Night:1. Boy with blue eye



15歳の頃、とても不思議な体験をした。あれは月が綺麗な夜の出来事―――




「どうしよ〜門限まであと15分しかない…」

学園祭で使う道具を買いに、街へ出て遅くなったは、家路を急いでいた。
が通う、黒主クロス学園中等部の寮は門限に厳しいのだ。
1分でも遅れたりしたら、寮長にたっぷり説教されたあげく、休日には寮の庭の草むしりなど、そういった罰が与えられてしまう。
それだけは何とか避けなければならない。今度の休みには前から楽しみにしていた映画の公開初日で、親友の京子と行く約束をしているのだ。
これで罰を与えられたりしたら、それこそ休日に映画鑑賞、という楽しみは来週まで持ち越されてしまう。
暗い道を走りぬけ、やっと黒主学園の敷地までやって来た。暗い中に浮かび上がる建物の数々は、夜に見ると、どこか不気味だ。

「もう少し……」

黒主学園の高等部前を過ぎれば、その奥にはの通う中等部があり、寮はまだその先にある。
息苦しいのを何とか堪え、やっと高等部の辺りまでやってきた。
でもすでに足は限界で、更に買ってきた荷物が重たいせいで、多少走りにくい。あっと思った時には足が何かに躓き、はその場に転んでいた。

「…ぃったぁ……」

必死に走ってきたから勢いがついて派手に転んでしまった。掌や膝は無残にも擦りむけ、すでに血が溢れ出している。
それを見ては泣きたくなってきた。これじゃ走ることも出来ないし、門限に遅れてしまう…そうなればせっかくの約束も…

「…痛い…」

立ち上がろうと足に力を入れるだけで傷が痛み、は顔を顰めた。こんなに派手に転んだのは子供の頃以来だろう。

「やっぱり久保くんに着いてきてもらえば良かったかな…」

久保、とは今度の学園祭で露店を出すグループでも一緒の、のクラスメートだった。
今日はその露店で出すたこ焼きの器具を買いに行ったのだ。
久保は一緒に行こうかと言ってくれたのだが、は彼が自分に好意があるという事を知っているので上手く断ってしまった。
久保もに気があるのをハッキリ態度に出すせいで仲間内でもよくからかわれる。
それがは嫌だったのだ。

(悪い人じゃないんだけど…)

の本音では、その程度でしかなく、あまり学園で噂になるのも嫌だったし、二人で買い物に行けば、また何かと騒がれると思ったのだ。
でも、こんな事になるなら、とは少しだけ後悔していた。腕時計を確認すると、門限まで残り10分を切っている。
さっきのように走って行けば間に合うかもしれないが、この怪我ではそれも出来ない。
は涙目になりながら、擦り切れた掌を見下ろした。と、その時、一瞬だけ柔らかい風が吹いた気がして顔を上げる。
辺りの木々もザワザワと揺れ始め、それがどこか不気味に思えた。


「…大丈夫?」

「――――ッ」


それは突然だった。
何の気配もしなかったはずなのに、急に背後から声をかけられ、は飛び上がった。

「ああ、ゴメン。驚かせちゃったかな」
「……あ…」

どこか優しい響きのする声に、誘われるように振り向くと、そこにはスラリとした男の子が笑顔でを見下ろしていた。
柔らかそうなクリーム色の髪の隙間から、綺麗な蒼い瞳が覗いている。
その吸い込まれそうな瞳にドキっとしながらも、その男の子が来ている制服に目が行った。

(この白い制服は……黒主学園高等部の……夜間部ナイトクラス…!)

が通う黒主学園の高等部には二つのクラスがある。
普通科デイ・クラス夜間部ナイト・クラス。この二つの科が同じ校舎を共有しているのだ。
そしてディ・クラスは黒の制服。ナイト・クラスは白の制服、と分かりやすいよう区別されている。
突然の前に現れた男の子は、ナイト・クラス特有の白い制服を着ていた。

「ああ……やっぱり怪我してるんだ」
「…え?」
「血の香りが校舎まで流れてきたよ」
「………???」

言葉の意味も分からず首を捻るに、その男の子は怪しい笑みを浮かべて近づいてくると、ゆっくりと目の前にしゃがんだ。

「動ける?」
「あ…は、はい…」

突然手を差し出され、自然にその手を掴んでしまう。男の子はの手を軽く引くと、そっと立たせてくれた。

「い…っつ…」
「…大丈夫?」
「あ、はい…ありがとう御座います」
「随分と派手に転んだようだね。君は……中等部の子かな」
「あ、はい…。ちょっと急いでたので…不注意でした」

そう言いながら、ふと顔を上げる。しかし男の子は掴んでいたの手をジっと見つめながら、「血が…止まらないね」と呟いた。
そのの手を掴んだせいで、彼の手にも少し血がついてしまっている。

「あ…ごめんなさい…手が汚れてしまって…」

が慌てて持っていたハンカチを差し出すと、彼は一瞬キョトンとした顔をした。
でもすぐに微笑むと「ありがとう」とそれを受け取る。その綺麗な顔で微笑まれると、どうしても鼓動が跳ねてしまう。

(はあ…凄く…綺麗。噂通り、高等部のナイトクラスの生徒って、カッコいいんだ…)

でも確かナイト・クラスはこの時間、授業をしているはずだ。何故、彼はこんなところにいるんだろう、とは少しだけ気になっていた。
だがすぐに急いでいた事を思い出し、慌てて腕時計を確認する。

