17章 / 月の行方(3)




梅雨入り間近のどんよりとした空模様で一日が始まった尸魂界の午後。
瀞霊廷内にある三番隊・隊舎は、突然の来訪者に驚き、ざわついていた。

「――――どけ!」

その人物は廊下をずんずんと先へ歩いて行き、ちょうど昼休憩から戻って来た隊士達はギョっとした顔で一斉に左右へと分かれる。
そしてその人物が目の前を通り過ぎる際、全員が深々と頭を下げた。

「「「「「――――お疲れ様です!」」」」」

しかしその人物は挨拶をする隊士達に目もくれず、真っすぐ執務室へと歩いて行き、ノックもそこそこにドアを思い切り開け放つ。

「おい、吉良!」
「……ひ、日番谷隊長?!」

予期せぬその突然の訪問に、昼ご飯である弁当を食べていた吉良は慌てて立ち上がった。
ついでに呑みこみ損ねた飯粒を喉に詰まらせ、軽く咽る。
だがその騒々しい客はお構いなしに歩いてくると、吉良の前に立ち、バンっと机の上へ両手を置いた。

「市丸の奴はどこだ」

十番隊・隊長である日番谷冬獅郎は、開口一番その名を口にし、その鋭い瞳で吉良を睨む。
その迫力やたるは、少年とはいえ、やはり隊長。怒りの霊圧をビリビリと肌で感じ、吉良は一気に顔が青くなった。

「い、市丸隊長は今日から休暇で―――――」
「休暇だと?っつーか俺が聞きたいのはをどこへやったかって事だっ」
「あ…くん…ですか…」
「朝早くにと市丸の奴が一緒にいたのを、うちの松本が見てる。いーから答えろ。をどこへ連れて行ったっ?」

更に眼光が強くなり、吉良は冷や汗が浮かんできたが、そこは副隊長。何とか笑顔を見せると、

「二人が一緒なのは間違いないです。市丸隊長がくんを連れだして――――」
「…何?あんな状態のを一体どこへ連れてくってんだよ?しかも休暇中の隊長が部下を連れだしたなんて聞いたことねぇぞっ」
「い、いや、あんな状態だから寧ろ連れだしたというか…」
「ふざけんなっ!は―――――」

「あーー!やっぱり隊長、ここにいたぁー!」

冬獅郎が再び怒鳴ろうとした瞬間、入口の方から能天気な声が響いて来て、冬獅郎はギョっとしたように振り向いた。

「松本…!」
「もぉー執務室、飛び出してくから驚いちゃいましたよ〜。――――あ、吉良、お疲れー。ごめんねーうちの隊長がお騒がせしちゃって」
「…松本さん…」

十番隊・副隊長である松本乱菊がいつものように明るく入ってくるのを見て、吉良はひとまず助かった、と安堵の息を漏らす。
だが冬獅郎だけは不満げに目を細めると、「何しに来た」と溜息をついた。

「何しに来た、じゃないですよ。三番隊に殴り込みだなんて」
「殴りこみに来たわけじゃねえ!俺はただ――――」
「廊下に隊長の殺気混じりの霊圧が漂いまくってて、三番隊の隊士さんもみんなビビってましたよー?」

どこまでも能天気に笑う乱菊に、冬獅郎も怒りの熱が冷めて来たのか、思い切り息を吐きだした。
冬獅郎の様子に気付いた吉良も苦笑いを浮かべると、

「…あ、あの。立ち話もなんですから、どうぞ座って下さい、日番谷隊長。松本さんも。ね?」

机の上を片付け、二人にソファを勧めた吉良は、手早くお茶を淹れると、それを二人の前に置いた。

「ごめんねー吉良。朝、二人を見かけた事、隊長にチラっと話したら凄い勢いで飛び出しちゃって――――」
「松本!余計な事はいい。それより――――市丸はをどこに連れて行ったんだ?」

早く本題に入りたいのか、冬獅郎は身を乗り出し、お茶にも手をつけず吉良を問い詰めた。
それを隣で見ていた乱菊は、苦笑交じりで肩を竦め、淹れたてのお茶を口に運ぶ。それはギンが好んで飲んでいる茶葉だとすぐに気付いた。

「えっと…僕も詳しくは聞いてないんです。ただ…彼女がゆっくり出来る場所へ行く、としか――――」
「何?お前、副隊長だろう?なのに何で隊長の行き先すら知らねえんだっ」
「ちょっと隊長!吉良を責めちゃ可哀想でしょう?ちゃんも今は三番隊の隊士であって、今回の事は市丸隊長が決めた事なんだし…」
「……分かってる!分かってるが俺に一言くらい――――」
「いえそれが…市丸隊長もくんには内緒で連れだしたと言うか…。ボクも夕べ聞いたばかりで」

吉良は困ったように頭を掻くと、事の経緯を冬獅郎に説明した。(ギンのとばっちりは被りたくない)

「…で、身心ともに参ってるクセに、死んでいった仲間の為に休んでられないって理由で休暇を取りたがらないを犬の散歩と騙して連れてったと…そう言う事か?」
「ええ、まあ…」
「ふん…。事前に休暇届けまで出して…やることなす事、用意周到だな…市丸は」

