STORY.3 憧れて尊敬して崇拝して









自分の親がどんな奴で、自分がどこで生まれたかなんて気にもしなかった。


気付けば、あの施設に俺はいた。


イギリスの片田舎で、周りには自然しかないような退屈な場所。


それなのに今は色鮮やかに、あの暖かい風景を懐かしく思い出す。


あの陽だまりの中にいた二人の、いや俺達の幸せそうな笑顔を―――――――









床でパズルをしている二アを尻目に、俺は目の前の少し丸い線を描いている"憧れ"の背中を見ていた。
Lは独特の座り方で机に向かい、何やらノートを広げ、メモを書きとめているようで、さっきからずっと黙ったままだ。
そんな彼の広い背中を見ながら、俺はロジャーからもらった飴を口の中でガリッと噛み砕いた。




「ねぇ、L」


「何ですか?メロ」


「Lはと結婚するの?」




何となく聞いてみたくて口から出た質問に、彼は走らせていたペンを止めて、ゆっくりと俺の方に振り向いた。
窓から入る日差しが眩しくて、Lの表情までは見えないから僅かに目を細める。


「どうして、そんな事を聞くんです?」
「どうしてって…ほら、この前が"ずっとLと一緒にいるのが夢"だって言ってたから」


壁に寄りかかりながら、Lの反応を伺うと、彼はかすかに微笑んだように見えた。


「結婚しなくても一緒にいることは可能ですよ」
「…そっか」
「ええ、そうです」


Lはそう言って、また前を向き、ペンを走らせている。
眩しくて見えなかったけれど、きっとLは幸せそうな笑顔を浮かべていたんだろう、と、彼の背中を見つめながら思った。
と一緒にいる時の彼はとても幸せそうだから。


Lも含めて、俺達は皆、自分の本名以外、仲間の本当の名前を知らない。
ここでの通称を物心がついた頃から呼ばれていた。
だから普通の人と同じような生活はきっと出来ないんだろう、と漠然と思っていた。


「ねぇ、L」


俺は再び、彼の名を呼んだ。
Lも今度は手を休めないまま、「何ですか?メロ」と、それでも優しい声で返事をしてくれる。
穏やかな声とある種、独特のムード。
Lの存在は俺達にとって"憧れ"だけでなく、とても暖かく、そして頼れる存在だ。




「どんな形でも…Lとが幸せなら…僕も幸せだよ」




ポツリと呟いた本心。
この前からずっと思っていたこと。


「…ありがとう、メロ。私もメロが幸せなら、同じように幸せですよ」


その声に顔を上げると、Lはいつの間にか振り向いていて、今度は彼の表情を見ることがで来た。


暖かな太陽の光の中に溶け込んでる彼のその笑顔は、きっと俺が見た中でも一番、優しくて、そして幸せな微笑みだったかもしれない―――――――










初めて人を殺した時、俺はあの日の事を思い出した。
とても穏やかな笑みを見せてくれていたLの事を。
そして、そんな彼に純粋に憧れていた自分の事を…


自分の手が血で真っ赤に染まるのを見ながら、俺はあの日の自分に別れを告げた。


もう引き返せない。


失ったものは想像以上に大きかった。


この大都会では、そんな後悔も簡単に流してしまう空気がある。
毎日、煌びやかなネオンの中にいると、その中へと溶け込んでいくような感覚。


俺はどこへ向かってるのか、時々分からなくなった。








「メロ…?」


ふと背後から呼ばれ、ハっと我に返った。
振り向けば窓が開けられ、中からが顔を出している。


「…どうした?」
「…何してるの?そんなとこで」
「…別に」


俺は寄りかかっていた手すりから腕を放し、部屋の中へと戻った。
キッチンを見れば、すでに片付けが終わったのか、先ほどあった食器類が元に戻されている。


「紅茶淹れたの。飲まない?」
「ん?ああ…」


がテーブルにカップを置いてくれたのを見て、俺はソファに座った。
も隣に座り、静かに紅茶を口に運ぶ。
紅茶の香りがかすかに漂い、俺はホっとするのを感じていた。


Lが好んで飲んでいたUva。


"世界三大銘茶として最も有名な茶葉なんですよ"