「いっけない…。門限が……」
「え?」
「あ、あの…寮の門限があるんです…でもこれじゃ遅刻だわ…」

ここはまだ高等部前であり、更にその奥にある中等部の寮までは、残り5分では絶対に間に合わない。
それどころか、この怪我ではそれより少し時間がかかってしまうだろう。寮長に怒られるのは目に見えている。
そう思って項垂れていると、目の前の男の子は「僕が送って行くよ」と、ニッコリ微笑んだ。

「え…?い、いいです、そんな――」
「遠慮しないで。こんな夜に女の子が一人歩きしてたら危ない」
「でも……ひゃっ」

突然体がフワリと浮いて、はギョっとした。気づけば男の子がをお姫様抱っこしている。
異性に抱えられた事も初めてならば、憧れのお姫様抱っこすら初めての経験で、は顔が真っ赤になってしまった。
しかも相手は中等部でも噂の的でもあるナイト・クラスの美形な男の子。鼓動が高鳴るのは仕方のない事だった。

「ちょ…あの…っ」
「大丈夫、間に合うよ」
「え?」

男の子は意味深な笑みを浮かべてそう言うと、を抱えたまま走り出した。
その軽い足取りは、を抱えているとは到底思えないほどだ。見た目は細いのに力はあるんだ、と呆気に取られつつも、は驚いていた。

「はい、到着」
「……へ?」

その言葉にビックリして目の前の門を見上げると、そこにはちゃんと"黒主学園・中等部"と書かれている。
あの距離をこんなに早く走ってきたの?とは驚いてしまった。

「まだ3分はあるし間に合うだろ?」

をそっと下ろすと、蒼い目の男の子は得意げに微笑んだ。確かに中等部の寮は校舎より手前にあるからギリギリ間に合う。

「あ、ありがとう御座います…!ホントに助かりました」
「いいよ、こんな事くらい。それにあのまま放っておいたら危ない目にあってたかもしれないしね」
「……危ない目…?」
「ほら、この辺は人通りも少なくて物騒だろ?だから……今度から出かける時は友達と行きなよ」
「…あ、はい…」
「じゃあね」

そう言って男の子は手を振ると、高等部の方へ戻っていく。その後姿を見ながら、はハッと気づき、「待って!」と叫んでいた。
男の子は静かに振り返ると、「何?」と首をかしげている。

「あ。あの…お名前は…」
「え?」
「お礼がしたいんです。お名前教えてください」

そう言ってペコリと頭を下げる。男の子は一瞬、驚いたような顔をしたが、ゆっくりの方へ歩いてくると「僕は藍堂あいどう…藍堂はなぶさだよ」と微笑んだ。

「藍堂…英センパイ…。あ、あの私、と言います。来年の春から高等部に通う予定です」
「そうなんだ。じゃあ、また会えるかもしれないね」

その一言に、思わずも笑顔になる。

「藍堂センパイは……月の寮にお住まいなんですか?」
「うん」

"月の寮"とは、高等部のナイト・クラス専用の寮であり、デイ・クラスの寮は"陽の寮"と呼ばれている。

「じゃあ…後日お礼に伺ってもいいですか?」

そのの質問に、藍堂は初めて困惑したような顔を見せると、「お礼なんかいいよ」と静かに首を振った。

「でも―――」
「いや……やっぱり…もらっておこうかな…」
「え?」

その言葉に顔を上げるのと同時だった。不意に手首を捕まれ、ドキっとする。
藍堂はそのままの掌を上に向け、先ほど転んで怪我をした場所へ自分の顔……いや、唇を近づけた。

「あ、あの」

その突然の動作に驚き、は思わず手を引きかけた。だが思ったよりも強く掴まれていてびくともしない。
藍堂は戸惑うを見てクスっと笑い、そのまま掌の傷口へと唇を近づけると――滲んでいる血を、ぺろりと赤い舌で舐め取った。

「…ひゃっ」

藍堂の舌の感触にビクっと肩が跳ねる。男の子にこんな事をされたのは、もちろん初めてで、は耳まで真っ赤になった。

「ん…やっぱり甘い……」

藍堂は掌に滲んでいた血を全て舐め取ると、満足げに笑みを浮かべ、自分の唇についた血もぺロっと舐め取った。
その仕草がやけに艶っぽくて、元々綺麗な顔が憂いで見える。その時、一瞬月が雲で陰り、辺りが暗くなった。

「あ…藍堂…センパイ…?」

ドキドキしながら震える声で呼ぶ。僅かに暗くなった瞬間、藍堂の瞳が赤く染まったように見えたのだ。
だがそれは一瞬の事で、雲が流れ、再び月が顔を出した頃には、藍堂の瞳も元の綺麗な蒼に戻っていた。

(今の…錯覚…?一瞬だけ赤く光った気がしたのに……っていうか、その前に私…手を舐められ……っ)

今された事を思い出し、顔が一気に熱を持つ。
そんなを見て微笑むと、藍堂は「傷、消毒するんだよ」と言い残し、今度こそ高等部の方へと歩いていってしまった。
時間にしたら、ほんの数分、いや数秒の出来事だったろう。でもにとっては、とても長い時間に感じ、ハッと息を呑んだ。

