辰ノ刻
武田信玄の孫、が生まれて早七年と半。今日も躑躅ヶ崎館は賑やかな朝を迎えていた。
「おじい様ー、おはようございます!」
「おお、。今日も健やかじゃな!」
駆けて来た可愛い孫に、信玄は目じりを下げながら、その小さな体を抱き上げた。
傍に控えていた山本勘助、真田幸隆、小畠虎盛の三人衆もつられて笑みを浮かべている。
「様は本日もご機嫌うるわしゅうて良い事よ」
「先日、親方様が
誂えさせた着物もよう似合うておる」
「しかしながら・・・親方様の親バカならぬ
祖父バカぶりは真に困ったものよのう」
「か、勘助殿!そのような言を聞かれたら、また親方様に拳を頂戴するはめになりますぞ!」
勘助の遠慮のない物言いに、生真面目な虎盛が慌てふためいている。
しかし孫に夢中の信玄には、勘助の辛口も届かなかったようで、虎盛は安堵の息を漏らした。
「それほど気に病む事はないであろう?真の事なれば」
「た、確かに親方様の様への愛情は深いもの。だがそれも当然の事であろう」
「しかし幼き頃から、やれ菓子だ着物だ、はたまた遊び道具だ、とあれこれ与えすぎではないか。甘やかしすぎるのも良くない事よ」
「ま、まあ、そのような事も多々あれど(!)親方様が心安らかでいられるのは様の存在があるから故。少しは大目に見て差し上げねば」
虎盛の言葉に幸隆も苦笑交じりで頷いた。
「確かに。親方様だけでなく、様は周りの者を照らしてくれる太陽のような存在よ。現に六郎までもが心を奪われ、甘やかしておる」
のう?と問うように天井を見上げれば、音もなく、六郎が目の前に姿を現した。
「旦那様。俺は別に甘やかしてなど・・・」
「ろくろー!」
言いかけた時、目ざとく六郎を見つけたが、信玄の腕から抜け出し、六郎の元へと駆けてゆく。
その勢いのまま六郎に飛びつけば、信玄からジトっとした目つきで睨まれ、六郎はコホンと一つ、咳をした。
「おはよう御座います、様」
「おはよー!六郎!あさげを一緒に食べるやくそく、おぼえてくれてたの?」
「もちろん。指切りしましたからね」
六郎は己の小指を上げて見せると、ニッコリ微笑んだ。
それを見ていた三人衆は、思い切り甘やかしておるではないか、と言いたげに笑いを咬み殺している。
「ほんにはお主に懐いたのう」
「いえ、親方様ほどでは」
嫌味タラタラで目の前に坐する信玄に、六郎も笑顔で応える。
ここ五年ほどで、すっかり武田家の色へと染められた忍は、今や信玄とも冗談を言い合えるようになった。
時にはこうして朝餉を共にとったりもする。それもこれも信玄の懐の深さ故、と六郎も感謝していた。
「では朝餉にしようぞ」
信玄のその一言で、女中たちがすぐに膳を運んでくる。
は信玄と六郎の間にちょこんと座り、以前、千寿に教えてもらった通りに上手に箸を握った。
「みて、おじい様。はお豆もはしでつかめるようになりました」
「そうか、そうか!は何でも上達するのが早い子よ。そなたは頭も良くなろう」
「はい!は数もたくさん数えられるよう、しょうじんします」
「そうか!偉いぞ!」
無邪気に話すに、信玄の目じりがこれでもか、と下がっていくのを見ないふりをして、三人衆は黙々と膳に箸をのばしている。
武田家の朝はこうして始まるのが常となっていた。
「時に、幸隆よ。今日であったな?昌幸がお主の孫を連れてくるのは」
「はっ。八つ時には見えるかと」
「そなたも楽しみであろう。孫の弁丸に会うのは久方ぶりなのだからな」
「確かに。前に顔を合わせたのは、今年の睦月。半年以上ぶりとなりますか」
「ワシが上田に
赴いて会うたのはもう三年も前じゃ。弁丸も更に大きゅうなっただろうよ」
「昌幸の文では、やんちゃが過ぎて手を焼いている様子。様に会わせて良いものか、と迷うておりました」
幸隆の息子の昌幸は、勘助の推挙があり、幸隆に代わって信玄の元に詰める事となった。