冬獅郎はそこで深い息を吐くと、窓の外へ目を向けた。どんよりとした曇り空からは今にも雨が降り出しそうだ。

「だからって…俺に一言くらい説明すんのが筋ってもんだろ。あの後からをずっと傍で面倒みてきたんだ」

未だ不満げに目を細め、冬獅郎はソファへと寄りかかった。
あの事件以来、を一人にするのが心配だった冬獅郎は異例ではあるが、しばらく自分の家に彼女を泊らせていたのだ。
当然、もう一人の幼馴染である五番隊・副隊長の雛森桃もしょっちゅうの様子を見に行っていた。

「それが犬の散歩に行くつったきり戻らねえ…。何かあったのかと探しながら隊舎に来たら、松本が朝早くに市丸と一緒のを見かけたって言う。そう聞けば怒鳴りこみたくなるのも分かるだろうが」

冬獅郎は吐き捨てるように言うと、背もたれに頭を乗せて息を吐いた。朝から探し回ったのか、冬獅郎も疲れているようだ。
その姿を見ると、吉良もこんな状況になった事を申し訳なく思ったが、ギンも悪気があってを連れだしたわけじゃない。
それに吉良自身も今回の休暇は必要だと感じていた為、ギンの言いだした話に賛成したのだ。(その分、仕事は2倍になったが)(!)

「申し訳ありません、日番谷隊長…。でも事前にバレるとくんが頑なに休暇を拒否すると思ったから市丸隊長は―――――」
「……もういい。分かった…」

冬獅郎はそこで初めて出されたお茶に口をつけ、ホッとしたように息を吐きだした。

「連れだした経緯はどうであれ…市丸の奴もの事を考えての行動だろう」
「…はい。この環境にいればくんはどうしても無理をしてしまいますからね」
「そうだな…。それも俺達、周りの奴らが腫れものを触るみたいに接する事で余計に心配かけまいと無理をしているように見えた…」
「ええ。市丸隊長はそれを懸念して…今回の休暇を考えたみたいです。――――多分、どこかの温泉に行かれたのだと思いますよ」
が気兼ねなくノンビリ過ごせるように、か…」

吉良の言葉に冬獅郎は深い溜息を一つ吐いて、ゆっくりと立ちあがった。
自分が過保護に接したせいでに更なる罪悪感を植え付けていたのでは、と思うと、やはり胸が痛む。

「…で、市丸はいつ戻る予定だ?」
「一応、休暇の予定は一週間〜二週間内という事でした。くんの様子を見て、その後はどうなるか分かりませんが…」
「そうか…。お前も大変だな、吉良」
「いえ…。今時期はそう忙しくもないですし…市丸隊長不在の間は僕もノンビリ過ごさせてもらいますよ」
「そうだな。でも何か困った事があれば俺に言え。出来る事なら手伝うぜ」
「ありがとう御座います」
「じゃあ、もし戻ってきたら教えてくれ」

冬獅郎はそう言って執務室のドアを開けた。が、ふと振り返り、未だ呑気にお茶を飲んでいる乱菊を見た。

「松本はこのまま休憩に入っていいぞ。昼飯食ってないだろ」
「そのつもりで実はお弁当持参してまーす」

言いながら乱菊は横に置いていた袋を摘まみ上げる。それには冬獅郎も苦笑交じりで肩を竦めると、そのまま執務室を出て行った。

「はあ…。一時はどうなる事かと思いましたよ」

冬獅郎が出て行ったあと、吉良が深々と息を吐きだす。
やはり副隊長と言えど、隊長格にあれだけの迫力で迫られれば生きた心地はしない。
それもこれも全て勝手に決めて休暇を取った市丸隊長のせいだ、と内心思いつつ、昼食の続きをとろうと自分の席へ戻る。
そこでふと乱菊へ目を向けた。

「あれ、松本さん、ここで食べるんですか?」
「ついでだしねえ。いいでしょ?」
「まあ僕はいいですけど…。あ、お茶淹れますね」

吉良はそう言ってお茶を淹れなおすと、乱菊の前に置いた。

「サンキュー。悪いわね」
「いえ。僕も一人で食事は味気ないですし」

持参してきた弁当を広げる乱菊を見ながら吉良は笑うと、自分も食事を始めた。
乱菊は、いただきまーすと声を上げ、さっそく弁当のおかずに箸を伸ばす。

「でもギンも思い切った事したわよねえ。まさかちゃんを騙して連れだすなんて」

お弁当を食べながら、乱菊がふと口を開く。吉良も苦笑しながら、「そうですね」と肩を竦めた。

「僕も夕べ聞いた時は驚きましたけど、彼女の為にはその方がいいのかな、と…」

吉良は小さく息を吐き、

「…くんは腕の傷だけ、四番隊の治療を拒んだ。あの日の事を忘れない為に…」
「自分だけ助かってしまったという罪悪感…"戒め"のつもりなのね…。それだけ参ってるって事よ…」
「はい。それが分かるだけに、どうしても普段のように接する事が出来なくて。それが返って彼女には辛かったのかもしれない」
「…そうね。うちの隊長もあんな態度で乗り込んでは来たけど…自分が過剰に心配しすぎてちゃんが余計に気にするんじゃないかと悩んではいたのよ」

