code:03 / First Contact.







スラム街の一角、薄汚い路地を抜けた着き当たりに、その事務所…らしきものはあった。
レンガ造りの看板も何もないその店は、本当に人が借りているのかを首を傾げるほどにボロくて、今にも崩れ落ちそうだ。
いや、工事中の看板がある事から、修理中…もしくは改装中なのかもしれない。

「でも…ここだ…。間違いない」

住所が書かれたメモを見ながら何度も確かめ、はその工事中である建物へと歩いて行った。







(緊張してきちゃった…)

いざ会えるかもしれないと思ったら急に心臓がドキドキしてきて、は立ち止まった。
三か月前のあの夜に会って以来、この日までずっと探していたのだから、それも仕方がない。
この街にいる事は分かっていたから色んな店に出入りして、やっとそれらしい人物を知っているという男がいたのだ。

『銀髪に青い目で、刀持ったロングコートの男〜?そりゃダンテだ、間違いねえよ!』

そう言って笑ったのはイタリア系の少々小太りな男。名前を"エンツォ"と名乗った。
ベージュのコートにハンチング帽を被っているエンツォは自ら"仕事は仲介人"だと話していたが、いかにも胡散臭い。
初対面のにもベラベラと話しかけて来た様子を見れば、かなり陽気な性格のようだ。
だがそのおかげで目的の情報を聞き出せた。
エンツォはたまたま入ったバーで隣に座っていたのだが、男の名前が出た瞬間、は思わず「ビンゴ!」と叫び、エンツォに飛びついていた。
思わぬところで"JACK POT<大当たり>"したようだ。

『ダンテならオレの紹介した物件で店を開く準備をしてるぜ。これが住所だ』

初対面の女に、何のためらいもなく知り合いの住所を渡すエンツォにも首を傾げたくなったが、もちろん喜んで受け取っておく。

『店って…?』
『ああ〜何か"便利屋"やるって言ってたけど…ま、きっとろくな店じゃねえよ』
『…便利屋…。そんな事やるような人には見えなかったけど…』
『銀髪に青い目なんだろ?そのナリで大きな剣を振り回してる奴なんざ、この辺じゃダンテくらいだよ。間違いねえって。行ってみな』
『そう、ね、名前も同じだし、きっと本人よね。ありがとう!』
『ってか、お嬢ちゃん、ダンテとどういう知り合いだ?まさか色っぽい関係ってわけじゃねえんだろ?』

貴重な情報を聞き出した以上、怪しげなバーに長居する理由もなく、早々に出ようとするに、エンツォが軽口を叩く。
はコートを羽織りながら苦笑すると、小さく肩を竦めてみせた。

『残念ながら、そういう関係じゃないわ。でも…私の憧れの人なの』

情報をくれたお礼じゃないが、そこは正直に言って笑う。
だがエンツォはの一言にギョっとした顔で帽子をかぶりなおした。

『憧れ…ってダンテにか?あのダンテに?!かーっあのダンテにお嬢ちゃんほどの可愛い子ちゃんはもったいなさすぎだぜ!』

エンツォは大げさに嘆いてみせると、キョトンとしているをマジマジと見ながら首を振った。

『悪い事は言わねえ。アイツだけはやめとけ。確かに腕は立つが、まだガキだ。お嬢ちゃんの女心なんか分かりっこねえ』
『女心って…私はそんな意味で言ったんじゃ……。とにかく行ってみます。ありがとう』

まだ足りないのか、何か言いかけたエンツォに慌ててお礼を言うと、は急いでバーを飛び出したのだった。



「…ホントに店やってるのかしら…」

その建物の前に立ち、首を傾げる。こんな時間なのだから仕方ないのかもしれないが、辺りには人の気配すらないのだ。
ここへ来る途中にも思ったが、この辺はバーのあった辺りよりも極端に人通りが少ない気がする。
ウロついている人間と言えば、どこか目が虚ろな若い男達や――多分ジャンキーだろう――いかにもといった感じの人相の悪い武装集団、 そして派手な格好をした女――この街の娼婦か、あるいはその手の店の女ばかりだった。そんな掃き溜めのような一角。

(まあ…この荒れようじゃ普通の人が闊歩するってわけにはいかないか…。彼はホントにこんなとこで店を開く気なの?)

目深に被っていたフードを指で少しだけ捲り、左右に視線を走らせたは溜息をついた。
どうやらここはスラム街といった場所らしい。
普通の人間が歩けば、すぐさまハイエナのような輩が匂いを嗅ぎつけやってくる。―――ちょうど、の背後に集まって来た"奴ら"のように。

「―――私に何か用?」

振り向かずとも、その気配だけで好意的な相手じゃない事くらい分かる。
近づいてくる足音の気配で、ざっと十人近くはいそうだ。

「…女だ…」
「女…」
「女だぜ…イヒヒ…」

復唱するように同じ言葉を繰り返す男達。
どこの街にも同じような輩はいるものだ、とは溜息をつきながらフードで再び顔を覆う。

「"彼"との感動の再会を、あんた達みたいな輩に邪魔されたくないの。悪いけど―――本気でいかせてもらうわね」

静かに振り向き、呟く。
そして目の前にズラリと並んだ武装集団を眺めたは、ふっくらとした唇を楽しげに歪め、その手に騎士剣"カリバーン"を握った。
もちろん本気で切り捨てるつもりはなく威嚇の為だ。こんな輩に威嚇とはいえ銃を使っても、弾がもったいない。
だが男達はビビるよりも、豪華な装飾品が施されている剣を見て金の匂いを嗅ぎつけたようだ。

「へへへ…女の身で大層な剣を持ってるじゃねえか」
「随分と高そうだ…。売り飛ばせば大金になりそうだぜ」

男達はの持つ騎士剣に価値があると分かったのか、更に目をギラつかせて近づいて来る。
しかしは"売り飛ばす"という言葉に、思い切り顔をしかめた。

「悪いけど、この剣は私の父親代わりである師匠の形見なの。お金に代えられちゃたまらないわね」

そう言いながら、騎士剣"ベローナ"を構える。
それはあの夜、何も知らずに死んでいったミハエルの剣だった。
魔剣教団を退団する時、チームリーダーであり、ミハエルの部下だったサガロに「持って行け」と託されたものだ。

(まさかサガロがあんな事言うなんて思わなかったけど…)