「いけない…!門限…!」

腕時計を見れば、あと残り1分半。

それを見ては痛む足を引きずりながらも寮まで辿り着き、何とか門限までには間に合ったのだった。








カツ…っと靴音がした瞬間、藍堂英は足を止めて気配を探った。

あかつきか?」

そう声をかけるのと同時に、暗闇から人影が姿を現す。

「ああ」

若干、低音気味の声で答えたのは、英よりも少し身長の高い、すらりとした男、架院かいん暁だった。彼は英のイトコでもあり、同じ貴族出身の吸血鬼ヴァンパイアだ。
少し赤みがかったブラウンの髪をかきあげ、皮肉めいた笑みを浮かべる暁は、英とは違い、規定であるネクタイも締めず襟元を大きく崩している。
その野性味のある雰囲気から、高等部のデイ・クラス女子達からは"ワイルド先輩"というニックネーム――本人は気に入っていない――で呼ばれていた。

「…どうだった?」
「うん…僕が出てった瞬間、逃げたみたいだ。気配は消えてたよ」
「そうか…レベル:Eのクセに逃げ足だけは速いな」
「僕もあの子の血の匂いに気づかなければ、奴の気配に気づかなかったよ」
「確実に襲われてただろうな。その子…」

暁は苦笑交じりでそう言うと、「でも――」と英を見た。

「お前……味見、、しただろう」
「……う」

イトコの鋭い突っ込みに、藍堂はギクリとしたように首を窄める。
そして、「エヘへ☆」と、先ほどに見せた顔とは打って変わり、子供のような人懐っこい笑顔を見せた。

「だってあの子の血、凄くいい匂いするからさぁ…つい、ね。でもちょっと舐めただけだよ」
「あのなぁ…もし玖蘭くらん寮長にバレたら、お仕置きだぞお前」
「げっ!かなめさまには絶対言うなよ?暁!」
「はいはい…バレれば俺も止められなかったって事で同罪だからな。言わないよ」

呆れたように肩を竦める架院に、藍堂もホっと息をつく。そして、ふと青白い月が浮かぶ夜空を見上げた。

「でも…ここ最近、レベル:Eの奴らが僕たちの目を盗んで好き勝手してるようだし気が抜けないな」
「ああ…奴らを"監視する者"としては出張ってでも何とかしないといけない。これ以上、人間の犠牲者を出すわけにもいかないしな」
「うん…。枢さまの命令でもある事だし…放っておけば、あのいけ好かないヴァンパイア・ハンターの奴らがでしゃばって来るからね」

忌々しげに呟くと、藍堂は軽く拳を握り締めた。

黒主学園の高等部には一つ重大な秘密があった。
それは藍堂や架院を含む、彼ら、ナイト・クラスの生徒たちが、全員ヴァンパイアだということ。
この事実は政府の人間と、黒主学園の理事長しか知りえない事だ。
デイ・クラスの生徒たちはもとより、教師達もその事実を知らされていないのだ。
何故、人間の敵でもある彼らを受け入れているのかというと、黒主理事長が理想とする”平和な共存”が目的だからだった。
そして、その理想に共感し、同じ志を持つのが、ナイト・クラスを率いている玖蘭枢くらんかなめ、という純血種のヴァンパイアだ。
藍堂や架院たちも、その枢の呼びかけで、黒主学園に集ったといっても過言ではない。
彼らにとって、数少ない純血種の枢の言う事は、絶対なのだ。

「枢さまのためにも……早く始末しないとね…」

藍堂は冷めた声でそう呟くと、赤く染まったヴァンパイアの瞳を、空に光る月へと向けた。











あの夜から4日ほど経った日曜日の昼下がり。
は京子と予定通り、外出届を提出し、念願の新作映画を見る事が出来た。
映画館を出た後は街中の喫茶店で休もうという事になり、今は二人でお茶を飲んでいる。
話題は、と言えば、最近はもっぱら、あの夜の事だ。

「でもさぁ。もラッキーよね。ナイト・クラスの人に会えるなんて」

の親友の京子は髪をかきあげながら、羨ましげに頬杖をついた。

「た、たまたまだもん…」
「バッカねぇ。そのたまたまもないでしょ?私達、中等部には!同じ敷地内にいるのに、高等部の寮は遠いし、中等部の私達には会う機会もないんだから」
「う、うん…私も最初はビックリしたし…」

そう言って苦笑すると、はふとあの夜に出逢った、瞳の綺麗な男の子を思い出していた。
どこからともなく現れて優しく寮まで送ってくれた藍堂英。あれ以来、会うことはないけど、も忘れてはいない。

「高等部のセンパイに聞いてみたんだけど、その藍堂って人、かなり人気者らしいわよ?気さくで優しいし、苗字をもじって"アイドル先輩"って呼ばれてるって」
「…だろうね。だって凄くかっこ良かったもん」
「高等部のデイ・クラスの女子なんか、殆どナイト・クラスのファンらしいし…。まあ寮長の玖蘭要を筆頭に美形揃いなんだから、それも分かるけど」
「それにエリートでお金持ちだって話よね。皆、どこかの貴族の出らしいし…」
「私達も来年の春には高等部に上がれるし、楽しみよね」

そう言いながら京子は「ダイエットしなくちゃ」なんて今から張り切っている。
は笑顔で相槌を打ちながらコーラを飲むと、ぼんやりと窓の外を眺め、溜息をついた。

(藍堂センパイ…か。確かにナイト・クラスの人に会うなんてラッキーだったのかもしれない。でも…彼は何であの時間、あんな場所にいたんだろう)