そう言いながら、乱菊はふと窓の外に見えるどんよりとした空を見上げた。

「……もしかしたらギンが一番…彼女の気持ちを理解してたのかもね」
「え?何か言いましたか?」

ポツリと呟く乱菊に、吉良はご飯を頬張りながら顔を上げる。

「…何でもない」

苦笑交じりで首を振る乱菊に、吉良も軽く首を傾げると、「そう言えば…」と思いだしたように言ってお茶を一口飲んだ。

「先日、阿散井くんから聞いたんですけど…。十三隊の朽木女史が現世で行方不明になったって話、聞きました?」
「え、朽木ってもしかして朽木隊長の…」
「義理の妹さんです。阿散井くんの幼馴染でもある…」
「朽木さんなら知ってるわ。え、彼女が行方不明?」
「はい。現世の空座町という町に任務で担当についてたんですけど、急に連絡が途絶えたようで」
「途絶えたって…そんなもの探せるでしょう?」
「いえそれが…彼女の霊圧が感知出来なくなったみたいですよ。もし虚にやられたんだとしても霊圧で分かりますけど…」
「それも感知出来ないって事?そんな事あるの?いくら何でも現世で行方不明だなんて…」

吉良の話に乱菊も訝しげに眉をひそめる。
これまでずっと死神が任務として現世での虚退治に出向いていたが、霊圧も探れず行方不明になったなんて一度も聞いた事がない。

「十二番隊が今、色々と調べているみたいですけど…阿散井くんは凄く心配してて」
「そりゃそうよね…。幼馴染なら…。でもじゃ…朽木隊長は…」
「今のとこ、そう慌ててる様子ではないって阿散井くんが言ってましたけど、朽木隊長の事なんで心の中では心配されてると思いますよ」
「そう…早く見つかるといいわね」

その時、とうとう曇った空から雨がポツリポツリと降り出してきて、乱菊は溜息をつきながらそれを見上げた。
少しづつではあるが、いつもとは違う尸魂界。乱菊の心の中で、ふと予感めいたものがざわつく。

(何だろう…。何か起こりそうな…何か得体のしれないものが近づいてくるような、そんな感じ…)

何も起こらなきゃいいけど…、と思いながら、今は主のいない机を見る。

その上には、持ち主に忘れ去られたかのように、隊長専用のハンコがポツンと転がっていた。














気まずい空気の中、はギンと向かい合いながら食事をしていた。
先ほどの嵐のような騒ぎから一転。今は座敷もシーンと静まり返っている。
この座敷へ乱入して来た若女将の桜子は、紅子が何とか離れから連れだしてくれたが、残された二人の間に会話はなく。
ギンも何から説明しようか悩んでいるようだった。
その時、ギンのお猪口が空になったのを見て、が無言のまま、お酒を注いだ。

「お、おおきに…」
「…いえ」
「あ、あんなぁ、ちゃん」

これを機会に、とギンが口を開けば、は表情を変えないまま、「私に言い訳とか必要ないですよ」と一言、呟いた。
その反応にギンも困ったように頭を掻くと、「言い訳ちゃうねん」と苦笑いを浮かべる。

「ボクはただ説明しよう思て…」
「何をですか?あの若女将の言ってた事ですか?」
「…そない怖い顔せんでもええやん…」
「してません。これが普通ですから」

はそう言いながら箸を置くと、「ご馳走様でした」と軽く頭を下げた。
ギンは溜息一つ、つくと自分もお猪口を置き、真っすぐを見つめる。

「もう食べへんの?」
「…お腹いっぱいです」
「ほな少し話しよか」
「だから説明とかは――――」
「ええから聞いて」

慌てたように顔を上げるに、ギンは静かに言った。
いつもとは違うギンの真面目な様子に、も落ちつかないように目を伏せる。
誰でも好きな相手の、過去の恋話など聞きたくもない。は膝の上で強く手を握りしめた。
ギンは自分を見ようとはしないの姿に、苦笑交じりで息を吐くと、

「桜子とは…何でもないねん」
「……っ」

その一言に弾かれたように顔を上げたに、ギンは優しく微笑んだ。

「あれは桜子が話に尾ひれつけて話してるだけや」
「え、だって、桜子さんは市丸隊長に弄ばれて捨てられたって……」
「せやからボクは桜子を弄んでへんし、まして肉体関係なんてないねん」
「…う、嘘ですよ、そんなの。本当にないなら彼女があんなこと言うはずないじゃないですか」

桜子は先ほど"ギンが自分に手をつけたにも関わらず、最後には会いにも来なくなった"と散々怒って騒いでいたのだ。
その話を聞いた時は少なからずもショックを受けた。
でも自分にギンを責める資格はない。といって普通に接する事も出来ず、可愛くない態度を取ってしまっている。
しかし部下として、隊長の無責任な行為を怒るくらいは許してもらいたかった。
ギンもがそれで怒っていると思っているようだ。

