code:02 / Silver hair and the red moon.







「―――――っスパーダ…?!」


思わず声を上げれば、突如現れたその男は、静かな眼差しで、の事を見下ろした。








闇に光る綺麗なプラチナブロンド、そして綺麗なスカイブルーの瞳、
スラリとした身長に、青のロングコートを羽織り、その手には長い剣を持っている。

(銀髪と切れ長の青い瞳…子供の頃から読みあさっていたスパーダの伝書に載っていた容姿とそっくり…まさか―――本当に?)

スパーダは人間界を救ったのち、忽然とその姿を消した、と言われている。
どこにも"死んだ"とは載っていなかったし、もスパーダは必ずどこかで生きていると今日まで信じていた。
だからこそ、スパーダの風貌と酷似している目の前の男を見上げながら、はその期待に胸を膨らませる。
しかし、その夢のような瞬間を、醜い声が遮った。

≪…き、貴様かぁ!!オレ様をこんなにしやがったのはっ!!≫

すっかり舞い上がっていたは、その悪魔の存在を完全に忘れていた。
下半身がないせいで動けずにいるマンナーロは――まるでコメディホラーのよう――その怒りをぶつけるかのように吠えている。
その姿はどこか弱い座敷犬のようだ、とは思った。(!)

「…うるさいバカ犬!あんたの声、頭に響くのよっ」

怪我の痛みなどケロっと忘れ、未だ吠えているマンナーロを怒鳴りつける。
戦いの途中だったが、どうせ互いに動けぬ身だ。この際、大人しくしていて欲しい。
なんて勝手な事を考えていると、それまで黙っていた銀髪の男が静かに口を開いた。

「…全く同感だ」
「…え?」

思ってもみなかったその同意的な返事に、は戸惑いつつも顔を上げる。
銀髪の男はゆっくりとした足取りでマンナーロに近づくと、その手に持っていた剣―――いや、あれは剣ではない。変わった形をしている。

「それ……本で見た事があるわ。"日本刀"そう呼ぶのよね」
「…………」

の言葉に、男は肩越しで振り返る。そしてすぐに青いロングコートを翻し、また歩き出した。
はそれを静かに見送り、マンナーロは自分の体を刻んだ人物が近づいてくる姿を目の当たりにして、更に発狂し始めた。

≪…ガキがぁぁ!!イキがってんじゃねえぞ!!体が再生したらお前など――――≫

「黙れ。お前の醜い怒号は聞くに堪えん」

≪なに…ぉ…!!ぐっ!ぁ…っ―――――≫

マンナーロが何かを叫ぼうとした、まさにその時。
銀髪の男はも目で追えないほどのスピードで刀を抜き、次の瞬間、マンナーロは再生も出来ないほど、粉々に切り刻まれていた。
特にが気付いたマンナーロの弱点でもある頭部は、形も残らないほどにミンチになっている。

「…嘘」

こういう時、こんな言葉しか出ないのか、とは思う。
しかし、それしか思いつかない。

子供の頃から追い続けた母の仇は、突如現れた謎の男の手によっての目の前であっさりと、消滅した―――――







「な…何、で」

フラフラと立ち上がったは、すでに消滅してしまったマンナーロの存在を探すように、ゆっくりと足を進めた。
動けるまでに回復した体も、まだ痛みは残っているが、この際どうでもいい。こんな痛みなど、明日には消える。
それよりも今は―――――

「あの悪魔の声が耳触りだったんでな。殺してはいけなかったか?」

彼が"何者"かという事の方が大事だ。

唖然とした顔で近づいてきたを見て、銀髪の男は訝しげに尋ねた。
そう問われ、はふと彼を見たが、慌てたように何度も首を振る。
出来れば自分の手で仇を討ちたかったが、現実には返り討ちに合いそうだったのだ。
これはこれで良しとしよう。(ごめんね、ママ)(!)
それに、とはもう一度、目の前の男をまじまじと見つめた。

(そう、それより彼が何者なのかが気になる…。この刀…それにさっきの鋭い殺気と剣の腕は凄いものがあった。もしかして本当にスパーダ?でも彼の剣は日本刀じゃなかったはず…)

「何だ。ジロジロ見るな」
「あ、ご、ごめんなさい…」

あまりにぶしつけにガン見しすぎたせいか、男が僅かに眉を寄せる。
しかしその表情すら美しい、と思うほど、男の顔は整っていた。と言うより美形だ、とは思う。

(私のスパーダ像にピッタリ…まさしく、こんな感じのイメージだったのよ!)

