涙を恥じることはない。
その涙は、 苦しむ勇気を持っていることの証なのだから――――。
八つ時
と弁丸、仲良く揃って奥向きへ向かうと、千寿が顔を見せた。
「お初にお目にかかります、弁丸様。わたくしは様の
乳母をしている千寿と申します」
「そ、それがしは弁丸と申す。このたびは八つ時におさそいいただき、まことに――――」
「若様〜。堅苦しい挨拶は抜きにして、早く上がったら?」
「ぬ、佐助!そのような態度はぶれいであるぞっ」
佐助の軽い態度に叱咤した弁丸は、目を丸くしている千寿に向かってぺこりと頭を下げた。
「それがしの忍が失礼つかまつった」
「まあまあ、気にしないで下さいませ。さあ、どうぞ。饅頭を用意させておりますゆえ」
礼儀正しく、しっかりした良いお子だ、と感心しながら、千寿はと弁丸を室の中へと通した。
その姿を見ながら、六郎と佐助も縁側へと腰を掛け、女中から饅頭と茶をもらう。
主二人を眺めながら、忍の二人も暫しの休息へと入った。
「弁丸様は礼儀正しく、良い子そうだな」
「まあ、ねえ。ちょっとあの生真面目さが大変だけど」
佐助は苦笑気味に言いながらも、と仲良く饅頭を頬張っている弁丸へと視線を向けた。
先ほどまで人見知りをしていたも、弁丸の率直な態度に安心したのか、楽しそうな笑顔を見せている。
周りが気に病んでいたほど、の人見知りは長続きしなかったようだ、と六郎も安堵の息を漏らした。
「なあ、あの二人、お似合いじゃない?」
「何?」
不意に佐助が言い、六郎は僅かに眉を寄せた。
佐助は何やら意味深な笑みを浮かべて茶をすすっている。
この男は昔からこういうところがある、と六郎は溜息をつきつつ、湯呑みを置いた。
「それより先ほど言ってた事はどういう意味だ?」
「え?俺、何か言ったっけ」
「そう、とぼけるな。今後は頻繁に会う事になる、と言ってただろ?」
「ああ、それ。うん。そうなると思うよ」
「・・・今回、昌幸さまが親方様の側近の一人に選ばれた事と関係があるのか?」
「お前も聞いてるんだろ?幸隆さまが近く、一線を退かれるって話」
「・・・少しはな。旦那様も最近は事あるごとに、寄る年波には勝てぬとぼやいておられた」
「それもあるけど・・・体調がすぐれないって事だろ」
「・・・ああ。重い病ではないが時々、体の節々が痛むようだな」
近年、越後の上杉軍との小競り合いが増えて来た事で、第一線へと赴いていた幸隆だったが、
ここ最近は体の不調を訴えるようになり、それを理由に休息をとる事もしばしばだった。
そんな理由で幸隆が、真田家の嫡男である
信綱に
家督を継がせる事を決めたのは、つい先日の事だ。
「信綱さまが家督を継いだのちは次男の
昌輝さまと三男である昌幸さまも共に足軽大将に選ばる事になったしな」
「光栄な事だと旦那たちも喜んでたよ。ま、そういうわけで暫くはここ、甲斐に詰める事になったわけ」
「なるほど、な。で、様のお相手に、と昌幸さまは弁丸様をお連れになったのか」
「まあ親方様の強い推挙があったみたいだしさ」
佐助は苦笑交じりで肩を竦めつつ、饅頭を一つ頬張った。
「で・・・源三郎さまは上田に残られたのか?姿が見えないが」
源三郎は真田昌幸の長男であり、弁丸の一歳違いの実兄だ。
「奥方は旦那に源三郎様も連れて行けと言ってたみたいだけど、親方様が呼んだのは若様だけらしい」
「そうか・・・。確かに三年ほど前、親方様が上田城から戻られた時、若様の方を強く褒めていた記憶がある・・・」
「まあ若様はあの通り
元気溌剌としてて、親方様が可愛がるのも分かるけどね」
「確かにな。源三郎さまには以前お会いした事があるが、少し大人しいという印象を受けた」
「奥方が散々甘やかして育てたからねー。頭もいいし武の才能もあるんだけど、何事も若様の方が目立っちまうってやつ?」
あの通り元気すぎるからさ、と佐助は笑った。
「って事で上田は今、ちょいと不穏な空気になってきててさ。今回、若様だけが呼ばれた件で出発前は旦那と奥方がひと騒動」
「仕方ない事かもしれないな。長男である源三郎さまを無視したと思われたんだろ」
「ま、それだけじゃないんだけど」
「他に何かあるのか?」
またしても含みのある笑みを浮かべる佐助に、六郎は訝しげな顔を見せた。
佐助は最後の饅頭を口へ放ると、仲良く話している二人へ目を向けた。
「まだハッキリした事は俺も直接聞いてないし他言しないでくれると助かるんだけど」
「またお前、勝手に主の会話を盗み聞きしたのか?」
「やだなあ〜人聞きの悪い」
呆れ顔で言う六郎に対し、佐助は頬を引きつらせながら苦笑いを浮かべた。