高等部のデイ・クラスの人たちでさえ、ナイト・クラスの人に会えるのは、校舎の入れ替え時間くらいだという。
校舎へ向かうのにナイト・クラスの"月の寮"から、出てくる、ほんの数分。それを楽しみに、デイ・クラスの女子達は月の寮前で出待ちをしていると聞いた事があった。

(あ、そっか…藍堂センパイってば授業サボってたとか…。ナイト・クラスの人たちは皆、エリートだって聞くけど、たまにはサボる事もあるわよね)

黙ってると多少、近寄りにくいほどに美形だけど、笑った時なんかは人懐っこさが伺えるほど、優しい雰囲気だった事を思い出し、はふっと笑みを零した。

「あれ、ってば何ニヤニヤしてんの?」
「べ、別に」

目ざとい京子の言葉に、は慌てて顔を元に戻した。何となくあの夜以来、気づけば藍堂英の事を考えてしまっている。
そんなを見透かしたように、京子はニヤリと唇の端を上げた。

「もしかして……藍堂センパイに一目惚れしちゃったんじゃないのー?」
「は?な、何言ってんのよ…っ!そんなわけないでしょ」
「そぉお?恋愛に疎い親友がやっと目覚めたのかとホっとしたんだけど…。それに手なんか舐められちゃったわけだし?」
「…ちょ…京子!声が大きいってばっ」

真っ赤になって腰を浮かせると、ニヤニヤしている親友の口を塞ぐ。
親友でルームメイトでもある彼女にだけは、あの夜の事を全て話したのだが、こんな風にからかわれるなら黙っていれば良かった、と若干後悔した。

「あ、あれは消毒のつもりだったのよ…。別に変な意味じゃなく」
「どっちにしろ羨ましいわ。美形な男の子に助けられたあげく、そんな意味深な事されちゃうんだから。今度会ったら絶対に紹介してよね」
「い、意味深って…。それに向こうだってもう忘れてるわよ…。だいたい会う機会なんて――」

そこで言葉が途切れた。京子もその様子を見て、訝しげに「どうしたの?」と首を傾げている。
だがは今見た人物の事が気になって、ジっと窓の外を眺めた。
今、何気なく見た窓の外を、藍堂とよく似た男の子が歩いていた気がしたのだ。
その人物はがいる店の裏手の方に向かって足早に歩いて行ったようだった。

(さっきの…制服こそ着てなかったけど…藍堂センパイだった気がする…)

「ちょっと。どうしたの?誰か知ってる人でも――」
「藍堂センパイ…」
「え?」
「今、藍堂センパイが誰かと歩いていた気がする…」
「え、嘘!」

その言葉に京子も驚いて腰を浮かせた。今の今まで噂していた人物がいたとなれば、その顔にも満面の笑みが浮かぶ。

「ホント?どっちに行ったの?」
「あっち…」

店の裏路地を指差すと、京子は途端に疑い深い目でを見た。

「ホントに見たの?この裏は今、ビルの解体作業やってるだけで何もないじゃない」
「で、でもホントにあっちに行ったのよ…多分、藍堂センパイだったと思う」
「だっても暗いトコでしか彼を見てないんでしょ?今、チラっと見ただけで分かるの?」
「それは…」

そう言われると確かにそうだ。会った時は夜だったし、こんな昼間ではない。
でもあの綺麗な髪の色、そして黙っていても人を惹きつけるようなオーラ。とても見間違えるとは思えない。

「ま、いいわ。とにかく行ってみましょ」
「えっ?行くって……」
「だから追いかけるの。それで人違いだったらいいじゃない。本人だったらラッキーって事で」

京子はそう言って笑うと、サッサと伝票を持ってレジへと走っていく。も京子の性格を知っているだけに、そこは素直に従った。
それにも、あれが藍堂ならもう一度話せるかもしれない、と思ったのだ。

「で、こっちだっけ?」

支払いを済ませて外に出ると、京子は張り切ったようにを見る。

「うん…」

は一瞬だけ見た記憶を辿りながら、藍堂が歩いて行ったとみられる道筋をゆっくりと歩き出した。
京子もそれに続き、ワクワクしたように辺りを見渡している。
今はまだ昼過ぎで、人通りも多く、いくら目立つナイト・クラスの生徒といえど、この中から探し出すのは大変だ。
だが藍堂が歩いて行ったらしい方向は、何も店がない為、少しづつ人気がなくなっていく。

「ねぇ…ホントにこっちに来たの?」

殆ど人もいない小道を歩きながら、京子が不満げに呟く。でも先ほど見た感じでは、この方角で間違ってはいない。
先ほど二人がいた喫茶店の裏手に向かう道は、この道一本しかないのだ。

「多分…。他に道もないし」

そう言いつつ、もだんだん不安になってくる。
辺りを見渡しても、そこは解体作業中の崩れた建物しかなく、しかも休日という事で、作業員すら今日はいない。
静まり返っていて、少し不気味な雰囲気だった。

(あの人がこんな場所に来るなんて……ありえないか)

自分の目を疑いたくはないが、さっきのあれは見間違いだったのかもしれない、と内心溜息をつく。
ちょうど彼の事を噂しながら思い出していたところだったし、そのせいで背格好の似た人を、藍堂と思い込んでしまったのかも…
そう思うと何となくガッカリして、足を止めた。