「あんなぁ。ボクは桜子がちっさい頃から見てんねんで?そんな彼女を女として見られるわけないやろ」
「じゃあ…彼女はどうしてあんな事を言うんですか…?」
「それは…」

の問いにギンは頭をガシガシ掻くと、小さく息をついた。

「…あいつが怒ってるのは逆やからやねん」
「…逆?」
「そ。ボクが…桜子に手ぇ出さへんかったからや」
「……え?」

ギンの一言に、は大きな目をパチクリとさせた。
そんなに苦笑いしながらも、ギンは酒を一口飲むと、昔を思い出すように庭先へと視線を向ける。
縁側では仔犬のギン太が未だ気持ちよさそうに眠っていた。

「あれは…50年以上前やったか。正月に泊りに来た時、桜子から急に好きやー言われてなあ」
「…桜子さんから…?」
「そや。まだまだ子供や思てた桜子から、そんなん言われて、さすがにボクも驚いたわ」
「で、市丸隊長は何て答えたんですか…?」
「もちろん本心言うたで。"女として見られへん"てな。それに藍染隊長が懇意にしてはる女将の一人娘や。軽く扱うわけにもいかへんやろ」

ギンは言いながら僅かに肩を竦めた。

「ほんでも桜子かて、あの性格や。簡単に引き下がらへんし、散々ゴネて大変やったわ。そこで"ほな、どうしたら諦める?"聞いてん」
「…え、そんなこと聞いたんですか?」
「せやかて、どうしたらいいか分からんしなぁ。桜子も年頃やったし何とか傷つけずに言い聞かせよう思てん」
「で、彼女は隊長に何て言ったんですか…?」

内心ドキドキしたが、そこは顔に出さずが尋ねると、ギンは苦笑しながら溜息をついた。

「"一晩だけでええからギンちゃんの女にして"言うてな。大胆やろ」
「………っ」

その話に一瞬で真っ赤になったを見て、ギンは軽く笑みを零した。

「そ、そ、それで隊長は――――」
「さっきも言うたやん。女として見られへんゆう前に紅ちゃんの大事な一人娘や。手なんか出せるかいな」
「じゃあ……」
「それは出来ひん言うたで?で、また散々ゴネて…それでもボクがあかん出来ひん言うてたら…最後に"ほな、せめてキスして"言うてきて……」
「………っ」

そこで初めてギンが気まずそうに鼻の頭を指で掻き始め、その様子には「まさか…」と目を細めた。

「…いやまあ…キスくらいならー思て……」
「…最低っ」
「いや最低て…!」

思わず口走ったの一言に、ギンはショックを隠しきれず悲しそうな顔をする。
はそんなギンを軽く睨みつつ、

「すみません…。一応隊長なのに失礼な言い方して…」
「いや、一応て!」

更に追い打ちをかけるの一言に、ギンはますます落ち込んでいく。

「ひどいなあ…ちゃんは……。ボクかて、これで結構頑張ってるのに"一応"て…」
「え、あ、いや…あの市丸隊長…?」

ガックリ項垂れた状態でブツブツ言いだしたギンに、怒っていたはずのも多少ギョっとした。
しかも何気に本題からズレている。

「…そらサボる事も多かったかもしれへんけど、最後は毎回徹夜で頑張ったやん…?」
「…は、はい。それはもう…」
「せやのにちゃんはちぃーともボクの事、認めてくれてへんかったんや…何や空しなったわ…」
「い、いえ認めてないとか言ってないっていうか――――」
「同じ事やん…?どうせボクは"一応"隊長ってなポジションやねん…。市丸隊長やなしに"一応隊長"さんやねん」
「な、何でそこくっつけるんですか…っ私はただ安易にキスとかしちゃう隊長に嫌味で言っただけで別に本気でそう思ってるわけじゃ――――」

と、そこまで言ったはふと言葉を切って、未だ目の前で項垂れているギンを見る。
これまでも似たような展開があった事を思い出したのだ。だいたいギンがこんな具合でスネだしたりした場合は―――――

「隊長…何気に話、誤魔化してません?」
「―――――」

の一言に項垂れていたギンの肩がピクリと動く。
その僅かな反応に気付いたが思い切り目を細めると、ギンはゆっくりと顔を上げ、「バレてもーた?」と笑った。

「当然です。何度も同じ手には引っ掛かりません」
「さすがちゃん!ボクのこと分かってはるわぁ」
「…もう!こっちは本気で気にしてたのに…」
「ボクも半分本気でへこんでてんけどなあ」
「…それは…謝りますけど」

呆れつつもそう言いながらが笑うと、ギンも困ったような笑みを浮かべた。

「…まあでもちゃんの言うた通り…桜子には最低な事してもーたんかもなぁ」
「…あ、あれは――――」
「諦めるー言われて、あんな事して…せやけど結局、桜子も"やっぱり一晩付き合うてくれな諦めへん"言いだしてん」
「……え…?」
「紅ちゃんには"中途半端にえげつない事して無責任やー"言うて怒られて、せやから、ここにも顔出しづらなって…。まあ自業自得やねんけど」
「じゃあ、どうして今日はここに…?」

