きな手はスラリと長い指が本当に綺麗だ。その指先が私の髪をゆっくりと梳くように、動く。

「あんまし飲みすぎたらアカンよ…また明日な」

たったそれだけで、髪に触れられただけで、全身が熱を持ったように熱くなった。
自分がこんなにも、市丸隊長を意識していた事を改めて気づかされた気がして、軽く頭を下げると、すぐに執務室から出る。
小走りに隊舎を飛び出すと、外の冷たい空気が火照った頬に心地良かった。

「はあ…気持ちいい…」

振り返ると、執務室からは明かりが洩れている。そこに見える影にすら鼓動が早くなって、私は一気に駆け出した。

(変に…思われなかったかな…急に泣いたりして…)

でも自分の気持ちに気づいた時には、あの感情の昂ぶりを止めることは出来なかった。
こんな想いを隊長に抱くなんて、いけない事だと思いながらも、その思い以上に溢れてくる初めての感情は自分でもどうしようも出来ない。

「…ダメだよ、こんなんじゃ…」

息が切れて立ち止まると、自然と口から零れた。
自分の隊の隊長を、一人の異性として好きだなんて、とてもじゃないけど誰にも言えない。
彼に憧れている死神は沢山いるけど、憧れと好きでは、全く意味が違うのだ。
誰かを好きになると、こんなにも胸の奥が痛いなんて…知らなかった。

「…バカだな、私は…」

再び泣きそうになるのを堪えながら、ぼやけた月を見上げる。

その丸い影も、どこか寂しげに見えて溜息をつくと、それは白い吐息となって夜空へと舞い上がった――――










心配していた隊長の態度も、あの次の日からまた以前と変わりないものに戻っていて、私は内心ホっとしていた。
でも私の方がもしかしたら、少しぎこちない態度になっていたかもしれない。
隊長として見ていた頃とは少し違い、顔を合わせるたびに、好きだと感じてしまう。
さっきのように急に吉良副隊長がいなくなる時は、いつもみたいに軽口を叩いていないと、市丸隊長と二人きりという状況はどうしても意識してしまうのだ。
それでも自分の気持ちに気づいたからといって、私が三番隊の五席という事に変わりはない。
隊長の為、隊の為に自分が何か役立てるなら、私はそっちの方がいい。この想いを告げる必要もないと思っていた。

「――あれ?市丸隊長は?」

そこへ洗剤を取りに行っていた吉良副隊長が戻ってきた。そして目ざとく隊長の不在に気づき、怖い顔で私を見る。

「まさかサボりに――――」
「違、違うんです。あの…私が怪我しちゃったんで、バンソウコウを取りに…私は自分で行くって言ったんですけど…」
「怪我?どうしたの?」

吉良副隊長も驚いたように歩いて来たが、私の肘を見て顔を顰めた。

「あー血が滲んでる…」
「す、すみません。ドジで椅子から落ちちゃって。あ、でも隊長が助けてくれたんですけど、ここだけぶつけたみたいです」
「相当強くぶつけたね。擦りむいてるし――――ああ、隊長」

ドアの開く音で吉良副隊長が振り返ると、市丸隊長が入って来た。

「何やイヅル。もう戻ってきたん?」
「……隊長こそ、サボりに行ったのかと思いましたよ」
「また人聞きの悪い…。ちゃんが怪我したから、こうしてバンソウコウをもらいに、はるばる四番隊まで行ってきたのに」

市丸隊長は苦笑しつつ、歩いてくると、私の手を引き、ソファに座らせた。

「あ、あの」
「ついでに、これ借りてきてん」

驚いて顔を見れば、隊長はその手に持っていた消毒液で、擦り切れた場所を拭いてくれる。
その行為に、勝手に早まる鼓動が、隊長に聞こえたらどうしよう、と頭の隅で思った。

「全く…隊長はくんの事になると、フットワーク軽くなるんだから」
「当たり前や。可愛い子のためならっちゅーやろ」
「た、隊長…ふざけないで下さい。もう自分でやりますから――――」