内心そう思いながら、はとりあえず落ち着こう、と軽く深呼吸をした。
銀髪の男はそんな彼女を訝しげな顔で見ていたが、ふと目の前の遺跡に視線を移す。

「あ、あの…さっきはありがとうございました」

視線を反らされたものの、忘れていたお礼を口にすれば、男は再び振り返った。

「別にお前を助けたわけじゃない」
「…はあ。じゃ、じゃあ…何故ここに?この街の人間じゃないようだけど…」

この城砦都市フォルトゥナはそれほど広い街ではない。住人達も皆、顔見知りだったり、どこかで見かけた事のある顔ばかりだ。
彼のように銀髪の若い男など、この街にはいなかったはずだし、またいたとしても彼ほどの容姿ならすぐ噂になるだろう。
しかしはそんな話を聞いた事がなかった。この赤い月夜に一人で森をうろついているところからして、よそ者だと言う事が分かる。

「俺はただ、この遺跡を見に来ただけだ」
「え…それだけ?じゃあ…この遺跡を見に来て――――」
「ああ、そうだ。静かにゆっくりと見たかったからな。ついでに言えば、あの悪魔は邪魔だからを斬った。それだけだ」

男はそう答えると、再び遺跡に視線を戻し、歩き出した。
それを見てついも後を追う。彼女にはどうしても確かめたい事があったのだ。

「何だ。まだ俺に用か?」
「え、あ…まあ」
「怪我してるんだろう?早く帰って手当てしたらどうだ」

男はを見もしないまま遺跡の残骸へと上がって行く。
どうやら本当に遺跡を見物したいらしい。

「怪我はもう大丈夫。それより――――名前、聞いてもいいですか?」
「…何故だ?」
「い、いえ…その…あなたがある方にそっくりというか何と言うか…だから気になっちゃって…っていうか私もその"人"…じゃなくて、その…"彼"の顔を見た事はないんだけど―――」
「…見た事がない奴に…俺が似てるとどうして分かるんだ?」
「……それは…」

ごもっともで、とは小さく呟いた。

「だから彼も…っその…銀色の髪に綺麗な青い瞳だったって本で読んだと言うか…」

どう伝えようか困っているを見て、男は僅かに意味深な笑みを浮かべた。

「…彼、とは…"スパーダ"か?」
「そ、そう…!何で知ってるの?やっぱり本人?!本"人"ってのは変だけど――――」
「この土地にはスパーダの伝説が色々と残ってるんだろう?こういった遺跡の一つ一つに、それぞれ逸話があるほどにな」
「そ、そっか。あ…だから…来たの?」

ひょっとして、と思ったが、さらりとかわされ、は多少ガッカリしながら尋ねた。

「ああ…まあそんなところだ。以前来た時は見れなかった場所なんでな」
「そう…そっか。って、前にもフォルトゥナに来た事が?」
「ああ。7年前に一度、な」
「そうなんだ」

ゆっくりと歩きながら遺跡を見て回る男の後を、まるで金魚のフンのごとく、はついて回る。
こうして話してると目の前の男がスパーダじゃない気がしてきたが、何となく気になるのだ。

(おかしいなあ…最初に見た時、絶対そうだって確信したのに。でも良く考えたらスパーダがこんなに若い訳ないわね。彼はどう見ても20代だし…)

そう、それに銀髪に青い瞳だからといってスパーダだとは限らない。
現にこの街には銀髪の少年がいるくらいだ。

(そう言えば…この人、ネロにどことなく似てる気がする)

ふと先ほど逃がした少年の事がよぎり、そんな事を思った。

「じゃあ、あなたもスパーダのファンとか?こうして彼のゆかりのある土地へ来るくらいだし」

半分ジョークのつもりで言ってみた。だが男は不意に足を止め、遺跡を見上げている。
どこか懐かしげに、誰かを思い出しているような、そんな眼をしている。
その寂しげな横顔に、は思わずハッとした。