そう言っていたのを思い出す。
彼女にこれを飲ませたくて俺が用意させたものだ。


「美味しい…」
「そりゃ良かった」


懐かしげに息を吐きながら呟く彼女に、内心ホっとしつつ、俺もそれを一口飲んだ。
何となく心に染み入るような香りと味に気分が落ち着いてくる。
ここ数年、紅茶なんて飲んでなかった。


「…ねぇ、メロ…」
「ん?」
「…ここ…どこ?」


は湯気の出ているカップを両手に包むようにしながら尋ねてきた。
今の俺がどういう状況の中にいるのかも知りたいといった様子だ。


「ロスだよ。って言っても事情があって郊外だけどな」
「そう…」
「…サンフランシスコに戻りたいか?」
「…………」


俺の質問には黙ってしまった。


「まあ…戻りたいって言っても戻すつもりもないけど」
「…メロ…」
「こんなに体ボロボロにしやがって…。今のを見たらLがどんなに悲しむか―――――――」


そこでハっとして言葉を切った。


「悪い…」


彼女の前で彼の名をうっかり口にしてしまった自分に腹が立った。
だがは黙って首を振ると、「…いいの…。ほんとの事だもん」とだけ呟き、俺を見上げた。


「…"あの日"から…今日まで…どうやって生きてきたのかが分からない」
「…………」
「何を見ても、聞いても、口にしても…生きてる実感がなかった」


は静かな声で話し出し、俺は黙ってその言葉の一つ一つを聞いていた。


「二人で行った日本から一人で逃げ出して…イギリスに戻ったの…。悪い夢を見たから…あそこに行けば覚めるんじゃないかって… そう思ったから…。でもダメだった…。その場所に面影はあるのに…彼がいないの…あの部屋に匂いは残ってるのに…彼がいないの…」


遠くを見つめながら話すの瞳から涙が一粒零れ落ちた。




「一緒に行った場所は全て行った…。でもどこに行っても…彼はいなくて…。最後にサンフランシスコに行った…。あそこは初めて二人で―――――――」


「…旅行に行った場所」




俺がそう言葉を繋ぐと、が初めて俺を見た。
涙を溜めながらも嬉しそうな笑顔を浮かべて。


「そう…。初めてだったの…。仕事絡みじゃなく、二人で出かけたのは…」


の声が震えた。
よほど嬉しかったんだろう。
あの日の事は俺もよく覚えている。


"メロと二アにお土産買って来るね"


幸せそうに微笑んで、はLと二人で出かけて行った。
それを見送りながら、俺は少し寂しさを覚えて、二人が帰ってくるまで眠れない夜が続いたっけ。


「二人で歩いた場所も…二人で見た景色も…何も変わらずそこにあるのに…」


の頬を涙がポロポロと零れ落ちた。






「Lだけが…いないの」






心臓がキリキリと音を立てて軋みだす。
体中が引き裂かれそうなほどの痛み。


彼の死を聞いた時、俺は神を心の底から憎んだんだ――――


"正義"って何だ?
何を信じていけばいいんだ?
"悪"が勝つならこの世に正義などいらないじゃないか。


空っぽになった心に、その言葉だけが何度も繰り返し響く。
追っていた背中が突然消えて俺の心に、暗い炎が灯り、ある感情が芽生えた。


"復讐"


あの日から…悪魔と同じスタートラインに立つと決めた。
どんなやり方だろうと、俺のやりたいようにやる。
例え、この手が他人の血で真っ赤に染められたとしても――――――




俺はあの日から"神"に背を向けた。








頭が痛い…
吐き気がする。


目の前で泣いているの心の傷が自分の痛みと重なる。


激しい感情が込み上げてくるのを抑える事が出来ず、俺はの体を抱き寄せた。
壊してしまいそうなほど強く抱きしめ、彼女の存在を確かめる。


今日まで、彼女が何をしてたとしてもかまわない。
例え俺と同じように人を殺していたとしても。
ただ生きていてくれた事だけが、今の俺にとっては救いだった。



「メロ…」


か細い声が俺の名を呼ぶ。


どれくらい、そうしていたんだろう。
腕の中でが僅かに動いた時、少しづつ力を緩めて彼女の顔を見下ろした。


は――微笑んでいた。






「…ごめんね…あんなこと言うつもりじゃなかったのに…」




彼女の言う"あんなこと"とは、Lとの思い出の話だろう。
過去だけに縋り、生きていく事はたやすく、そしてあまりに空しい。
でも今まではきっと、そうする事で生きてこれた。