その際、幸隆にとっての孫である昌幸の次男、弁丸を連れてくるよう勧めたのは、他でもない信玄だ。
「そろそろと顔合わせをしても良いだろう」
そう信玄が言ったのも、この屋敷にはの相手となる同じ年頃の子が一人もいないからだった。
六郎は良く面倒を見てくれていたし、も懐いてはいたが、いかんせん手練れの忍を子供の遊びに延々突き合わせておくのも不憫な話。
の護衛と
並行し、信玄の使いで、忍としての任も最近は増えてきている。
他国へ
諜報させるのも、また忍として必要な任務だ。そういう時に相手となる者が、信玄は欲しかった。
「問題ない。やんちゃなくらいが丁度いいのだ。子は元気でないといかん」
「そのように仰って頂ければ真に
恐悦至極。様と弁丸が仲ようなって下されば良いのですが」
「べんまるってだぁれ?おじい様」
二人の会話を聞いていたが不思議そうに信玄を見上げた。
「弁丸というのは、この幸隆の孫よ。そなたと同じ歳のおのこじゃ」
「おのこ・・・。ここへ見えるの?」
「そうよ。八つ時には見えるというし弁丸と一緒に饅頭でも食うと良い。千寿にそう申しておこう」
「・・・・」
優しく頭を撫でながら信玄は楽しげに笑ったが、当のは不安げな顔で俯いている。
六郎はそれに気づき、「どうしたのです?様」と声をかけたが、は軽く首を振るだけで何も応えようとはしない。
信玄は苦笑交じりで六郎を見ると、「大事ない」と首を振った。
「おのこ、と聞いて戸惑うておるだけよ」
「確かに周りには同じ年頃のおのこはおりませんしね」
「最初は人見知りするのも仕方のないこと。誰にでもあるであろう」
信玄はを膝の上に抱くと、「怖がらずともよい」と優しく語りかけた。
「弁丸はそなたの良き友となれるやもしれぬ子。この幸隆の孫なのだから優しいおのこよ」
「・・・ホント?こわくない?」
「怖いことなどありませぬぞ、様」
そこで幸隆も苦笑交じりに口を挟んだ。
「弁丸は少々、いや、かなり
賑やかな子なれど、遊びが大好き故、様と相まみえるのを楽しみにしておる様子」
「遊び・・・。べんまるは、おてだま出来る?」
大きな眼をくりくりと丸くして、無邪気に問うに、幸隆はぐっと言葉を詰まらせた。
「お、お手玉・・・はどうでありましょうな・・・。し、しかし鬼遊びなら何でも得意と聞いておりますれば」
しどろもどろになりながら説明する幸隆に、勘助、虎盛も思わず苦笑いをしている。
それでもは鬼遊び、と聞いて、ぱあっと顔を明るくした。
「このまえ、六郎とやったおあそび?」
「そうですね。鬼遊びも数が増えれば更に楽しいですよ、様」
「じゃあ弁丸と六郎の三人であそべる?」
「はい、遊べますよ。俺ばかり鬼になるのは大変です」
大げさに項垂れて見せれば、はきゃっきゃと楽しげに笑う。
その姿は幼き日の面影を思い出させ、六郎は自然と笑みが零れた。
「で、では六郎。弁丸が来たらお主も傍について二人の面倒をみてくれぬか」
「はっ。旦那様。ではそのように」
六郎が笑顔で頷けば、幸隆もホッと安堵の息を漏らしたのだった。
卯ノ刻
奥州、米沢城。
この日、
梵天丸はいつもより少し早めに目が覚め、庭先で竹刀を振っていた。
そして白々と空が明けて来た頃、「ふう、」と息を一つ吐き、額の汗を拭う。
「若様、すでに起きておられましたか」
「・・・小十郎か」
聞きなれた声に振り向いた梵天丸のその右目には黒い眼帯。
あの流行病に倒れた日から七年。奇跡的に助かった梵天丸は、十歳になっていた。
とはいえ、命は助かったものの、高熱の影響で右目を失った。
「目が覚めちまってな。そういうお前も早いじゃねえか、小十郎」
「竹刀を振る声がしたもので」
「そりゃ悪かった」
梵天丸は苦笑交じりで肩を竦め、竹刀を置いた。
この小十郎は、七年前、梵天丸の守役となった
片倉景綱であり、あの直後に元服を済ませ、名を小十郎と改めた。
「そう言えば若様、朝の薬は飲みましたか?」