「…あの?」
「…別にファンというわけじゃないさ」
「そ、そう…」

じゃあ何故そんなに切なそうな瞳で遺跡を見つめてるの?とは、も聞けなかった。
男の様子を見れば、何か訳ありっぽい気もする。
と言って、彼が何者なのかまでは分からない。ただの好奇心を大いに煽る人物である事は間違いないだろう。
先ほどの剣の腕を見れば、ただ者じゃないと分かるし、悪魔を見ても全く動じてなかった。
他の土地の者よりかは見慣れてるであろう、この街の人間でさえ、悪魔と遭遇すれば腰を抜かすのに、男はそんなそぶりさえなく、マンナーロと普通に会話し、普通のテンションで切り刻んだ。
どこから来たのかは知らないが、多分裏の世界の住人だろう。それも…"悪魔"がらみの。

それに最初の一撃―――あれはどうやったんだろう?とは首を傾げた。
あの時、傍には誰もいなかったはずだ。なのに何故か一瞬でマンナーロの体が切り離された…。
一体どうやったら姿も見せず、あんな攻撃が出来るのか。

「あ、あの…」
「…何だ」
「さっき、どうやって悪魔の体を真っ二つに切ったのかな、と思って…。ほ、ほら、あなた近くにいなかったでしょ?」

思い切って疑問に思っていた事を口にすると、男は表情のない目でを見た。

「…剣撃を飛ばしただけだ」
「へ?剣を…飛ばす…?」
「いや……分からないならいい。どうせ知ってもお前には使えない技だ」
「……はあ。私もそう思います」

あんな技は見た事がないは、素直に頷く。

「お前もスパーダを崇めてるくちか?」
「え…?」

それまで答えるだけだった男が、不意にへ問いかけて来た。
素っ気ない態度ではあるが、スパーダには関心があるようだ。
にしてみれば、彼の方から話しかけてくれただけでも嬉しく感じた。

「あ、崇めてるっていうか…単に信じてるだけよ。それにスパーダには憧れてたの、子供の頃から」
「…憧れ、か」
「そう。この街の人ほど私は敬虔な信徒じゃない。でもスパーダの物語は大好きだった。だから私の中で、彼は"神"という漠然とした存在ではなく、ヒーローって感じかな」
「…ヒーロー?」

子供の頃に母、イリーナに話してもらったスパーダの伝説を思いだしながら、は微笑んだ。

「そうよ。子供の頃、良く母にねだって寝物語にスパーダの話を聞かせてもらったわ。彼の話を聞くと、不思議とその夜は熟睡出来るの」

せめて夢の中だけでも会いたいから話してもらってるのに朝起きたら何も覚えてなくて、とは笑った。
黙ってその話を聞いていた男もつられたのか、僅かに笑みを浮かべる。
まるで自分も幼い頃はそうだった、というような、そんな優しい笑みだった。

「やっと笑ったわね、名無しさん」
「……別に。そんなんじゃない。というか…名無しというのはやめろ」
「だって名乗ってくれないんだもの。名無しさんって呼ぶしかないじゃない?」

が突っ込むと、男はどこか気まずそうに視線を反らし、不機嫌そうな顔に戻ってしまった。
しかし、銀髪の青年の、見た目とは違う、優しい笑顔を一瞬でも見られた事が、これから先の一生の思い出になる事を、彼女もまだ知らない―――



「まだ名前、教えてくれないの?」
「何故お前に教えなくちゃならない」
「だって…スパーダのゆかりの地で、彼と同じ銀髪の、それも超!美形な青年に出会う、なんて、どこか運命的なものを感じるし――」
「俺は何も感じない」

おどけて言ったの言葉に男が顔をしかめる。その素っ気ない態度も、にしてみれば新鮮で、だんだん楽しくなって来た。
ジョークも通じない男は苦手だったが、彼はどことなく女を惹き付けるものを持っているのかもしれない。

(さっきの笑顔、ホント可愛かったし…クールな男がたまに見せる笑顔っていいなぁ。やっぱり男はギャップよね。いや顔か)(!)