「声がでかすぎて聞こえただけだって。出がけに奥方が旦那と言い争ってたって言ったろ」
「・・・弁丸さまの事でか?」
「最初は今回の件かと思ったんだけどさ。奥方はどうも若様が様の遊び相手として選ばれたとは思ってないようなんだ」
「どういう事だ?親方様は歳が同じだから弁丸様を呼んだと思っていたが・・・」
「俺もそう聞いてた。でも奥方が"親方様の孫姫である様の
許嫁を真田家から選ぶのなら、長男である源三郎こそ相応しいのでは?"なんて言ってたんだよね〜」
佐助の一言に、さすがの六郎も目を丸くした。
「い、許嫁だと?だ、誰の事を言ってんだ?」
「だーから、奥方がそう怒ってたって事はさ、様のお相手に若様が選ばれたって事になるんじゃないの?」
「べ、弁丸様と様が?」
「二人とも、もう七つでしょ。そろそろ相手を決めてもいい頃だし」
「そ、それはそうだが・・・てっきり同盟を考えている家へ嫁がせるのかと・・・」
この戦乱の世、名のある家に生まれた姫は、他国との同盟の為、いわば人質の如く政略的な婚姻を結ぶ事が常となっている。
信玄の孫として生まれたも当然、将来は名のある武将の元へ嫁がせるつもりだろうと六郎は思っていたのだ。
「うーん、俺もチラっと聞いただけだから詳しい事は分からないけどさ。親方様はどうやら様を手放したくないようだぜ?」
「確かに親方様の様への愛情は深く、大層可愛がってはいるが・・・」
「それもそうだけど・・・多分、息子と娘を失ったってのもあるんじゃない?」
「何?」
「嫡男は自害、長女は病死。様の母君である松姫は居城を移された。その心痛があるからこそ、様だけは傍に置いておきたいと思ったのかもなぁ」
佐助に言われ、六郎はなるほど、と相槌を打った。
確かにが他の家へと嫁げば信玄の手元を離れてしまう事になる。
しかし武田家に仕える真田家の次男なら、例え婚儀を挙げようと信玄の元を離れる事はない。
「親方様はその相手に弁丸様を選ばれたのか?長男である源三郎さまではなく」
「親方様は自分の気に入った相手に様を嫁がせたいんじゃないの?変な野心を持たず、大事な孫を純粋に慈しんでくれるような芯の強い男にさ」
「・・・その才を弁丸様に見出したのか、親方様は」
「まー若様は生まれたての赤ン坊みたいに純粋一途で何事に対しても熱意は凄まじいものがあるから。武の稽古も一生懸命だし上手く出来ない事があれば延々と鍛錬してるよ」
「熱いお子なんだな、弁丸様は」
「それだけは誰にも負けないだろーね。いつも燃えたぎってるし」
佐助は笑いながら話していたが、弁丸を語る時の目は
殊の外優しい。
きっと佐助なりに幼い主を認めるところもあるんだろう、と六郎は思った。
「そのうち旦那たちから話をされるかもね。六郎もそう心得ておけば?」
「分かった。まあ俺としても大事な様の相手が、あの実直そうな弁丸様なら――――」
と言いかけた時、
「あー!それがしのまんじゅうが・・・!」
という大きな叫び声が聞こえ、目をやれば手から饅頭を落とした弁丸が、激しく膝落ちしている姿があった・・・。
「――――して、織田勢の動きは?」
信玄は、家臣である勘助、幸隆、虎盛、そして甲斐へ着いたばかりの昌幸を表向きにある執務の間に呼び寄せ、静かな声で問うた。
「は。亡き父、信秀の残した基盤を上手く利用し、信長は尾張統一に向け、徐々に力をつけております」
「
比叡山焼き討ちなど鬼の所業・・・」
と、虎盛は拳を震わせた。
信長は僧侶や学僧、幼子の首をことごとく刎ね、その非道な行いを僧侶に咎められた信長は「我は人に非ず。第六天魔王なり」と不敵に笑ったという。
「して、逃げおおせた僧侶達は無事に保護できたのであろうな」
「は。我が臣下の手でかくまっておりますゆえ、ご安心を」
信長の手を何とか逃れた僧侶達が、信玄の元へ救いを求めに訪れたのは、つい先日のことだ。
当然、信玄は僧侶達を快く受け入れ、かくまう事を決めたのだった。
「尾張統一までにはあと数年はかかりましょうが、油断は禁物。信長は我が武田軍への警戒も怠ってはいない様子ですぞ」
「ふん、織田の
子倅め。今は足元を固めるのに必死ですぐには動けんからと、あのような手に出たか」
現在、武田と織田は更に険悪な関係となっていた。
松姫を離縁した後で孫が生まれた事を知った信長は再三、孫を返せと書状を送り付けて来ていたが、信玄はその度に書状を突き返していた。
そんな信玄に対し、これまでは大人しくしていた信長も、ここ数年の間で少しづつ勢力を拡大しつつある。
そのうち何か仕掛けてくるだろうと信玄は睨んでいたが、遂に先日、忍ばせていた間者の死体が国境近くへ捨て置かれているのを見張り兵が発見。