二人の会話も恥ずかしくて、つかまれている手を引きかけた。
市丸隊長はそれでも離してくれず、「ボクに任せてぇな」と笑いながら、傷口にバンソウコウを貼ってくれる。
その優しさで、心臓が痛くなるのに、と心の中で呟いた。


「――――結構、片付きましたね」

掃除を終えた執務室をぐるりと見渡し、吉良副隊長は満足そうに言った。
窓も床も拭き、本棚や机なども、きちんと整理をしたからか、これまで雑多だった部屋も案外スッキリして見える。

「はぁぁ疲れたぁ…。もう一ミクロンも動かへんで」
「また、そんなこと言って…」

ソファにグッタリと寝転びながら、クッションを抱きしめている市丸隊長に、吉良副隊長も苦笑いを零す。
朝から掃除をしていたのだから、隊長も疲れたんだろうと、私はすぐに熱いお茶を淹れてテーブルへと置く。
ついでに今朝、買ってきたものを出すと、子供のようにクッションを抱きしめウダウダしていた隊長は、驚いたように体を起こした。

「これ…」
「隊長、好きなんですよね、渋柿。今朝、売ってるの見つけたんで買ってきました。隊長が作る奴よりは美味しくないかもしれないけど…」
「いや…ほんまに?ありがとう。めっちゃ嬉しいわぁ」
「掃除で疲れた後は甘いものが食べたいだろうなと思って。あ、吉良副隊長には酒饅頭、買って来ました」
「え、僕にも?ありがとう、さん」

吉良副隊長にもお茶を出しながら、酒饅頭をお皿に取り分けると、彼は嬉しそうな顔で反対側のソファに腰をかけた。
市丸隊長も少しは元気が出てきたのか、お茶を飲みながら美味しそうに渋柿を口へ運ぶ。
その嬉しそうな顔を見ていると、私まで何だか嬉しくて、大掃除の疲れも吹き飛んでしまいそうだ。

「ほんま気が利くなあ、ちゃんは。どっかの口うるさい副隊長とはちごて」
「…へえ。誰でしょうね、その気が利かなくて口うるさい副隊長って」
「何やイヅル…自覚なかったん?」
「……ああ、やっぱり僕ですか。すみませんね。気が利かない割りに口うるさくて。それもこれもサボり癖のある隊長のせいなんですけど」
「…はて、誰の事やろなあ。サボり癖のある隊長て」
「隊長もぜっんぜん自覚ないみたいですね〜」
「………………」

皆でお茶を飲みながら和むはずが、何となく二人のせいで場の空気が悪くなる。
というより、この会話に私はどう絡めばいいんだろうと悩みつつ、無言のまま二人のお茶を淹れ直した。

「あれぇ、イヅル顔赤いでぇ。もしかして酒饅頭ごときで酔うてんのと違うー?」
「まっさか!饅頭で酔うわけないじゃないですか。こんなの、いくら食べても平気です、よ!…ひっく」(!)

そのしゃっくりで驚いて吉良副隊長を見れば、隊長が言うように何となく顔が赤い。
心なしか目も細くなっていて、私は溜息を着いた。

(乱菊さんてば…わざと教えたわね…)

大掃除後のお茶菓子を買いに行く際、乱菊さんに吉良副隊長の好物を聞きに行ったのが、そもそも間違いだったのかもしれない。

「吉良には酒饅頭がいいんじゃなーい?面白いし」
「面白い…?」
「ううん何でもないの。とりあえず吉良にはそれでいいんじゃないかしら。ギンはいつもので充分喜ぶと思うわ」

…なんて言ってたけど、乱菊さんはこうなるって最初から分かってたんだ。
まあ確かに吉良副隊長はお酒に強いわけじゃないが、まさか酒饅頭でも酔うなんて思ってもいなかった。
隊長もきっとそれを知っていたんだろう。今は楽しそうに、酔って絡んでくる吉良隊長をちゃかして遊んでいる。