今にも襲いかかってきそうな男達に"ベローナ"を構えながら、ふとは三か月前の事を思い出していた。







「―――何?!辞める、だと?」

魔剣教団本部である"我刀院<がとういん>"。
そこにある騎士長私室――以前はミハエルの部屋だった――に新たに騎士長となったサガロの声が響き渡る。
あの夜の事件から三日が経っていた。

亡くなったと思われる――遺体がない為、騎士長は生きていると訴える者が多かった――ミハエルの"鎮魂の儀"が終わった後で、は自分の直属の上司であり、チームのリーダであったサガロに、突然「騎士を辞める」と伝えた。
彼女の言葉に、サガロは驚いたように椅子から立ち上がる。
今にも怒鳴りつけてきそうなその姿が一瞬ミハエルとダブり、は胸がチクリと痛んだ。
もう、この部屋に来ても、彼はいないのだ、という現実を突きつけられたようだ。
のその僅かな表情の変化に気付いたサガロは、深い溜息をこぼした。

「ミハエル騎士長の死は…お前のせいじゃない」
「…………」
「不可抗力だったのだ…何もかも…。まあ俺は今でもまだ信じられないがな…」

サガロはそう呟くと、窓の前に立ち、雲一つない青空を見上げる。
その後ろ姿はどこか寂しげで、こんな弱気なサガロをは初めて見た気がした。

「今でも、フラリと部屋へ入ってくるような気がしてならん」

それはミハエルの最期を目撃したでさえ、同じ気持ちであった。
あの事件の翌日、から報告を受け、ミハエルの身に起きた事を全て聞いたサガロも、最初はなかなか信じようとはしなかった。
ミハエルの実力を良く知っていたサガロは、その彼が悪魔になどやられるはずがない、と信じていたからだ。
あげくミハエルの遺体もないのであれば、当然信じられる話じゃない。他の騎士仲間達もみな同じ気持ちだった。

『この嘘つきの魔女め!お前が何かしたんだろう!彼をどこへ隠した!』

心ない騎士の中には、そんな罵声を浴びせる者もいた。
元々問題児として仲間から浮いていたの言う事など、誰も耳を貸そうとしなかったのだ。
だがと一緒に、全てを目撃していたネロ達の証言もあり、最終的には教団側もミハエルの死を受け入れ、鎮魂の儀を取り行う事を決めたのだった。

「皆が言った事を気にしているのか?彼らも騎士長が突然いなくなった事で動揺してたのだ。許してやってくれとは言わないが――」
「いいえ…彼らの事は気にしてません。普段からアレコレ言われてましたし、別に信用して欲しいとも思ってなかったので」
「……」
「そうじゃなくて…もう騎士を続ける気力もなくなったんです。元々母の仇を討ちたくてミハエルに頼んだ事だし…」

他に理由があるとすれば、父親代わりのミハエルに認められたくて、母イリーナと同じ道を歩みたくて騎士を続けてたのかもしれない。
でも、その二人はもう、この世にはいない。二人の仇である悪魔の存在さえ。

「では…騎士を辞めてこれからどうする気だ?花嫁修業でもする気か?」
「…まさか」

サガロの言葉に小さく吹き出すと、は真っすぐ彼を見据えて言った。

「この街を…フォルトゥナをしばらく離れようと思ってます」
「何…?離れるって…いったいどこへ行くと言うのだ」

の脳裏に、あの夜出逢った男の顔がよぎる。港で、あの男を見送ったあの瞬間から、すでに決めていたのかもしれない。

「もう一度、会いたい人がいるので、その人を探しに」
「…会いたい人…?もしやそれは、あの夜お前を助けてくれたとかいう男の事か?」
「まあ…そうです」

サガロには、あの男の事も全て話してある。――仮にも教団騎士であるお前が、よそ者に助けられるとは何事だ!とこっぴどく叱られたが――
あっさり認めたに、サガロは少し驚いたような顔をしたが、すぐに呆れ顔で苦笑いを浮かべた。

「…男の為に騎士という名誉を捨て、故郷であるこの街も捨てるのか?―――その男に惚れたか」
「そんなんじゃありません。ただ…"近くに来たらお茶の一杯でもご馳走する"って言ってくれたのでご馳走になりに行こうかと」
「わざわざ"近くに"来た事にして、までか?そういうのを屁理屈って言うんだ」
「まあ…私の得意技です」

ケロっとした顔で応えるに、サガロは声を上げて笑った。
サガロと一緒にチームを組むようになってから、は彼の笑顔を初めて見たような気がした。

「で?その者の居場所は?知っているのか」
「まあ…。しばらくは滞在すると言ってたので多分まだその街にいるかな、と…」
「何?それだけか?」
「はい。でも…ノンビリ旅行がてら気長に探すつもりです」
「そんなに…会いたいのか。その男に」
「…何となく…運命的な出会いのような気がして」
「たった一度。それも僅かな時間だったのに?」
「まあ…本能的に、というやつです」

の言葉に、サガロは少しだけ驚いたような顔をした。

「そんなに…その者は"スパーダ"に似ていたか?」
「え?」
「言っていただろう。助けてくれた男は銀髪に青い目で、一瞬本物かと思った、と」
「ええ…まあ。でもスパーダの顔は知らないので…伝書に書いてあった容姿と酷似してたからそう思ってしまったんですけど…」

の説明に、サガロは暫し何かを考えるように空を見上げていたが、不意に「分かった」と一言、言った。

「…そこまで決心が固いなら引き留めはしない。ただし―――」
「ただし…?」
「お前のカリバーンは置いて行け」
「えぇっ?」

サガロの一言に、思いのほか、が驚く。しかしサガロの言う事にも一理あった。
騎士剣カリバーンは、騎士になった者にだけ与えられる、特別な剣だからだ。
辞めて行く人間にくれてやるほど、教団も甘くはないだろう。

「当然だろう?騎士を辞めるならカリバーンは必要ないはずだ」
「そ、そりゃそうですけど……よその街で悪魔に遭遇したらどうするんですかー?」
「お得意の銃で、撃ち殺せばいいだろう?」
「…うっ」

拗ねたに対し、サガロが嫌味を言う。
確かに彼の言う事も分かるが、これまで銃と一緒に使用していたカリバーンには多少の愛着があったのも事実だ。

「どうする?手放したくないなら、ここに残るしかないぞ」

サガロが楽しげに笑う。
ここまで言われれば返さないわけにもいかず、は渋々背負っていた自分の剣を、サガロに差し出した。

「…今までお貸し頂き誠にありがとうございました!お返しします!」

嫌味全開で(!)頭を下げつつ、剣だけを献上するように差し出すに、サガロは「こちらこそ」と言ってあっさり彼女のカリバーンを受け取った。
そして代わりに――――別の剣を彼女の手に置く。