「は!んなもん忘れてたぜ」
「いけません。朝餉の前に必ず飲むよう侍医から言われてるではないですか」
「疱瘡から七年、お前に切られてから二年だぜ?もう何ともねえよ」
梵天丸は面白くなさげに吐き捨てると、縁側に腰を掛け、その場に寝転がった。
この季節、朝の風は多少冷たく感じるが、今は動いて火照った体にちょうどいい。
「ですが元服の儀までは飲み続けよ、と言われております。守らねばせっかく新薬を作らせたのに勿体ないかと」
「チッ。相変わらずお前は頭がかてえな」
「あと十日も待てば元服の儀。辛抱してお飲み下さい」
「・・・ったく。分かったよ!」
小十郎の小言にウンザリした梵天丸は、がばりと体を起こし自室として与えられている室へと入っていく。
小十郎もつかさず後を追えば、梵天丸は言われた通り、薬箱の中から朝飲む為の薬を取り出した。
「まじいんだよな、これ」
「良薬は口に苦し、と申しますれば。今、水をお持ち致します」
小十郎は侍女よろしく早々に水を持ち、梵天丸へと手渡した。
「おえ・・・苦ぇしまじい・・・。もっと甘く作れってのに」
「苦くて当然。薬ですので」
「もっと面白いこと言えよ、小十郎。本当におめえは堅苦しい奴だぜ」
梵天丸は苦笑したが、それでも言うほどに小十郎を嫌がってはいない。
10も年上の小十郎が梵天丸の守役となってから、片時も傍を離れた事はなく。
今の梵天丸にとって、小十郎こそが唯一心から信じられる重臣であり、友でもあった。
二人にそんな絆が生まれたのは、梵天丸が疱瘡を克服してなお、右目の視力を奪われた頃だった。
梵天丸の右眼は、長い年月の間で少しづつ飛び出したような状態になっていった。
梵天丸はそんな己の醜い顔を常に気にし、いつも俯きがちな暗い性格になっていったのだ。
周りの者達はその事に触れようとはせず、腫物を触るように梵天丸を扱った。
だが小十郎は、他の者が決して触れようとしない梵天丸の右眼に対し、
「そのように飛び出した状態では敵の手につかまれたら大変ですぞ」
と、ずばり言ってのけた。一昨年、睦月の頃だった。
それを聞いていた周りの家臣達は、当然、小十郎が梵天丸に斬られると思った。
しかし伊達家の嫡男として意識を持ち始めていた梵天丸は、小十郎にこう言った。
「――――ならお前がこの右眼を切ってくれ。そうすりゃつかまれる心配はなくなるだろ?」
小十郎は小刀を手に取ると、言われた通り、一瞬にして切り取ったのだ。
梵天丸と小十郎の主従関係が、本物となった瞬間だった。
あれから二年、右眼の傷も癒えては来ていたが、未だに薬を飲まされる梵天丸は、それが堪らなく苦痛だった。
心のどこかで、己は病を克服したのだ、という思いがあるからだ。
今の梵天丸は、病に倒れた弱い過去の己を、消し去りたくて仕方ないのかもしれない。
「そろそろ朝餉の刻となりましょう。また膳を運ばせましょうか」
「ん?ああ・・・。いや、今日は向こうで食う」
「宜しいので?」
「あまり顔を見せねえとオヤジも心配するしな」
「輝宗さまに元気なお姿をお見せして安堵させてあげねば」
「オヤジは心配しすぎるんだよ」
「それもこれも梵天丸様の事を大切に思っているからこそ」
「・・・分かってる」
父の心配がいかなるものなのか。梵天丸は痛いほどに分かっている。
幼い頃、病に倒れ死にかけた事で、輝宗でさえも心痛で床に臥せったほどだ。
「んじゃあオヤジと母上の機嫌でも伺いに行くか」
「御意」
「ああ―――朝餉の後で稽古に付き合ってくれよな、小十郎」
「はっ。仰せのままに」
「ったく・・・。その堅苦しい喋り、何とかしろよ」
頑なに表情を崩さぬ小十郎に、梵天丸は呆れたように肩を竦めた。
未ノ刻
甲斐の国、躑躅ヶ崎館へ、予定の時刻よりも多少早めに到着した昌幸とその息子、弁丸。
は、弁丸のその
喧しい声に思わず眼がまん丸となった。