間者の死体には「武田の宣戦布告、受けてたとうぞ・第六天魔王」という張り紙が張られていた。
「また新たに間者を向かわせまして御座います」
「うむ。今度こそ信長に悟られぬようにしろと申しておけ」
「はっ」
信玄の命に勘助が頷く。そこで茶が運ばれてきて、話はいったん止められた。
「時に幸隆。身体の方はどうじゃ」
「は、今朝は少し痛みがある程度。ですが日々寒くなるにつれ、痛みが増していきまする。歳は取りたくないものですな」
「何を弱気な。ワシとしては、まだ隠居は早いと思うておった」
「いえ、嫡男である信綱もそろそろ頃合いの歳なれば。責任ある立場に置き、精進してもらいたく思うております」
「そうか・・・。お主がそう決心したのなら、もう何も言うまい。ま、隠居したのちもお主と酒を酌み交わせるなら良しとしよう」
「光栄な事に存じまする」
信玄の軽口に笑い声が起きる。しかし幸隆はふと顔を上げると、思い出したかのように膝を打った。
「それよりも親方様。先ほど昌幸とも少々話したのですが・・・」
「ん?何をじゃ」
「様と我が孫の弁丸の事に御座います」
「おお、そうよ。思った通り、あの二人はお似合いだと思わぬか?」
の話になり、途端に顔をほころばせる信玄に、幸隆と昌幸は苦笑を零した。
「本気なので御座いますか?弁丸を許嫁にするというのは・・・」
「うむ。まあ以前から考えておったのだ。の相手となる男はワシが認めた者しか許さん、とな」
「それが弁丸だと?」
「ワシは弁丸のような真っ直ぐで一本気なおのこが好きなのよ。何事も一生懸命で最後までやり抜く力をすでに持っておる」
「そのように言って頂けるとは、真に嬉しい限りに御座います」
昌幸は恐縮したように頭を下げた。
我が息子を主君に褒められる事は、家臣として何よりも
誉れな事だ。
信玄は何度か頷いて見せると、ゆっくりと茶を飲み干した。
「それに何よりを外へ嫁がせたくはない。娘たちの生末を見てそう思うたのだ」
信玄のその一言で、その場にいる者全員が口を閉ざす。
長女に死なれ、五女での母である松姫までもを、あんな形で失った信玄の心痛は、想像以上に大きいのだ、と感じた。
「のう、昌幸」
「はっ」
「お主の息子を・・・弁丸をワシに預けてくれぬか」
「親方様・・・」
「の事だけはない。弁丸が元服したのち、ワシの傍に置き、精進させたいと思うての」
信玄の目は真っ直ぐに昌幸を見つめている。
その強い眼光を見た昌幸は、親方様は本気なのだ、と胸が熱くなるのを感じた。
「親方様に望まれるは何よりも誉れな事にありますれば。断る理由も御座いませぬ」
「お主の長男、源三郎の事もある。お主には不要な心労を与える事になるやもしれぬが・・・」
「心労などあるはずも御座いません。親方様のお傍へ付く事こそ真田家の誇り。どちらが選ばれようと源三郎と弁丸もそう思うておりますれば」
昌幸も真剣な顔で思いを伝えれば、信玄は優しい眼差しで何度か頷いた。
「礼を言うぞ、昌幸」
「もったいないお言葉にて」
昌幸も再び頭を下げると、父、幸隆も安堵の笑みを浮かべて頷いている。
「して、許嫁の件、当人達にはいつ・・・?」
「うむ・・・。それも悩んだのだが・・・今は会うたばかりで驚かせるのも可哀想だろうて」
「では弁丸が元服したのちに告げると言うのは」
「そうよのう。もちょうど裳着の頃。その頃になれば二人も打ち解けておるであろう」
「では、その日まで、この事は内密に?」
「うむ。そなた達も腹の中に収めるように」
「御意に」
幸隆は頷き、他の家臣達を見渡した。勘助、虎盛も同じく頷いて見せる。
この日――――
真田家の次男である弁丸は、信玄と昌幸の間で交わされた密約のもと、元服を済ませたのち、正式にの許嫁となる事になった。
申ノ刻
まさか祖父や父達が、二人の将来を勝手に決めている事など知らぬと弁丸は、饅頭を食べた後、仲良く鬼ごとをして遊んでいた。
「なぁんで俺様が鬼なわけー?」
と佐助はボヤいていたものの、「じゃんけんに負けたんだから当然だ」という六郎の一言で、渋々数を数えだした。
「いーち、にーい、さーん、しー、ごー」
その声を聞きながら、は「こっち、こっち」と屋敷の庭に咲いている花の奥へと弁丸を連れて行く。
「ここはわたしがいつもかくれる場所なの。六郎も最初はなかなかみつけられなかったんだよ」
「そうで御座るか。確かにこれだけ花が咲いていればみえにくいであろうな」
身を屈め、花の合間を抜けて更に奥へ進む。
佐助の声も次第に聞こえなくなり、は適当な場所でしゃがみ込んだ。
「時に殿の護衛である六郎殿はどこへかくれたのであろう。姿が見えぬが・・・」