そんな事を考えながら、はふと遺跡の前に落ちている剣に気付き、慌ててそれを拾い上げた。

「…これミハエルの…」
「何だ?」

ずっしりと重いミハエルのカリバーン"ベローナ"。
これまで幾戦の戦いを見守って来た、ミハエルの騎士剣だ。
"戦いの女神"という意味のこめられた、この剣を持ってしても、ミハエルは殺されてしまった。
女神の加護を受けられず、あんな悪魔に精神と肉体を乗っ取られて。

「…どうした?」
「ちょっと現実に戻っただけ…。あなたと話してると、まるでスパーダと話してるようで夢の中にいるみたいだったから…」

マンナーロが言っていた悪夢を、嘘だと信じたかった。そのうち、ミハエルがここへ来るんじゃないかと密かに考えたりもした。
しかしこの剣がここに落ちているという事は、マンナーロの言っていた事が真実だったという事だろう。
もう二度と、ミハエルはこの"ベローナ"を持って、戦う事はないのだと思うと、急に過去の色んな出来事が思い出された。

「これね…私の師匠のなの。さっきの悪魔に殺されちゃったけど」
「…………」
「口うるさくて…顔を合わせば説教ばかり…ホント堅物で嫌になるくらい」
「…………」
「……そう言えば私、ミハエルの言う事、まともに聞いた事、なかったかも。弟子、失格よね…」
「…………」
「こんな事になるなら…もっと言う事聞いておけば良かったかな。今朝も"きちんと制服を着ろ"とか言われたけど反抗しちゃったし…」
「………」
「あの悪魔に…宿主にされてたなんて…気付かなかった…。あいつはママばかりじゃなく、ミハエルまで――――」

は話し続けた。時折、笑みを浮かべながら。それでも彼女の唇は、かすかに震えている。
それに気付いた男は、そっとの頭に手を乗せた。

「…名無し、さん?」

その温もりに驚き、が顔を上げると、銀髪の男は意外にも優しい眼差しで彼女を見下ろしていた。

「お前は勇敢に戦ってただろう?」
「…え?」
「あの時。お前は死ぬ覚悟であの悪魔と正面から勝負しようとしていた」
「み、見てたの…?」

の問いに、男は何も答えない。ただ言わなくてもには分かった。
やっぱり、あの時彼は、自分を助けてくれたのだ、と。

「……ありがとう」
「何の話だ」
「もう…素直じゃないなあ」
「余計なお世話だ。もう大丈夫だな」

男はの頭をぐりぐりと回し、そのまま歩いて行く。は慌てて呼びとめようとして、未だ男の名前を知らない事を思い出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ、名無しさん!どこ行くの?」
「この街で見たかった物は全て見た。今夜中に戻る」
「え、ええ?だってこんな時間に船なんか――――」
「船を持ってる人間を金で雇ってある」
「ウソ…ちょ、ちょっと待って、私も行く!」

何故か男の後ろ姿を見ていたら、いてもたってもいられなくなった。
は自分の剣を背に戻し、ミハエルの剣を抱えると、慌てて男を追いかける。

「まだ用があるのか」
「そんなうんざりした顔しなくたって…」

隣に並んで歩くを、男は呆れたように睨んでいる。
はそれを無視して一緒に歩き出した。何だかんだ言っても、この人は優しい人だ、と何となくだが確信しているのだ。

「ほ、ほら!こんな夜道に女の子一人じゃ物騒でしょ?だから――――」
「お前は魔剣教団の騎士だろう?」
「え、な、何で」
「制服は違うが…その背中に背負ってる剣の紋章を見れば分かる。それに…先ほどはあの悪魔相手にデカイ銃を突きつけてたように見えたが?」
「…………そ…そこまで見てたんだ」

淡々と説明され、の笑顔が引きつる。
か弱い女のフリをしてみよう、などと一瞬でも思ってしまった愚かな自分を恥じた。
男はそんなに呆れたような視線を向けたが、その口元はかすかに緩んでいる。
運が悪い事に、恥ずかしさのあまり俯いていたは、その表情に気付かなかった。

「ところで…お前は何故、騎士の証である制服を着ていないんだ?」
「え?あ、もしかして私に興味が沸いたり……はしてないみたいね」

調子に乗っておどけてみたものの、男に冷たい目で睨まれ、即座に誤魔化す。
何となく気付いてはいたが、この男にジョークは通じないらしい。

「港に着くまでの退屈しのぎに聞いただけだ。変な勘違いはするな」
「はいはい…。ホント名無しさんってクールよねえ。こんな可愛い子が隣にいるってのに――――」

……また睨まれ、口を閉じる。ホントにジョークは通じないようだ。

とはいえ、が可愛い、というのはあながち嘘ではない。
仲間や住民に"魔女"と呼ばれはしているが、容姿は母親譲りで綺麗な顔立ちをしている。
まつ毛の長い大きな瞳にふっくらとした唇は母親に、銀色の瞳とすっと伸びた鼻筋は父親から受け継いだものだ。
今はまだ少女らしい可愛さを残しているが、10年後には美人、という形容詞が似合う女性になるに違いない。