「ゴメン、京子。やっぱり人違いだったのかも――」

そう言って振り返る。だがそこには誰の姿もなく、は唖然とした。

「京子…?」

今の今まで自分の後ろにいたはずの京子の姿が消えて、はキツネにつままれたような感覚に陥った。
この道は一本道だから隠れるようなところはなく、歩いて来た方向にも、彼女の姿はない。

「…嘘でしょ…京子…!どこ?」

まるで白昼夢でも見ているかのように、忽然と姿を消した京子に、は次第に不安になってきた。
辺りは工事中の崩れた建物しかない。
隠れようと思えば隠れる所など、いくらでもありそうだが、あの綺麗好きな京子が、こんな埃臭い場所へ足を踏み入れるはずもない。
といって、他に考えられず、は比較的、人が通れそうな工事現場へ歩いて行った。

「京子…!どこにいるの?京子!」

何度か名前を呼んでも返事がなく、は途方にくれた。
一瞬、藍堂がいなかった事で、スネて一人で帰ったのかとも思ったが、あの短い時間で姿が見えなくなるほど遠くへ行くとは思えない。

「あ…そうだ、携帯があるじゃない」

ふと思い出し、慌ててバッグの中を漁る。そこには最近買い換えたばかりの携帯がちゃんと入っていた。当然アドレスには京子の電話番号も登録してある。
はすぐにアドレスを開き、京子の番号に電話をかけてみた。すると――意外にもすぐ近くで着信音が鳴りだし、はハッと足を止めた。

「京子……?」

メロディはまだ鳴り響いている。それが鳴り出したと同時に、一瞬だが人の気配も感じた気がした。

「京子……そこにいるの…?」

瓦礫だらけの足場の悪いところを、慎重に進んで行く。
すると半分ほど解体されたビルの奥の方でガラン…っと瓦礫の崩れる音がして、は急いで中へと入って行った。

「京子……?どこ?いい加減出てきてよ…怒るわよ…?」

そう言いながらも、京子はこんな下らないことをするような子じゃないと、は思っていた。

(もしかしたら…中に入り込んで、穴に落ちたのかも…)

事故にあったのかもしれない、と心配しながら、薄暗いビルの中を見渡す。
でもそれらしい穴は空いておらず、未だに鳴らしている携帯の着信音は、壊れかけたドアの奥から聞こえるのが分かった。

「…京子…そこにいる?」

ゆっくり足を進めながら、誇りまみれのドアノブに手を伸ばす。だが触れただけでギィィっと軋みながら簡単にドアは開いた。

「京子…?」

着信音はまだ鳴っている。この部屋に少なくとも京子の携帯はある…
は得体の知れない恐怖を感じながら、一歩、部屋の中へと足を踏み入れた。

「――――ッ」

その瞬間、突然、口を塞がれ、目を見開いた。後ろから抱きすくめるようにして、誰かがの体を拘束している。

(―――誰?!)

そう叫びたいのに口をふさがれていて声が出せない。その時、耳元に荒い息遣いを感じ、はゾっとするのを感じた。

「…へへへへ…今日は獲物が多くてラッキーだぁ…美味そうだぁ…」

声で男らしい、というのは分かった。――変質者だろうか?
ではこの男は一体どこに隠れていたんだろう、とはこんな時でも冷静に考えていた。

「……ん〜っん〜!」
「ひひひ…暴れたって無駄だぁ…お前は俺に喰われるんだからなぁ……その女と一緒にぃ…っ」
「――――ッ?」

その言葉でハッとした。暗い部屋の隅に見えるのは、見覚えのある京子のブーツだ。
その先に視線を向ければ、床の上に京子が倒れているのが見えて、は息を呑んだ。

「きょう…こっ」
「おおっと…動くなよぉ?」

何とか男の手を振りきり、掠れた声で叫ぶ。だが恐怖に震えた体はあまり自由にはならず、再び男に抱きすくめられた。
首元に男の熱い吐息がかかり、ゾクっとしたものが足元から這い上がってくる。

「…や…ぁっ」
「お前の方が美味そうだなァ……」

ベロリと首筋から耳まで舐められ、は必死に抵抗した。だが次の瞬間、ブツ…ッという鈍い音がして、首筋に痛みが走る。

「ひ…っ」

男は後ろに居て、よくは見えないが、首に噛み付かれたのだと気づき、は一瞬で青ざめた。

「や…ッ誰か…!」

何をされるのか分からない恐怖にパニックになりかける。
だがその時、拘束されていた体が突然、自由になり、は反動で前に転びそうになった。

「…きゃ…っ」
「危ない…!」

そんな声と共にの体を何かが支え、一気に引き戻される。
驚いて顔を上げると、そこにはあの夜、出逢った藍堂英が、を抱きしめるようにして立っていた。

「あ…藍堂…センパイ…?」

突然現れた藍堂に唖然とする。それと同時に、目の前で苦しげな表情を浮かべている見知らぬ男が視界に入り、は息を呑んだ。
その男の目は血走り、口からは大量のよだれ…どう見ても普通ではない。自分を拘束していたのは、この男だ、とは直感的に感じた。
そしてその男は、いつ怪我をしたのか、腕から血を流し、恐ろしい目つきでこちらを睨んでいる。

「お前…貴族かァ…?邪魔するなァッ」
「黙れ。お前はもう終わりだ」

藍堂は冷静な口調で言い放った。その表情はひどく冷めていて、が会った時とはだいぶ違う。

「あ、あの…藍堂センパイ…この人は…」

何が何だかサッパリ状況が分からず、は戸惑うように口を開いた。だがその時、目の前の男が素早い動きで逃げていく。
なのに藍堂は追いかけようとはせず、軽く息をつくと、を見下ろした。大丈夫?と問う表情は、先ほどと違い、柔らかいものになっている。