「……え?」

その感触に驚いたが顔を上げると、自分の手には思いもよらなかったものが乗っていた。

「こ、これ……」
「ミハエル騎士長の騎士剣"ベローナ"だ」
「そ、それは見れば分かります。でも何故―――」
「私だとて尊敬するミハエル騎士長の剣をお前にやるのは口惜しい。だが…この部屋に飾っておくだけでは、あまりにもったいない名剣だ」

サガロの言葉に、も内心そう思った。
騎士長でしか所持する事を許されない特別な剣でもある"ベローナ"は、ミハエルの為だけに作られたものだ。
剣という神聖を重んじる魔剣教団にあって、自分だけの剣を拝領されるほど、名誉な事はない。
だからこそ、ミハエルはこの"ベローナ"を何より大切に扱っていた事は、もよく知っている。

「だからお前が持って行け」
「え…?」

手の中にある"ベローナ"を眺めていると、サガロはそう言いながら微笑んだ。

「持ち主のいなくなった剣は、飾られ観賞されるだけの"飾り"になり下がる…。ミハエル騎士長も、きっとそれは望まない」
「…で、でも――――」
、彼はお前にその剣を取ってほしいと、まだ一緒に戦いたい、と、そう願ってるはずだ。―――だから、持って行け」
「サガロ騎士長…」
「"戦いの女神ベローナ"…お前にピッタリの剣だろう?。きっと…お前を守ってくれるさ」

サガロはそう言って、の頭を優しく撫でた。
これまでサガロに説教しかされた覚えがないも、その優しさに思わず涙目になる。
が、慌てて拭うと、「ありがとう、ございます」と言って頭を下げた。

「ミハエル騎士長を殺した悪魔が、何故お前の持つアミュレットを狙っていたのか分からないままなんだ。どこにいても油断するなよ」
「…はい」

その言葉に、サガロが自分を心配してくれていたのだ、とは改めて気付いた。
彼のその優しさに、今まで気付かなかった事を申し訳なく思う。

(そう…彼の言うとおり、何故あの悪魔がアミュレットを執拗に狙ったのか…)

10年前、母を殺してまで手に入れようとしていたのは何の為か。
そして10年も経った今、再びあの悪魔が姿を現した、その意味は――?
聞き出したくとも、あの悪魔は消滅してしまったのだから、真相は分からないままだった。

(まあいい。これを身に着けていれば、また違う悪魔が奪いに来るかもしれない…その時に真相を突き止めてやるわ)

はそう決心すると、出発の準備をする為、いったん寮へ戻る事にした。

「では…行ってきます」
「ああ。体に気をつけてな」

サガロは退室しようとするにそう言うと、最後に、「時々は顔を見せに帰って来い」と、暖かい目で見送ってくれた―――


それから荷造りをした後、港に向かう前に孤児院へ子供たちに別れを告げに行った。
しかしネロだけは最後までの事を怒ったままだった。

「…何でだよ!俺に剣を教えてくれるって言ってたクセにっ」
「ごめんね。ネロが大きくなった頃には戻ってくるから」
「何だよそれ!はいっつも口だけなんだ。俺の誕生日にはトマトとハムとモッツァレラたーっぷりの特大のピザを焼いてやるって言ったのに!」

ピザはの唯一の得意料理で、ネロはそれが大好物だった。
母、イリーナの母国で伝統料理だったらしく彼女の得意料理でもあった事から、が子供の頃は良く焼いてくれていたものだ。
も孤児院へ来てから見よう見まねで作ってみたのが、最初のピザ作りのきっかけだった。
何とか母の味を再現したくて、失敗を繰り返しては何度も挑戦した。そして気付けばイリーナ以上に腕が上がっていたらしい。
そのうちネロだけじゃなく、のピザは孤児院の子供たち全員の好物となっていた。

「約束は守るわよ。ただ今すぐには出来ないってだけでしょ」
「それもどうせ忘れちまうんだろ?!いいよ、もう!」

ネロはそのまま孤児院の中へ戻り、ドアを閉めてしまった。そのあまりのスネっぷりに、、そして院長のシェスタも苦笑いをこぼす。
ネロがスネている本当の理由は、に行って欲しくない、という気持ちの表れだと、二人とも分かっているのだ。
いつものように遊びに来ていたクレドとキリエも、ネロを見て困り顔で苦笑していた。
あの夜―――妹達を守り抜いたに対し、クレドは素直にお礼を言い、そのおかげでとの関係も、前よりは良くなっていた。
と言って、彼が憎まれ口を利くのは相変わらずだ。

「魔女がいなくなって街も平和になるな」
「誰が魔女よ!っていうか騎士になりたいなら、せいぜい私が戻ってくるまでに剣の腕を磨いて、仮入団くらいはしてなさいよね」
「当然だろう。帰って来た時に驚くなよ?」
「ちなみに私が仮入団したのは15歳の時だったわ」
「………っふん!一年もあれば僕ならすぐだ」
「あっそ。楽しみにしてるわ―――じゃあね」

相変わらず憎たらしいクレドに、も最後は笑顔で手を振る。

「落ち着く場所が決まったら連絡先くらい教えなさいね!―――ここは、あなたの"実家"でもあるんだから」

港の方へ歩き出すに向けて、院長のシェスタが涙声で叫ぶ。
その温かい言葉に、は思い切り手を振りながら、シェスタに見えるよう、親指を空にかざす。
ネロは、最後の最後まで、見送りには出てこなかった――――






(ったくネロってば一度スネると、なかなか機嫌直さないんだから。最後くらい顔を見せてくれてもいいのに)

ま、今度帰った時は特大ピザでも焼いてあげよう、と、はこんな時なのに、ネロとの約束を思い出していた。

「何笑ってやがんだぁ?姉ちゃん!」
「恐怖でイカレちまったか?」
「そういや、この時期におかしな格好してんなあ!まるで魔女みたいだ!イヒヒっ」
「ハロウィンには早えーぜ、姉ちゃん」

何となく懐かしい三か月前の事を回想していたは、その間抜けたセリフで、ふと現実に引き戻された。

「―――誰が"魔女"ですって?」

こんな遠い街に来てまで、その呼び名で言われ、カチンとする。ついでにクレドの憎たらしい顔まで思い出してしまった。
あの時はムカつくだけだったが、今ではクレドとの些細な言いあいも懐かしく思える。
そんな事を考えていると、いつの間にか自分の周り360度に、頭の悪そうな男達が取り囲んでいる事態に気付いた。