「で?何だっけ。ああ…制服の話だった?」
「同じ事を二度言うのは嫌いだ」
「……名無しさんて少しミハエルに似てるわね」

何気に厳しい一言を口にする男に、は苦笑を洩らした。

「そういう真面目で堅いとこ。良く似てたわ」
「……お前は良く話が脱線する方なのか?」
「分かったわよ…。制服ね」

男が溜息をつく姿に、は仕方ないといった様子で肩をすくめた。
森を抜け、静かな住宅街を抜ければ、港はすぐ目の前にある。こうして話す時間も、それほどありそうにない。

「騎士の制服って堅苦しくて嫌いなの。デザインも時代覚悟って感じでダサいでしょ」
「…………それだけか…?」

一言で片づけたに、男が更に呆れた目をする。しかしは「まさか」と笑って見せた。

「それは理由の半分。残りは…ママ…母親のね、喪に服してたって言うか…。母の仇を討つまではと思って」
「………母親は…」
「殺された。さっきの…悪魔に」
「…さっきの?あいつにか?」
「うん…。ちょうど10年前の今日…家に突然来たの。そして母はあいつと戦って…私の目の前で、死んだ」

の話を黙って聞いていた男は、死んだ、と聞いた時、ほんのわずかに顔を歪めた。

「あの悪魔は私の大切な人間を二人も殺した。それも私の目の前で…だから…出来ればこの手で殺してやりたかった……」

そう言いながら、腕に抱いたミハエルの剣を抱きしめる。彼に、今までのお礼すら、言えなかった。
それを悔やむように、は唇を強く噛みしめた。

「…俺が横取りしてしまったというわけか」
「ううん。そんな意味で言ったんじゃないの。あなたには感謝してる。だって名無しさんが来なかったら、きっと私、あそこでバラバラ死体だったもの」

先ほど見せていた悲しげな顔から一転、は明るい笑顔でおどけて見せた。
その姿が、男の胸の奥を、かすかにざわつかせる。

「他に家族は?」
「いないわ。父親も私が生まれる前に悪魔と戦って死んだらしいの。だから今日までずっとミハエルが父親代わりをしてくれてた」
「………」
「今日から、また一人ぼっちよ」

はなるべく明るい口調で言ったが、男は小さく息を吐き出し、前方に見えて来た真っ黒い海へと視線を向けた。
もうあと数分で、港につきそうだ。

「そうか…。俺と同じだな」
「…え?同じって……名無しさんも家族がいないの?」
「ああ。父親はどこかへ消え、母親は……悪魔に殺された」
「……私と…同じ」
「ああ」
「…他に…家族は?」

の問いに、男は暫し無言だったが、ふと空を仰ぎながら息を吐いた。

「……弟が一人…いる。長い間、会ってはいなかったが…。一年ほど前、少しだけ顔を合わせた」
「そうなの?良かったじゃない。唯一の肉親なんでしょ?」
「…弟とは昔から合わない。価値観の相違というやつだろう。あいつは……自由奔放で、いい加減な男だ」
「…そう、なんだ」

男はそう言ったが、には、彼がどこか、その『自由奔放な弟』を羨んでいるように見えた。
ぼんやり、そんな事を考えていると、男が不意に足を止めた。いつの間にか港の入口前まで歩いて来たらしい。
これで男とお別れなのか、と思うと、妙に寂しく感じた。あんな事があったからなのだろうか。何故か人恋しい気分だった。

「…ホントに…帰っちゃうの?」
「……ああ。戻ってやる事がある」
「戻るって…どこに?」

せめて行き先だけでも知りたい。そんな気持ちがこみ上げ、つい聞いてしまった。

「聞いてどうする」
「どうって…いうか…近くまで行った時に一緒にお茶でも……って、飲まないわよね。はい、分かってます」

男の視線に、は先ほどのようにおどけたが、その顔は少し寂しげだ。
のその様子に、男は小さく息を吐くと、止まっている船の方へゆっくりと歩き出した。
当然もその後からくっついて行く。
港を照らす明かりの中に、青いロングコートの男と、魔女のような黒のロングコートを着ている女が浮かびあがる。
男に雇われたらしい船長が二人に気付き、ギョっとしたように船上から、その怪しい男女を眺めていた。