「…隊長!そんなヘラヘラしてるから隊士達に示しがつかないんですよ〜!分かってまふ〜?」

パクパクと饅頭を次々に頬張りながら、吉良副隊長の目がどんどん据わっていくのを、隊長は「はいはい」と笑いながら見ている。
その光景は見てて微笑ましい気もするが、十番隊にいた頃とは間逆だなと思った。
いつも怒るのは隊長であるシロちゃんで、副隊長の乱菊さんがいつも笑って誤魔化している。
乱菊さんてば、まるで市丸隊長の女版だわ、とふと思った。

(そう言えば…二人はよく似てる…。飄々とした雰囲気も、笑って誤魔化す所も…)

幼馴染なのだから、ある程度は似てる部分もあるのかもしれない。でも私は何となく気にしてる自分に気づいて、溜息が洩れた。

ちゃん?どないしたん?急に元気なくなって…」
「え?あ、いえ…」
「そんなとこ突っ立ってないで、ちゃんも座って休めばええのに」

市丸隊長は優しい笑みを浮かべて、自分の隣に座るよう促してくれる。
でも何となく隣に座るのは照れ臭くて、私は誤魔化すように思いついた事をそのまま口にした。

「それより…軽く忘年会でもしませんか?私、お酒買って来ますから」
「忘年会?」
「吉良副隊長も、饅頭で酔っちゃったみたいだし…今日は大晦日だし」
「ボクはええけど…。ちゃんはええの?毎年十番隊・隊長さんや、十一番隊の皆と飲み会やってるんちゃう?」

そう言われて、あの騒がしい面々が頭に浮かんだが、すぐに笑って首を振った。

「いいんです。この前、朽木隊長のお屋敷で散々皆と飲んだから。それより三番隊に入って初めての忘年会は、やっぱり市丸隊長と…吉良副隊長も一緒にしたいなと思って」

思わず"市丸隊長と…"と言いかけて、慌てて誤魔化す。
市丸隊長はそんな私には気づかないように笑うと、未だに饅頭を食べてフラフラしている吉良副隊長を見た。

「そうやなあ…。この面子で忘年会するのも今後ないかもしれへんし…」
「え…やだ、大げさですよ、隊長。また来年だってあるじゃないですか」
「まあ…そうやけど…来年こそは十一番隊の皆にちゃんとられそうやろ」

苦笑気味に言う隊長の横顔はどこか寂しげで、私はハッとした。
市丸隊長は時々こんな顔をする事がある。その度に、私は得体の知れない不安で胸が苦しくなるのだ。

「ないですよ。来年も三番隊でやるんですから」
「そうそう〜。くんは三番隊だからね〜」
「…イヅル…酒飲む前に酔いすぎやん…」
「あ、じゃあ急いで買ってきますね」

酒饅頭ですっかり、いい気分の吉良副隊長に苦笑いしつつ、私は羽織を羽織って廊下に出た。
その時、「待ちぃな、ちゃん」と隊長が追いかけてくる。その手にはマフラーが握られていた。

「これ、して行き。雪降ってきてるし」
「え、雪?あ、ありがとう…御座います」

不意に市丸隊長が首にマフラーを巻きつけてくれた事で、思わず顔が赤くなったのを手で隠した。
ふわふわのマフラーからは、クリスマスローズのかすかな香りがして、それだけで隊長が近く感じる。

「ほんまはボクが行ってもええねんけど…酔っ払いのイヅルとちゃんを二人きりにさせるのも何や心配やしな」
「な…何言ってるんですか…。その前に隊長に買い物なんか行かせられませんから」
「そんな気を遣わんでええのに」

僅かに寂しげな顔をする隊長にドキっとしたが、すぐに目を反らした。

「隊長は隊長ですから気を遣って当然です」

自分に言い聞かせるように笑って言えば、市丸隊長も苦笑交じりで目を伏せる。
その表情は、やっぱりどこか寂しげで、私は振り切るように、「行って来ます」と歩き出した。

「…寒い…」

外に出ると、雪が深々と降っていて、私は首を窄めた。
昼間はあれほど賑やかだった隊舎も、今は全員が掃除を終えたのか、大晦日らしく静まり返っている。
今夜から実家に戻る隊士達も多く、正月休み中、隊舎に残るのは隊長と、そして流魂街に家のある私くらいだ。
吉良副隊長は、明日の朝には家に戻ると言っていたから、今夜は隊舎に泊まるつもりなんだろう。