「…謝ることなんてない」


ふと冷静になれば、ジっと俺を見つめる彼女の真っ直ぐな瞳に、何となく気恥ずかしくなり視線を反らした。
昔とは違う。女の扱いにだって慣れたはずなのに、こうして抱き寄せているだけで顔が熱い。


「メロ…?」
「…悪い」


あまりに無防備な彼女に、こうして触れている事が躊躇われ彼女から腕を解こうとした。
が、は俺の腕を掴み、不思議そうな顔で見上げてくる。


「な…何だよ?」
「メロ…何だか逞しくなったね」
「……は?」
「昔は細くてヒョロっとしてたのに」
「…あのな…いつまでも子供じゃなぃ―――――」
「わ、筋肉とかついてる!胸だって引き締まってるし…メロ、鍛えたの?…メロ?」
「…………」


ほんとガラじゃない。
女に体を触られたってだけで、こんなに動揺するなんて。彼女が触れたところ全てに心臓があるみたいだ。


「どうしたの…?メロ…顔、赤い―――――」
「うるさいな!暑いんだよ…っ」


そしてほんとにバカだ、俺は。
大切な女にくらい優しい言葉の一つも返せないのか?


に背を向けてテーブルにあるチョコを取り、パキっと噛み砕く。
だけど視界いっぱいにの不満げな顔が覗いてギョっとした。


「な、何…」
「メロ、ちょっと生意気になったんじゃない?」
「は?」
「前は素直でいい子だったのに」
「……俺はもう子供じゃない。だいたい5つしか違わないだろ」
「5しか、じゃなくて5つも、でしょ?」
「下らない…。歳なんか関係あんのかよ…」


胸が痛い。
彼女の中で、俺はいつまで経ってもガキの頃のままだ。


何となく気分が沈んだ。
溜息をつき深くソファに凭れて、背もたれに腕を回す。
だがチラリとに視線を戻せば、心なしか彼女の唇が尖っていた。


「何だよ…。何、唇尖らして…」
「関係あるよ。5つの差は大きいんだから。それに…メロから見れば私なんておばさんじゃない」
「………っ?」


ああ…やっぱ敵わない。
少しスネた顔でそんな可愛い事を言ってくる彼女に、胸の奥が優しい気持ちで溢れてくる。


「そんな事ない…」
「嘘」
「嘘じゃない」
「じゃあ私の下着とか買って来てくれた子は?」
「…あ?あいつの歳なんか知るかよ…。どうせ17くらいじゃ―――――」
「ほら!」
「な、何だよ」
「17くらいの子からしたら20過ぎの私はおばさんなのよ」
「…おい、…」


何故かプリプリと怒り出した彼女に俺は溜息をついた。
どうして女ってやつは歳を気にするんだ?
俺は彼女が何歳だろうと気にもしてないのに。


「いいなぁ…。17歳か」
「ほんとに17か知らないぞ?」
「でもそれくらいに見えるんでしょ?」
「…まあ」
「じゃあ、きっとそれくらいなのよ。いいなぁ、私も戻りたい」


はそう言ってかすかに微笑んだ。
その笑顔が酷く儚げで少しだけドキっとした。


そうだな…もしその頃に戻れるなら…
きっとはまたLと出逢い、恋に落ちるんだろう。
出来るものなら戻してあげたいとすら思う。


「その頃はいっぱい夢があったなぁ」
「へえ…どんな?」
「他愛もないこと。でも一番は…」
「一番は?」


少しだけ俯いたに視線を向けると、彼女は自分の両手をキュっと握り締めた。


「凄く好きな人の奥さんになること」


あの頃の彼女とだぶって見えた。
きっとLと出逢って、その夢が叶えられると信じていたあの頃の彼女と。


「メロは?」
「…え?」


不意にが顔を上げて微笑んだ。


「メロはそのくらいの歳は何か夢があった?」
「俺は…」
「あ…これ前にも聞いたっけ」
「ああ…」


そう。あの時もは俺と二アに"夢は何?"と聞いた。
俺はこう答えたんだ。


"Lの後継者になること"