「は、はい…あの…追いかけなくてもいいんですか…?」
「ああ…大丈夫。それより……怪我してるね」
「え?あ…」

藍堂の指がの髪を避けると、白い首筋には赤い髪傷が二つ。そこで先ほどの男に噛み付かれた事を思い出し、はゾっとした。

「いきなりあの人に咬まれて……でもすぐ藍堂センパイが来てくれたから平気です」
「…そう。なら良かった…」
「あ、私より京子を…っ」

は慌てて倒れている京子へと駆け寄る。だが抱き起こした時、京子の首筋にも傷を見つけ、ハッと息を呑んだ。

「…友達もアイツに襲われたようだね」
「どうしよう…顔が青いわ…救急車――」

ピクリとも動かない京子に、は慌てたように振り向いた。だが藍堂はそれほど慌てた様子もなく、しゃがみこむと、ジっと京子の傷を眺めている。

「彼女は大丈夫…気を失っているだけだ。少ししたら気がつくよ」
「ホントですか?」
「うん」

藍堂の言葉に、ホっと息をつく。とにかく京子が無事で良かった、とは安心した。
それと同時に、あの男は何者だったのか、と首を傾げる。突然襲われ、何が何だかサッパリ分からない。
それにどうして藍堂がここにいるのかも謎のままだ。だがそれを聞く前に、そこへ一人の男が現れた。
モデルのようにスラリとしたスタイルで、彼もまた息を呑むほどの美形だ。
藍堂はその男を見て、親しげに声をかけた。

「ああ、暁…アイツは?」
「大丈夫だ」

いきなりそこへ現れた人物にが唖然としていると、藍堂がその男の方へ歩いていく。
見た感じ、彼もナイト・クラスの生徒らしい。

「それより、彼女達は…」
「うん…怪我はしてるけど、それほどひどくはない。噛み付かれてはいるけど吸われてないようだし」
「そうか…」
「でも、もう一人の子は…」

藍堂はそう言って、の腕の中でグッタリしている京子へ目を向けた。

「多少吸われたようだ。でも命に別状はない」
「なら俺が送っていこう。記憶の方は消しておく。そっちの子はお前が送っていって処理しろ」
「…分かった」

架院の言葉に頷くと、藍堂はの方へ歩いていく。もちろん二人の会話はには聞こえていない。

「この子は彼が運ぶよ。君は僕が送ってく」
「え…?で、でも――」
「大丈夫。この子はすぐに目を覚ます。ただ少しショックで気絶してるだけだ」
「…はい…でもえっと……彼は…」

は不安そうに京子を抱き上げる架院を見上げた。それに気づいた藍堂は苦笑いを零すと、

「こいつは大丈夫。僕のイトコで架院暁っていうんだ」
「え、イトコ……」
「そう。あ、暁、この子は先日、会ったちゃん。黒主学園の中等部なんだって」
「…ああ、らしいな」

架院はそう頷きながら、「この子はちゃんと寮に送り届けるから」と、を見た。
その確かな物言いに、もやっと笑顔を見せる。

「あ、あの…宜しくお願いします…」
「ああ…じゃあ…」

と、架院が歩きかけた時、が「あの…」と声をかける。

「さっきの…変質者の事、警察に届けた方がいいでしょうか…」
「…………」
「…………」

の問いに、藍堂、そして架院は驚いたように目を丸くし、互いに顔を見合わせる。そして小さく噴出したのは藍堂だった。

「変質者…か」
「え…?」
「いや…君は何も心配しなくていい」
「あ、はい…。あの…何から何まで、ありがとう御座います」

ペコリと頭を下げるに、架院も複雑そうな顔をしながら、「じゃあ…先に戻ってる」とだけ告げて、その場を後にした。
残された二人は何となく顔を見合わせ、は照れ臭そうに目を伏せる。
ついさっき怖い思いをしたというのに、は藍堂と再会出来たことを嬉しく思っていた。

「あ、あの…また助けてもらっちゃって…」
「いや…それより…早く帰ろう。そろそろ日が暮れる」

藍堂はそう言ってを立たせると、「今日は歩ける?」と微笑む。その言葉に赤くなりながら、は小さく頷いた。
そのまま二人で廃墟から出ると、外は薄っすらと夕日がさしていて、辺りをオレンジ色に染めていた。

「でも…どうして、あんな場所に行ったの?女の子二人で行くところじゃない」

夕日に照らされた路地を歩きながら、不意に藍堂が口を開く。それまで緊張しながら隣を歩いていたは、その問いにふと先ほどの事を思い出した。

「あ…実は…さっき藍堂センパイを見かけて…」
「え…僕?」
「はい。一瞬だったのでハッキリ分からなかったんですけど、つい追いかけてしまって…やっぱり藍堂センパイだったんですね」

そう言って微笑むに、藍堂は複雑な顔で頭をかいた。

「そっか…じゃあ僕のせいだね…怖い思いをさせたのは」
「えっ?い、いえ、そんな事は…。私が勝手に追いかけちゃっただけだし…その…藍堂センパイのせいじゃありません」