「――――それはさんを休ませる為どす」

「…女将さん…っ?」

ギンが答えるより先に聞こえたその声に驚いて振り向けば、そこには女将の紅子が苦笑いを浮かべ座っていた。

「さっきは娘がえろう失礼して…すんまへんどしたなぁ。堪忍どすえ」
「い、いえ…事情は隊長から少し聞きましたし…」

両手をつき、頭を下げる紅子に、も恐縮したように首を振る。
その言葉に紅子はふと顔を上げ、気まずそうに頭を掻いているギンを軽く睨んだ。

「ほなら安心どす。うちも隠し事しながらやとお世話しづらい思てたとこどすし…」
「…せやから毎回ごめん言うてるやん」
「ごめん言われても、ギンちゃんは好きでもない桜子に気ぃ持たせるような事してんから罪が重たいのは変わらへんし」
「気なんか持たせてへん言うてるやん。諦める言うから――――」
「その優しさが余計な時もあるんどす」

紅子はピシャリと言い、不意にへと視線を向けた。

「せやけど…部下のさんに対する気遣いは偉い思うてますえ」
「え…?」

紅子の言葉にがふと顔を上げる。

「さっきも言いましたやろ。ギンちゃんはさんが誰に気を遣う事もなくノンビリ寛げるよう、来づらいクセにうちに連れて来ましたんえ」
「紅ちゃん…しゃべりすぎやで」
「ええやないの。桜子の事もバレてしもてんから。――――さっきは知らんふりしてましたけど…うちも多少の事はギンちゃんから聞いてますよって、何の気兼ねも要りまへんえ」

紅子の言葉にも少し驚いたが、それでも多少は気付いていた。
ギンと紅子の様子から前もって何らかの話が通っていたと。

「うちは護廷十三隊のお仕事の辛さはよう分かりまへん。けど…さんよりも倍は生きたもんからのアドバイス…言わせてもろてええどすか?」
「はい…」
「心が…しんどい時は無理せんと休養する。これが一番どす。心がしんどい時にええ仕事なんて出来やしまへん…」
「そう…ですね」

紅子の言葉にがかすかに目を伏せ、微笑む。確かにその通りだと思った。
ここ最近の自分は何をしていても上の空で、ギンや吉良、そして部下にも迷惑をかけていたと改めて思う。
隊士になって間もない新人ではない。これまでも色んな死神達が傷つくのを見て来たはずだ。
なのに、自分の慕っていた橘の死を目の当たりにするまで、護廷十三隊というものが本当の意味で分かっていなかったのかもしれない。
死神とは、いつでも死と背中合わせの仕事なのだ。
自分自身、無力なら、どうにか出来る力をつけなければ、大切な誰かは守れない。
でも時には心や体に正直に、休まなきゃいけない時もある。

(私は五席と言う立場を気にして…どこかで無理をしていたのかもしれない――――)

ふと顔を上げれば、ギンが優しい目でを見つめていた。

「少し…夜風に当たってきます」

は紅子に軽く会釈をすると、二人を残し、ちょうど起きて来たギン太を連れて庭へと下りた。
ほんの少し肌寒い風が頬を撫でつけ、それが心地よく感じ、ゆっくりと歩き出す。
空を見上げれば雲の陰から、おぼろげに月が顔を覗かせていて足元を照らしてくれる。
こんな穏やかな夜は、久しぶりだった。

「…いい匂い」

夜風に吹かれながら、庭一面に咲いている花の香りを楽しむ。
こんな些細な事でさえ、忘れていた。
あのまま任務を続けていたら、きっと忘れたままだったかもしれない。

(市丸隊長は気付いてたんだ…。私の…強がりに)

周りに心配されるのが嫌で、気を遣われるのが嫌で、大丈夫だと強がっていた。
戒めの為に残した傷も、時間が経てば次第に治って行く。でも、心の傷だけは時間が経とうと一向に消えてはくれない。
弱い自分が変わらなければ、絶対に消えなどしないのだ。
"誰かを守るために強くなろうと決めた"と言っていた橘の言葉の意味が、やっと分かった気がした。
責任とか、立場とか、そういうものも大事かもしれない。でも橘はもっとシンプルな気持ちで戦っていた。
"大切な誰かを守りたい"その為の力。
そう感じる前に、は五席としての自分の立場を考えてしまっていたのだ。

「…バカだよね…。敵を前にしたら…立場なんて…関係なくなるのに」

隊士である前に、自分は一死神なのだ、とは悟った。

「ワンワン」
「何?抱っこ?――――お前は素直でいい子ね…」

足元にじゃれついてくるギン太に、はかすかに微笑み、しゃがんだ。その時、砂利を踏む足音がしてハッと息を呑む。

「――――あんた、ギンちゃんの何なん?」

「…桜子さん…?」

振り返れば、先ほど怒鳴りこんできた、この料亭の若女将、桜子が怖い顔で立っていた。














「…惣右介さんは元気にしてはるん?」

が出て行ったあと、ギンに酒を注ぎながら紅子はふと尋ねた。
その一言を、紅子がずっと聞きたがっていたのをギンも知っている。

「正月に来はったんやろ?」

酒を口に運び、我ながら意地悪な質問だったと苦笑する。
惚れた男に今日会えないのならば、昨日会ったところで何になろう。
これだけ長く生きていれば、数ヶ月前の事など、すでに大昔だ、という死神もいる。
紅子も同じような事を感じたのか、苦笑するギンを軽く睨んだ。