その事を思い出したのか、は軽く目を伏せた。
俺も敢えて何も言わず、いつものようにチョコを咥える。


二人の共通の思い出は、今の俺達には辛すぎるんだ―――――。

















静かにペンを走らせていたLの手が止まった。


「終わった?」
「ええ、終わりました」
「じゃあ…僕に勉強、教えてくれる?」
「ええ、いいですよ」


Lはそう言って立ち上がると、床でパズルをしていた二アにも声をかけ、一緒に庭へと出た。
外では他の仲間が楽しそうにサッカーをしている。
そいつらの中にの姿があった。


「あ、L!だよ?呼ぶ?」


俺がLの腕を引っ張ると、彼は優しい眼差しを彼女に向けてから軽く首を振った。


「いえ。は今、彼らのお相手をしてますから」


Lがそう言うのと同時にが俺達に気付き、笑顔で手を振ってくる。
Lも俺も手を振り返すと、庭にある大きな木の下に仲良く座った。
はリンダやマットたちと楽しそうにボールで遊んでいる。
俺が羨ましげにそっちを見てるとLがクスクス笑った。


「仕方ないですよ。彼女は仕事中です」
「分かってるけど…さ」


そう、はこの施設で俺達の面倒を見るために働いてくれている。
この院の創始者、キルシュが連れてきたらしい。
聡明で美人な彼女は俺達の間でもすぐに人気者になった。


そして、そんな彼女に、俺達が憧れてるLも、恋に落ちた―――――







「さあ、メロ。何を教えて欲しいんですか」


ポンと頭に手が乗せられ、視線をからLへと移した。
そしてニッと笑うと、「Lが僕の歳くらいにやってたこと全部教えて」とだけ告げる。
それにはLも苦笑を零した。


「いいですよ?二アもそれでいいですか?」
「はい」
「じゃあ…」


そう言いながらLが持ってきていた本を指でつまんだ。
が、しばらくその状態のまま黙っている。


「L?」


俺が声をかけると、Lはふと顔を上げてニッコリ微笑んだ。


「メロ、夢はありますか?」
「え?」
「ああ、私の後継者以外で、という意味です」


いきなり、そんな事を聞かれて俺は少し戸惑った。
二アも俯いていた顔を上げ、俺をジっと見てくる。


(Lの後継者以外での…夢?)


俺は必死に考えた。
が、結局何も浮かばず、答えはやっぱり同じところへ行き着いてしまう。


「ないよ。Lの後継者以外でなんて」
「そうなんですか?」
「うん、ない…と思う」


俺がそう言うとLはやっぱり優しい笑顔で微笑んだ。
だが、そんな彼を見ていて、俺の中で何かが弾けた。


「あ」
「え?」
「あったよ」


そう言ってLを見た。


「後継者以外での夢は…」
「…何です?」


Lが不思議そうに首を傾げた。
そんな彼を真っ直ぐに見ると俺はその瞬間に思った事を、素直に口にした。




「僕は…Lになりたい」




"それじゃ同じじゃないですか"とLは笑ってたけど、違うんだ、そういう意味じゃない。




その夢が決して叶うことのない夢のまた夢だとしても――俺をここまで突き動かすのは…L…貴方だけだ。





俺は貴方になりたかった。




賢く、強く、誇り高い貴方に。




そして…彼女の心を捕えて放さない、貴方に―――――














憧れて  尊敬して  崇拝して





俺は貴方を、一生追い続けるだろう

















やっと書き上げましたが…あまりストーリー的に進んでません(コラ)
回想シーンのLを書いてると泣きたくなるのはバカですか…
メロには純粋にLに憧れてた少年であって欲しい。もちろん二アも。


TITLE:群青三メートル手前