(いけない。今はこっちに集中しないとね)

先ほどピザの事まで思い出したせいか、お腹が空いてきたは、とっとと雑魚を片づけて、彼と感動の再会を果たした後、ディナーにでも繰り出そう、と勝手に決めた。

「おらぁあ!その剣を寄こせ〜!」
「ついでに体も可愛がってやるぜ!」

男たちの中で、まず最初に口ひげの男とニット帽の男が飛びかかってくる。
その隙だらけの攻撃に、は剣で威嚇するほどでもないと呆れつつ、身軽に後方へ飛びのいた。
ついでに背後に突っ立っていた男三人ほどを、素早く剣の柄で突いて気絶させる。
その隙だらけの弱さといったら、笑えるほどに手ごたえがない。
周りにいた男達は仲間三人が一気に地面へ倒れて行くのを、唖然とした顔で見ていた。

「て、てめえ!何しやがった!」
「はあ…。そんな事も分からないなら今のうちに逃げた方がいいわよ」

特別な事は何もしてないでしょ?といったようにが肩をすくめる。どう見てもナメた態度だ。

「な、なにぃ?!女だと思って加減してやったら調子に乗りやがって…!」
「加減してやった、じゃなくて"女だと思って甘く見てた"、でしょ?それに手加減してあげてるのは私なんだけど―――」
「うるせえ!!生意気な女が一番ムカつくぜ!」
「裸にひんむいてストリップバーに売り飛ばしてやる!」
「あっはっは!そりゃいいぜ!」
「"プライベートダンス"で俺の相手、頼むぜえ、姉ちゃんよう!」

の挑発にキレたのか、今度は男四人が一斉に襲いかかってくる。その手にはナイフ、はたまた銃を握ってる者もいた。
だが普段悪魔との戦闘に慣れているにしてみれば、人間の動きなど止まって見えるかのように、遅い。
両手を広げ、反動をつけて軽々と跳躍したは、長いコートに隠れていた足を一気に後ろへ回転させる。
その予想だにしなかった動きに驚いた男たちは、の踵が顔面を蹴り飛ばすまで、何が起きたのかすら気付かなかった。

「プライベートダンスも面白そうだけど―――私どっちかと言えば悪魔と踊る方が得意なのよね……って、聞いてない、か」

一度の回転で四人の顔を次々と蹴り飛ばした後、ひらりと着地したは、そう言いながら足元に倒れている男達――ザっと見て七人――を見下ろし、ニヤリと笑った。
その不敵な笑みに、残りの三人が「な、何だよこの女…!」と青い顔で後ずさる。
男の集団に囲まれても顔色一つ変えず、またナイフや銃を持った相手に対しても、ビビる事なく攻撃を加えた怪しい女。
その黒づくめの服装が更に不気味に見えて来て、三人は意気消沈したようにその場にへたり込んだ。

「ま…魔女だ…」
「本物の魔女……」
「た…助けてくれ…っ」
「…ちょっと失礼ね!レディに向かって」

男七人を、ものの数分で気絶させた女の、どこがレディなのか、と男達は思ったが、恐ろしいので口には出来ない。
しかしその中の一人は、ふと懐に隠し持っていた武器の存在を思い出し、震える手でそれを構えた。

「へへへ…か、買ったばかりで忘れてたぜ…。いくらお前が身軽でも、これなら全て避けきれねえだろ?」

男の手には、黒光りするマシンガンが握られている。しかしの目には、それが改造された粗悪品である事がすぐに分かった。

「それ安く売ってたの?あまり撃つ事は進めないわね。弾がどこへ飛ぶか分からなくて近所迷惑になるだろうし…」
「う、うるせえ!!剣より銃の方が強いんだよ!お前の体、ハチの巣にしてやるぜ!」
「はあ…バカは死んでも治らないって、あんたみたいなのを言うのね、きっと。―――いいわ。剣と銃、どっちが勝るか勝負しましょ」
「なっ何ぃ?」
「どこからでも撃ってきなさいよ。私はここを動かないから」

そう言って剣を構えるに、男は一瞬唖然とした。マシンガンを向けられた状況の中、大剣一本で何が出来ると言うのか。

「動かねえ、だと…?どこまでもふざけた女だな…!!―――死んで後悔しやがれっ!」

男は叫びながらフラフラ立ちあがると、手に持っていたマシンガンをに向けて発砲した。
ダダダダっという派手な銃声音と共に、周りの建物や廃車などに当たった破壊音までもが響く。
だがは言った通り、逃げる事もなくその場から一歩も動かない。
ただ剣を持つ手だけを素早く動かし、自分に放たれた弾のみを全て弾き返していた。

「な…っ…」

それに気付いた男は、マシンガンを撃つ手を止め、再度その場にへたり込む。
マシンガンの弾を、己の剣のみで弾き返す人間など見た事がない。
この女と戦っても無意味なのだ、という現実を、男はやっと理解したようだった。

「あら?もう終わり?」
「ひ、ひぃぃ!」
「こ、こいつ化け物だ…!!」
「ば、化け物って、それは言いすぎでしょ?!そっちからケンカ売っといて――――」

そう言いかけた瞬間、突然背後からパンパンパン!という拍手のような音がして、は小さく息を呑んでから剣を構えた。

「――――誰?!」

こいつら以外、人の気配はしなかったのに…と内心訝しく思いながら振り返る。
だが、いつの間に、いや、いつからそこにいたのか。
の後方に乗り捨てられてあった廃車の屋根の上に、誰かがしゃがんでいる。
ビルの影が邪魔をして、よく顔は見えないが、その人物は未だ楽しそうに手を叩きながら、ゆっくりと立ちあがった。


「いやいや、お見事!強いな、彼女」

「―――っ?」

「危なそうなら助けに入って、"謝礼"でも頂こうかと思ったが…そんな必要もなかったようだな」

「……は?」


声を聞いて男だと分かったが、そのトボケたセリフに、思わず目が細くなる。
一瞬、襲ってきた奴らの仲間かとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
と言って、に気付かれないよう近くまで来た事を考えれば、ただ者じゃない事は良く分かった。