「六郎はかくれるのがじょうずなの。わたしが鬼になった時はさがすのたいへんだったもん」
「そうであるか。では次のじゃんけんに負けぬようにせねば」
と真顔で頷いている弁丸の横顔を、はじっと見ていた。
初めて会う同じ年頃のおのこ、と思うと、こうして一緒に遊んでいるのが不思議な気がした。
(弁丸って目がくりっとしててかわいらしい顔。黙ってるとおのこじゃないみたい。でもよりも少しだけ背が大きいしうらやましいなぁ・・・)
そんな事を考えていると、不意に弁丸がの方へ顔を向けた。
「それがしの顔に何かついてるで御座るか?」
「ううん。かわいらしい顔だなあと思って」
「か、かわいらしい?そ、それがしはおのこであるから、かわいらしい、とはおかしいでござるっ」
「しぃ!佐助が数えおわったみたいだから静かにしないとみつかっちゃう」
一瞬で真っ赤になった弁丸の口にが人差し指を当てると、弁丸は口をパクパクさせながら頬は更に赤く染まっていく。
おなごに触れられた事のない弁丸には少々刺激が強かったのか、慌てた拍子に後ろへどすんと尻もちをつくハメになった。
「だ、だいじょうぶ?弁丸」
突然、後ろによろけて尻もちをついた弁丸に驚いたは、その体を起こそうと手を伸ばした。
「いたっ」
「どうしたの?弁丸」
「何かで切ったで御座る・・・」
身体を支えるのに手をついた事で手のひらを切ってしまったようだ。
弁丸が手を開いてみると、親指の付け根に血が滲んでいた。
「あ、ちが出てるよ、弁丸・・・っ」
「こ、これしきの傷、たいしたことはない――――」
痛みを堪え、弁丸はその手を隠そうとした。
何となくおなごに弱みを見せたくない、という男の意地のようなものだった。
しかしはいち早く弁丸の手を掴んだ。
「な、何を――――」
「千寿に教えてもらったの。ちが出たら、こうしなさいって」
手を掴まれ慌てている弁丸を尻目に、は己の着物の小袖の中から小さな布を取り出し、傷口を塞ぐように巻きだした。
お世辞にも上手とはいえないが、つたない手つきで一生懸命、傷の手当をしているを、弁丸はぼけっとした顔で見ていた。
「はい、できた」
「か、かたじけないで御座る・・・」
何とか縛り終えたがニッコリ微笑むと、弁丸は頬を赤くしながらもペコリと頭を下げた。
「殿は・・・や、優しいで御座るな・・・」
「もよくころぶの。この前はえんがわからおちたのよ。血がいーっぱい出て、おじい様のお顔がまっさおになったの」
「ち、血がいっぱい・・・!だ、だいじなかったで御座るか?」
身振り手振りを大きくしながら話すに、弁丸の目もまん丸に開かれる。
「びっくりしたけど泣かなかったら、おじい様がほめてくれて、おだんごくれたの」
「だ、だんごであるか!それがしは泣かずとも菓子などもらった事もないが・・・」
「ほんとに?おじい様はくれるんだよ?こんど弁丸のぶんももらってあげるね」
「まことで御座るか?それがし、だんごも好物なのだ」
「じゃあ、いーっぱいもらってあげる。弁丸は何のおだんごがすき?」
「それがしは、あんこたっぷりのだんごがすきで御座る」
「はみたらしなの。手がベタベタになってしまうのがこまるんだけど」
「それがしは口のまわりがベタベタになるのだが・・・何故、うまく食べられぬのだろう」
「なんでだろうね」
二人は話す事に夢中で、鬼ごとの最中だという事をとっくに忘れているようだ。
佐助は屋根の上から二人を眺め、苦笑いを浮かべた。
数を数え終わり、さて、どこから探すか、と歩き出した佐助だったが、ふと花が植えてある奥の方から何やら声がする事に気付いた。
当然、佐助は声のする方へ歩いて行き・・・拍子抜けするほど簡単に二人を発見したのだが、あまりに楽しげなと弁丸を見て、観察することに決めたのだった。
「ったく・・・。これじゃ鬼ごとにならないでしょーが」
隠れている事を忘れ、大きな声で何の団子が好きだと言いあう二人の幼い会話に、佐助は笑いをかみ殺した。
と、その時、背後に人の気配を感じて振り向けば、そこには同じように苦笑いを浮かべている六郎がいた。
「鬼が呑気に覗き見か?」
「だって可愛いじゃないの。怪我の手当をしてるし、いい雰囲気かと思えば夢中で団子の話を始めるし」
「確かにな」
「って言うか、六郎も隠れずに覗き見してたんだろ」
「お、俺はただ弁丸さまの大きな声が聞こえたから、忠告をしに来ただけだ。そしたら弁丸様が転ばれて――――」
「ああ、若様、おなごに免疫ないからね〜。虎姫さまに触れられて驚いたみたいよ」
苦笑交じりで己の主を見下ろす佐助に、六郎もまた苦笑いを浮かべた。
「あのお歳で免疫がありすぎても怖いだろ」