「あ、あのおじさん?雇った人って」
「……帰らなくていいのか?」
「ここまで来たんだから最後まで見送らせてよ。それに帰っても待ってる人なんかいないし―――」

そう言いながら、ふとネロ達の事を思いだした。
無事には帰れただろうが、今もの帰りを心配しながら待っているかもしれない。
いや…この時間だ。すでに寝ているかもしれない、と思いなおす。

「どうした?待ち人でも思いだしたか」
「だ、だからいないってば。天涯孤独になったばかりだし…。あ、もしかして俺と一緒に来い、とか言―――わない、ですよね…」

懲りもせず、ついいつもの調子で言ってしまったが、男の冷たい視線に笑顔も引きつる。でも、今言った事は半分本音だった。
いや、本音と言うよりは願望かもしれない。言って欲しい、と、ほんの少し思っただけだ。
もちろん今日、それもさっき会ったばかりの男に、そんなずうずうしい事を言えるわけもないが。

「…ぷ…っ」
「――――っ?」

それは突然起こった。一応反省をし、シュンと項垂れていたの耳に、男が小さく吹き出すのが聞こえた。

「…な、名無しさん?」
「……お前…本当にふざけた女だな」
「え…?」
「俺が来い、と言えば来るのか?そう簡単じゃないだろう」

男は苦笑いを浮かべながら、さらさらの銀髪を掻き上げる。
額を出した事で、その綺麗な青の瞳が、港を照らす明かりの中、ハッキリと見えた。

「か、簡単だよ!だって私、家族なんかいないし…戻る場所だって――――」
「俺は"スパーダ"じゃない」
「……?」
「だからお前を孤独から救い出すヒーローなんかなれやしないさ」
「…………わ、分かってる…もん」

男の言葉に、はハッキリ分かるほどにガックリと項垂れた。いや当然の答えだ、とも思う。
会ったばかりの女の為に、そこまでしてくれるとは、も思ってはいなかった。
でも分かっていても、きっぱり言われると多少は落ち込むものだ。
だいたい名前も素性も知らない会ったばかりの男について行きたい、と一瞬でも思ってしまった自分の方がおかしいのだ、とは思った。
のその姿に、男は何かを言いかけたが、ふと、彼女の右腕を見て、小さく息を呑む。
そこは先ほどの戦闘で攻撃された際に破けたのだろう。ぱっくりと切れて、の白い腕がそこから僅かに見えている。
男はその奇妙な異変に首を傾げたが、ふと何か思いついたように、もう一度を見た。

「お前…」
「え…?」
「腕の傷はもういいのか?」
「………っ」

男の問いかけに、はハッとしたように腕を見る。そして慌てたように左手でその場所を隠した。

「それは、さっきの悪魔につけられた傷だったな」
「……ま、まあ」
「俺が見た時はかなり出血してたようだったが――――」

男はそう言うやいなや、の左腕を掴み、強引に引き寄せた。
いきなり互いの顔が近くなり、男のその突然の行動にが驚いて顔を上げると、青色の両眼が彼女を射抜く。

「…な、名無し、さん…?」
「あれから一時間も経ってないが…随分と綺麗に治るものだな」
「え、えーと…これは…」

先ほどマンナーロに切り裂かれた腕の傷は、気付けば塞がっていた。
それはに半分だけ流れている悪魔の血のおかげであり、普通の人間じゃ考えられない。
男の鋭さに驚きつつ、まずい、と内心焦りながら、何と言い訳しようか脳をいつも以上にフル回転させる。
しかし上手い言い訳など思いつかない。男はが怪我をしたところを、ハッキリ目撃しているのだ。

「じ、実はあの怪我、思ったより浅くて――――」
「お前、人間じゃないな…」
「―――――ッ」

ハッキリ断言され、の鼓動が大きく跳ねた。誤魔化す余裕もなく、動揺した表情も見られてしまっている。

「あ、あの」
「…悪魔か?いや…そんな匂いはしないな」
「や、だから私は――――」

観察するような目で見つめられ、は口から心臓が飛び出るんじゃないかと冷や汗を流した。
もし悪魔の血が流れているとバレれば、マンナーロのように男の日本刀で切り刻まれるかもしれない。
戦おうにも、男の方が今のより断然強いのは、さっきの戦闘を見ても明らかだ。
それに出来れば、この男とは戦いたくないと、は思った。