「…たったの二日間どす。今年で最後になるかもしれへんのに…たった二日……。うちには一瞬の出来事やわ…」

そう呟く紅子の横顔はどこか儚げな空気さえ漂う色香すらあり、ギンも同じようにおぼろ月夜を見上げた。

「…そんなん最初から分かってた事やろ」
「分かっとっても割り切れへん事もあるんが情というもんどす。それくらいギンちゃんにもありますやろ」

そう言いながら紅子は庭先へと目を向ける。それに気付いていながらもギンは何も答えないまま、また酒を一口飲んだ。

「…情がなければ、ここにまで連れて来やしまへん。あの子はお二人の計画の事、何も知らんようやし…」
「そぉや。なーんも知らん。これから先も言う気はあらへん。せやから紅ちゃんも余計な事は言わんでええ」

ほんの僅かだがギンの口調がきつくなったのを紅子は気付いていた。付き合いが長いだけに紅子だけが分かる些細な変化。
その変化は彼女の言った言葉が当たっていると告げていた。

「…ギンちゃんもアホやねえ。ほんまの自分をさらけ出してみたらええのに…。うちは惣右介さんの全てを受け入れて覚悟は出来てますえ」
「…そういうのんは苦手やわ」
「それは怖いからやろ?ほんまの自分が拒否されたらどないしょー思て…臆病になってるだけどすえ」
「…そうかもしれへんなぁ」

紅子の言葉が深く胸に突き刺さり、ギンは苦笑した。
「ギンちゃんにも怖いもんがあるんやねぇ」と紅子も笑う。

「…大切やからこそ怖いいう気持ちは当たり前どすしなぁ」
「…そうなん?」

ギンの問いに、紅子は僅かに目を伏せ、小さく頷いた。

「うちも…本音を言えば何もかも捨てて、あの人について行く覚悟くらい出来てますえ。せやけど…あの人がそれを望んでへんのに無理は言えまへん」
「言うて嫌われたないからやろ」
「…そうどす」

紅子はきっぱりと言い切り、ギンを真っすぐに見つめた。その瞳には今も恋慕う男への情で燃えているようだ。

「惣右介さんは怖いお人や。情など一切持ってへん。せやけど…それでも、うちには恋しい人やねん…。もう二度と会えんようなっても」
「……例え殺されたとしても?」
「あの人に殺されるなら本望どす」

紅子はそうハッキリ言うと、「いっそ、そうしてくれた方がどんだけ良かったか」と悲しげに微笑んだ。

「会えんようなるくらいやったら…連れて行ってくれへんのやったら―――――殺された方がマシやわ…」
「……やっぱり女は怖いなぁ」

ギンはそう笑いながらも、今なら紅子の言う事が多少は分かる気がした。
そこまで人を愛するのは怖い事かもしれない。でもある意味、それはまた幸せな事でもある。

「正直、うちは…さんが羨ましい」
「……え?」

不意に紅子が呟き、ギンは顔を上げた。
紅子は庭先へ視線を向けながらも、どこか遠くを見るような目で微笑んでいる。

「…護廷十三隊の隊士として…あいさにあの人に会える。ついて行こう思えば…少しでもあの人やギンちゃんの役に立てるくらいの力を持ってはる…」
「…紅ちゃん…」
「せやけど…ただの魂魄でしかない、うちには何の力もあらへん…。それが…うちは一番悔しいんどす」

そう言いながら微笑む紅子の声が、かすかに震えた。
それに気付きながらも、ギンには彼女を慰める術を持っていない。かける言葉も見つからない。
結局、自分もまた、紅子から藍染惣右介という恋人を、奪い去る存在の一人に過ぎないのだ。
例えそれが藍染自身の決めた未来であったとしても、この先、藍染と行動を共にするギンにはどうする事も出来ない。

「…ごめんなぁ紅ちゃん」
「…うちに謝らんと桜子に謝って行き」

薄っすらと濡れた目じりを指先で拭う紅子に、ギンは「またぁ?」と苦笑いを零す。

「当たり前やないの。最後の最後に、あない可愛らしい部下さんを連れて来て、桜子を悲しませた罰や」
「ほんま女は執念深いわ…」

そう言いながらお猪口を持つギンに、紅子は酒を注ぎながら、小さく吹き出した。

「……そう思うなら…きちんとあの子の事、振ってあげて。せやないと、あの子もこの先、ええ恋出来へん思うしなぁ」

最後に、母親らしい言葉を口にした紅子に、ギンは優しく笑みを浮かべ、「…そやな」と呟いた。













「――――あんた、ギンちゃんの何なん?」

桜子は怖い顔でを睨みながら、ゆっくりと歩いてくる。
はギン太を抱きかかえると、軽く会釈をした。

「…私…市丸隊長の部下でと言います」
「それはさっき紅子さんから聞いた。せやけどギンちゃんが部下連れて来るやなんて今までなかってん。ほんまに部下ってだけの関係なん?」
「…ホ、ホントです!今回は私を休ませる為に隊長は連れて来てくれただけで―――――」
「せやからって女の部下連れて来るなんて無神経やわ。うちがおるのに」