「え?そお?俺なんて若様くらいの歳にはすでに免疫あったけど」
「・・・お前は特別だ。里にいた頃から手あたり次第、くノ一に声をかけてただろ」
「そりゃー忍たるもの、早いうちに免疫くらい身に着けないと、と思ってさ」
「・・・破廉恥な奴」
「って、それ若様の口癖だから」
「は?」
「上田にいた頃、俺が女中とかに声をかけてると、よく"お主は破廉恥が過ぎるぞ!"って顔真っ赤にしながら怒るんだよね〜」
そう言いながらも佐助は楽しげに笑った。
「ま、虎姫様のおかげで、あの性格が少しは砕けるといいんだけど」
「そんな事より・・・いつになったら見つけてやる気だ?あのままでは二人とも延々話して――――」
と言いかけたその時、佐助がニッコリ微笑み、六郎の肩をポンと軽く叩いた。
「捕まえたっと」
「は・・・?」
「次の鬼は六郎で決定ー!」
「・・・相も変わらず、お前はこずるいな」
「忍たる者、どんな時でも油断大敵って師匠が言ってたでしょーが」
佐助は満面の笑みで立ち上がると、仏頂面の六郎を残し、軽い身のこなしで庭先へと飛び降りた――――。
亥ノ刻
尾張国・
清洲城。
城主である織田信長は、最近家臣となった明智光秀を己の自室へと呼び寄せていた。
「光秀よ。お主の働き、なかなか見事であった。
帰蝶も褒めておったぞ」
「ありがたきお言葉にて」
光秀と呼ばれた男は、その長い髪の間から見える鋭い眼を僅かに細め、信長へと傅いた。
「このまま行けばそう遠くはない先、尾張統一も出来よう。そののちは・・・」
「甲斐の虎、で御座いますか?」
「あの老いぼれ、余の孫を返すつもりはないらしい。この七年、勢力拡大の為、我慢しておったがもう限界ぞ」
信長は忌々しげに呟くと、一気に酒を煽った。
その杯へ新たに酒を注ぐのは、信長の嫡男であり、の父でもある信忠だ。
「父上。必ずや我が子を奪い返して下さいませ」
「分かっておる。織田家の血が流れる我が孫ぞ。武田にくれてやる道理もないわ」
注がれた酒を再び煽った信長を見ながら、光秀は怪しい笑みを浮かべた。
「ご命令下されば、この明智光秀が甲斐の国から、信長さまのお孫様を奪い返して見せましょう」
「・・・ふん。出来れば今すぐにでも甲斐へ進撃したいが・・・今はまだ早い」
「・・・と申しますと」
「この程度の軍では、あの武田が誇る騎馬隊には打ち勝てぬ、という事よ」
「では・・・機を伺っておられるのですね?」
光秀の問いに、信長は僅かに口元を歪め、舌なめずりをした。
「あの騎馬隊に勝るとも劣らぬ武器が手に入るやもしれん」
「・・・それは恐ろしい」
「それまでは・・・せいぜい油断させておけばよいわ。忘れた頃に寝首をかいてやろうぞ」
「・・・御意」
全てを語ろうとはしない信長に、光秀はそれ以上問う事をやめ、素直に頭を下げる。
この男に付き従うのも、ある目的の為。
その日が来るまで、光秀は己の爪を隠し、信長の忠実なる家臣を演じる事に決めた。
「では信長さま。甲斐の虎を叩く前に、尾張統一の為、この明智光秀の働きを存分にお見せ致しましょう」
「次は何を見せてくれるつもりだ?光秀」
「未だ抵抗している村をいくつか、焼き討ちしたく存じます。お許し願えますか?」
「・・・好きにしろ」
光秀の申し出に、信長は不敵な笑みを浮かべ、一気に酒を飲み干した――――。
丑ノ刻
甲斐の国へ来て十日ほど過ぎた日の夜、弁丸は
尿意を
催し、夜半過ぎにふと目が覚めた。
昼間もと散々遊びまわり、五ツ半には疲れ果てすぐに床へと入ったのだが、この季節、秋が深まってくると、それなりに冷える。
弁丸は夜具から出るのを迷いながらも、尿意には勝てず、渋々起き上がった。
この寒さの中で外にある
厠へ行くのは、少々勇気がいる。
「ひましに寒くなっていくでござる・・・」
目を擦りボヤきながらも暗い廊下を進み、厠へと向かう。
手に
秉燭を持ち足元を照らしてはいるが、この時刻ともなれば辺りは暗く、少々気味が悪い。
己の影が灯り火でゆらゆら揺れるのでさえ、弁丸は怖く感じた。
とはいえ、弁丸もすでに七歳。一人で厠へ行けないなどと情けない事は言えず、足早に廊下を進んでいく。
以前は常に己の傍にいる佐助に「厠へ着いて来てくれ」と頼み込んでいたが、最近では「もう七つなのに怖いんだ」とからかわれる事が多く、それが嫌になってきたのだ。
「ふう・・・」
早々に用を足した弁丸は、やっと床に戻れると安堵の息を漏らしながら、厠を出た。
が、しかし。そこで小さな声が聞こえたような気がして、弁丸は立ち止まった。
(な、何やら泣き声のようなものが聞こえたが・・・もしや・・・ゆ、ゆうれい?!)