「あ、赤いコート…ひぃぃ!あいつだ…!最近ここらで暴れまくってるっていう…」
「やべえ、逃げるぞ…!!」

先ほどまでマシンガンをぶっ放していた男は、突如現れた人物を見ると急に怯えたように駆けだした。
それに続き、他の二人も仲間を置いて逃げて行く。
はそれを呆れたように眺めていたが、謎の人物は頭を掻きつつ、「仲間を置いてくなよ」と車の屋根からポンと飛び降りた。
その際、ロングコートの裾が、ふわりと舞い上がる。

「仕方ねえ。おい、彼女!あんたがそこで寝てる奴、どっかよそへ運んでってくれ」
「…は?じょ、冗談でしょ?」
「だってあんたがノックアウトした奴らだろ?」

男は脇に何か段ボールのような物を抱えながら、ゆっくりとの方に歩いてきた。

「だ、だからってねえ、こっちは被害者で―――」

男の無茶な言い分に抗議しようと、男の方にも歩いて行く。
だが相手が暗がりから出て来た姿を見て思わず息を呑んだ。


「つーか店先にこんなのが転がってたんじゃ商売に差支えんだけど――――」

「――――あッ!!」


困った様子で目の前に歩いてきたその男を見た瞬間、は大口を開けて叫んでいた。
スラリとした身長に、月明かりに輝くプラチナブロンド、その両眼はあの夜に見たのと同じ、綺麗なスカイブルー。
異なる事と言えば青いロングコートが赤いロングコートに変わっていたくらいで、目の前の人物は間違いなく、があの森で出逢い、今日まで探し続けていた銀髪の男だった。

「あ、あなた!」
「…あん?どっかで会ったか?」

思わず声を上げたに、男も驚いたように目を丸くしたが、まじまじとフードに隠れた彼女の顔を覗きこみ、軽く首を傾げた。
男の綺麗な青い瞳が目の前に現れ、間近でそれを見たは間違いなくあの時の人だ、と心の中で確信する。だが――――

「いや…ねえか」
「な…!」

男のその一言に、期待でドキドキしていたは思わずズッコケそうになった。

「ち…ちょっと忘れたの?!私よ!三ヵ月前にフォルトゥナの森で会ったでしょ?!」

はフードを取りさり顔をさらすと、自分達が出会った状況を説明した。
しかし男は更に怪訝そうな顔をして、

「…"フォルトゥナ"?いや…知らねえな。どこだそれ?」
「…はあ?」

あっさり否定され、は唖然としながら、目の前の男を見上げた。
だが男はふざけている様子でもなく、まるで初めて会う顔だ、というように、その青い両眼でを観察している。
時折、首を傾げる様子から、思い出そうとはしているようだ。しかしその表情は本気で分かっていないらしい。

(嘘、でしょ?何で覚えてないの?たった三カ月で忘れる?まさか別人…なわけないよ…だって顔が同じだもの)

期待してた再会とはならず、は少し混乱してきた。
きっと覚えててくれてると信じていたのだから、そのショックは大きい。

「ホントに忘れちゃったの…?!」
「いや…そんな泣きそうな顔されても知らねえもんは――――」
「赤い月の夜、スパーダのゆかりの場所だった遺跡の前で会ったでしょ?悪魔から私を助けてくれたじゃないっ」
「―――――ッ?」

そこまで説明した時、一瞬、男が反応したように見えた。男は青い瞳を見開き、驚きと困惑の表情を浮かべている。

「…スパーダ?」

その名を口にし、男は戸惑うよう青い瞳を揺らす。
先ほどとは違う男の反応に、やっと思い出してくれたのか、とも笑顔になった。

「思い出してくれたっ?!」
「……………」

男の一言に、は思わず身を乗り出した。
しかし男は返事もせず、視線を彷徨わせながら何かを考えている風だ。

「あ、あの…"ダンテ…"」
「………何?」
「あなた、ダンテ、でしょう?あなたが教えてくれたんじゃない」

何も応えない男にしびれを切らしたは最後の手段とばかりに、あの日の別れ際、本人から聞いた名を口にする。
だが男はますます驚愕した表情になり、突然の手を強く掴んだ。

「ちょっと来い」
「え、や、ちょっと…!何なの?!あなたダンテなんでしょう?!」

いきなりの行動に驚き、抵抗しようとしたが、男は手を放そうとしない。
そのまま引きずられるようにして、ビルの前まで連れて行かれる。そこは先ほどが尋ねようとしていた、男の店だった。

「入れ」

男は鍵もかかっていなかったらしいドアを足で乱暴に開けると、を中へと放り込んだ。

「い、痛いじゃないの…!」

背中を押されるようにして建物の中へと連れ込まれたは、握られた手首を痛そうにさすりながら男を睨む。
しかし当人は大して気にする様子もなく、部屋の電気をつけると、改めての方へ振り返った。

「……な、何よ」

部屋の電気に照らされた事で、眩しそうに目を細めながら、は少しだけ後ずさる。
ついでに部屋の中を探るよう視線を走らせた。

出口は正面に一つ。天井には古ぼけたシーリングファン。
入って右側の隅には古いジュークボックスが置かれ、逆の左側には階段があり、そこを上るとロフトのような形の二階がある。
そのロフトの真下にあるスペースには赤い皮張りの大きなソファが二つ並び、傍には冷蔵庫。ちょっとしたリビング、といったところか。
最後に、部屋の正面には大きな机とイスがあり、机の上にはレトロな黒電話が置かれている。
その机の背後の壁――入口から真正面――には右と左にドアが一つづつあり、そこから先は居住スペースなんだろうと、は思った。

こうして見ると、何かの事務所、といった雰囲気の造りだ。
バーで会った情報屋が言っていた"便利屋"の店をやってるというのは嘘じゃないらしい。
しかし店内は外装と同じく、ところどころ壁に穴が空き、まるで誰かが暴れたかのように荒れている。
とてもこれから仕事をするような内装とは言い難い。

ついでに言えば客相手に商売をする店には"不釣り合いなモノ"が、正面の壁――二つのドアの間に堂々と鎮座していた。
一見、何かの動物の皮を剥いだようにも見えるが、その風貌はキツネのような、はたまた山羊のような、変わった形態をしている。
普通の人間が見れば、ただの作り物、悪趣味なインテリア、くらいにしか映らないかもしれない。

(悪魔の躯をインテリアにしてるなんて…意外と趣味悪いのね)

最初に出会った時、悪魔を一撃で葬った男を見て、裏世界の人だろうとは思っていたが、どうやら当たっていたようだ。
悪魔の躯のすぐ傍に、ディプレイ用の棚のようなものがあり、そこには大きな剣が二本と、銃二丁が飾られている。
それを見れば"便利屋"といっても、表の仕事でないのは明らかだった。

「ま、諸事情で今は荒れ放題になってるが気にしないでくれ。先日ちょっとした"パーティ"があってね。まだ片づけが終わってないんだ」

が訝しげな表情で室内を観察している姿に、男は苦笑気味に肩をすくめた。
そして脇に抱えていた段ボールを、無造作に床へ置くと、男はソファのスペースに歩いて行く。
そこで初めて男が背中に大剣を背負っている事に気付き、は小さく息を呑んだ。

(日本刀じゃ…ない?)