(シロちゃんはまた乱菊さんに連れられて、更木隊長の家で忘年会かな…)

ふと幼馴染の事を思い出し、苦笑する。その忘年会に、去年までは私も参加をしていたのだ。
でも今年くらいは、三番隊として、隊長たちと一緒に過ごしたいと思っていた。

(でもホントは…市丸隊長ともう少しだけ一緒にいたいから…)

正月休みに入れば、会う理由もなくなる。
別に仕事だけじゃなく、他にも理由をつけようと思えば沢山あるのに、なかなかその一言が言えない。
"一緒に初詣に行きましょう"とか、"正月一人で食事は大丈夫ですか?"とか、言おうと思えばいくらだって思いつく。
でも言い出すタイミングもなければ、言った後にどう思われるか、とかが気になって、遂に大晦日になってしまった。

(そう…それに一隊士である私が、個人的な感情で隊長と会いたいなんて…思っちゃダメなんだ)

だからこそ忘年会くらいは、と思いつき言ってみたのだが、これはこれで良かったと思う。
隊長と大晦日を過ごせるだけでも幸せだ、と思いながら、雪が落ちてくる空を見上げる。
一年前の私は、まさか自分の隊の隊長に恋をする事など考えてもいなかったな、とふと思った。

「――――らっしゃい!」

隊舎から約10分ほど歩くと、賑やかな声と明かりが見えてきた。
大晦日には瀞霊廷内にも、正月用の品物が並ぶ市場が開かれる場所がある。
いつもの店に行くより、こっちの方が色々とツマミもありそうだ、と、私は威勢のいい声がする方へ歩き出した。
沢山並ぶ様々な店には、こんな時間にも関わらず結構な数のお客で賑わっている。

「いらっしゃい!何かお探しかい?」
「こんばんは。えっと…美味しい日本酒と…あと何かそれに合うおつまみありますか」

明るい笑顔のオジサンに尋ねると、オジサンはすぐに5本ほど取り繕ってくれた。
といっても一升瓶なので、私一人が持てるのは、せいぜい2本くらいだ。

「じゃあ、その大きいのを2本、下さい」
「あいよ!――姉ちゃんも忘年会かい?」
「はい、まあ」
「じゃあこの干物が今日は人気だよ!さっきも大勢、護廷十三隊の人たちが買って行ったからね」
「そ、そうですか。じゃあそれも――――」

そう言いかけた時、突然顔の真横にヌっと腕が伸びてきてギョっとした。

「おっちゃん、他にその甘味もちょーだい」
「―――――ッ?」

品物を指す細くて綺麗な指も、すぐ隣で聞こえた声も、私は知っている。

「い、市丸隊長?」
「ああ、この子と一緒やから袋も同じにしといて」

目を丸くして驚いてる私をよそに、市丸隊長は店のオジサンからちゃっかり品物を受け取っている。

「隊長さんが迎えに来てくれるなんて、隊に恵まれたね〜姉ちゃん」
「は?あ、いえ、あの――――」
「ほな帰ろか」

オジサンにからかわれ、戸惑う私の手を、市丸隊長は自然に繋いだ。
指先の冷たさが伝わって、ドキっとしたけど、今は隊長についていくだけで精一杯だ。

「あ、あの市丸隊長?どうしてここに…」
「おっちゃんも言うてたやん。やっぱり一人は心配やし迎えに来てん」
「え、で、でも吉良副隊長は――――」
「ああ、イヅルなら……」

そう言って立ち止まると、市丸隊長が私を見下ろした。目が合った瞬間ドキっとする。
降り続いている雪が、市丸隊長のサラサラの髪へ溶けていくのを見惚れている私に、彼は困ったように微笑んだ。