そう言いながら桜子は鼻でフンと笑って見せた。
まるで自分はギンの恋人なのに、と言いたげだ。
しかし先ほどまでならその一言で怯んでいたであろうも、ギンから事情は聞いている。
ここは引き下がる事もない、と桜子を軽く睨み返した。

「…市丸隊長と何でもないのに何で嘘つくんですか」
「何やて?」
「さっき隊長から話を聞きました。あなたとは何でもないって言ってましたし」
「―――――っ」

の言葉に、桜子もカッとなったように目を吊り上げる。
そして勢い良くの前まで歩いて行くと―――――バシッ!という派手な音が静かな庭に響いた。

「――――何するのよ!」
「キャンキャン!」

大きな声に驚いての腕からギン太が飛び降り、足元で吠える。
桜子はそれでもお構いなしに、の胸元を掴んだ。

「何なん?偉そうに…!うちとギンちゃんの事、何も知らんクセに!」
「そっちこそ何よ!我がまま言って市丸隊長の事、困らせてるだけじゃないっ」
「あんたに何が分かるんっ?!」

桜子はそう叫ぶと、を思い切り突き飛ばした。
その勢いでが尻もちをつき、ギン太が慌てて傍に駆け寄ってくる。
そしてに乱暴した桜子を責めるように吠えだした。

「ワンワン!ワンワン!」
「うるさい!このバカ犬!!」
「ちょっと、あなたね―――――」

いくら何でも初対面の人間に乱暴される覚えはない。
いきり立つギン太を抱きかかえ、は自分を見下ろしている桜子を睨み返した。
だが桜子がその切れ長の瞳に涙を浮かべているのを見て、小さく息を呑む。

「あんたに何が分かるんよ…」
「……え…?」
「困らせても…突き放されても……ギンちゃんが欲しいゆう、うちの気持ちがあんたに分かるんっ?!」
「…桜子さん…」
「惚れてる男に女として見てもらえへん辛さがあんたには分からんやろ!」

は桜子のその言葉にガツンと後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
桜子は恥も外聞もかなぐり捨てて、己の感情をぶつけてきている。
それは、部下の立場を考え、自分の心を偽って来たにとっては、ある意味ショックな事だった。

「…せやのに…ギンちゃんは知らん女いきなり連れて来て…うちの気持ちをかき乱す…。この苦しさがあんたに分かるん…?」

最後は涙声になり、桜子は弱弱しく息を吐きだした。
その姿を見ながら、は強く唇を噛みしめる。ギンを一人の男として好きになったからこそ、桜子の気持ちが痛いくらいに伝わって来た。

「…分かるよ…」
「……え…?」
「あなたの辛い気持ちも…苦しい想いも…私には分かる…」

はそこで初めて自分の気持ちと向かい合えた気がした。
護廷十三隊の隊士だからとか、部下だからとか。そんな言い訳を全て取っ払ってしまえば、残る感情はとても簡単だ。

「…分かる…って…あんた、まさか―――――」

ゆっくりと立ち上がるを、桜子は驚いたように見つめる。
そのの瞳も、かすかに涙で潤んでいるように見えた。


「……私も、市丸隊長が好き。桜子さんに負けないくらい―――――好きなの」


桜子の目が見開かれるのを見ながら、その想いを吐きだした事で、は心のどこかでホッとしていた。
今までひたすら押し隠して来た事がバカらしくなるくらい、スッキリとした気分だ。
だが桜子の発した言葉で、その晴れやかだった気持ちが一気に焦りへと変わる。


「――――ギンちゃん…」

「――――――っ?!」


その名を聞き、一瞬心臓が止まりそうになり、慌てて振り返れば。
そこにはと同じような表情を浮かべたギンが女将の紅子と一緒に立っていた。











「ほな、お酒はここに置いてありますよって…今夜は二人でゆっくり飲んどくれやす」

紅子はそう言って頭を下げると、静かに襖を閉めた。娘の桜子はとうに本館へと帰してある。
あんな事があった後だからか、桜子も今回は素直に戻って行ったのだ。
と言って、にとってはいい状況になったというわけでもない。
つい口にしてしまったギンへの想いを、とうの本人に聞かれてしまったのだから、どちらかと言えば最悪な状況だった。
しかもあんな告白の後に、この離れで二人きりなのは何とも気まずいが、紅子に「いてくれ」と頼んだところで、一笑に付されてしまった。