あの夜に会った男は日本刀を持っていた。しかし目の前の男の剣は、どう見ても"刀"ではない。
柄の部分には、大きな角が生えた骸骨の装飾が施されている。
は思わず壁に飾られてある二本の剣も確認したが、そのどちらも日本刀ではなかった。

(おかしい…何かがおかしい。さっきから感じる大きな違和感…)

そこで初めて、は自分が重大なミスをしているような、そんな気持ちになった。
それに―――もう一つ、気になる事がある。

「まあ座れよ」

男は背中に背負っていた大剣を壁に立てかけると、皮のソファに腰をおろしを促した。

(やっぱり…あの大剣、どこかで見た事があるような…)

無造作に置かれている剣を横目で見ながら、軽く首をひねる。
ハッキリ言って変わったデザインの剣だ。その辺に売っているとも思えない。
しかしどこで見たのかすら思い出せず、は言われた通り、ソファに座ると、男は両腕を背もたれに乗せながら、「で?」と彼女へ視線を送った。

「あんた、俺と会ったそうだが…いつ、どこで会った?」
「……だから三か月前に…フォルトゥナの森で―――」
「"俺は"何をしてて、あんたに会ったんだ?悪魔から助けたと言ってたが」

男は自分の事をまるで他人事のように言いながら次々に質問してくる。
はおかしい、とは思いながらも真相を確かめたくて、男に知り合った経緯を全て説明した。


「―――要するに…この俺がその…フォル…トゥナ?って街のどっかの森で、あんたの事を悪魔から正義のヒーローのごとく助けた、と…そういう事か?」


の説明を聞いた男は、どこかふざけた調子で両手を広げた。

「…そうよ」
「で、あんたは俺に会いに、この街までわざわざ出向いてきた、と」
「…"あなた"が俺を探せって言ったのよ」
「なるほど、ね。で…その…何だ…"魔剣"…?」
「魔剣教団」
「そう、そんな大層な組織を辞めてまで俺に会いに?」
「それは他にも理由があるけど、残り半分はそうね」
「…こりゃ失礼」

の答えに、男はおどけたように笑う。

違う―――と、は思った。
その態度も、先ほどからの受け答えも、何もかも――――違いすぎる。
そう、目の前にいる男の全てが、あの夜に会った男とは大きく異なる、とは確信に近いものを感じていた。

の持っていた騎士剣"ベローナ"を見ても、男はそれが何なのか気づかなかった。
もしあの夜の男ならば、剣を見ただけで分かるはずなのだ。
彼は剣に施された紋章を見ただけで、が"魔剣教団"の騎士である事を見抜いたし、この"ベローナ"も、ミハエルの物だという事を知っている。
なのに目の前の男――ダンテは全くそれに触れようともしなければ、まるで初めて見るような顔で、「この剣すげーな」とさえ言っていた。
それを聞いた時、はこの男がトボケているのではなく、本当に自分とは"初対面"なのだという事に気付いた。
容姿も、名前も、全て同じ。でも――――あの夜の男と目の前の男とでは、中身がまるで違う。そう…"中身"が。
そこに思い当たった時、あの夜、男が話してくれた事を、は鮮明に思い出していた。

「あなた―――彼の"弟"ね?」

は思い切って、疑問に思った事を率直にぶつけた。
男は僅かに片方の眉を上げると、「これはこれは…」と、苦笑しながら肩をすくめた。

「"兄貴"がまさか俺の事までは話してるとは…ね」
「少しだけね。でも……"双子"だったなんて聞いてなかったわ」

は"やっぱり…"と内心思いながら深く息を吐いて背もたれに体を沈める。
目の前の男はが言っているのが自分の兄の事だと気付いたクセに、あれこれ聞き出そうとしていたらしい。

男は低く笑いながら、「俺も兄貴に名前を語られてたなんて初耳だ」と頭を掻いた。
どうやらあの男が名乗った"ダンテ"という名前は彼―――弟の名前だったようだ。

「…はあ…何か彼…あなたのお兄さんに振り回されたみたいね」

さっきまでの緊張感が一気に解けて、はグッタリとした表情で呟く。
男、ダンテは横目でを観察していたが、ふと体を前に乗り出し、膝の上で手を組んだ。

「一つ…聞いていいか?」
「え…?」
「あいつ……兄貴は俺の事、あんたに何て話してたんだ?」

ダンテの質問に、は一瞬訝しげに眉をひそめたが、彼の落ち着きのない様子を見て何となく気持ちを察した。
あの夜に出会った男は"弟とは価値観の相違で合わなかった"と言っていたが、きっと兄弟同士、互いに心のどこかでは相手を気にかけていたんだろう。
じゃなければ、あの男が弟の名をに残したりはしないはずだし、ダンテもこんな風に兄が話した事を聞いてくるはずがない。

(性格は違うけど…素直じゃないとこは外見と同じくらい"そっくり"ね)

は密かに笑みを漏らしながら、あの夜聞いた事を思い浮かべ、それをダンテに伝えるべく口を開いた。

「彼は…弟がいると話した後に…"あいつは自由奔放で、いい加減な男"だって…言ってたかな」
「…………ま、当たってるな。あいつは…俺とは考え方が180度違う」

兄の言葉を聞き、たっぷり間を空けてからダンテは面白いというように笑う。
それでも僅かに寂しげな表情を浮かべたのを、は見逃さなかった。
二人の間に何があったのかは知らないが、意地を張らずに互いに歩み寄ればいいのに、とふと思う。
しかし同時に価値観の違いで絶縁状態にあるのなら、それはそれで彼らの問題なのだから、口を出すべきじゃない、とは思いなおした。

(考え方が180度違う、か…)

確かに、この弟のダンテは、が出会った兄とは全く逆のタイプのように見える。
何故最初に会った時、気付かなかったんだろうと首を傾げるほど、外見は酷似していても性格そのものが違うのだ。

