18章 / 迷月(1)
「――――ギンちゃん、三番隊の隊長になるんだってね。おめでとう…」
そう寂しげに言った女は何という名だったか―――――
護廷十三隊へ入り、気付けば五番隊の副隊長になっていたギンの周りには、名だけではなく顔すら忘れてしまうくらいの女達がたくさん寄って来た。
殆どの女が護廷隊の隊士だったが、時には火遊び好きの貴族の娘や、流魂街で知り合った娼婦、といった女もいた。
ギンの立場や地位、そういったものに興味を持つ者。ギン本人に興味を持つ者。
理由や環境は様々ながら、多くの女達がギンを愛し、近づいて来ては離れ、そして死んでいった。
それでもギンは、女に愛され心が満たされた事も、その相手に死なれ悲しみで心を痛めた事は一度もない。
冷たい、とか何を考えてるのか分からないと罵られても、なら何故自分を選ぶのか、と疑問すら感じていた。
男女の間など、その場が楽しければいいと思っていたギンには、自分に固執してくる女達の態度が煩わしいとさえ映っていたのだ。
「…殺してやるわ!」
遠い昔、自分の力量も分からず、ギンに刃を向けた女がいた。だが、その刃も、ギンに届く事はなく。
かわりに己の身を切り裂かれ、ギンの足元に倒れる事になった。
「――――女は怖いだろう?」
いつから、そこにいたのか。振り返ると、五番隊隊長の藍染惣右介が立っていた。
女の返り血を顔に浴びたギンを見ながら、藍染は怪しく笑う。
「覚えておくといい、ギン。人は自分以外の者を愛すると、その相手からも同じように愛されたいと願う。それが叶わないと知れば、愛情は憎しみに変わる事もある」
「…ほんまですわ。あんなけ情熱的に愛してるー言うてたんが、ボクの心が手に入らんなら殺したるー言うて来て…遊びでええ言うてたのに勝手な話やと思いません?」
「そういうものだよ。人は愛する者と絆を結びたがる…。本気になればなるほど考えも変わる生き物だ。私から言わせれば、形などない愛情に溺れる事ほど愚かな事はないがね」
「…ボクにも理解出来ませんわ。何でこんなに熱うなれるんか…。遊びでええのに。女も、殺しも」
ギンの言葉に藍染は冷たい笑みを浮かべた。
「そうだ。それでいい。"愛情"や"信頼"など無用な感情だよ、ギン。――――誰も信用などしなくていい。もちろん…私の事でさえ、ね」
藍染に言われた言葉を、ギンは誰よりも理解していた。絶対的な強さを前に、憧れにも似た感情を抱きながら。
でも、心のどこかで誰も信用などしないという冷めた自分と、たった一人でいいから自分の全てを理解してくれる相手が欲しい、と願う弱い自分がいる事を、ギンは気付いていたのかもしれない。
そして、たとえ現れたとしても、その相手を自分自身が傷つける事になる、という事も――――
は眠っていた。
心に秘めた想いを吐きだした安堵感から、深い深い眠りに落ちて行く。これから起こる、恐ろしい未来など、知りもせずに。
今はただ、幸せな夢と共に――――
ギンはの寝顔を見つめながら、そっと彼女の髪に触れた。
出来る事なら、いつまでもその寝顔を見ていたいというように、優しい仕草で頭を撫でる。
彼女が目覚めれば、先ほどの事など記憶から消えているだろう。
そう分かってはいても、今だけは普通の恋人同士のように、ただ傍に…とギンは願った。
「ほんまにええんどすか?」
その声にふと振り返れば、そこには紅子が悲しげな表情で座っている。
ギンは無言のままへ視線を戻すと、小さく息を吐いた。
「ええも何も…予想外な事が起きてんからしゃーないやん?」
「嬉しかったクセに」
「…ボクは彼女を悲しませたないだけや」
「もう遅い思いますえ」
紅子の一言に、ギンはゆっくりと顔を上げた。
「遅い…?」
「そうどす。前に言いましたやろ?女は好きな人と添い遂げるんが一番の幸せやて…。それが例えどれほど怖いお人でも」
「………」
「いくら記憶を一時、消したとしても…その心まで消す事は出来やしまへん。心を残したままなら…ちゃんはいつか必ず悲しむ事になる…」
その言葉に、ギンの手がピクリと動く。確かに紅子の言うとおりや、と内心思った。
自分を慕う想いがあれば、後々は当然苦しむ事になる。今ギンがしている事はただの一時しのぎでしかない。