「お約束どおりというか…さっき乱菊が迎えに来て、十一番隊長さんの家に浚われて行きよった」
「え…っ」
「まあ、そんな気もしとったけど…。んで、待ってるからちゃん迎えに行ったらボクらも来いやて」
「……まさか…」
「そう、そのまさか、や」

市丸隊長は苦笑混じりで再び歩き出すと、繋いだままの手を、かすかに握り締めてきて、鼓動が一気に早くなった。

「どないするー?行くー?それとも知らん振りしといて、二人で飲むー?」
「…え…二人でって…」

その誘いに早くなった鼓動が、更に早くなっていく。
そんな私に気づかない隊長は、呑気に「無理、やろなぁ」なんて言って笑っている。

「どこで飲んでても乱菊には見つかりそうやわ」
「そ、そうですよ…。あのメンバーならどこに逃げても追いかけてきます。特にやちるちゃんなんかはホントにそういう時だけ鼻が利くと言うか…」
「ああ…分かる気するわぁ。ほな…行くしかないかぁ。この酒を手土産に」
「あ、その荷物、持ちますから――――」
「あ〜、ええて」

そこで隊長に荷物を持たせたままだと気づき、慌てて手を伸ばしたが、ひょいっとかわされた。

「こんなん女の子に持たせられへんよ。一升瓶は重たいし、ちゃんには似合わへん」
「はあ…(似合う似合わないってあるのかな…?)」

よく分からない説明に首を傾げていると、市丸隊長は「乱菊なら似合うけどな」と笑った。
今日はよく乱菊さんの話をするな、と何となく寂しくなったけど、そんな顔も出来ず、私も曖昧に笑う。

(…というかその前に…手、離して欲しい…)

ずっと繋がれたままの手が、少しづつ市丸隊長の体温で暖まっていくのを感じ、冷えてるはずの頬が熱くなる。
あまりに、自然に繋がられているから、余計に振りほどく雰囲気じゃなくて、ここで離した方が意識してるように見えるかな、と頭の中であれこれ考えた。
そっと隊長を見上げると、その横顔を見るだけで胸の奥が音を立てる。自分でも重症だと内心、驚きながら、繋がれている手に全神経が向いてしまう。
好きだと気づいてから、毎日少しづつその想いが増えていく気がして、余計に辛くなる。

「…この辺りも今日はさすがに静かやなあ」
「え?ああ…そうですね。どの隊舎も普段より人が少ないでしょうし…」

気づけば隊舎近くに戻ってきていて、辺りの静けさに雪の降る音までが聞こえてきそうだ。
さくさく、という雪を踏む音でさえ、緊張してしまう。

ちゃん、鼻が真っ赤やな」
「…た、隊長こそ…ほっぺが赤い…」

市丸隊長の口から白い吐息が上がるのを見て、かすかに笑う。
黙っていると緊張するから、こうして他愛もない話をしている方がいい。

「そう言えば…市丸隊長が皆と忘年会するのって珍しいですね」
「そやなぁ。いつもは一人寂しく家で寝てる方やし」
「…嘘ばっかり。どうせ綺麗な人と二人きりで年越しそばでも食べてるんじゃないですか」
「どうやったかなぁ?」

市丸隊長は苦笑しながらそんな事を言う。冗談で言った手前、私も笑って誤魔化したけど、少しだけ胸が痛かった。

「でもまあ…今年はちゃんもおるし、楽しい大晦日やわ」
「…私なんかでいーんですか?実は待ってる人がいるとか…」
「いてへんよ、そんな子。おったら大掃除なんかせんと、とっくに逃げてるて」

楽しげに笑うその横顔に、また一つ想いが増えていく。
もし、市丸隊長に恋人が出来たとしても、私には何も言う権利なんかないんだと思えば思うほど、馬鹿な恋をした、と後悔する。
報われない恋なんて、しても仕方ないのに、と思う自分もいる。

だけど、市丸隊長を好きになった事だけは、後悔していない私がいた――――









  
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