はそう言いながら、慌てて首を振った。そんな姿を見て、藍堂は無言のまま、を見つめる。

(どうする…?このまま彼女の記憶を消すか…血は吸われていないとはいえ、レベル:Eのヴァンパイアに咬まれたんだ…本来ならそうすべきだ。でも…)

「そう言えば…さっきの変質者、逃げちゃったんでしょうか」
「…え?あ、ああ…いや。暁が捕まえて警察に連れて行ったみたいだよ」
「え?ホントですか?架院センパイって強いんですね」
「う、うん、まあ」

無邪気に驚いているに、藍堂も笑うしかない。

(この分じゃ彼女はまるで気づいてないみたいだな…)

ふと、先ほど廃墟を出たところに、風で舞い上がっていた砂を思い出し、藍堂は溜息をついた。
あの砂は架院があの男を倒したという証であり…殺されたヴァンパイアの末路だ。
あのレベル:Eは、ここ最近、この街で5人の人間を襲ってきた連続殺人鬼だった。
ナイト・クラスのクラス長にして、寮長の玖蘭枢に言われ、あの男を藍堂と架院が探していたのだ。
目的はもちろん――粛正しゅくせい
あれは"元人間のヴァンパイア"であり、レベル:E化が進めば理性もなくなり、ただ本能のままに血を求める怪物になってしまう。
それを貴族出身の藍堂や架院たちが始末をつけなければならない。
今は協定も交わしつつあるが、古くから宿敵でもあるヴァンパイア・ハンターが先に手を出す前に、というのが玖蘭枢の願いでもあるからだ。

ヴァンパイアの中のヴァンパイア。
数少ない純血種であり、一族の長ともなりえる"我が君"玖蘭枢が、人間との共存を望んでいる。
それは藍堂にとって、どんな事より優先される事だった。


「でも、いきなり噛み付くなんて…あの男の人、薬でもやってたんでしょうね」
「そうだね…」

もし自分達の存在が知られた場合、その対象の記憶を消さなくてはならない。
の言葉に相槌を打ちながら、この分なら彼女の記憶を消さなくても良さそうだ、と藍堂は思っていた。

「あ…そう言えば…藍堂センパイは何故あんな場所へ?」
「…え?」

不意に問われ、藍堂はハッと隣に居るを見た。は何の疑いもせず、無邪気な笑顔を浮かべている。

「あ、ああ…いや…何だか危ない奴がいるなぁと思って、暁と後をつけてたんだ」
「え…じゃあ…センパイ達は最初から、あの変質者を探して…?」
「…以前、友人がアイツと似た奴に襲われてね。だから…」

苦し紛れにそう説明すると、はそれをすんなり信じたのか、「そうだったんですか」と微笑んだ。

「じゃあお友達も安心ですね。あの変質者が捕まって」
「そうだね。きっと喜ぶと思うよ」

若干、引きつり気味に微笑む藍堂に、も微笑み返す。
この子が単純で助かった、と内心思いながら、藍堂は隣を歩くを眺めた。
この前の夜も思ったが、かなり小さく、まるで子供と歩いているみたいだ。
ナイト・クラスの生徒たちは、女も含め皆が皆、無駄に大きいからか、何となく新鮮な気分だ。
それ以外でもはナイト・クラスにはいないタイプだった。
ずっと緊張しているのか、薄っすらと頬を染めながら見上げてくるが、藍堂の目に可愛らしく映る。
自分を助けてくれた藍堂に対し、ハッキリと憧れにも似た感情を抱いているのが見た目にも分かった。
それが何とも言えず、藍堂の心をくすぐる。

(ナイト・クラスの女たちは瑠佳を筆頭にプライドが高いの多いからなぁ…)

そんな事を思いながら、必死に会話を探しているを眺めていた。




「あ、じゃあ…送ってくれて本当にありがとう御座います」

寮に到着し、は畏まったように頭を下げた。

「お礼なんていいよ。それより…今度からは、あんな場所に女の子だけで行かないようにね。世の中には危ないのが多いんだから」
「はい。気をつけます」
「それじゃ…」
「はい。お休みなさい…あ、じゃなくて…藍堂センパイはこれから授業でしたよね」

ナイト・クラスはデイ・クラスと違い、日曜日でも授業がある。藍堂もこれから寮に戻り、着替えてから登校しなければならなかった。

「そうなんだ。今、大事な研究をしててね」
「そうですか…頑張って下さいね。あ、あと架院センパイにもありがとうって伝えてください」
「うん、言っておくよ。じゃあ……ちゃんはゆっくり休んで。あ、あと傷の消毒は忘れずにね」

そう言って首元を指差すと、も思い出したように微笑んだ。

「…はい。ちゃんと消毒して寝ます」

名残惜しげに藍堂を見上げるは、なかなか寮に戻ろうとしない。

「じゃ…戻って。僕がここで見てるから」
「え…いえ。私が見送ります」
「それじゃ危ないだろ。いいから戻って。じゃないと心配で戻れないし…」

藍堂のその言葉に、は頬が赤くなった。これ以上、彼を困らせるわけにはいかない、と素直に寮へ続く門を開ける。
だがそれを見ていた藍堂は、ふと思い出したように、「ちゃん」と呼び止めた。

「え?」

呼び止められた事でドキっとして振り返る。すると、不意に何かが頬に触れ、一瞬だけ固まった。

「お休み。いい夢を」

ゆっくりと唇を離した藍堂は、ニッコリ微笑むと、そのままの背中を押した。
フラフラと中等部の敷地に戻りながら、は頬を押さえ、ゆっくりと振り向く。
そこには、優しい笑顔で手を振る藍堂の姿があり、の頬は一気に赤くなった。