「決まっている未来があるのに…無責任にちゃんの心を乱したんはギンちゃんやろ。身勝手にもほどがありまりすえ」
「ボクはただ…ちゃんに輝いていて欲しかっただけや…。時間ある限り、それを見ていたかっただけやねん」
「ほなら見てたらええやないの。カッコつけとらんと、本性見せて本音言うて、ずっと傍に置いておいたらええやない。ギンちゃんに…この子と同じ心があらはるなら」
「心なんか…とうに捨てたわ」
あの男と出逢ってから、この先の未来を描いてから。心などとうの昔に捨てて来た。
そう思っていたはずなのに、何故この後に及んで、乱れるのか。それは―――――
「嘘つきさんやね」
紅子が呆れたように呟く。
「ほな、何でそない寂しいて顔してはるん?」
「…嘘は…ボクの専売特許やん」
「ギンちゃん…」
苦笑交じりでの頭を撫でるギンを、紅子は悲しげに見つめた。
「もう…行かなあかんなぁ…」
白々と明るくなり始めた空を見上げ、ギンがふと呟く。そしての寝顔を見下ろし、そっとその額へ口づけた。
「紅ちゃん…後の事は頼んだで」
静かに立ち上がり、庭先へと下りたギンは、気持ちを切り替えるように大きく息を吸い込んだ。
近づいてきているのだ。新しい未来が。もう、すぐそこまで。
ギンは最後に振り返り、今もなお穏やかに眠っているを見た。
「次に会う時は…敵同士かもしれへんなぁ…」
「何、弱気なこと言うてはるの。嘘は…つきとおしてこそ意味があるんどすえ」
縁側へと歩いてきた紅子が、ぴしゃりと言えば、ギンは苦笑を浮かべ、「そやな…」と呟く。
そしてそのまま歩みを進めながら、軽く手を上げれば、耐えきれなくなった紅子は慌てて庭先へと下りた。
「ギンちゃん…!あの人に…気をつけて、と伝えて」
「大丈夫や。あの人はボクが会うた中で誰よりも…慎重なお人やし」
それだけ言うと、ギンは裏戸から姿を消した。同時に、紅子がその場へと崩れ落ちる。
覚悟してきた事とはいえ、この先に待つ未来を想像すれば、それは紅子にとって死んだも同然のものだった。
「いっそ…殺しに来てくれれば良かったんよ…」
そうすれば…最後にもう一度だけ、あの人に会えたのに―――――
小さく呟く紅子の頬に、涙が一つ零れ落ちた。
「――――ほんまに置いて行くん?」
料亭を出たところで、背後から声がしてギンは静かに立ち止まった。
振り向けば、桜子が怖い顔でギンを睨んでいる。しかしその目には涙が浮かんでいた。
「ああ…頼むで」
「ほんまにええの…?あの子、ギンちゃんの大事な人なんやろ…?」
「ええねん。戻ったらボクにはやらなあかん事、ようさんあるしなぁ」
「藍染隊長の為…?」
「…………」
桜子の問いに、ギンは応える事なく、再び歩きだした。
その背中を見つめながら、桜子は軽く唇を噛む。
「うち…あの人が嫌いやった!紅子さんをいつも泣かして…ギンちゃんを遠い遠いとこへ連れて行ってしまう存在やもん…!!」
これまでの我慢を全てぶつけるように、桜子が叫ぶ。その声を背中で受け止めながら、ギンは振り向かないまま、「ごめんな」と呟いた。
「…ギンちゃんも嫌いや!うち、ギンちゃんよりも素敵な人、見つけて絶対に幸せになったるから!」
「今まで…楽しかったで。おおきにな、桜子」
「ギンちゃん…!!」
次第に遠のいて行く背中は、不意に涙で歪んで見えた。
「…絶対…死なんといてよ…!」
桜子の最後の叫びは、ギンの耳にかすかに届く。同時に、小さな苦笑が漏れた。
「親子で同じこと、言わはるわ」
悪と知りながら心を奪われ、最後の最後までその身を案ずる。
以前のギンなら、一笑に付してしまうくらい、愚かな感情だったに違いない。
しかし今なら、ギンにも紅子や桜子の気持ちが理解できる気がしていた。
自分でも予測できない方向へと、心は動くものだ。
ギンはそう驚きながらも、今の自分も嫌いではない事に気付く。でも――――もう終わった事だ。
尸魂界へ戻れば、藍染惣右介が待っている。全ての計画の準備を終えて。
「…はよ、帰らな」
己に言い聞かすよう、ギンは呟くと、瞬歩でその場から姿を消した。
急ぐに越した事はない。先へ続く未来の為にやる事は山ほどある。――今宵、青い月が満ちる前に。
ここで一区切り。なので短めですが次回から尸魂界編かな?