「おぉ親方さまぁ!お久しゅうござりまするー!」
「おお、健やかであったようだな、弁丸よ!」
「この弁丸、日々、しょうじんしておりますれば!」
「偉いぞ、弁丸!!」
「いつかは親方様のため、思う存分おやくにたてるよう、弁丸はしょうじんして参るしょぞん!」
「うむ!その意気やよし!!」
「ぉ親方さまぁぁっ」
「弁丸!」
「・・・・・・・」
その二人のやり取りを見ながら、は呆気にとられたように口をポカンと開けて固まってしまった。
(何、この真っ赤なおのこは・・・。しかも凄ーく賑やか・・・。幸隆おじ様の言ってた通りみたい)
昌幸の傍らにいた弁丸は、見るからにやんちゃそうな子であった。
ジッとしていられないのか、常に動き回り、大声で信玄と何やら語らっている。
昌幸をはじめ、幸隆や勘助、虎盛が、そんな二人を苦笑交じりで眺めていた。
「ねえ、六郎。あの賑やかな子がべんまる?」
「そのようですね。幸隆さまの言うように、確かに賑やかなおのこだ」
「あの子とがあそぶの?」
「まあ・・・真っ直ぐで良い子そうではないですか?様が心配してたような怖い子には見えませんよ」
「うん・・・。こわそうではないけど・・・」
そう言いかけた時、信玄がふと、を見た。
ドキっとしたは思わず六郎の背にその身を隠したが、信玄は笑顔で弁丸を連れて来た。
「、こやつが弁丸じゃ。弁丸、この可愛らしいおなごがワシの孫のよ。仲良うしてやってくれぬか」
「はい、親方様!どの、お、お初にお目にかかるでござる!それがしは弁丸と申す者。なにとぞ宜しゅうおたのみもうす!」
「・・・・よ、よろしく・・・」
顔を真っ赤にしながらも大声でハキハキと名乗る弁丸に、は眼を丸くして驚きながらも何とか言葉を返す事が出来た。
どうやら弁丸も同じ年頃のおなごと相まみえるのは初めてらしい。
「ではワシらはお主の父や祖父と大事な話がある故、そなたらは仲良う八つ時でも食べて遊んでおれ」
「はい、親方様。ありがたく頂きまする!」
信玄の言葉に、ぴょこんと姿勢を直し、はきはきと応える弁丸を見て、も小さく頷いた。
とはいえ、相変わらず六郎の背に隠れたまま。
仕方なく、六郎がの手を引いて、弁丸の前に立つよう背中を押した。
「どの!八つ時はなんであろう」
「え、えっと・・・おじい様がまんじゅうともうしておりました」
「まんじゅうであるか!それがしの大好物でござる!」
「・・・わ、私も」
思わずいつものように己の事を名で言いかけ、はすぐに訂正した。
同じ歳の弁丸がきちんと話しているのを見て、少しだけ大人に見えたのだ。
「じゃあ奥向きに行きましょう。千寿さまが饅頭を用意してくれてます」
もじもじしているに代わり、六郎がそう声をかけると、弁丸は素直に頷き着いてきた。
何だか扱いやすそうな子だ、と思いつつ、六郎が二人を奥へと連れて行く。
と、その時。頭上で不意に人の気配を感じ、六郎は素早く二人の前へ庇うよう立ちはだかった。
「あーらら、相変わらず優秀じゃないの。六郎ちゃん。俺、めちゃ気配消して近づいたのにさあ」
「お、お前は・・・佐助!」
一陣の風と共に姿を見せたその人物を見て、六郎は驚きの声を上げた。
「久しぶり〜!元気してたぁ?」
その軽いノリの忍は、六郎と同じく真田忍隊の一人、猿飛佐助だった。
朱色の髪をなびかせ、草色の装束に身を包んだ佐助は、身軽な動作で六郎たちの前へと降り立った。
「な、何故お前がここに?!旦那様の護衛についてきたのか?」
「そうだけど少し違うんだよね〜」
「え?」
「――――佐助!どこに行っておったのだ!」
その時、素早く反応したのは弁丸だった。
「お主の姿がみえず、迷子になったのかと思うたではないか」
「若様じゃないんだから俺様が迷うはずないでしょ」
「ぬ・・・っ」
「まあまあ、そんなに膨れないの。この六郎っての昔馴染みだから、ちょいとからかってやろうかと思ってさ」