(彼は何で…弟の名前を私に言ったりなんかしたんだろう…。まるでダンテと引き合わせるかのように)

そこで、彼の本当の名前は何て言うのか、本当にこの街にいないんだろうか…とは気になった。

「あ、ねえ…。彼…お兄さんの本当の名前…訊いてもいい?」

その問いに、ダンテはふと顔を上げ、軽く息を吐き出すと、再びソファに凭れかかって天井を仰いだ。

「……バージル」
「バージル…?」
「ああ…」

男は素っ気ない口調で言って、静かに目をつぶる。
は改めて聞いた男の名を何度も頭の中で繰り返すと、

「そう…それで…彼はこの街にいるのかな。どこに行けば会る?どうしてあなたの名前を私に名乗ったりしたのかな」
「って、いっぺんに訊くな!何であいつが俺の名前語ったのかなんて、んなもん俺が知るわけねえだろ?――俺が答えられるのは一つだけだ」
「…何?」

そんな怒らなくても、と内心思いながら、は身を乗り出した。
しかしダンテはの様子に溜息をつくと、どこか言いにくそうに視線を彷徨わせた。

「…バージルはこの街にはいない」
「……いない?ホントに?あなたが知らないだけなんじゃ―――」
「いや…正しく言えば…確かに数日前までバージルはこの街にいたぜ」
「…ホント?!」
「ああ…俺に会いに来た」

ダンテはそれだけ言うと、不意に立ち上がりゆっくりと窓の方に歩いていく。
そして、ある方向を見上げると、「もう、いないけどな」と一言、言った。

「いないって…じゃあバージルは今どこに?知ってるんでしょ?教えてよ」

すでにいないと聞いてガッカリはしたものの、ダンテの言葉のニュアンスに、行き先を知っている気がして、そう尋ねる。
しかしダンテは背中を向けたまま、苦笑いを零した。

「教えたら…またバージルを探しに行くのか?」
「そりゃそうよ。だって……ここまで来たら乗りかかった船っていうか…」
「ふん……そりゃ無理だな」
「何でよ?」

バカにしたように笑うダンテに、若干ムッとしつつ聞き返す。
ダンテは溜息混じりで振り向くと、窓によりかかり、を黙って見つめた。

「さっき聞いた話じゃ、あんたの生まれた場所ではスパーダを崇め、悪魔の存在は当たり前。当然裏の世界を知ってる。そうだな」
「え?ええ…まあ」
「なら…"魔界"の存在も、もちろん知ってるよな」
「……そりゃあ…知ってるけど…。悪魔はそこから這い出して来るんだし…」

ダンテは何が言いたいんだろう、と訝しく思いながらも答える。そんなに、ダンテは一言、あっさりと言い放った。


「―――バージルは"そこ"へ行った。もう…こっちの世界には戻らないと思うぜ」

「な…」


その言葉に、さすがのも唖然とした――――






「―――ええぇーーーっっ?!!か、彼があのスパーダの…息子ぉぉぉぉおおっ?!!」

真夜中の事務所ビル内に、の素っ頓狂な声が響き渡る。
そのあまりの大きさに、ダンテは思い切り顔をしかめてソファに腰を下ろした。

「…何だよ。聞いてなかったのか?」
「…………っ…?っ…っ?!!」
「話すならちゃんと話せよ」

あまりに驚愕しすぎたせいで、は金魚のごとく、口をパクパク動かす事しか出来ない。
その驚きっぷりにダンテは呆れたように目を細めた。

「き…きき、聞いてないっっ!!!そ、そりゃ確かに最初見た瞬間はスパーダかと勘違いしたくらい似てたけど―――」
「って、お前、スパーダの顔なんか知らねーんだろ?」
「し、知らないけどでも子供の頃から何冊も伝書は読んで来たの!イメージってもんがあるでしょっ」

は立ちあがると興奮したようにドンっと足をふみならす。
ダンテはさすがに"うるさい"といった顔で耳を塞ぐ真似をした。
子供の頃からスパーダを崇め、その街の騎士となって悪魔と戦ってきたというの事だから、てっきりスパーダに関する事は全てを知っているものだと思った。
そこで先日、兄バージルとあった出来事を全部話したついでに、流れで自分の家族事情というやつも話したダンテだったが、これほど騒がれるとは思ってもいなかったようだ。

「じゃ、じゃあ…バージルは本当に父親であるスパーダの力を得て魔界を開こうとしたの?それを止めようとした弟のあなたと戦ったって…?」
「ああ…」
「そ、それで最後はあなたが勝って……バージルはそのまま魔界に繋がる穴に落ちていったって?!」
「ああ…そうだよ。魔界へ落ちたのはあいつが自分からってのが正しいが…。つーか、いい加減落ちついて座れ」

の興奮っぷりにウンザリしたのか、ダンテは顔をしかめながら指でちょいちょいっと座るよう促す。
しかしにとったらダンテの話全てが寝耳に水、いや目から鱗状態で、とても落ちついて聞ける話ではなかった。

「これが落ちついてられるかってのよ!だってスパーダは私の憧れのヒーローで、まさか彼に息子がいたなんて思わなかったし!」

は更にまくしたてるように話し、ダンテは勘弁してくれ、というように項垂れる。
しかも自分の父親を"ヒーロー"などと称され、こっ恥ずかしくなった。
ダンテのそんな心情には気付かず、は更に話を続ける。

「あなたのお兄さんには最初から何かとにかく運命感じて探してて、それでやっと会えるかと思って来てみれば、あなたは彼じゃなく双子の弟で、しかもスパーダの息子だって聞かされれば誰だって…って、あれ?」

そこでふとはダンテに視線を向けると、彼の顔をまじまじと見つめた。

「ちょっと待って…バージルの父親がスパーダで…あなたとは双子…。って事は……あんたもスパーダの息子ぉぉ?!」
「今更かよ!!つーか双子なんだから親は同じに決まってんだろ!」

の天然ボケに、さすがのダンテもキレる。
別に普段から"スパーダの息子"と触れまわっているわけじゃないが、これだけ騒がれると"言わなきゃ良かった"と改めて後悔した。
ダンテの後悔など露知らず、は更に彼を真剣に見つめると、

「そっか…そう、よね。でも……」
「…何だよ?息子もイイ男でビックリしたか?」

ジーっと自分を見つめるの熱い視線に気づき、いつもの軽口を叩く。
しかしはあっさり首を振ると、

「いえ、その反対。バージルは分かるけど……ダンテってイメージが全然違うなあと思って」(!)
「ああ?!どーゆー意味だっ」
「スパーダの息子にしては………軽い?」
「―――――ッ」