「わ、私は人間です!(半分だけだけど)あ、悪魔なんかであるわけないでしょ?」

こうなれば逆切れしかない(!)と、は多少強気で言った。
だいたい男の綺麗な顔が目の前にあり、心臓に倍の負担がかかっているのだ。

「…人間…?そうだな…お前のようなふざけた悪魔はいない…」

男はそう呟くと、ふと視線を横へ向けた。

「いや、もう一人いる、か…。"あいつ"が」
「え…?」

独り言のように呟いた男は、その直後、はっと小さく息を呑んだ。そして再びを見下ろす。
男の青い瞳に、の銀色に光る瞳がゆらゆらと映し出された。

「まさか……」

男は何かに気付いたのか、僅かに青い目を見開いた。そして――――


「…お前」

「だ、だから私は人――――」

「同類、か?――――――"俺達"と」


男の言った言葉の意味が分からず、は思い切り眉間を寄せた。

「な、何の事?私は人間だって言ってるじゃない。この怪我は――――」
「…いや、もういい」
「……え?」

男は不意にを離す。
いきなり自由になったが男を見上げると、先ほどまで厳しかった目つきが少し和らいでるように見えた。

「あ、あのー何がもういい、の?」

そこが気になり、つい尋ねる。出来ればこの話題は避けたいが、気になるものは気になるのだ。
男はの問いに片方の眉を上げると、呆れたように息をついた。

「…"分かった"から、もういい、と言った」
「え、分かったって……」

何が分かったの?とはさすがに聞けなかった。
男はの正体を怪しんでいたのだ。ひょっとしたら、人間と悪魔のハーフ、という致命的な答えに行きついているかもしれない。
でも男はに殺意を向けてもいなければ、攻撃してくる様子もない。なら、このまま気付かないフリをした方がいいのだろうか。

(そうよ。相手がもういいって言ってるんだからいいのよ。それに私は何も認めてはいないんだから)

そう自分を納得させ、目の前の男を見上げる。どういうつもりかは知らないが、どうやら見逃してくれるらしい。

「何だ。急に無口になったな」
「…べ、別にそんな事は…」

図星をさされドキっとしたが、ここで下手に話せば、墓穴を掘りそうだ。は男から視線を反らし、止まっている船の方を見た。

「乗らなくていいの?おじさん待ってるようだけど…」
「…さっきは帰って欲しくないという感じだったが急に帰って欲しくなったか?」
「そ!そんな事は……」

またしても図星。男の鋭さにはほとほと参ってしまう。そんなを、男は楽しげに見ていた。

「まあいい。帰って欲しいならお望み通り船に乗るとしよう」
「え、いや、ちょっと…」

不意に踵を翻し、船へと歩いて行く男に、は少しだけ驚いて追いかけてしまった。
すると男が片手をあげ、何かをの方へと放る。それはヒラヒラと風に揺られ、舞い始めた。

「わ、っと…な、何なの?これ」

今にも海へと飛ばされてしまいそうな、一枚のメモ。それを慌てて手に取ると、は男へ声をかけた。
が、男はすでに船の上で、甲板からを見下ろしている。

「気が向いたら、その街へ来い」
「……へ?」
「俺はしばらくその街にいる」

男のその言葉に耳を疑ったが、急いで手にしたメモを開く。
その紙には、ここフォルトゥナから遠く離れた、ある都市の街の名前が無造作に書きなぐられていた。

「え、これ――――」
「いらなければ捨てろ。まあ、お前が言ったように、もし"近くに来る事"があれば、俺を探せ」
「さ、探せって…せめて住所とか…」
「これから行くんだ。そんなものあるわけないだろう。もし俺を探し出す事が出来たら、お茶の一杯でも御馳走してやる」

ゆっくりと動き出す船に気付き、はそれを追うように「待って!」と慌てて走りだす。
男の気が、何故変わったのかも気になったが、今はそれよりも知りたい事がある。これだけは、どうしても聞きたい。

「…せめて名前…!…あなたの名前を教えて、名無しさん!」

いくら何でも知らない街で名前も知らない男を探し出せるわけがない。そう思って必死に叫ぶ。男はかすかに笑ったように見えた。



「――――"ダンテ"…ダンテだ」


「…ダンテ…」



追いかけるの耳に、潮風に乗って届いた男の名前が、いつまでも響いていた――――






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