動揺した弁丸は右往左往しながら辺りを見渡すが、人の気配はない。
なのに、か細い泣き声は未だにどこからか聞こえてくる。
弁丸は先日、佐助に聞かされた怪談話を、こんな時に思い出してしまった。
『・・・丑三つ時には成仏できない武士の霊が、主を求めて屋敷をさ迷い歩くらしいですよ・・・』
油皿に灯った火を己の顔の下から当て、恐ろしい形相で語っていた佐助を思い出しゾっとする。
そう言えば今は丑三つ時辺りではないか、と弁丸は気づき、かすかに足が震えて来た。
「こ、こわくなどないぞ・・・。弁丸はお、おのこであるのだから、」
己を励ますように独り言ちながらも、弁丸は震える足で邸内へと戻った。
出来れば走ってしまいたいが、その足音で幽霊に気付かれたら嫌だ(!)と、それも出来ないのだ。
(こわくない、こわくなどない)
心の中で念仏のように唱えながら、弁丸は伏し目がちに廊下を歩いて行く。
だがしかし、そのせいで廊下を一本間違えたようだ。
しかも泣き声がさっきよりもずっと近くに聞こえ、弁丸は、はた、と足を止めた。
(そ、それがしとした事が!間違えて、ゆ、ゆうれいのいる方へ来てしまったではないか・・・!)
不覚でござる!親方さまぁ!と心で叫び真っ青な顔で頭を抱えた弁丸。
そしてふと、佐助は常に近くで見ているはずだ、という事を思い出す。
からかわれても笑われてもいいから今度こそ本当に佐助を呼ぼうかと考えた。
が、その時。聞こえてくる泣き声が武士ではなく、おなごのようだと気付いて、ふと顔を上げた。
「ぬ・・・こ、この声はもしや・・・」
先ほどは幽霊と思い込んだせいで冷静に聞けなかった声も、こうして耳を澄ましてみれば、その正体は存外、すぐに見当がついた。
そうなれば怖くはない、と弁丸は声のする方へ足を向けた。
奥向きの更に奥にある東の間。そこは信玄との室があるだけなのだ。
薄暗い廊下を歩いて行くと、昼間に遊んだ庭が見えてくる。
そして、声の主は縁側に座り、月夜を見上げながら泣いていた。
「は、ははうえ・・・どうしてを・・・すてたの・・・?」
ひっくひっくと嗚咽を上げる合間、母恋しと言うように漏らすの悲しい言の葉。
それを聞いた弁丸は、胸の奥がぎゅっと掴まれたみたいな痛みを感じた。
(そうだ・・・殿の母上は殿が生まれれてすぐに城を出て行ってしまわれた、と父上がもうしておった・・・)
上田を発ち、甲斐へと向かう道すがら。父、昌幸にそう聞かされた事を弁丸は思い出した。
『様は親方様の手前、泣き言は決して申さぬが心中はどれほどお寂しいか。弁丸。そなたが様のお傍で癒してあげるのだぞ』
『はい!父上!この弁丸が、姫をいーっぱい笑顔にしてみせまする!』
父とそんな会話をした事を思い出した弁丸は、ぎゅっと拳を握りしめた。
(それがしには母上がおる。けれど殿は生まれたころから母上にだかれた事すらないのだ・・・)
それがどんなに寂しい事なのか、まだ七歳の弁丸には分からない。
しかし目の前で母を思い、一人で泣いているを見ていると、己が傍にいてやらねば、という気持ちになり、なるべく脅かさぬよう静かにの方へ歩いて行った。
「っだれ・・・?」
灯り火の明るさに気づいたは、はっとした顔で振り向いた。
「べん・・・まる・・・?」
涙で濡れた頬を慌てて拭いながら、傍に歩いてきた弁丸を見上げると、はすぐに笑みを浮かべた。
「弁丸も・・・ねむれないの?」
「い、いや・・・それがしは厠へ・・・。殿は・・・いかがしたのだ?」
涙をこらえ、笑顔を見せるのいじらしさに、弁丸は何とも言えない気持ちになりながらも、涙に気付かぬフリをして問うた。
「・・・わたしは途中でさむくて起きちゃったの・・・」
「そ、そうで御座ったか・・・」
の話に合わせ相槌を打ちながらも、弁丸が足を投げ出すように縁側へ座ると、床の冷んやりとした感触が肌を刺す。
見ればは
寝巻を一枚着ているだけだ。
弁丸は己の羽織りを脱いで、の肩へとかけてやった。
「・・・弁丸?」
「か、体を冷やしてはいかぬゆえ・・・。そのような薄着では
感冒にかかってしまうではないか」
「でも弁丸もさむいでしょ?」