「あれ…やりすぎたかな…」

真っ赤になって寮に走っていくを見送りながら、藍堂は苦笑しながら頭をかいた。
があまりに寂しげな顔をするものだから、ついしてしまいたくなったのだ。
と言っても、頬にキス、という軽いスキンシップのつもりだった。でもにとったら、そうではなかったようだ。

「ホント、可愛いな」

クスクス笑いながら、ゆっくりと高等部の方に歩いていく。
そこへ架院の気配を感じ、藍堂はふと顔を上げた。

「遅いぞ、英」
「ゴメン。あの子の歩調に合わせて、ゆっくり歩いてきたんだ」
「ふん…それで…きちんと消したのか?」

架院の言葉に藍堂は苦笑すると、軽く肩を竦めた。

「それが…あの子、ちっとも分かってないから消してないんだ」
「何だって?でもあの子はアイツに咬まれたんだろう」
「そうだけど…あの子は変質者に襲われたと思ってるらしくてさ」

そう説明すると架院は呆れたように溜息をついた。

「だからってお前……もし後で気づいたらどうするんだ?」
「その時は責任持って記憶を消すよ。とりあえず、アイツは暁が警察に突き出したって事になってるから宜しく」

明るい笑顔でそう言われ、架院は苦笑いを零した。

「ったく…お前、まさかあの子に自分の記憶を残しておきたくて消さなかったわけじゃないだろうな」
「はあ?何言ってんのさ。そんなんじゃないよ」

架院の言葉にムッとしたように、藍堂は彼を押しのけ歩き出した。架院はそのまま藍堂の後をついていくと、


「お前、前にあの子の血、舐めただろ?」

「……だから?」

「いや…。一舐め惚れ・・・・でもしたのかと――」

「何だソレ!!」


架院のトボケた言葉に、藍堂は赤くなると、「授業に遅れるよ!」と校舎へ走っていく。

その動揺っぷりを見て、架院は笑いを噛み殺すと、急いで藍堂の後を追いかけて行った。














「大丈夫?京子…」
「うん…何とか」

寮の部屋に戻ると、京子はすでに部屋に運ばれていた。
架院が京子を抱えて来たのを見て、寮長も相当驚いていたらしいが、事情を聞いて納得したらしい。

…今帰ってきたの…?」
「う、うん……」
「そう…っていうか、私どうしたの?何かひどくダルイんだけど…」
「え、覚えてないの?」

京子の様子には驚いた。

「うん…とあの路地を歩いてたまでは覚えてるんだけど…その後の事はサッパリ…気づけば部屋で寝てたって感じ」
「え…じゃあ…何も覚えてないのね……」

きっと、よほど怖い思いをしたか、あの変質者が京子が気づく前に気絶させたんだろう、とは思った。

「ね、何があったの?この…怪我は?」

京子は不安そうに自分の首に巻かれている包帯を見て、そっと触れている。
そしての首にも同じように包帯が巻かれているのを見て、「何があったのか教えて」と言った。
怖い思いをしたなら黙っていた方が、とも思う。
だが、覚えていないうえに何があったのか分からない方が不安を与えてしまうかもしれない、と思い、は今日あった事を正直に話した。
変質者に襲われ、咬まれたと聞けば少しはショックを受けるかとも思ったが、京子は意外にも瞳を輝かせながら、身を乗り出してきた。

「え、じゃあやっぱり藍堂センパイはいたのね?それでここまで架院センパイって人が私を運んでくれたって事?」
「う、うん、まあ……」
「きゃー♪嘘みたい!私もナイト・クラスの人たちとお近づきになれたなんて!あぁ〜何でそんな時に気絶なんてしてるのよ私ってば…」
「ちょっと京子……そこなの?普通、怖いとか、最悪、とかあるでしょ?変質者に襲われたって言うのに…」

あまりのはしゃぎように呆れながら、は苦笑いを零した。
それでも京子は、「ソレ言うならもでしょ」と笑っている。

だって襲われたのに、藍堂センパイに送ってもらって浮かれてるじゃない?」
「そ、そんなんじゃ……っ」

ドキっとしつつ顔を背けると、は着替えるべく立ち上がった。
そして、ふと窓の外を見て、ゆっくりと歩いていく。
遠くにかすかに見える明かりは、高等部のナイト・クラスがいる教室の明かりだ。

「今頃…授業中かな…」
「え?何?」
「何でもない…。それより今日の事は内緒ね!他の子にバレたら、またうるさいでしょ?」
「えぇ〜せっかく明日、自慢しようかと思ったのに〜」
「ダメよ…。そんな事して藍堂センパイたちに迷惑がかかったら困るもの…」

の言葉に京子は渋々頷くと、「何だかホントにダルイしもう寝るね」とベッドに潜り込んだ。
心配してた傷も、特に痛んでいる様子もない。はホっとして、窓の外に視線を戻した。

「藍堂…英…センパイ…」

その名前を呟くだけで、鼓動が少しだけ早くなる。

遠くに見える明かりを眺めながら、はキスをされた頬に触れて、そっと目を瞑った。








ちょと短編でヴァンパイア騎士など…と思ったら、一話で終わらず、後編へ続く…(;^_^A
これは藍堂英で描いてみました。



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