「わ、若様ってお前、もしや弁丸様の・・・」
「ああ、そうそう。俺、一昨年から若様の護衛についてんだ。真田の旦那に言われてね」
佐助の言う"旦那"とは、真田昌幸の事であり、最初、佐助は六郎と一緒に昌幸付きの忍の配下であったはずだ。
だが昌幸がその佐助を弁丸に付け、武田家へ来たという事は・・・
「もしかして・・・弁丸様が?」
「んー。ま、親方様が兄上よりも若様を気に入ったって事じゃない?」
「やはりそうか・・・。親方様のご様子から、よもやとは思っていたが」
「しかし六郎はいいねえ。こんなに可愛らしい姫の護衛なら命なんて惜しくないもんなあ」
「・・・うるさいぞ、佐助!それより様にきちんと挨拶を――――」
と言いかけた時、ツンツンと引っ張られ、六郎はハッとしたように振り向いた。
「その人、だぁれ?」
「こ、こやつはですね、その・・・」
「はーい、虎姫様。俺は猿飛佐助ってーの。六郎とは同じ里で修行してた仲間なんだ。宜しくね」
「と、とらひめ?」
初めて呼ばれた名に、はきょとんとした顔で六郎を見上げた。
こういう場合、どういう意味かと六郎に尋ねているのだ。
六郎は苦笑いを零しつつ、軽い調子の佐助を一睨みした。
「佐助、無礼だぞ」
「何でー?甲斐の虎、信玄公の孫なら虎姫でしょうが。まあ今は虎と言うよりは仔猫ちゃんだけどさ」
「佐助!」
「こねこ・・・」
そう称されたは不思議そうに佐助を見ていたが、不意に笑顔を見せ、「、こねこ好きだよ?」と応えた。
それには佐助も面食らったが、すぐに吹き出し、「かーわいい」と頬をほころばせる。
「さすが六郎が惚れこんじゃうだけあるよなあ。虎姫様の護衛なんて羨ましい限りだよ」
「ぬ、佐助。お主はそれがしの忍はいやだと申しておるのか?」
今の今まで黙っていた弁丸が、そこでむっとしたように口を挟む。
それには佐助も顔を引きつらせ、手をひらひらと振って見せた。
「やだなあ、そんなワケないじゃないですか、若様ー」
「うそをつくな!お主がそのような態度をするなら、それがしも言いたいことを言わせてもらおうぞ」
「え、何?俺様に何か不満でも?」
「いーっぱいある!毎度毎度、それがしの菓子はぬすみ食いするわ、あさげのおかずは横どりするわ、ふまんだらけでござる!」
地団太を踏みながら苦情を言う弁丸に。佐助よりも、六郎との方が呆気にとられた。
苦情全てが食べ物に関している事で、ちょっとだけおかしくなる。
「あれ、バレてた?こっそり盗んでたのに」
「バレるに決まっておろう!こんな食いしん坊な忍など、みた事もない」
「食いしん坊は若様も同じじゃないのー。っていうか小腹空かない?何かいい匂いがしてくるんだけど」
きゃんきゃん騒ぐ弁丸をよそに、佐助は匂いが漂ってくる方へと視線を向けた。
すると女中が膳に蒸し立ての饅頭を乗せて廊下を歩いて行くのが見える。
「あ、八つ時だった」
「ぬ、そうであった」
そこでいち早く反応したと弁丸は、はたと顔を見合わせ、互いに小さく噴き出した。
「行きましょ、弁丸。うちの房でやいたまんじゅうはすごーくおいしいの」
「それは楽しみでござる!」
二人は打ち解けたのか、仲良く奥向きへと走っていく。
それを眺めていた六郎と佐助も、互いに顔を見合わせ、溜息をついた。
「お互いに苦労するねえ」
「ふん、俺は苦労なんて思ってない。ま、佐助の方が大変そうだな、確かに」
「でしょー?もう、聞いてくれる?若様ってさあ」
「・・・もしやその愚痴を聞かせる為に、姿を見せたのか?」
「ま、それもあるけどねー。俺も様に顔見せしたかっただけ。これから頻繁に会う事になるだろうし」
「・・・どういう事だ?」
意味深な言葉に、六郎が眉をひそめると、佐助は笑いながら肩を竦めてみせた。
「ま、茶でも飲みながら話すよ」
「お、おい、佐助!」
すたすたと歩いて行く佐助に、六郎も慌てたようにその後を追いかけて行った――――。