小首を傾げながら疑問形で『軽い』と評され、ダンテの口元が僅かに引きつる。
あげく"バージルなら分かるけど"という一言で更に機嫌が悪くなった。

「別にスパーダの血を引いてるからって同じように思われちゃたまんねえな」
「…ご、ごめん。そう言う意味じゃ…。ホント、ごめんなさい」

ダンテの一言にはハッと息を呑み、素直に謝る。
自分も母、イリーナと散々比べられてきた身だ。人と比べられる辛さは分かるだけに、つい口にしてしまった事を反省した。

「別に…そんな必死に謝らなくても…いいけどよ」

急にシュンとなったの様子に、ダンテも困ったように頭を掻く。
そして、ふと項垂れたままのを見た。その視線はどこか探るような、そんな目つきだ。

「で…あんた、これからどうすんだ?バージルを探しに来たんだろ」
「……うん。でも…まさか魔界まで会いに行くわけにもいかないし…ね」

の一言に、ダンテも「そりゃそうだ」と笑う。
と言って、バージルを探す、という目的を失い、会える可能性も絶たれたに、これからのアテがあるわけでもない。
スパーダの息子に会えた、という収穫はあったにせよ、この知らない街でどうすればいいのか、途方に暮れた。

「あんた、名前は?」
「え?」

とりあえず今夜の宿はどうしようか考えているところへ、不意に尋ねられ、は慌てて顔を上げた。

「まだ聞いてなかったよな。名前」
「あ…ああ。そっか…。私は…よ」
「…、か」

ダンテはそう呟きながら立ち上がると、先ほど床に置いた段ボールの方へ歩いて行く。
その後ろ姿を見ながら、が首を傾げていると、ダンテはしゃがんで段ボールを開けつつ、一言、言った。

「…んじゃあ。ここで…働く気はあるか?」
「え…?」
「仕事だよ、仕事。する気はあるか?まあ…うちは"便利屋"だが…請け負うのは主に裏世界のもんばっかだ。――悪魔がらみのな」

を見ないまま、淡々と説明するダンテに、は多少驚きつつ、首を傾げる。
彼の性格から見て、てっきり用が済んだなら出て行け、と言われそうな気がしてたのだ。
なのに逆にダンテは"ここで仕事をしないか"と誘ってくれている。
今のところ無職&家なしのにしてみれば、願ってもない誘いだった。

「な、何で私に?」
「さっき聞いた話じゃ、あんたは昔から悪魔相手に戦って来たんだろ?ならそれなりに腕があるんだろうし、ま、さっきの動き見ても強かったしな」
「……まあ。これでも元騎士だし…」

ダンテの背中を眺めながらも応える。彼はさっきから段ボールについているガムテープを忙しなく剥がしていた。

「なら俺のアシスタントとして動けるだろ?」
「…アシスタント…?」
「ああ。ま、簡単に言えば俺の請け負った仕事のサポートをする…ってのはどうだ?」
「……サポートはいいけど…。でも何で私に?あなた強いんでしょう?一人でも出来るんじゃないの」

一度だけだが、は彼の兄、バージルが悪魔をいとも簡単に消滅させたところを見ている。
そのバージルを倒したというのなら、このダンテも相当な腕を持っている、とは思っていた。

「まあ…そうだが…。さっき…思い出したんだよな」

ダンテはふと動かしていた手を止め、呟いた。
その様子に、も「何を…?」と問いかける。ダンテは肩越しにその青い瞳を向けた。

「…バージルが魔界に落ちてく前…最後に俺を見て…ふと言ったんだ」
「……え?」
「…"いつか…俺と間違えてお前を尋ねて来る女がいるかもしれない…"」
「…………っ」
「"もし…彼女がお前の前に現れたら――――代わりに"…」
「…代わりに?」

途中で言葉を切ったダンテに、は小さく呟く。
ダンテは再び視線を手元に戻すと、「さあ、な」と小さく息を吐いた。

「そこでバージルは魔界へ消えちまって聞こえなかったし…何を言おうとしてたかは分からない。俺もその時は色々あった後で多少の混乱はしてたから深く考えなかったしな」

ダンテはそう言うと、つい何日か前の悪魔達との激しい戦いを思い出すように天井を仰ぐ。
バージルを利用し、人間と言う立場で、父スパーダの力を得ようとしたア―カム、そして…最後の最後まで理解しあえなかった兄バージルとの死闘。
それまで悪魔と人間との間に生まれた自分の存在価値を見いだせなかったダンテにとって、あの戦いは、自分が今何をすべきなのかという事を教えてくれた。
そんな中、最後の瞬間にバージルから告げられた言葉。の話を聞いているうちに、ダンテはふと、兄の言葉を思い出したのだ。

「でもさっき、あんたの話を聞いてたら、何か引っかかって、ずっと考えてたんだ。で、あいつの最後の言葉を思い出した」
「だから…って私を雇う理由になるの?何を言おうとしたのかも分からないのに―――」
「分かるさ、今ならな。多分あいつは…こう言いたかったんだと思うぜ。"―――代わりに、面倒をみてやってくれ"ってな」

ダンテはそう言って段ボール箱の中から、何かを取りだし立ちあがった。

「あいつと何を話したのか知らねえが…きっとあんたが自分を探しに来る事、バージルには分かってたんだろ。だから―――」
「あなたに…託したって言うの?私…ほんの少しの時間、一緒にいただけなのに…」

あの夜、一瞬だけ見たバージルの優しい笑みを思い出し、は胸が苦しくなった。
一人で勝手に話しまくって、勝手について行って…迷惑がられてるかと思ったのに。

「あんた、親を悪魔に殺されてるんだろ?あげく父親代わりの人間まで殺されて、きっと心配になったんじゃねえか?」
「心配…」
「もしあんたが訪ねて来たとして、自分はもう人間界にはいない。何もかも捨てて来たあんたが路頭に迷うのは目に見えてたんだろ」

ダンテはそう言って笑うと、「バージルの想像通り、あんた行くあて、なさそうだしな」と肩をすくめて振り向いた。
そして段ボールから出した物を、どんっと床に置く。それは派手な装飾が施された看板だった。



「それ…店の?」


「That's right!―――"Devil May Cry"へ、ようこそ。



ダンテはそう言いながら、ウエルカムといったように、両手を広げ、軽く会釈をした。







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