「そ、それがしはおのこであるぞっ。これしきの寒さなど、かっぱの屁・・・っくしゅ!」
言った矢先から派手なクシャミをした弁丸に、も目を丸くしながら、「だいじょうぶ?」と問うた。
「だ、大事ないでござる。それより・・・殿はねないのでござるか?」
「・・・・・」
「殿・・・?」
不意に黙り込んだに、弁丸は小首を傾げ、顔を覗き込んだ。
はどこか寂しそうに目を伏せていて、ふと、先ほど泣いていた姿を思い出した弁丸は、「き、きれいなお月様でござるな!」と話題を変えた。
「あのようにまん丸なお月様はまんじゅうに似て美味そうでござる」
弁丸がそう言えば、も、ふと顔を夜空へ向ける。
ぽっかりと浮いた満月は、確かに二人の好物である饅頭によく似ていた。
「ほんとだ。おいしそう」
「そうであろう?この場に佐助がおったらとびついておるやもしれぬ」
「ぷっ・・・あはは!佐助、そんなに食いしん坊なの?」
思わず吹き出したは楽しげな笑い声を上げた。
その笑顔にほっとした弁丸も笑みを返すと、「佐助の食いっぷりは冬眠まえの熊のようなのだっ」と両手をいっぱい広げて、大げさに言った。
「く、くま?」
は眼を丸く見開き、驚いた。
話に聞いた事はあるものの、熊という生き物は実際に見た事もない。
「佐助はそんなに食べるんだ・・・。六郎はそんなに食べないけどなあ」
「佐助がとくべつ食いしん坊なのだ。夕べのゆうげは二度もおかわりしておった」
「あ、そういえば弁丸とサトイモとりあってたね」
「あ、あれは元々それがしのサトイモでござる。佐助はそれがしよりも体が大きいゆえ、たくさん食べるなどとヘリクツを申すのだ」
ふくれっ面で文句を言いながらも、芋を思い出したら腹が減って来た、と弁丸は己の腹を手で押さえた。
その姿にわたしも、とが笑う。
「わたしね、さっきまではすごく寂しかったの・・・」
「・・・・っ?」
一通り笑った後、不意にが言った。
弁丸は何も応えず、隣にいるの横顔を黙って見つめた。
「わたし、母上がいないの。だから時々すごーく寂しくなって目がさめちゃうんだ」
「・・・そうで御座ったか」
の口から本音が語られ、弁丸は何と答えてよいのか分からず僅かに目を伏せた。
しかしは真っ直ぐに弁丸を見ると、いつものようにニッコリ微笑んだ。
「でもね、今夜は・・・弁丸がそばにいるから寂しくなくなったよ」
「・・・殿・・・」
これまでは、周りに大人ばかりで弱音を吐けなかったのだろう。
そう感じた弁丸はこの時、胸の奥で、何かが
滾るのを感じていた。
己の存在で、の心の痛みを少しでも和らげる事が出来るのなら、これからもこの、優しい笑顔を、守りたい。
大切な主君の孫だからではなく、己の"友"として――――。
「で、では殿が寂しくならぬよう、それがしはこれからも殿のそばにいるで御座る・・・っ」
「ほんとう?」
「それがし、嘘はつかないで御座る。友とのやくそくは必ずはたすっ」
「とも・・・?」
「うぬ。それがしと殿はすでに友であろう?」
「・・・うん!」
友、という言葉に、は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「じゃあ、ゆびきりしよう?」
「ゆ、ゆびきり、で御座るか」
「やくそくする時はゆびきりするの。六郎がおしえてくれたのよ」
「わ、分かったで御座る。では・・・」
少々戸惑いつつも、弁丸はと同じように小指を差出した。
双方の小さな小指をしっかりと繋げば、何故か心の奥のずっと奥が、小さな灯りを灯すようにぽっと暖かくなる気がした。
「ゆびきりげんまーん、うそついたら針せんぼんのーます!ゆび切った!」
小さな約束を交わした二人は、互いの顔を見合わせ、にっこりと微笑みあう。
そんな姿を屋根の上で見ている忍が、二人いる事も知らずに――――。
「かーわいいねえ」
「・・・ああ」
佐助と六郎は静かに二人を見守りながら、軽く笑みを漏らした。
「しっかし俺様の事、熊みたいに食うなんて若様もひっどいよなあ」
「当たってるじゃないか」
「あのね・・・」
からかう六郎をひと睨みして、佐助は唇を尖らせた。
忍として護衛についている以上、常に主の傍にいる。