「そない無粋な真似、女将が出来るわけありゃしまへん。今夜は二人でお酒でも飲んで、ゆっくり話したらええ思いますえ」

紅子にそう言われたものの、ギンは先ほどから黙ったままで何も言わず、静かに酒を呑んでいる。
も緊張をほぐすために日本酒を口にしたが、一向に酔える気がしなかった。
幸い、紅子も気を利かせたのか、酒の用意は沢山してある。
は徳利が空になるたび、それを忙しなく口に運んで、どうしたらこの場の状況を切り抜けられるか、あれこれ考えた。

(といって…ばっちり聞かれてるのに誤魔化しようもないよ…)

そう思いながらギンに視線を向けるが、ギンは未だ黙々とお酒を呑んでいる。
表情からではギンの心を読み取ることはまず出来ない。
といって自分から確認するのも憚られ、はツマミで出された漬物を口に運びながら何か話題はないかと考えていた。

「こ、この漬物、美味しいですよ!女将さんが毎朝漬けてるんですって!凄いですよねっ」

…と言った後で後悔した。その気まずさから更に酒を一気に飲み干すと、新しい徳利へと手を伸ばす。

「…ペース早すぎや」

その瞬間―――――手首を掴まれ、心臓が跳ね上がった。恐る恐る振り向けば、ギンが困ったような笑みを浮かべている。

「もっとゆっくり飲まな泥酔してまうやん」
「…す、すみません」

やっと話しかけてくれたギンに内心ホっとしながらも、こうして至近距離で向かい合うのは緊張する。
しかも手は未だに握られたままで、そこから伝わる熱で心臓がドキドキしてきた。

「あ…あの…市丸隊長…お酒…注ぎましょうか」

手を離してもらう口実にそう言えば、ギンも苦笑交じりで頷いた。
そこで新しい徳利を手に、ギンの隣に座る。思えばこうして二人きりで飲むのは初めての事だ。

「おおきに。ほな、ボクも」
「あ…ありがとう御座います…」

ギンからも酒を注いでもらい、は緊張しながらも素直に受ける。そして互いにお猪口を軽く合わせ、それを飲んだ。

「…お、美味しいですね、このお酒」

何か話さないと気まずい、とが言えば、ギンも「そやろ」と言って笑う。

「ここらの酒は貴族にも献上するもんやし美味いねん」
「あ…そ、そうなんですか」

話に乗って来てくれたギンに内心ホッとする。
と言って次の話題を考えなければ、と思えば思うほどに焦り、酒を呑むペースがまた早くなってしまった。

ちゃん、そない慌てて飲まんでも、ここに酒は売るほどあんで」
「す、すみません…つい…」

苦笑交じりのギンに、は頬をかすかに赤く染め、ふわふわしてきた頭をスッキリさせるのに軽く水を飲んだ。
それでもギンは一向に酔う気配もなく、一人緊張しているを見て、優しい笑みを浮かべた。

「そないに緊張されたら…ボクまで緊張するやん」
「……っす、すみません。そ、そういうつもりは…」
「ほなら…どういうつもりで桜子に言うてくれたん?」
「―――――っ」

不意に前触れもなくその話を持ち出され、の肩がビクリと跳ねる。
出来れば、この話題に触れないまま酔っぱらって寝てしまいたかった。
しかし今この場を誤魔化したところで、今後もギンの部下として任務をこなしていかなくてはならないのだ。
今だけ誤魔化せばいいというものでもない。

「さ…さっきのはその…」

ギンが好きだ、と口にした時、心の重荷が解けたみたいにスッキリしたのに、今はまたそれを口にするのが怖い。
でも、もう部下だから、とか相手が隊長だから、とか、そんな事を言い訳に自分に嘘をつくのは嫌だった。

「私の…本心です」

言った瞬間、ギンが小さく息を呑むのが分かり、は膝の上で強く手を握りしめた。

「……私は…数ヶ月前、一度死にかけました…」
「…………」
「その時、死ぬ、と思った瞬間、私、後悔したんです……。どうして、もっと自分の心に正直に生きなかったんだろう、って…」

はそこで顔を上げ、ギンを見つめた。


「その時に最初に浮かんだのは…市丸隊長の―――――」


そう言いかけた瞬間だった。は強く手を引かれ――――――気付けばギンの腕に抱きしめられていた。

「…た、隊長…?」

背中に回る腕の強さを感じながら、は掠れた声で呟く。
ギンはの体がしなるほど強く抱きしめながら、深い息を吐いた。

「……ボクかて…同じやねん」
「……え…?」
「虚に襲撃されたゆう連絡受けて駆けつけて…この腕にちゃんをこうして抱きしめた時…」

耳元にかすかに響くギンの声に、は涙でうるんだ瞳を揺らした。

「……ボクがどれだけ震えてたか…分からへんかったやろ…?」
「…い…市丸…隊長…」
「傷つけるん嫌やから……触れるのも我慢しとったけど、変に意地張っとったけど、それも―――――もう限界や」

そう囁いたのと同時に、ギンの腕が緩み、その手はの頬へと触れる。
ギンの綺麗な指先が顎へと滑り、ゆっくりとそれを持ち上げれば、互いの唇がかすかに触れ合い、熱を持った―――――





周りの後押しでやっと通じ合えた二人。長かった…