二人はと弁丸が起きて来た時から、ずっと別々に様子を伺っていた。
「様は・・・時々あんな風に、夜になると一人で泣いていた。でも俺は何も出来なかったんだ」
「・・・ま、身は守れても母親にはなれないしね」
「寂しくて当然だろうな・・・」
弁丸と楽し気に話しているを眺めながら、ぽつりと漏らした六郎に、佐助は苦笑いしながら夜空を見上げた。
「忍がそこまで感情移入するのはどうかと思うけどー?」
「・・・分かってる!だが俺は様が生まれた時から傍についてるんだ。一昨年から弁丸様付きになったお前とは思い入れが違う」
「俺様だって若様付きではないにしろ生まれた頃から真田の旦那の傍で成長を見守って来たさ。でも俺達は道具なんだ。いくら主でも肩入れしすぎちゃ、いざって時に冷静な判断が出来なくなるぜ?」
佐助は最もな事を言う。そう思いながらも、六郎はふと笑みを零した。
「お前もこの武田家に長いこと入れば分かる」
「何が?」
「親方様の・・・周りの者に対する慈愛の深さだ」
「なるほど・・・。虎姫さまだけじゃなく、大将にまで惚れ込んでたとはねー」
佐助も納得したように頷くと、屋根の上へ寝転がった。
「まあでも、若様と虎姫様の事は決まったみたいだし、仲良くなってくれて良かったよ」
「ああ。幸隆様も隠居に入られる。その前に決まって安堵している事だろう」
「今後、武田と真田家は更に強い絆で結ばれるってーわけだ。良い事じゃないの」
「ったく、お前は呑気だな」
「こういう性分なんでね。ってーか信綱様が家督を継がれたら、あいつもこっちに詰めるんだろーなー」
「あいつ?」
溜息交じりで呟く佐助に、六郎が眉を寄せれば、「才蔵だよ」とすぐに不満げな声が返ってきた。
「ああ、
霧隠才蔵か。お前は昔から才蔵と合わなかったからな」
六郎は苦笑交じりで言うと、佐助と同じように屋根へと寝転んだ。
霧隠才蔵は六郎、佐助と同じ里で同じ時期に修行した仲間である。
同時期に修行していた忍の中でも三人はずば抜けて優秀な成績を収め、真田家に仕える事を許されたのだ。
だが、佐助と才蔵は事あるごとに衝突していた。
「あいつ、いっつもシレっとした顔で偉そうなこと言うしムカつかない?」
「ああいう忍もいる。というかお前よりはずっと忍らしいと思うが?」
「うーわ、六郎までそういうこと言う?今の六郎ならきっと言われるぜ〜?"忍に情などいらない"ってさ」
「・・・気にしないさ。忍とて色々な奴がいていいと今は思えるようになったしな」
「それも大将のおかげってやつ?」
「ああ」
「随分と惚れこんじまって。んじゃあ俺もじっくり甲斐の虎の観察とでもいきましょうかね」
佐助の言い方に苦笑しながら、六郎は夜空に光る星を眺めた。
これからは武田家も更に賑やかになりそうだ――――。
そんな事を思いながら、ふと下の気配を探る。
しかし先ほどまで聞こえていた二人の声が、いつの間にか聞こえなくなっている事に気づき、慌てて体を起こした。
「どうした?」
「様と弁丸様の声がしない」
「そういや・・・そうだな。でも気配はあるのに」
佐助も言いながら体を起こし、六郎と二人で下を覗き込んでみる。
そして同時に顔を見合わせ、小さく噴き出した。
「寝ちゃってるよ・・・」
「話し疲れたんだろう。感冒にかかっては困る。寝間へ運ぼう」
「だね〜。ったく世話の焼ける姫様と若様だ」
苦笑交じりで言いながらも、どこか優しい響きのある言い方に、六郎は笑いをかみ殺した。
佐助も何だかんだと冷めた事を言ったりもするが、実際のところ、六郎と同じ情を持っているのだろう。
(佐助も素直じゃないからな)
そんな事を思いながら、六郎は音もなく庭先へと飛び降りる。
佐助も後から続くと、「あーらら」と肩を竦めて笑った。
「仲のいいことで」
見れば縁側で二人、寄り添うように丸くなっている。やはり寒かったのだろう。
弁丸の羽織に仲良く二人でくるまっている、その可愛らしい姿に、六郎はふと笑みをこぼした。
(二人が仲良く、そしていつまでも健やかに暮らせるよう、その穏やかな時間を、俺は守っていこう)
と弁丸の寝顔を見ながら、六郎は改めて心にそう誓っていた――――。